2019/10/07 - 2019/10/21
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旅 夢太郎さん
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旅は5日目に入り、引き続きプロヴァンス地方を巡ります。訪問地は「岩山の上に広がる美しい村レ・ボー・ド・プロヴァンス」「ゴッホが療養生活を送ったサン・ポール・ド・モーゾール修道院」「長年ローマ教皇庁が置かれたアヴィニョン」「ローマ時代の水道橋遺跡があるポン・デュ・ガール」です。
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岩山の上に広がる美しい村「レ・ボー・ド・プロヴァンス」
南プロヴァンス一体を恐怖で震え上がらせた、レ・ボーの封建領主たちの居城とその下には美しい村が広がっています。
11世紀にレ・ボー一族が城塞都市を築いたことが、この村の始まりだそうです。レ・ボー一族は好戦的で知られており、統治していた5世紀の間には、多くの戦いがあったそうです。 -
岩山から見下ろす広大な土地には、ブドウ畑やオリーブ畑が広がっていました。
農業王国と言われる所以も分かります。 -
城塞に残されている投石器
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城塞跡
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上から見下ろす村の風景です。約500人が暮らしているそうです。
この村は、夕暮れ時にはオレンジ色に輝き、また朝霧に包まれた街並みは大変美しく、多くの観光客が訪れるそうです。 -
人気の観光地であり、村内には多くのお土産店や、飲食店が並んでいました。
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ゴッホの病室が再現されている「サン・ポール・ド・モーゾール修道院」に行く途中、預言者「ノストラダムス」の生家に立ち寄りました。生家のドアには「ここで1503年ノストラダムスが生まれました」と書かれたプレートがありました。
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ノストラダムスが生まれた家です。
彼の予知能力を買われてフランス国王の顧問にまで務めたそうですが、日本で大きな反響を起こしたあの「1999年7月の人類滅亡説」は一体何だったのでしょうか? -
サン・ポール・ド・モーゾール修道院
南仏プロヴァンスの小さな町にある修道院でした。ゴッホが晩年(1889年5月~1890年5月)自ら希望して入院したところです。
表紙の写真は道沿いに立てられた、ゴッホ像です。 -
修道院の正門
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修道院中庭
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ゴッホの病室
広さは6畳くらい 窓からは裏庭がみえました -
修道院の裏庭 ゴッホが好んだ所と言われています。
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ゴッホの病室の向かいにある入浴室
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ゴッホの作品 その1 「糸杉」
ゴッホが病にかかる前のモチーフは「ひまわり」だったそうですが、修道院で療養生活を始めた頃から「糸杉」に変わったそうです。この糸杉に現れる力強さに惹かれます。 -
ゴッホの作品 その2 「昼寝」
ゴッホはミレーの農業労働者を描いた作品に感銘を受け、初期の作品には労働者をモチーフにした作品が多いそうです。 -
ゴッホの作品 その3
初期の作品 「ジャガイモを食べる人々」 -
ゴッホの作品 その4
オランダでの活動の中、ゴッホは「本当に価値あるものは、汗して働く生活の中にある」と言って、こうした作品に取り組んだそうです。 -
ゴッホの作品 その5
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ゴッホの作品 その6
ゴッホが生存中に売れた作品は、この「赤い葡萄畑」1点だけ(400フラン)だったそうです。1890年に没したゴッホは、終生兄の物心両面に渡って支援した弟テオと共にオーベルにある墓地に眠っているそうです。 -
修道院の1階通路 ゴッホの病室は2階にあります。
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修道院に隣接する教会
ゴッホもお祈りに参加したのでしょうか? -
アヴィニョンの法王庁宮殿
アヴィニョンはローヌ河畔にあり、交通の要衝として9世紀~12世紀にはプロヴァンス地方の中心都市として栄えた街です。人口は約9万人。1309年ローマ教皇クレメンス5世がアヴィニョンを居所に定め、1377年グレゴリウス11世がローマに戻るまで、69年間に渡って教皇庁が置かれ、キリスト教世界の中心になった所です。 -
サン・ベネゼ橋とアヴィニョン歴史地区を望む
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サン・ベネゼ橋
12世紀に架けられた橋で、元は対岸のヴィルヌ・レ・ザヴィニヨンまで伸びる22のアーチを持つ橋でしたが、幾度かの洪水で流され、現存するのは4つのアーチのみとなっています。 -
ローマ時代の巨大な水道橋「ポン・デュ・ガール」に向かう途中の、車窓風景です。農業王国だけあって、どこまでも広い農村地帯が続いていました。
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ローマ時代の巨大な水道橋「ポン・デュ・ガール」にやって来ました。
この水道橋は、ローマの主要都市であったネマウスの人口が増加したことから水不足が発生し、これを解消するため造られたそうです。水源地は50km離れたユゼスにあるそうです。 -
ポン・デュ・ガールの下流に広がるガール川です。
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紀元前19年ころから、建設が始まり約5年で完成したそうです。建設には1000人もの人が動員されたそうです。全長275m 高さ49m
この橋を見たジャン・ジャック・ルソーは「実物は予想を超えていた。そのようなことは、私の人生で一度だけである」と書き残したそうです。
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