2021/12/29 - 2021/12/31
677位(同エリア3195件中)
softail さん
- softail さんTOP
- 旅行記99冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 46,525アクセス
- フォロワー33人
今回は東北三県の旅。
初日は宮城県に行ってみた。
仙台、もちろん初めて。
駅も街中も賑わっていた。
仙台駅からループバスで瑞鳳殿、仙台城跡、大崎八幡宮を巡り仙台駅まで戻ることにした。
伊達政宗、「花の慶次」のイメージ。
また、読みたくなり本棚を探したが捨ててしまったらしい。
瑞鳳寺にあった高尾門の駒札。
三代藩主伊達綱宗、在職二年での隠居。
側室椙原お品は高尾太夫とは別人のようだが、冠木門が「高尾門」と呼ばれていたり、高尾が贈ったと言われる句が書かれていたり。
正月休みも駒札の謎解きで終わってしまった。
※由緒、歴史は自分のための備忘録。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス ANAグループ JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
PCR検査センターできてた。
-
朝の空港。
この雰囲気が好きで早く来てしまう。 -
今回はコードシェア便のAirDOで仙台まで。
-
まだクリスマスツリー?
-
何処も開いてないのでフードコートから飛行機を見て。
-
そろそろチェックイン。
-
ラウンジに行くと日の出。
-
7番ゲートからHD100に搭乗。
-
搭乗機はB737(JA16AN)。
-
飛行機に乗る機会があまりないのでいつも窓側席。
-
樽前山と苫小牧港。
今回の飛行ルートは内陸上空なので逆光にならないF側を選択。 -
低気圧の影響で雲の上ばかりかと思ったら。
-
盛岡辺りから高度を下げていくので陸が近く見える。
富士山みたいに見える山は岩手山かな?
WiFiが繋がらないのでフライトレーダー使えない。 -
奥州市と奥州湖。
-
空港近くで海へ旋回、飛行場何処だろう。
大陸から風が来るんで西に向かって降りるのか。 -
4番ゲートに到着。
-
仙台空港アクセス線で仙台駅まで。
-
仙台駅より「るーぷる仙台」乗車。
-
瑞鳳殿前で下車。
-
また、年末に山登り。
-
花粉の時期には来れないだろう。
-
途中にあった墓所。
-
瑞鳳殿。
-
伊達家の墓所。
-
石尽き理の階段は藩政時代からもので、その数は、伊達家の禄高(62万石)を表したものと言われている。
この石段、歩数が合わなくて片足だけに負担がかかる。 -
スギばかりだと思っていたら杉参道と言うんだ。
-
明治維新の直後の廃仏毀釈に伴い、御廟の祭祀を仏式から神式に切り替えた際の手水所跡。
-
観覧入り口。
-
手水舎。
-
涅槃門。
旧国宝、仙台空襲で焼失。
焼失前と同様の豪華な飾り彫刻が施されている。 -
焼失前の涅槃門。
-
奉拝進 石灯籠。
-
寛永13年(1636年)伊達政宗が死去。
寛永14年(1637年)瑞鳳殿落成時に奉納された石灯籠。 -
拝殿。
焼失前の拝殿は正面扉を開けると渡廊下、唐門を通して瑞鳳殿内に安置された政宗の尊像に拝礼することができたとされる。 -
また、側面から回廊が伸び御供所とも繋がっていた。
-
正面扉上には江戸時代の名書家、佐々木文山書による扁額があった。
現在の拝殿は瑞鳳殿がよく見えるように簡略化されている。 -
焼失前の拝殿と扁額。
-
焼失前には拝殿と唐門を繋ぐ橋廊下があった。
現在は中庭的な空間になっている。 -
大香炉。
-
焼失前の瑞鳳殿屋根隅棟に据え付けられていた焼け残った阿吽の龍頭彫刻瓦。
-
唐門と瑞鳳殿。
-
唐門は天井に金箔が貼られていたことから「金唐門」と称されていた。
正面の虹梁の上下の空間には龍虎図と二十四孝説話の透彫りが挿入されていた。
現在の唐門は鋼板製の近代的な門。 -
政宗は、生前ホトトギスの初音を聞くために経ヶ峯に登り、同行した家臣に死後は当地に墓所を造るように命じた。
-
木造三間四方の建物は漆極彩色に仕上げられた桃山文化の遺風を伝える豪華絢爛な廟だった。
蟇股に瑞鳥、欄間に飛天、花頭窓には鳳凰、隅柱には獅子頭が彫刻されていた。 -
霊屋内部の須弥壇には政宗の尊像が安置されており壁や天井には仏画や鳳凰が描かれていた。
-
焼失前の瑞鳳殿。
-
主君が亡くなった時に、家臣がその後を追って自ら命を絶つという江戸時代初期まであった風習を殉死という。
正宗が亡くなった時に殉死した家臣15名と家臣に仕えた陪臣5名を供養するために建てられた宝篋印塔という形式の石塔。 -
寛永13年(1636年)鳳凰殿建立の際、地中より中世末期に葬られた湯殿山修験者満海上人の墓が現れた。
荒廃により失われた旧鳳凰殿の東側に建っていた供養碑を再建したもの。 -
資料館へ。
-
仙台の門松。
-
資料館がある場所には「御供所」と呼ばれるお供え物を準備する建物があった。
参拝の際の控え所にもなっていたと考えれれている。
御供所は政宗が晩年に住んでいた若林城の一部を移築したもの。 -
現在の資料館は御供所(竹楼)を模して造られている。
-
臥龍梅。
地面に伏臥する様態から「臥龍梅」と呼ばれている。
文禄の役で渡朝から政宗が持ち帰り植えさせた古城の臥龍梅(国指定天然記念物)から取木されたもの。 -
瑞鳳殿を出て。
-
観覧順序2へ。
-
戊辰戦争弔魂碑。
-
この杉林、植栽されたものだった。
樹齢300年以上の老杉も多く墓所を風雪から守る役目も果たしている。
空襲では焼けなかったのかな。 -
推定樹齢300年のコウヤマキ、北限地の仙台では珍しい大木。
-
感仙殿と善応殿へ。
-
ここも石段、脚が辛い。
-
この門、解説が無い。
-
感仙殿。
二代藩主、伊達忠宗の霊屋。
錬成された人格と法治主義により仙台藩の実質的基礎を確立した。 -
万治元年(1658年)仙台城で没し、霊屋感仙殿は三代藩主綱宗の命により造営に着手、6年後の寛文4年(1664年)に四代綱村の時代の竣工。
霊屋の左右には家臣12名、陪臣4名の殉死者を供養する宝篋印塔がある。 -
焼失前の感仙殿。
-
善応殿。
三代藩主、伊達綱宗の霊屋。
19歳で家督を継いだが、酒色に溺れて藩政を顧みない暗愚な藩主とされている。
幕命により万治3年(1660年)、不作法の儀により21歳で隠居させられた。 -
正徳元年(1711年)品川屋敷で没し、仙台に送られた。
善応殿は享保元年(1716年)、五代吉村の時代に竣工。 -
焼失前の善応殿。
-
殉死禁止令から48年経過した正徳元年(1711年)、14名の家臣が藩主の許しを得て剃髪し百日間、亡君の菩提を弔った。
殉死に替わる擬殉という。 -
震災で倒れたのかな。
-
妙雲界廟楼。
前に高野山奥の院でお墓の写真を撮って良くないことが続いたので撮影は止めておこう。 -
感仙殿より出土した板碑。
墓室の蓋や周囲の土留めとして利用されていた。 -
感仙殿を出て。
-
西討戦歿の碑。
-
瑞鳳寺。
山門、東京白金の伊達屋敷の門を模したもの。 -
臨済宗妙心寺派 正宗山 瑞鳳寺。
寛永14年(1637年)「瑞鳳殿」が造営された際に香華院として創建された。
開山 清岳、開基 伊達忠宗。 -
本堂。
-
本尊は平泉の毛越寺より遷した釈迦三尊像(釈迦如来、文殊、普賢菩薩)。
-
鐘楼。
-
本堂前の梵鐘。
-
寛永14年(1637年)二代藩主忠宗が願主となり鋳造された。
-
高尾門。
三代藩主伊達綱宗の側室「椙原お品」邸にあった冠木門 を移築。 -
紋所は綱宗手作りの伊達家十種紋の一つ雪薄紋。
-
綱宗とお品について。
-
高尾門を入るとお堂。
-
花塚。
-
駒札がある、何だろう。
-
焼失前の瑞鳳殿下り棟、龍頭の化粧瓦。
阿形。 -
寛永14年(1637年)作。
吽形。 -
下馬石 。
寛文3年(1663年) 二代藩主伊達忠宗の七回忌に、四代藩主伊達綱村が建立したもの。 -
瑞鳳寺を出て穴蔵神社へ。
杉の御神木かな。 -
穴蔵神社。
-
万治年間(1658年~1661年)現在地より西側広瀬川の崖上「鈴ノ沢」の洞窟へ青葉城へ向けて建てられ「穴蔵稲荷大明神」と称された。また、西向きだったため「夕日明神」とも言われていた。
-
天保6年(1835年)広瀬川の洪水により社殿が流出したため下流の現在地に遷座した。
祭神は伊達家が古くから信仰していた宇迦之御魂神。 -
穴蔵神社からの眺め。
-
仙台大観音が見える。
-
下を流れている川が「広瀬川」だった。
次は仙台城跡へ。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
softail さんの関連旅行記
仙台(宮城) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
96