2022/04/10 - 2022/04/10
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bunbunさん
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私の故郷は信州で、子供の頃高遠の桜を見に行ったことはありますが、道路が大渋滞していたこと、すごい数の桜が咲いていたことくらいしか記憶にありませんでしたので、今回改めて「信州伊那高遠さくら祭り」に行って来ました。
高遠公園の桜は明治8年頃、荒れたままになっていた高遠城址を何とかしようと、旧藩士達が馬場の桜を城址に移植したのが始まりです。
現在、園内には約1500本もの「タカトオコヒガンザクラ」(固有種)があり、 ソメイヨシノより少し小ぶりで赤みのある花を咲かせます。
日本三大桜の名所*)の1つとされるこの公園の桜は、その可憐さと規模の大きさから「天下第一の桜」と称されるほどです。その樹林は県の天然記念物の指定を受け、平成2年には、日本さくらの会の「さくら名所百選」に選ばれています。
写真の枚数が多いので2回に分け、今回は1回目のご報告です。
*) 他の二ヶ所は、青森県の弘前公園と奈良県の吉野山です。
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まず、高遠城址公園内にあった交通案内図を先にここで示します。
東京からのアクセスは、中央自動車道諏訪インター→国道152号線を使うルートと、中央自動車道伊那インター→国道361号線を使うルートがありますが、距離は後者の方が20 km程長いものの、前者の国道152号線は山越えでかなり曲がりくねっています。伊那市高遠町観光案内所に問い合わせたところ、国道361号線は信号が多くて時間がかかるので、観光案内所としては前者をお勧めしていますとのことで、前者にしました。この図より広域の交通規制図・駐車場案内図は観光協のHPからダウンロードできましたが、観光案内所によると10:00頃までにくれば待たなくても駐車場に入れるでしょう、とのことでしたので、その時刻に間に合うようにやって来ましたが、公園近くの駐車場は満杯らしく、駐車場の係員さんに図の右上の駐車場P20に誘導されました。9:40頃です。しかしここは高遠城址公園まで徒歩で20分もかかるのでお断りして先に進みました。少し進むと渋滞が起こって起こっており、その中をゆっくり進んで伊那市民族資料館の前まできたら、満車表示のその専用駐車場(図左上のP24)から出て来る車が1台あり、係員さんに「公園に行くんだけどここに停めても構わないか」と聞いたら、「どうぞ、どうぞ」とのことでしたのここに車を停めることにしました。時刻は9:46です。 -
伊那市民族資料館の駐車場(P24)入口。サクラが満開です。
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駐車場に入って、車から降りて見た駐車場脇のサクラ。
あくまで資料館入館ということでしたので、入館料として2人×200円/人=400円を支払いましたが、ここで入館券と高遠城址公園のパンフレットももらいました。ここに車を停める人は公園に行く人が多いんですね。
駐車場から出て、公園に向かいます。 -
右側の歩道を公園へと向かいます。
左はこの先にまだ沢山ある駐車場入りを待つ国道152号線の車です。 -
階段を上ります。
高遠城址公園の行き先表示板がありますね。 -
坂とその先の階段を上ります。
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まだ階段を上ります。
高遠城址公園、信州高遠美術館、高遠町歴史資料館、進徳館の行き先表示板が見えますが、後述するように後3者は高遠城址公園外にあります。
またこれも後述しますが、進徳館は国指定文化財:高遠城跡(たかとうじょうあと)には含まれます。 -
まだ階段を上ります。
この坂は大手坂、前方やや左に石垣が見えますがこれは大手坂石垣で、これらについては以下で説明します。 -
階段はもう少しで終わるらしい。
左に説明板があるな。 -
説明板
随分汚れているなあ。
右の地図は「信州高遠城図」です。左が北、現在地は左下です。
この地図に示された領域がはぼ以下で説明する高遠城跡(たかとうじょうあと)です。
左は「大手坂石垣」の説明です。
汚れていて読みにくいと思いますので、説明文を以下に記します。
「大手坂石垣(史跡高遠城跡内)
指定 国指定史跡 昭和48年5月26日指定
所在地 伊那市高遠町東高遠
所有者 伊那市ほか
大手坂石垣は高遠城登城のための道で、大手門(追手門)の西側に位置します。
戦国時代、武田氏が当地を治めていた頃、大手口(正面入口)は城の東側にありました。当時、現在地周辺は城の搦手(裏口)にあたり、城の背後を守る断崖でした。
江戸時代に入り安定した時代になると、城の西側段丘下に新たな城下町が建設され、大手口も城の西側へ移されました。これに伴い、城と城下と結ぶ大手坂も新たに整備されたと考えられます。
高遠城跡内に現存する石垣のうち、江戸時代まで遡るものは少なく、特にここの石垣は、絵図からも存在を確認することができる大変貴重なものです。」 -
説明板付近から見た西方、伊那の街、遠方の雪を被った山は中央アルプスです。
サクラが多い街だなあ。 -
伊那の街と中央アルプス、ズームイン。
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大手門跡の説明板
このあたりに大手門があったということですか。 -
ここで、高遠城跡公園の北ゲートを通過して左側にあった、高遠史跡めぐり案内板を先に示します。
左が北で現在地は左上部です。
高遠城跡(たかとうじょうあと)*)は昭和48年(1973年)5月26日に、文化財種類:史跡名勝天然記念物、種別:史跡の国指定文化財となり、高遠城は平成18年(2006年)4月6日に、(財)の本城郭協会より日本百名城に認定されています。
ライトブルーの線で囲まれた領域が、平成18年**)(2006年)3月31日に伊那市都市公園条例として施行された高遠城址公園となります***)。伊那市役所商工観光部高遠商工観光課高遠商工観光係のWebサイトhttp://www.inacity.jp/shisetsu/koenshisetsu/takatojoshikoen.htmlおよび、ウィキペディアhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%81%A0%E5%9F%8E%E5%9D%80%E5%85%AC%E5%9C%92に記載された高遠城址公園の領域は間違いです。
*) 範囲は高遠城があった高台全体で、下記記載の高遠城址公園に含まれない、図左の三の丸、進徳館、左下の大型バス駐車場(武家屋敷)等も含まれます。
**) 投稿当初「平成13年」と記載しておりましたが、伊那市商工観光部高遠商工観光課、加藤知樹様より「これは平成18年の間違いです。」とのご指摘がありましたので,改訂しました。条文の日付の単純な写し間違いです。加藤知樹様にはご指摘に対し、深く感謝申し上げます。
***) 高遠城址公園の領域に関する条文および地図は、伊那市教育委員会生涯学習課文化財係兼高遠教育振興係兼市誌編さん室の大澤佳寿子様より頂きました。この場を借りて深くお礼申し上げます。 -
上のマップだけでは分かりにくい部分もあると思いますので、伊那市のHP https://takato-inacity.jp/2022/takatoh_sakuramaturi_no_goannnaiからダウンロードした公園マップも載せておきます。方位は1つ上の図から90°右回転して上が北です。
この、マップの著作権は伊那市高遠町の伊澤デザイン事務所に有り、本旅行記の著者は伊那市商工観光部高遠商工観光課を通して、著作権の利用許諾を得ております。 -
前方のサクラ。
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少し坂を上って振り返って見たサクラと中央アルプス。
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さらに坂を上ると平坦な桜樹林にでます。
駐車場からここまで約10分です。
ここもサクラがいっぱいだ。 -
東に進んだ所にあった門。
屋根が傾いてるね。
左下に説明板がある。 -
門の説明板
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大手門の横のサクラ
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南に、公園北側の一方通行の車道を隔てて、大型バス専用駐車場P9が見えます。
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車道を横切ってP9に行ってみました。
大型バス専用のはずなのに普通車も何台か停まっているので、係員さんに「普通車も停められるんですか」と聞いたら、「10:00までに出る(現在10:10)という約束で停めさせているんだけど、約束守ってくれないんだよね」とぼやいていました。 -
また車道を横切ってもとの桜樹林に戻って来ました。
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サクラ
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サクラ
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車道に出ました。
後方(西)。 -
前方(東)。
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高遠藩の藩校:進徳館の石碑です。
右側の説明文はこの後見学する進徳館にある説明板とほぼ同じですが、そこで説明されていない部分を記載すると、
「2. 指定 昭和35年2月11日長野県文化財保護条例第3条第1項の規定により指定」
と言ったところでしょうかか。 -
この階段を上ると進徳館です。
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階段を上りました。進徳館です。
右の玄関の両側に、説明板と間取り図があります。 -
進徳館の説明板
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進徳館の間取り図
現在はこの間取り図中央上(北)方に渡り廊下でつながった付属棟があります。 -
玄関脇にあった信濃の藩校のリスト。
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教授玄関(大玄関)と寄宿寮
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左から生徒控所と教授方師範、第一教場と聖廟と壇、第二教場と学監詰所です。
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壇の五聖像
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孔子廟と五聖像の説明板
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生徒控所と教授方師範
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蔵
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付属棟に来ました。
東から見た部屋。 -
1つ上の写真の左(北)隣の部屋。
こちらは板の間です。 -
西側のサクラ
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上の写真の位置から反対側に回って東から見た付属棟。
ケースに何か展示されていますねえ。 -
ケース内の展示物。
すみません。太陽光が反射して見にくいですね。
上の棚の奥の黒い物は
「竿縁(さおぶち) 天井板をささえるために、取り付ける細い材です。」
上の棚の手前は左から、
「天井板 建造当初の古い段階の天井板と見られます。」
「和釘 江戸時代以前に用いられていた角釘で、物入の小舞を止めるために再利用されていました。」
「輸入釘 明治初期に賓用され、付属棟の建築年代決定の根拠となりました。釘頭の下が四角い形をしています。」
「現代の釘」
「碁石 建物の中から発見された陶製の碁石」
下の棚は壁の材料で奥は左から、
「角又(つのまた)」 紅藻類の一種で壁土の糊料にします。
「消石灰」
「黄土(おうど)」 室内壁の材料
「本漆喰 石灰に苆や角又を混ぜ、水で練った壁材」
下の棚の手前は左から、
「紙苆(かみすさ)」
「藁苆」
「藁苆」
「苆」 左官材料に混入される繊維状材料
です。 -
すみません。これも太陽光が反射して見にくいですね。
「進徳館付属棟の柿葺(こけらぶき)屋根
屋根の下地となる野地板の上にサクラの薄板材(柿板)を葺足(外部に露出した部分)2寸で重ね並べ、屋根を葺いています。
現在は建物保護のため、柿葺の上に鉄板を被せてあります。」 -
3つ上の写真の左(南)側。
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南に移動して見た進徳館付属棟とサクラ。
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フクジュソウ(福寿草、キンポウゲ科、フクジュソウ属)が綺麗に咲いてるねえ。
毒草です。 -
玄関前に戻って寄宿寮です。
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門から進徳館を出ます。
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車道を西に進み、高遠閣の西側が日陰にならないうちに見ておこうと北ゲートを通り越して高遠閣の北東までやって来ました。
東方のサクラと堀(下)と公園-車道の間の柵(右)。 -
南西方向のサクラ。
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1つ上の写真の少し左側。
サクラとその奥は高遠閣です。 -
北門に向かって車道を東に戻ります。
途中で見た高遠閣東側。 -
高遠城址公園北ゲートへの入口に来ました。
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左に折れて公園を南北に貫く散策路。
公園に入るために左前方に進みます。 -
高遠閣の説明板
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高遠閣の入園券売り場に並びます。
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北西から見た高遠閣
もろ逆光だ。 -
正面右が北ゲートです。
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入園券売り場
入園料は
個人
大人 500円
子人(小中学生) 250円
団体(20名以上)
大人 400円
子人(小中学生) 200円
です。 -
入園券を見せて北ゲートを通過し、園内に入ります。
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高遠閣の西を南北に走る散策路に出ました。
西側のサクラ。 -
南側
中央奥に天下第一の桜碑が見えます。
後で行きます。
散策路を挟んでその左前方が二ノ丸となります。 -
二ノ丸跡の説明板
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散策路右(東)側にサクラの花びらで作られたハート形の花輪がありました。
若いカップルがこの中に入って写真撮影をしていましたが、私達はそんな歳でもないですしねえ。 -
北西に移動しました。
左下は堀です。 -
さらに散策路を北に移動しました。
このまま進むとグランドゲートに出ます。 -
少し北東に移動して公園北北西エリアのサクラです。
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公園北北西エリアのサクラ
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公園北北西エリアのサクラ
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公園北北西エリアのサクラ
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公園北北西エリアのサクラ
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公園北北西エリアのサクラ
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南東に移動して先ほど見えた天下第一の桜碑の前にきました。
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天下第一の桜碑の標識
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少し南に進んだ南西方向。
左下に行き先表示版がある。 -
右(東)に進めば本丸と桜雲橋(おううんきょう)とな。
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南方向
橋があるようです。
それにしてもすごい人だなあ。 -
後方(西)、二ノ丸です。
飲食エリアになっています。 -
東に進むと桜雲橋があり、その手前に堀に下りる階段があったので下ります。
桜雲橋とサクラ。 -
さらに下りて、桜雲橋とサクラ。
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堀に下りて見上げた桜雲橋とサクラ。
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堀には鏡池があります。
鏡池越しに見た桜雲橋とサクラ。 -
鏡池のある堀から南に階段を上りました。
南方のサクラ。 -
西方のサクラ
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東に移動して二ノ丸のサクラ
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二ノ丸のサクラ
飲食エリアになっていて店がたくさん出ています。 -
二ノ丸のサクラ
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二ノ丸西側から見た西方の堀とサクラ
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二ノ丸西側南端にある無字の碑
逆光だなあ。 -
無字の碑の碑文
「伊澤多喜男翁は信州高遠に生まれ出て国家の桅機に参じ公氏常に至誠一貫以て事に當る 特に教育を重し治山治水に力を致す終生更かす 郷人翁の高風を慕ひ長く後人の範とするに碑を以て為さんとす 事翁のしるところとなり固く容さず有志また素志を翻さず 熱願は凝って遂無地の碑となる
駒岳の素雪 三峰の清流 古城の櫻花まさに自の風格を顕はすものと言ふべきか
昭和二十四年春」 -
無字の碑の説明板
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本丸にまだ行っていなかったので、本丸に向かいます。
途中のサクラ。 -
本丸に通ずる桜雲橋に来ました。
相変わらず混んでるねえ。 -
桜雲橋から見た鏡池とサクラ
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桜雲橋を渡ります。
正面は問屋門です。 -
桜雲橋から見た鏡池とサクラ
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問屋門
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問屋門の説明文
桜雲橋と問屋門が景観シンボルってか。 -
桜雲橋を渡った所にあった高遠城の戦いの説明板。
ここから先は本丸になります。 -
本丸に入って見た西方のサクラ
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少し東に進んで見た南西方向のサクラ
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本丸内を北西に進みました。
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さらに北西に進んだ所にある、高遠公園碑
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高遠公園碑
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高遠公園碑の説明板
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高遠公園碑付近から見た北西方向
グランドゲートに向かう歩道が見える。 -
西に少し移動した所にあった中村不祈寿像の説明板
像は今、信州高遠美術館か。 -
西南西に大きく進んだ所に所にあった鳥居とその奥の新城(盛信)神社
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新城(盛信)神社拝殿
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新城(盛信)神社・藤原神社の由来の説明板
この神社の西側は高遠城の急斜面になっており、南に行くと斜面のサクラと中央アルプスとが見られます。 -
ということで南に移動しました。
サクラの向こうに中央アルプスが見えます。 -
場所を変えて、サクラと中央アルプス
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ここは中央アルプスが良く見える。
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場所を変えて、サクラと中央アルプス
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安全対策として柵はあります。
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サクラの間の中央アルプス、ズームイン。
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場所を変えてサクラの間の中央アルプス、ズームイン。
ここはまだ本丸で、その西端ということになります。
写真の枚数が多いので、今回はここまでとして、続きは後日投稿します。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
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- masamimさん 2022/04/19 23:40:30
- 日本一の桜の名所でしょうね。
- bunbunさん、こんばんは! masamimです。
「高遠」って伊那の桜の名所だとは知ってました。
塩尻辺りから近いんですが、行ったことがありませんでした。
しかし、これほどの桜の名所とは思わなかったです!
>日本三大桜の名所*)の1つとされるこの公園
>その可憐さと規模の大きさから「天下第一の桜」と称されるほどです。
>その樹林は県の天然記念物の指定を受け、平成2年には、日本さくらの会の「さくら名所百選」に選ばれています。
そんなに由緒あるなんて・・
>遠方の雪を被った山は中央アルプスです。
>サクラが多い街だなあ。
いたるところ、景色も素晴らしい!
入園料がかかる高遠閣は素晴らしいの一言!
さすがハイシーズンは観光客がすごいです。
それだけ見に行く価値があるってことでしょうね・・
私もいつか開花時期に合わせて。
まぁ早くても来年春とずいぶん先ですが、行ってみようと思います。
- bunbunさん からの返信 2022/04/20 13:48:26
- RE: 日本一の桜の名所でしょうね。
- masamimさん、こんにちは。
ご訪問、私の拙い旅行記にいつも投票ありがとうございます。
私も子供の頃行っただけで記憶が定かでなく、行ってびっくり、こんなにすごい所だとは思いませんでした。
お勧めです。
今回の旅行記の高遠閣の撮影時刻は10:40頃でもろ逆光でしたが、次回の旅行記では13:30頃戻って来て撮影した順光の写真を載せようと思っています。プロではないので写真はできるだけ順光で撮るようにしています。
高遠城址公園の後、伊那の桜を何ヶ所か見て来ましたが何処も素晴らしく、伊那は本当に桜の街だと思いました。
これまでmasamimさんの旅行記をたくさん拝読させて頂いておりますが、海外はセブ島、国内は軽井沢が多く、セレブなんですね。羨ましい限りです。
私は1999年のアメリカの後は南米、その後は時差の少ない南太平洋の島々、なんて考えていましたが、新型コロナの蔓延で海外旅行ができなくなり、歳もとって体力がなくなってきましたので、今後は国内を回ろうと思っております。
bunbun
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