2007/12/29 - 2008/01/03
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mugifumiさん
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2007年12月29日から2008年1月3日の6日間をかけて中国の雲南省を訪ねるJTBさんのツアー「雲南省大満喫」の旅に参加しました。
この旅行記は、まず、このツアーを選んだ経緯や小生のあいさつなどを申し上げます。
そして、12月29日の成田空港から広州白雲空港を経て昆明に宿泊し、翌日(30日)、昆明から麗江空港に飛び、到着時から始まった玉泉公園や東巴博物館などの麗江観光の模様をお伝えしたいと思います。
<巻頭写真は、雲南省麗江の玉泉公園です。>
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- 中国南方航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
PR
-
<麗江の玉泉公園>
◇◆◇◆ ご挨拶 ◇◆◇◆
皆様こんにちは「Mmugifumi」です。
今回は、4,000年の歴史が宿る国、中国、それも多くの少数民が暮らす雲南省に行ってきました。
このツアーは、JTBさんの企画ですが、キャンセル待ちをして参加した旅行でした。
私たちは、今年(2007年)の年末年始もなんとか海外旅行に行きたいと考えていました。
しかし、「12月29日出発、1月3日帰国のもので、できれば添乗員が同行するものがよい。」という条件だったものですから、なかなかこの希望に合ったツアーが見つかりませんでした。
でも、「行きたい!」と強い思いを持つと希望が叶えられるものなのですね。
JTBさんには無理をいいましたが、勧められたコースは二つありました。
一つは、すぐに予約が可能なコースで、同じ中国の・・・何といったかな?「寒い!」という説明に腰が引けて断念しました。
そしてもう一つが雲南省でしたが、こちらは満席で予約が取れませんでした。
仕方がありませんので、キャンセル待ちにしたのですが、二組目だったこともあり、最終的には予約することができました。
12月29日から1月3日という相変わらず忙しい日程となりましたが、北京でも西安でもない中国は初めてのことです。
パンフレットには、昆明、麗江、大里、石林となっていますが、高地にある雲南で多くの少数民族の伝統や文化に触れることができました。
改めて中国の広大さと人口の多さ、そして何より多民族国家であることを認識したものでした。
さあさあ、旅行の始まりです! -
<2007年のわが家の春の庭>
◇◆◇ 12/29(土) 成田空港へ ◇◆◇
久しぶりの海外旅行ですから、いつもですと気分が高揚して期待に胸が膨らむのですが、不思議とそんな感じがしないのである。
空港での集合時刻は12時20分、集合場所は空港第2ターミナルビル3Fである。
電車も日暮里駅発10時45分のスカイライナーを予約していたので、余裕である。
小生は、時間ぎりぎりに行くということができない性分で、今回も早めの出発となったのであるが、早すぎて日暮里駅で予約のスカイライナーに乗れなかったのである。
話が見えない?そうですね。
ところで、空港駅に着きますと、いつものように空港に入るためのパスポートなどによるチェックがあります。
そして、次にビルの3Fに行ってスーツケースを受け取り、指定されたJTBさんのカウンターに行くのですが、これが混雑のためなかなか見つからないのです。
やっとカウンターを見つけて「やれやれ、これでゆっくりできる」と思ったら、添乗員のIさんがスーツケースをCZ(中国南方航空公司)386便のカウンターに持って行って飛行機に預ける手続きを済ませて欲しいということでした。
この話を気楽に考えていたら、またまた難儀なことが待っていました。
なにしろ、この中国の航空会社のカウンターの場所が建物の隅で、おまけに「人、人の波」そこには長い行列が待っていました。
やっと順番が近づいてきたと思ったら、同じ飛行機の隣のカウンターは、ゴルフ客専用のようで余裕があるみたいでした。
そして、そのカウンターでも一般の客を受け付けるという案内があったものですから、その列に並んだのですが、「受け付けない」という話になりました。
「何をやっているんだ!」と怒りたくなりますよ。
朝、4時30分に起きて気分が悪い上に、14時20分発の飛行機に乗るのにこの苦労である。
疲れるな!! -
<昆明のホテル(グリーン・レーク)>
こうして苦労した飛行機で18時20分に中国の広州白雲空港に無事、到着しました。
今17度C、その後、国内線に搭乗する手続きをしました。
でも、小生の印象は温度よりも、広い空港で乗り換え時間がないためか皆さん急ぎ足で歩いいました。
空港の写真があればこの状況が理解できるのですが・・・。
昆明に向かうため乗り換えた飛行機CZ3419便は、ほぼ予定通り20時10分頃広州を出発して、22時20分頃に昆明航空に到着しました。
そしてグリーン・レークホテル(翠湖賓館)到着が23時10分前後ですから長い移動の一日でした。
ところで、添乗員のIさんは、とても優しい仕事熱心な方という感じの女性です。 -
<麗江エアーポート>
◆◇◆◇ 12月30日(日) ◆◇◆◇
本日の麗江は晴れ、-2度~14度
旅のメモには、そう書いてありますが、「寒い!」という印象は、あまりありませんでした。
それよりも、昨日遅く昆明に着いたのですから、「ゆっくり寝ていたい」というのが人情ですが、朝早く4時30分頃にたたき起こされてしまいました。
とはいっても、添乗員のIさんに文句を言っているのではありません。
日程がそのように組まれているのですから・・・。
ところで、そんなに早く起きて何処に行くのかと思われるでしょうね。
実は、またまた飛行機に乗って本日の目的地の「麗江」に行くのです。
そのため、朝食は「抜き!」ではなく、弁当でした。
ところで、私たちは、昆明空港を7時ちょうどくらいに出発して、7時40分に麗江空港に到着したのですが、この画像は、麗江空港からバスに乗り込むところです。
バスに乗り込みますと、ひとまず「ホテルで一休み!」かなと思っていたのですが、いきなり「玉泉公園」に向かいました。 -
<夜明け玉泉公園>
この公園の第一印象は、「薄明かりの中での見学?」というものですが、面白い光景が次々と出てきます。
この画像の左奥に「玉龍雪山」が小さく写っています。
何だか寒そうでしょう!冬だから当たり前だ!(クラッカーではありませんよ、古いジョークだね。)
ですが、地球温暖化の影響でしょうか、意外と寒さを感じませんでした。 -
<玉泉公園>
ところで、玉泉公園は、「黒龍潭公園」とも称されているそうです。
場所は、麗江古城の北2㎞で、山の麓にあるそうです。
そしてその特徴は、玉龍雪山から溶けた雪水が山裾の岩間から湧き出て、それが4㎞余の潭を作り、この公園に流れ込み「泉水」となっているそうです。
この泉水が緑豊かな樹林に囲まれて青く澄んだ玉のように見えることから「玉泉」と言われています。
なお、玉龍雪山は、麗江北部15㎞のところにある大雪山群で、南北35㎞に及ぶ万年雪と氷河に覆われた山々のことです。
画像では確認できませんが、その姿が空を飛ぶ銀色の龍のように見えることから「玉龍」という名前がついているようです。
「玉泉」「玉龍」とか「黒龍潭(こくりゅうたん)」などよく分からないことが多いのですが、自然を「玉」や「龍」になぞらえるのは、「中国らしいな!」と思いました。
次に、公園の様子ですが、公園の建物や地元の人々の朝の体操などが徐々に出てきますので、期待しないでお待ちください。 -
<静かな佇まいの五鳳楼>
ここ玉泉公園は、鬱蒼と茂る樹木と泉水といわれる沢(潭という字を勝手に「さわ」と訳しました。)と池が設置されていますが、歴史的に貴重ないくつかの建物があります。
見どころとしては、これらの建物だと思いますが、地元の少数民族、納西族の体操(踊り?)が私たちを待っていました。
また、建物の中には、象形文字のトンパ文字の研究所がありました。
歴史と言いますと、玉泉公園は、清の乾隆帝時代に納西族の「玉泉龍王廟」を建てたことから「龍王廟」とも呼ばれているそうです。
早い話が納西族の権力者(午後から見学したときに名前が出てきた「木」氏のこと?)に「王」と名乗ってよいと清の皇帝が認めたというでしょうね。
その歴史を反映したものには、「龍神祠」、三層四角の「得月庵」、「天皇閣」などがあるほか、後にここに移された明代の「芝山福国寺解脱林の門楼」、同じく福国寺の「五鳳楼」などがあり、さらに、明代の「光碧楼」公園の池の中心にある清代の「一文亭」などがあるそうです。
などと言ってますが、正直なところ何が何だか「サッパリ」分かりませんでした。
でも、芝山福国寺は、明代にこの地方を支配していた「木」氏(1271年に明から麗江宣尉司という官職に任命された。)の別荘と「廟」だそうですから「ナシ族の権力者が木氏ではないか」という小生の推論も、的外れではないかも知れませんね。
ところで、この建物、五鳳楼は、1601年(明代)に建設され、高さが20m、その形が飛んできた五匹の鳳凰とよく似ていることからこの名前がついているそうです。
中国人は、こういう童話みたいな話が好きだな!と思いますね。
次に、五鳳楼以外の「龍神祠」、「得月楼」、「解脱林門楼」などがどのようなものか調べました。
そして写真やビデオが残っていないか懸命に探しました。
その結果、「龍神祠」は、地元の皆さんが独特のリズムで踊っていた広場の反対側の建物でした。
私たちは、この中に入って見学しました。 -
<龍神祠>
龍神の門を潜ると、中庭みたいになっていましたが、龍神祠は、読んで字の如く「龍」の「神」を祀る「やしろ」なのですね。
黒い龍神の像があるはずなのですが、残念ながら映像が残って残っていませんでした。
なぜ、「黒」かと言えば、この公園が「黒龍潭」といわれているからです。
なお、龍神祠は、日本の竜宮城の話を思い起こさせますし、気仙沼や大阪、、香川、釧路などには、「龍神祠」という社があるそうですから、面白いものです。 -
<同じく龍神祠>
この画像は、一見、外から撮影したように見えますが、門を潜った先にこの建物がありました。
でも、建物が二重に囲んでいるのではなく、この庭を挟んで前後左右に4つの建物に囲まれていました。
この画像の屋根の下に文字が見えますが、「玉泉龍宮」と書かれています。
青い色使いと「龍宮」という言葉から思い浮かぶことは?
そうです。まるで、日本の竜宮城のようですね。 -
<黒龍潭>
先に、五鳳楼の画像を掲載しましたが、見学の順序としては、龍神祠が先でした。
また、前の説明で「得月楼」や「解脱林の門跡」、清代の「一文亭」などについて申し上げましたが、これまた順番が逆になってしまいました。
まず、玉泉公園の入口の画像をご覧いただきましょう。 -
<玉泉公園の入口>
この門は、玉泉公園への入口です。
「黒龍潭(こくりゅうたん)」と書いてあり、「潭」の意味を勝手に「さわ」ではないか申し上げましたが、どうやら違っていたようです。
「さわ」ではなく「ふち」と読むようです。
でも、「黒い龍のふち」とは、どんな意味なのでしょうか? -
<入口左側の建物>
この画像は、黒龍潭の門を潜ると、左側にあった建物です。
12月という寒い季節ですが、ご覧のように花が咲いていました。
手入れが行き届いている公園だな!という印象が残っています。 -
<ここにも入口がの門が!>
そして3段くらいの階段と管理人がいる門がありました。
続いて、解脱林に向かいました。
名前から想像しますと、仏教に関係しているように思えますが、どうなのでしょうか?
解脱といいますと、埼玉県のある市を思い出します。
余計な話はこのくらいにして解脱林の画像をご覧いただきましょう。 -
<公園内>
と思ったのですが、この画像は、解脱林ではありません。
「林が写っているぞ!」という声が聞こえそうですが、ツアーメンバーが「黒龍潭」の門を出て、公園内の歩道を歩きはじめたところです。
ということで、次に「解脱林」の画像をご覧いただきましょう。
でも、文字は「林」ですが、実際は建物です。 -
<解脱林>
いかがですか?右側に移っている女性の横に木製の看板がありますが、ここに「解脱林」と書いてあります。
この建物がどういうものなのか気になるところですが、解説している資料が見当たりません。 -
<玉泉公園>
玉泉公園の見どころについて再度申し上げます。
公園の門を潜りますと、大きな池を回り込むように右側に歩道が整備されており、私たちは、「ここは何だろう?」と目をキョロキョロさせながら歩きはじめました。
そして、その印象的な光景が「公園中央の池」とその先に頭を覗かせている「玉龍雪山」です。
この画像にも薄暗い朝靄の中で遠方に雪山が見えています。
ところで、、画像の手前をよく見ますと、右側の山裾のところに何かが見えています。
「見えない!?」そうですネ。この画像では見えないかも知れませんが、何かがあるのです。
一文亭でしょうか?
どうもそうではないようです。 -
<三重の塔や白い橋>
この画像の三重の塔は?
そして右に伸びている白い橋と奥の建物の名前は?
三層の建物は「得月楼」、白い橋は石で造られた「五孔橋」だそうです。
ああっ、やっと名前が分かって「ホット」しましたね。
この二つが玉泉公園のトレードマークになっているそうです。 -
<池に浮かぶ建物>
池の中央に浮かぶ建物が、どうやら「一文亭」のようです。
では、その後ろに見える大きな建物は?
まったく分からないことだらけです。
一文亭のほかにも「万寿亭」とか「鉄鎖橋」、「牡丹園」など見るべきものがあるそうです。
でも、小生は、池の水や魚に気を取られ、さらに、「東巴文化研究所」に心惹かれてしまいました。 -
<池の魚>
池の魚を撮影して何が楽しいの?といわれそうですね。
楽しい!という気持ちはないのですが、・・・。
暗いためか、水が綺麗だとは思いませんでしたので、「魚がいることに驚いた」ということです。 -
<東巴文化研究所>
石碑の赤い文字は、「東巴文化研究所」と読めますが、トンパ文字などを披露していただいたのは、ここではなく「東巴文化博物館」でした。
研究所と博物館の違いが分かりませんが、博物館は、トンパ文字の先生がトンパ文字を書くなど観光客に対応する施設という印象でした。
研究所の方は、残念ながら素通りでしたが、画王のように入口の上部の構えがユニークでしたので、興味をそそられました。 -
<研究所のユニークな構えの門>
-
<周辺の建物>
ところで、この周辺には、歴史的な建物や施設が次々と現れてきます。 -
<公園を散策する>
身をかがめて寒そうに歩く私たち。 -
<この建物は?>
小さな建物ですが、どのようなものなのか分かりません。
この周辺にはこのような建物がいくつかあり、あえて表現すれば「昔を偲ばす建物が静かにに佇んでいる。」ということでしょうか?
こうして、静かな公園をしばらく歩いて行きますと、何かの音楽が聞こえてきました。 -
<納西族の踊り?>
その音は、納西族の踊り?体操のための音楽なのか分かりませんが、段々音が大きくなってきました。 -
<踊り?>
そして、広場のようなところで人々が足と手を使ってリズミカルに踊っていました。
この人たちは?この踊りは?この広場や建物は?などなど次々と疑問が沸いてきます。
でも、楽しそうですね。
見た感じでは、納西族の踊りなのでしょうか?音に合わせて手と足を前後させる軽い運動をしていると感じました。
さて、正面の建物ですが、「古舞台殿」というそうです。
だから、歌舞音曲をしているのが当たり前なんですね。
撮影しているところの後ろに、前に説明した「玉泉龍宮」という文字が標示されている「龍神祠」があります。 -
<納西族の女性>
この画像は、龍神祠から踊りを見ている納西族の3人の女性ですが、とっても可愛くて純朴でしょう!
ホント、とってもよい顔をしてますね。
日本人も和服をもっと着たら良いのに!と思いました。
納西族は、藍色(藍染め?)の服が特徴のようです。
そんなことより、踊りがもっと見たい?
ビデオで撮影したものがありますが、写りがイマイチでした。 -
<東巴博物館の入口>
ということで、古舞台殿での踊りでしたが、次はいよいよトンパ文字の博士が登場する「東巴博物館」です。
寒そうな雰囲気が伝わってきますね。 -
<博物館の中>
-
<同じく>
この画像は、館内の様子ですが、博物館というより観光土産物品店という感じでした。
この2枚以外に写真が残っていませんが、この地の立体的な地形図や雪をいただいた山々が描かれた画像を映す機器がおいてありました。
「東巴博物館」という名前でしたので、もっと堅いイメージを持っていましたが、拍子抜けでした。
批判するつもりはまったくありませんが、中国にも商業主義が蔓延してきたのでしょうか?
さて、次の画像が世界にも珍しい象形文字(絵)なのですが、何となく意味が分かるような気がします。 -
<象形文字>
ネットで調べますと、人の形をしたものが多いようです。
「何と書いてあるのか?」ですが、サッパリ分かりません。
画像の中央下段の文字は、「雲間から太陽が出ている中に大きな花がさ入れいる。」ということでしょうか?
また、その上の文字は、左側の引っ掻きのような形で「雨」がふっていることを、その右側の文字は、大きな木があり、鳥が飛んでいるを表しているのではないでしょうか?
それでは、同じところに書いている意味が不明なので、「そうではないのでは!」という指摘をいただきそうですね。 -
<同じく象形文字>
-
<トンパ文字の先生>
この方は、トンパ文字の先生だそうです。
かみさんは、先生に象形文字を書いていただいて家に飾っています。
何と書いてあるのかですが、「家内安全」のようですが、後ほどかみさんに聞いてみます。 -
<わが家の象形文字>
いうことで、何が何だか分からないうちに麗江の玉泉公園見学が終わってしまいました。
12月29日日本を飛び立って広州白雲空港、この空港を乗り継いで昆明空港へ、そこから最初の宿泊ホテル翠湖賓館についたのが23時10分頃、さらにホテル出発が翌日の5時30分で、昆明AP出発が7時、麗江AP到着7時40分、玉泉公園到着が8時30分頃でしたから、本当に忙しいものでした。
まさに、何が何だか分からないうちに、そして眠い目をこすりながらの見学となった「玉泉公園」見学だったのです。 -
<麗江の春>
ところで、小生の旅行記では、いつも食べ物が多く出てくるのですが、今回は一度もお目にかかっていません。
「卑しいから、」そのような記事は止めた!」とか「雲南の食事が不味いので記事にできない!」などというものではありません。
何しろ、旅行2日目の30日のお昼までまともな食事をただいていないのです。
29日の夕食は機内食、30日の朝食は「お弁当」でした。
ということで、やっとレストランで食事ができそうです。
店の名前は「麗江の春」といいます。
食べたものは、添乗員さんのメモによれば、
① 回鍋肉の中にうるち米で作った餅を入れたもの
② 菊の花を散らした京醤肉?
③ 付錦米線(冷やし米線)
④ バラの花とアロエの天ぷらである閉月羞花
などが出たとなっていますが、読めないものばかりです。 -
<回鍋肉>
-
<菊の花を散らした京醤肉畿>
-
<什錦米線(冷やし米線)>
-
<バラの花とアロエの天ぷらである閉月羞花?>
-
<不明?>
-
<料理名は不明>
-
<同じく不明、豆腐?>
こんなに食べたのか!?と思いますよね。
いただいたはずなのですが、覚えていないのです。
でも、見た目も美しく、美味しそうですよね。
ここだけではなく、この旅の食事は豪華だったという印象が残っています。
小生の少ない中国での食事経験によれば、「色合いが良く美味しそうに仕上げているが、味の方はイマイチ」という場合が多いのですが、日本の中華料理の味に段々近づいてきたように思います。
中国には、この旅行の前に親戚と「北京、西安」を訪問しましたが、その時にも感じた感想です。 -
<麗江大港旺宝国際飯店>
さて、「麗江の春」で食事をした後は、今夜宿泊する麗江大港旺宝国際飯店(Treasure Harbour International Hotel)で1時間ほど休憩しました。 -
<ホテルの部屋>
-
<ホテルの部屋からの光景>
このホテルは、麗江郊外に造ったアパート風の建物という印象です。
さて、ここを14時に出発して、毛沢東の像の反対側にある劇場でバスを降りて世界遺産の「麗江古城」に向かいました。
まず、バスを降りて古城に向かって歩いて行くところをご覧いただきましょう。 -
<麗江古城に向かう>
しばらく歩きますと、「世界遺産」という大きな文字で表示している麗江古城の入口が見えてきました。
見えない?画像の中央に大きな塀のようなものが見えますよね。
分からない?それでは大きな画像をご覧いただきましょう! -
<世界遺産であることを標示する大きな看板>
いかがですか?「世界文化遺産 麗江古城」と読めます。
この看板の右端から、麗江の旧市街を散策していきます。
さてさて、どんな光景が待っているのでしょうか?
「ビックリ!」や「お楽しみ!」なものが待っていれば良いのですが、・・・。 -
<麗江の旧市街>
左側の緑のところは川で、通路の両側に木造の民家が並んでいる観光の街という印象でした。
建物は、赤を基調としたもので、納西族の皆さんが民族服をまとって商売していました。
娘さんが機織り機で作業をしている店もありました。
魚が泳ぐ川と緑の樹木(柳?)で郷土色を出しているのでしょうか? -
<大きな広場>
この画像は、川の左側にある大きな広場のようなところで、近くに橋があり、大勢の人が集まっていました。
なお、この後も美しい街並みが続きますが、麗江の街を見下ろす5階建ての建物「万古楼」周辺については、後ほど紹介します。 -
<万古楼の案内看板>
麗江古城のことを調べたのですが、「これだ!」という適切なものが見つかりません。
いろいろ考えた末にNHKの「世界遺産で調べよう」と思い、早速お世話になりました。しかし、参考にはなりましたが、自分が思い描いていたものとは違うのです。
仕方がありませんので、自分の記憶と添乗員さんのメモを頼りにするしかないようです。
でも、皆さんには小生が何を探しているのか分からないかも知れませんね。
先ほど申し上げましたように麗江古城についたのですが、添乗員さんのメモを見ましたら14時23分に古城に到着して「万古楼」、「木府」をみて、16時15分に「藍木爪ブルーパパイヤ」にてコーヒータイムとなっているのです。
その間、約2時間ですが、「木府」は写真もあり、記憶もあるのですが、「万古楼」がどういうものなのか全く思い出せないのです。
それで、先ほどのHNKなどで調べたということなのですが、これらに掲載されていた「万古楼」の画像が小生が撮影した画像には見当たらないのです。
でも、この画像のように案内看板が「ばっちり」残っていますので、訪問したことは間違いないと思います。
ところで、麗江古城の中心街は、まるで観光地ですが、同じような光景が延々と続いていますので、迷子になりそうです。
この迷子のようになりそうな場所を「四方街」と呼んでいるそうで、その中心に広場があります。
前に戻って恐縮ですが、川や柳の木の様子、そして人々の動き、広場などの画像をご覧ください。 -
<広場近くの橋>
この画像は、広場近くにある橋の様子です。
年末年始という真冬の季節でしたが、厚着をしていた私たちは、場違いなのではと感じました。
この時はそのくらい暖かかったのです。
ところで、四方街といわれる麗江の旧市街の様子が、この画像からお分かりいただけると思います。 -
<四方街の広場>
この画像は、橋の画像の右側を撮影したもので、四方街のの「ゆったりした」空間になっています。
ここが広場だと思いますが、多くの人々(観光客?)が集まっていました。
-
<広場の手前の街並み>
順番が逆ですが、広場の手前にある街並みの光景です。
左側に小川があり、その両側に店が並んでいます。
いかにも中国風と感じてしまいますが、赤い提灯は納西族風なのでしょうか? -
<機織り機で作業>
これも広場に到着する前に撮影した光景ですが、納西族の女性が機織り機を使っている様子です。
男性が見当たらないですね。どこかの国と同じで女性が社会を動かしているのかも知れませんね。
ところで、この街の小川、柳の木、提灯などを見ていますと、日本の街に似てるな!と思いました。 -
<麗江市街>
さて、話を「万古楼」に戻していただいて・・・。
万古楼は、四方街から階段を登って、麗江の街が俯瞰できる場所・獅子山公園の上にあるようです。
四方街から獅子山公園へは、「科貢坊」という建物の前を通って行くはずなのですが、どうしたことか画像が残っていません。
麗江は標高が2,400㍍あるので階段を登るのが辛かったはずですが、あまり記憶にないのです。
しかし、獅子山公園に着いて、さらに階段を登ると、添乗員さんから「〇〇がある。」という説明を受けた記憶があります。
その「〇〇」が高さ33m、5層の「万古楼」だったのですね。
私たち夫婦は、説明を受けたにもかかわらず、階段を登るのが「いや」で万古楼を見はぐってしまったようです。
ということで、万古楼は諦めて獅子山公園から見た麗江の街や木府の画像をご覧ください。
この画像で盆地のようなところに黒い瓦屋根が軒を連ねているのが分かります。
また、撮影している獅子山公園が高台にあるということが理解できます。
ところで、冬だというのに美しい花が咲いていました。 -
<木府>
ということで、その花を掲載しようと思ったのですが、その前にこの画像のような大きな建物群が目に入ってきました。
これが宋代末期に建設された「麗江の代官屋敷」ではなく、実質的に麗江を支配していた「木」氏の屋敷「木府」です。
近くから見るとどんな建物なのでしょうか? -
<冬に咲く花>
いかがですか?まるで桜のようですね。
中国でも雲南省は南に位置するはずですが、それほど温暖ではないと思っていました。
でも、前にも申し上げましたが、コート着ていることが場違いのように暖かいのです。
さて、次は「木府」の様子です。 -
<木府の建物>
-
<木府の建物>
記憶が定かではないのですが、このような立派な建物が並んでいました。
そしてそこには、中庭のようなところがあり、手入れが行き届いた花や樹木が植えられていました。
この画像の建物に書いてある文字は、「玉音楼」でしょうか? -
<中庭と建物>
麗江の「世界遺産麗江古城と書かれた記念碑」に入った時刻が14時20分頃でしたから約2時間で木府までを見学したことになります。
それにしても、小生が勘違いしていることは、「麗江古城」という言葉です。
古城という言葉から連想するものは、日本やヨーロッパの「お城」のように大きな建物ですが、ここでは、街全体が「古城」という意味のようです。
従って、「お城」という建物が見当たらないのです。
さて、2時間後の話ですが、疲れたこともあり、「藍木爪ブルーパパピヤ」にてコーヒータイムとなりました。 -
<藍木爪ブルーパパイヤ>
「麗江彭氏姜糖」という看板が見えますが、ここはブルーパパイヤではないようです。
文字の意味?
参ったな!分かりません。「彭」という字は、「盛んなさま」とか「多いさま」ということのようです。 -
<ブルーパパイヤ>
ブルーパパイヤは、ご覧のように喫茶店でした。
美味しそうなコーヒーの匂いが漂っていると思います。
さて、喫茶店での一休みが終わりますと、夕食時間までは自由時間です。
時間を使うイメージとしては、街の店を覗き歩くという感じでした。
何しろ、右も左も分からないものですから、集合場所から余り離れないように、あてもなく「ブラブラ」と歩いたのです。
予定されていた「大石橋付近」の散策をしたのですが、どこが「大石橋」なのか分かりませんでした。
添乗員さんの案内には、「麗江の橋の造形は、廊橋、石洪橋、石坂橋、栗木橋になっており、明朝時代に作った石洪橋の特色を備えているのは大石橋といえます。」とありました。
小生が調べたところによれば、石洪橋というのは、アーチ型の石橋のことのようです。
つまり、麗江の大石橋は、明朝時代に作られたアーチ型の石橋ということになるのでしょうか? -
<大石橋>
皆さんが歩いているこの画像が「大石橋」なのか自信がありませんが、これ以外に適切な画像が見当たりません。
このアングルですと、「アーチ型」を確認できないのですが、石造りであることは分かります。、 -
<大石橋という標示がある店>
この画像の撮影時刻が18時38分、上の画像が18時40分ですからこの画像に写っている人が歩いている方向に大石橋があると考えられます。
また、見えづらいのですが、右側の建物に「古城大石橋客桟」という標示があります。
さて、次は「紅楼」という店でいただいた夕食、納西族の鍋料理の模様をお伝えします。 -
<誕生祝いのケーキ>
ということで、12月30日の夕食の模様をお伝えします。
この時に小生の誕生祝いをしていただきました。
年街年始の海外旅行では、いつも添乗員さんが気にかけていただいてるのですが、今回も例外ではありませんでした。
ご覧のようなバースデイプレゼントがあり、照れくさいのですが、Iさんの心遣いに厚く厚く感謝申し上げます。
小生の誕生日?12月29日です。
ロウソクの数が年齢になっていない?
まぁ、いいじゃないですか!歳がばれないように気を遣っていただいたのですよ。 -
<納西族の鍋料理>
いかがですか?鉄ではなく「銅」だったかな?
この画像では中身が分からない?ごもっともです。
肝心な味ですが、どう(銅)だったのかな?
なお、材料の画像が残っていましたので、ご覧いただきたいと思います。 -
<納西族の鍋料理>
-
<同じく材料>
-
<同じく材料>
以上、3つの材料を掲載しましたが、このほかに赤い大豆のような豆や緑の野菜など6種類の材料が揃っていました。
食事後、19時30分からのショー見学に行きました。 -
<納西族のショー>
納西族のショーでしょうか? -
<同じく>
色鮮やかで素晴らしいものでした。 -
<同じく>
ショーが終わりますと、ホテルに向かいました。
Treasure Harbour International Hotel(麗江大港旺宝国際飯店)で「グッスリ」と休みたいものです。
明日は7時にモーニングコール、9時出発です。
麗江観光で、午前中は標高3,600mの展望台、耗牛坪(もうぎゅうへい)までリフトで登り、玉龍雪山を間近に見て、下山後、白沙村(はくさそん)や束河村(そくがわそん)、茶馬古道博物館などを見学することになっています。
◆◇◆ 雲南省大満足の旅No.1の終了 ◆◇◆
これにて、12月29日に成田空港を出発して、30日に観光した麗江の玉泉公園と麗江古城の模様を記録した「雲南省大満足の旅No.1」は終了です。
この続き、12月31日に観光した麗江の「白沙村」や「束河村」、「茶馬古道博物館」の模様については、「雲南省大満足の旅No.2<白沙村、束河村、茶馬古道博物館>」としてお伝えします。
◆◇◆ 雲南省大満足の旅No.1の終了 ◆◇◆
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旅行記グループ 中国雲南省大満喫の旅
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