2021/12/07 - 2021/12/07
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Weiwojingさん
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友人たちと共に渋谷周辺を歩いてみた。先ずは今回の主目的である國學院大學博物館を目指し、2時間ほど博物館を見学した後は周辺の金王八幡宮、日川神社を訪ね、渋谷駅に出、帰途に就いた。
國學院大學博物館では「AINU PURI アイヌプリ 北方に息づく先住民族の文化 」という展覧会が開催されていて、見学した。正直なところ、アイヌについてあまりにも知らないことが多くあって、時間をかけてじゅつくり見学し、たくさんのことを学ぶことが出来た。
國學院大學は神道系の大学で、この系統の大学は他に京都にあるくらいではないだろうか。そういう意味では興味があるが、今回はアイヌに関する展覧会を見るということで、展覧会をメインに紹介したい。
- 旅行の満足度
- 4.5
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先ずは國學院大學博物館をへ向かったが、現在ここでは「AINU PURI アイヌプリ 北方に息づく先住民族の文化」展が行われていて、この展覧会を見るのが目的であった。
開館が午後1時からであったので少し早めに来たので時間があった。そこでキャンパスを見て歩いたり、学生食堂で昼食を先にとることにした。 -
國學院大學キャンパスを歩いてみた。校舎はどれも新しく建て替えるかあるいは整備されて、これまでの印象と随分違う。以前訪れた時はあちこちに古めかしい建物が並び、いかにも神道系の大学といった雰囲気であった。
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ここが大学キャンパスの中なのに、木立の中に小さな神社があったのには驚いた(國學院大學神殿)。しかし、キリスト教ミッション系の大学には教会やチャペルがあるのを思えば驚くには値しないだろう。
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キャンパス内には大学関係者の胸像が置かれている。右側は石川岩吉理事長・学長、左側は滝川政次郎法学博士(1897年/明治30~1992年/平成4) である。
石川岩吉(1875年/明治8~1960年/昭和35)氏は昭和天皇の養育係をしたり、皇室関係の任に当たられたり、また理事長及び学長を務めた人物である。
滝川政次郎博士は1946年(昭和21)、極東国際軍事裁判の弁護人となり、元海軍大臣島田繁太郎をし、国学院大学政経学部、法学部の教授として日本法制史を講じた。 -
博物館を見学する前に学生食堂で昼食をとることにした。学生だけでなく一般の人も利用出来た。注文したのは「カレーコロッケ定食」である。これで450円である。ただ学生だと350円で、かなり安価な値段である。
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今回見学した展覧会は「アイヌプリ AINU PURI 北方に息づく先住民族の文化」である。これは展覧会のチラシで、会場入り口に置いてあった。
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展覧会のこのような図録が販売されていたので、詳しいことを知りたいために一部購入してみた。少し図録から資料を利用させていただいた。
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展覧会の一部を紹介したい。
本展覧会は5部構成になっていて、それぞれ豊富な資料と共に展示されている。
第1章 「国家に抗する社会 ー 和人から見た北方民族」
① 国家とエ三シ
② 「エゾの」のアイヌ民族
第2章 「アイヌモシリ ー 人間の大地」
① 「蝦夷地」の地理・地誌
② 松浦武四郎の「蝦夷地」調査
第3章 「アイヌプリ - 伝統的な風習と文化」
① 人々と神々の交易
② 絵画のの中のアイヌ文化
第4章 「アイヌイタク - ことばの記録」
① 江戸・明治のアイヌ語辞書
② 金田一京助と久保寺逸彦によるアイヌ文化研究
第5章 「こんにちの國學院とアイヌ文化」 -
第1章 「国家に抗する社会 ‐和人から見た北方民族」 ~ ①「国家とエミシ」と題した展示は、和人たちが「エミシ(蝦夷)」と呼んできた集団が長らく国家の支配を受けてこなかったが、対する和人の政権は彼らを内民化しようとした。『日本書記』には景行紀から「エミシ」に関する記述がある。
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宮城県多賀城碑
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『続日本紀』
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②「エゾのアイヌ民族」
アイヌの人々は長らく文字の記録を残していなかった。そのため彼らの文化は十分には伝わっておらず、江戸期になって、蝦夷地に派遣された幕吏やアイヌ語の通詞によって記録されるようになった。 -
「第2部 アイヌモシリ 人間の大地」
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② 「松浦武四郎の『蝦夷地』踏査」
北海道の名付け親である松浦武四郎は、北海道の現地踏査を行い、多くの地理的記録を残している。 -
「東西蝦夷山川地理取調図」(1859年 / 安政6)
武四郎が6度の北海道に亘っ調査した結果、現在の北海道とほぼ変わらない地図を作成し、出販した。 -
北海道の開拓の歴史は松浦武四郎なしには考えることが出来ない。
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「第3部 アイヌプリ 伝統的な風習と文化」
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①「人々と神の交易」
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② 「金田一京助と久保寺逸彦によるアイヌ文化研究」
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「タマサイ(首飾り)」
母から娘、姑から嫁へと受け継がれる宝物で,儀礼などの際に女性が身に着けた首飾りは、ガラス玉を連ネタアイヌ独特の首飾りである。 -
「マキリ」(刀子)
明治から昭和にかけて北海道アイヌの人々が使っていた刀類。アイヌの社会は、性差による分業が厳格であったが、男女ともに「マキリ」と呼ばれた小刀を携帯し、様々な手仕事に使用した。 -
「タンパコオプ」(喫煙具)
明治から昭和初期の頃に使われていた喫煙具。 -
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「第4部 アイヌイタク 言葉の記録」
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① 「江戸・明治のアイヌ語辞典」
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特別展示室での「アイヌプリ」展を見た後、通常の展示室も見学した。ここからは通常の展示室である。
國學院大學が収集した古代縄文遺跡の出土品から神道に関するものまで、様々なジャンルの展示がなされ、興味深く見ることが出来た。
展示室は、考古学展示室と神道展示室、校史展示室の3つに分かれている。 -
先ずは、博物館の一角に金田一京助の書斎を再現したコーナーがあった。このような日本間のゆったりとした空間で、書籍を詠んだり、原稿を書いていたのだろう。
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考古展示室には、数多くの土器が展示されていて、正に圧巻であった。大小様々な土器が並べられ、古代人の生活振りが想像できた。
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「北関東加曽利E式土器」(縄文時期、出土地不明)とあるが、どういう用途で使われたのか分からない。
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埴輪類もいろいろ展示されていた。初めて見るようなものばかりである。これは「武人埴輪」と題された埴輪で、遠くにいる家族や愛する防人の人々を思い、作られたのだろう。
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「挙手人面土器」という不思議な土器があった。確かに両手を挙げたような人間の顔をしている。
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「馬形埴輪」( レプリカ )がいくつも展示されいる。躍動感があふれている。
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神道展示室のコーナーには仏像が数多く展示されている。神道と仏像とはどういう関わりがあるのか不思議に思ったが、よく分らない。
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「板碑」
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「六地蔵」
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最後に校史展示室を見てみたい。ここでは國学院大學と関わりのあるものが展示紹介されている。
「銘『柴山』と記された沃懸地菊螺鈿図印籠」と「菊花形彫漆根付珊瑚花形緒締」(江戸時代末期) -
「大勲位菊花章頸飾」(1895年/明治28)有栖川宮幟仁親王
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「大勲位菊花大綬章」(1886年/明治19))有栖川宮幟仁親王
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明治期に使われた食器が展示されていて、どれもヨーロッパからの輸入品で、素晴らしいものばかりである。
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これらのワイン用ガラス製品もヨーロッパ産のものである。
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「国学の四大人」
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「吉田神道行事壇」
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博物館での見学を終えて、渋谷駅に向かう途中、氷川神社に寄ってみた。
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道路を歩いていると、いきなりこのような碑が目に入った。「さくら横ちょう」(加藤周一)と書かれた詩が掲げられている。
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大正末から昭和にかけて建設されたとおぼしき看板建築の民家があった。このような建物は関東大震災(1923年 / 大正12)の後、災害に強い建物ということで各地で造られた。
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魚屋を営んでいるようである。
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さらに駅に向かう渋谷駅の近くに「金王八幡宮」があり、立ち寄ることにした。
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周囲には大きなビルが林立しているが、神社の境内はひっそりとし、参拝者が時折通る程度であった。
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社拝殿の前両側に狛犬が2頭置かれている1900年(明治33)に奉納された。
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その2体の狛犬はかなり大きく、立派である。
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彫刻と鮮やかな朱色に塗られた社拝殿は見事な建造物である。
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社拝殿の正面。正面にh明かるものがあったのでよく見ると,丸い形の大きな鏡であった。
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最後にJR渋谷駅前に着いた。おびただしい人の群れがスクランブル交差点を行き来していて、これまでの博物館や神社での静寂さとはかけ離れた風景にしばし戸惑いを覚えた。
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