伊勢神宮旅行記(ブログ) 一覧に戻る
相差から伊勢神宮の内宮の駐車場に到着したのは午前10時45分でした。これから午後2時までが自由行動になります。一見すると長い自由行動の気もしますが、内宮の参拝に1時間はかかりますし、お昼もこの時間内で済ませなければなりません。添乗員さんと一緒に参拝する方もいましたが、我々は2人はゆっくり自分たちのペースで進みました。外宮はガラガラでしたが、内宮も比較的空いていたので、厳かな雰囲気も感じることが出来ました。50年ぶりの参拝でもあったので感慨深いものもありました。参拝後はおはらい町をそぞろ歩いて、伊勢うどんを食べたり赤福の本店でお茶とお菓子もいただけました。徳力富吉郎版画館の存在もここで初めて知り、好きな作家さんの作品を見ることが出来たのも良かったです。長いようであっという間に午後2時になり、ここから7時間かけて東京に戻るかとと思うと気が重くなりましたが、途中の刈谷と静岡と海老名で買い物をしながら帰りました。午後9時に新宿でバスを降りて1泊2日の伊勢の旅は終わりました。

HIS格安バスツアーで伊勢神宮へ行く旅(3)50年ぶりの伊勢神宮内宮の参拝とおはらい町とおかげ横丁でお土産を買いながら食べ歩く。

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2021/10/28 - 2021/10/28

525位(同エリア2913件中)

旅行記グループ 2021伊勢神宮の旅

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kojikoji

kojikojiさん

相差から伊勢神宮の内宮の駐車場に到着したのは午前10時45分でした。これから午後2時までが自由行動になります。一見すると長い自由行動の気もしますが、内宮の参拝に1時間はかかりますし、お昼もこの時間内で済ませなければなりません。添乗員さんと一緒に参拝する方もいましたが、我々は2人はゆっくり自分たちのペースで進みました。外宮はガラガラでしたが、内宮も比較的空いていたので、厳かな雰囲気も感じることが出来ました。50年ぶりの参拝でもあったので感慨深いものもありました。参拝後はおはらい町をそぞろ歩いて、伊勢うどんを食べたり赤福の本店でお茶とお菓子もいただけました。徳力富吉郎版画館の存在もここで初めて知り、好きな作家さんの作品を見ることが出来たのも良かったです。長いようであっという間に午後2時になり、ここから7時間かけて東京に戻るかとと思うと気が重くなりましたが、途中の刈谷と静岡と海老名で買い物をしながら帰りました。午後9時に新宿でバスを降りて1泊2日の伊勢の旅は終わりました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
4.0
ショッピング
4.5
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
観光バス タクシー 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
エイチ・アイ・エス

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  • 午前10時45分に伊勢神宮の内宮のバス駐車場に到着しました。ここで午後2時まで自由時間がもらえます。その間に内宮の参拝とおはらい町とおかげ横丁と昼食もしなければなりません。

    午前10時45分に伊勢神宮の内宮のバス駐車場に到着しました。ここで午後2時まで自由時間がもらえます。その間に内宮の参拝とおはらい町とおかげ横丁と昼食もしなければなりません。

  • 宇治橋の??居は旧正殿の棟持柱が再利?されます。ここに来ると50年前に来たことを思い出しました。

    宇治橋の??居は旧正殿の棟持柱が再利?されます。ここに来ると50年前に来たことを思い出しました。

  • その当時の兄弟3人の写真です。両親とともに旅した一番良い時期だったと思います。影の具合を見ると同じ午前中に来たのが分かりました。

    その当時の兄弟3人の写真です。両親とともに旅した一番良い時期だったと思います。影の具合を見ると同じ午前中に来たのが分かりました。

  • 宇治橋の外と内に高さ7.44メートルの大鳥居が立っていますが、内側の鳥居は内宮の旧正殿の棟持柱を、外側の鳥居は外宮の旧正殿の棟持柱が用いられます。さらに20年経つと内側の鳥居は鈴鹿峠のふもとの「関の追分」、外側の鳥居は桑名の「七里の渡し」の鳥居となり、正殿の棟持柱となた後は60年のお勤めを果たすことになります。

    宇治橋の外と内に高さ7.44メートルの大鳥居が立っていますが、内側の鳥居は内宮の旧正殿の棟持柱を、外側の鳥居は外宮の旧正殿の棟持柱が用いられます。さらに20年経つと内側の鳥居は鈴鹿峠のふもとの「関の追分」、外側の鳥居は桑名の「七里の渡し」の鳥居となり、正殿の棟持柱となた後は60年のお勤めを果たすことになります。

  • 宇治橋は全長101.8mで巾8.4メートルで、欄干の上に16個の擬宝珠を据えた純日本風反り橋です。床板や欄干は檜で作られていますが、橋脚の部分は水に強い欅を使用しているそうです。

    宇治橋は全長101.8mで巾8.4メートルで、欄干の上に16個の擬宝珠を据えた純日本風反り橋です。床板や欄干は檜で作られていますが、橋脚の部分は水に強い欅を使用しているそうです。

  • もっと混雑しているのかと思いましたが、平日の午前中はこんなものなのでしょうか。緊急事態宣言が解除されたばかりなので空いているのかもしれません。

    もっと混雑しているのかと思いましたが、平日の午前中はこんなものなのでしょうか。緊急事態宣言が解除されたばかりなので空いているのかもしれません。

  • 宇治橋は本来は傷みがひどい際に修繕や架け替えを行っていましたが、明治22年の1889年の第56回式年遷宮から遷宮に合わせて20年に一度架け替えされるようになったそうです。

    宇治橋は本来は傷みがひどい際に修繕や架け替えを行っていましたが、明治22年の1889年の第56回式年遷宮から遷宮に合わせて20年に一度架け替えされるようになったそうです。

  • 外宮は橋の左を進み、内宮は右を進むことに疑問が生じます。古い書物などを読んでもその理由ははっきりと書かれていないようですが、参道の外側を通って神前に進んだ参拝者の「慎みの心」の表れと考えられるそうです。また、参拝前にお清めをする御手洗場が内宮は右側、外宮は左側であったことも理由と考えられます。

    外宮は橋の左を進み、内宮は右を進むことに疑問が生じます。古い書物などを読んでもその理由ははっきりと書かれていないようですが、参道の外側を通って神前に進んだ参拝者の「慎みの心」の表れと考えられるそうです。また、参拝前にお清めをする御手洗場が内宮は右側、外宮は左側であったことも理由と考えられます。

  • この柱は木除杭と呼ばれ、五十鈴川の増水や氾濫の際に上流から流れてくる流木が宇治橋の橋脚へあたることを防ぎ、橋を守る役目があります。

    この柱は木除杭と呼ばれ、五十鈴川の増水や氾濫の際に上流から流れてくる流木が宇治橋の橋脚へあたることを防ぎ、橋を守る役目があります。

  • 写真を撮っていたら妻に置いて行かれてしまいました。妻と伊勢神宮へ来ることが出来たのは喜ばしいことですが、母が元気なうちに一緒に来ればよかったと思いました。

    写真を撮っていたら妻に置いて行かれてしまいました。妻と伊勢神宮へ来ることが出来たのは喜ばしいことですが、母が元気なうちに一緒に来ればよかったと思いました。

  • 一緒に来てから50年という時間が経ってしまいました。その間に式年遷宮も3回あったのだと思うと途方もない長さを感じます。

    一緒に来てから50年という時間が経ってしまいました。その間に式年遷宮も3回あったのだと思うと途方もない長さを感じます。

  • 伊勢市の南部に位置している宮域林の面積は約5,500haあります。五十鈴川を渡っていて見える山々もその一部なのでしょう。その中には御造営用材のヒノキ造林地が含まれ、その面積は約2,300haもあるそうです。御造営用材は立木の直径が1メートルを超えるものも必要ですが、直径60センチ前後の立木から採れるものが主体になるそうです。

    伊勢市の南部に位置している宮域林の面積は約5,500haあります。五十鈴川を渡っていて見える山々もその一部なのでしょう。その中には御造営用材のヒノキ造林地が含まれ、その面積は約2,300haもあるそうです。御造営用材は立木の直径が1メートルを超えるものも必要ですが、直径60センチ前後の立木から採れるものが主体になるそうです。

  • 宇治橋を渡ると人の姿が急になくなりました。また鳥居をくぐると異世界へ迷い込むのではないかと心配になります。

    宇治橋を渡ると人の姿が急になくなりました。また鳥居をくぐると異世界へ迷い込むのではないかと心配になります。

  • 神苑に入ると砂利の敷かれた広い道に差し掛かります。

    神苑に入ると砂利の敷かれた広い道に差し掛かります。

  • 脇には手入れの行き届いた芝生と、見事な枝振りの松の木が植えられています。

    脇には手入れの行き届いた芝生と、見事な枝振りの松の木が植えられています。

  • 松葉も見事に手入れがなされています。昔母方の祖父が庭の手入れをしていたことを思い出しました。京都の寺社仏閣についての知識の深さや、各方面に顔が利いたので普通では入れないところを見せてもらえました。松葉で言うと永観堂の「三鈷の松」について教えてもらったことをよく覚えています。葉先が3つに分かれている珍しい松の古木で、三鈷は智慧、慈悲、まごころを表します。この松の葉を持っていると3つの福が授かるといわれると教わりました。

    松葉も見事に手入れがなされています。昔母方の祖父が庭の手入れをしていたことを思い出しました。京都の寺社仏閣についての知識の深さや、各方面に顔が利いたので普通では入れないところを見せてもらえました。松葉で言うと永観堂の「三鈷の松」について教えてもらったことをよく覚えています。葉先が3つに分かれている珍しい松の古木で、三鈷は智慧、慈悲、まごころを表します。この松の葉を持っていると3つの福が授かるといわれると教わりました。

  • 外宮でも菊の展示がされていましたが、内宮でも国華会の菊花奉納展示が行われていました。これは「盆栽作り」と呼ばれるもので、山菊と呼ばれる小菊の中で節間が詰まって幹の太りやすい品種を使って盆栽に仕立てるものです。1年間で古木の風格を生み出しますのが驚きです。

    外宮でも菊の展示がされていましたが、内宮でも国華会の菊花奉納展示が行われていました。これは「盆栽作り」と呼ばれるもので、山菊と呼ばれる小菊の中で節間が詰まって幹の太りやすい品種を使って盆栽に仕立てるものです。1年間で古木の風格を生み出しますのが驚きです。

  • 「三本仕立て」は盆養とも言い、大菊の最も基本的な仕立て方です。1本の苗を摘芯して3本の枝を伸ばし、後の1輪を高くして前の2輪は同じ高さに、3つの花を同時に、同じ大きさに揃えて出来るだけ巨大輪に咲かせます。

    「三本仕立て」は盆養とも言い、大菊の最も基本的な仕立て方です。1本の苗を摘芯して3本の枝を伸ばし、後の1輪を高くして前の2輪は同じ高さに、3つの花を同時に、同じ大きさに揃えて出来るだけ巨大輪に咲かせます。

  • 12鉢花壇は1人の作者が赤白黄各4鉢、12種類の鉢を同色が斜めに並ぶように配置展示するもので、大阪附近から西の地方で盛んだそうです。 関東地方などでは1鉢の優秀を競うのが主体だそうです。<br />

    12鉢花壇は1人の作者が赤白黄各4鉢、12種類の鉢を同色が斜めに並ぶように配置展示するもので、大阪附近から西の地方で盛んだそうです。 関東地方などでは1鉢の優秀を競うのが主体だそうです。

  • 「盆栽懸崖」は<br />幹を太く根張りよく育て、崖から垂れ下がった老松の風格を持たせます。まだ花が咲き揃っていないのが残念です。

    「盆栽懸崖」は
    幹を太く根張りよく育て、崖から垂れ下がった老松の風格を持たせます。まだ花が咲き揃っていないのが残念です。

  • 良い天気で参拝者も少ないので周囲の雰囲気をかじることが出来てよかったです。ここでは春と秋の神楽祭公開舞楽や奉納大相撲の土俵入りも行われます。

    良い天気で参拝者も少ないので周囲の雰囲気をかじることが出来てよかったです。ここでは春と秋の神楽祭公開舞楽や奉納大相撲の土俵入りも行われます。

  • 五十鈴川御手洗場に着きました。ここも人が少なくてよかったです。伊勢神宮が大好きな友人から動画のリクエストがあったので送りました。

    五十鈴川御手洗場に着きました。ここも人が少なくてよかったです。伊勢神宮が大好きな友人から動画のリクエストがあったので送りました。

  • 五十鈴川は「御裳濯川(みもすそがわ)」とも呼ばれ、倭姫命(やまとひめのみこと)が御裳のすそを濯いだことから名付けられたと伝えられます。神路山を水源とする神路川と島路山を源とする島路川の2つの流れが合流して五十鈴川となります。富士宮生まれの木花咲弥姫(このはさくやひめ)が参拝に来ています。

    五十鈴川は「御裳濯川(みもすそがわ)」とも呼ばれ、倭姫命(やまとひめのみこと)が御裳のすそを濯いだことから名付けられたと伝えられます。神路山を水源とする神路川と島路山を源とする島路川の2つの流れが合流して五十鈴川となります。富士宮生まれの木花咲弥姫(このはさくやひめ)が参拝に来ています。

  • ここで撮った写真も残っていますし、手を清めた記憶も残っています。正月なので冷たかったのをよく覚えています。

    ここで撮った写真も残っていますし、手を清めた記憶も残っています。正月なので冷たかったのをよく覚えています。

  • 元禄5年の1692年に徳川綱吉の生母である桂昌院が寄進したといわれる石畳を敷き詰めた御手洗場からの景色は心も洗われるような気持ちになります。

    元禄5年の1692年に徳川綱吉の生母である桂昌院が寄進したといわれる石畳を敷き詰めた御手洗場からの景色は心も洗われるような気持ちになります。

  • しばらく清流を眺めていました。ずっと立っていても参拝者の方の邪魔にならないほど空いています。

    しばらく清流を眺めていました。ずっと立っていても参拝者の方の邪魔にならないほど空いています。

  • 川の流れに逆らってカモが集団で泳いでいます。

    川の流れに逆らってカモが集団で泳いでいます。

  • シラサギが1羽魚を狙っています。

    シラサギが1羽魚を狙っています。

  • そろそろ先へ進まないと参拝が終わりません。

    そろそろ先へ進まないと参拝が終わりません。

  • 鳥居の先に神楽殿の建物が見えてきました。

    鳥居の先に神楽殿の建物が見えてきました。

  • ここに貼られた厄除け早見表に昭和36年生まれは「大厄」と赤く書かれてあったので厄除けのお守りを買い求めました。若いころは祖母や叔母がお守りを送ってくれていましたが、もう自分で買うしかありません。

    ここに貼られた厄除け早見表に昭和36年生まれは「大厄」と赤く書かれてあったので厄除けのお守りを買い求めました。若いころは祖母や叔母がお守りを送ってくれていましたが、もう自分で買うしかありません。

  • 御祈祷していただくほど時間が無いので正宮に向かって進みます。

    御祈祷していただくほど時間が無いので正宮に向かって進みます。

  • 忌?屋殿(いんびやでん)・祓所(はらえど)は神饌(しんせん)の調理を行う「神様の台所」のことです。忌火とは「清浄な火」という意味で、火鑽具を用いて清浄な火をおこしてお供えものを準備します。忌火屋殿の前庭は祓所と呼ばれ、祭典の前に神饌と神職を祓い清める場所です。

    忌?屋殿(いんびやでん)・祓所(はらえど)は神饌(しんせん)の調理を行う「神様の台所」のことです。忌火とは「清浄な火」という意味で、火鑽具を用いて清浄な火をおこしてお供えものを準備します。忌火屋殿の前庭は祓所と呼ばれ、祭典の前に神饌と神職を祓い清める場所です。

  • この辺りにも樹齢数百年を数える杉の巨木が林立しています。

    この辺りにも樹齢数百年を数える杉の巨木が林立しています。

  • ここでも小学生の修学旅行生の姿がありました。たぶん関西方面から来ているのでしょう。これからの人生に幸ありますように。さすがに小学生から人生をやり直したいとは思いません。

    ここでも小学生の修学旅行生の姿がありました。たぶん関西方面から来ているのでしょう。これからの人生に幸ありますように。さすがに小学生から人生をやり直したいとは思いません。

  • 後で気が付きましたが、この階段を上ると正宮の正面に当たります。

    後で気が付きましたが、この階段を上ると正宮の正面に当たります。

  • 石の積み上げられた上には正宮を囲む蕃塀が見えています。ここから正宮の正面までは歩いてすぐです。

    石の積み上げられた上には正宮を囲む蕃塀が見えています。ここから正宮の正面までは歩いてすぐです。

  • 皇大神宮は皇室の御祖神であり日本人の大御祖神である天照大御神をお祀りしています。今から2000年前に皇位のしるしとして受け継がれる三種の神器の1つである八咫鏡をご神体として伊勢の地に祀り、国家の守護神として崇める伊勢信仰は平安末期より全国に広がりました。現在でも全国の神社の本宗として特別に崇敬を集めています。

    皇大神宮は皇室の御祖神であり日本人の大御祖神である天照大御神をお祀りしています。今から2000年前に皇位のしるしとして受け継がれる三種の神器の1つである八咫鏡をご神体として伊勢の地に祀り、国家の守護神として崇める伊勢信仰は平安末期より全国に広がりました。現在でも全国の神社の本宗として特別に崇敬を集めています。

  • 50年前の写真と見比べてみるとまさにこの位置だということが分かりました。そう考えるとこの50年のうちに2回の式年遷宮があったということになります。

    50年前の写真と見比べてみるとまさにこの位置だということが分かりました。そう考えるとこの50年のうちに2回の式年遷宮があったということになります。

  • 昭和40年代の日本中を旅した記憶が残っているのは自分にとっての財産ですし、旅に連れて行ってくれた両親には感謝です。ただ、膨大に残された写真のネガフィルムやスライドや8ミリフィルムは10年以上かけてもスキャンも終わりません。

    昭和40年代の日本中を旅した記憶が残っているのは自分にとっての財産ですし、旅に連れて行ってくれた両親には感謝です。ただ、膨大に残された写真のネガフィルムやスライドや8ミリフィルムは10年以上かけてもスキャンも終わりません。

  • そしてまた新しい写真のデータが増えていきます。階段の下までは写真撮影が出来ますが、その先では撮影は禁止されています。

    そしてまた新しい写真のデータが増えていきます。階段の下までは写真撮影が出来ますが、その先では撮影は禁止されています。

  • 参拝をしていると奥では法被を着た鳶の方たちが御祈祷を受けていました。その姿が実に日本的なので、先に階段を降りて出てこられるのを待っていました。

    参拝をしていると奥では法被を着た鳶の方たちが御祈祷を受けていました。その姿が実に日本的なので、先に階段を降りて出てこられるのを待っていました。

  • 最近は2人とも足腰が弱ってきているので、元気なうちに出来るだけ旅を続けたいと思います。

    最近は2人とも足腰が弱ってきているので、元気なうちに出来るだけ旅を続けたいと思います。

  • 杉皮が痛まないようになのか巻かれた割竹が美しく思えました。

    杉皮が痛まないようになのか巻かれた割竹が美しく思えました。

  • 「御稲御倉(みしねのみくら)」は内宮の所管社の1つです。神宮神田で収穫して三節祭でお供えされる御稲が奉納されます。建物の規模は小さいですが、神明造の特徴をうかがうことができます。

    「御稲御倉(みしねのみくら)」は内宮の所管社の1つです。神宮神田で収穫して三節祭でお供えされる御稲が奉納されます。建物の規模は小さいですが、神明造の特徴をうかがうことができます。

  • 社殿は唯一神明造で、内宮のある東の方角を向いて建っています。高床の切妻屋根で千木と鰹木を備えるなど、内宮の東西宝殿や外幣殿に酷似した構造です。

    社殿は唯一神明造で、内宮のある東の方角を向いて建っています。高床の切妻屋根で千木と鰹木を備えるなど、内宮の東西宝殿や外幣殿に酷似した構造です。

  • 高床であるため御稲奉下の際には取り外し可能な階段を取り付け、権禰宜が御鑰(みかぎ)を開錠して御扉を開き、イネを取り出すそうです。

    高床であるため御稲奉下の際には取り外し可能な階段を取り付け、権禰宜が御鑰(みかぎ)を開錠して御扉を開き、イネを取り出すそうです。

  • 「外幣殿(げへいでん)」はかつて天皇以外のものから奉られた幣帛も納めた建物だそうです。内宮は正宮御垣の外にありますが、外宮では御垣内にありました。

    「外幣殿(げへいでん)」はかつて天皇以外のものから奉られた幣帛も納めた建物だそうです。内宮は正宮御垣の外にありますが、外宮では御垣内にありました。

  • 伊勢神宮の「外弊殿」では「古神宝類(こしんぽうるい)」が納められているそうです。古来の伊勢神宮では「皇太子(王位継承者)」や「皇后陛下」からの幣帛を収めていたようです。

    伊勢神宮の「外弊殿」では「古神宝類(こしんぽうるい)」が納められているそうです。古来の伊勢神宮では「皇太子(王位継承者)」や「皇后陛下」からの幣帛を収めていたようです。

  • 正宮の裏側までやってきました。ここまでずっと記憶に残っている写真の場所を探していましたが、最後まで分かりませんでした。

    正宮の裏側までやってきました。ここまでずっと記憶に残っている写真の場所を探していましたが、最後まで分かりませんでした。

  • 正宮の裏側辺りかと思いましたが、石組みとかが違いますし、建物が無いので古殿地だということが分かります。この問い時は結界の縄や御幣が無かったのでもっと奥まで入れたのかもしれません。<br />

    正宮の裏側辺りかと思いましたが、石組みとかが違いますし、建物が無いので古殿地だということが分かります。この問い時は結界の縄や御幣が無かったのでもっと奥まで入れたのかもしれません。

  • 正宮の裏側の正面までは行けないようになっていました。

    正宮の裏側の正面までは行けないようになっていました。

  • ここから階段を降りて「荒祭宮」に向かいます。神宮の参宮案内所に置かれてある地図のルートには乗っていない道です。

    ここから階段を降りて「荒祭宮」に向かいます。神宮の参宮案内所に置かれてある地図のルートには乗っていない道です。

  • 「荒祭宮」は内宮に所属する十所の別宮のうち、第一に位しています。殿舎の規模も他の別宮よりも大きく、正宮に次ぐ大きさです。ご祭神は天照大御神の荒御魂です。

    「荒祭宮」は内宮に所属する十所の別宮のうち、第一に位しています。殿舎の規模も他の別宮よりも大きく、正宮に次ぐ大きさです。ご祭神は天照大御神の荒御魂です。

  • 神様の御魂のおだやかな働きを「和御魂」と呼ぶのに対して、荒々しく格別に顕著なご神威をあらわされる御魂の働きを「荒御魂」とたたえます。

    神様の御魂のおだやかな働きを「和御魂」と呼ぶのに対して、荒々しく格別に顕著なご神威をあらわされる御魂の働きを「荒御魂」とたたえます。

  • 朝から歩き続けなので妻もだいぶお疲れのようです。マスクをしながら歩くと息が切れてしまいます。

    朝から歩き続けなので妻もだいぶお疲れのようです。マスクをしながら歩くと息が切れてしまいます。

  • 「神楽殿」ではお神楽の奉納が出来ますが、ここでしか見ることのできない「倭舞(やまとまい)」と呼ばれる舞などを見ることが出来ます。時間が無いので諦めて先に進みます。<br />https://www.youtube.com/watch?v=eL1EOEBYXk4

    「神楽殿」ではお神楽の奉納が出来ますが、ここでしか見ることのできない「倭舞(やまとまい)」と呼ばれる舞などを見ることが出来ます。時間が無いので諦めて先に進みます。
    https://www.youtube.com/watch?v=eL1EOEBYXk4

  • 自然のままの姿を残す「御池」も少しだけ紅葉が始まっていました。

    自然のままの姿を残す「御池」も少しだけ紅葉が始まっていました。

  • 「御厩(みうまや)」は皇室から献上された神馬がいる場所で、内宮と外宮2頭づつ飼育されているそうです。残念ながらこの時はお留守でした。

    「御厩(みうまや)」は皇室から献上された神馬がいる場所で、内宮と外宮2頭づつ飼育されているそうです。残念ながらこの時はお留守でした。

  • 我が家の「関東」「一番」の自慢の妻です。

    我が家の「関東」「一番」の自慢の妻です。

  • 奉納された一斗樽が積み上げられています。三重県内の清酒製造メーカー44社で構成される三重県酒造組合(津市大谷町)は10月1日に伊勢神宮に菰樽(こもだる)を奉納し、御酒殿祭(みさかどのさい)への参列を行うそうです。

    奉納された一斗樽が積み上げられています。三重県内の清酒製造メーカー44社で構成される三重県酒造組合(津市大谷町)は10月1日に伊勢神宮に菰樽(こもだる)を奉納し、御酒殿祭(みさかどのさい)への参列を行うそうです。

  • デザイン的に気に入ったのは「伊勢 旭」の樽ですね。「参集殿」では御神酒を買うことが出来ますが、1本1,000円というお値段でした。ちょっと迷いましたがおはらい町で白鷹で御料酒を買うことにしました。

    デザイン的に気に入ったのは「伊勢 旭」の樽ですね。「参集殿」では御神酒を買うことが出来ますが、1本1,000円というお値段でした。ちょっと迷いましたがおはらい町で白鷹で御料酒を買うことにしました。

  • 神苑の参道に戻りましたが、さらに参拝者の姿は減ったみたいです。

    神苑の参道に戻りましたが、さらに参拝者の姿は減ったみたいです。

  • 鳥居をくぐった後は振り返って一礼して宇治橋を渡ります。

    鳥居をくぐった後は振り返って一礼して宇治橋を渡ります。

  • 参拝者が途切れるタイミングが多く、誰もいない写真も撮りやすいです。

    参拝者が途切れるタイミングが多く、誰もいない写真も撮りやすいです。

  • 参拝が終わったら五十鈴川の下流方面に向かいましょう。

    参拝が終わったら五十鈴川の下流方面に向かいましょう。

  • 五十鈴川の上流もこれが見納めです。

    五十鈴川の上流もこれが見納めです。

  • 神宮の鳥居に法被を着た鳶の方の姿が絵になります。

    神宮の鳥居に法被を着た鳶の方の姿が絵になります。

  • 宇治橋の西詰北側2本目の擬宝珠(ぎぼし)の中には、橋の安全を祈って饗土橋姫(あえどはしひめ)神社の萬度麻(まんどぬさ)が収められています。この擬宝珠(ぎぼし)に触れて帰ると、また参拝に訪れる事ができると言われています。<br />右側通行で帰る際には最後から2本目となります。色が違っていますし、文字が刻まれていますのですぐにわかります。

    宇治橋の西詰北側2本目の擬宝珠(ぎぼし)の中には、橋の安全を祈って饗土橋姫(あえどはしひめ)神社の萬度麻(まんどぬさ)が収められています。この擬宝珠(ぎぼし)に触れて帰ると、また参拝に訪れる事ができると言われています。
    右側通行で帰る際には最後から2本目となります。色が違っていますし、文字が刻まれていますのですぐにわかります。

  • 「おはらい町」は修学旅行生の姿も多くすごい賑わいです。それでもインバウンドのあった頃はもっとすごかったのだろうと思います。

    「おはらい町」は修学旅行生の姿も多くすごい賑わいです。それでもインバウンドのあった頃はもっとすごかったのだろうと思います。

  • 記憶に残っているのはこんな街並みです。近くの旅館の2階に泊まって、早朝の開店前に「赤福」へ行った記憶が残っています。

    記憶に残っているのはこんな街並みです。近くの旅館の2階に泊まって、早朝の開店前に「赤福」へ行った記憶が残っています。

  • 昭和を感じる赤福の売店がありました。午後2時前にはすべて売り切れになっていました。

    昭和を感じる赤福の売店がありました。午後2時前にはすべて売り切れになっていました。

  • 街並みの建物は建て替わっても看板は古いままのようです。そしてどこの店の店先にも伊勢注連縄が吊られています。すべてが蘇民将来の子孫であれば全員が親戚だということです。

    街並みの建物は建て替わっても看板は古いままのようです。そしてどこの店の店先にも伊勢注連縄が吊られています。すべてが蘇民将来の子孫であれば全員が親戚だということです。

  • もう少し暑かったら飲みたくなったと思います。金盥が子供の頃を思い出させます。

    もう少し暑かったら飲みたくなったと思います。金盥が子供の頃を思い出させます。

  • 和漢薬配合の「萬金丹」はお伊勢参りのお土産として親しまれてきた伝統薬です。「越中富山の反魂丹、鼻くそ丸めて萬金丹」という俗謡でも親しまれてきた萬金丹は、伊勢白粉(いせおしろい)とともに伊勢路の土産物として全国に広まりまったそうです。子供の頃に鼻くそ丸めてなんて謡った覚えがありますが、妻が知らなかったことに驚きました。

    和漢薬配合の「萬金丹」はお伊勢参りのお土産として親しまれてきた伝統薬です。「越中富山の反魂丹、鼻くそ丸めて萬金丹」という俗謡でも親しまれてきた萬金丹は、伊勢白粉(いせおしろい)とともに伊勢路の土産物として全国に広まりまったそうです。子供の頃に鼻くそ丸めてなんて謡った覚えがありますが、妻が知らなかったことに驚きました。

  • 「白鷹」のショップに立ち寄りました。この酒造会社は地元の蔵ではないのですが、御料酒を納められるのは唯一白鷹だけだそうです。伊勢神宮に清酒を献納し始めたのは大正13年の1924年からで、三木市吉川町の契約農家が作った最高級の山田錦に、酒造りに最適な「宮水」で仕込んだ清酒だそうです。

    「白鷹」のショップに立ち寄りました。この酒造会社は地元の蔵ではないのですが、御料酒を納められるのは唯一白鷹だけだそうです。伊勢神宮に清酒を献納し始めたのは大正13年の1924年からで、三木市吉川町の契約農家が作った最高級の山田錦に、酒造りに最適な「宮水」で仕込んだ清酒だそうです。

  • ここでワンカップの御料酒と四日市市の宮崎本店の「キンミヤ シャリキンパウチ」をまとめ買いして友人へのお土産にしました。

    ここでワンカップの御料酒と四日市市の宮崎本店の「キンミヤ シャリキンパウチ」をまとめ買いして友人へのお土産にしました。

  • 予定していた伊勢うどんの「岡田屋」は木曜定休だと知らずにショックです。

    予定していた伊勢うどんの「岡田屋」は木曜定休だと知らずにショックです。

  • ということで近くにあった「中井屋」にしました。最初は店にお客がいなかったので心配しましたが、あっという間に満席になったのでうまいタイミングでした。

    ということで近くにあった「中井屋」にしました。最初は店にお客がいなかったので心配しましたが、あっという間に満席になったのでうまいタイミングでした。

  • 注文したのはもちろん伊勢うどんです。

    注文したのはもちろん伊勢うどんです。

  • すぐに熱々のうどんがやってきました。月見にしても良かったかなと一瞬迷いました。

    すぐに熱々のうどんがやってきました。月見にしても良かったかなと一瞬迷いました。

  • でも伊勢醤油の味をしっかり感じられて良かったです。お客さんが次々に入ってきますが、「満席です。」と断られていました。

    でも伊勢醤油の味をしっかり感じられて良かったです。お客さんが次々に入ってきますが、「満席です。」と断られていました。

  • 美味しくいただきました。ベトナム中部のホイアンにカオラウという麺料理があるのですが、この麵のルーツが伊勢うどんといわれています。そのことを考えながら食べましたが、全く違うなというのが感想です。

    美味しくいただきました。ベトナム中部のホイアンにカオラウという麺料理があるのですが、この麵のルーツが伊勢うどんといわれています。そのことを考えながら食べましたが、全く違うなというのが感想です。

  • 妻の持っている三重県伊賀市の土楽窯の土鍋が売っていました。その前で妻は真剣に悩んでいます。土鍋は持っていますが、実は蓋を持っていないのです。この土鍋では両親を呼んで北京から帰った後に刷羊肉(しゅわんやんろう)という羊のしゃぶしゃぶをやったり思い出があります。

    妻の持っている三重県伊賀市の土楽窯の土鍋が売っていました。その前で妻は真剣に悩んでいます。土鍋は持っていますが、実は蓋を持っていないのです。この土鍋では両親を呼んで北京から帰った後に刷羊肉(しゅわんやんろう)という羊のしゃぶしゃぶをやったり思い出があります。

  • 五十鈴川カフェの素敵な建物の間からは五十鈴川に降りられるようになっていました。

    五十鈴川カフェの素敵な建物の間からは五十鈴川に降りられるようになっていました。

  • 「すし久」の建物は古いままのようでした。当時の面影を残す現在の建物は平成元年に復元改装されたものですが、吹き抜けの梁には明治2年の遷宮時に下賜された宇治橋のけやき材がそのまま使われているそうです。

    「すし久」の建物は古いままのようでした。当時の面影を残す現在の建物は平成元年に復元改装されたものですが、吹き抜けの梁には明治2年の遷宮時に下賜された宇治橋のけやき材がそのまま使われているそうです。

  • この看板も昔のものだそうです。

    この看板も昔のものだそうです。

  • 伊勢名物の手捏ね寿司も食べたかったのですが、お店は混んでいたので諦めました。

    伊勢名物の手捏ね寿司も食べたかったのですが、お店は混んでいたので諦めました。

  • ということで「赤福」の本店に並びました。5分ほどで順番が来たので良かったです。「この後は混みますよ。」と言われたので先にしてよかったです。

    ということで「赤福」の本店に並びました。5分ほどで順番が来たので良かったです。「この後は混みますよ。」と言われたので先にしてよかったです。

  • 50年前には早朝の5時くらいに並んで開店と同時に店に入った記憶があります。竈の位置は変わっていないような気がしますが、店頭のレジの辺りに座ったと思います。

    50年前には早朝の5時くらいに並んで開店と同時に店に入った記憶があります。竈の位置は変わっていないような気がしますが、店頭のレジの辺りに座ったと思います。

  • 通されたのは奥の座敷の床の間の前でした。

    通されたのは奥の座敷の床の間の前でした。

  • これで460円ですから儲かるのかと思ってしまいますが、お客にとっては嬉しいことです。

    これで460円ですから儲かるのかと思ってしまいますが、お客にとっては嬉しいことです。

  • 箱に入ったものは工場で造られていますが、店先で食べるものは職人さんによる手作りだそうです。よく見ると餡の波の感じが鋭角です。箸でいただくのは昔はお餅が食事であった頃の名残りだそうです。 赤福餅の独特な形は伊勢神宮神域を流れる五十鈴川のせせらぎをかたどり、餡(あん)につけた三筋の形は清流を、白いお餅は川底の小石を表しています。

    箱に入ったものは工場で造られていますが、店先で食べるものは職人さんによる手作りだそうです。よく見ると餡の波の感じが鋭角です。箸でいただくのは昔はお餅が食事であった頃の名残りだそうです。 赤福餅の独特な形は伊勢神宮神域を流れる五十鈴川のせせらぎをかたどり、餡(あん)につけた三筋の形は清流を、白いお餅は川底の小石を表しています。

  • 湯呑みにも「赤ふく」の文字が読み取れます。番茶は三重県産の「伊勢茶」で、有機栽培で育てられたお茶を赤福に合うようにブレンドしているそうです。

    湯呑みにも「赤ふく」の文字が読み取れます。番茶は三重県産の「伊勢茶」で、有機栽培で育てられたお茶を赤福に合うようにブレンドしているそうです。

  • 「百福」とは古来より伝わる篆書体(てんしょたい)の「福」の字を百種類選んで揮毫したものです。「百福」という語はもともと中国の黄河流域から長江流域にかけての言葉で、百とは限らず「たくさんの福」というような意味です。

    「百福」とは古来より伝わる篆書体(てんしょたい)の「福」の字を百種類選んで揮毫したものです。「百福」という語はもともと中国の黄河流域から長江流域にかけての言葉で、百とは限らず「たくさんの福」というような意味です。

  • 数多くの篆書体の中から百字を選んで1枚の紙や布などに揮毫したものを「百福図」と呼び、この「百福図」を最初に書いたのは、唐代中期の書家李陽氷(り ようひょう:字は少温)だといわれています。

    数多くの篆書体の中から百字を選んで1枚の紙や布などに揮毫したものを「百福図」と呼び、この「百福図」を最初に書いたのは、唐代中期の書家李陽氷(り ようひょう:字は少温)だといわれています。

  • 赤福を座敷でいただいた後はそのまま五十鈴川に出なければなりません。お土産を買う場合はまた別の列に並ばなければなりません。

    赤福を座敷でいただいた後はそのまま五十鈴川に出なければなりません。お土産を買う場合はまた別の列に並ばなければなりません。

  • 10人ほどの方が並んでいましたが、すぐに順番が来ました。

    10人ほどの方が並んでいましたが、すぐに順番が来ました。

  • 実際にこの竈で湯を沸かしているのが良いですね。

    実際にこの竈で湯を沸かしているのが良いですね。

  • 赤福は自宅用と友人たちのお土産も含めて6箱買い求めました。東京でも買う機会がありますし、東海道新幹線の駅でも買えますが、本店で買ったものの方が気持ち的に良いです。

    赤福は自宅用と友人たちのお土産も含めて6箱買い求めました。東京でも買う機会がありますし、東海道新幹線の駅でも買えますが、本店で買ったものの方が気持ち的に良いです。

  • 通りを挟んだ前にも赤福の店があり、表に徳力富吉郎の版画館があるようなので店の方に場所を聞こうと思って1歩中に入ったら「出口から入らないでください!」と一喝されました。もう少し言い方があるだろうと思いそのまま店を出ました。

    通りを挟んだ前にも赤福の店があり、表に徳力富吉郎の版画館があるようなので店の方に場所を聞こうと思って1歩中に入ったら「出口から入らないでください!」と一喝されました。もう少し言い方があるだろうと思いそのまま店を出ました。

  • 版画館は「おかげ横丁」の中にあったのですぐに分かりました。周囲は混雑しすぎて想像していたより良い雰囲気ではありませんでした。ここも同じ赤福の経営だと思いますが、こちらの係員の方はとても親切でした。

    版画館は「おかげ横丁」の中にあったのですぐに分かりました。周囲は混雑しすぎて想像していたより良い雰囲気ではありませんでした。ここも同じ赤福の経営だと思いますが、こちらの係員の方はとても親切でした。

  • 赤福の箱の堤には「伊勢だより」というものが入っていますが、この図柄のデザインした版画の作家が徳力富吉郎です。全て同じ図柄ではないため、全部集めるとおよそ400種類あるそうです。家には月替わりの京都を題材にした版画があるので毎月差し替えています。10月の太秦の牛祭りが一番好きな絵柄です。

    赤福の箱の堤には「伊勢だより」というものが入っていますが、この図柄のデザインした版画の作家が徳力富吉郎です。全て同じ図柄ではないため、全部集めるとおよそ400種類あるそうです。家には月替わりの京都を題材にした版画があるので毎月差し替えています。10月の太秦の牛祭りが一番好きな絵柄です。

  • 絵葉書を買って両親宛に書こうとしたら隣の山口誓子俳句館の俳句を書くテーブルを貸していただけました。バスの中に切手を忘れたので尋ねてみると、版画館の近くの郵便ポストの位置と切手を売っている店を教えていただけました。赤福では嫌な思いをしましたが、こちらで親切にしていただいたので帳消しになりました。

    絵葉書を買って両親宛に書こうとしたら隣の山口誓子俳句館の俳句を書くテーブルを貸していただけました。バスの中に切手を忘れたので尋ねてみると、版画館の近くの郵便ポストの位置と切手を売っている店を教えていただけました。赤福では嫌な思いをしましたが、こちらで親切にしていただいたので帳消しになりました。

  • 無事に切手を買っておかげ横丁から投函した絵葉書は翌日の朝には家のポストに届いていました。

    無事に切手を買っておかげ横丁から投函した絵葉書は翌日の朝には家のポストに届いていました。

  • おかげ横丁で良かったのは「徳力富吉郎版画館」だけでした。ここだけが時間が止まったように静かな伊勢を感じられました。

    おかげ横丁で良かったのは「徳力富吉郎版画館」だけでした。ここだけが時間が止まったように静かな伊勢を感じられました。

  • おかげ横丁も脇にそれると少しは空いているようでした。

    おかげ横丁も脇にそれると少しは空いているようでした。

  • 西洋館風の建物は犬山の明治村を思い出させます。

    西洋館風の建物は犬山の明治村を思い出させます。

  • 別行動していた妻と合流して昨日行った「宮忠」の支店にも入ってみましたが、置いてある商品は同じでした。ただ店の造りは江戸時代っぽくてよかったです。

    別行動していた妻と合流して昨日行った「宮忠」の支店にも入ってみましたが、置いてある商品は同じでした。ただ店の造りは江戸時代っぽくてよかったです。

  • かっこいい法被が店先に掛かっていました。

    かっこいい法被が店先に掛かっていました。

  • 妻はいつの間にかサメのたれとかイカの一夜干しやらを魚屋さんで買い求めていました。

    妻はいつの間にかサメのたれとかイカの一夜干しやらを魚屋さんで買い求めていました。

  • 「虎屋」の外郎も買いたかったのですが、東京に帰った後すぐにまた次の旅があるので諦めました。来る途中に青柳の外郎も買ってありましたし。

    「虎屋」の外郎も買いたかったのですが、東京に帰った後すぐにまた次の旅があるので諦めました。来る途中に青柳の外郎も買ってありましたし。

  • そろそろバスに戻らなければならない時間ですが、妻は買い食いしていないと「まるよし」に飛び込みます。松坂牛のこれおっけが350円なので1個を半分づつと思いましたが、200円に割引されていたので2個買いました。

    そろそろバスに戻らなければならない時間ですが、妻は買い食いしていないと「まるよし」に飛び込みます。松坂牛のこれおっけが350円なので1個を半分づつと思いましたが、200円に割引されていたので2個買いました。

  • 表のベンチに座っていただきましたが、上等な牛脂の味はしますがお肉が入っている感じはしませんでした。美味しいコロッケではありました。後は萬金丹を買って買い物は終わりです。お店の方に「バスの中で。」萬金飴をたくさんいただきました。

    表のベンチに座っていただきましたが、上等な牛脂の味はしますがお肉が入っている感じはしませんでした。美味しいコロッケではありました。後は萬金丹を買って買い物は終わりです。お店の方に「バスの中で。」萬金飴をたくさんいただきました。

  • 時間前に何とかバスの駐車場に戻れました。妻は通りがかりの方に写真を撮ってくれるように頼まれています。

    時間前に何とかバスの駐車場に戻れました。妻は通りがかりの方に写真を撮ってくれるように頼まれています。

  • ギリギリ時間に間に合い、猿田彦神社の前を通って伊勢自動車道に入ります。まだ午後2時ですが、新宿まで7時間のバス移動が待っています。

    ギリギリ時間に間に合い、猿田彦神社の前を通って伊勢自動車道に入ります。まだ午後2時ですが、新宿まで7時間のバス移動が待っています。

  • 松坂辺りを通過するときに伊勢湾が少し見えました。

    松坂辺りを通過するときに伊勢湾が少し見えました。

  • 三重川越インターチェンジの先に名古屋港のガントリークレーンが見えてきました。

    三重川越インターチェンジの先に名古屋港のガントリークレーンが見えてきました。

  • 右手遠くには微かにセントレア空港が見えました。6月には仙台港から名古屋港へ戻る際に空港の沖合を通過しました。

    右手遠くには微かにセントレア空港が見えました。6月には仙台港から名古屋港へ戻る際に空港の沖合を通過しました。

  • 揖斐川と木曽川の間の中州のような場所にあるナガシマスパーランドが見えてきました。走路全長2,479メートルの世界最長のスチールドラゴン2020は高さも97メートルあるそうです。

    揖斐川と木曽川の間の中州のような場所にあるナガシマスパーランドが見えてきました。走路全長2,479メートルの世界最長のスチールドラゴン2020は高さも97メートルあるそうです。

  • ナガシマスパーランドも名古屋港へ戻る際にフェリーから見えました。

    ナガシマスパーランドも名古屋港へ戻る際にフェリーから見えました。

  • この辺りで交通事故の渋滞があったので、じっくり写真を撮ることが出来ました。

    この辺りで交通事故の渋滞があったので、じっくり写真を撮ることが出来ました。

  • しばらく走ると「名港トリトン」の3つの橋が見えてきました。

    しばらく走ると「名港トリトン」の3つの橋が見えてきました。

  • 巨大なキリンのようなガントリークレーンの姿も近づいてきました。

    巨大なキリンのようなガントリークレーンの姿も近づいてきました。

  • 港らしい景色に変わってきました。

    港らしい景色に変わってきました。

  • 「名港西大橋」を通過しました。太平洋フェリーのフェリーはこの橋の下をくぐって伊勢湾から太平洋へと出ていきます。橋の下をくぐるのは船旅の1つの見どころでもあります。橋脚の高さとフェリーの煙突の高さは2メートルくらいの差しかありません。

    「名港西大橋」を通過しました。太平洋フェリーのフェリーはこの橋の下をくぐって伊勢湾から太平洋へと出ていきます。橋の下をくぐるのは船旅の1つの見どころでもあります。橋脚の高さとフェリーの煙突の高さは2メートルくらいの差しかありません。

  • 「シーライフ名古屋」の建物までは見えましたが、レゴランドまでは見下ろせませんでした。

    「シーライフ名古屋」の建物までは見えましたが、レゴランドまでは見下ろせませんでした。

  • 日本製鉄の名古屋製鉄所が見えてきました。

    日本製鉄の名古屋製鉄所が見えてきました。

  • 6月のフェリー入港時も驚きましたが、この工場はすごい迫力があります。

    6月のフェリー入港時も驚きましたが、この工場はすごい迫力があります。

  • 伊勢を出発して刈谷パーキングエリアに着いたのは2時間後の午後4時でした。ここで20分の休憩です。<br />

    伊勢を出発して刈谷パーキングエリアに着いたのは2時間後の午後4時でした。ここで20分の休憩です。

  • 刈谷ハイウェイオアシスの観覧車も見えました。ここまで行っている時間はありません。

    刈谷ハイウェイオアシスの観覧車も見えました。ここまで行っている時間はありません。

  • 刈谷を出てしばらくすると日が暮れてきました。帰りも第2東名を走っているので周りの景色は面白くありません。

    刈谷を出てしばらくすると日が暮れてきました。帰りも第2東名を走っているので周りの景色は面白くありません。

  • 静岡に差し掛かる前に一瞬海までが見渡せました。

    静岡に差し掛かる前に一瞬海までが見渡せました。

  • 2回目の休憩はNEOPASA静岡で、到着は午後5時50分でしたここでも20分の休憩時間がありました。帰りは食事時間はないので、立ち寄り先で何かしら食べないとお腹が空いてしまいます。ここでは静岡名物のおにぎりをいただきました。<br />

    2回目の休憩はNEOPASA静岡で、到着は午後5時50分でしたここでも20分の休憩時間がありました。帰りは食事時間はないので、立ち寄り先で何かしら食べないとお腹が空いてしまいます。ここでは静岡名物のおにぎりをいただきました。

  • 最後の休憩はEXPASA海老名で、到着は午後7時30分でした。ここでも20分の休憩時間です。家で晩御飯は望めないのでここでお弁当を買って家で食べることにしました。<br />

    最後の休憩はEXPASA海老名で、到着は午後7時30分でした。ここでも20分の休憩時間です。家で晩御飯は望めないのでここでお弁当を買って家で食べることにしました。

  • 旅行会社のツアーに参加すると必ずアンケートを求められます。通常は揺れるバスの中で書き込むのに苦労するのですがHISはスマホで入力できました。これは便利でした。

    旅行会社のツアーに参加すると必ずアンケートを求められます。通常は揺れるバスの中で書き込むのに苦労するのですがHISはスマホで入力できました。これは便利でした。

  • 出発は都庁の駐車場でしたが、帰りは新宿駅西口のモード学園のビルの真下でした。予定より少し早い午後8時40分の到着でした。今年の旅は名古屋のモード学園ビルの前からスタートしたり、信州の旅ではこの近くから出発しました。混雑した電車を乗り継いで帰るのも疲れるので、家にはタクシーで帰って旅を終えました。

    出発は都庁の駐車場でしたが、帰りは新宿駅西口のモード学園のビルの真下でした。予定より少し早い午後8時40分の到着でした。今年の旅は名古屋のモード学園ビルの前からスタートしたり、信州の旅ではこの近くから出発しました。混雑した電車を乗り継いで帰るのも疲れるので、家にはタクシーで帰って旅を終えました。

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