1980/12/29 - 2004/01/02
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hy-2217さん
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サイパン島へ初めて行ったのは、今から約半世紀前の1980年12月です。「グアム島5日間」の旅行でグアム島を再訪した時、オプショナルツアーとして「サイパン島日帰り観光」に参加しました。
その頃のサイパン島は、戦後35年経過していましたが、道路はアスファルト舗装よりも、砕いたサンゴを道路に敷きつめた簡易舗装の方が多かったように記憶しています。常夏の島なので、その頃のアスファルトは暑さに負けて溶けていたのか、経済的に余裕が無かったのかは判りませんが・・。
そして、島内には、至る所に太平洋戦争の悲惨な戦跡が多く残り、「玉砕の島・サイパン島」の激しかった戦闘を身近に感じました。
初めての「サイパン島日帰り旅行」から23年後の2003年12月に再訪問した時は、ホテルやゴルフ場も多く建設され、リゾート地として生まれ変わっていました。
そのような「旅行記」ですが、一見、一読していただければ有難く思います。
〈サイパン島の歴史に関する豆知識〉
☆スペイン統治時代・・1521年マゼランがヨーロッパ人として初めてマリアナ諸島を発見し、1565年から3世紀に渡りスペインの統治下にあった。
☆ドイツ統治時代・・1898年、米西戦争でスペインの支配は終わり、ドイツの統治下になった。
☆日本統治時代・・1914年7月、第一次世界大戦が勃発し、10月には連合国の主要構成国として参戦した日本軍がドイツを放逐し、赤道以北の南洋諸島全体を占領した。大戦終了後、戦勝国が主導して行われたパリ講和会議の結論を受けて、1920年に日本の委任統治領となり、南洋庁サイパン支庁が設置された。
☆第二次世界大戦・・大戦前には、日本軍の太平洋にいける要衝の一つとして日本軍司令部が設置された。
大戦末期の1944年6月のアメリカ軍をはじめとする連合国軍の上陸の際には、住民を巻き込んだ激しい戦闘によって多数の犠牲者を出した。現在でも、「バンザイ・クリフ(Banzai Cliff)」や「スーサイド・クリフ(Suicide Cliff)」など島のあちこちに戦争の名残がある。
☆アメリカ統治時代・・1944年7月以来、アメリカ軍の軍政下に置かれたが、1947年に国際連合「太平洋諸島信託統治領」となった。
1981年1月、アメリカ合衆国内の自治領である「北マリアナ諸島」に留まったが、「北マリアナ諸島」以外は次々と分離独立していった。
日本からやって来る戦没者慰霊団をの宿泊施設として、1977年に「ハファダイ・ビーチ・ホテル」が創業して以来、日本人観光客が多く訪れるようになった。
1980年に入ると、日本のデベロッパーからの投資が活発に行われ、日本航空や第一ホテルなどにより多くのリゾートホテルやゴルフ場が建設された。
しかし、その後日本のリゾート渡航先の多様化などの影響を受け、日本人観光客が減り、2000年代に入ると日系ホテルの撤退が相次ぎ、日本航空も乗り入れを取り止めた。
※写真は、険しい断崖&激しい白波&美しい濃紺の海が、いつまでも戦争の悲惨さを思い出させる「バンザイ・クリフ(Banzai Cliff)」の景色です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
-
【第1部:生まれて初めてのサイパン島旅行】
※写真は、サイパン島(Saipan Island)の地図(1976年版)です。
〈サイパン島の地理に関する豆知識〉
サイパン島は、北マリアナ諸島の政治・経済の中心地で、主都はススペ(Susupe)で、最大都市はガラパン(Garapan)です。
マリアナ諸島の中ではグアム島に次ぐ2番目に大きな島で、面積は122km2あります。島の形は北北東から南南西に長くのび、南北が約19.2km、幅にあたる東西は広いところで9.6km、最も狭い部分は約4kmです。
島の中心部には海抜473mのタポチョウ山(Mt.Tagpochau)があります。また、西海岸は単調な海岸線になっていますが、東海岸は潮流と波浪のために絶壁が多い地形となっています。
サイパン島とグアム島とは197km離れていますが、ジェット機で約30分で行くことが出来ます。 -
〈サイパン島日帰り旅行:1980/12/29のスケジュール〉
☆グアム国際空港(8:00AM)→ サイパン国際空港
☆サイパン1日観光(バンザイ・クリフ~ラスト・コマンド・ポスト~スーサイド・クリフ~バード・アイランド~食事~マイクロ・ビーチ散策
☆サイパン国際空港 → グアム国際空港
※写真は、グアム島→サイパン島の航空チケット(航空会社:コンチネンタル・エアーラインズ)です。 -
グアム国際空港を8:00AMに出発した飛行機内から、いろいろな形をした雲を見ながらサイパン島を目指しました。
グアム島とサイパン島の距離は197km、ジェット機で約30分で到着します。 -
※写真は、「サイパン国際空港(Saipan Airport)」です。
「サイパン国際空港」は1976年に完成し、ミクロネシアの玄関にふさわしく、最長の滑走路を備えている空港で、サイパン島の南側、中央部の台地にあります。
空港から観光バスに乗って、サイパン島の西海岸を南西から北東方面へと進み、サイパン島最北端の岬である「バンザイ・クリフ(Banzai Cliff)」を目指しました。 -
※先ず、玉砕の島・サイパン島にある悲惨な戦跡の一つである「バンザイ・クリフ(Banzai Cliff)」に到着しました。
〈バンザイ・クリフ(Banzai Cliff)〉
1944年7月8日から9日にかけて、戦いに敗れて岬まで追い詰められた日本軍守備隊の兵士や、数多くの民間人の婦女子達がアメリカ軍の投降勧告や説得の呼びかけに応じず、祖国日本に一番近いこの断崖から80m下の海に身を投げたり、自決したところです。
多くの自決者が”天皇陛下、万歳!!!””大日本帝国、万歳!!!”と叫び、両腕を上げながら身を投じたことから、戦後この名で呼ばれるようになった、と言われています。
自決者の数は1万人にのぼると言われていて、海は血で真っ赤に染まり、死体の海と化したそうです。
現在では、この「バナデルの断崖」は、サイパン三景に入る景勝の地となっているそうです。
単純な私は、「バンザイ・クリフ」の「直角に切り立った断崖」&「岩にぶつかる荒々しい白い波」&「美しい濃紺の海」を見ながら、当時の光景を想像しただけで、涙が溢れていました。 -
手前の海をズームで撮ってみました。
見れば見るほど、荒々しさを感じますね。 -
岩のすぐ向こう側は、海の色が濃紺色になっています。随分、水深があるのだと思います。
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東側を見ると、このような景色が広がっていました。
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申し訳ございませんが、記念写真を撮らせていただきました。
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「バンザイ・クリフ」周辺の道路は、未舗装、このような感じでした。
草原の向こう側に見えるのは、「マッピ山」と「スーサイド・クリフ(Suicide Cliff)」です。 -
「バンザイ・クリフ」側から「スーサイド・クリフ」を見上げるとこんな感じでした。
断崖周辺は、ジャングルに囲まれていました。
その時、断崖を見上げていた観光バスのドライバー(サイパン生まれで、年齢は60歳前後だったと思います)が言いました。
”あの断崖には、未だ、回収されていない遺体があるみたいです”と・・。 -
「バンザイ・クリフ」を後にして、「ラスト・コマンド・ポスト(Last Command Post)」にやって来ました。
〈ラスト・コマンド・ポスト(Last Command Post)〉
「マッピ山」の下にある戦跡で、幹線道路から少し「マッピ山」に近づいたところにあります。
正面に見えている「マッピ山」の崖下の岩山を利用した「トーチカ」が「最後の司令部」と呼ばれているところです。岩山の中ほどにある自然の洞窟をコンクリートで固めて「トーチカ」を造っています。
「トーチカ」前の広場には、旧日本軍の大砲や戦車の残骸などが集められています。 -
「ラスト・コマンド・ポスト(Last Command Post)」周辺をズームで撮ってみました。
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「トーチカ」には、誰でも自由に出入りが出来たので、「トーチカ」に入って外部の景色を見てみました。
眼に入ったのは、約40年前に製造されたと思われる旧日本軍の戦車でした。
約半世紀の年月が経過した戦車は、随分、老朽化していました。 -
「トーチカ」前の広場には、旧日本軍が使用していた複数の大砲も見えていました。
太平洋戦争の激戦地「サイパン島」の面影が、随分、身近に伝わってきました。 -
「ラスト・コマンド・ポスト」を後にして、「スーサイド・クリフ(Suicide Cliff)」に行くために「マッピ山」の山頂にやってきました。
「スーサイド・クリフ」とは・・。
サイパン島北部に位置するマッピ山・山頂の北東側にある崖を指します。 -
〈スーサイド・クリフ(Suicide Cliff)〉
太平洋戦争末期の1944年6月から7月にかけて行われた「サイパンの戦い」において、敗色濃厚となった多数の日本兵や民間人が、アメリカ軍からの投降勧告、説得に応じず、ここから数十メートル下の岩肌の大地に投身して自決したことからこの名前が付けられています。
※写真は、「スーサイド・クリフ」の展望台周辺の景色です。
展望台からは、「バナデル岬」方面や周辺の景色を見渡すことが出来ます。
展望台手前にあった立て看板には、「SUICIDE CLIFF 自決の断崖」と書かれていました。(Suisideは、英語で「自殺」を意味するそうです。) -
※写真は、展望台周辺の景色です。
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※写真は、展望台から見た、「バナデル岬」方面の景色です。
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※写真は、展望台から見た、左側・断崖の景色です。
先程、訪れた「バンザイ・クリフ」の断崖と同様、追い詰められて投身自殺をしている光景を想像しただけで涙が出てきました。 -
※写真は、展望台から見た、ジャングル方面の景色です。
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※写真は、展望台から見た、真下にあるジャングル周辺の景色です。
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※写真は、展望台から見た、右側・断崖&ジャングル方面の景色です。
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マッピ山の山頂付近は公園として整備され、その一角には「慰霊碑」も建立されていました。
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※写真は、「スーサイド・クリフの慰霊碑」です。
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「スーサイド・クリフ」を後にして、「バード・アイランド(Bird Island)」にやって来ました。
「バード・アイランド」に到着する直前、観光バスのドライバーが再び、日本語で言ったことを今でもよく憶えています。
”私は、日本人の方には、随分、親切にしてもらいました”。その一言を聞いて、当時、日本で流行していた「シガレット・ケース」をプレゼントすると、ドライバーは、”ありがとう”と言って、随分、喜んでいました。
懐かしい昔の話ですね。
〈バード・アイランド(Bird Island)〉
サイパン島ベスト三景の一つに数えられる景勝地で、マドッグ岬より南側の入り江の中にあります。石灰岩の岩島は、名前のように海鳥の巣が多く、夕方になれば鳥の島となります。
日本の統治時代には”高知県の桂浜にも負けない月の名所であった”と言うことで、「月見島」の名前があります。 -
※写真は、「バード・アイランド」から陸寄りの景色です。
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※写真は、「バード・アイランド」の展望台周辺の景色です。
周囲は険しい崖になっているため、墜落防止用の手すりが設置されていました。 -
生まれて初めて、ココナッツの果汁を飲みました。
$1~2/個位だったと思いますが、”サラッ”として、スッキリした味をしていました。 -
「バード・アイランド」をバックにして、記念撮影を一枚・・。
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「バード・アイランド」を見物した後はランチ・タイムです。
観光バスは来た道を引き返し、途中で坂道を上り、サイパン島の綺麗な海を見渡せるレストランに連れて行ってくれました。
おそらく、サイパン島の最高峰「タポ-チョ山(Mt.Tagpochau)標高:473m」に行く途中にあるレストランだったと思います。
※写真は、レストランの駐車場から見た景色です。 -
※写真は、レストランの駐車場から見た景色です。
手前には港らしいものが、遥か向こうには「マニャガハ島(Managaha Islands)」らしいものが見えていました。 -
きれいな海をバックに、記念撮影を一枚・・。
この時、「サイパン島」の海は「グアム島」の海よりも、澄み切った色をしている印象を受けました。 -
ランチ・タイムの後は、「ガラパン(Garapan)」地区にある「マイクロ・ビーチ(Micro Beach)」に行って、しばらくの間フリータイムです。
※写真は、「マイクロ・ビーチ」の景色です。
南国らしく、ヤシの木で出来たパラソルは風流で、趣がありました。
当時のガイドブック(1976年発行版)には「マイクロ・ビーチ」のことを下記のように紹介していました。
〈マイクロ・ビーチ〉
美しい白砂の広々とした海岸で、島の健全な行楽地として最も人気があります。目の覚めるようなブルーの海岸と男性的な入道雲の浮かぶ青空の美しさは、まさに西海岸随一と言えます。
これで、生まれて初めての「サイパン島日帰り旅行」は無事、終了しました。 -
【第2部:2度目となるサイパン島旅行】
〈23年振りとなるサイパン島5日間:2003/12/29~2004/01/02〉
※写真は、「サイパン島(Saipan Island)」と「テニアン島(Tinian Island)」の地図(2003年度版)です。
1980年に初めて訪れた時より約23年も経過すると、ホテル&ゴルフ場の数が随分増えていることに驚きました。 -
〈1日目:2003/12/29のスケジュール〉
☆関西国際空港 → サイパン国際空港 → 宿泊ホテル
〈2日目:12/30のスケジュール〉
☆宿泊ホテル内を散歩。
☆島内シャトルバスを利用して、ホテル・ニッコー・サイパン~ラ・フィエスタ・サンロケ・ショッピングプラザを散策。
先ず宿泊ホテルで、ビーチ・サイドにあったリクライニング・チェアーでサイパンの綺麗な空気を吸いました。 -
ホテルの敷地内にあった植物の前で記念撮影・・。
-
島内シャトルバスを利用して、「ホテル・ニッコー・サイパン」に行き、ホテル内を散策・・。
※写真は、ホテルの廊下から見た、南西方面の景色です。
〈余談になりますが、何故、「ホテル・ニッコー・サイパン」を訪れたのか?〉
私の友人がホテル建設時に、当ホテルの現場管理のため長期海外出張をして汗を流したところでした。
どのようなところで仕事をして、どのようなところで苦労していたのか、直接現地を見てみたかったのです。 -
ちょっと、ズームで撮ってみました。
海の遥か彼方に、「マニャガハ島(Managaha Island)」が見えていました。 -
ホテルの敷地内を見ると、モダンなプール施設が・・。
-
ホテルの北東方面を見ると、このような景色でした。
右側前方に見える、小高い丘が「マッピ山」だと思います。
「マッピ山」の向こう側が「バンザイ・クリフ」辺りだと思います。 -
ホテルの庭に咲いていた赤い花と綺麗な海をバックにして、記念撮影を・・。
-
※写真は、ホテルの廊下から見た、「ラ・フィエスタ・サンロケ・ショッピングプラザ」の建物です。
「ホテル・ニッコー・サイパン」を散策後、ショッピング等をしてひと時を楽しみました。 -
〈3日目:2003/12/31のスケジュール〉
☆アイランド・シャトルバスを利用して、サイパン島の南部方面を見物&「コーラル・オーシャンポイント・リゾートクラブ」を散策。
☆マニャガハ島周辺クルーズに参加。
※写真は、サイパン国際空港近くにある「コーラル・オーシャンポイント・リゾートクラブ」内にあるゴルフ場です。
サイパンの綺麗な空気を吸いながら、綺麗な濃紺色をしたフィリピン海を見ながら、の~んびりとゴルフ・プレーを見物しました。
プレーをしている人達を見ると、日本とは違い、4人1組よりも2人1組でラウンドしているゴルフ・プレーヤーがほとんどでした。
また、海の向こうには「テニアン島(Tinian Island)」が見えていました。
〈テニアン島の豆知識〉
サイパン島の南西5kmにある島で、面積は98km2、サイパン島のほぼ半分くらい、南北の長さが約20km、東西の幅は約10kmの菱形を少し変形させたような形になっています。
島内には「ハゴイ基地(旧B29飛行場)」と言う名前の基地があり、この基地から原爆を積んだB29が広島や長崎に向かいました。
数百機のB29が連日、ここから日本本土の空襲に出撃した飛行場です。滑走路の先端には、原爆機の発進を記念するアメリカ軍の碑が残されているそうです。 -
サイパンの綺麗な空気を吸った後は、敷地内にあるレストランで食事をして、「テニアン島」「フィリピン海」「ゴルフ場」をバックに記念撮影です。
-
再び、アイランド・シャトルバスに乗って、「ガラパン(Garapan)」地区にあるホテルに帰りました。
ちょっと、一息ついて、「サイパン・サンセット・クルーズ」に出かけました。
※写真は、空から見た「マニャガハ島」です。(写真参照:SAIPAN&TINIAN 2003年度版)
〈マニャガハ島について〉
*1976年発行のガイドブックには、下記のように記載されています。
島の人々の憩いの海岸「マイクロ・ビーチ」からすぐ北に浮かぶ小島がマニャガハ島で、海辺のレジャーや家族そろっての休養の場所として親しまれています。周囲約1マイル足らずの小島ですが、美しいサンゴ礁の海にあるため眺めもすばらしい島です。
太平洋戦争当時は、この島に日本軍の強力な要塞があったため「軍艦島」の別名もありましたが、サイパン島攻防戦末期の1944年7月13日にアメリカ軍の艦砲と火砲の集中射撃にあって全壊しました。
*2003年発行のガイドブックには、下記のように記載されています。
マイクロ・ビーチ沖に浮かぶ周囲1.5kmのサンゴ礁の島。美しい大自然に出会いたくてサイパンに来たなら、あと15分船に乗って足をのばそう。そこにあるのは太陽いっぱいの「マニャガハ島」。穏やかな海は、世界でも屈指の透明度を誇るマリン・スポーツのパラダイスです。
約20年余りも経過すると、ガイドブックの内容に時の流れを感じますね。 -
サンセット・クルーズ船に乗ると、早速記念撮影です。
商売人はしっかりしていますね。断る訳にもいかないので、売り上げに協力しました。 -
サンセット・クルーズ船が出港して、しばらく経つと、「マニャガハ島」に近づいてきました。
海の色は澄み切った水色、クルーズ船の甲板は和気あいあいとした雰囲気でした。 -
前方を見ると、綺麗な海の色と「マニャガハ島」の白い砂。
この景色を見ていると、約60年前この島に、日本軍の強力な要塞があり、「軍艦島」の別名があったなんて想像できませんね。 -
※写真は、船着き桟橋周辺の景色です。
クルージングを終えてホテルに帰り、夜0:00AM頃、寝る準備をしていると、突然”ドド~ン”と大きな音が聞こえてきました。窓を開けて外を見ると、至る所で多くの花火が打ち上げられていました。
まったく、予想もしていなかった、新年を祝う打ち上げ花火の音でした。 -
〈4日目:2004/01/01のスケジュール〉
☆サイパン島内観光&ショッピング・ツアーに参加(バンザイ・クリフ~ラスト・コマンド・ポスト~バード・アイランド~DFSギャラリアでショッピング~白牡丹でショッピング~解散)
観光バスは、先ず、「バンザイ・クリフ(Banzai Cliff)」に到着しました。
「バンザイ・クリフ」を訪れたのは1980年続き、今回で2度目、約23年振りとなります。
遊歩道から、80mの高さがある断崖&断崖にぶつかる荒々しい波&あまりにも綺麗な海の色を見ていると、1944年7月、戦いに敗れた日本軍守備隊の兵士や数多くの民間人の婦女子達が、”天皇陛下、バンザイ!!!”と叫びながら、断崖から身を投げたり、自決したことを想像すると、その人達の無念さが伝わってきます。 -
足元の荒らしい波をズームで撮ってみました。
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※写真は、遊歩道から南東方面を見た景色です。
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申し訳ございませんが、記念写真を撮らせていただきました。
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1980年に訪れた時は、記憶に残っていないのですが、「バンザイ・クリフ」周辺には多くの「慰霊碑」や「供養塔」が建立されていました。
-
ちょっと、目に付いた「慰霊碑」を撮ってみました。
*右側のにあった細長い「慰霊碑」には・・
”太平洋戦争の失われた尊いみたまに捧ぐ”と書かれていました。
*左側にあった石造りの「慰霊碑」には・・。
♪~どんな気持ちで波間に消えた
♪~時代は遠くはなれても
♪~なんでむなしく忘らりょか
♪~風も泣きますバンザイクリフ”
詩:加藤日出男 曲・唄:三橋美智也
1981年5月8日 「サイパン小唄」より
初めてサイパン島を訪れた1980年の翌年に建立された慰霊碑だと思います。
このような唄があることは、知りませんでした。
何とも言えないような ”むなしさ””悲しさ”が伝わってきました。 -
〈参考写真-1〉
この写真は、第二次世界大戦後60周年の2005年6月28日、皇室として初めて、明仁天皇・美智子皇后陛下(当時)が「バンザイ・クリフ」を慰霊のため訪問された時の写真です。
※写真参照:ウィキペディアより -
〈参考写真-2〉
この写真は、「バンザイ・クリフ」周辺に建立されている「慰霊碑」「供養塔」です。
※写真参照:ウィキペディアより (いつ頃、撮影された写真かは不明です) -
〈参考写真-3〉
この写真は、遊歩道から見た、「バンザイ・クリフ」周辺の写真です。
崖の周辺には、多くの「慰霊碑」「供養塔」が見えています。
※写真参照:ウィキペディアより (いつ頃、撮影された写真かは不明です)
この断崖は、サイパン三景に入る景勝の地と言われています。
素晴らしい景色である反面、非常に悲しい景色でもあります。 -
「バンザイ・クリフ」を後にして、近くにある「ラスト・コマンド・ポスト(Last Command Post)」にやって来ました。
ここを訪れるのも、1980年に次いで2度目となります。
太平洋戦争当時の「トーチカ」「戦車」「大砲」は、風化しながらも残っていました。 -
「ラスト・コマンド・ポスト」を後にして、「バード・アイランド(Bird Island)」にやって来ました。
ここを訪れるのも、1980年に次いで2度目となります。
サイパン島ベスト三景の一つに数えられる景勝の地と言われているだけあって、相変わらず、素晴らしい景色でした。 -
「バード・アイランド」をバックにして、記念写真を一枚・・。
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「サイパン島内観光&ショッピング・ツアー」を終え、ホテルで一息・・。
-
ホテルで一息ついた後は、ホテルの目の前にある「マイクロ・ビーチ」を散歩しました。
1980年に初めて「サイパン島」を訪れた時から約23年、ヤシの木で作られていた風流なパラソルはモダンなパラソルに生まれ変わっていました。
〈5日目:2004/01/02のスケジュール〉
☆宿泊ホテル → サイパン国際空港 → 関西国際空港
何時頃の航空便で帰国したかは、まったく憶えていません。
最近の「サイパン島」に関する情報では・・。
1990年代以降は、日本人観光客の渡航先の多様化を受け、日本からの観光客が減少傾向にあります。それに併せて、同時期に経済が発展した大韓民国や中華人民共和国からの激増により、現在は両国資本の躍進が著しくなっています。
特に、「ガラパン(Garapan)」には、巨大なリゾート・ホテルが軒を並べる他、多数の観光客向けのレストランや各種店舗が集中しており、活況を見せています。
尚、これらの多くのホテルは日系企業の経営でしたが、昨今は主に韓国企業による買収が盛んになっています。
「忘れられた旅行地・サイパン」として、或る旅行会社の幹部のコメントが掲載されていました。
”ツアーで3~5万円の価格で安売りし過ぎた。航空会社の取り分が少なく、便数を減らす結果になった”。
参考に、日本・韓国・中国の過去の旅行者数を調べてみると、下記のようでした。
2007年:(日本)約215000人、(韓国)約98000人、(中国)約41000人。
2013年:(日本)約148000人、(韓国)約135000人、(中国)約113000人。
2019年:(日本)約12000人、(韓国)約192000人、(中国)約186000人。
このデータを参考にすると、私が訪れた2004年頃の日本人旅行者数は約200000人/年余りだったと推定されます。今ではその頃の約1/20になっています。この頃から約20年の時が過ぎると、当時の素朴で、の~んびりした「サイパン島」の面影は残っていないのかもしれませんね。
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この旅行記へのコメント (1)
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- 快特さん 2022/03/07 21:49:56
- SAIPAN-GUAM 国際線
- SAIPANで ダイビングしました。 1993年ごろです
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