2022/02/11 - 2022/02/11
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mistralさん
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「五大監獄」なる言葉があるそうだ。
刑務所界と建築界の二つだけで通用する業界用語だと、「ドバラダ門」の紹介記事を書かれた藤森照信氏がその中で書かれている。
聞きなれない「ドバラダ門」という本のタイトルを知ったときから、読んでみたいと思っていた。その著者がなんと山下洋輔氏というのだから、なおさらだった。
ドバラダ門という言葉は何語かはわからないが、どうやら監獄の門という意味のようだ。
結構な時間がかかって、その分厚い本が読み終わった。
今回、鹿児島に行くことが決まったときから、その「ドバラダ門」を見に行こうと決めていた。
今回の一連の旅行記で、この旧鹿児島監獄跡訪問の折の写真だけが残ってしまっていた。
かといってどこかに紛れこませるには、その門についてはあまりに多くの背景があってスペース不足、結局最後の旅行記はこの門のためだけに作成するに至りました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー ANAグループ 新幹線 JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
中古本をかなり前に手に入れていた。
写真では薄い本のように見えるが、実際は460ページを超す分厚い本。
装丁も凝っていて、ハードカバーの表紙にはその監獄の門の写真が印刷され、
さらに薄手の紙カバーには山下氏の自筆の楽譜がプリントされている。 -
中表紙の見開きに
やはり山下氏自筆の家系図。
これが、山下氏のコメント入りでとても面白い。
祖先のルーツをたどり始め、お爺さまが明治の時代、日本各地に監獄を
造られた、ということがわかり
はじめは、どうして東京駅や迎賓館の方向へ行かなかったんだろう、
といぶかしく思いながら、どんどん深みにはまっていき、やがては
取り壊されることが決まっている鹿児島監獄の反対運動にも関わった
顛末が面白く書かれている。 -
五大監獄の設計者、山下啓次郎氏の父上、
山下龍右衛門房親(ふさちか)氏は、西郷隆盛とともに
戊辰戦争を戦い、その後は明治政府でポリス制度の立ち上げに
携わった方だそうだ。
西南戦争の折には警視庁の部隊を率いて、図らずも西郷軍と
戦うこととなり、その戦いの折に銃弾によって負傷して
片足を失ってしまう。
戦後は、東京で監獄の所長となっていたため、
息子、啓次郎氏の進路もおのずから決まってしまったようだ。
(写真は西南戦争終盤、城山にある西郷隆盛が最後の5日間を
過ごしたという洞窟) -
写真は山下氏のおじい様に当たる、山下啓次郎氏の
多分お若い頃のお写真。
面影がなんとなく似ておられる。
その啓次郎氏、明治初期、東京帝国大学、造家学科(現在の
建築学科)卒業後、警視庁に入り、
(ちなみに伊東忠太氏とは大学で同期だったようだ。)
巣鴨監獄建設に携わることになった。
監獄の設計に携わるようになったのは
一族の歴史に負うところが大きかったようだ。 -
巣鴨監獄を担当した後、1897年には司法技師として
司法省管轄の業務に携わることとなった。
そして、旧奈良監獄の着工前には欧米8か国を訪問することとなった。
山下洋輔氏によれば
そのあたりの経過を調べてみると、当時、留学生の順番待ち
としては後ろの方にいたそうだが、
奈良県の嘱託として順番を飛び越して派遣されることとなったのは、
当時の奈良県知事、寺原長照という方が薩摩出身の方というご縁が
あったそうだ。 -
日本地図は五大監獄が建築された街
1858年、アメリカとの間で結ばれた日米修好通商条約のいくつかは
日本にとって不利なものだった。外国人が日本国内で罪を犯した時
出身国の領事が自国の法律で裁く「治外法権」や「関税自主権の
放棄」などがあった。
このような不平等条約の改正の為には近代国家であることを示す
必要があった。明治政府はあえて負の部分の先進国化、つまり
監獄の近代化を図ろうとし、地図にある五大監獄の造営を計画。
当時としては一大プロジェクトだったことだろう。
その為の山下啓次郎氏の欧米先進国の監獄の視察となった。 -
写真は、山下家の家紋のついた羽織を着て
旧奈良監獄前で演奏される山下氏 ( you tube 動画より)
「ドバラダ門」のなかでは、取り壊しの決まった鹿児島監獄の前で
なんとか計画を阻止しようとして演奏をされた顛末が愉快だ。
山下氏が鹿児島に赴かれた折、啓次郎氏設計の鹿児島刑務所はすでに移転が決まり、建物は取り壊されることになっていた。地元では建築の専門家などによる反対運動の組織もできていた。
山下氏も子孫ということでその運動に加わったが、すでに土地は国から鹿児島市に引き渡され、市は解体を決めていた。
何もせず解体されてしまうなら、その前にせめてもの抵抗をと、保存運動の人たちが刑務所前でコンサートを企画した。しかし、これも一旦は拒否されてしまう。
そこで、建築家の孫が、作曲するにあたって曲想を練るためにここを散策したいと言っている。ついては、小さな鍵盤楽器―ピアニカ―を持って行き、音を出すかもしれないが、お許し下さい、という手紙を市長に出した。
それで当日山下氏は門前に行ってみると、トラックからグランドピアノを下ろしているところだった、、、
市への手紙には、観客は動員しないと書かれてたが、聴衆が集まり、多くのメディアが取材に集まってしまった。
更に山下氏とは顔なじみになっていた鹿児島大学のジャズクラブが、「たまたま」楽器を持って通りかかる、なぜかドラムまで。
ドバラダならぬ「ドタバタ門」前コンサートとなってしまった。 -
ロータリーにある観光案内所で
アリーナ (西原商会アリーナ)行きのバスについて伺ったら
鹿児島交通の12番天保山線で行けるということなので
教えられた17番乗り場に向かった。
(購入していた1日乗車パスは使えなくなった。)
ハートピアかごしま行き、13:44に乗ったように記憶している。 -
ちょうど乗り場から、宿泊したホテル、
ソラリア西鉄ホテル鹿児島が見えた。
空港に向かう前に、夫とはそのホテルのロビーでの待ち合わせをしている。 -
鹿児島アリーナまではバスで15分ぐらいだった。
バス停に降りてすぐの遠くからでもその威容が伝わってくる。
でもアリーナの広場にポツンと置かれた監獄の正門は
なんとなく場違いで居心地が悪そうにも思えた。 -
こちら側は監獄の内側になる。
外部に面した正面とは違って、内側の表面は平坦に造られている。
脱獄予防?のためか、足をかけられないようにしたのかもしれない。
五大監獄の中で唯一の石造建築。
国の登録有形文化財(平成10年、1998年) -
正門側に設置されているパネルより。
この地に監獄の施設が建てられたのは
明治41年(1908年)、鹿児島市中心部近く、小川町からの
移転によってだった。 -
その後昭和60年(1985年)鹿児島刑務所(大正11年改称)が
姶良郡へ移転するまでの80年間使われた。
当時の全容はこのような写真でしか残っていない。 -
パネルに残されていた
ハビランドシステムという様式。
五大監獄の内部構造は、ジョン・ハビランドによる
「ハビランド・システム」を採用している。 -
(旧奈良監獄ホームページより拝借しました。)
中央から廊下が四方に伸びている様子。
看守が中央にある看守所に立つと、放射状にのびる複数の
収容等の廊下の異変が察知できるようになっている。 -
金沢監獄
明治村ホームページより
正門は1976年に、それに先立ち中央看守所、監房は1971年に、
明治村に移築復元されている。
監獄跡地には金沢美術工芸大学が建っている。
竣工は1907年。 -
奈良監獄 (旧・奈良少年刑務所。)
耐震性などの問題から2017年閉鎖。同年、重要文化財に指定される。
五大監獄の中では唯一、監獄としての全貌が遺されている。
旧奈良監獄保存活用株式会社と協定を結んだリゾート開発会社が
ホテル運営を担うことが決まっているが、
工事着工は24年から開始に延期されている。
(上記記載を訂正します。
竣工が2024年の予定とのことで、現在一部着工とのことです。)
写真は旅行社ホームページ、監獄ツアーのパンフより。
ホテルへの改修工事が伸びているようで
内部見学ツアーの案内がある。
山下洋輔氏によれば
「両側の塔の上が玉ねぎのようで、アラブ的な印象ですね。
日本中が文明開化になるんだという熱意でみなぎっていた時代に
その足掛かりとなる部分を担った啓次郎が、ちょっと好き放題
面白いことをやったという部分が奈良刑務所は強く、その結果
地元の人に愛される建造物となり、役割を終えたこれからも、
保存活用するという決定に繋がったのだと思います。」
との言葉が、旧奈良監獄ホームページに残されています。
竣工は1908年。 -
(五大監獄の案内板を撮影したもの。)
旧千葉監獄正門 (現 千葉刑務所)
正門とその奥に続く事務棟のみが現存。
子供が幼稚園時代
園の広報誌を刑務所に依頼できる事を知り
何度か、多分この門をくぐったことを思い出す。
お会いしたのは事務官の方で、レイアウトやちょっとした挿絵の
イメージをお伝えし、素晴らしい広報誌が出来上がってきたのは
懐かしい思い出。
竣工は1907年。 -
(案内板より撮影したもの。)
長崎監獄
1990年に2km離れた地に移転、改築されたが
正門のみが現地に残されている。
門のデザインが中華風のように思う。
敬二郎氏が設計時にはその街のイメージからそれぞれに工夫を
こらされたことが伝わる。
竣工は1907年。 -
改めて、外部からの正門を間近で眺めてみる。
着いた時には、内部側は洗浄作業をされていたが、既に終了されたのか
こちら側はまだ黒ずんだ箇所が残されたまま。
両側の塔は綺麗なので、多分洗浄済みなのかもしれない。
建設に際して、石材は前を流れる甲突川の上流から切り出され
船で運ばれたそうだ。
石造は「ルスティカ積み」というそうだ。
竣工は1908年。 -
中央上部にあるバラ窓のような装飾と
その下の円形の鉄柵は、中心には桜の花びらがあしらわれ、
監獄入口とは思えないようなデザイン。 -
両側にある八角形の塔と
バトルメント (胸壁、塔の最上部にある防御のための低い壁)。 -
-
「ドラバダ門」で書かれていたような反対運動で大いに
盛り上がったにも関わらず、この正門以外は全て取り壊されてしまい
今となってはアリーナの広場にポツンと取り残されたように遺る
正門。
明治新政府が、山下洋輔氏のお爺さまが、西欧諸国に追いつけ、
追い越せ、とばかりに造りあげた監獄の門も
そのうちに忘れ去られてしまうことのないように願っています。 -
ホテルのあるビル入り口からロビーまでは
直通のエレベーターで向かい、 -
7階にホテルロビーがある。
そこで夫と合流し、空港へ向かった。
リムジンバスの発着は同じビルの一階からで
新幹線乗り場、市内巡りのバス乗り場共にアクセスの良い
ホテルだった。 -
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この旅行記へのコメント (16)
-
- マリアンヌさん 2022/04/25 11:47:46
- 素晴らしい建築
- mistralさん こんにちは。
山下洋輔氏が「ドバラダ門」という本を書いていることも知りませんでしたが、ある意味華麗なる一族の歴史があったのですね。
何といっても表紙の監獄の門のインパクトが強すぎて驚きです。
旧奈良監獄の着工前には欧米8か国を訪問されたそうですが、どこをまわられたのでしょうね。石造りで正面の家紋のような装飾といい、どこか西欧の教会や砦を想起させますよね。
監獄というとツアーで北海道の網走刑務所しか行ったこともなく・・・
五大監獄については、奈良監獄がホテルになるというニュースを見た折に知りましたけどまさか山下洋輔氏のご先祖がかかわっていらしたとは知りませんでした。
さすが明治維新で主役となった薩摩、川路利良中心に警察は出来ましたもんね。
しかし明治時代の欧米からの学びって凄まじいものを感じますよね。
山下啓次郎氏もうちの大学の兼松講堂を建築した伊東忠太氏もいったいどれだけ多くの留学生が海を渡ったのかと思いを馳せます。
つい気になってドバラダをググってみましたら、何語とかでなくジャズのスキャットのようですね♪歌詞なしのフレーズで歌うことをスキャットといい、前の朝ドラでも出てきたトランペット奏者のサッチモことルイ・アームストロングが始めたそうですね。
興味深くて、貴重なお話を教えていただきありがとうございました。
未読分楽しみに読ませていただきます。
マリアンヌ
- mistralさん からの返信 2022/04/25 13:59:49
- RE: 素晴らしい建築
- マリアンヌさん
こんにちは。
コメントをありがとうございます。
「ドバラダ」の意味を聞かれた山下氏、どこかで答えておられましたが
何語かはわからないが、「門」を表すようだ、なんておっしゃってました。
口から出まかせ!だったんですね(笑)
信じてしまいました。
今検索してみたら、「ハナモゲラ語」で大騒ぎなさま、なんてこともおっしゃってました。
ハナモゲラ語だったら、タモリさんやミュージシャン仲間とそんな話題で賑わっていましたから
まさに正体不明の大騒ぎが始まりそうなさま、なんですね。
鹿児島監獄前で強行したコンサートがそれだったのでしょう。
ズビズビズバー、ドバラダ、、、なんてフレーズで。
建築史が専門だった藤森照信氏、山下敬二郎氏の子孫を探しておられたのですが、
まさか山下洋輔さんだったり、、、と冗談で口にしていたら、その洋輔氏だったのです。
敬二郎氏が視察されたのはヨーロッパと、アメリカも?
ロマネスク風にアクセントをつけたりして、なかなか芸が細かいですね。
視察中、いいなあと思ったデザインが随所に散りばめられているんでしょう。
確か伊東忠太氏とは東大の同級生。
洋輔氏も、お爺さまがかつて見て回られた監獄に、コンサートなどあるとついでに見学に行かれたようです。
川路さんの近くにあって、警察の組織づくりに関わったのがその敬二郎氏のお父さま。
お父さまは西郷さんに可愛がられ、戊辰戦争を共に戦ったそうですが、のちの西南戦争ではその西郷軍を敵にまわして戦うこととなりました。
明治維新は物凄いパワーに溢れた時代だったのでしょうが、かつての味方が敵になってしまったり
悲しい時代でもあったのでしょう。
mistral
>
> 山下洋輔氏が「ドバラダ門」という本を書いていることも知りませんでしたが、ある意味華麗なる一族の歴史があったのですね。
> 何といっても表紙の監獄の門のインパクトが強すぎて驚きです。
> 旧奈良監獄の着工前には欧米8か国を訪問されたそうですが、どこをまわられたのでしょうね。石造りで正面の家紋のような装飾といい、どこか西欧の教会や砦を想起させますよね。
> 監獄というとツアーで北海道の網走刑務所しか行ったこともなく・・・
> 五大監獄については、奈良監獄がホテルになるというニュースを見た折に知りましたけどまさか山下洋輔氏のご先祖がかかわっていらしたとは知りませんでした。
> さすが明治維新で主役となった薩摩、川路利良中心に警察は出来ましたもんね。
>
> しかし明治時代の欧米からの学びって凄まじいものを感じますよね。
> 山下啓次郎氏もうちの大学の兼松講堂を建築した伊東忠太氏もいったいどれだけ多くの留学生が海を渡ったのかと思いを馳せます。
> つい気になってドバラダをググってみましたら、何語とかでなくジャズのスキャットのようですね♪歌詞なしのフレーズで歌うことをスキャットといい、前の朝ドラでも出てきたトランペット奏者のサッチモことルイ・アームストロングが始めたそうですね。
>
> 興味深くて、貴重なお話を教えていただきありがとうございました。
> 未読分楽しみに読ませていただきます。
>
> マリアンヌ
>
-
- kummingさん 2022/04/13 15:55:49
- 時期ハズしのコメントm(_ _)m
- mistral さん、こんにちは♪
このブログ、拝見した時からとても印象深く心に残っていました。直近の奈良旅で、とうとう奈良監獄ツアーに参加された由、次回作楽しみにしています♪
で、今更ですが、こちらを再訪^ ^
山下洋輔氏、ライヴ何度か聴きました。最後は、娘のオケ部定演にゲスト出演で演奏された「ラプソディインブルー」♪鍵盤上を指が舞い、 音が自由自在に踊る奔放なインプロビゼーション、圧巻でした。
そんなジャズピアニストの山下洋輔氏と監獄??の繋がりが不思議でしたが、mistral さんのいつもの懇切丁寧、仔細な解説で、その思いもブログにて解消しました。
ひいおじいさまからおじいさまに繋がる、刑務所とのご縁があり、5大監獄の建設に携わられた経緯、そうなんですね!不平等条約改正の為には近代国家である事を示す必要があった。にしても、これだけの建築を監獄に? この時代にそれほど、国家的余裕があったのか、素晴らしい遊び心♪
鹿児島刑務所以外はレンガ作り?なのか赤茶色の建物は、バルセロナのサンパウ病院を連想しちゃいました(ーー;) 私的には鹿児島の無機質な色の方が好きですが、監獄の好みを言ってどうする?!?
あわや「幻のコンサート?」化しかねなかった、取り壊し反対コンサート、たまたま通りかかったジャズクラブメンバーに助けられて実現出来て、良かった♪
政治の世界で昔の様な遊び心は失われても、せめて、この門だけは永久保存して欲しいものですね。
- mistralさん からの返信 2022/04/14 09:05:38
- RE: 時期ハズしのコメントm(_ _)m
- kummingさん
おはようございます。
時期ハズし、と書かれるところが楽しいkummingさん、
大歓迎です!
> このブログ、拝見した時からとても印象深く心に残っていました。直近の奈良旅で、とうとう奈良監獄ツアーに参加された由、次回作楽しみにしています♪
山下洋輔氏の本を読んだ時から、五大監獄は無理としても
奈良監獄には行かなくては、と思っていましたが、想像以上に早くチャンスは到来しました。
> で、今更ですが、こちらを再訪^ ^
ありがとうございます。
> 山下洋輔氏、ライヴ何度か聴きました。最後は、娘のオケ部定演にゲスト出演で演奏された「ラプソディインブルー」♪鍵盤上を指が舞い、 音が自由自在に踊る奔放なインプロビゼーション、圧巻でした。
そうだったんですね。
私も、所属しているあるボランティアが主催するコンサートに、山下洋輔氏が出演下さいました。
結構手厳しいマネージャー氏がおられましたが。
多様なライブに、かなり神出鬼没で出演されておられるんですね。
> そんなジャズピアニストの山下洋輔氏と監獄??の繋がりが不思議でしたが、mistral さんのいつもの懇切丁寧、仔細な解説で、その思いもブログにて解消しました。
そうなんです。
洋輔氏ご自身でも、ご自分のお爺さまが、なんで監獄の設計?と思われた、とありました。
分厚い本の中で、だんだん読者もそのわけがわかってくるわけですが。
アリーナの一角に残る石造りの門だけの為に、旅行記を一編、つくることになりました。
> ひいおじいさまからおじいさまに繋がる、刑務所とのご縁があり、5大監獄の建設に携わられた経緯、そうなんですね!不平等条約改正の為には近代国家である事を示す必要があった。にしても、これだけの建築を監獄に? この時代にそれほど、国家的余裕があったのか、素晴らしい遊び心♪
監獄が、ただの監獄として残らず、
それ以上の存在となっていったのには、そんな明治の時代の勢い、熱い想いなどなどがあったんでしょうね。
> 鹿児島刑務所以外はレンガ作り?なのか赤茶色の建物は、バルセロナのサンパウ病院を連想しちゃいました(ーー;) 私的には鹿児島の無機質な色の方が好きですが、監獄の好みを言ってどうする?!?
サンパウ病院とつながるものがありますね!
サンパウ病院をみた折には、なんでこんなデザインが病院に溢れているの?と思いました。
機能一点張りでないところ、設計者がそう望み、そうなった、、、
似ていますね。
> あわや「幻のコンサート?」化しかねなかった、取り壊し反対コンサート、たまたま通りかかったジャズクラブメンバーに助けられて実現出来て、良かった♪
仕組まれたたまたまに助けられて、
門以外は取り壊されてしまったけれど、無念な想いは多少解消?なら良かったです。
たまたま実現できたけれど、多くの聴衆、取材陣が集まったようです。
> 政治の世界で昔の様な遊び心は失われても、せめて、この門だけは永久保存して欲しいものですね。
出水にいらっしゃる折にでも、更にちょっと遠いですけど、機会がありましたらご訪問下さいませ。
mistral
-
- しにあの旅人さん 2022/03/18 08:41:04
- 黙って作らせた人も偉い
- うーん、確かに周囲と全然調和していませんね。「残せというから残してやったんだ」という当時のアリーナ開発者の声が聞こえてきそうです。
これを生かして残す方法はなかったのかな。周囲の壁は残して、真ん中にデズニーランドの白雪姫のお城みたいなものを作るとか。もっと趣味がよくない。
建物の構造から言うと、奈良みたいに、やはりホテルでしょうね。
これもいい趣味ではありません。私は絶対に泊まりに行きません。
しかしこれを設計した敬二郎氏、楽しかったと思います。塔の上の胸壁なんか、必要なものでは全くないので、「こういうのを作ってみたい!」という設計者の好みだけです。
これを黙って作らせた当時の政治家だか役人が偉い。名前が残っていないのが残念。
パリのセーヌ右岸、新大蔵省の建物の足が道路をまたいでセーヌ川に入っています。今でも悪評高いのですが、設計当時は反対の嵐、これに「いいんじゃないの」と言ったのは、当時の大統領、確かミッテラン。よく作らせたものです。道路をまたぐのは当時の法律違反で、「じゃあ、法律を変えなさい」と言ったという伝説があります。
この刑務所を作らせた政治家、100年後保存運動が起きたくらいですから、そのくらいの度胸と見識があったということです。
- mistralさん からの返信 2022/03/19 16:54:59
- RE: 黙って作らせた人も偉い
- しにあの旅人さん
こんにちは。
いつもありがとうございます。
やっと春の気配の感じられる日々となってきましたね。
> うーん、確かに周囲と全然調和していませんね。「残せというから残してやったんだ」という当時のアリーナ開発者の声が聞こえてきそうです。
アリーナで開催されるコンサートに入場する、特に若者たちには
門のそばを通りかかる際にはどんな感想を抱くのかしらと気になります。
> これを生かして残す方法はなかったのかな。周囲の壁は残して、真ん中にデズニーランドの白雪姫のお城みたいなものを作るとか。もっと趣味がよくない。
アリーナよりは、白雪姫のお城の方が似合いそうですね。
五大監獄で、全ての構造物が残っているのは今となっては奈良監獄のみ、
建築関係者は保存を声高く叫んでいたとしても、他の人々には無用となってしまっていたのでしょう。
> 建物の構造から言うと、奈良みたいに、やはりホテルでしょうね。
> これもいい趣味ではありません。私は絶対に泊まりに行きません。
奈良監獄、ホテルになってからはなかなか宿泊できそうもないと、近々見学してきます。
> しかしこれを設計した敬二郎氏、楽しかったと思います。塔の上の胸壁なんか、必要なものでは全くないので、「こういうのを作ってみたい!」という設計者の好みだけです。
> これを黙って作らせた当時の政治家だか役人が偉い。名前が残っていないのが残念。
そうですね。
海外の監獄を見学してきた敬二郎氏、あちこちのイメージを膨らませながら
プランを練ったことでしょう。
どこそこのお城のイメージを、鹿児島監獄の正門には取り入れよう、、、などと思い、
胸壁まで付け加えてしまった。
そんな遊び心をも許される時代だったのでしょうか。
> パリのセーヌ右岸、新大蔵省の建物の足が道路をまたいでセーヌ川に入っています。今でも悪評高いのですが、設計当時は反対の嵐、これに「いいんじゃないの」と言ったのは、当時の大統領、確かミッテラン。よく作らせたものです。道路をまたぐのは当時の法律違反で、「じゃあ、法律を変えなさい」と言ったという伝説があります。
かつてはルーブル宮にあったという大蔵省ですよね。
古めかしい建物から飛び出したと思ったら、片足をセーヌ側に入れてしまった。
設計の意図はよくわかりませんが、大統領がゴーサインを出したらそれが成立する、、、
> この刑務所を作らせた政治家、100年後保存運動が起きたくらいですから、そのくらいの度胸と見識があったということです。
当時の首脳陣、機能一点張りだけではなく、遊び心、融通性などもあわせ持った
人が揃っていたことでしょうね。
ありがとうございました。
mistral
-
- pedaruさん 2022/03/15 06:01:00
- 遺された門
- mistralさん おはようございます。
反対運動にもかかわらず門だけを遺して取り壊されたのですね。
山下氏が演奏することになった反対運動、その顛末が愉快でした。
門だけでも遺って良かったですね、コンスタンティヌスの凱旋門を彷彿とさせます。
今回もテーマがありきたりでなくて見ごたえがありました。
pedaru
- mistralさん からの返信 2022/03/15 10:45:11
- RE: 遺された門
- pedaru さん
おはようございます。
いつも有難うございます。
> 反対運動にもかかわらず門だけを遺して取り壊されたのですね。
> 山下氏が演奏することになった反対運動、その顛末が愉快でした。
山下洋輔さんの文章は、そのアドリブ演奏のように軽やかで、
一体どこまでが実話なの?と思わせられるくらいですね。
でも、そんな反対運動の顛末が起こっても不思議ではない、と思えるくらいに
明治維新における政府軍と薩摩藩との攻防は、身内同士の対立があったり
悲惨な戦争ともなりました。
山下洋輔さんは、薩摩藩士族をご先祖に持ち、かつては西郷隆盛さんにも可愛がられ
たが、西南戦争ではその隆盛軍を討たなければならない苦しい立場となられた。
そしてそのお子さん、洋輔さんのお爺さまが監獄設計に携わっておられた、
と知ることとなった。
多くの犠牲をはらった上で、明治新政府の威信をかけて建造された貴重な監獄なのにと、
なんとしても取り壊しを阻止しようと頑張られたことでしょう。
> 門だけでも遺って良かったですね、コンスタンティヌスの凱旋門を彷彿とさせます。
できたらその全貌を残してほしかったことでしょうね。
私も見てみたかったと思いました
でもせめて門が取り壊されなかったのは不幸中の幸い、でした。
そこに、コンスタンティヌスの凱旋門を重ねられるpudaru さん、さすがです!
> 今回もテーマがありきたりでなくて見ごたえがありました。
お褒めいただき、ありがとうございます。
ありきたりのテーマの旅行記が書けなくなってしまいそうです(笑)
mistral
-
- 唐辛子婆さん 2022/03/14 22:01:04
- 心に残る旅行記
- mistralさん
こんばんは。
いずれ鹿児島を訪れたいと思ってシティービューバス編を拝見しました。
運転免許も返上してしまったのでレンタカーを借りられないから
このような便利なバスはとても助かりますね。
それでこちらの監獄編にもお邪魔しました。
建築に詳しい方の説明が素晴らしく感激しましたが
私的には西郷が最後の5日間を過ごした洞窟のところで胸がつまってしまいました。
「いずれ鹿児島への訪問」は唐辛子爺の先祖が
西郷軍として戦って生き延びた人だったので一度は訪れたいと思っていたからです。
姑に聞いていた話では
「もはやこれまでとなった時、兄は切腹できたが自分は(切腹)しそこなって
政府軍につかまり政治犯が収容される監獄に送られた。」
明治初期の山奥で腹を切って死にきれずってどれだけ痛かっただろう。
抗生物質も病院もない時代と場所・・・。化膿して苦労したに違いない。
ところが最近、唐辛子爺家の先祖のことを詳しく調べていた従兄弟から
別の情報を得ました。
切腹しようとしたら政府軍にいた同郷の友人に
「〇〇どん、やめろ~!」と止められて捕まって監獄入りした。
それを聞いた時の安堵感たら!
いずれにせよ生き延びてくれたから私は唐辛子爺と結婚できて今に至る^^。
ドバラダ門でのコンサートのお話もなんて面白いんでしょ!
お洒落ですよね~!
いいね100票ぐらい投じたい気分です。
唐辛子婆
- mistralさん からの返信 2022/03/15 08:55:02
- RE: 心に残る旅行記
- 唐辛子さん
おはようございます。
こちらにもコメント、ありがとうございます。
> いずれ鹿児島を訪れたいと思ってシティービューバス編を拝見しました。
> 運転免許も返上してしまったのでレンタカーを借りられないから
> このような便利なバスはとても助かりますね。
> それでこちらの監獄編にもお邪魔しました。
> 建築に詳しい方の説明が素晴らしく感激しましたが
> 私的には西郷が最後の5日間を過ごした洞窟のところで胸がつまってしまいました。
あの洞窟を訪れると、あんな狭そうな所で、部隊の人々と共に5日間もと思い、
なんとも言いようのない気持ちになります。
その先には終焉の地もあるんです。
シティービューバスは旧跡巡りをしてくれますから、お時間をたっぷりとられたら
楽しまれることと思います。
> 「いずれ鹿児島への訪問」は唐辛子爺の先祖が
> 西郷軍として戦って生き延びた人だったので一度は訪れたいと思っていたからです。
ご主人さまのご先祖さまは薩摩の方、
我が夫とも似ていますね。
夫の家族はは途中から千葉に出てきました。
> 姑に聞いていた話では
> 「もはやこれまでとなった時、兄は切腹できたが自分は(切腹)しそこなって
> 政府軍につかまり政治犯が収容される監獄に送られた。」
> 明治初期の山奥で腹を切って死にきれずってどれだけ痛かっただろう。
> 抗生物質も病院もない時代と場所・・・。化膿して苦労したに違いない。
切腹し損なった!と聞きましたら、どれほどお苦しみになったことかと
こころが痛みます。
> ところが最近、唐辛子爺家の先祖のことを詳しく調べていた従兄弟から
> 別の情報を得ました。
> 切腹しようとしたら政府軍にいた同郷の友人に
> 「〇〇どん、やめろ?!」と止められて捕まって監獄入りした。
西南戦争は、身内同士、幼なじみ、などなどでも戦わなくてはならなかった
悲惨な戦争でした。
たまたま政府軍のご友人に出会い、切腹を阻止されたことが幸運なこと
だったでしょうね。
監獄に入れられたとしても生きておられたなら何とかなりますもの。
> それを聞いた時の安堵感たら!
> いずれにせよ生き延びてくれたから私は唐辛子爺と結婚できて今に至る^^。
ほんとうにおっしゃる通りですね。
> ドバラダ門でのコンサートのお話もなんて面白いんでしょ!
> お洒落ですよね?!
> いいね100票ぐらい投じたい気分です。
山下洋輔さんの文章は、アドリブ演奏のごとく軽妙洒脱、止まることを知らずで
おかげで分厚い本も読み終えることが出来ました。
旅行記に貴重な1票をありがとうございました。
mistral
-
- hot chocolateさん 2022/03/09 11:24:54
- 五大監獄
- mistralさま
こんにちは。
「五大監獄」なる言葉、初めて知りました。
もしかしたら、私が作秋に訪れた「元奈良少年刑務所」が
その1つではないかと思いました。
その刑務所は、明治時代に建設されたような煉瓦建ての見事な刑務所でした。
勿論中に入ることはできず、外観だけでしたが。
mistralさんのこの旅行記を拝見して、HPで調べたところ、
完全な形で残っているのは元奈良少年刑務所だけなんだそうですね。
監獄から少年刑務所になり、2017年に老朽化のため閉鎖、
2024年にはホテルになるようです。
監獄がホテルに? と思ったりもしますが、トルコのイスタンブールには
元監獄のフォーシーズンズ・ホテルがありますよね。
たまたま訪れた元奈良少年刑務所(元奈良監獄)でしたが、
今作成中の、奈良旅行記に登場予定です。
もし、差し支えなければ、mistralさんのこの旅行記を
ご紹介させて頂いてよろしいでしょうか。
hot chocolate
- mistralさん からの返信 2022/03/09 21:17:12
- RE: 五大監獄
- hot chocolateさん
こんばんは。
コメントをありがとうございました。
> 「五大監獄」なる言葉、初めて知りました。
> もしかしたら、私が作秋に訪れた「元奈良少年刑務所」が
> その1つではないかと思いました。
そうです、そうです!
昨年行かれたんですね。
> その刑務所は、明治時代に建設されたような煉瓦建ての見事な刑務所でした。
> 勿論中に入ることはできず、外観だけでしたが。
鹿児島だけが石造りで、あとの監獄はレンガ造りでした。
そのレンガを焼いたのも囚人の方々のようでした。
>
> mistralさんのこの旅行記を拝見して、HPで調べたところ、
> 完全な形で残っているのは元奈良少年刑務所だけなんだそうですね。
> 監獄から少年刑務所になり、2017年に老朽化のため閉鎖、
> 2024年にはホテルになるようです。
> 監獄がホテルに? と思ったりもしますが、トルコのイスタンブールには
> 元監獄のフォーシーズンズ・ホテルがありますよね。
完全な形で残るのは、今では奈良のみ。
ホテルへの改修工事が始まっている、とばかり思っていましたが
最近になって新しい情報が。
クラブツーリズムで現地集合のツアーがあるんです。
実は今日、4月のツアー申し込みしたばかりです。
ガイドがつく分はキャンセル待ちばかりで、私が申し込みしたのは自由見学
のものです。
> たまたま訪れた元奈良少年刑務所(元奈良監獄)でしたが、
> 今作成中の、奈良旅行記に登場予定です。
> もし、差し支えなければ、mistralさんのこの旅行記を
> ご紹介させて頂いてよろしいでしょうか。
>
これから旅行記に監獄が登場するんですね。
どうぞこの旅行記のご紹介も、よろしくお願い致します。
mistral
-
- マーさん 2022/03/09 10:06:31
- こんにちは♪
- 鹿児島監獄の門 !! その成り立ち等、興味深く拝見いたしました。
勿論、同県内在住なのですが コロナ禍も有り市内へ行く機会も
めっきり無くなりました。 実はこの門、まだ鹿児島刑務所がこの地
あった頃からなじみが有りまして(塀の中に入所してたワケではありません)
営業マン時代、この界隈は日常的に行き来しており国道3号から甲突川に
掛かる旧鶴尾橋(以前は石橋でした) を渡った角地に、屋号からして
そのまんまみたいな(笑)「差し入れ屋」って個人商店があったのを
思い出しました。 今では、すっかり様変わりしてしまいましたね
湧水町に移転後、鹿児島アリーナとなり その後この門を 長渕剛ライブの
度に見てきた思い出が・・・
mistralさんの歴史的考察も含めた、鹿児島旅行記
地元に住まいしていながら、知らなかった事も多く 楽しく
拝見させていただきました。
- mistralさん からの返信 2022/03/09 21:03:38
- RE: こんにちは♪
- マーさん
こんばんは。
いつも有難うございます。
> 鹿児島監獄の門 !! その成り立ち等、興味深く拝見いたしました。
> 勿論、同県内在住なのですが コロナ禍も有り市内へ行く機会も
> めっきり無くなりました。 実はこの門、まだ鹿児島刑務所がこの地
> あった頃からなじみが有りまして(塀の中に入所してたワケではありません)
地元の方々にとってはきっと身近な存在だったんだろうな、と思ってました。
そうだとしても、きっと目を惹く建物だったことでしょう。
石造りの建物がズラリと続くさまは、かなりの存在感だったのではないかな
と想像します。
もちろん、仮に中に入りたくても、そうそう簡単にはできない地ですよね。
> 営業マン時代、この界隈は日常的に行き来しており国道3号から甲突川に
> 掛かる旧鶴尾橋(以前は石橋でした) を渡った角地に、屋号からして
> そのまんまみたいな(笑)「差し入れ屋」って個人商店があったのを
> 思い出しました。 今では、すっかり様変わりしてしまいましたね
地元の方ならではの情報ですよね。
個人商店名の「差し入れ家」が愉快ですが、遠方から来る方にとっては
分かりやすかったんでしょうね。
> 湧水町に移転後、鹿児島アリーナとなり その後この門を 長渕剛ライブの
> 度に見てきた思い出が・・・
そうなんですね。
アリーナですから、長渕さんのような大物ライブの開催もあって
そんな時、門の由来を知らないような若者は、どんな風にその門を見ていたの
でしょうね。
それとも、そちらでは皆さん、門のことはご存知なんでしょうか。
> mistralさんの歴史的考察も含めた、鹿児島旅行記
>
> 地元に住まいしていながら、知らなかった事も多く 楽しく
> 拝見させていただきました。
ありがとうございました。
2月の訪問時にはすがの鹿児島でも寒かったですが、ずいぶん春が進んできたこと
でしょうね。
mistral
-
- あの街からさん 2022/03/09 08:21:59
- 底抜けに愉快な顛末(⌒▽⌒)
- 「ドバラダの門」の本が新刊本として店頭に飾られていた時分
この楽しそうな装丁を見ただけで買い求めた山下洋輔ファンは
抱えて帰り自宅で開いて えっ! と驚いた事だろうと(^ー^)
しかし、
そこに現れた
山下洋輔・ファミリーストーリー・石造りの建築物の世界に、
次々と先を先をと興味深く開かせてくれる様は
まるで山下洋輔の力強いピアノのタッチのよう。
かっての読者の姿をも、併せて楽しませていただきました。
近代建築のアリーナの隣りというのは、
なんとも不思議な取り合わせとして
ライブを観にきた若者の目を引くには、
これ以上のものはないと思うけれど、
「こんなカッコいい監獄ならば、入るのも悪くはないか。」
そんな会話が交わされることは、ないかぁ。笑
底抜けに愉快な顛末に救われました。
いつもながらmistralさんのレポ力に乾杯!です。
あの街から
- mistralさん からの返信 2022/03/09 20:48:01
- RE: 底抜けに愉快な顛末(⌒▽⌒)
- あの街からさん
こんばんは。
コメントをありがとうございます。
> 「ドバラダの門」の本が新刊本として店頭に飾られていた時分
> この楽しそうな装丁を見ただけで買い求めた山下洋輔ファンは
> 抱えて帰り自宅で開いて えっ! と驚いた事だろうと(^ー^)
きっとそうでしょうね。
発行は1990年。今を遡ること30年ちょっとですから山下洋輔さんもお若く、
もちろん当時のファンも若かった!
> しかし、
> そこに現れた
> 山下洋輔・ファミリーストーリー・石造りの建築物の世界に、
思いがけないことですよね。
ファミリーヒストリーをひもとく仲立ちには、藤森照信さんという建築史専門の方も
関わっておられたようです。
> 次々と先を先をと興味深く開かせてくれる様は
> まるで山下洋輔の力強いピアノのタッチのよう。
そして山下洋輔さんの文章は、まるでアドリブ演奏を楽しむかのように自由自在で、
登場人物が、生きた時代に関係なく登場してきたり、、、
本の帯にも、説明はあえてしない。とにかく読みなさい。と書かれているんです。
> かっての読者の姿をも、併せて楽しませていただきました。
山下さんのたたくピアノの音を愛したファンにとって、この本を読むと当時が蘇りそう
な感じがしました。
そうは言っても、山下さんは、かつてお爺さまが尋ね歩いた海外の監獄を、同じように
演奏活動のあい間に尋ねられ、
きっとお爺さまの感じられた世界をきっと体感された上での執筆だったように思いました。
> 近代建築のアリーナの隣りというのは、
> なんとも不思議な取り合わせとして
> ライブを観にきた若者の目を引くには、
> これ以上のものはないと思うけれど、
> 「こんなカッコいい監獄ならば、入るのも悪くはないか。」
> そんな会話が交わされることは、ないかぁ。笑
もしかしたら、ちょっと体験してみたいな、と思う若者もいるかもしれませんね。
> 底抜けに愉快な顛末に救われました。
コンサート開催までの顛末には驚くやら呆れるやら、
でも決行したもの勝ち、そんな風潮が許される時代でもあったのでしょうか。
> いつもながらmistralさんのレポ力に乾杯!です。
ありがとうございました。
あの街からさんの年末京都旅、楽しませていただきました。
mistral
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