2017/10/13 - 2017/10/15
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この旅行記のスケジュール
2017/10/14
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全国の観光地では、その場所を訪れた記念として証明書を発行している場所が多数あります。
そんな証明書のコレクターである自分は、全国を回っていろいろな証明書を集めてきましたが、更なる証明書を求めてリサーチしたところ、長野県がヒットしました!
長野県には日本アルプスの山々がある事から『日本で一番高い場所にある○○』という証明書がいくつかあります。
そんな証明書をゲットしながら、群馬県に立ち寄りまだ行った事がない定番の観光スポットや世界遺産を巡り、一度行ってみたかったホテルにも宿泊しました。
2017年の旅行なので記憶が曖昧な点があったり、金額が現行と違うところがあると思います。
また、写真の写りもあまり良くはありませんが、そこは大目にみてください。
という事で、日本一の場所に行ってみましょう!!
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
10月14日 土曜日、旅行2日目。
おはようございます。
本日も天気はあまり良くありませんが、雨は降っていません。
朝食はホテルでバイキングをたらふくいただき、1日のエネルギーをチャージです。
こちらは昨晩お世話になった『舌切雀のお宿』ホテル磯部ガーデンの外観。
かなり立派なホテルですね。
昨晩はゆっくりと寛がせていただきました。
お世話になりました。磯部温泉 舌切雀のお宿 ホテル磯部ガーデン 宿・ホテル
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出発前にホテルの敷地内にある『舌切雀神社』にて出発祈願です。
こちらは商売繁盛、家内安全等色々なご利益があるそうです。
それでは、旅の安全を祈願して、行ってきまーす! -
ホテルから車で約15分、本日の最初の目的地はこちらです。
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世界遺産、富岡製糸場です。
富岡製糸場 名所・史跡
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世界遺産検定を持っている自分としては、是非とも来たかった場所です。
見学料金は1,000円也。 -
富岡製糸場は、明治5年(1872年)に本格的な器械製糸工場として群馬県富岡市に造られました。
フランスの蒸気機関や繰糸器などの技術を導入して設立された官営模範工場で、器械製糸工場としては当時世界最大級の規模を誇っていました。
明治26年(1893年)に民間の三井家に払い下げられ、昭和62年(1987年)に操業を停止するまで、第二次世界大戦中も含め一貫して製糸工場として機能していました。 -
富岡製糸場には、繰糸所を始めとする木骨レンガ造りの建造物が現在まで良好な状態で残っています。
2005年に敷地全体が国の史跡の指定を、さらに2006年には初期の主要建造物(建築物7棟、貯水槽1基、排水溝1所)が重要文化財の指定を受けました。 -
そして2014年6月に『富岡製糸場と絹産業遺産群』として、日本としては18番目の世界遺産に登録されました。
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また、世界遺産に登録されたのと同じ2014年には、繰糸場、西置繭所、東置繭所の3棟が群馬県初の国宝に指定されました。
富岡製糸場って、社会の授業で何となく習った覚えがあるけど、そんなすごい所だなんて知りませんでした。 -
それでは、そんな歴史ある富岡製糸場を見学しましょう。
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まず出迎えてくれたのは、富岡製糸場のマスコットキャラクター『お富ちゃん』です。
ここで働いていた工女さんをモチーフにしています。
ちなみに、お富ちゃんは富岡製糸場創業140年の2012年に誕生した、永遠の14歳の女の子だそうです。 -
せっかく訪れたので、ガイドツアーに参加していろいろ勉強したいと思います。
ガイドツアーは、ボランティアガイドの方が分かりやすく説明しながら約40分で主要な建物を巡ります。
参加料金は200円で、当日申し込みが可能です。
午前は9時30分、10時30分、11時30分の3回、午後は13時、14時、15時の3回と一日6回あります。 -
自分は10時30分の回に申し込みましたが、世界遺産の登録を受けただけあってガイドツアーの申し込みも多く、10時30分のツアーだけでも4グループに分かれての見学になりました。
それでは、富岡製糸場ツアーに出発です! -
まずは『東置繭所』です。
国宝に指定されており、主に繭を貯蔵していた建物です。
1階は事務所・作業場などとして使い、2階に乾燥させた繭を貯蔵していました。
長さが約104mある巨大な倉庫で、最大で約32tの繭を貯蔵する事が出来るそうです。
窓が多く取り付けられており、天気の良い日は窓を開けて繭を乾燥させたそうです。
現在、1階部分は製糸場の歴史や仕組みが分かるギャラリーやショップになっています。 -
建物の煉瓦の積み方は、長い面と短い面を交互に並べる積み方をしています。
この積み方を『フランス積み』と言います。
製糸技術と一緒に、建築技術もフランスから伝わってきたんですね。
また、煉瓦にはどこの窯で焼いたか分かる印が残されているそうです。
と、ガイドさんが丁寧に説明してくれます。
こういった事を知れるのは、ガイドツアーに参加した特権ですね。 -
こちらは東置繭所の入り口のアーチの中央にある石で『キーストーン』と言われています。
富岡製糸場が造られた『明治五年』という文字が刻まれています。 -
東置繭所の隣にあるこの建物は『繰糸場』です。
こちらも国宝に指定されています。
繭から生糸を取る作業が行われていた建物です。
長さが約140mある巨大な工場で、創設当初はフランスから導入した金属製の繰糸器が300釜設置され、300人の工女が一度に作業出来る世界最大規模の工場でした。
全国から募集された女性達がここで器械製糸の技術を学び、後に地元の工場で指導者となる事で、器械製糸技術の普及と日本の近代産業の発展に大きく貢献しました。
こちらは中に入る事が出来ます。 -
繰糸場内は当時日本になかった『トラス構造』になっており、建物の中央に柱がない広々とした空間を作り出し、大きな機械を置ける様になっています。
中央の通路の両脇にはズラリと機械が並んでいます。 -
この機械は『ニッサンHR型自動繰糸機』と言います。
昭和39年に開発された繰糸機で、煮た繭から目的の太さの生糸を繰糸する全工程を自動化した機械です。
それにより人が行う作業が格段に減り、大幅に省人化されました。
長さは32mあり、1セット480本の糸を巻き取る事が出来ます。
繰糸場内にはこの繰糸機が10セット設置されています。 -
こちらが自動繰糸機の概要図です。
難しい言葉がたくさん使われていて素人の自分には分かりませんが、良く考えられていますね。 -
ガイドさんがパネルを使って、当時の作業を分かりやすく説明してくれます。
-
いろいろな機械がありますね。
こちらは『緒糸巻取枠』。
『緒糸(ちょし)』とは繭から糸口を取り出す過程で出る繭くずの事を言い、その緒糸を巻き取って絹紡糸の原料として再利用していたそうです。
富岡製糸場では、昔からちょっとした繭くずでもムダにしない『もったいない精神』があったんですね。
ご立派です。 -
中央の丸いお釜みたいな物は『上下抄緒』。
『抄緒(しょうちょ)』とは、1本の正しい糸口になるまで糸をすぐる事を言います。
上下振動する部分に糸を通し、正しい糸口以外の繭をふるい落とす機械です。
手前のチェーンソーみたいな物は『網状抄緒』。
正しい糸口を見つける機械です。
繭から1本の糸口を見つけるのは大変な作業ですからね。
いろんなアイデアで、作業を少しでも楽にしようと考えられていますね。 -
これはラインの状態を見える化した掲示板です。
今の工場でも電子化されていますが、似た様な物はありますね。 -
繰糸場の一番奥まで来ました。
ここでUターンです。
それにしても、混み合ってますね。
ガイドさんがどの人だったのか分からなくなりそうです。 -
繰糸場から出てきました。
繰糸場の隣にある建物は『ブリュナ館』です。
指導者として雇われたフランス人 ポール・ブリュナが契約満了までの間、家族と暮らしていた住宅です。
コロニアル様式の造りとなっており、高床式で廻廊風のベランダ、窓にはよろい戸を付けた風通しの良い作りとなっており、当時の日本建築には見られない特徴です。
ブリュナが去った後は工女の寄宿舎や教育・娯楽の場として利用されました。
ポール・ブリュナは、元々横浜の商館で生糸の検査人をしていましたが、蚕糸業に関する知識を見込まれ、富岡製糸場設立時に指導者として明治政府に雇用されました。
フランスから製糸場に必要な技術者の雇い入れや、洋式の器械を日本人の体格に合う様に改良したものを注文して取り寄せる等もしました。 -
ブリュナ館の裏には工女の寄宿舎があります。
木造2階建てで長さ55mある建物が2棟並んでおり、左側が『妙義寮』、右側が『浅間寮』です。
1室15畳の部屋が1棟に16部屋あり、計32部屋あります。
300人からいる工女達がここで生活してたとなると、結構窮屈ですね。 -
繰糸場まで戻って来ました。
繰糸場の正面にあるこちらは当時の診療所です。
室中には8~10畳の大きさの病室が5室あります。
官営時代はフランス人医師が治療に当たっており、治療費や薬代は工場側が負担していたそうです。
富岡製糸場では、当時から厚生面が充実していたんですね。 -
診療所の隣にあるこちらは『女工館』です。
日本人工女達に器械製糸の糸取の技術を教えるために雇われたフランス人女性教師の住居です。
ブリュナ館同様コロニアル様式のおしゃれな造りとなっています。
後に改修され食堂や会議室として使用されました。 -
女工館の隣は『検査人館』です。
生糸の検査を担当したフランス人男性技術者の住居です。
こちらもコロニアル様式の造りとなっています。
後に改修され現在は事務所として使用されています。
2階には皇族や明治政府の役人が訪れた際に使用された『貴賓室』が当時のまま残されています。
という事で、ここでガイドツアーは終了です。
なかなか為になるツアーで面白かったです。
ガイドさん、ありがとうございました。
まだ見ていない場所もあるので、ここからは自由行動です。 -
では、東置繭所のギャラリーに入ってみましょう。
入場は無料です。
ここでは多くの解説パネルをはじめ、模型や映像などを用いて富岡製糸場の歴史や生糸の製造について学ぶ事が出来ます。 -
これは本物のお蚕さんかな?
あまり可愛い物ではないですね。 -
こちらはお蚕さんから取れる繭玉です。
一つの繭玉からは約1,000mの生糸が取れるそうです。 -
いろいろな絹が並んでいます。
お値段も相当するんでしょうね。 -
こちらは江戸時代末期に群馬で発明された繭から生糸を取る『上州座繰器』です。
左側の鍋でお湯を沸かして繭を煮て繭から糸を引き出し、座繰のハンドルを回して糸をよりながら右側の糸枠に巻き取ります。
午後1時から座繰りの実演もされます。 -
『座繰器』はこんな感じで使われます。
天ぷらを揚げてるみたいですね。 -
こちらはフランス式の繰糸器です。
大勢の工女さんが一気に作業が出来ます。 -
こんな感じです。
座繰器より格段に効率は良いですが、おでんの屋台みたいですね。 -
こちらは『揚返器』です。
小枠に巻き取った生糸を、大枠に巻き返す器械です。
生糸の作り方についていろいろ学んだところで、続いては2階に行ってみましょう。 -
2階は広々とした繭倉庫です。
建物は木材で骨組みを造り、壁を煉瓦で仕上げる『木骨煉瓦造り』です。
木骨煉瓦造りは湿気が入りにくく、室温も変化しづらいという特徴があり、繭の保存に適しています。 -
また、天井は繰糸場と同じく『トラス構造』が用いられた丈夫な造りとなっています。
-
東置繭所から出てきました。
東置繭所と西置繭所の間に『乾燥場』があります。
原料の繭を高温で熱して乾燥させ、繭の中のさなぎを殺して蛾の発生とカビを防ぐ処置をし、長期保存出来る状態にする工程を行っていた建物です。
こちらは昭和14年(1939年)に建てられた4代目の煙突で、高さ37.5m、直径は2.5mの鉄筋コンクリート製です。
初代の物は鉄の筒を高さ36mまで積み上げたものだったそうです。 -
こちらは『ブリュナエンジン』です。
富岡製糸場の設立の際に導入された蒸気エンジンを復元した物です。
明治5年の創業当初から電気モーターになる大正9年までの約50年の間、繭から糸を繰る『繰糸器』と、繰った糸を巻き返す『揚返器』の枠を回転させる動力として使われていました。
全長は3.8m、重さは2.7tで、17.5馬力あり、外形や運転能力は、オリジナルのものとほぼ同じに復元されています。
この復元機は、土・日・祝日の10:30~14:30に、実際にエンジンが動く様子を見学する事が出来ます。 -
こちらは『西置繭所』です。
東置繭所と同様に国宝に指定された建物で、2階は繭の貯蔵庫として使用していました。
構造や大きさは東置繭所とほぼ同じです。
この時は改修工事中でしたが、2020年に工事が完了し、1階部分にはガラス張りの多目的ホールとギャラリーが誕生しました。 -
世界遺産、富岡製糸場をかなり満喫出来ました。
ありがとう、お富ちゃん。
では、そろそろお昼になるので、昼食をいただきましょう。 -
という事で、富岡製糸場の近くにあるお店で昼食です。
群馬名物『ひもかわうどん』をいただきます。 -
テレビで見た事はありますが、本当に極太ですね。
付け汁も出汁がきいており、もちもちしてかなり美味。
ごちそうさまでした。 -
ひもかわうどんだけでは量的に自分の胃袋が満足していないので、さらなる群馬名物をいただきます。
群馬名物の定番といったらやっぱりコレ!
荻野屋の『峠の釜めし』です。 -
という事で、荻野屋 横川店に来ました。
峠の釜めしと言えば、信越本線の横川駅で売られている日本有数の知名度を誇る人気駅弁ですね。峠の釜めし本舗 おぎのや 横川店 グルメ・レストラン
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高崎駅と軽井沢駅という大きな駅に挟まれた山間の駅であった横川駅は、利用客も少なく、荻野屋の経営状況は芳しいものではありませんでした。
当時、荻野屋の3代目の社長が若くして急逝し、その妻である髙見澤みねじが昭和28年(1953年)に4代目社長に就任すると、現状を打破するために『お客様に本当に喜ばれる特色のある駅弁』の開発を決意しました。
みねじは自ら毎日駅のホームに立ち、乗客一人ひとりに『どんな弁当が好みか』を聞いて回り、その結果『温かくて、家庭的なぬくもりがあり、見た目も楽しい弁当』を望んでいるという答えにたどりつきました。 -
当時は冷えた幕の内弁当が駅弁の常識だった時代、試行錯誤を繰り返した結果、昭和32年(1957年)に当時の駅弁の常識を覆した温かい駅弁『峠の釜めし』が誕生しました。
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そんな峠の釜めしですが、自分はまだ食べた事がないので楽しみです。
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こちらではいろいろなお土産も売られていますが、峠の釜めし以外のメニューは『碓氷峠の力餅』だけです。
力餅は、中山道の要衝として知られていた碓氷峠を往来する人々に、峠の茶屋でふるまわれていたと言われ、1,200年もの歴史があると言われています。 -
さあ、峠の釜めしが来ましたよ!
それでは、いただきましょう!
別容器で香の物が付いて1,100円也。 -
益子焼の器の中で炊いたご飯は、醤油味の出汁で炊かれています。
その上に味が染み込んだ鶏肉、しいたけ、タケノコ、ささがきゴボウ、ウズラの卵、紅生姜、グリーンピース、栗、杏の9種類のおかずが乗っています。
ちなみに、この益子焼の器は持ち帰る事も出来ます。
自分は旅の続きがあるので返却してきました。
さすがに知名度もあるだけあって、味も当然美味!
ごちそうさまでした。 -
って、何この斬新な顔出しパネル!
うずらの卵から顔出して写真撮りたい人っている!? -
続いてやって来たのは、長野県の定番観光スポット、軽井沢です。
軽井沢は長野県の北東部に位置し、標高約900~1,000mの場所にある日本を代表する高原リゾートです。
江戸時代は中山道の宿場町、明治時代は外国人向けの避暑地や別荘地となっていた歴史があり、今ではアウトレットも出来て、東京から北陸新幹線で約1時間30分とアクセスも良く、人気の高い観光地です。旧軽井沢銀座 市場・商店街
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避暑地としての軽井沢の始まりは、明治19年(1886年)英国公使館付の宣教師 アレキサンダー・クロフト・ショー氏が軽井沢を訪れた際、その美しい自然と気候に感嘆し、家族や友人にそのすばらしさを推奨しました。
そしてショー氏が民家を借りて過したのが最初と言われています。
さらに明治21年(1888年)大塚山に別荘を建て、友人である宣教師や外交官に紹介した事で、年を追って宣教師や外交官などが別荘を建てる様になりました。 -
軽井沢といえば、旧軽井沢銀座です。
天気は良くありませんが、人は結構いますね。
それでは、銀ブラしましょう。 -
おっ!?
トリックアートがあります。
こちらは旧軽井沢森ノ美術館です。
入館料は1,500円也。
自分はトリックアート好きですが、今回は時間の都合で泣く泣く諦めます。
それにしても、街中に美術館があるなんて、やっぱり軽井沢っておしゃれな街ですね!旧軽井沢森ノ美術館 美術館・博物館
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高原リゾートのソフトクリームって、なんか美味しそうですよね。
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こちらは混んでますねー。
特に下調べをしないで来たので分かりませんが、人気店の様です。 -
人が増えて来ました。
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こちらは軽井沢幼稚園です。
幼稚園もおしゃれ過ぎですね。 -
ハチミツも美味しそうです。
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高原ジャムも美味しそう。
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こちらは『ハチヒゲおじさんの店』です。
はちひげおじさんの店 萩原養蜂園 軽井沢中央店 専門店
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あっ、何かテレビで見た事あるかも?
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それにしても、ジャム店やハチミツ店が多いですね。
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こちらは軽井沢彫のお店です。
軽井沢に外国人の別荘が多くなるにつれて、別荘用の家具の需要も急増しました。
当時の外国人達は木彫り細工の装飾が施された家具を好んだ為、その頃日本で最も華麗な木彫り細工の1つであった日光彫りの職人達が軽井沢に呼ばれ、外国人の別荘向けに家具を製作しました。
それが軽井沢彫の始まりとなりました。
当時の職人達は西洋家具の形式に日本古来の技法を融合させた、独特の家具を造り出しました。
現在もその技法は軽井沢彫りとして、長野県伝統工芸品の指定を受けています。 -
こちらは軽井沢観光会館です。
洋風の外観でおしゃれですね。 -
こちらは写真館。
こちらは和風な外観です。 -
こちらはベーカリーです。
外国人の別荘地だった事もあり、軽井沢には100年以上前から外国人文化が根付いており、当時はまだ日本に馴染みの薄かったパンも作られていました。
その為、現在でもいたるところに老舗のパン屋が点在します。
それに合わせてジャム店やハチミツ店も多くなりました。 -
こちらは珈琲店です。
やっぱりパンと言えばコーヒーはセットですね。 -
旧軽井沢銀座の一番奥まで来ました
一番奥にあるのはつるや旅館です。
立派な店構えですねー。
つるや旅館は、江戸時代初期に中山道の宿場町 軽井沢宿の休泊茶屋『旅籠鶴屋』として開業しました。
明治時代になり、外国人宣教師達の軽井沢への往来が始まると、つるやは旅館業を始めました。
日本風の建物のまま西洋風の雰囲気を取り入れた当時のつるや旅館は、宣教師関係の宿泊客が多かったですが、大正時代になり日本人の別荘が建てられる様になると、多くの文人墨客が訪れる様になり、島崎藤村や芥川龍之介といった文士達のたまり場となったそうです。軽井沢つるや旅館 宿・ホテル
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創業約400年、落ち着いた雰囲気の旅館です。
一度はこういった旅館に泊まってみたいですね。 -
つるや旅館に軽井沢高原ビールの看板があります。
自分はアルコールは飲みませんが、『高原』って言葉が付くだけで、何でも美味しそうに感じますね。 -
では、一通り旧軽井沢銀座を見たので、そろそろ駐車場に戻ります。
自分は初めて軽井沢に来ましたが、『軽井沢』と言うだけで、全てがおしゃれに見えたり、高級そうに感じてしまいますね。
結局『軽井沢』の空気にのまれてしまい、何も買わず、何も食べずに終わりとなってしまいました。
でも、高原リゾートの空気を感じる事が出来たので、良しとしましょう。 -
続いては、軽井沢の定番観光スポット、鬼押出し園に来ました。
鬼押出し園 公園・植物園
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鬼押出し園は、2016年9月に鎌原観音堂、旧草軽電鉄北軽井沢駅舎、鹿沢温泉、新鹿沢温泉等と共に『浅間山北麓ジオパーク』として日本初のジオパークに認定されました。
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鬼押出し園は、天明3年(1783年)に起きた浅間山の噴火で流れ出た膨大な量の溶岩が風化して形成された奇勝です。
『浅間山の火口で鬼が暴れて岩を押し出した』という当時の人々の噴火の印象から『鬼押出し』と名前が付けられました。 -
園内は6.8k㎡あり、溶岩の間を縫う様に散策ルートが設けられています。
ルートによってだいたいの所要時間がありますが、閉園時間間際なので一番短い30分コースを回りたいと思います。 -
入口前にお土産売り場やレストランが入った展望台があります。
すでに営業は終わっていますが、展望台に登ってまずは鬼押出し園を一望します。
園内にはもうほとんど観光客はいません。 -
では、入園しましょう。
入園料は650円也。
受付では鬼押出し園の名前の通り、鬼が歓迎してくれます。 -
順路はしっかり表参道から回りたいと思います。
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今日は終日天気が良くなかったので、浅間山はもやって見えないですが、浅間山の噴火によってこの鬼押出し園は出来ました。
今はまだ噴火しないでね。 -
こちらは惣門です。
両脇には二天尊像が立っています。
ここから先が、観光エリアです。
では、行ってみましょう。 -
惣門をくぐったこちらは表参道です。
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すごい迫力!
溶岩が背丈よりも高く積み上がっています。
まるで岩が迫って来る様です。 -
荒々しい男性的な景色が一面に広がっています。
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園内のあちこちに可愛らしい小さな鬼の像が置かれています。
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岩の隙間から植物が生えています。
鬼押出し園では、しゃくなげやツツジ等、季節の植物も楽しむ事が出来ます。 -
岩山と植物が見事に調和しています。
こんな景色はなかなか見る事が出来ません。
絶景ですね。 -
もやも相まって、まるで水墨画みたいな景色です。
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見ていて飽きない景色です。
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こちらは水盤舎です。
神社でいうところの手水舎です。
ここで手を洗って清めます。 -
東京上野の東叡山寛永寺の別院である浅間山観音堂です。
こちらは浅間山の噴火による犠牲者を弔う目的で昭和33年(1958年)に建立されました。 -
ワンちゃんの給水所があります。
観光地に行くと人間には自販機がありますが、ペットにはこういった物はないですからね。
鬼押出し園はペットにも優しい観光地です。 -
岩山越しに入り口の展望台が見えます。
だいぶ遠くまで来ましたね。 -
岩の中に建つ浅間山観音堂。
天気が良ければバックに浅間山が広がりますが、残念ながらこの日は見えませんでした。 -
岩と木が織り成す絶景が続きます。
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この岩の隙間にはヒカリゴケが自生しています。
ヒカリゴケは、冷涼な地域の洞窟や岩陰などの暗く湿った場所に自生します。
日本では、中部地方以北で見る事が出来ます。
ヒカリゴケは実は自力では発光出来ず、原糸体のレンズ状細胞が光を反射する事で光ります。
また、レンズ状細胞には葉緑体が多量にある為、反射光がエメラルド色になるそうです。 -
こちらは石割りの松です。
樹齢は100年を越えるそうです。
溶岩の上でも力強く生きています。
植物の生命力はすごいですね。 -
さて、30分コースを1時間近くかけて回ってきました。
それぐらい鬼押出し園は自分にとって印象的な絶景でした。
もう閉園時間です。
この後、白糸の滝に行く予定でしたが、薄暗くなってきたのでそろそろホテルに向かいます。 -
という事で、軽井沢から山道を1時間ほど車を走らせ、群馬県との県境まで来ました。
本日の宿に到着です。 -
今晩お世話になるのは渋峠ホテルです。
県境の宿 渋峠ホテル 宿・ホテル
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このホテルは標高2,172m、渋峠の長野県と群馬県の県境の上に建つ珍しいホテルです。
テレビでも何度か紹介されていますね。
以前から気になっていて、一度来てみたいと思っていたホテルです。
ちなみに県境上に建つホテルはこのホテルの他に、杖立温泉の肥前屋旅館が熊本県と大分県の県境にあるそうです。 -
なので、同じホテル内にあるにも関わらず、喫茶室は群馬県、食堂は長野県にあります。
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到着が遅れたので、部屋に荷物を置いてまずは夕食です。
長野県側にある食堂で夕食をいただきます。
県境上にあるという事にスポットが当たりやすいホテルですが、料理も豪華です。
味、ボリューム共に大満足でした。
ごちそうさまでした。 -
満腹になったところで、ホテル内をちょっと散策してみましょう。
こちらは群馬県側にある喫茶室です。
山小屋風で良い雰囲気ですね。 -
立派な置時計もあります。
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暖炉もあります。
まだ10月ですが、暖炉に火が点いています。
標高が高いので、この時は本当に暖炉が必要なぐらい寒かったです。 -
志賀高原の観光PRキャラクター、オコジョの『おこみん』です。
オコジョがイマイチピンと来ないけど、イタチ科の動物です。 -
このホテルは標高が高いだけあって、ペットボトルも1本200円と割高です。
周りにコンビニもないので、ここに宿泊すると飲み物はこの自販機に頼りっきりになってしまいます。
自分も何だかんだで、チェックアウトまでにこの自販機で3本買いました。 -
ホテルから歩いてすぐの所に『日本国道最高地点』があります。
ホテルのフロントで『日本国道最高地点到達証明書』が1枚100円で販売されていま -
明日行く予定なので、先に購入しちゃいます。
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この証明書はデザインが5種類あるので、当然全て購入です。
コレクションを一気に大量ゲットです! -
さて、そろそろお風呂に入りましょう。
お風呂は群馬県側にあります。
今晩は寒いので、お風呂にゆっくり浸かって体の芯まで温まります。 -
温まったところで、部屋に戻ります。
この廊下の途中が、群馬県と長野県の県境になっています。 -
今晩お世話になる部屋は長野県側にある部屋です。
一人旅にしては広すぎるぐらいの落ち着いた和室ですね。 -
今日は群馬県の世界遺産 富岡製糸場から始まり、軽井沢、鬼押出し園と長野県の定番観光スポットを巡ってきました。
そして、ひもかわうどんと峠の釜めしといった群馬県の定番グルメもいただき、かなり定番を満喫しました。
定番定番と言いながら、全て初めて行く場所だったんですけどね・・・
やっぱり定番だけあって、どこも見応えがあり満足出来ました。
どちらかというと、今まで定番のスポットは避けてきたんですが、定番はしっかりおさえておかないとダメだなぁと改めて感じた1日でした。
明日は県境から長野県側に下り、世界的に有名な観光スポットに行った後、自宅に帰ります。
という事で、今日はここまで。
ではでは、おやすみなさい。
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