2022/03/01 - 2022/03/01
141位(同エリア520件中)
杏仁豆腐さん
以前から訪れてみたかった、旧朝倉家住宅。
春も近くなり、出かけました。
旧朝倉家住宅は、東京府議会議長や渋谷区議会議長を歴任した朝倉虎治郎氏によって、 大正8年に建てられました。大正8年(1919年)竣工の二階建て純和風大型住宅で、都心に残る関東大震災(1923年)前の和風住宅として貴重な存在です。
受付には、「写真撮影はご遠慮ください、心に留めてください」とありましたが、受付の方に伺うと多少の撮影は構いませんとのことでした。
次に旧朝倉住宅から、目黒区総合庁舎へ。日本の高度成長期における建築家村野藤吾氏の代表作の一つとして知られています。庁舎内を見学し、昼食は食堂でいただきました。
そして、祐天寺を参拝。良き一日となりました。
☆前回の名建築で昼食を
名建築で昼食を☆黒田記念館・国際子ども図書館☆カフェ ベル☆2022/02/01
https://4travel.jp/travelogue/11737591
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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日比谷線恵比寿駅下車。ここから歩いて、旧朝倉家住宅をめざします。
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旧朝倉家住宅の前に、地蔵尊が二基祀られています。
地蔵・道しるべ 猿楽町30番
地蔵尊が現世と来世の間に出現して死者の霊を救済するという信仰は、民衆の間に広く信じられてきました。また、小児の霊の冥福を祈る意味でも地蔵尊が像立されました。道の辻などに建てられた場合には、道路の安全を祈ることのほかに、道しるべになることもあります。この地蔵尊は、文政元(一八一八)年の造立で、その台座正面には「右大山道、南無阿弥陀仏、左祐天寺道」と刻んであります。地蔵堂背後の坂道は、目切坂または暗やみ坂といい、この坂を下って目黒川を渡ったあと、南へ進むと祐天寺方面に達し、北へ進むと大山道(国道二四六号線)に達します。また、堂前を東へ進むと並木橋に達します。江戸時代には、人家もまばらな、さびしい道で、旅人はこの道しるべを見て安心したことでしょう。 -
重要文化財 旧朝倉家住宅。
観覧料は、一般100円です。60歳以上の人は無料です! -
受付を通ると、車庫があります。
旧朝倉家住宅には大正8年の建設当初から車庫がありました。市街地化が急速に進む東京の周縁部で、自動車は必須の道具となっていきました。屋根を
支える洋風の構造、コンクリートの土間、両妻の内側の波形鉄板など、普及し始めた頃の車庫の仕様を良く示しています。後に管理棟として改造されましたが、詳細な痕跡調査によって創建当初の姿に復原しました。 -
旧朝倉家住宅の、主屋、土蔵が重要文化財となっています。
玄関から入ります。 -
主屋は、一部2階建ての主体部を中心に、接客のための応接間、内向きの座敷や茶室などがあります。
ガラス戸は足元が鉄ではなく、堅木のレールになっています。 -
玄関左手には、12畳半の応接間があります。
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まずは、2階に行きます。
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2階階段の踊り場にある板戸には、踊り場側に菊、その裏側には唐獅子牡丹が描かれています。
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2階の廊下です。外の景色が良く見えます。
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広間です。
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かつては2階から富士山が望めたそうです。
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1階に戻りました。
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角の杉の間
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カルラの伎楽面の彫刻があります。
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朝倉家の先祖は、江戸時代の享保・元文年間(1700 年代)に、武蔵国渋谷の地に定住して帰農し、大地主になりました。その後、他家から養子となった金蔵が当主だった幕末頃から、精米業を営むようになりました。
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円窓の部屋
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土蔵が見えます。
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杉の間
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洋間です。
旧朝倉家住宅に洋館はありませんでしたが、立派な洋間を一部屋だけ玄関脇につくりました。来客用に洋式の接待が出来るようにとの配慮からだそうです。 -
洋間は、来客や執事の事務のためのスペースでした。
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洋間です。
来客用に洋式の接待が出来るようにとの配慮からつくられました。 -
庭園に移動します。
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西渋谷台地の崖線部にあるため、斜面とその上部平地からなり、敷地外の眺望を借景として取り入れ、富士山や目黒川、田園風景が望めるような構成になっていたそうです。
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敷地南側に広がる主庭を歩きます。
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高低差をうまく利用したつくりです。
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三田用水から導かれた水路護岸や石組みは、伊豆産の玉石や根府川石で構成されています。
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土蔵です。軸部を木造、外壁を鉄筋コンクリート造とした、切妻2階建ての建物です。
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石灯籠や景石を多用し、この時代の作庭の特徴を示しています。
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建物内、庭を見学しましたが、私一人だけの訪問でした。とても静かな中で、旧朝倉家住宅をじっくりと見て回れました。
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旧朝倉家住宅を出ると、マンションの前に、富士信仰と元富士。
富士信仰が広まった江戸後期、手軽に富士登山ができるよう各地に”ミニ富士”が造られた。高さ12mの元富士もその一つ。山頂からは本物の富士山も望め大勢の人で賑わった。 -
目黒元富士跡
上目黒1-8
江戸時代に、富士山 を崇拝対象とした民間信仰 が広まり、人々が集まって富士講 という団体が作られました。富士講の人々は富士山に登るほかに、身近なところに小型の富士(富士塚)を築きました。富士塚 には富士山から運ばれた溶岩などを積み上げ、山頂には浅間神社 を祀るなどし、人々はこれに登って山頂の祠を拝みました。
マンションの敷地にあった富士塚は、文化9年(1812)に上目黒の富士講の人々が築いたもので、高さは12mもあったといいます。文政2年(1819)に、別所坂上(中目黒2-1)に新しく富士塚が築かれるとこれを「新富士」と呼び、こちらの富士塚を「元富士」と呼ぶようになりました。この二つの富士塚は、歌川広重 の『名所江戸百景』に「目黒元不二」、「目黒新冨士」としてそれぞれの風景画描かれています。
元富士は明治以降に取り壊され、石祠や講の碑は大橋の氷川神社(大橋2-16-21)へ移されました。 -
目切坂を下ります。
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東京音楽大学を眺めながら歩きます。
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2019年4月に開校した東京音楽大学の中目黒・代官山キャンパスです。とてもきれいな校舎です。
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目黒川を渡ります。
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河津桜が咲いていました。
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目黒区総合庁舎に着きました。
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目黒区総合庁舎は、かつて千代田生命保険相互会社の本社ビルでした。1966年(昭和41年)5月末に竣工し、同年7月に使用開始したこの建物は、日本の高度成長期における建築家村野藤吾氏の代表作の一つとして知られています。
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総合庁舎は、2002年(平成14年)4月から改修工事を開始し、永年愛されてきた広場・池・緑、優美な外観など、その文化的価値を尊重しつつ「開かれた庁舎」として2003年(平成15年)1月に再生しました。
建物の全面は、彫りの深いアルミ鋳物のたて格子で覆われています。その内側には、バルコニーが設けられています。 -
らせん階段です。
「階段の魔術師」と言われた村野氏の代表作の一つです。 -
構造的には、中央のアクリル製照明器具が仕込まれた柱で吊られている「吊り階段」となっています。
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ちょうど昼時なので、目黒区総合庁舎内の食堂でランチです。
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いろいろなメニューがあります。
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海老天そばをいただきました。
海老が2尾、わかめたっぷりです。 -
屋上に来ました。
ちょうど昼休み時なので、職員の方々が休憩中でした。 -
空を見上げ、気持ちのいい空間です。
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ドラマ、「名建築で昼食を」では、池田エライザと田口トモロヲが買ってきたフルーツサンドを屋上で食べていました。
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村野藤吾の作品には、旧読売会館、日本生命日比谷ビル・日生劇場、帝国ホテル茶室東光庵、旧日本興業銀行本店、新高輪プリンスホテルなどがあります。
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狸ものんびりです。
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目黒区総合庁舎内は、けっこう迷いやすく、あちこち彷徨いました。
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建築物としては、面白い造りで、興味深いです。
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目黒区総合庁舎を後にし、祐天寺をめざします。
途中に、上目黒天祖神社があります。 -
神社の境内に2基の庚申塔があります。向かって右側は道標を兼ねており、本来は社前の通り際にあったようです。
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祐天寺に着きました。
表門です。祐天上人の100回忌にあたる文化14年(1817)に建てられ、国の登録有形文化財となっています。 -
地蔵堂です。天明8年(1788)に建立され、寛政12年(1800)に増築して現在の姿となりました。
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仁王門です。享保20年(1735)に5代将軍徳川綱吉の養女竹姫より寄進されました。目黒区指定有形文化財です。
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梅の花の咲いています。春が来ました。
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皇太子殿下御成婚記念樹の碑
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かさね塚
かさね塚は、累物舞踊の1つである『色彩間苅豆』(4世鶴屋南北作『法懸松成田利剣』の一幕)が復活上演され好評を博したことを記念して、大正15年(1926)に6世尾上梅幸、15世市村羽左衛門、5世清元延寿太夫らによって建立されたものです。 -
鐘楼
6代将軍徳川家宣の17回忌追福のため、享保14年(1729)に正室の天英院から寄進されました。 -
江戸消防記念会が奉納した記念碑
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本堂
創建時の本堂は明治27年(1894)の火災により焼失したため、明治31年(1898)に現在の本堂が再建されました。 -
仏舎利殿
平成29年(2017)に建立されました。 -
地蔵菩薩像
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五社稲荷
祐天上人が出家を決意した際に(誕生の際との説もあり)白狐が三声鳴いたと言われており、その白狐を祐天上人の守護神として祀った随身稲荷がこの稲荷社の前身です。のちに松黒、富山、天白、妙雲の四社が合祀され、現在の五社稲荷となりました。 -
阿弥陀堂です。
享保9年(1724)に5代将軍徳川綱吉の養女竹姫より寄進されました。江戸時代中期の三間四面堂を知ることが出来る貴重な建造物として目黒区指定有形文化財となっています。 -
海難供養碑
江戸の商業問屋仲間が建立した海難供養碑です。目黒区指定有形文化財となっています。
祐天寺駅まで歩き、帰宅しました。
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