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後半は、丹生都比売神社からぐるっと回り込む形で、八丁坂を上り、六本杉まで戻り、九度山まで。<br /><br />二つ鳥居からは町石道です。<br /><br />高野山方面へは行きませんでしたが、尾根に楊柳山(高野三山の一つ)をのぞみ、古の人々の心を感じました。<br />九度山への下山途中、柿やみかん畑は実りの秋まっさかり。周囲の展望も開け、すがすがしい歩きでした。

高野山へ至る道 三谷坂と町石道を歩く(後編)

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2021/10/23 - 2021/10/23

600位(同エリア1091件中)

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akitaine

akitaineさん

後半は、丹生都比売神社からぐるっと回り込む形で、八丁坂を上り、六本杉まで戻り、九度山まで。

二つ鳥居からは町石道です。

高野山方面へは行きませんでしたが、尾根に楊柳山(高野三山の一つ)をのぞみ、古の人々の心を感じました。
九度山への下山途中、柿やみかん畑は実りの秋まっさかり。周囲の展望も開け、すがすがしい歩きでした。

旅行の満足度
5.0
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩

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  • 名残惜しく、丹生都比売神社を後にして八丁坂を上り、二つ鳥居方面に向かいます。ここからしばらく登り道。

    名残惜しく、丹生都比売神社を後にして八丁坂を上り、二つ鳥居方面に向かいます。ここからしばらく登り道。

  • 八丁坂を上ると二つ鳥居。<br />ここが120町石で、高野山へ続きます。またここからがご神域でかつては伐採も禁じられていたそうです。<br /><br />案内板に弘仁10年(819)空海が建立と書いてあります。<br />えっ、空海は仏教・真言宗の開祖。<br />鳥居は神社にあるものですが、、、。明治以前は神仏習合だったのです。<br />2つの鳥居は、丹生明神と狩場明神を遥拝するためと考えられ、両神様は空海を高野山に導いた神様だそうです。<br />空海を支えていたのは2つ(人)の部族でしょうか。<br /><br />中央構造線断層帯は、地中の鉱物が露出し鉱物(丹生(水銀を含む鉱石鉱物))採取が容易であったと思われます。その証拠にこの一帯、あちこちに「丹生〇〇」地名や社名だらけではありませんか。理論的にもかなっています。

    八丁坂を上ると二つ鳥居。
    ここが120町石で、高野山へ続きます。またここからがご神域でかつては伐採も禁じられていたそうです。

    案内板に弘仁10年(819)空海が建立と書いてあります。
    えっ、空海は仏教・真言宗の開祖。
    鳥居は神社にあるものですが、、、。明治以前は神仏習合だったのです。
    2つの鳥居は、丹生明神と狩場明神を遥拝するためと考えられ、両神様は空海を高野山に導いた神様だそうです。
    空海を支えていたのは2つ(人)の部族でしょうか。

    中央構造線断層帯は、地中の鉱物が露出し鉱物(丹生(水銀を含む鉱石鉱物))採取が容易であったと思われます。その証拠にこの一帯、あちこちに「丹生〇〇」地名や社名だらけではありませんか。理論的にもかなっています。

  • そんなことを考えながら、二つ鳥居から遥拝。

    そんなことを考えながら、二つ鳥居から遥拝。

  • 二つ鳥居の隣にある東屋で少し休憩。<br />先ほどまでいた天野の里がはるか下に見えます。

    二つ鳥居の隣にある東屋で少し休憩。
    先ほどまでいた天野の里がはるか下に見えます。

  • ここからは、町石道。1丁(109m)ごとに町石が立っています。

    ここからは、町石道。1丁(109m)ごとに町石が立っています。

  • 古峠を経て、、、。<br />(この赤い紐の結び方、気になる。意味あるのでしょうか???)

    古峠を経て、、、。
    (この赤い紐の結び方、気になる。意味あるのでしょうか???)

  • 小都知ノ峯(オヅチノミネ)。緩やかな登りで地味目な山頂。<br />六本杉までもうすぐ。

    小都知ノ峯(オヅチノミネ)。緩やかな登りで地味目な山頂。
    六本杉までもうすぐ。

  • 六本杉まで戻り、ここから右に下り道を取り、町石道始発点の慈尊院に向けて歩く。

    六本杉まで戻り、ここから右に下り道を取り、町石道始発点の慈尊院に向けて歩く。

  • 慈尊院の案内が出てきました。

    慈尊院の案内が出てきました。

  • 一里石と町石(144町石)が並んで立つ地点に来ました。<br />慈尊院にある180町石までは、まだまだです。

    一里石と町石(144町石)が並んで立つ地点に来ました。
    慈尊院にある180町石までは、まだまだです。

  • 明るい山道。<br />参詣道のせいか、緩やかな下り道がほとんどで歩きやすい。

    明るい山道。
    参詣道のせいか、緩やかな下り道がほとんどで歩きやすい。

  • 六本杉と慈尊院の丁度中間くらいの標高450mほどの地点に雨引山(477m)への分岐があります。<br />往復20分くらいでしょうか。行ってみます。<br />写真は支線を登る途中で上から見た景色。紀の川方面が見えます。

    六本杉と慈尊院の丁度中間くらいの標高450mほどの地点に雨引山(477m)への分岐があります。
    往復20分くらいでしょうか。行ってみます。
    写真は支線を登る途中で上から見た景色。紀の川方面が見えます。

  • 雨引山は、その名のごとく、雨乞いの山。<br />雨乞神「善女竜王」石碑です。<br />午前に歩いた三谷坂の途中にあった笠石。空海の笠が雨引山から飛ばされて、石にかかったと書いてありました。確かに雨引山と笠石は谷を隔てて隣の尾根です。(しかし、笠石は南北朝時代のものとも書いてあった。そこのところ不明。)<br /><br />展望は無し。

    雨引山は、その名のごとく、雨乞いの山。
    雨乞神「善女竜王」石碑です。
    午前に歩いた三谷坂の途中にあった笠石。空海の笠が雨引山から飛ばされて、石にかかったと書いてありました。確かに雨引山と笠石は谷を隔てて隣の尾根です。(しかし、笠石は南北朝時代のものとも書いてあった。そこのところ不明。)

    展望は無し。

  • 石碑の反対側に櫃があります。この櫃の蓋を取ると、中に閉じこもっている竜が昇天して降雨するのです。ロマンです。

    石碑の反対側に櫃があります。この櫃の蓋を取ると、中に閉じこもっている竜が昇天して降雨するのです。ロマンです。

  • どんどん下ります。<br />少しづつ樹林帯から展望が開けてきました。

    どんどん下ります。
    少しづつ樹林帯から展望が開けてきました。

  • いよいよ展望が開けてきました。<br />向かいに楊柳山が見えます。

    いよいよ展望が開けてきました。
    向かいに楊柳山が見えます。

  • 北に目をやれば金剛山。

    北に目をやれば金剛山。

  • 展望が開けると、午前に登った三谷坂と同じく、果樹畑エリアに突入。道の両側にはミカンと柿。

    展望が開けると、午前に登った三谷坂と同じく、果樹畑エリアに突入。道の両側にはミカンと柿。

  • ちょっと写真がボケてしまいましたが、左手坂の上に東屋付きの展望台があります。<br />それはそれは見晴らしがよく、周囲の山々の説明もあるので、おススメ!<br />ここでお茶をしました。

    ちょっと写真がボケてしまいましたが、左手坂の上に東屋付きの展望台があります。
    それはそれは見晴らしがよく、周囲の山々の説明もあるので、おススメ!
    ここでお茶をしました。

  • 展望台からの眺め。<br />はるか先に見える三角形の山は奈良県と三重県の境にある高見山。<br />すぐ下には紀の川。<br />平面の続きが感じられます。

    展望台からの眺め。
    はるか先に見える三角形の山は奈良県と三重県の境にある高見山。
    すぐ下には紀の川。
    平面の続きが感じられます。

  • 楽しいお茶の時間が終わり、歩行再開。<br />ほぼ下山した地点にある丹生官省符神社(世界遺産)に到着。<br /><br />この神社は空海創建の神社です。<br />空海を高野山に招いた白黒2頭の犬が絵馬になっています。<br />先ほどの二つ鳥居と同じですね。<br />空海を助けたこの地の神様(豪族?)がいたということでしょう。

    楽しいお茶の時間が終わり、歩行再開。
    ほぼ下山した地点にある丹生官省符神社(世界遺産)に到着。

    この神社は空海創建の神社です。
    空海を高野山に招いた白黒2頭の犬が絵馬になっています。
    先ほどの二つ鳥居と同じですね。
    空海を助けたこの地の神様(豪族?)がいたということでしょう。

  • ご本殿。

    ご本殿。

  • まずはお詣り。<br /><br />神社の家紋ー白黒上下色違いの巴のデザインが気になりました。

    まずはお詣り。

    神社の家紋ー白黒上下色違いの巴のデザインが気になりました。

  • 神社を出ると長い石段があります。その先は慈尊院(世界遺産)。<br />石段の左側下方の林の中に、、、。

    神社を出ると長い石段があります。その先は慈尊院(世界遺産)。
    石段の左側下方の林の中に、、、。

  • 180番の町石がありました!<br />今回は下ってきたわけですが、ここを起点に登る人も多いのです。

    180番の町石がありました!
    今回は下ってきたわけですが、ここを起点に登る人も多いのです。

  • 石段を下ると慈尊院。<br />空海の母君が晩年を過ごしたお寺です。当時高野山は女人禁制であったため、山の下にあるこのお寺で過ごされたそうです。<br />現在は、4つある女人高野のお寺の一つとなっています。<br />女性を助けるため、子授け、安産、授乳などを願う多くの女性が参拝されています。<br /><br />乳房を象徴する絵馬がたくさんかけられていました。乳がん撲滅運動もされているそうです。

    石段を下ると慈尊院。
    空海の母君が晩年を過ごしたお寺です。当時高野山は女人禁制であったため、山の下にあるこのお寺で過ごされたそうです。
    現在は、4つある女人高野のお寺の一つとなっています。
    女性を助けるため、子授け、安産、授乳などを願う多くの女性が参拝されています。

    乳房を象徴する絵馬がたくさんかけられていました。乳がん撲滅運動もされているそうです。

  • 慈尊院の山門から楊柳山を望む。<br />弘法大師空海の母君も、ここから山を見てわが子を思ったことでしょう。

    慈尊院の山門から楊柳山を望む。
    弘法大師空海の母君も、ここから山を見てわが子を思ったことでしょう。

  • 山道が終わり、街中を歩いて九度山駅まで行く途中、最後の訪問地・真田庵(善名称院)へ。お寺ですが、住居のようにも見えます。<br /><br />真田幸村親子の住居をお寺にしたもの。真田昌幸が亡くなった地です。<br />人の運命はわからないものです。<br />数年前のNHK大河ドラマでご存知の方も多いと思いますが、長野の地方領主であったが、関ヶ原の戦いで西軍についたため、高野山への蟄居が命じられたのでした。

    山道が終わり、街中を歩いて九度山駅まで行く途中、最後の訪問地・真田庵(善名称院)へ。お寺ですが、住居のようにも見えます。

    真田幸村親子の住居をお寺にしたもの。真田昌幸が亡くなった地です。
    人の運命はわからないものです。
    数年前のNHK大河ドラマでご存知の方も多いと思いますが、長野の地方領主であったが、関ヶ原の戦いで西軍についたため、高野山への蟄居が命じられたのでした。

  • 寺の境内にある説明板。<br /><br />秋の陽射しも傾いてきました。<br />今日は盛りだくさんの歩きでした。約26㎞!<br /><br />高野山という土地柄か、静謐な神社・お寺や石仏など、どれも美しかった。<br />季節を変えてまた歩きたい道です。

    寺の境内にある説明板。

    秋の陽射しも傾いてきました。
    今日は盛りだくさんの歩きでした。約26㎞!

    高野山という土地柄か、静謐な神社・お寺や石仏など、どれも美しかった。
    季節を変えてまた歩きたい道です。

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