2021/12/10 - 2021/12/10
140位(同エリア805件中)
naoさん
京都府八幡市橋本は、石清水八幡宮のある男山西麓に位置する町で、現京阪本線の線路と木津川の堤防に挟まれた細長い地域には、京都と大坂を結ぶかつての京街道が通っており、京街道の宿場町として、また、石清水八幡宮参拝客の宿泊所として、多くの旅人で賑わいました。
橋本の地名は、僧・行基が対岸の山崎との間に架けた「山崎橋のたもとの集落」ということから名づけられたのが由来とされています。
この山崎橋は、川の増水により幾度となく流失と架橋が繰り返されましたが、元禄年間に架けられた橋が流されたのを最期に新たな橋は架けられませんでした。
しかし、木津川・宇治川・桂川の三つの河川の合流点に架かる橋は、対岸を通る西国街道と京街道を結ぶ重要な役割を果たしていたことから、橋に代わって「橋本の渡し」と呼ばれた渡し船が通うようになり、その渡船場や川湊として賑わったと言われています。
ちなみに、「橋本の渡し」は昭和30年代まで続いていたそうで、木津川の堤防に沿って流れる大谷川に架かる栄橋のたもとには、「渡船場」を示す当時の道標が残っています。
街道の宿場町や神社仏閣の宿泊所に遊郭ができるのは世の常で、橋本にも必然的に「橋本遊郭」が発生し、大いに繁栄するところとなりました。
昭和33年(1958年)の売春防止法の施行により、「橋本遊郭」の灯と賑わいは消えてしまいましたが、現在の橋本には、遊郭だった頃の建物がほぼ当時のままの姿で現存しており、華やかなりし往時の姿を今に伝える、見応えのある町並みが連なっています。
なお、橋本は宮尾登美子原作、夏目雅子主演の映画、『鬼龍院花子の生涯』のロケ地として知られています。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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八幡市橋本へやって来ました。
ここからかつての京街道の町並みを歩きます。 -
こちらは、明治33年(1900年)から明治36年(1903年)までの間、二宮忠八飛行器製作所があった跡地だそうで、建物の裏手には案内板が掲示されています。
二宮忠八氏は、明治22年(1889年)にカラスの翼さばきから飛行原理を発見した方で、明治24年(1891年)に鳥型飛行器の飛行実験成功、明治26年(1893年)に玉虫型飛行器の模型完成など、飛行器の研究開発に打ち込んでこられましたが、明治36年(1903年)にアメリカのライト兄弟による有人飛行実験成功を知り、研究開発を断念されたそうです。 -
玄関戸の両側に太い柱を使っておられる町家です。
大黒柱とまではいかないにしても、相当太い柱です。 -
間口いっぱいに入れられた木製のガラス窓に圧倒されそうです。
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橋本の町並みです。
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枝打ちしただけの自然の丸太を門柱に使った町家です。
この門の様式は、鳥居型の宝樹門と呼ばれています。 -
こちらの町家も玄関戸の両側に太い柱を使っておられます。
こちらの玄関をよく見ると、高さのある敷居を跨ぐ必要があるようなので、バリアフリー化のため、玄関脇にアルミドアが別途設けられています。 -
厨子2階部分に虫籠窓のある町家です。
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下屋を支えるのに太い丸太の梁を架けた町家です。
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文政5年(1882年)に建立された石清水八幡宮の常夜灯。
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ここは京街道と石清水八幡宮の参道との分岐点になります。
ここを左に曲がると石清水八幡宮の参道に通じています。 -
その分岐点に立てられた、文政5年(1882年)建立の石清水八幡宮の常夜灯。
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こちらは分岐点に立てられた道標。
この面には「右 八幡宮山へこれより十六丁」の文字が・・・ -
こちらの面には「左 津の国そうじ寺(摂津国総持寺) 大坂下り船乗場」の文字が刻まれています。
この道標は何時かの時点で立て替えられたようで、実際の方向とはずれています。 -
八幡市の汚水桝の蓋。
市の花「さつき」が散りばめられています。 -
緩やかな曲線を描く道なりに土塀をめぐらせたお屋敷です。
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門前には犬矢来がしつらえられています。
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奥まった主屋には煙出しの越屋根や虫籠窓が設けられています。
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竹の外格子をめぐらせた町家です。
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こちらの町家は、ベンガラ塗りの板塀の内側には庭がしつらえられているようです。
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もちろん、附属屋にもベンガラが塗られています。
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橋本の町並みです。
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玄関脇の小窓に、名栗加工の格子をはめた町家です。
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こちらの町家は、2階の窓に簾掛けが設けられています。
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こちらの町家は、虫籠窓を背にした鍾馗様が睨みを利かせています。
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軒下の垂木を、白漆喰で波型に塗籠めている町家です。
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浅黄色の外壁がシックな印象を与える町家です。
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こちらは金刀比羅大権現です。
鳥居には「万延元年(1860年)」の文字が刻まれていますが、詳しい由緒などは判っていないそうです。 -
社殿前の阿形の狛犬と・・・
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吽形の狛犬。
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この辺りからかつての「橋本遊郭」になるようで、町並みの様子が一変しました。
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左手の栄橋のたもとに、昭和30年代まで続いていた「橋本の渡し」の渡船場を示す当時の道標が残っています。
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道標には、「柳谷わたし」や「山ざき あた古わたし場」などと刻まれています。
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こちらの面には「津の国そうじ寺(摂津国総持寺) 大坂下り船の里場(船乗場)」の文字が刻まれています。
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木津川の堤防に沿って流れる大谷川の光景。
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こちらは栄橋から上流側の光景で・・・
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こちらは下流側の光景になります。
では、町並みへ戻ります。 -
昭和33年(1958年)の売春防止法の施行により、「橋本遊郭」の灯と賑わいは消えてしまいましたが・・・
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現在の橋本には、遊郭だった頃の、いわゆる廓造りといわれる建物がほぼ当時のままの姿で現存しており、華やかなりし往時の姿を今に伝えています。
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なお橋本は、宮尾登美子原作、夏目雅子主演の映画、『鬼龍院花子の生涯』のロケ地として知られています。
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かつての「橋本遊郭」の町並みです。
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今も旅館として営業されている町家もあります。
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2階に化粧窓のある町家です。
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この化粧窓を見ていると、華やかなりし廓文化の世界に引き込まれるような感覚におちいります。
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かつての「橋本遊郭」の町並みです。
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こちらは、約120年前に建てられた「旧第二友栄楼」です。
『この建物を撤去した跡に駐車場を作る』ということを聞きつけた今のオーナーさんは、凝った細工などが残る貴重な廓建築を保存したい一心で購入されたそうです。 -
現在オーナーさんは、この建物を活用するため、クラウドファンディングでメンバーを募りながら、中国茶が愉しめる茶楼へと生まれ変わらせるプロジェクトを進めておられます。
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2階の腰壁に、細かい格子を入れた町家です。
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かつての遊郭にある建物にしては、華美に過ぎない印象を与える町家です。
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廓文化華やかなりしころには、相当控え目だったのでは?、と想像されます。
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現在「旅館 橋本の香/漢方エステ天寿」として営業されている建物は、「旧三桝楼」になります。
こちらは、先の「旧第二友栄楼」のオーナーさんが経営されているそうです。 -
かつての「橋本遊郭」の町並みです。
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2階に廓造りの名残をとどめる町家です。
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この外観から、たくさんの小部屋があるのが判ります。
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こんなところに居場所を定めた鍾馗様。
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正面に装飾を施した廓造りの町家は・・・
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妻面の化粧窓が艶めかしさを倍加しています。
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虫籠窓のある町家です。
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以前、こちらは銭湯だったそうですが、現在は廃業されています。
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玄関破風の見事な鬼瓦に刻まれた「橋本湯」の文字が、かつての姿を物語っています。
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現在の橋本に、いわゆる廓造りといわれる建物が、ほぼ遊郭だった当時のままの姿で現存しているとは思いもよりませんでした。
では、華やかなりし廓文化の世界を堪能して、橋本の町歩きを終えます。
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