2021/12/29 - 2021/12/31
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softail さん
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東北の旅2日目。
仙台から東北本線の普通列車と路線バスを乗り継ぎ平泉まで行ってみた。
あいにくの雪で車窓の風景も、真珠庵で観た襖絵(四季山水図)のようだ。
一ノ関駅からは路線バスで中尊寺まで。
平安時代に藤原清衡(ふじわら の きよひら)により大伽藍が造営された中尊寺。
前九年の役で敵将の嫡男で本来は処刑される運命にあった藤原清衡、母の再嫁で難をのがれ、後三年の役では血族の間で内紛が起こり、ただひとり生き残り奥羽を治めることとなった。
十二年間続いた戦乱で亡くなった犠牲者を平等に供養し、仏国土(平泉)を建設した藤原清衡、いい人のような気がする。
ポクポクポクポクと木魚の音とお経が心地良い。
ただ、初めて行くには季節を間違えたようだ。
※由緒、歴史、ふりがなは自分のための備忘録。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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天気良くないな、雪ならいいけど雨だと辛いな。
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仙台駅へ。
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6:00発のJR東北本線で一ノ関駅まで。
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新田駅を過ぎたあたりの車窓。
渡り鳥が飛んでるのが薄っすらと見える。 -
一ノ関駅到着。
路線バスへの乗り換えまでは30分あり、斑鳩の時のように乗り遅れることはなかった。 -
バスセンターで乗り場を確認。
窓口の女性、親切に教えてくれた。
ICカードは使用できないので両替もしてくれる。 -
10番乗り場からイオン前沢店行に乗車。
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中尊寺バス停で下車。
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参道方向へ。
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弁慶の墓?
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文治5年(1189年)衣川の戦いで立往生した弁慶の遺骸をここに葬り五輪塔を立てられたと伝わる。
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参道入口。
天台宗東北大本山 関山(かんざん) 中尊寺。
創建 (伝) 嘉祥3年(850年)、開山 (伝) 円仁(慈覚大師)。 -
月見坂を上る。
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八幡堂。
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天喜5年(1057年)鎮守府将軍 源頼義は陸奥国の土着で、有力豪族の安倍氏追討のため、この月見坂で前九年の役(ぜんくねんのえき)での戦勝を祈願した。
長い戦いを収め、勝利の記念に京都石清水から迎えたのが鎌倉八幡宮(鶴岡八幡宮)。 -
東物見。
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開けた眺望は前九年の役の舞台となった衣川古戦場、また弁慶立往生の地と伝えられている。
雪で眺望は開けてない、来る時期間違ったかな。 -
拝観受付はどこだろう。
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さらに月見坂を上る。
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塔頭 瑠璃光院。
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非公開のよう。
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本坊は帰りに寄ることにして、とりあえず拝観受付まで。
讃衡蔵の入口で拝観券を電子マネーで購入。
券売機の左側に順路①となっているが金色堂が先。 -
金色堂へ。
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金色堂(国宝建造物第1号)。
中尊寺創建当初の姿を今に伝える唯一の建造物、天治元年(1124年)の上棟。
堂の内外に金箔を押した「皆金色」の阿弥陀堂、須弥壇の中には、奥州藤原氏の初代清衡、左の壇に二代基衡、右の壇に三代秀衡の遺体と四代泰衡の首級が安置されている。 -
藤原清衡は長治2年(1105年)に中尊寺の中興(事実上の創建)に着手、多宝堂(最初院)を建立したのを皮切りに、多くの建造物群からなる大伽藍を造営した。
壮大な中世都市平泉の原型をつくり、奥州藤原氏4代100年の栄華の基礎を築いた。また宋 (王朝)からは一切経の輸入も行うなど、北方貿易にも着手した。
清衡は金色堂の落慶の翌年(大治3年)、73歳で没した。
遺骸の調査から史料の没年齢と矛盾はないとされている。 -
松尾芭蕉句碑。
「五月雨の 降残してや 光堂」、すべての物を朽ちさせる五月雨もここには降らずに残したのか光堂は今も光っているということらしい。
延享3年(1746年)、山目山笑庵連中 建碑。 -
ゆく年くる年かな?
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経蔵(重要文化財)。
国宝の一切経を納めていた建物、創建時(平安時代)の古材が使用され再建。
国内最古の保安3年(1122年)の棟札が伝えられる。
螺鈿(らでん)八角須弥壇(国宝)が置かれ、壇上には獅子に乗った文殊菩薩像と従者4体からなる文殊五尊像(重要文化財)を安置していた。現在は讃衡蔵へ移動。 -
朝のお勤めかな、木魚の音とお経が聞こえる。
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拝観順路は旧覆堂。
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しかし途中に関山天満宮。
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鎌倉時代、菅原道真の第十四世孫・五条為視が勅令により奥州平泉に下向の時、出生した乙王丸(後の中尊寺経蔵別当第十三世行栄)に、京都北野天満宮より勧請した天満大自在天神(没後の菅原道真を神格化した呼称)と観世音菩薩を祀った。
また平安時代、陸奥守の源頼清が、衣の関を守護し世の平安を祈願するため弓矢を奉納し天神地祇を祀り関の神社を造営した地でもある。 -
松尾芭蕉像。
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旧覆堂(重要文化財)。
正応元年(1288年)の棟札により鎌倉幕府によって建てられたと伝えられる5間4方の金色堂を風雨から守ってきた堂。
古い記録には鞘堂(さやどう)とも記されている。 -
近年の調査では、金色堂建立50年後ほどで簡素な覆屋根がかけられ、増改築を経て室町時代中期に現在の形となった。
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次は能舞台。
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途中に大長寿院。
「吾妻鏡(鎌倉時代に成立した歴史書)」によれば、二階大堂(大長寿院)の高さは五丈(約15m)、本尊は三丈(約9m)の金色の阿弥陀像、脇には丈六(約4.8m)の阿弥陀像九躰が安置されていたといわれている。 -
文治5年(1189年)、奥州征伐の折に二階大堂を見た源頼朝は、これを模した永福寺を鎌倉に建て、奥州藤原氏と源義経の霊を弔った。
現在の本堂は、文久3年(1863年)の再建。 -
釈迦堂。
享保4年(1719年)の再建で本尊は釈迦三尊。 -
能舞台へ。
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竹林と杉の参道。
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大長寿院からも来れたようだ。
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白山神社。
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嘉祥3年(850年)に中尊寺の開祖、慈覚大師円仁がこの地に加賀の白山を勧請し自ら十一面観音を作って白山大権現と号した。
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運慶作の聖観音と源義経の持仏の毘沙門天が安置されていたが嘉永2年(1849年)の火災で焼失。
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十二支一代守護神社。
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能楽堂(重要文化財)。
能舞台は嘉永六年(1853年)、伊達藩によって再建されたもの。
正統かつ本格的な規模と形式の能舞台。 -
現行の能舞は天正19年(1591年)関白豊臣秀次と伊達政宗が参拝したときに観覧して以来続行されている。
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能舞台と白山神社。
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白山神社からの眺望。
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弁財天堂。
本尊の弁財天十五童子は仙台第4代藩主伊達綱村公の正室仙姫によって宝永2年(1705年)に寄進されたもので、堂は享保元年(1716年)の建立。
堂内には千手観音菩薩二十八部衆も安置されている。 -
讃衡蔵(さんこうぞう)。
平安時代後期の作とされる丈六仏(じょうろくぶつ)が安置されている。
薬師如来(もとは閼伽堂の本尊)、阿弥陀如来(もとは本堂の本尊)、薬師如来(もとは峯薬師堂の本尊)、3体ともに桂材で、重要文化財。 -
阿弥陀堂。
正徳5年(1715年)の再建。
蔵王権現を合祀し、大黒天も安置されている。 -
旧鐘楼。
康永2年(1343年)、金色堂別当頼栄の発願により鋳造された盤渉調(ばんしきちょう)の梵鐘。 -
撞座は打鐘により窪み、この鐘が撞かれることはめったにない。
銘文には建武4年(1337年)、山内の堂塔が火災により焼失したことを刻している。 -
石畳の路地を歩いて行くと。
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真珠院、非公開のようだ。
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角を曲がると柿の木。
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大日堂。
享和2年(1802年)の再建。 -
不動堂。
昭和52年建立の祈祷堂。
本尊の不動明王は貞享元年(1684年)、仙台第4代藩主伊達綱村公により天下泰平を祈願し新調された。 -
峯薬師堂。
境内の別峯に建ってたが、度重なる野火にあい、元禄2年(1689年)に現在地に移築。
讃衡蔵に安置されている丈六の薬師如来(重要文化財)はもとはこの堂の本尊。 -
堂の向かって右に建つ石造の宝塔は12世紀のもので、重要文化財に指定されている。
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本坊へ。
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本坊表門。
本堂の正面に建つ薬医門。
伊達兵部宗勝の屋敷門を移築したものと伝えられている。 -
本堂も松と表門。
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本堂。
明治42年(1909年)の再建。
中尊寺は、建武4年 (1337年) の大きな火災で、金色堂を残してほぼ全焼してした。
江戸時代に仙台藩領内となり、伊達氏の庇護を受けて堂宇の補修・建立が行われた。
元禄2年(1689年)に「奥の細道」の旅をしていた松尾芭蕉が、中尊寺の荒廃ぶりを見て嘆いたのはよく知られている。 -
鐘楼。
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本坊庫裏。
昭和13年(1938年)建立。 -
中尊寺は承応3年(1654年)からは仙台・仙岳院が別当寺となった。
寛文5年(1665年)には江戸・寛永寺の末寺となり、昭和33年(1958年)には天台宗東北大本山の称号を許され天台宗総本山延暦寺より不滅の法灯を分火護持される。 -
茶室松寿庵。
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松下幸之助の浄財により起工。
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トイレ。
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裏門?
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願成就院観音堂。
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郵便ポストも平泉。
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薬師堂。
本尊の薬師如来、日光・月光菩薩と十二神将を安置。
和歌山県の熊野より飛来したと伝えられる熊野権現の御神体を並び祀っている。 -
地蔵堂。
明治20年(1877年)の再建.
本尊は地蔵菩薩。また隣に建つ祠には道祖神が祀られている。 -
隣に建つ祠には道祖神が祀られている。
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月見坂の分かれ道。
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西行歌碑。
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての日本の武士であり、僧侶、歌人。
中尊寺対岸にある束稲山(たばしねやま)は、かつて安倍頼時の時代に1万本の桜を植えたと伝えられる桜の名所だった。
西行は、その美しさに感動して、吉野山以外にもこれほど見事な桜の山があったのだという驚きを歌にしている。 -
遠藤梧逸(えんどう ごいつ)句碑。
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弁慶堂。
文政10年(1827年)の建立で、本尊は勝軍地蔵。
古くは愛宕堂と称していたが、義経・弁慶の木像を安置し、明治以降は弁慶堂と呼ばれる。 -
弁慶堂からの眺望。
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弁慶の顔はめ看板。
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ご参拝ありがとうございました。
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中尊寺って世界文化遺産だったんだ。
次は義経堂へ。
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