山科旅行記(ブログ) 一覧に戻る
旅の計画を初めた時には<br />京都の紅葉も終わり<br />デルタ株が突然のように収束に向かい感染者の数が<br />低く推移していてGO TOが再開か。そんな報道もあった<br />そんな時期でした。その傾向は、旅の間中続き<br />今となっては、いい時期に旅ができたのだと。(⌒▽⌒)<br /><br />その隙間 師走の京都へ。<br />何がある。って<br />何がなくっても、<br />さしたるイベントは何もない 何もない <br />静かな京都を歩きたい。<br /><br />塔や伽藍のある風景・町家の建つ風景の中を歩く<br />それだけで旅心を充分満たしてくれる。 <br />そんな京都好きが3人揃い<br />京の都へ 我が街のような旅を(^ー^)夢見て。<br /><br />師走の京都は、底冷えで寒いイメージですが<br />寒さは苦手の“あの街から“だけど<br />寒さなンて「自分の」旅心を超えられません。(笑)  <br />ならば<br />朝・晩は、ホテルでぬくぬく過ごし(⌒-⌒; )<br />日中はそれほど寒さに違いはないだろう。との読みをして。<br />時間だけはたっぷりとある(^ー^)のだ。と強気の一手(^ー^)<br /><br />京の街を感じながらの街歩き。<br />疲れたら<br />京都らしいカフェでひと休みして美味い珈琲をいただく。<br />そんな歳末ならではの<br />京都の風景を楽しみたいと思います。<br /><br />先ず、訪れたのは3人ともに初めての<br />『随心院』へ <br />朝の開門を待っての訪問は<br />貸し切り状態で<br />縁側に座って手入れの行き届いたお庭を<br />眺めながら<br />幾種類もの野鳥の囀りを聞くことができ<br />旅心を満たしてくれる幸せな時間を過ごすことができました。<br />その後<br />『醍醐寺』へ向いました。

『随心院・醍醐寺』~ 歳末・京都旅その①

97いいね!

2021/12/20 - 2021/12/20

20位(同エリア599件中)

2

66

あの街から

あの街からさん

旅の計画を初めた時には
京都の紅葉も終わり
デルタ株が突然のように収束に向かい感染者の数が
低く推移していてGO TOが再開か。そんな報道もあった
そんな時期でした。その傾向は、旅の間中続き
今となっては、いい時期に旅ができたのだと。(⌒▽⌒)

その隙間 師走の京都へ。
何がある。って
何がなくっても、
さしたるイベントは何もない 何もない 
静かな京都を歩きたい。

塔や伽藍のある風景・町家の建つ風景の中を歩く
それだけで旅心を充分満たしてくれる。 
そんな京都好きが3人揃い
京の都へ 我が街のような旅を(^ー^)夢見て。

師走の京都は、底冷えで寒いイメージですが
寒さは苦手の“あの街から“だけど
寒さなンて「自分の」旅心を超えられません。(笑)  
ならば
朝・晩は、ホテルでぬくぬく過ごし(⌒-⌒; )
日中はそれほど寒さに違いはないだろう。との読みをして。
時間だけはたっぷりとある(^ー^)のだ。と強気の一手(^ー^)

京の街を感じながらの街歩き。
疲れたら
京都らしいカフェでひと休みして美味い珈琲をいただく。
そんな歳末ならではの
京都の風景を楽しみたいと思います。

先ず、訪れたのは3人ともに初めての
『随心院』へ 
朝の開門を待っての訪問は
貸し切り状態で
縁側に座って手入れの行き届いたお庭を
眺めながら
幾種類もの野鳥の囀りを聞くことができ
旅心を満たしてくれる幸せな時間を過ごすことができました。
その後
『醍醐寺』へ向いました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.5
同行者
友人
交通手段
高速・路線バス 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 昨日は<br />関空に降り立ち<br />「大阪市立美術館」で開催中の<br />〈メトロポリタン美術館展〉を観て<br />道頓堀・なんば光旅と歩き<br />梅田から阪急電車で四条烏丸へダイレクトに。<br />そして<br />翌朝「インターゲートホテル京都」で<br />朝食をし早立ち♪( ´▽`)をしました。<br /><br />この旅ではSuicaが<br />随分と活躍してくれました。<br />なにしろ、関空から大阪経由で京都<br />京都市内全域。京都から姫路まで<br />全てOKでした。<br />便利になったぁ。と今更ながら(⌒▽⌒)<br />

    イチオシ

    地図を見る

    昨日は
    関空に降り立ち
    「大阪市立美術館」で開催中の
    〈メトロポリタン美術館展〉を観て
    道頓堀・なんば光旅と歩き
    梅田から阪急電車で四条烏丸へダイレクトに。
    そして
    翌朝「インターゲートホテル京都」で
    朝食をし早立ち♪( ´▽`)をしました。

    この旅ではSuicaが
    随分と活躍してくれました。
    なにしろ、関空から大阪経由で京都
    京都市内全域。京都から姫路まで
    全てOKでした。
    便利になったぁ。と今更ながら(⌒▽⌒)

    ホテルインターゲート京都四条新町 宿・ホテル

  • さて、翌朝<br />友人とラウンジ7時集合としました。<br />10分程前に行って野菜スムージーを<br />いただき朝食をしっかりと食べ(⌒▽⌒)<br />簡単な今日の行程打ち合わせ。<br /><br />ラウンジでは、時間帯によって<br />くつろぐことができるスタイルになっていました。<br />朝活 6:00~7:00 野菜・フルーツスムージー&amp;こだわりの珈琲<br />朝食 7:00~10:30 <br />コーヒータイム  10:30~21:00 <br />アフタヌーンサービス 15:00~21:00 お菓子&amp;ソフトドリンク<br />ハッピーアワー 17:00~19:00 ワイン(赤・白)、カクテル<br />ナイトタイム 21:00~23:00  ぶぶ漬け(お茶漬けのような)バイキング<br />

    さて、翌朝
    友人とラウンジ7時集合としました。
    10分程前に行って野菜スムージーを
    いただき朝食をしっかりと食べ(⌒▽⌒)
    簡単な今日の行程打ち合わせ。

    ラウンジでは、時間帯によって
    くつろぐことができるスタイルになっていました。
    朝活 6:00~7:00 野菜・フルーツスムージー&こだわりの珈琲
    朝食 7:00~10:30
    コーヒータイム  10:30~21:00
    アフタヌーンサービス 15:00~21:00 お菓子&ソフトドリンク
    ハッピーアワー 17:00~19:00 ワイン(赤・白)、カクテル
    ナイトタイム 21:00~23:00 ぶぶ漬け(お茶漬けのような)バイキング

  • ホテルから随心院へは<br />ホテルを7:50頃出発 四条烏丸(京阪バス)<br />83A行  小野駅(8:45着)<br />『随心院』の開門10分前くらいに<br />着きました。<br /><br />バス停のある「小野」は<br />随心院の歴史を紐解いてみたところ<br />古来、小野と呼ばれていたこの地は<br />「和名抄」の小野郷に相当し<br />小野氏の栄えたところで<br />この地方の大宅、和爾、宮道各氏と共に<br />勢力を持っていました。

    ホテルから随心院へは
    ホテルを7:50頃出発 四条烏丸(京阪バス)
    83A行  小野駅(8:45着)
    『随心院』の開門10分前くらいに
    着きました。

    バス停のある「小野」は
    随心院の歴史を紐解いてみたところ
    古来、小野と呼ばれていたこの地は
    「和名抄」の小野郷に相当し
    小野氏の栄えたところで
    この地方の大宅、和爾、宮道各氏と共に
    勢力を持っていました。

  • 随心院に近い奥まった広場に<br />出張販売の魚屋さんの車が<br />停まっていて、ご近所の方々が

    随心院に近い奥まった広場に
    出張販売の魚屋さんの車が
    停まっていて、ご近所の方々が

  • ブリ・サワラ等<br />生きのいい魚を買い求めていました。

    ブリ・サワラ等
    生きのいい魚を買い求めていました。

  • 随心院のあたり一帯<br />白壁が見事です。

    随心院のあたり一帯
    白壁が見事です。

  • 『随心院』<br />総門には「大随心院」の年季が感じられる<br />看板が掲げられてありました。

    『随心院』
    総門には「大随心院」の年季が感じられる
    看板が掲げられてありました。

  • 門をくぐり参道に入ると<br />そこはもうまさしく<br />『随心院』ワールド。<br /><br />拝観料 500円

    門をくぐり参道に入ると
    そこはもうまさしく
    『随心院』ワールド。

    拝観料 500円

  • 随心院の「九条藤」と「心」<br />の文字が刻まれた石燈籠がむかえてくれました。

    随心院の「九条藤」と「心」
    の文字が刻まれた石燈籠がむかえてくれました。

  • 石燈籠と石燈籠に挟まれるようにして<br />可愛らしいお地蔵さんが♪( ´▽`)

    石燈籠と石燈籠に挟まれるようにして
    可愛らしいお地蔵さんが♪( ´▽`)

  • 腰程の高さで<br />会釈する角度に<br />お地蔵さんが微笑んでいます。(⌒▽⌒)

    腰程の高さで
    会釈する角度に
    お地蔵さんが微笑んでいます。(⌒▽⌒)

  • 「薬医門」前で開門を待っていたところ<br />時間になると、作務衣を着た若いお坊さんが<br />「どうぞこちらから」と向かい入れてくださいました。

    「薬医門」前で開門を待っていたところ
    時間になると、作務衣を着た若いお坊さんが
    「どうぞこちらから」と向かい入れてくださいました。

  • 玄関先のお庭に小野小町の歌碑が<br /><br />「花の色は うつりにけりな<br />いたづらに わが身世にふる<br />ながめせしまに」<br /><br />現代語訳〈百人一首講座 #55〉<br />桜の花の色は、むなしく衰え色あせてしまった<br />春の長雨が降っている間に<br />ちょうど私の美貌が衰えたように<br />恋や世間のもろもろのことに<br />思い悩んでいるうちに<br />

    玄関先のお庭に小野小町の歌碑が

    「花の色は うつりにけりな
    いたづらに わが身世にふる
    ながめせしまに」

    現代語訳〈百人一首講座 #55〉
    桜の花の色は、むなしく衰え色あせてしまった
    春の長雨が降っている間に
    ちょうど私の美貌が衰えたように
    恋や世間のもろもろのことに
    思い悩んでいるうちに

  • 先ずは、玄関を入り<br />拝観受付をします。

    先ずは、玄関を入り
    拝観受付をします。

  • 「小野小町像」<br />これは<br />秋江彩美術織(あきえさいびじゅつおり)<br />京都の織物業者さんが<br />多重織の技法と色を創るという<br />色創成技術により、写真や絵画を<br />そのままのタッチで織物に表現したもの。<br /><br />『京都市ベンチャー購買新商品認定制度<br />平成23年度新商品一覧より』<br /><br />なのだそうで、日本の織物技術の高さと<br />美しさを見せてもらいました。(⌒▽⌒)<br /><br /><br />

    イチオシ

    「小野小町像」
    これは
    秋江彩美術織(あきえさいびじゅつおり)
    京都の織物業者さんが
    多重織の技法と色を創るという
    色創成技術により、写真や絵画を
    そのままのタッチで織物に表現したもの。

    『京都市ベンチャー購買新商品認定制度
    平成23年度新商品一覧より』

    なのだそうで、日本の織物技術の高さと
    美しさを見せてもらいました。(⌒▽⌒)


  • 近年、1973年(昭和48年)には<br />「はねず踊り」を、2003年には「ミス小町コンテスト」<br />2008年からは、「ライトアップ」<br />2009年(平成21年)には、若手アーティスト<br />「だるま商店」による「極彩色梅匂小町絵図」という<br />障壁画がインスタ映えで人気に。

    近年、1973年(昭和48年)には
    「はねず踊り」を、2003年には「ミス小町コンテスト」
    2008年からは、「ライトアップ」
    2009年(平成21年)には、若手アーティスト
    「だるま商店」による「極彩色梅匂小町絵図」という
    障壁画がインスタ映えで人気に。

  • 随心院(京都市山科区小野にある寺院)<br />随心院境内1966年(昭和41年)史跡名勝天然記念物・国指定史跡。<br />ほか、平安時代の古文書ほか数多くが重要文化財に指定されている。<br />

    随心院(京都市山科区小野にある寺院)
    随心院境内1966年(昭和41年)史跡名勝天然記念物・国指定史跡。
    ほか、平安時代の古文書ほか数多くが重要文化財に指定されている。

  • 杉戸もなかなか趣きがあります。

    杉戸もなかなか趣きがあります。

  • 御紋章から 宮中とも深いつながりがあり<br />このような駕籠も用いられていたと<br />推測されます。<br /><br />

    御紋章から 宮中とも深いつながりがあり
    このような駕籠も用いられていたと
    推測されます。

  • 茶釜(一口) 風炉(一基)<br />江戸時代<br />当時の随心院の門跡が<br />野点の際に使用した茶道具。<br /><br />茶釜と風炉共に<br />菊の御紋章があしらわれており<br />皇室との関係性が深いことが<br />みてとれる。<br />との説明が掲示してあります。<br /><br />※〈風炉〉ふろ<br />茶席で釜をかけ置き<br />湯を沸かすための夏季用の炉。<br /><br />5月から10月までを〈風炉〉の季節<br />11月から4月までを〈炉〉の季節となっている。<br />風炉と炉の違いは釜の懸け方、<br />すなわち湯をどのように沸かすかということで<br />風炉の季節には、風炉を据えて釜を懸け<br />炉の季節には、茶室に炉を切って釜が懸けられる。<br /><br /><br /><br />

    茶釜(一口) 風炉(一基)
    江戸時代
    当時の随心院の門跡が
    野点の際に使用した茶道具。

    茶釜と風炉共に
    菊の御紋章があしらわれており
    皇室との関係性が深いことが
    みてとれる。
    との説明が掲示してあります。

    ※〈風炉〉ふろ
    茶席で釜をかけ置き
    湯を沸かすための夏季用の炉。

    5月から10月までを〈風炉〉の季節
    11月から4月までを〈炉〉の季節となっている。
    風炉と炉の違いは釜の懸け方、
    すなわち湯をどのように沸かすかということで
    風炉の季節には、風炉を据えて釜を懸け
    炉の季節には、茶室に炉を切って釜が懸けられる。



  • ここから<br />『随心院』の歴史~創建と再興まで<br />を織り交ぜながら進みます。<br />近頃は、小野小町ゆかりの寺として知られるようになりましたが<br />真言宗小野流開祖の仁海(954年~1046年) が<br />開山・正歴2年(991年)に創建しました。

    ここから
    『随心院』の歴史~創建と再興まで
    を織り交ぜながら進みます。
    近頃は、小野小町ゆかりの寺として知られるようになりましたが
    真言宗小野流開祖の仁海(954年~1046年) が
    開山・正歴2年(991年)に創建しました。

  • 仁海は、神泉苑にて雨乞いの祈りを9回行いその度に雨を降らせたと<br />言い伝えられていて「雨僧正」と呼ばれていた。そうである。<br />(※その褒美なのかは定かではないが)<br />曼荼羅寺は、仁海が一条天皇から小野氏邸宅の隣を寺地とし下賜され<br />そこに開山・創建。 W◯◯◯dia参照

    仁海は、神泉苑にて雨乞いの祈りを9回行いその度に雨を降らせたと
    言い伝えられていて「雨僧正」と呼ばれていた。そうである。
    (※その褒美なのかは定かではないが)
    曼荼羅寺は、仁海が一条天皇から小野氏邸宅の隣を寺地とし下賜され
    そこに開山・創建。 W◯◯◯dia参照

  • この記載を読んで、はた?と疑問が沸きました。<br />〈開山〉の章では、山深い未開地との解説でしたから<br />小野氏邸宅の隣を開山しだとありましたが<br />小野氏邸宅の隣は未開地?とは。はてな?

    この記載を読んで、はた?と疑問が沸きました。
    〈開山〉の章では、山深い未開地との解説でしたから
    小野氏邸宅の隣を開山しだとありましたが
    小野氏邸宅の隣は未開地?とは。はてな?

  • 開山と創建の違いが今ひとつわからなかったので<br />小学館の「日本大百科全書(ニッポニカ)」<br />永井政之解説〈開山〉を見てみると<br />もとは、人跡未踏の山を開き寺を建てた僧をさした。<br />後に、山に限らず、新しく寺を創建した僧も開山とよぶ。<br />中略 また、一宗を開いた人(開祖)をよぶこともある。<br />そうか、漢字の通りだったのか。<br />そこで、バラバラに記載されていたところをまとめて<br /><br />真言宗小野流開祖の仁海(954年~1046年) が<br />開山・正歴2年(991年)に創建した。<br />とコメント欄に記載してみました。

    開山と創建の違いが今ひとつわからなかったので
    小学館の「日本大百科全書(ニッポニカ)」
    永井政之解説〈開山〉を見てみると
    もとは、人跡未踏の山を開き寺を建てた僧をさした。
    後に、山に限らず、新しく寺を創建した僧も開山とよぶ。
    中略 また、一宗を開いた人(開祖)をよぶこともある。
    そうか、漢字の通りだったのか。
    そこで、バラバラに記載されていたところをまとめて

    真言宗小野流開祖の仁海(954年~1046年) が
    開山・正歴2年(991年)に創建した。
    とコメント欄に記載してみました。

  • そもそも『随心院』は<br />牛皮山曼荼羅寺(ぎゅうひさんまんだらじ)の塔頭であった。<br />はて、塔頭? とうとうと読むのではでは無さそうですし<br />またまた立ち往生(;゜0゜)<br /><br />*塔頭(たっちゅう)~禅宗の寺院で、祖師や門徒高僧の死後<br />その弟子たちが師の徳を慕い、大寺・名刹に寄り添って建てた塔。<br />

    そもそも『随心院』は
    牛皮山曼荼羅寺(ぎゅうひさんまんだらじ)の塔頭であった。
    はて、塔頭? とうとうと読むのではでは無さそうですし
    またまた立ち往生(;゜0゜)

    *塔頭(たっちゅう)~禅宗の寺院で、祖師や門徒高僧の死後
    その弟子たちが師の徳を慕い、大寺・名刹に寄り添って建てた塔。

  • 伝承によれば、仁海は夢で亡き母が牛に生まれ変わって<br />いることを知りその牛を飼育したが程なくして死んでしまった。<br />それを悲しみその牛の皮に両界曼荼羅を描き<br />本尊としたことに因んで「牛皮山曼荼羅寺」と名づけたという。

    伝承によれば、仁海は夢で亡き母が牛に生まれ変わって
    いることを知りその牛を飼育したが程なくして死んでしまった。
    それを悲しみその牛の皮に両界曼荼羅を描き
    本尊としたことに因んで「牛皮山曼荼羅寺」と名づけたという。

  • 第五世住持の増俊の時代に曼荼羅寺の塔頭の一つとして<br />『随心院』が建てられ、続く第六世の時代には<br />順徳天皇、後堀河天皇、四条天皇の祈願所となっている。<br />第七世(1151年~1236年)になると<br />後堀河天皇の宣旨(せんじ)により<br />門跡寺院出身者が住持として入寺することとなった。<br />その後、一条家、二条家、九条家などの出身が<br />多く入寺している。<br /><br /><br /><br />

    第五世住持の増俊の時代に曼荼羅寺の塔頭の一つとして
    『随心院』が建てられ、続く第六世の時代には
    順徳天皇、後堀河天皇、四条天皇の祈願所となっている。
    第七世(1151年~1236年)になると
    後堀河天皇の宣旨(せんじ)により
    門跡寺院出身者が住持として入寺することとなった。
    その後、一条家、二条家、九条家などの出身が
    多く入寺している。



  • その後多くの伽藍が建造され、<br />山城国・播磨国・紀伊国などに<br />多くの寺領を有したが、承久の乱・応仁の乱により<br />ほとんど焼失してしまいました。<br /><br />時代の移り変わりの中で<br />次第に復興の声が高まり<br />安土桃山時代の1599年(慶長4年)<br />第24世住持の増孝(九条家出身)の時に<br />曼荼羅寺の故地に本堂が再興されました。<br /><br />※「門跡」(もんぜき)<br />皇族・公家が住職を務める寺院。<br />あるいはその住職で寺格の一つ。<br />元来は、日本の仏教の開祖の正式な後継者のことで<br />「門葉開流」の意であった。<br />鎌倉時代以降は位階の高い寺院そのもの<br />寺格を指すようになり<br />それらの寺院を門跡寺院と呼ぶようになった。<br /><br />※「寺格」(じかく)<br />寺院の宗教的地位<br />鎌倉政府(朝廷・幕府)から<br />認められた格式。

    その後多くの伽藍が建造され、
    山城国・播磨国・紀伊国などに
    多くの寺領を有したが、承久の乱・応仁の乱により
    ほとんど焼失してしまいました。

    時代の移り変わりの中で
    次第に復興の声が高まり
    安土桃山時代の1599年(慶長4年)
    第24世住持の増孝(九条家出身)の時に
    曼荼羅寺の故地に本堂が再興されました。

    ※「門跡」(もんぜき)
    皇族・公家が住職を務める寺院。
    あるいはその住職で寺格の一つ。
    元来は、日本の仏教の開祖の正式な後継者のことで
    「門葉開流」の意であった。
    鎌倉時代以降は位階の高い寺院そのもの
    寺格を指すようになり
    それらの寺院を門跡寺院と呼ぶようになった。

    ※「寺格」(じかく)
    寺院の宗教的地位
    鎌倉政府(朝廷・幕府)から
    認められた格式。

  • その後も<br />江戸時代中期の門跡<br />堯厳(1717年~1787年)は<br />関白九条輔実の子で<br />九条尚実と名乗り<br />関白・太政大臣の位に至る。<br />等<br />『随心院』は<br />時の天皇や皇族が庇護してきた<br />「門跡(もんぜ又はもんせき)」とされ<br />鎌倉時代以降 <br />位階の高い寺院そのものの寺格にあった。<br /><br />【画像】<br />坪庭~庫裏から表書院へ向かう途中にあるお庭。<br />

    その後も
    江戸時代中期の門跡
    堯厳(1717年~1787年)は
    関白九条輔実の子で
    九条尚実と名乗り
    関白・太政大臣の位に至る。

    『随心院』は
    時の天皇や皇族が庇護してきた
    「門跡(もんぜ又はもんせき)」とされ
    鎌倉時代以降 
    位階の高い寺院そのものの寺格にあった。

    【画像】
    坪庭~庫裏から表書院へ向かう途中にあるお庭。

  • 奥書院の北側お庭の向こうに<br />「小町堂」<br />まだ新しい建物のようです。

    奥書院の北側お庭の向こうに
    「小町堂」
    まだ新しい建物のようです。

  • 「表書院」「奥書院」と見事な<br />襖絵を拝観し<br />

    「表書院」「奥書院」と見事な
    襖絵を拝観し

  • ほとんどは、撮影禁止または<br />特別拝観日のみの公開となっているようです。<br /><br /><br /><br />

    ほとんどは、撮影禁止または
    特別拝観日のみの公開となっているようです。



  • 「極彩色梅匂小町絵図」<br />能の間に奉納された4面の襖絵

    イチオシ

    「極彩色梅匂小町絵図」
    能の間に奉納された4面の襖絵

  • 「能の間」<br />襖絵に近づいてみます。

    「能の間」
    襖絵に近づいてみます。

    随心院 寺・神社・教会

  • 小野小町の一生を描き、鮮やかな薄紅色を基調とした襖絵。<br />2009年(平成21年)絵描きユニット「だるま商店」が制作。<br /><br />あぁこれが映え人気の「極彩色梅匂小町絵図」かぁ。<br />やはり強いインパクトを放っていました。

    小野小町の一生を描き、鮮やかな薄紅色を基調とした襖絵。
    2009年(平成21年)絵描きユニット「だるま商店」が制作。

    あぁこれが映え人気の「極彩色梅匂小町絵図」かぁ。
    やはり強いインパクトを放っていました。

    随心院 寺・神社・教会

  • 4枚の襖絵には<br />小野小町の生涯ばかりではなく<br />数々の伝説の情景が、最新のCG技術により<br />繊細に描かれています。<br /><br />襖絵の既成概念を超えた<br />極彩色の中に<br />何と!<br />世界三大美女とされる<br />楊貴妃・クレオパトラも描き込まれている<br />とのこと。<br />自分もウォーリーを探せ! 状態になりました。<br />※「随心院」書記 小野さんの解説。<br /><br />

    イチオシ

    4枚の襖絵には
    小野小町の生涯ばかりではなく
    数々の伝説の情景が、最新のCG技術により
    繊細に描かれています。

    襖絵の既成概念を超えた
    極彩色の中に
    何と!
    世界三大美女とされる
    楊貴妃・クレオパトラも描き込まれている
    とのこと。
    自分もウォーリーを探せ! 状態になりました。
    ※「随心院」書記 小野さんの解説。

  • 設置した当初は<br />撮影は禁止でしたが<br />多くの人からの要望を取り入れ<br />撮影が解禁となりました。

    設置した当初は
    撮影は禁止でしたが
    多くの人からの要望を取り入れ
    撮影が解禁となりました。

  • 〈小野小町略縁起〉より<br />小野小町は、小野篁(たかむら)の孫にあたり<br />出羽(現在の山形県と秋田県)の国司を<br />務めた良家の娘であるとされています。<br />「日本人名辞典)には、<br />出羽の郡領小野良美の娘にして、<br />仁明の朝五節の舞姫として、宮中の後宮に仕え<br />容貌秀絶にして、一度笑めば百媚生じ<br />和歌は巧にして、女流第一の名手たり<br />と謳われています。<br /><br /><br /><br />

    〈小野小町略縁起〉より
    小野小町は、小野篁(たかむら)の孫にあたり
    出羽(現在の山形県と秋田県)の国司を
    務めた良家の娘であるとされています。
    「日本人名辞典)には、
    出羽の郡領小野良美の娘にして、
    仁明の朝五節の舞姫として、宮中の後宮に仕え
    容貌秀絶にして、一度笑めば百媚生じ
    和歌は巧にして、女流第一の名手たり
    と謳われています。



  • 小町の生涯は判然とはしませんが<br />弘仁六年(815年)の頃の生まれで<br />平安初期 仁明天皇が東宮にあられた<br />時より崩御されるまでお側に仕え<br />特に盛艶優美、詠歌の妙を得た小町は<br />東宮の寵幸を一身に受け即位されてからは<br />更衣として仕えられました。<br />850年 仁明天皇が41歳で崩御され<br />仁明の御代も終わり、年改まった852年<br />小町 30歳を過ぎた頃宮使いをやめて<br />小野の郷に引きこもり晩年を過ごしたと伝えられています。<br /><br />

    小町の生涯は判然とはしませんが
    弘仁六年(815年)の頃の生まれで
    平安初期 仁明天皇が東宮にあられた
    時より崩御されるまでお側に仕え
    特に盛艶優美、詠歌の妙を得た小町は
    東宮の寵幸を一身に受け即位されてからは
    更衣として仕えられました。
    850年 仁明天皇が41歳で崩御され
    仁明の御代も終わり、年改まった852年
    小町 30歳を過ぎた頃宮使いをやめて
    小野の郷に引きこもり晩年を過ごしたと伝えられています。

  • 「都名所図絵」には<br />この地に語り伝えられる最も有名なものは<br />深草少将 百夜通い(ももよがよい)の話しでありましょう。<br /><br />小町を慕って小野の里に、雨の夜も雪の夜も<br />通い続けたが99日目の夜、降る雪と発病により<br />最後の一夜を前に世を去った<br />深草少将の伝説でありましょう。<br />この時、小町は榧の実にて数を取り小野の里に播いた<br />と言われています。<br /><br />夢にしか逢えない人を思い多くの夢の歌を残し<br />後世六歌仙の第一人者と評されました。<br />百人一首の「花の色は・・・」は<br />哀愁に富み情熱的な歌は華やかな盛艶時代を想い<br />人生のはかなさを歌ったのは、あまりにも有名です。<br /><br />小町の生涯は最後まで判然としませんが<br />仁和寛平の頃、70歳を越して亡くなったと<br />伝えられています。<br /><br />

    「都名所図絵」には
    この地に語り伝えられる最も有名なものは
    深草少将 百夜通い(ももよがよい)の話しでありましょう。

    小町を慕って小野の里に、雨の夜も雪の夜も
    通い続けたが99日目の夜、降る雪と発病により
    最後の一夜を前に世を去った
    深草少将の伝説でありましょう。
    この時、小町は榧の実にて数を取り小野の里に播いた
    と言われています。

    夢にしか逢えない人を思い多くの夢の歌を残し
    後世六歌仙の第一人者と評されました。
    百人一首の「花の色は・・・」は
    哀愁に富み情熱的な歌は華やかな盛艶時代を想い
    人生のはかなさを歌ったのは、あまりにも有名です。

    小町の生涯は最後まで判然としませんが
    仁和寛平の頃、70歳を越して亡くなったと
    伝えられています。

  • 小野小町所縁の〈榧〉の木の実

    小野小町所縁の〈榧〉の木の実

  • 恋文の供養所

    恋文の供養所

  • 和歌<br /><br />苦手だったなぁ。古文・古語(;゜0゜)

    和歌

    苦手だったなぁ。古文・古語(;゜0゜)

  • これも、先程玄関でじっくりと観てきた<br />「小野小町像」と同じく<br />多重織の難しい高度な技術によって創られる<br />秋江彩美術織(あきえさいびじゅつおり)<br />なのでしょうか。<br /><br />それにしても、近年の『随心院』は<br />新しい時代の匠の技(テクノロジー)や<br />新感覚のイベント等を<br />次々に取り入れている姿勢は<br />目を見張るものがあります。<br /><br />1973年(昭和48年)には「はねず踊り」を、<br />2003年には「ミス小町コンテスト」<br />2008年からは、「ライトアップ」<br />2009年(平成21年)には、若手アーティスト<br />「だるま商店」による<br />「極彩色梅匂小町絵図」障壁画を。<br /><br /><br /><br /><br />

    これも、先程玄関でじっくりと観てきた
    「小野小町像」と同じく
    多重織の難しい高度な技術によって創られる
    秋江彩美術織(あきえさいびじゅつおり)
    なのでしょうか。

    それにしても、近年の『随心院』は
    新しい時代の匠の技(テクノロジー)や
    新感覚のイベント等を
    次々に取り入れている姿勢は
    目を見張るものがあります。

    1973年(昭和48年)には「はねず踊り」を、
    2003年には「ミス小町コンテスト」
    2008年からは、「ライトアップ」
    2009年(平成21年)には、若手アーティスト
    「だるま商店」による
    「極彩色梅匂小町絵図」障壁画を。




  • そう言えば、これもそんな<br />新しい試みの一つだと思います。<br />ただし、この後訪ねたお寺さんでも<br />見受けられましたので<br />『随心院』だけの試みではないようですが。<br /><br />「SOUND TRIP」というサウンドマシーンで<br />京都の寺社で流れる水の音や<br />鳥の鳴き声等自然音を収録し<br />Yoshi Hirikawa、Kyoka、コムアイ<br />ユーザン、horuka、nakamura<br />といったアーティストが参加して<br />創りあげたヒィーリングミュージック<br />が聴けるというもの。

    そう言えば、これもそんな
    新しい試みの一つだと思います。
    ただし、この後訪ねたお寺さんでも
    見受けられましたので
    『随心院』だけの試みではないようですが。

    「SOUND TRIP」というサウンドマシーンで
    京都の寺社で流れる水の音や
    鳥の鳴き声等自然音を収録し
    Yoshi Hirikawa、Kyoka、コムアイ
    ユーザン、horuka、nakamura
    といったアーティストが参加して
    創りあげたヒィーリングミュージック
    が聴けるというもの。

  • お屋敷の眺めの良い廊下の片隅に<br />ちょっとケバけばしい<br />(その場から浮いてしまっている(⌒-⌒; )<br />この様なものが設置されていました。<br /><br />この試みも良いと思うのです。<br />時間や季節でしか聴くことが出来ない音<br />が、このお庭の風景を眺めながら<br />聴くことができる。のですから<br />しかし、お寺さんのお屋敷のお庭の<br />凛とした風景の中<br />マシーン(機器)は小さいのだけれど<br />看板が、もう一つ工夫が欲しいなぁ。<br />と見るだけは見てきました。<br /><br /><br />

    お屋敷の眺めの良い廊下の片隅に
    ちょっとケバけばしい
    (その場から浮いてしまっている(⌒-⌒; )
    この様なものが設置されていました。

    この試みも良いと思うのです。
    時間や季節でしか聴くことが出来ない音
    が、このお庭の風景を眺めながら
    聴くことができる。のですから
    しかし、お寺さんのお屋敷のお庭の
    凛とした風景の中
    マシーン(機器)は小さいのだけれど
    看板が、もう一つ工夫が欲しいなぁ。
    と見るだけは見てきました。


  • と、言いますのは<br />私たちが訪れた時は<br />幸い貸切状態で<br />お屋敷の表書院から<br />能の間を抜けたお屋敷(境内)の<br />一番奥に佇む本堂の<br />長い廊下の縁側にしばし腰をおろし<br />お庭を眺める時間を持つことができました。<br />時おりそよ風が吹く以外は<br />静~かで厳かな空間に<br />数種類の野鳥の囀りが<br />遠くに近くに聞こえるのです。<br />なにより素晴らしい時間でした。

    と、言いますのは
    私たちが訪れた時は
    幸い貸切状態で
    お屋敷の表書院から
    能の間を抜けたお屋敷(境内)の
    一番奥に佇む本堂の
    長い廊下の縁側にしばし腰をおろし
    お庭を眺める時間を持つことができました。
    時おりそよ風が吹く以外は
    静~かで厳かな空間に
    数種類の野鳥の囀りが
    遠くに近くに聞こえるのです。
    なにより素晴らしい時間でした。

  • 入り組んだ建物の<br />中庭はそれぞれの趣きがあり<br />野鳥の囀りが響き渡っていました。

    入り組んだ建物の
    中庭はそれぞれの趣きがあり
    野鳥の囀りが響き渡っていました。

  • そろそろ失礼をいたします。<br /><br />長い廊下に差し込む陽射しが<br />綺麗でした。

    そろそろ失礼をいたします。

    長い廊下に差し込む陽射しが
    綺麗でした。

  • 薬医門から失礼をして<br />「小野梅園」に出てきました。<br /><br />この時間になっても人影はまばらで<br />凛とした空間感はなんとも言えません。

    薬医門から失礼をして
    「小野梅園」に出てきました。

    この時間になっても人影はまばらで
    凛とした空間感はなんとも言えません。

  • 『随心院』から『醍醐寺』を通って<br />地下鉄「醍醐」までゆっくりと歩いてみました。<br /><br />歩きながら<br />『随心院』で拝観してきた「極彩色梅匂小町絵図」に<br />ついて話しがおよびました。<br />どうも、友人と相方さんからは同じような<br />「あの歴史あるお屋敷(境内)にあの鮮やかさ<br />は、ちょっと馴染めなかった」<br />「でも、色彩の美しさや小野小町の生涯を襖絵<br />にした、発想は素晴らしいものがあったわ<br />一度見る価値はあると思うけどね。」<br />「私は、縁側に腰掛け野鳥の囀りを<br />聞けたのが残ったわ」とか感想を言ってました。<br /><br />自分は、「極彩色梅匂小町絵図」の襖絵に惹かれて<br />『随心院』を訪ねてみようと思って日程に加えた<br />のですが、期待にそぐわない見事な作品だと<br />感じました。たしかに、あのお屋敷の佇まいと<br />アンバランス感は否めませんが<br />豊かな発想と『随心院』の良さを<br />広く知ってもらうための<br />時代の生き残り作戦の一つとして。<br /><br />こうして、自分も襖絵に誘われて<br />やって来て(⌒-⌒; )みて<br />『随心院』の歴史や<br />書院造りの境内(お屋敷)の素晴らしさ<br />縁側で聞いた野鳥の囀りの心地良さ<br />「極彩色・・」以外にも見応えのある襖絵の数々<br />など 静かな空間で味わえたこと<br />やはり、「極彩色・・」のおかげと感謝。です。<br /><br />綺麗に剪定された寒椿<br />こんなに大きくなるのだぁ。と眺めながら(⌒▽⌒)

    『随心院』から『醍醐寺』を通って
    地下鉄「醍醐」までゆっくりと歩いてみました。

    歩きながら
    『随心院』で拝観してきた「極彩色梅匂小町絵図」に
    ついて話しがおよびました。
    どうも、友人と相方さんからは同じような
    「あの歴史あるお屋敷(境内)にあの鮮やかさ
    は、ちょっと馴染めなかった」
    「でも、色彩の美しさや小野小町の生涯を襖絵
    にした、発想は素晴らしいものがあったわ
    一度見る価値はあると思うけどね。」
    「私は、縁側に腰掛け野鳥の囀りを
    聞けたのが残ったわ」とか感想を言ってました。

    自分は、「極彩色梅匂小町絵図」の襖絵に惹かれて
    『随心院』を訪ねてみようと思って日程に加えた
    のですが、期待にそぐわない見事な作品だと
    感じました。たしかに、あのお屋敷の佇まいと
    アンバランス感は否めませんが
    豊かな発想と『随心院』の良さを
    広く知ってもらうための
    時代の生き残り作戦の一つとして。

    こうして、自分も襖絵に誘われて
    やって来て(⌒-⌒; )みて
    『随心院』の歴史や
    書院造りの境内(お屋敷)の素晴らしさ
    縁側で聞いた野鳥の囀りの心地良さ
    「極彩色・・」以外にも見応えのある襖絵の数々
    など 静かな空間で味わえたこと
    やはり、「極彩色・・」のおかげと感謝。です。

    綺麗に剪定された寒椿
    こんなに大きくなるのだぁ。と眺めながら(⌒▽⌒)

  • ほどなくして「醍醐寺」境内に着きました。

    ほどなくして「醍醐寺」境内に着きました。

  • 広~い境内で<br />ご近所にお住まいの方だろうか<br />シニアのご夫婦が散歩している姿を<br />何組も見受けられました。<br /><br />うらやましい♪( ´▽`) <br />気持ちの良い散歩コースですね。<br />お元気で♪<br />

    広~い境内で
    ご近所にお住まいの方だろうか
    シニアのご夫婦が散歩している姿を
    何組も見受けられました。

    うらやましい♪( ´▽`)
    気持ちの良い散歩コースですね。
    お元気で♪

  • 言わずと知れた豊臣秀吉が催した<br />醍醐の花見で知られる『醍醐寺』<br />友人も相方さんも随分前花見の時期に<br />訪れたと言うことでしたので<br /><br />「これを見たい!」と言って<br />意向を入れてもらい(⌒-⌒; )<br />一ヶ所だけ見てゆこうと思います。

    言わずと知れた豊臣秀吉が催した
    醍醐の花見で知られる『醍醐寺』
    友人も相方さんも随分前花見の時期に
    訪れたと言うことでしたので

    「これを見たい!」と言って
    意向を入れてもらい(⌒-⌒; )
    一ヶ所だけ見てゆこうと思います。

  • 自分も随分と前、桜の時期では<br />ありませんでしたが、醍醐寺の後<br />どこか(⌒-⌒; )で〈普茶料理〉を食べた<br />ことは微かな記憶として残っているのですが<br />『醍醐寺』のほとんどの風景が<br />記憶の彼方へ<br />

    自分も随分と前、桜の時期では
    ありませんでしたが、醍醐寺の後
    どこか(⌒-⌒; )で〈普茶料理〉を食べた
    ことは微かな記憶として残っているのですが
    『醍醐寺』のほとんどの風景が
    記憶の彼方へ

  • これ! が見たい。と思ったのが<br />国宝・三宝院〈唐門〉でした。<br /><br />醍醐の花見の翌年 慶長(1599年)に建てられました。<br />ということは、関ヶ原の合戦の前年だったのですね。<br /><br />

    これ! が見たい。と思ったのが
    国宝・三宝院〈唐門〉でした。

    醍醐の花見の翌年 慶長(1599年)に建てられました。
    ということは、関ヶ原の合戦の前年だったのですね。

  • 天皇の使いである勅使(ちょくし)だけが<br />通行を許される勅使門です。<br /><br />「下乗」<br />この場所で馬から降りて<br />礼を尽くしたことを示し<br />門を通って行きました。

    天皇の使いである勅使(ちょくし)だけが
    通行を許される勅使門です。

    「下乗」
    この場所で馬から降りて
    礼を尽くしたことを示し
    門を通って行きました。

  • 国宝・三宝院<br />〈唐門〉屋根に唐破風がついた四脚門<br />桃山時代を代表する木造建築で、建立当時<br />門全体が黒漆塗りで「菊」と「五七の桐」の4つ<br />(裏面にも4つ)の大きな透かし彫りの紋があり<br />紋には、金箔の豪華な彫刻装飾が施されている。<br /><br />2008年7月に落雷の被害を受け修復工事に着手。<br />2010年およそ1年半の解体工事を終えて<br />往時の姿が甦りました。<br /><br />

    イチオシ

    国宝・三宝院
    〈唐門〉屋根に唐破風がついた四脚門
    桃山時代を代表する木造建築で、建立当時
    門全体が黒漆塗りで「菊」と「五七の桐」の4つ
    (裏面にも4つ)の大きな透かし彫りの紋があり
    紋には、金箔の豪華な彫刻装飾が施されている。

    2008年7月に落雷の被害を受け修復工事に着手。
    2010年およそ1年半の解体工事を終えて
    往時の姿が甦りました。

  • 『醍醐寺』<br />遠い平安時代初期の貞観16年(874年)<br />空海の孫弟子 理源大師聖宝が笠取山頂上付近に<br />開山し「醍醐山」と名づけた。<br /><br />※醍醐とは、「大般涅槃経」など仏典に尊い<br />教えの比喩として登場する乳製品である。<br />とのことですが、仏典「大般涅槃経」は<br />どこかで知った名称までまわかりますが<br />さて、〈乳製品・チーズ〉?<br />ここを知るには<br />「大般涅槃経」を学ばなければ進めない<br />ようです。(⌒-⌒; )<br />

    『醍醐寺』
    遠い平安時代初期の貞観16年(874年)
    空海の孫弟子 理源大師聖宝が笠取山頂上付近に
    開山し「醍醐山」と名づけた。

    ※醍醐とは、「大般涅槃経」など仏典に尊い
    教えの比喩として登場する乳製品である。
    とのことですが、仏典「大般涅槃経」は
    どこかで知った名称までまわかりますが
    さて、〈乳製品・チーズ〉?
    ここを知るには
    「大般涅槃経」を学ばなければ進めない
    ようです。(⌒-⌒; )

    醍醐寺 寺・神社・教会

  • 醍醐天皇が自らの祈願寺とし<br />手厚い庇護を与え、その圧倒的な財力<br />によって栄華を誇っていた。<br />時代は流れて<br />室町時代の応仁の乱などで荒廃。<br />桃山時代になると豊臣秀吉によって<br />三宝院が再興、伽藍が復興され始め<br />慶長3年(1598年)〈醍醐の花見〉<br />が盛大に催された。<br />

    醍醐天皇が自らの祈願寺とし
    手厚い庇護を与え、その圧倒的な財力
    によって栄華を誇っていた。
    時代は流れて
    室町時代の応仁の乱などで荒廃。
    桃山時代になると豊臣秀吉によって
    三宝院が再興、伽藍が復興され始め
    慶長3年(1598年)〈醍醐の花見〉
    が盛大に催された。

    醍醐寺 寺・神社・教会

  • という訳で『醍醐寺』は<br />仁王門(西大門)を見て<br />今回は、割愛しました。(⌒-⌒; )<br /><br />「仁王門〈西大門〉」<br />慶長10年豊臣秀頼によって再建されました。<br />安置されている仁王像は<br />1134年(長承3年)に造立され<br />後に重要文化財に指定され現在に至っています。<br /><br />このまま門をくぐって<br />中もゆっくり歩きたいのですが<br />またの機会が訪れた時にはとしましょう。

    という訳で『醍醐寺』は
    仁王門(西大門)を見て
    今回は、割愛しました。(⌒-⌒; )

    「仁王門〈西大門〉」
    慶長10年豊臣秀頼によって再建されました。
    安置されている仁王像は
    1134年(長承3年)に造立され
    後に重要文化財に指定され現在に至っています。

    このまま門をくぐって
    中もゆっくり歩きたいのですが
    またの機会が訪れた時にはとしましょう。

  • 広い境内。<br />とにかく広~い境内。<br />

    広い境内。
    とにかく広~い境内。

  • 時折り、ご近所の方と思われる方が<br />散歩している以外は、人影もなく

    時折り、ご近所の方と思われる方が
    散歩している以外は、人影もなく

  • 「凛」とした佇まいが<br />大好きな京都の風景の中を歩いている<br />幸せ感に満たされたひと時でした。

    「凛」とした佇まいが
    大好きな京都の風景の中を歩いている
    幸せ感に満たされたひと時でした。

  • 醍醐寺から建仁寺・祇園を歩いて<br />ホテルに戻ってきました。<br />今回も ホテルのチョイスは<br />先ず、立地~徒歩5~6分で地下鉄・バス停があります。<br />静か・大浴場あり・朝食付き<br />でコスパが良い。と多くの注文を叶えてもらえました(^ー^)<br />

    醍醐寺から建仁寺・祇園を歩いて
    ホテルに戻ってきました。
    今回も ホテルのチョイスは
    先ず、立地~徒歩5~6分で地下鉄・バス停があります。
    静か・大浴場あり・朝食付き
    でコスパが良い。と多くの注文を叶えてもらえました(^ー^)

  • 部屋は<br />清潔に保たれていて<br />静か・この時期空気清浄機もあり<br />大浴場でゆったりとしたので、<br />部屋のバスタブは使いませんでしたが<br />バス・トイレ清潔感があり<br />快適な旅をサポートしてもらいました。(⌒▽⌒)

    部屋は
    清潔に保たれていて
    静か・この時期空気清浄機もあり
    大浴場でゆったりとしたので、
    部屋のバスタブは使いませんでしたが
    バス・トイレ清潔感があり
    快適な旅をサポートしてもらいました。(⌒▽⌒)

97いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

この旅行記へのコメント (2)

開く

閉じる

  • たらよろさん 2022/02/07 20:24:36
    これからは梅の季節ですね
    こんばんは、あの街からさん

    随心院☆
    個人的には、女子を前面に出している雰囲気が私は好きです。
    随心院といえば、梅の花と小野小町のイメージですよねー。
    華やかな屏風も美しいし、
    現代的なアートも可愛いな。
    京都は、意外と昔ながらの作品を置いているところと、
    実は現代風にアレンジされているところと両パターンある気がします。
    こんな雰囲気の裏で実はすごい歴史を持っていたりして、圧倒されるんですよねー。

    久しぶりに梅の花♪
    みに行こうかなー。

    たらよろ

    あの街から

    あの街からさん からの返信 2022/02/08 20:01:31
    RE: これからは梅の季節ですね
    こんばんは たらよろさん

    『随心院』せっかく訪ねたのだから
    もう少し知りたい。と調べたら
    いろいろ興味のある事が出てきました。
    次回の旅行記の前後に少し補充しょうと思っています。

    今年も〈梅〉の時季ですよね。
    たらよろさんの旅行記で見せてもらおうと
    思い♪( ´▽`)ます。
               あの街から

あの街からさんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

この旅行記の地図

拡大する

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP