2021/12/23 - 2021/12/23
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たびたびさん
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大崎上島は、大崎上島、大崎下島という名前からして、大崎下島とセットのようなイメージ。以前、大崎下島の御手洗地区を拝見し、機会があれば今度は大崎上島の方も行ってみたいなと思っていましたが、なかなかそのチャンスが巡ってこない。つまり、本土からのアクセスを考えると二つの島はまったく別物。大崎下島は呉から上蒲刈島、下蒲刈島を経由、いくつかの橋を渡って行くのですが、大崎上島は橋がないので、竹原港から垂水港または白水港に船で渡るしかない。それに、船で着いたとしても、南北約8㎞・東西約9㎞としっかり大きな島なので、渡ってからの交通手段も考えないとどうにもならない。こうしたハードルの高さもあって、これまでなかなか行動に移せていなかったんですね。
と、そんなところに広島版のGo to トラベル、広島じゃ割で「きのえ温泉ホテル清風館と竹原散歩の旅」というのがあるのを発見。これなら手軽に大崎上島を観光できるよう。さっそく申し込んだというわけです。
ツアーはホテルのランチと天然温泉がセールスポイントだったんですが、そこにホテルのレンタサイクルを利用して、木江地区の観光も加えてみました。この木江というのは、北前船も寄港し、潮待ち・風待ちの港町として賑わったという歴史がある地区。かつての旅館の建物ですが、三階建や五階建もあるという木造建築が残るちょっと渋い街並み。一歩間違うと廃墟にもなりかねない姿でしたが、なんとかまあまあかな。それに、木江ふれあい郷土資料館が意外な収穫。大崎上島の造船業がしっかり歴史のあるものだということを知り、新たな視点が加わりました。
ちなみに、藩政時代、下関から大阪に至る瀬戸内海航路の主要な港は、朝鮮通信使やオランダ商館長も辿ったという上関、家室、蒲刈(または御手洗)、鞆ノ浦、牛窓、室津、兵庫といったところ。これらは藩の番所が置かれる公的な性格もあった港です。そして、それらを補完する周辺の港はけっこういくつもあって、芸予諸島の辺りでは、倉橋島の鹿老渡やこの大崎上島の木江も大いに賑わったということ。脇街道なんかと同じように例えば参勤交代の一行を避ける場合もあったでしょうし、小さな船なら、むしろこうした港の方が使い勝手はよかったかもしれませんね。それに、想像してみればあちこちに小さな港があることは安全安心。瀬戸内海航路の大きな利点の一つだったような気もします。
なお、大崎上島の後は、少し竹原の街を散策。少し曖昧なままにしていた場所もあったので、その辺りを整理してみました。以上、そんなこんなをちょこちょこプラスして、それなりの一日になったかなと思います。
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広島駅をバスで出発して、ほどなく竹原港へ到着。ここから船で大崎上島に渡ります。
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竹原港のターミナルの中には、売店があって、それがこのたけはら海の駅 売店。
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待合室にちょっと併設されているようなものではなくて、お菓子類やちりめんじゃこ、蒲鉾・天ぷらなどの練り製品にみかんの類まで。けっこう豊富にそろっていて、なかなか使えるお店です。
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竹原港から大崎上島の垂水港まで、山陽商船。
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大型トラックなんかも乗り込んで
やっぱりフェリーは島の生命線ですよね。 -
では、出港。
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所要時間は20分の予定ですから、まあ、あっという間ですよね。
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竹原港から大崎上島へは、垂水港のほか白水港もあって、そっちだと所要時間は30分。
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帰りはそっちのルートだそうです。少し遠いですけど、まあ大差はないでしょう。
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天気もいいし、海は穏やか。船は滑るように進みます。
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もう垂水港です。初大崎上島。
ただ、ターミナルとかめぼしい建物は見えません。桟橋だけのような感じです。 -
垂水港には、ホテル清風館の迎えのバスが来ていて、そのままホテルへ。15分くらいで到着です。
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イチオシ
高台にあるので、玄関前からは海を見下ろすこんな眺め。
さっき通ってきた道で、海沿いの集落が木江地区です。 -
玄関を入ってこれがロビー。
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ロビーを抜けるとこちらも高台のスペース。
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瀬戸内海の景色が広がります。
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イチオシ
では、さっそくランチです。
ランチの目玉はアワビの踊り焼きなんですが、それに限らず、どの料理も上品な味付けでいやみがない。なるほどこれは一流ホテルの味わいでしょう。 -
最後のデザートもいただいて、ごちそうさまでした。
ツアーなんか利用したのは何年振りか分かりませんけど、こんなのもたまには気楽でいいかもしれませんね。 -
あとは、温泉に入って時間いっぱいゆっくりというのがツアーなんですが、まあそれだけではちょっとね。
ここから、ホテルで自転車を借りて木江を訪ねることにします。温泉は帰ってきてからでも大丈夫でしょう。
では、出発。 -
イチオシ
まずは、高台に建つホテル清風館のほとんど敷地の内と言っていいような場所に建つ中ノ鼻灯台。明治27年に設置された白亜の小型灯台です。
説明によると明治になってから瀬戸内海航路の船が急増しますが、潮の早い来島海峡を避け、三原瀬戸を通る船が多かったよう。その航路に九つの灯台が設置され、この灯台もそのうちのひとつだったとか。今でも現役の灯台です。 -
ホテル清風館を木江に向かって少し下った場所には、木江ふれあい郷土資料館。
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目の前は瀬戸内海。
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ホテル清風館が高台に建っていて、目と鼻の先です。
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イチオシ
汽船を象った建物はちょっとした遊び心でしょうし、なんちゃって資料館のようなことなのかなと思いましたが、
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いやいや、内容はかなりしっかりしたもの。造船と海運の歴史を持つ大崎上島のあれこれがかなりきちんと整理されていますよ~
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説明によれば、瀬戸内海の造船は、奈良時代から文献でも記述が見られ、
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遣唐使船、小安宅船、北前船なども
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先般、倉橋島の桂浜に行った時は、遣唐使船は百済船とも言われ、倉橋島に住み着いた百済からの渡来人が造船技術を持っていたという話もありましたが、まあ、倉橋島も大崎上島もこの辺り一帯は芸予諸島。同じようなことかなと思います。
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映画「東京家族」のコーナー。木江がロケ地となったことを伝えています。
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造船の歴史は今でもしっかり引き継がれているよう。展示されている船の装備品や
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造船に使われた工具類などもけっこう迫力がありました。
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ほか、船の浸水を防ぐ槙肌産業の紹介や
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瀬戸内の写真家村上宏治の写真展もなかなかいい。
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その美しさにはちょっと心が動きました。
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中ノ鼻灯台の他の灯台も。
きめ細かな瀬戸内海航路の整備の実態が分かりますね。 -
鶴姫伝説というのは、大三島にある大山祇神社の大宮司の娘。大三島に侵攻した周防の大内氏の軍勢に対して立ち向かったという伝説です。
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真偽のほどは分かりませんが、瀬戸内海は村上水軍、河野水軍といった水軍の地元。地元の英雄のひとりということでしょう。
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イチオシ
資料館を終えて、改めて木江へ。
ところで、大崎上島にはこうして今も造船所があちこちに。資料館を拝見するとこの風景もまた見方が変わってくるような気がしますね。 -
その先には、こんな変わった造形物。造船技術を駆使して制作されたアート作品「天の鳥船(あまのとりふね)」
高さ18m、幅4.5mの巨大な鉄のモニュメントで、ゲージツ家、クマさんこと篠原勝之氏の作品だそうです。 -
木江が近づいてきて
これは、木江港交流倶楽部かもめ館。 -
町内外の住民が交流することによって人的活性化を図るために造られた施設だそうですから、観光施設ではなくて、公民館のような役割なのかな。
ただ、いずれにしても、竜宮城をイメージしてデザインしたという奇抜な建物。最上階からは神峰山登山道に通じる連絡橋も架かります。 -
中に入ると係のおじさんがいて、
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まあ、こういうものを作ろうとする気風そのものが木江の歴史や文化を象徴しているのかもしれません。
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二階の大広間とかも快く見せてくれました。
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さて、木江の町並みに到着。海岸通りから一本入った通りです。
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町並みは、かつて潮待ち、風待ちの港として賑わった木江港の隆盛を伝えるもの。
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かつての旅館でしょうか。
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木造三階建ての建物が今でもいくつか残っていて、
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あんまり見たことがない景色。
鞆の浦や御手洗の町並みなんかとは全然違いますね。 -
ただ、現役ではないですが
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もう一歩で廃墟になりそうなところを
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なんとか持ちこたえている感じ。
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イチオシ
火事にもならずに
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こうして残っているのはやはりとっても貴重なことだと思います。
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距離にすると1キロあるかないかくらいかな。
限られたエリアなんですけどね。 -
海岸の方に出ると
これが今の港。 -
小さな待合所もあって、ここからは大崎下島の方に渡れるようです。
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傍らには松野自得先生の句碑。
前橋市の寺の住職だった人ですが、何度も来島して句の指導をしていたんだそうです。 -
そろそろ時間が気になります。
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今度は海岸の通りを使って帰りましょう。
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電動自転車なので、助かります。
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ホテルに帰って
温泉は、こっちですね。 -
さてさて。。
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イチオシ
これがホテル自慢の露天風呂。そこまでの規模ではないですが、やっぱりこの開放感はさすがですね。
海岸端なので塩けはありますが、ご覧のとおり無色透明のきれいな天然温泉。真っ青な海が見渡せて、絵にかいたような絶景です。
時間までゆっくりして、帰りは白水港まで。 -
垂水港はターミナル施設はほとんどありませんでしたが、
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白水港にはターミナルの中にみかんの類とか地元の産品を扱う売店があって、これがけっこう人気のよう。それなりに楽しめます。
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で、私は少し時間があったので、すぐ近くの岡本醤油醸造場へ。
こちらは、昔ながらの天然醸造にこだわる大崎上島の老舗醤油屋さん。お店を兼ねた加工場は、白水港から歩いて数分の場所にあるんです。 -
忙しく作業をしている女将さんがいらっしゃって、今はあいにくコロナで加工場の見学はやってないんですよ~。
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しかし、まあなんとなく雰囲気は感じられました。
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イチオシ
ここから竹原港へ向かいますが、こんどのフェリーは大崎汽船。別に大きな違いはないのですが、大崎汽船のフェリーはモスグリーン。青い海では目立たないような気がしなくもないですが、それなりに映えていて印象に残りました。
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では、白水港を出発。
やっぱり来てみないとわからない。それなりにいろんなことがありました。 -
竹原港について、そのまま竹原の街を散策します。
村上ベーカリーは、道の駅たけはらからたけはら町並み保存地区に向かう途中。このエリアでは今注目のパン屋さんです。 -
休みがけっこう不定期でそこがちょっと難点なんですよね。
今日は開いていて、無事にねじりパンをいただきました。それなりに期待していましたが、どうでしょうね。ドーナツの感じがあるかなと少しそんな気もしましたが、やっぱりこれはソフトなパン生地。まあまあ、普通の範囲かなというところです。 -
イチオシ
日の丸写真館は、そこから少し進んだところ。
本川沿いに通りに建つ三階建ての濃い茶色の木造建築は昭和7年頃に建築されたようですが、洋館風なところも匂います。現在は営業はしておらず、外観を拝見するだけ。国登録有形文化財に登録されていて、この辺りではランドマーク的な存在です。 -
川沿いから今度は市街中心部に入って行きまして。
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亀田邸は重伝建の一角ですが、メインストリートからすると本川の方に一本入った筋。
黒い漆喰の壁に、格子戸で前面が覆われていて、重厚な構え。森川邸の茶室も手掛けた小堀遠州流の茶人、不二庵の設計ということですが、いずれにしても外観を拝見するのみ。重厚な雰囲気だけが印象に残ります。 -
そのままメインストリートの方に出ます。
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これがメインストリートです。
ところで、広島県内には重伝建の街並みが4か所ありまして、宮島、御手洗、鞆の浦とこの竹原。ただ、私の印象で言うと竹原の町並みが一番重厚感があって、往時の繁栄が偲ばれるような気がします。歴史的には毛利元就の三男、小早川隆景が養子となって入った竹原小早川家の根拠地。江戸時代に入ると塩田経営の成功から始まって、酒造業や廻船、問屋業等で財を成した商家が現れた結果なのですが、ただ、竹原が特別なのかというと必ずしもそうではないのかも。木江を見てきた直後だからかもしれませんが、藩政時代の広島にはむしろこうした豊かな街があちこちにあったのに時代の変遷で消えていった街が多いという、そんなことかもしれないなとも思いました。 -
メインストリート沿いに建つ上吉井邸(初代郵便局跡)もそんな重厚な印象を与える建物の一つですよね。西方寺の方に入って行く角のところにあって。。
書状集箱と書かれた黒塗りの箱は当時の郵便ポストを再現したもので、今でも現役のもののよう。郵便局は、明治7年から60年間この場所にあったということです。 -
そして、その向かいが旧吉井家住宅。
北前船の船乗りたちが宿泊した記録も残されている竹原一の塩問屋の邸宅。ちなみに、竹原は芸予エリアでは製塩業の草分け的存在。また、北前船の交易品の中で、塩は主力商品の一つ。そういう面でも、北前船にかかる日本遺産に認定を受けた際の構成文化財の一つとなったのは納得感のあるところですね。 -
建物は元禄3年(1690年)頃の築。黒い漆喰壁とか重厚さが際立っていて、広島藩主も竹原を訪れた際は立ち寄っていたということです。いわゆる御用商人だった商家でしょう。内部の拝観はできませんが、外観を拝見するだけでも普通ではない雰囲気を感じます。
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さらに進んで、
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歴史民俗資料館の方へ。
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その敷地内にあるマッサンとリタの像です。
NHKの朝ドラ「マッサン」で、この夫婦、すっかり有名になりましたよね。竹鶴酒造からニッカウヰスキーの創業までのことは知られていたとしても、この朝ドラがなければリタさんの方はあまり知られていなかったと思います。 -
今日は天気がいいので、添乗員さんが是非とお勧めだったのが西方寺。市街を見下ろす高台に建つお寺。元々この場所には小早川隆景が建てた妙法寺という寺があったのですが、火災で焼失。地蔵堂の隣りにあった西方寺が移ってきたということです。
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石段を上がって
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本堂を過ぎて
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さらに上がって行ったところが名物の西方寺普明閣。
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久方ぶりの訪問ですけど、この感じはやっぱりいいですよね~
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イチオシ
京都の清水寺を模して建てられたもので、宝暦8年(1758年)の築。規模はまったく比べ物にならないかわいらしい建物ですが、逆に古さもさほど感じない。面白い建物だと思います。
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竹原の市街もきれいに見えました。
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西方寺を出て
今度の長生寺は、地蔵堂の奥に行ったところ。こちらは伊予水軍ゆかりの寺。
天正15年(1587年)、秀吉の四国攻めの中で、小早川氏に降伏し竹原にいた伊予水軍最後の当主、河野通直。その河野通直が病没したのを悼み、小早川隆景が建立した寺です。石段を登った先の楼門が立派。 -
山門を出て正面が本堂で
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その左手山の斜面一帯が共同墓地。
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本堂のすぐ左手に唐崎常陸之介の墓というのがあって
これは、江戸時代中期に活躍した勤皇家。幕府の圧力を受け同志の高山彦九郎が久留米で自殺すると、自らも世をはかなんで長生寺境内の先祖の墓前で切腹し、60才で亡くなります。
立派な石柱があって、それなりに処遇されていますが、勤王家を厚く処遇し始めたのは明治期に入ってからであり、ちょっとしたブームのようなもの。その辺りは少し割り引いていいのではないかと思います。 -
河野通直の墓は、共同墓地の少し高いところ。
河野水軍で知られる河野氏の最後の当主。 -
豊臣秀吉の四国攻めが始まり、湯築城に篭城しますが、結局は小早川隆景に降伏。命は助けられますが、隆景の本拠地である竹原で最後は病死しています。ただ、通直の母は隆景の姪という関係でもあったようですから、まあ身内ではありますね。
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道の駅たけはらに戻ってきて、時間まで。場所が便利なので、観光バスなんかだとここに来てから竹原観光というのが定番みたいですね。
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売り場はけっこう広さがあって、ミカン類や野菜とかの産直コーナーもそれなり。休憩スペースも悠々です。
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おみやげを物色して、これはフレシュール。竹原駅近くの洋菓子屋さんなんですが、こちらにも少し商品があって、レモンサブレをいただきました。サブレの表面にはレモン風味のシュガーのコーティング。そして、レモンのピールかな。香り付けのために忍ばせてあるんですが、ちょっと固すぎかなあ。それが気になってあんまりよくない印象。ちょっと邪魔になっていると思います。
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もう一つの末広堂も竹原駅の近くのお菓子屋さん。レモンケーキがあって、それにしてみました。レモンケーキは広島のあちこちで見かける定番のお菓子なんですが、ここのレモンケーキも正統派ですね。レモンの香りはあんまり感じませんが、クリームのコーティングとふんわりケーキのバランスはちゃんとしていて、これならOK。悪くないと思います。
さて、あとは広島駅に帰るだけですね。 -
広島駅に戻って、晩飯もいただきましょう。
ヘイワ食堂は本通りの電停からすぐ近くの鯉城通り沿い。 -
定食のお店なんですが、夜はおしゃれな飲み屋さんといった雰囲気も。
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ポークステーキ定食をいただきました。ステーキのソースが酸味も含んでキリリとした味。それだけでも人気の理由が分かりますね。ただ、肉の質はどうかな。この値段だけに仕方ない面はあるけど、そこはちょっと限界もあるかなという感じです。
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まだ元気があるので、もう一軒。京橋川オープンカフェという川沿いの気持ちの良いエリアのお店、カフェレガロです。
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食後のデザートで、リンゴのクレープをいただきました。いやいや、これは大正解。生クリームのおいしさは爽やかだし、クレープの生地もしっかりした味わい。クレープの専門店だと食べ歩きができるように包んでしまうので、やっぱり限界があるのかな。ここのクレープは本格的。
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雰囲気も当然いいし、観光客にはぜひお勧めのお店です。
さて、これで今日も無事に終了。お疲れ様でした。
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