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昨年12月に新宿にあるSOMPO美術館へ出かけた。「川瀬巴水 旅と郷愁の風景」展が開催されていて、大いに興味を覚えたので、見に行くことにした。今回初めて川瀬巴水のまとまった作品を見ることが出来て、版画の持つすばらしさと巴水特有のノスタルジーというものに久しぶり感興を覚えた。<br /><br />川瀬巴水(1883 / 明治16~1957 / 昭和32)は大正・昭和期に活躍した版画家であるが、日本全国を旅して、四季折々の風景を抒情的に描いた彼の作品群は従来の版画とは一線を異にしている。そんなところが興味を覚えた所以であろうか。<br /><br />彼の作品には現代の日本ではもう見ることが出来ないかつての原風景があり、今の姿と比べてもせいぜい60~70年前の風景なのにあまりにも大きな隔たりを感じた。それはもう失われた「郷愁」とでも言ってよいものなのだろうか。

新宿SONPO美術館で「川瀬巴水 旅と郷愁の風景」展を見る

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2021/12/20 - 2021/12/20

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Weiwojing

Weiwojingさん

昨年12月に新宿にあるSOMPO美術館へ出かけた。「川瀬巴水 旅と郷愁の風景」展が開催されていて、大いに興味を覚えたので、見に行くことにした。今回初めて川瀬巴水のまとまった作品を見ることが出来て、版画の持つすばらしさと巴水特有のノスタルジーというものに久しぶり感興を覚えた。

川瀬巴水(1883 / 明治16~1957 / 昭和32)は大正・昭和期に活躍した版画家であるが、日本全国を旅して、四季折々の風景を抒情的に描いた彼の作品群は従来の版画とは一線を異にしている。そんなところが興味を覚えた所以であろうか。

彼の作品には現代の日本ではもう見ることが出来ないかつての原風景があり、今の姿と比べてもせいぜい60~70年前の風景なのにあまりにも大きな隔たりを感じた。それはもう失われた「郷愁」とでも言ってよいものなのだろうか。

旅行の満足度
4.5

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  • 新宿駅南口からSONPO美術館へ行く途中に巨大で、風変わりなビルが目についた。いつもよく目にしてはいるが、改めてよく見ると、ロケット弾のような形をしていて見入ってしまった。このビルは「モード学園コクーンタワー」で、外観が繭のようなところからコクーンとな名付けられたそうである。

    新宿駅南口からSONPO美術館へ行く途中に巨大で、風変わりなビルが目についた。いつもよく目にしてはいるが、改めてよく見ると、ロケット弾のような形をしていて見入ってしまった。このビルは「モード学園コクーンタワー」で、外観が繭のようなところからコクーンとな名付けられたそうである。

  • 新宿駅西口から6~7分でSONPO美術館に着いた。今回が初めての訪問である。美術館入り口付近には現在の美術展の案内板が2つあった。

    新宿駅西口から6~7分でSONPO美術館に着いた。今回が初めての訪問である。美術館入り口付近には現在の美術展の案内板が2つあった。

  • 今回の目的である「川瀬巴水展」の大きなポスターが入り口に貼られている。巴水といえば、よくこの版画を見かけるが、「東京20景 芝増上寺」(1925年 / 大正15 )である。

    今回の目的である「川瀬巴水展」の大きなポスターが入り口に貼られている。巴水といえば、よくこの版画を見かけるが、「東京20景 芝増上寺」(1925年 / 大正15 )である。

  • この美術館はゴッホの「ひまわり」を所有しており、常時一般公開されている。いわばこの美術館の目玉ともいうべき作品である。自由に写真を撮ることが出来た。

    この美術館はゴッホの「ひまわり」を所有しており、常時一般公開されている。いわばこの美術館の目玉ともいうべき作品である。自由に写真を撮ることが出来た。

  • これは今回の川瀬巴水の展覧会のチラシである。チラシは彼の2枚の作品を用いて構成され、独特なムードを醸し出している。このチラシを最初に見た時にぜひとも見てみたいと思った。

    これは今回の川瀬巴水の展覧会のチラシである。チラシは彼の2枚の作品を用いて構成され、独特なムードを醸し出している。このチラシを最初に見た時にぜひとも見てみたいと思った。

  • チラシの裏側。日本の美術展のチラシやパンフレットは大変素晴らしい。外国の多くの国では美術展のチラシやパンフレット類はほとんどない。あってもごく粗末なものばかりで、利用価値がない。

    チラシの裏側。日本の美術展のチラシやパンフレットは大変素晴らしい。外国の多くの国では美術展のチラシやパンフレット類はほとんどない。あってもごく粗末なものばかりで、利用価値がない。

  • 川瀬巴水の56歳の時( 1939年 / 大正4 )の写真がある。このころは彼の円熟期の時期で、たくさんの優れた作品を生み出していた。

    川瀬巴水の56歳の時( 1939年 / 大正4 )の写真がある。このころは彼の円熟期の時期で、たくさんの優れた作品を生み出していた。

  • こちらは完成した「野火止平林寺」を手にしている巴水(1952年 / 昭和27)の写真で、作品を手にして満足気な表情である。<br />

    こちらは完成した「野火止平林寺」を手にしている巴水(1952年 / 昭和27)の写真で、作品を手にして満足気な表情である。

  • 今回の展覧会では、ほとんどの作品が撮影が可能で、興味を覚えたものを若干撮影を試みてみた。しかし、周りに他の観客がいたり、作品がガラスケースで覆われていたり、照明が映り込んだりするなど条件は良くない。<br /><br />これらは初期の作品群で、塩原を題材にした2作品「塩原畑下り」(1918年 / 大正7)、「塩原しおがま」(1918年 / 大正7)(右と中央)と「曇り日の矢口」1919年 / 大正8)(左)である。<br />

    今回の展覧会では、ほとんどの作品が撮影が可能で、興味を覚えたものを若干撮影を試みてみた。しかし、周りに他の観客がいたり、作品がガラスケースで覆われていたり、照明が映り込んだりするなど条件は良くない。

    これらは初期の作品群で、塩原を題材にした2作品「塩原畑下り」(1918年 / 大正7)、「塩原しおがま」(1918年 / 大正7)(右と中央)と「曇り日の矢口」1919年 / 大正8)(左)である。

  • 「陸奥三鳶川」(1919年 / 大正8)<br /><br />青森県八戸市にある三島の湧き水は、「三島の水」「三島川」等と呼ばれ、水道設備のない時代、この地の人々にここは生活用水として用いられた。水場では親子が桶で水を汲み、天秤に水桶を掛けて水を運ぶ婦人のすがたが見える。

    「陸奥三鳶川」(1919年 / 大正8)

    青森県八戸市にある三島の湧き水は、「三島の水」「三島川」等と呼ばれ、水道設備のない時代、この地の人々にここは生活用水として用いられた。水場では親子が桶で水を汲み、天秤に水桶を掛けて水を運ぶ婦人のすがたが見える。

  • 「陸奥蔦沼」(1919年 / 大正8)<br /><br />「東北本線古間木駅から十和田湖へ行く途中、奥入瀬川に架かってゐる焼山橋 から別れて、一里許り山奥へ一た所に、蔦温泉といふのがあります。其の附近に大小七つの沼があつて、就中、此の蔦沼は、岸にこんもり生い茂った木や、沈静の水の色などに、神秘的な趣のある点が勝れてゐます。朝まだ早き沼のほとりに、小舟を浮かべた2人の男が、前夜の網を揚げてゐる有様など、私は古い物語の本でも見るような心持がします」と巴水は述べている。

    「陸奥蔦沼」(1919年 / 大正8)

    「東北本線古間木駅から十和田湖へ行く途中、奥入瀬川に架かってゐる焼山橋 から別れて、一里許り山奥へ一た所に、蔦温泉といふのがあります。其の附近に大小七つの沼があつて、就中、此の蔦沼は、岸にこんもり生い茂った木や、沈静の水の色などに、神秘的な趣のある点が勝れてゐます。朝まだ早き沼のほとりに、小舟を浮かべた2人の男が、前夜の網を揚げてゐる有様など、私は古い物語の本でも見るような心持がします」と巴水は述べている。

  • 「金澤浅野川」(1920年 / 大正 9)<br /><br />「誰やらが金沢は北国の京都だと言ひましたが、私もそうした意味でまことに心持のいい所だと思います。これは浅野川の川霧深き初秋の朝を画きました。橋は梅野橋といいます。桜の並木や遠くの森が、川原へかけてボーツとうち霞んでゐるあたりは、板に上ぼす上に於いて可なり技巧に苦心しました」(巴水のことばより)<br /><br />

    「金澤浅野川」(1920年 / 大正 9)

    「誰やらが金沢は北国の京都だと言ひましたが、私もそうした意味でまことに心持のいい所だと思います。これは浅野川の川霧深き初秋の朝を画きました。橋は梅野橋といいます。桜の並木や遠くの森が、川原へかけてボーツとうち霞んでゐるあたりは、板に上ぼす上に於いて可なり技巧に苦心しました」(巴水のことばより)

  • 「秋の越路」(1920年 / 大正9)

    「秋の越路」(1920年 / 大正9)

  • 「洋館より庭園を望む」(1920年 / 大正9)

    「洋館より庭園を望む」(1920年 / 大正9)

  • 「丹後の宮津」( 1921年 / 大正10 )<br /><br />

    「丹後の宮津」( 1921年 / 大正10 )

  • 「小千谷旭橋」(1921年 / 大正10)

    「小千谷旭橋」(1921年 / 大正10)

  • 「金澤下本田町」(1921年 / 大正10)

    「金澤下本田町」(1921年 / 大正10)

  • 「奈良二月堂」(1921年 / 大正10)

    「奈良二月堂」(1921年 / 大正10)

  • 「浜小屋(越中氷見)」(1921 / 大正10)

    「浜小屋(越中氷見)」(1921 / 大正10)

  • 「雪の明ぼの(佐渡小木港)」(1921年 / 大正10)

    「雪の明ぼの(佐渡小木港)」(1921年 / 大正10)

  • 「越中氷見光照寺」(1921年 /  大正 10 )<br /><br />

    「越中氷見光照寺」(1921年 / 大正 10 )

  • 「鹿児島甲突川」(1922年 / 大正11)

    「鹿児島甲突川」(1922年 / 大正11)

  • 「石見有馬温泉」(1924年 / 大正13)

    「石見有馬温泉」(1924年 / 大正13)

  • 「浅草観音の雪晴」(1926年 / 大正15)

    「浅草観音の雪晴」(1926年 / 大正15)

  • 「お茶の水」(1926年 / 大正15)

    「お茶の水」(1926年 / 大正15)

  • 「神田明神境内」(1926年 / 大正15)

    「神田明神境内」(1926年 / 大正15)

  • 「新大橋」(1926年 / 大正15)

    「新大橋」(1926年 / 大正15)

  • 「大坂天王寺」(1927年 / 昭和2)

    「大坂天王寺」(1927年 / 昭和2)

  • 「秋田土崎」(1928年 / 昭和3)

    「秋田土崎」(1928年 / 昭和3)

  • 「雪の宮島」(1928年 / 昭和3)

    「雪の宮島」(1928年 / 昭和3)

  • 「月蔦の雪」(1930年 / 昭和5)

    「月蔦の雪」(1930年 / 昭和5)

  • 「三保の松原」(1931年 / 昭和6)

    「三保の松原」(1931年 / 昭和6)

  • 「品川」(1931年 / 昭和6)

    「品川」(1931年 / 昭和6)

  • 「大坂宗右衛門町の夕」(1933年 / 昭和8)<br /><br />

    「大坂宗右衛門町の夕」(1933年 / 昭和8)

  • 「上州法師温泉」(1933年 / 昭和8)<br /><br />風呂を浴びている人物は巴水その人ではないかと思われるが、小生もこの法師温泉にはぜひ行ってみたいと思う温泉のひとつである。ただ、いまだ訪れずにおり、残念である。<br />

    「上州法師温泉」(1933年 / 昭和8)

    風呂を浴びている人物は巴水その人ではないかと思われるが、小生もこの法師温泉にはぜひ行ってみたいと思う温泉のひとつである。ただ、いまだ訪れずにおり、残念である。

  • 「中央市場」(1936年 / 昭和11 )<br /><br />築地の中央卸売市場は水産物・青物物を取り扱う市場であったが、後に魚市場と青物市場が移転してきて、この作品が描かれた前年の1935年に開場した。これまで巴<br />水の作品には人物は点景人物として描かれているくらいであったが、本作では珍しく多くの人物が描かれ、市場の賑わいや活気を表している。

    「中央市場」(1936年 / 昭和11 )

    築地の中央卸売市場は水産物・青物物を取り扱う市場であったが、後に魚市場と青物市場が移転してきて、この作品が描かれた前年の1935年に開場した。これまで巴
    水の作品には人物は点景人物として描かれているくらいであったが、本作では珍しく多くの人物が描かれ、市場の賑わいや活気を表している。

  • 「元吉原之朝」(1940年 / 昭和15)

    「元吉原之朝」(1940年 / 昭和15)

  • 「周防室津」(1940年 / 昭和15 )<br />

    「周防室津」(1940年 / 昭和15 )

  • 巴水は1939年(昭和14)に1か月ほど朝鮮を旅する機会があった。異国の風景や風物に大きな刺激を受け、『朝鮮八景』及び『続挑戦風』を制作した。<br /><br />「水原華虹門」(1939年 / 昭和14)<br /><br />

    巴水は1939年(昭和14)に1か月ほど朝鮮を旅する機会があった。異国の風景や風物に大きな刺激を受け、『朝鮮八景』及び『続挑戦風』を制作した。

    「水原華虹門」(1939年 / 昭和14)

  • 「慶州佛国寺」(1939年 / 昭和14)

    「慶州佛国寺」(1939年 / 昭和14)

  • 「朝鮮智異山泉隠寺」(1940年 / 昭和15)

    「朝鮮智異山泉隠寺」(1940年 / 昭和15)

  • 「朝鮮水原西門」(1940年 / 昭和15)

    「朝鮮水原西門」(1940年 / 昭和15)

  • ”The Japan Trade Monthly” という海外向けの英文雑誌の表紙に数号にわたって依頼されて木版画を載せた。巴水の作品は海外でもよく知られ、人気があったという。<br /><br />この作品(1950年 / 昭和25)は雪の日本庭園にサンタクロースを組み合わせた和洋折衷的なもので、なかなかの異色作といえよう。遊び心がある演出である。<br />

    ”The Japan Trade Monthly” という海外向けの英文雑誌の表紙に数号にわたって依頼されて木版画を載せた。巴水の作品は海外でもよく知られ、人気があったという。

    この作品(1950年 / 昭和25)は雪の日本庭園にサンタクロースを組み合わせた和洋折衷的なもので、なかなかの異色作といえよう。遊び心がある演出である。

  • こちらも同じく ”The Japan Trade Monthly” の表紙であるが、奈良県斑鳩町の法隆寺夢殿を描いたものである (1954年 / 昭和29)。

    こちらも同じく ”The Japan Trade Monthly” の表紙であるが、奈良県斑鳩町の法隆寺夢殿を描いたものである (1954年 / 昭和29)。

  • アップル・コンピュータの共同創業者であり、企業家としても世界的に著名なスティーブ・ジョブス(1955~2011)は日本の新版画を愛し、特に川瀬巴水が好きで、コレクションを多く所有していたことが明らかになった。<br /><br />この写真は、Machworld: Macintosh Magazine 1, No1(1984 .2) の表紙である。中央のコンピュータに注目してほしい。画面に橋口五葉の「髪梳ける女」がある。<br /><br />彼は1984年に発売したマッキントッシュを使用して、「髪梳ける女」の木版画を元にした画像を作成し、その描画性能の高さをアピールした。<br />

    アップル・コンピュータの共同創業者であり、企業家としても世界的に著名なスティーブ・ジョブス(1955~2011)は日本の新版画を愛し、特に川瀬巴水が好きで、コレクションを多く所有していたことが明らかになった。

    この写真は、Machworld: Macintosh Magazine 1, No1(1984 .2) の表紙である。中央のコンピュータに注目してほしい。画面に橋口五葉の「髪梳ける女」がある。

    彼は1984年に発売したマッキントッシュを使用して、「髪梳ける女」の木版画を元にした画像を作成し、その描画性能の高さをアピールした。

  • ”The History of Jobs &amp; Apple 1976~20xx”(『スティーブ・ジョブズとアップルの奇跡の軌跡』、晉游舎、2011年発行)

    ”The History of Jobs & Apple 1976~20xx”(『スティーブ・ジョブズとアップルの奇跡の軌跡』、晉游舎、2011年発行)

  • 橋口五葉作「髪櫛ける女」(1920年 / 大正9)<br /><br />ジョブズは巴水の作品を43点購入し、さらに橋口五葉は5点、伊東深水も5点所有しているそうである。

    橋口五葉作「髪櫛ける女」(1920年 / 大正9)

    ジョブズは巴水の作品を43点購入し、さらに橋口五葉は5点、伊東深水も5点所有しているそうである。

  • 最後に巴水と彼の画家仲間や家族の写真も紹介したい。この写真は1939年(昭和14)6月画家仲間と共に朝鮮を訪れた際の船内でのスナップ(把水は左から2人目)。

    最後に巴水と彼の画家仲間や家族の写真も紹介したい。この写真は1939年(昭和14)6月画家仲間と共に朝鮮を訪れた際の船内でのスナップ(把水は左から2人目)。

  • 朝鮮・公州での写真(巴水は前列中央に座す)。

    朝鮮・公州での写真(巴水は前列中央に座す)。

  • 巴水は1939年(昭和14)朝鮮旅行から帰国した際、迎えに行った梅代夫人との関西旅行で奈良を訪れた。

    巴水は1939年(昭和14)朝鮮旅行から帰国した際、迎えに行った梅代夫人との関西旅行で奈良を訪れた。

  • 馬込町平張975番地の自宅前で、家族と弟子たちと共に。

    馬込町平張975番地の自宅前で、家族と弟子たちと共に。

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  • たびたびさん 2022/03/23 17:00:19
    川瀬巴水
    以前、巴水ゆかりの塩原温泉で一連の作品を拝見し、以来ずっと心に引っかかっていました。
    浮世絵の技術は江戸期でピークを迎えてあとは衰退していったものと思っているところに、けっしてそうではないよと思わせる繊細で叙情的な世界観。ただ、一方で、浮世絵のイメージは北斎や広重、歌麿のイメージが強すぎて、入り口のところで注目してもらえない可能性もなくはないですね。
    それから、今回、ふと感じましたが、もしかしたら、こうした世界を表現するなら、版画ではなくて絵画で描いた方が自由度が高いと感じる人も少なくないかも。版画での表現ではちょっと窮屈感を感じてしまう。そんなこともあるかもしれません。
    まあ、第一印象が色あせたりはしませんけど、それをどうすごいと説明したら伝わるのかなあ。改めて、その辺りの難しさも感じた次第です。
                たびたび

    Weiwojing

    Weiwojingさん からの返信 2022/03/26 11:50:39
    Re: 川瀬巴水
    たびたびさん、メッセージをありがとうございます。

    私は江戸時代に流行した華やかな浮世絵も好きですが、明治以降の巴水のような日本各地の何気ない自然や風景を切り取った版画も好きです。彼の作品は
    地味でいながら決して色あせたようなものではなく、しっとりとした色合いが特徴で、見る者に何気ない美を感じさせてくれます。

    確かに浮世絵の技術は江戸期でピークを迎え、後は衰退していったような歴史的な流れですが、明治になると別の形で展開していったのではないでしょうか。巴水のほかにも何人かの版画家が輩出しましたが、そうした流れが現在につながっているとは言えないようですね。これは大変残念なことです。

    貴重なご意見ありがとうございました。とても参考になりました。今後ともよろしくお願い申し上げます。

    Tamegai


  • たびたびさん 2022/03/23 16:45:52
    川瀬巴水 
    以前、巴水ゆかりの

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