2021/12/20 - 2021/12/20
20位(同エリア599件中)
あの街からさん
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旅の計画を初めた時には
京都の紅葉も終わり
デルタ株が突然のように収束に向かい感染者の数が
低く推移していてGO TOが再開か。そんな報道もあった
そんな時期でした。その傾向は、旅の間中続き
今となっては、いい時期に旅ができたのだと。(⌒▽⌒)
その隙間 師走の京都へ。
何がある。って
何がなくっても、
さしたるイベントは何もない 何もない
静かな京都を歩きたい。
塔や伽藍のある風景・町家の建つ風景の中を歩く
それだけで旅心を充分満たしてくれる。
そんな京都好きが3人揃い
京の都へ 我が街のような旅を(^ー^)夢見て。
師走の京都は、底冷えで寒いイメージですが
寒さは苦手の“あの街から“だけど
寒さなンて「自分の」旅心を超えられません。(笑)
ならば
朝・晩は、ホテルでぬくぬく過ごし(⌒-⌒; )
日中はそれほど寒さに違いはないだろう。との読みをして。
時間だけはたっぷりとある(^ー^)のだ。と強気の一手(^ー^)
京の街を感じながらの街歩き。
疲れたら
京都らしいカフェでひと休みして美味い珈琲をいただく。
そんな歳末ならではの
京都の風景を楽しみたいと思います。
先ず、訪れたのは3人ともに初めての
『随心院』へ
朝の開門を待っての訪問は
貸し切り状態で
縁側に座って手入れの行き届いたお庭を
眺めながら
幾種類もの野鳥の囀りを聞くことができ
旅心を満たしてくれる幸せな時間を過ごすことができました。
その後
『醍醐寺』へ向いました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
イチオシ
昨日は
関空に降り立ち
「大阪市立美術館」で開催中の
〈メトロポリタン美術館展〉を観て
道頓堀・なんば光旅と歩き
梅田から阪急電車で四条烏丸へダイレクトに。
そして
翌朝「インターゲートホテル京都」で
朝食をし早立ち♪( ´▽`)をしました。
この旅ではSuicaが
随分と活躍してくれました。
なにしろ、関空から大阪経由で京都
京都市内全域。京都から姫路まで
全てOKでした。
便利になったぁ。と今更ながら(⌒▽⌒)ホテルインターゲート京都四条新町 宿・ホテル
-
さて、翌朝
友人とラウンジ7時集合としました。
10分程前に行って野菜スムージーを
いただき朝食をしっかりと食べ(⌒▽⌒)
簡単な今日の行程打ち合わせ。
ラウンジでは、時間帯によって
くつろぐことができるスタイルになっていました。
朝活 6:00~7:00 野菜・フルーツスムージー&こだわりの珈琲
朝食 7:00~10:30
コーヒータイム 10:30~21:00
アフタヌーンサービス 15:00~21:00 お菓子&ソフトドリンク
ハッピーアワー 17:00~19:00 ワイン(赤・白)、カクテル
ナイトタイム 21:00~23:00 ぶぶ漬け(お茶漬けのような)バイキング -
ホテルから随心院へは
ホテルを7:50頃出発 四条烏丸(京阪バス)
83A行 小野駅(8:45着)
『随心院』の開門10分前くらいに
着きました。
バス停のある「小野」は
随心院の歴史を紐解いてみたところ
古来、小野と呼ばれていたこの地は
「和名抄」の小野郷に相当し
小野氏の栄えたところで
この地方の大宅、和爾、宮道各氏と共に
勢力を持っていました。 -
随心院に近い奥まった広場に
出張販売の魚屋さんの車が
停まっていて、ご近所の方々が -
ブリ・サワラ等
生きのいい魚を買い求めていました。 -
随心院のあたり一帯
白壁が見事です。 -
『随心院』
総門には「大随心院」の年季が感じられる
看板が掲げられてありました。 -
門をくぐり参道に入ると
そこはもうまさしく
『随心院』ワールド。
拝観料 500円 -
随心院の「九条藤」と「心」
の文字が刻まれた石燈籠がむかえてくれました。 -
石燈籠と石燈籠に挟まれるようにして
可愛らしいお地蔵さんが♪( ´▽`) -
腰程の高さで
会釈する角度に
お地蔵さんが微笑んでいます。(⌒▽⌒) -
「薬医門」前で開門を待っていたところ
時間になると、作務衣を着た若いお坊さんが
「どうぞこちらから」と向かい入れてくださいました。 -
玄関先のお庭に小野小町の歌碑が
「花の色は うつりにけりな
いたづらに わが身世にふる
ながめせしまに」
現代語訳〈百人一首講座 #55〉
桜の花の色は、むなしく衰え色あせてしまった
春の長雨が降っている間に
ちょうど私の美貌が衰えたように
恋や世間のもろもろのことに
思い悩んでいるうちに -
先ずは、玄関を入り
拝観受付をします。 -
イチオシ
「小野小町像」
これは
秋江彩美術織(あきえさいびじゅつおり)
京都の織物業者さんが
多重織の技法と色を創るという
色創成技術により、写真や絵画を
そのままのタッチで織物に表現したもの。
『京都市ベンチャー購買新商品認定制度
平成23年度新商品一覧より』
なのだそうで、日本の織物技術の高さと
美しさを見せてもらいました。(⌒▽⌒) -
近年、1973年(昭和48年)には
「はねず踊り」を、2003年には「ミス小町コンテスト」
2008年からは、「ライトアップ」
2009年(平成21年)には、若手アーティスト
「だるま商店」による「極彩色梅匂小町絵図」という
障壁画がインスタ映えで人気に。 -
随心院(京都市山科区小野にある寺院)
随心院境内1966年(昭和41年)史跡名勝天然記念物・国指定史跡。
ほか、平安時代の古文書ほか数多くが重要文化財に指定されている。 -
杉戸もなかなか趣きがあります。
-
御紋章から 宮中とも深いつながりがあり
このような駕籠も用いられていたと
推測されます。 -
茶釜(一口) 風炉(一基)
江戸時代
当時の随心院の門跡が
野点の際に使用した茶道具。
茶釜と風炉共に
菊の御紋章があしらわれており
皇室との関係性が深いことが
みてとれる。
との説明が掲示してあります。
※〈風炉〉ふろ
茶席で釜をかけ置き
湯を沸かすための夏季用の炉。
5月から10月までを〈風炉〉の季節
11月から4月までを〈炉〉の季節となっている。
風炉と炉の違いは釜の懸け方、
すなわち湯をどのように沸かすかということで
風炉の季節には、風炉を据えて釜を懸け
炉の季節には、茶室に炉を切って釜が懸けられる。 -
ここから
『随心院』の歴史~創建と再興まで
を織り交ぜながら進みます。
近頃は、小野小町ゆかりの寺として知られるようになりましたが
真言宗小野流開祖の仁海(954年~1046年) が
開山・正歴2年(991年)に創建しました。 -
仁海は、神泉苑にて雨乞いの祈りを9回行いその度に雨を降らせたと
言い伝えられていて「雨僧正」と呼ばれていた。そうである。
(※その褒美なのかは定かではないが)
曼荼羅寺は、仁海が一条天皇から小野氏邸宅の隣を寺地とし下賜され
そこに開山・創建。 W◯◯◯dia参照 -
この記載を読んで、はた?と疑問が沸きました。
〈開山〉の章では、山深い未開地との解説でしたから
小野氏邸宅の隣を開山しだとありましたが
小野氏邸宅の隣は未開地?とは。はてな? -
開山と創建の違いが今ひとつわからなかったので
小学館の「日本大百科全書(ニッポニカ)」
永井政之解説〈開山〉を見てみると
もとは、人跡未踏の山を開き寺を建てた僧をさした。
後に、山に限らず、新しく寺を創建した僧も開山とよぶ。
中略 また、一宗を開いた人(開祖)をよぶこともある。
そうか、漢字の通りだったのか。
そこで、バラバラに記載されていたところをまとめて
真言宗小野流開祖の仁海(954年~1046年) が
開山・正歴2年(991年)に創建した。
とコメント欄に記載してみました。 -
そもそも『随心院』は
牛皮山曼荼羅寺(ぎゅうひさんまんだらじ)の塔頭であった。
はて、塔頭? とうとうと読むのではでは無さそうですし
またまた立ち往生(;゜0゜)
*塔頭(たっちゅう)~禅宗の寺院で、祖師や門徒高僧の死後
その弟子たちが師の徳を慕い、大寺・名刹に寄り添って建てた塔。 -
伝承によれば、仁海は夢で亡き母が牛に生まれ変わって
いることを知りその牛を飼育したが程なくして死んでしまった。
それを悲しみその牛の皮に両界曼荼羅を描き
本尊としたことに因んで「牛皮山曼荼羅寺」と名づけたという。 -
第五世住持の増俊の時代に曼荼羅寺の塔頭の一つとして
『随心院』が建てられ、続く第六世の時代には
順徳天皇、後堀河天皇、四条天皇の祈願所となっている。
第七世(1151年~1236年)になると
後堀河天皇の宣旨(せんじ)により
門跡寺院出身者が住持として入寺することとなった。
その後、一条家、二条家、九条家などの出身が
多く入寺している。 -
その後多くの伽藍が建造され、
山城国・播磨国・紀伊国などに
多くの寺領を有したが、承久の乱・応仁の乱により
ほとんど焼失してしまいました。
時代の移り変わりの中で
次第に復興の声が高まり
安土桃山時代の1599年(慶長4年)
第24世住持の増孝(九条家出身)の時に
曼荼羅寺の故地に本堂が再興されました。
※「門跡」(もんぜき)
皇族・公家が住職を務める寺院。
あるいはその住職で寺格の一つ。
元来は、日本の仏教の開祖の正式な後継者のことで
「門葉開流」の意であった。
鎌倉時代以降は位階の高い寺院そのもの
寺格を指すようになり
それらの寺院を門跡寺院と呼ぶようになった。
※「寺格」(じかく)
寺院の宗教的地位
鎌倉政府(朝廷・幕府)から
認められた格式。 -
その後も
江戸時代中期の門跡
堯厳(1717年~1787年)は
関白九条輔実の子で
九条尚実と名乗り
関白・太政大臣の位に至る。
等
『随心院』は
時の天皇や皇族が庇護してきた
「門跡(もんぜ又はもんせき)」とされ
鎌倉時代以降
位階の高い寺院そのものの寺格にあった。
【画像】
坪庭~庫裏から表書院へ向かう途中にあるお庭。 -
奥書院の北側お庭の向こうに
「小町堂」
まだ新しい建物のようです。 -
「表書院」「奥書院」と見事な
襖絵を拝観し -
ほとんどは、撮影禁止または
特別拝観日のみの公開となっているようです。 -
イチオシ
「極彩色梅匂小町絵図」
能の間に奉納された4面の襖絵 -
「能の間」
襖絵に近づいてみます。随心院 寺・神社・教会
-
小野小町の一生を描き、鮮やかな薄紅色を基調とした襖絵。
2009年(平成21年)絵描きユニット「だるま商店」が制作。
あぁこれが映え人気の「極彩色梅匂小町絵図」かぁ。
やはり強いインパクトを放っていました。随心院 寺・神社・教会
-
イチオシ
4枚の襖絵には
小野小町の生涯ばかりではなく
数々の伝説の情景が、最新のCG技術により
繊細に描かれています。
襖絵の既成概念を超えた
極彩色の中に
何と!
世界三大美女とされる
楊貴妃・クレオパトラも描き込まれている
とのこと。
自分もウォーリーを探せ! 状態になりました。
※「随心院」書記 小野さんの解説。 -
設置した当初は
撮影は禁止でしたが
多くの人からの要望を取り入れ
撮影が解禁となりました。 -
〈小野小町略縁起〉より
小野小町は、小野篁(たかむら)の孫にあたり
出羽(現在の山形県と秋田県)の国司を
務めた良家の娘であるとされています。
「日本人名辞典)には、
出羽の郡領小野良美の娘にして、
仁明の朝五節の舞姫として、宮中の後宮に仕え
容貌秀絶にして、一度笑めば百媚生じ
和歌は巧にして、女流第一の名手たり
と謳われています。 -
小町の生涯は判然とはしませんが
弘仁六年(815年)の頃の生まれで
平安初期 仁明天皇が東宮にあられた
時より崩御されるまでお側に仕え
特に盛艶優美、詠歌の妙を得た小町は
東宮の寵幸を一身に受け即位されてからは
更衣として仕えられました。
850年 仁明天皇が41歳で崩御され
仁明の御代も終わり、年改まった852年
小町 30歳を過ぎた頃宮使いをやめて
小野の郷に引きこもり晩年を過ごしたと伝えられています。 -
「都名所図絵」には
この地に語り伝えられる最も有名なものは
深草少将 百夜通い(ももよがよい)の話しでありましょう。
小町を慕って小野の里に、雨の夜も雪の夜も
通い続けたが99日目の夜、降る雪と発病により
最後の一夜を前に世を去った
深草少将の伝説でありましょう。
この時、小町は榧の実にて数を取り小野の里に播いた
と言われています。
夢にしか逢えない人を思い多くの夢の歌を残し
後世六歌仙の第一人者と評されました。
百人一首の「花の色は・・・」は
哀愁に富み情熱的な歌は華やかな盛艶時代を想い
人生のはかなさを歌ったのは、あまりにも有名です。
小町の生涯は最後まで判然としませんが
仁和寛平の頃、70歳を越して亡くなったと
伝えられています。 -
小野小町所縁の〈榧〉の木の実
-
恋文の供養所
-
和歌
苦手だったなぁ。古文・古語(;゜0゜) -
これも、先程玄関でじっくりと観てきた
「小野小町像」と同じく
多重織の難しい高度な技術によって創られる
秋江彩美術織(あきえさいびじゅつおり)
なのでしょうか。
それにしても、近年の『随心院』は
新しい時代の匠の技(テクノロジー)や
新感覚のイベント等を
次々に取り入れている姿勢は
目を見張るものがあります。
1973年(昭和48年)には「はねず踊り」を、
2003年には「ミス小町コンテスト」
2008年からは、「ライトアップ」
2009年(平成21年)には、若手アーティスト
「だるま商店」による
「極彩色梅匂小町絵図」障壁画を。 -
そう言えば、これもそんな
新しい試みの一つだと思います。
ただし、この後訪ねたお寺さんでも
見受けられましたので
『随心院』だけの試みではないようですが。
「SOUND TRIP」というサウンドマシーンで
京都の寺社で流れる水の音や
鳥の鳴き声等自然音を収録し
Yoshi Hirikawa、Kyoka、コムアイ
ユーザン、horuka、nakamura
といったアーティストが参加して
創りあげたヒィーリングミュージック
が聴けるというもの。 -
お屋敷の眺めの良い廊下の片隅に
ちょっとケバけばしい
(その場から浮いてしまっている(⌒-⌒; )
この様なものが設置されていました。
この試みも良いと思うのです。
時間や季節でしか聴くことが出来ない音
が、このお庭の風景を眺めながら
聴くことができる。のですから
しかし、お寺さんのお屋敷のお庭の
凛とした風景の中
マシーン(機器)は小さいのだけれど
看板が、もう一つ工夫が欲しいなぁ。
と見るだけは見てきました。 -
と、言いますのは
私たちが訪れた時は
幸い貸切状態で
お屋敷の表書院から
能の間を抜けたお屋敷(境内)の
一番奥に佇む本堂の
長い廊下の縁側にしばし腰をおろし
お庭を眺める時間を持つことができました。
時おりそよ風が吹く以外は
静~かで厳かな空間に
数種類の野鳥の囀りが
遠くに近くに聞こえるのです。
なにより素晴らしい時間でした。 -
入り組んだ建物の
中庭はそれぞれの趣きがあり
野鳥の囀りが響き渡っていました。 -
そろそろ失礼をいたします。
長い廊下に差し込む陽射しが
綺麗でした。 -
薬医門から失礼をして
「小野梅園」に出てきました。
この時間になっても人影はまばらで
凛とした空間感はなんとも言えません。 -
『随心院』から『醍醐寺』を通って
地下鉄「醍醐」までゆっくりと歩いてみました。
歩きながら
『随心院』で拝観してきた「極彩色梅匂小町絵図」に
ついて話しがおよびました。
どうも、友人と相方さんからは同じような
「あの歴史あるお屋敷(境内)にあの鮮やかさ
は、ちょっと馴染めなかった」
「でも、色彩の美しさや小野小町の生涯を襖絵
にした、発想は素晴らしいものがあったわ
一度見る価値はあると思うけどね。」
「私は、縁側に腰掛け野鳥の囀りを
聞けたのが残ったわ」とか感想を言ってました。
自分は、「極彩色梅匂小町絵図」の襖絵に惹かれて
『随心院』を訪ねてみようと思って日程に加えた
のですが、期待にそぐわない見事な作品だと
感じました。たしかに、あのお屋敷の佇まいと
アンバランス感は否めませんが
豊かな発想と『随心院』の良さを
広く知ってもらうための
時代の生き残り作戦の一つとして。
こうして、自分も襖絵に誘われて
やって来て(⌒-⌒; )みて
『随心院』の歴史や
書院造りの境内(お屋敷)の素晴らしさ
縁側で聞いた野鳥の囀りの心地良さ
「極彩色・・」以外にも見応えのある襖絵の数々
など 静かな空間で味わえたこと
やはり、「極彩色・・」のおかげと感謝。です。
綺麗に剪定された寒椿
こんなに大きくなるのだぁ。と眺めながら(⌒▽⌒) -
ほどなくして「醍醐寺」境内に着きました。
-
広~い境内で
ご近所にお住まいの方だろうか
シニアのご夫婦が散歩している姿を
何組も見受けられました。
うらやましい♪( ´▽`)
気持ちの良い散歩コースですね。
お元気で♪ -
言わずと知れた豊臣秀吉が催した
醍醐の花見で知られる『醍醐寺』
友人も相方さんも随分前花見の時期に
訪れたと言うことでしたので
「これを見たい!」と言って
意向を入れてもらい(⌒-⌒; )
一ヶ所だけ見てゆこうと思います。 -
自分も随分と前、桜の時期では
ありませんでしたが、醍醐寺の後
どこか(⌒-⌒; )で〈普茶料理〉を食べた
ことは微かな記憶として残っているのですが
『醍醐寺』のほとんどの風景が
記憶の彼方へ -
これ! が見たい。と思ったのが
国宝・三宝院〈唐門〉でした。
醍醐の花見の翌年 慶長(1599年)に建てられました。
ということは、関ヶ原の合戦の前年だったのですね。 -
天皇の使いである勅使(ちょくし)だけが
通行を許される勅使門です。
「下乗」
この場所で馬から降りて
礼を尽くしたことを示し
門を通って行きました。 -
イチオシ
国宝・三宝院
〈唐門〉屋根に唐破風がついた四脚門
桃山時代を代表する木造建築で、建立当時
門全体が黒漆塗りで「菊」と「五七の桐」の4つ
(裏面にも4つ)の大きな透かし彫りの紋があり
紋には、金箔の豪華な彫刻装飾が施されている。
2008年7月に落雷の被害を受け修復工事に着手。
2010年およそ1年半の解体工事を終えて
往時の姿が甦りました。 -
『醍醐寺』
遠い平安時代初期の貞観16年(874年)
空海の孫弟子 理源大師聖宝が笠取山頂上付近に
開山し「醍醐山」と名づけた。
※醍醐とは、「大般涅槃経」など仏典に尊い
教えの比喩として登場する乳製品である。
とのことですが、仏典「大般涅槃経」は
どこかで知った名称までまわかりますが
さて、〈乳製品・チーズ〉?
ここを知るには
「大般涅槃経」を学ばなければ進めない
ようです。(⌒-⌒; )醍醐寺 寺・神社・教会
-
醍醐天皇が自らの祈願寺とし
手厚い庇護を与え、その圧倒的な財力
によって栄華を誇っていた。
時代は流れて
室町時代の応仁の乱などで荒廃。
桃山時代になると豊臣秀吉によって
三宝院が再興、伽藍が復興され始め
慶長3年(1598年)〈醍醐の花見〉
が盛大に催された。醍醐寺 寺・神社・教会
-
という訳で『醍醐寺』は
仁王門(西大門)を見て
今回は、割愛しました。(⌒-⌒; )
「仁王門〈西大門〉」
慶長10年豊臣秀頼によって再建されました。
安置されている仁王像は
1134年(長承3年)に造立され
後に重要文化財に指定され現在に至っています。
このまま門をくぐって
中もゆっくり歩きたいのですが
またの機会が訪れた時にはとしましょう。 -
広い境内。
とにかく広~い境内。 -
時折り、ご近所の方と思われる方が
散歩している以外は、人影もなく -
「凛」とした佇まいが
大好きな京都の風景の中を歩いている
幸せ感に満たされたひと時でした。 -
醍醐寺から建仁寺・祇園を歩いて
ホテルに戻ってきました。
今回も ホテルのチョイスは
先ず、立地~徒歩5~6分で地下鉄・バス停があります。
静か・大浴場あり・朝食付き
でコスパが良い。と多くの注文を叶えてもらえました(^ー^) -
部屋は
清潔に保たれていて
静か・この時期空気清浄機もあり
大浴場でゆったりとしたので、
部屋のバスタブは使いませんでしたが
バス・トイレ清潔感があり
快適な旅をサポートしてもらいました。(⌒▽⌒)
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この旅行記へのコメント (2)
-
- たらよろさん 2022/02/07 20:24:36
- これからは梅の季節ですね
- こんばんは、あの街からさん
随心院☆
個人的には、女子を前面に出している雰囲気が私は好きです。
随心院といえば、梅の花と小野小町のイメージですよねー。
華やかな屏風も美しいし、
現代的なアートも可愛いな。
京都は、意外と昔ながらの作品を置いているところと、
実は現代風にアレンジされているところと両パターンある気がします。
こんな雰囲気の裏で実はすごい歴史を持っていたりして、圧倒されるんですよねー。
久しぶりに梅の花♪
みに行こうかなー。
たらよろ
- あの街からさん からの返信 2022/02/08 20:01:31
- RE: これからは梅の季節ですね
- こんばんは たらよろさん
『随心院』せっかく訪ねたのだから
もう少し知りたい。と調べたら
いろいろ興味のある事が出てきました。
次回の旅行記の前後に少し補充しょうと思っています。
今年も〈梅〉の時季ですよね。
たらよろさんの旅行記で見せてもらおうと
思い♪( ´▽`)ます。
あの街から
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