2021/11/02 - 2021/11/02
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j-ryuさん
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☆今年5度目の紅葉狩り会津下郷の会津中街道や観音沼へ。
会津下郷の観音沼と裏磐梯の五色沼の紅葉の見頃はほぼ同時期。
毎年どちらを優先するかが悩まされています。
今年は裏磐梯湖沼群の紅葉と水鏡のコラボを期待したので
晴天微風予報だった裏磐梯を優先しました。
結果、水鏡は期待通りでしたが紅葉は少し早かったようで
少し意気消沈。
でも裏磐梯が少し早かったと言うことは翌週の会津下郷の観音沼は
ちょうど見頃かも知れません。
後は自分の休日の天気が気ががかりです。
この秋は悪天のドツボにはまってしまい
私の休日はことごとく雨や曇天。
滝や渓流は曇天が理想ですが、紅葉はやはり秋晴れに限ります。
果たして観音沼の女神は運の無い曇天男に微笑んでくれたでしょうか・・・・
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
☆錦秋の甲子街道&燃ゆる会津中街道 ルートMap
※Google Mapに加筆。
https://www.google.com/maps/@37.268055,140.0785437,22123m/data=!3m1!1e3 -
☆甲子大橋&甲子トンネルMap (※Google Mapに加筆)
https://www.google.co.jp/maps/@37.1919977,140.0030562,7992m/data=!3m1!1e3?hl=ja -
☆錦秋の甲子街道&燃ゆる会津中街道~甲子大橋(西郷村)
@7:15AM
我が家を薄暗い早朝に出発し白河市の国道4号から
西郷村の国道289号に入ります。
R289を道なりに進み新甲子温泉街を過ぎて2kmくらいで阿武隈源流域になり、「第一剣桂橋」「第二剣桂橋」や「剣桂トンネル」が連続し、
「安心坂トンネル」を抜けた所が甲子街道(国道298号)で最長の
甲子大橋(かしおおはし)と甲子トンネル(かしとんねる)です。
ここまで我が家からは50分ほど。
甲子大橋上は駐停車禁止なので橋の写真を撮る場合は
橋のすぐ手前に甲子温泉方面へのわき道があるので左折した所の路肩に駐車します。 -
☆錦秋の甲子街道&燃ゆる会津中街道~甲子大橋
甲子大橋の向こうが白河方面の「安心坂トンネル」 (887 m)
甲子大橋上は駐停車禁止なので橋の写真を撮る場合は
安心坂トンネルを出て橋のすぐ手前に甲子温泉方面へのわき道があるので
左折した所の路肩に駐車します。 -
☆錦秋の甲子街道&燃ゆる会津中街道~甲子大橋
安心坂トンネルを出て橋のすぐ手前を左折し大きく右カーブし
甲子大橋の下を潜れば甲子温泉大黒屋までは2分ほど。
甲子大橋を下から見上げるように撮る場合はこの道路を
甲子大橋の下まで歩きます。 -
☆錦秋の甲子街道&燃ゆる会津中街道~甲子大橋
甲子大橋の向こう、下郷町方面にあるのが東北の国道で2番目に長い
甲子トンネル(全長4345m)です。 -
☆錦秋の甲子街道&燃ゆる会津中街道~甲子大橋
甲子大橋は阿武隈川源流の峡谷に架かる橋で、橋長199m、豪快で迫力がありながらとても優美なアーチ橋です。
橋の向こうの三角山(猿の鼻/1338m)の下は甲子街道(国道298号)で
最大の難所だった甲子トンネル。
標高は1004m、トンネル全長4345mで国道トンネルとしては
福島県では最長、東北では2番目に長いトンネルです。
(もちろん無料で通れます)。
1番長いのは岩手県の国道283号の新仙人トンネル(4492m)です。
トンネル入り口右側に駐車場がありますが、関係者以外駐車禁止になっています。
工事車両、点検車両や緊急時の避難待避所に使用します。
駐車したとしても橋を取り込んだ写真は撮れないので
やはり橋手前の甲子温泉大黒屋への取り付け道路がお薦めです。 -
☆錦秋の甲子街道&燃ゆる会津中街道~甲子大橋
安心坂トンネルを抜け大橋手前を左折し路肩に駐車し
とりつけ道路を下りながら甲子大橋を撮影します。
ちなみに高速道規格では東北中央道栗子トンネル(8972m)が
現在無料で通れる日本最長トンネルです。
また福島県昭和村に国道401号、博士トンネル(4503m)が工事中。
土木関連情報は日々進化更新されていくので
この情報もやがては過去のものとなるでしょう。 -
☆錦秋の甲子街道&燃ゆる会津中街道~甲子大橋
甲子温泉大黒屋方面への取り付け道路を下ってくると
甲子大橋の美しいアーチ型橋脚が見えてきます。 -
☆錦秋の甲子街道&燃ゆる会津中街道~甲子大橋
甲子温泉大黒屋への取り付け道路から甲子大橋を見上げた構図です
三角の山(猿の鼻)は三角錐の山に見えますが
甲子山(1549m)から続く尾根の先端で視覚的に三角錐に見えます。
この山の斜面に甲子山への九十九折の登山道があります。 -
☆錦秋の甲子街道&燃ゆる会津中街道~甲子大橋
橋桁を真横から見ると真っすぐに見えますが
実際は緩やかなカーブを描いています。 -
☆錦秋の甲子街道&燃ゆる会津中街道~甲子大橋
甲子大橋は全長199m、橋上から谷底まで約60m、
上路ローゼ橋(逆ローゼ橋)
2008年(平成21年)開通。 -
☆錦秋の甲子街道&燃ゆる会津中街道~甲子大橋
谷底を流れる川は阿武隈川本流の源流域に当たり
ここから谷底を上流に進むと美しい滝が連なり
それらを含め甲子八十八滝と呼ばれます。
その中でも赤滝は恐竜の背骨のような独特な岩盤を流れ落ち
滝フェチ憧れの奇滝です。
私も一度は訪れたいと思っていますが
滝の難易度からすると4つ星クラスなので
経験者が同行しないと厳しいかも知れません。 -
☆錦秋の甲子街道&燃ゆる会津中街道~甲子大橋
甲子大橋の下をくぐり
300mほど道なりに下ると甲子温泉大黒屋(1軒宿)です。
江戸時代「寛政の改革」で名だたる白河藩主松平定信公(1775~1812)は
奥甲子の自然と温泉をこよなく愛しこの地に別邸「勝花亭」を建てました。
その後改築はされたそうですが、基本は元のままだそうで
共楽亭・前荘、勝花亭の3つの離れ屋で形成されています。
現在は西郷村の文化財として指定され、
大黒屋の別館客室として泊ることもできます。
松平定信公は「白河に到りて甲子の山を見ざらんは、
孔子の門を過ぎて堂に入らざるが如し、甲子の山に到りて
楓を見ざらんは、堂に入りて室に入らざるが如し」と詠んだそうです。 -
☆錦秋の甲子街道&燃ゆる会津中街道~甲子大橋
緩やかなカーブを描いているので曲線の美も見ものです。 -
☆錦秋の甲子街道&燃ゆる会津中街道~甲子大橋
甲子大橋下の下郷町側の岸壁から一筋の滝が流れて落ちいます。
これは自然の滝ではなく甲子トンネルの湧水を放水しているようです。 -
☆錦秋の甲子街道&燃ゆる会津中街道~甲子大橋
-
☆錦秋の甲子街道&燃ゆる会津中街道~甲子大橋
甲子大橋を渡っている人はこれらの絶景を写真に撮りたいと思うと思いますが、
安心坂トンネルを抜けると直ぐ甲子大橋の上だし、
橋を渡った先は直ぐ甲子トンネルだし、
甲子トンネルの手前に駐車場はあるけれど非常用なので
普段は駐車禁止だし、
あれよあれよという間に甲子トンネルに突入してしまいます。 -
☆錦秋の甲子街道&燃ゆる会津中街道~甲子大橋
なので写真を撮りたいなら
安心坂トンネルを抜けたら甲子温泉大黒屋方面に行く覚悟で左折し
すぐ左手の路肩(1,2台分)に止めて撮影するしかありません。 -
☆錦秋の甲子街道&燃ゆる会津中街道~甲子大橋
もし路肩に止められなかったとしても
そのまま取り付け道路を下り
甲子大橋の下を潜った地点に駐車場(3台分)があるので
そこから坂道を上ったとしても知れたものです。 -
☆錦秋の甲子街道&燃ゆる会津中街道~甲子大橋
-
☆錦秋の甲子街道&燃ゆる会津中街道~甲子大橋
取り付け道路をそのまま進むと甲子温泉大黒屋です。
その手前にも無料駐車場があります。
そこから大黒屋の前を徒歩で進み阿武隈川本流の橋を渡ると
白水の滝や衣紋の滝に行くことができます。 -
☆錦秋の甲子街道&燃ゆる会津中街道~甲子大橋
その阿武隈川本流の先は以前は車の通れない
国道として(289号)
その手のマニアには人気でしたが、
甲子大橋&甲子トンネルなどができて
国道289号が西郷村~下郷町間が貫通してからは
車が通れない国道の役目は終わってしまいました。 -
☆錦秋の甲子街道&燃ゆる会津中街道~甲子大橋
@7:49AM
甲子大橋の写真を撮ったので甲子トンネルを抜けて下郷町の観音沼に向かいます。
福島県は中通と会津の間に奥羽山脈が横たわり
昔は必ず峠を越える必要がありましたが現在は5つのトンネルが運用され
一つのトンネルが工事中です。
北から
◎土湯トンネル(3360m)国道115
◎中山トンネル(500m)国道49
◎三森トンネル(1365m)福島県道6号
◎勢至堂トンネル(1147m)国道294
◎鳳坂トンネル(2538m)工事中、国道118
◎甲子トンネル(4345m)国道289 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道ルートMap (※Google mapに加筆)
https://www.google.co.jp/maps/@37.1905774,139.9258233,3360m/data=!3m1!1e3?hl=ja
甲子大橋&甲子トンネルで写真を撮り次に向かったのが
会津下郷町の観音沼と日暮滝です。
国道289の『道の駅しもごう』を左手に見てやり過ごすと
間もなく観音沼への標識があるので左折し
道なりに進むと観音沼に至ります。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道ルートMap (現地周辺地図案内板に加筆)
今回は観音沼のさらに山奥にある日暮滝まで行くので
観音沼森林公園を左手に見てやり過ごし
林道を道なりに直進します。
この林道(町道)は様々な呼び方がありますが
同じ道です。
会津中街道、松川通り、松川街道、大峠林道、大峠道路など。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
@8:10AM
観音沼森林公園を過ぎると松川街道の会津最後の宿である
野際宿があり今でも数軒の民家があります。
観音沼森林公園から日暮滝までは舗装道路ですが
1車線の狭い道なので対向車や崖には要注意です。
野際宿をやり過ごししばらく登ると
日暮滝まで紅葉がとても美しい林道が続きます。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
この1車線の林道は様々な呼び方がありますが
今回は会津中街道と呼ばせていただきます。
昔の会津中街道の大部分は現在の道路より東側にあったとされますが、
ほぼ現在の道に沿ったルートなの当時見えていた景色と
現在の景色にはそう大きな差は無いと思われます。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
-
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
この辺りから日暮滝までとても美しい紅葉街道が展開しますが
何故かこの魅力を発信する人は殆どいません。
下郷町も日暮滝はPRしていますが
この紅葉街道は全くPRしていません。
福島県でも有数の隠れた紅葉の名所だと思いますが
日暮滝に向かう人も素通りする人が多いようです。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
-
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
とにかく、この道筋にはモミジの木がやたら多いです。
ぱっと見の印象では7,8割が黄色や赤、橙色のモミジで
構成されているような森です。
こんなにモミジの集積度が高い林道は福島県では他に見たことがありません。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
-
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
日本中に紅葉の名所と呼ばれる名所旧跡が数多ありますが
赤いモミジが多くひと際鮮やかな紅葉の名所の多くが
人為的に作られた名所で自然のままでは
そうそう真っ赤なモミジばかりではありません。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
つまり人の手の入った名所の多くは
より鮮やかで美しい真っ赤なモミジを選択し植栽してきたのですから
華やかで鮮やかなのは当然です。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
自然の森ではそう真っ赤なモミジばかりとはいきませんが
私的にはナチュラルで心穏やかにさせてくれる
癒しの紅葉だと思います。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
真っ赤なモミジは無くてもどうですか
この紅葉街道の穏やかな美しさ。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
-
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
この日の1週間前の天気予報は雨/曇りでしたが
当日に近づくにつれて、曇り/晴れから晴れ/曇りに好転してきました。
午後は雲が多くなる予想でしたが
朝はご覧のように紅葉街道に朝日が射し込み
紅葉がきらめいています。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
程よく曲線を描く道も絵になります。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道~奥州駒返坂
@8:25AM
奥州駒返坂に来ました。(おうしゅう、こまがえしざか)
解説版をそのまま書くと
会津藩は元禄8年(1695)松川通り(会津中街道)を開削した。
天和3年(1683)9月1日、日光大地震により五十里湖が出現し、
南山通り(会津西街道)での参勤や廻米が困難になったためである。
その道筋は、若松・面川・香塩・小塩・桑原・小出・弥五島・松川・
野際・三斗小屋・板室・百村・高林・横林・上石神・山田・
矢板・川崎・乙畑・氏家に至る31町52間の街道である
旧道は現道よりも東側に位置している。
野際宿からつづら折りの坂を登り切り、下る坂を「奥州駒返坂」と呼んでいた。
ここには元禄8年銘「奥州駒返坂」の碑があり往時を偲ぶことができる
険阻な大峠を越えるため、時の会津藩第三代藩主の松平正容公も
この場所で駒を返し徒歩で峠を越えたと伝えられる
と、中々由緒ある街道なんです。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道~奥州駒返坂
この階段を上った所に「奥州駒返坂」の碑があります。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道~奥州駒返坂
江戸時代の秋の会津中街道もこんな美しいモミジの森を
歩いたのでしょうかね。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
道路が大きくカーブする先は急斜面に林立するモミジの森。
この時間帯(8:30AM)ちょうど逆光になるので
透過光の紅葉が特にキレイです。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
カーブの所が待避所のスペースなので
このような場所に一時駐車しながら写真を撮っています。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
断崖のような谷ですが
樹木がたくさん生えているので
谷底まで落下する心配は殆どありません。
でも事故らないようゆっくり走るのが一番です。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
道路は1車線ですが交通量はもの凄く少ないし
待避所もたくさんあるので
極度に対向車を恐れる心配はありません。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
今回、観音沼森林公園~日暮滝間で
往路で交差した車は0台だし、
復路は2台だけでした。
紅葉の見頃でこの交通量ですから
青葉の頃ならまずすれ違う車は無いでしょう。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
谷底を日暮滝から流れてくる加藤谷川が流れています。
観音沼森林公園からの林道下を流れているので
観音川だと思っている人がいますが
観音川は観音沼森林公園より北側の国道289辺りを流れている川です。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
大峠林道(会津中街道)は今は日暮滝見学者や那須登山口の一つとして
利用されるくらいですが、江戸時代までは会津中街道とか
南山松川新道・松川通り・野際新道・宇都宮街道などとも呼ばれていました。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
会津中街道は、会津若松と栃木県氏家(さくら市)とを結ぶ
約123kmの街道です。
元禄8年(1695年)、大地震で堰止湖(五十里湖)ができ
通行できなくなった会津西街道に代わる道として開かれ、
主として会津藩や会津南部の幕府領(南山御蔵入領)の
廻米(かいまい)輸送に使われました。
白河へ通じる会津東街道、今市へ通じる会津西街道に対して会津中街道と呼ばれていました。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
※南山御蔵入領(みなみやまおくらいりりょう)とは?
この地方(南会津郡)は1713年(正徳3)会津藩預り支配から
幕府直支配となり、南山御蔵入領と呼ばれるようになりました。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
しかし会津と那須(黒羽藩)の境の大峠は標高1468m、
三斗小屋宿は1100mと
上り下りはきつく冬は積雪が多いのでかなりの難所峠だったようです。
今でこそ大峠林道は1車線ながら舗装道路ですが
江戸時代の街道は現在の道路より少し東側で
街道というより山道といったほうがいいくらいで
現在はその形跡さえどうにか確認できるくらいだそうです。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
-
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
会津中街道が開かれて28年しか経っていない享保8年(1723年)に
、堰き止め湖(五十里湖)が決壊し、
会津西街道が復旧すると、道の険しい会津中街道の交通量は激減衰退し
戊辰戦争では 三斗小屋宿や板室宿は焼き払われ、さらに寂びれ
明治37年(1904年)磐越西線の開通に寄って
荷物輸送路としての役目を終え旧街道は森に埋もれてしまったそうです。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
※五十里 湖の出現
栃木県のHPより
https://www.pref.tochigi.lg.jp/h53/system/desaki/desaki/1182249442395.html
天和3年(西暦1683年)9月1日、マグニチュード6.8の大地震が日光・藤原・南会津地方を襲った。昭和24年の今市大地震がマグニチュード6.4と記録にあるがそれと同規模以上のものと推測できる。
これにより、日光御神領、西川村(現日光市栗山)の葛老山が崩壊し、流出した土砂が男鹿川をせき止めた。崩壊した土砂の量は、現在の地形から判断して約60万立方メートルと推測される。さらに折からの降雨により男鹿川の水位はみるみる上昇し、五十里、西川地区に住む31軒の村人たちは、上の大地への避難を余儀なくされた。
当時、会津西街道(国道121号)の交通も遮断され、通行人は山越えとなったが、駄馬の荷は山越えがかなわず、にわか仕立て筏で運搬した。
土砂崩落後、90日間で村は湖底に沈み、湖は150日間で満水に湛えた。水深は、一番深いところで47メートルに達したといわれている。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
※五十里湖の水抜き工事
西川、五十里村に住む人々は、天災の影響を受けて窮乏生活を余儀なくされた。また、下流地域に住む人々にとっても、万一崩壊した土砂が決壊した時のことを思うと、なみなみ湛えた湖水を抜くことが切なる願望であったことは容易に想像できる。
五十里湖の出現から24年を経て、会津藩が水抜き工事の着手に乗り出した。請負額は4,375両、当時としては破格の金額である。
地元村人達の協力も得、工事が進められたが巨大な一枚岩盤に突き当たった。当時の工法では、岩盤の上でいもがらを燃やし、その後水をかけ岩盤を脆くして掘り進むような方法だったため、思うようにはかどらず、ついに工事中止となった。この工事中止の責任を負い、会津藩士早川上粂之助と高木六左衛門という武士が割腹自殺を遂げた。葛老山崩落地点近くにある小高い丘、布坂山の頂上にこの藩士の墓と伝えられる小さな祀られている。この伝説から布坂山は腹切山とも呼ばれている。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
※海抜けと大水害
享保8年(西暦1723年)8月10日、五十里湖出現からちょうど40年度、その一帯が暴風雨に襲われ、五十里湖の水位が著しく上昇した。そして、ついに上昇する水圧に耐えかね、ダム状に堆積していた土砂が押し流された。世にいう五十里洪水である。洪水は下流地方を席巻し、下野国(栃木県)では未曾有の大災害となった。直下流の川治村、藤原村は全村壊滅的打撃を受け、下流70ヶ村におよび12,000人(推定)もの人命や牛馬を飲みこんだといわれている。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
※再び五十里湖の出現
第2次世界大戦後、再び五十里村が湖底に沈むこととなった。五十里ダムの建設である。これにより、66世帯85戸の住民が水没により移転を余儀なくされた。
五十里ダムは、洪水調節、発電及び灌漑用水の開発を目的とした多目的ダムである。
総工費48億円余りと約6年の歳月をかけ、昭和31年に完成した重力式コンクリートダムである。
五十里、西川地区に住む住民は、過去には自然災害と戦い敗れ、又現代においてはダム建設のため住み慣れた土地を提供し、また新たな生活の場を求めるという、激動の運命に生きてきたといいえる。
栃木県のHPより
https://www.pref.tochigi.lg.jp/h53/system/desaki/desaki/1182249442395.html -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
それにしても
どうしてこんなにモミジばかり生えているんだろう?
ふつう林道が整備されていると杉や檜などが植林されているのですが・・・・ -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
会津西街道が日光大地震による五十里湖の出現から40年
急いで開削されたのが会津中街道ですが会津中街道が開かれて28年しか経っていない享保8年(1723年)に豪雨で堰き止め湖(五十里湖)が決壊し、
会津西街道が復旧すると、
会津中街道は開削からわずか28年で脇街道になってしまいました。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
脇街道になり一気に寂れたのかと言うとそうでもなく
国境の大峠の北側に野際新田(のざわしんでん)宿、
南側に三斗小屋宿を設け、主役が会津西街道になってからも
三斗小屋宿は江戸時代の末期には修験道の
白湯山(はくゆさん、はくとうさん)信仰が
盛んになるとその登山口として栄え、
安政3年(1856)の山開きには参詣者が1日に
1,000人を超えた記録があるそうです。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
白湯山信仰?
白湯山は、那須茶臼岳の八合目西ある温泉の湧出源で、
江戸時代から昭和初期に至る長い間、山岳宗教の霊場として
多くの参詣者がいたようです。
寛文12年(1672)に板室の五郎左衛門が那須岳に熊狩りに行った際に、
仏菩薩に会った不思議な体験を行者宗海に話し、
再び2人でその場所を訪れる。すると仏菩薩の姿現れ御来光が射した。
宗海はこの場所を行人拝所とし、白湯山と名付け白湯山権現を祀った。
参詣は白湯山だけでなく、「三山がけ」と称して
白湯山・月山(茶臼岳)・朝日岳の三山と
途中にある36ヶ所の拝所を参拝したそうです。
この三山は出羽三山(湯殿山・月山・羽黒山)の信仰を勧請したもので、
白湯山信仰は、湯殿山信仰を中心とした信仰を勧請したものらしい。
宗海・五郎左衛門 が開いた道は三斗小屋宿を起点としたもので、
登り口を三斗小屋口、または表口と言いました。
三斗小屋宿には今も白湯山信仰に関する灯籠や塔碑、垢離場が存在します。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
つまり戊辰戦争の頃は会津中街道として役目ではなく
白湯山信仰の参道として往来がありました。
三斗小屋宿は、慶応4年(1868)の戊辰戦争の際、
会津軍(旧幕府軍)が駐屯し、
新政府軍との激しい山岳戦が展開されました。
この戦いは新政府軍が勝利し、
新政府軍の黒羽藩士が三斗小屋宿の14戸を焼き払い
略奪も行われたようです。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
三斗小屋宿を焼き払ったのが退却する会津藩士ではなく
黒羽藩士だったのは三斗小屋宿は当時黒羽藩領でしたが
利用者の多くが会津人だったため
三斗小屋宿が会津藩びいきだったので
腹いせに焼き払ったのではないかとも
言われています。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
明治26年(1893)には三斗小屋宿近くに銅山が開かれ、
宿の近くで精錬が行なわて最盛期には14軒もの民家があったそうですが
明治41年(1908)5月の大火でも14戸すべてが焼失し、
昭和32年(1957)に最後の1戸が転出して無人の地となったそうです。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
なお、現在も茶臼岳北西山麓で2軒が営業している
三斗小屋温泉は三斗小屋宿から東に3kmほど登った場所にあり
三斗小屋宿とは別の施設です。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
黄色やオレンジ色のとても美しい紅葉ですが
これらの木はモミジでしょうか?
カエデでしょうか?
この写真だけで見分けが付く人は専門家くらいかも。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
実は植物学上はモミジもカエデも同じ種で
カエデ科カエデ属の植物です。
ただ日本では古来から葉の切れ込みが深いタイプをモミジ
切れ込みの浅いタイプをカエデと呼んできました。
でもこれとて切れ込みの深さや切れ込み数に
明確な基準はありません。
中にはヒトツバカエデ(マルバカエデ)のように
切れ込みの無いカエデもあります。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
モミジとカエデの語源には明らかな違いがあります。
モミジは秋になり草木の葉が紅や黄色に色づく
「もみつ」が変化した語とされます。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
「もみつ」は「揉み出づ(もみいづ)」が語源と言われます。
この「揉み出づ」は染色で使われた言葉で、
紅花を水の中で揉み染料にする意味です。
紅花は真水で揉むと黄色の染料に、灰汁の中で揉むと赤色の染料になります。
そんな染料の色の変化になぞらえ、
秋に木々が色付く様子も「もみつ」と呼ばれ
平安時代に「もみち」が濁音化した「もみぢ」になったそうです。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
ではカエデは?
これは多くの方がご存じかと思いますが
葉の形がカエルの手に似ているのでカエルテが
カエデに変化して行ったと言う説が一般的です。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
無粋ですがわざと『この先工事中』の看板を撮り込んでみました。
いつもの習慣でつい美しい所ばかり撮ってしまいますが
その時その場所にしかないものを撮り込むと臨場感が表現できます。
コンテストの写真なら美しさが求められますが
旅行記となると臨場感も少しは必要かと。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
いくら美しい紅葉だといっても
さすがにこれだけ紅葉の写真を羅列すると
コメントや解説が底をついてきす(^-^;。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
それぞれの写真になるべく一言添えようと
いつもそれなりに努力しているつもりですが
さすがに紅葉ネタだけでは引き出しにも限界があります。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
そうそう、大事なことを一つ忘れていました。
紅葉を見に行くことをどうして『紅葉狩り』に行く,と言うのでしょう?。
先日、諸説の中の一つを『チコちゃんに叱られる』でやっていましたね。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
疑問は
桜を見るのは「花見」と呼ぶのに、紅葉を見るのは「紅葉見」ではなく
なぜ「紅葉狩り」なのだろうか?でした。
チコちゃんの答えは「狩りじゃないとお下品だったから」
紅葉狩りという言葉が生まれたのは平安時代。
紅葉を愛でるという文化は、平安時代の貴族にとっても楽しみのひとつで、
現存する文献で紅葉狩りという言葉が初めて登場するのは、
平安末期の歌人である源俊頼が詠んだ和歌だそうです。
「しぐれゆく かたのの原のもみちかり たのむかけなく ふく嵐かな」
「山で紅葉狩りをしようとしたが、強い風が吹いてきた」 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
平安時代の貴族たちは基本的に平安京の外には
「自由に出かける事は出来なかった」ようです。
政治などに携わり、普段は都の中で生活していた貴族たちが
平安京の外に出るのは特別な目的がある場合のみ。
神社やお寺をお参りする。
お祭りや行列を見に行く
鷹狩りなどに行くなど限定的だったそうです。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
貴族が出かける際は主に牛車や馬に乗るのですが、
これは自分の足で歩く事が下品とされていたため。
なので、おいそれと山に紅葉を見に行くわけにはいかず
考え出したのが「狩り」という言葉を使うという裏ワザだそうです。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
狩りをする際には獲物を探しながら歩くのが普通なので、
表向きを「狩り」と表現しておけば自分の足で歩いたとしても
下品とは捉えられず、貴族の体裁を保ちながら
堂々と紅葉を鑑賞できたと言う説でした。
現代人の感覚からすれば『狩り』は猟師の仕事で
それこそ武士じゃあるまいし貴族がしたらそれこそ下品に思えます。
もし鷹狩に行ったとしても、自分がするのではなく
狩りを愛でるイメージがします。
正直イマイチ、なるほどとは思えない答えでした(^-^;。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
平安時代には「桜狩り」という言葉もあったそうです(宇津保物語)
「野山に分け入って、季節の恵みを探し求める」ことを、
広く狩りと呼んでいました。
平安時代の桜は山桜だったので「桜狩り」と言ったようです。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
カーブの先の紅葉がホント美しい。
それなのにこれらの紅葉を撮影していたのは私一人。
1車線道路なので有名になって混雑しては困りますが
まさに隠れ名所って感じです。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
ひと際、鮮やかで真っ赤なモミジがありました。
昔は庭園などに植えるモミジはこのように真っ赤で鮮やかな木を
庭師が選りすぐって植栽したのではないでしょうか。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
江戸時代になると園芸が盛んになり技術も向上し
鮮やに色付くモミジの種子を採取し
実生から苗を育てていたかも知れませんね。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
11/23の夕方ニュースを観ていたら
日光周辺は紅葉目当ての観光客で大渋滞。
どの駐車場も満車状態で空きを見つけるのに
1時間もかかった観光客もいました。
東京の高尾もケーブルカーやリフトに乗るのに
40分から50分待ちとか・・・・ -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
どうして混雑が予想できる所にわざわざ行くのだろう?
私は混雑&渋滞が大嫌いなので
どんなに素晴らしい絶景でも渋滞&混雑が予想できたら
絶対行きたくありません。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
こっちは、こんなにガラガラだよと
教えてあげたいくらい。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
見事なモミジの木です。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
この大峠林道は福島栃木県境の大峠近くまで車で行けましたが
ヨロイ沢橋の老朽化で通行止めになっています。
現在、車は日暮滝の先のヨロイ沢橋手前までしか
行けないようです。
大峠超えや那須連峰登山計画のある方は
下郷町のHPで確認するか電話で問い合わせたほが無難です。
https://www.town.shimogo.fukushima.jp/organization/nourin/4/242.html -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
この紅葉の会津中街道がより自然で美しく見えることの一つが
ガードレールが殆どないことです。
加藤谷川川は断崖ですが樹木が多く
谷底に転落する恐れが無いことや予算の関係かと思います。
結果論ですが写真的にはスッキリしてありがたいです。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
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☆燃ゆる紅葉・会津中街道
狭い道路でなのでスレ違い時に脱リンすれば運が悪ければ
谷側に落ちると思いますが会津中街道は樹木が多いので
どこかの木に必ずひっかかるでしょう(^-^;。
でも谷底までは100mくらいありそうです。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
このような1車線道路で、対向車と鉢合わせになったら、
登りと下り、どちらの車両が優先でしょうか?
登坂の場合は登りの車両が優先されます。
理由は登り道で停車した車が再発進する場合、
車両が後退する可能性があり、視界が悪く脱輪したり、
逃げ道のない後続車に危険だからです。
そのため登りの車は停車することなく走り抜け、
下りの車は左側に車体を寄せて対向車を通りやすくするのが
山道1車線道路走行のマナーです。
坂道で無い場合はケースバイケースで
片側に寄せやすい方が譲りましょう。 -
☆燃ゆる紅葉・会津中街道
カラマツ林も黄葉し始めていました。
このカラマツ林を抜けたら間もなく日暮滝です。
これで◆錦秋の甲子街道&燃ゆる紅葉会津中街道はお仕舞です。
いつも最後までご覧下さりありがとうございます。
そして、いいねもありがとうございます。
今日(11/24)発表の新型コロナの東京の感染者数が
なんとわずかに5人。
もちろん福島県はゼロです。
今年の8月には東京だけで1日5700人を超えていたのに
信じられないような劇的な減少です。
ワクチン2回接種者が75%を超えたのも理由の一つだとは思いますが
専門家を含め感染者がこんなに劇的に減る予想した人は
誰一人いなかったと思います。
結果論としていい方に外れたから良かったものの
なぜこれほど劇的に減少したのか明確に解説できないのも正直不気味です。
日本は今のところいい方向に進んでいますが、
欧州や韓国など最悪を更新している国もたくさんあり
日本だけ良くても世界的に収拾しなければ
まだまだ海外旅行はお預けでしょうね--〆)。
ではまた。 j-ryu
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