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日曜日、あまりに天気が良いので、ふらりと出掛けることにした。品川宿の続きでも歩こうかと考えたが、山手線の工事の影響で電車が混むと嫌なので、都内は諦め、北を目指すことにする。そして思い付いたのが、一宮巡り。近場で訪れていなかった上野国一宮である一之宮貫前神社に行ってみることにした。<br />貫前神社は、安閑天皇2年(534年頃)の創建とされ、式内社である。江戸時代までは、抜鉾神社と呼ばれていたそうだ。12年に一度、式年遷宮を行っているが、現在は、社殿の修築だけとなっている。なお、弥生時代から続く鹿占(鹿の肩甲骨を焼き、そのひびにより占うもの)を今でも行っている二社のうちのひとつである。<br /><br />(2021.10.26投稿)

ふらり週末一宮巡り~上州一之宮貫前神社~

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2021/10/24 - 2021/10/24

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旅行記グループ 【上野国】上州路

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旅猫

旅猫さん

日曜日、あまりに天気が良いので、ふらりと出掛けることにした。品川宿の続きでも歩こうかと考えたが、山手線の工事の影響で電車が混むと嫌なので、都内は諦め、北を目指すことにする。そして思い付いたのが、一宮巡り。近場で訪れていなかった上野国一宮である一之宮貫前神社に行ってみることにした。
貫前神社は、安閑天皇2年(534年頃)の創建とされ、式内社である。江戸時代までは、抜鉾神社と呼ばれていたそうだ。12年に一度、式年遷宮を行っているが、現在は、社殿の修築だけとなっている。なお、弥生時代から続く鹿占(鹿の肩甲骨を焼き、そのひびにより占うもの)を今でも行っている二社のうちのひとつである。

(2021.10.26投稿)

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
グルメ
4.5
交通
4.0
同行者
一人旅
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩
  • 地元の駅から、高崎線の普通列車に乗り、終点の高崎駅で下車。ここから、10時53分発の上信電鉄下仁田行に乗り換え、貫前神社の最寄り駅である上州一ノ宮駅を目指す。

    地元の駅から、高崎線の普通列車に乗り、終点の高崎駅で下車。ここから、10時53分発の上信電鉄下仁田行に乗り換え、貫前神社の最寄り駅である上州一ノ宮駅を目指す。

    上信線 乗り物

  • 電車はのんびりと走って行く。車窓には、榛名山が見えている。沿線の田圃は、ちょうど稲刈りの季節。色付いた稲穂が綺麗だった。富岡製糸場のある上州富岡駅で車内は乗客も疎らとなり、45分で上州一ノ宮駅に着いた。駅舎は木造で、いかにも駅と言った風情だ。

    電車はのんびりと走って行く。車窓には、榛名山が見えている。沿線の田圃は、ちょうど稲刈りの季節。色付いた稲穂が綺麗だった。富岡製糸場のある上州富岡駅で車内は乗客も疎らとなり、45分で上州一ノ宮駅に着いた。駅舎は木造で、いかにも駅と言った風情だ。

    上州一ノ宮駅

  • 何も無い駅前から歩いて行くと、国道に出る。その道を渡り、さらに進むとまた道に突き当たった。その道が、旧下仁田街道だ。中山道本庄宿から分かれ、下仁田を経て軽井沢などへ至る道である。中山道の碓氷の関所より厳しくないことから、女性の通行が多かったらしく、姫街道とも呼ばれていたそうだ。その道沿いに歩いて行くと、10分足らずで貫前神社の入口に辿り着いた。

    何も無い駅前から歩いて行くと、国道に出る。その道を渡り、さらに進むとまた道に突き当たった。その道が、旧下仁田街道だ。中山道本庄宿から分かれ、下仁田を経て軽井沢などへ至る道である。中山道の碓氷の関所より厳しくないことから、女性の通行が多かったらしく、姫街道とも呼ばれていたそうだ。その道沿いに歩いて行くと、10分足らずで貫前神社の入口に辿り着いた。

  • 桜の植えられた長い坂道を登って行くと、その先に、さらに急な石段が続いていた。『下り宮』と聞いていたが、まさかこれほど登ることになるとは思ってもみなかった。その石段の上には、朱色の大鳥居が建っていた。

    桜の植えられた長い坂道を登って行くと、その先に、さらに急な石段が続いていた。『下り宮』と聞いていたが、まさかこれほど登ることになるとは思ってもみなかった。その石段の上には、朱色の大鳥居が建っていた。

  • 大鳥居を潜り少し歩くと、総門の前に至る。その門の前には、唐銅製の燈籠が一対立っていた。慶応元年(1865)に制作され、翌年献納されたもので、献納者の数は1,544名、献納額は4,790両にものぼるそうだ。献納者は養蚕農家、生糸・絹商人らが多く、養蚕・製糸業の繁栄祈願を伝える貴重な文化財だそうだ。

    大鳥居を潜り少し歩くと、総門の前に至る。その門の前には、唐銅製の燈籠が一対立っていた。慶応元年(1865)に制作され、翌年献納されたもので、献納者の数は1,544名、献納額は4,790両にものぼるそうだ。献納者は養蚕農家、生糸・絹商人らが多く、養蚕・製糸業の繁栄祈願を伝える貴重な文化財だそうだ。

  • 総門を入ると、眼下に社殿が望めた。ようやく、本殿が鳥居よりも低い位置にある『下り宮』の独特な境内を拝むことが出来た。この社は、上野国一宮であるが、思いの外、参拝者の姿は少なかった。しかも、多くは七五三で訪れた家族連れだった。

    総門を入ると、眼下に社殿が望めた。ようやく、本殿が鳥居よりも低い位置にある『下り宮』の独特な境内を拝むことが出来た。この社は、上野国一宮であるが、思いの外、参拝者の姿は少なかった。しかも、多くは七五三で訪れた家族連れだった。

    貫前神社 寺・神社・教会

  • 石段を下ると総門の前に出る。現在の社殿のうち、本殿、拝殿、回廊、楼門は、江戸幕府三代将軍徳川家光により造営され、後に、五代将軍綱吉により整備されたものだそうで、重要文化財に指定されている。とりあえず、楼門の前で参拝を済ませ、社務所に立ち寄り、御朱印帳を預けた。

    石段を下ると総門の前に出る。現在の社殿のうち、本殿、拝殿、回廊、楼門は、江戸幕府三代将軍徳川家光により造営され、後に、五代将軍綱吉により整備されたものだそうで、重要文化財に指定されている。とりあえず、楼門の前で参拝を済ませ、社務所に立ち寄り、御朱印帳を預けた。

  • 楼門脇の潜戸から入り、拝殿と本殿を観る。貫前神社では、5年の歳月を掛けて修繕が行われ、本殿と拝殿は、極彩色を纏っていた。

    楼門脇の潜戸から入り、拝殿と本殿を観る。貫前神社では、5年の歳月を掛けて修繕が行われ、本殿と拝殿は、極彩色を纏っていた。

  • 修繕から6年経ち、色が落ち着いて来たそうだ。確かに、極彩色ではあるが、毒々しい感じではなく、美しい彩色美と言った印象だった。

    修繕から6年経ち、色が落ち着いて来たそうだ。確かに、極彩色ではあるが、毒々しい感じではなく、美しい彩色美と言った印象だった。

  • 拝殿の後ろに建つ本殿は、近くでは拝見出来ないが、拝殿脇からよく見えた。なかなか大きな社で、千木は内削ぎである。とは言え、祭神が女神であるとは限らない。この社の祭神は経津主神と姫大神となっており、その経緯は分かっていないらしい。姫大神の神名も比定されていないそうだ。

    拝殿の後ろに建つ本殿は、近くでは拝見出来ないが、拝殿脇からよく見えた。なかなか大きな社で、千木は内削ぎである。とは言え、祭神が女神であるとは限らない。この社の祭神は経津主神と姫大神となっており、その経緯は分かっていないらしい。姫大神の神名も比定されていないそうだ。

  • その本殿も極彩色の漆や金箔に彩られている。『雷神小窓』と言うものがあるそうだが、見落としてしまった。その窓は、農耕の神が宿ると云う稲含山に向けられているそうだ。

    その本殿も極彩色の漆や金箔に彩られている。『雷神小窓』と言うものがあるそうだが、見落としてしまった。その窓は、農耕の神が宿ると云う稲含山に向けられているそうだ。

  • 社殿を拝観した後、楼門に向かって左手から境内をぐるりと歩いてみる。本殿に向かって左手には、経蔵の跡があり、礎石が残されていた。明治の廃仏毀釈により破却され、所蔵していた鎌倉時代以来の経典や仏像なども焼き払われてしまったそうだ。三重塔もあったそうだが、こちらは江戸期に焼失したそうだ。

    社殿を拝観した後、楼門に向かって左手から境内をぐるりと歩いてみる。本殿に向かって左手には、経蔵の跡があり、礎石が残されていた。明治の廃仏毀釈により破却され、所蔵していた鎌倉時代以来の経典や仏像なども焼き払われてしまったそうだ。三重塔もあったそうだが、こちらは江戸期に焼失したそうだ。

  • 裏手に回ると、本殿の後ろ側が良く見えた。見事な意匠で、家光の造営らしく、東照宮の社殿に良く似ている。極彩色の漆は、綱吉の時に施されたそうだ。

    裏手に回ると、本殿の後ろ側が良く見えた。見事な意匠で、家光の造営らしく、東照宮の社殿に良く似ている。極彩色の漆は、綱吉の時に施されたそうだ。

  • 社殿の建つ場所は、綾女谷と呼ばれる場所だが、その森の中に、一本の大きな杉の樹が立っていた。樹齢約千二百年と云う『藤太杉』で、藤原秀郷が将門討伐の際に奉納した36本の杉の苗木のひとつだと云われている。周りの樹々に遮られ、一部しか見えないのが残念であった。

    社殿の建つ場所は、綾女谷と呼ばれる場所だが、その森の中に、一本の大きな杉の樹が立っていた。樹齢約千二百年と云う『藤太杉』で、藤原秀郷が将門討伐の際に奉納した36本の杉の苗木のひとつだと云われている。周りの樹々に遮られ、一部しか見えないのが残念であった。

  • 御朱印帳を受け取り、石段を登る。その途中に、末社月読神社の朱色の社殿が建っていた。その建物は、家光による造営前の本社旧拝殿を利用したものだそうだ。この後、大鳥居の方へ向かってしまったのだが、後になって、勅使門や式年遷宮の際の仮殿敷地、日枝神社などの末社があると知り、悔やんだ。

    御朱印帳を受け取り、石段を登る。その途中に、末社月読神社の朱色の社殿が建っていた。その建物は、家光による造営前の本社旧拝殿を利用したものだそうだ。この後、大鳥居の方へ向かってしまったのだが、後になって、勅使門や式年遷宮の際の仮殿敷地、日枝神社などの末社があると知り、悔やんだ。

  • 大鳥居の所まで戻ると、そこからは素晴らしい景色が望めた。上州から秩父辺りの山並みのようだ。右手にひと際高く聳えているのが、稲含山であろうか。この鳥居が建つ場所は、眼下を流れる鏑川の河岸段丘である『蓬ヶ丘』と呼ばれる場所であるが、見渡す景色は、段丘上とは思えないものだった。

    大鳥居の所まで戻ると、そこからは素晴らしい景色が望めた。上州から秩父辺りの山並みのようだ。右手にひと際高く聳えているのが、稲含山であろうか。この鳥居が建つ場所は、眼下を流れる鏑川の河岸段丘である『蓬ヶ丘』と呼ばれる場所であるが、見渡す景色は、段丘上とは思えないものだった。

  • 入口まで下りて来ると、脇に旧一ノ宮町の道路元標が残されていた。一ノ宮町は、富岡町と合併し、現在の富岡市の一部となっているが、過去の地名などの記憶を残すことは良いことだと思う。

    入口まで下りて来ると、脇に旧一ノ宮町の道路元標が残されていた。一ノ宮町は、富岡町と合併し、現在の富岡市の一部となっているが、過去の地名などの記憶を残すことは良いことだと思う。

  • 帰りは、下仁田街道を離れ、裏道を辿ることにした。東南へと歩き国道を渡ると、線路の手前に古墳があった。6世紀ごろに築造された前方後円墳で、堂山稲荷古墳と呼ばれている。円墳部分に、大きな樹に守られるように堂山稲荷神社が鎮座していた。前方部分は、かなり削られ、梅林などになっている。

    帰りは、下仁田街道を離れ、裏道を辿ることにした。東南へと歩き国道を渡ると、線路の手前に古墳があった。6世紀ごろに築造された前方後円墳で、堂山稲荷古墳と呼ばれている。円墳部分に、大きな樹に守られるように堂山稲荷神社が鎮座していた。前方部分は、かなり削られ、梅林などになっている。

  • 南側からは、古墳全体が良く見渡せた。築造されたときは、周囲に濠が巡らされていたそうだ。上野国の一宮が鎮座している土地でもあり、この辺りは古代から繁栄していた土地であり、周辺には数多くの遺跡や古墳が点在している。

    南側からは、古墳全体が良く見渡せた。築造されたときは、周囲に濠が巡らされていたそうだ。上野国の一宮が鎮座している土地でもあり、この辺りは古代から繁栄していた土地であり、周辺には数多くの遺跡や古墳が点在している。

  • 古墳脇を通る上信電鉄の踏切に立ち、景色を眺める。真っ直ぐに伸びる線路が旅情を誘う。

    古墳脇を通る上信電鉄の踏切に立ち、景色を眺める。真っ直ぐに伸びる線路が旅情を誘う。

  • 線路に沿った細道を歩いて駅の方へと戻る。道の脇には畑があり、瓦屋根の民家もある。庭先では、蜜柑が秋晴れの陽の光を浴びて輝いていた。

    線路に沿った細道を歩いて駅の方へと戻る。道の脇には畑があり、瓦屋根の民家もある。庭先では、蜜柑が秋晴れの陽の光を浴びて輝いていた。

  • 駅に着くと、まだ少し時間がある。そこで、近くにある二つの古墳を観に行くことにした。その一つは民家の庭先にあり、ほとんど原形を留めていなかった。石室らしきものが露出し、まるで庭石のようであった。

    駅に着くと、まだ少し時間がある。そこで、近くにある二つの古墳を観に行くことにした。その一つは民家の庭先にあり、ほとんど原形を留めていなかった。石室らしきものが露出し、まるで庭石のようであった。

  • すぐ先に、もう一つの古墳が見えた。太子堂塚古墳と呼ばれるもので、この地域では最大規模の古墳だそうで、この地域の首長の墓と考えられているそうだ。後円部が大きく失われているとは言え、かなり大きい。近くまで行ってみたが、前方部には個人の畑があり、やはり大きく壊されているそうだ。以前は横穴式の石室もあったそうだが、それも失われている。

    すぐ先に、もう一つの古墳が見えた。太子堂塚古墳と呼ばれるもので、この地域では最大規模の古墳だそうで、この地域の首長の墓と考えられているそうだ。後円部が大きく失われているとは言え、かなり大きい。近くまで行ってみたが、前方部には個人の畑があり、やはり大きく壊されているそうだ。以前は横穴式の石室もあったそうだが、それも失われている。

  • 駅へ戻り、13時22分発の高崎行に乗車。往きと違い、車内は結構混んでいた。途中駅からも乗り込んでくる客が多く、部活帰りの学生も多かった。沿線には、気になる場所もあったので、また訪れたいと思う。

    駅へ戻り、13時22分発の高崎行に乗車。往きと違い、車内は結構混んでいた。途中駅からも乗り込んでくる客が多く、部活帰りの学生も多かった。沿線には、気になる場所もあったので、また訪れたいと思う。

  • 高崎駅からは、14時14分発の湘南新宿ラインの特別快速に乗り、帰宅する。乗り換えの時間が短かったが、名物の『とりめし』は買うことが出来た。そして、車内で遅い昼食とした。全国各地のとりめしを食べたが、やはり高崎駅の『とりめし』が一番旨い。しかし、いつの間にか千円になっていたのには驚いた。<br />秋晴れの種末、ふらりと訪れた上州一ノ宮。長閑な風景と下り宮の佇まい、そして古代の息吹を感じる小さな旅だった。

    高崎駅からは、14時14分発の湘南新宿ラインの特別快速に乗り、帰宅する。乗り換えの時間が短かったが、名物の『とりめし』は買うことが出来た。そして、車内で遅い昼食とした。全国各地のとりめしを食べたが、やはり高崎駅の『とりめし』が一番旨い。しかし、いつの間にか千円になっていたのには驚いた。
    秋晴れの種末、ふらりと訪れた上州一ノ宮。長閑な風景と下り宮の佇まい、そして古代の息吹を感じる小さな旅だった。

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この旅行記へのコメント (6)

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  • ポテのお散歩さん 2021/10/29 01:32:38
    建築美
    旅猫さん こんばんわ。

    貫前神社、美しい総門ですね。
    下り宮というのを初めて見ました。
    地形的にそうなっているのではなく、わざわざ急な階段を上がって
    全体を見渡せるようになっているのですか?
    河岸段丘が そうさせているのですか?
    階段を上がり切ったところで あの堂々とした総門の美しい屋根が
    見えた時、お写真でも『わっ!』と感動しました。
    見下ろす形になりますが、逆に圧倒されます。
    神社って日本が誇る建築美ですね。
    改めてそう感じた貫前神社でした。
    なかなか行ける場所ではないですが、いつか訪れたいと思いました。

      ポテ

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2021/10/29 07:35:51
    RE: 建築美
    ポテさん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    貫前神社は、日本三大下り宮のひとつですが、全国で唯一、登ってから下る『下り宮』なのです。
    地形的なもので、鳥居などが河岸段丘上にあり、裏側にも川があるため、また斜面になる場所に境内があるのです。
    そのため、登ってから下りる形になったのです。
    出雲や伊勢の神社と違い、徳川系の壮麗な社ですが、これはこれで美しいですね。
    そちらからだとちょっと遠いですが、機会があれば是非!

    旅猫
  • ちーちゃんさん 2021/10/26 23:22:55
    勉強させて頂きました。
    こんばんは(^_^*)

    群馬に住んでいながら、まだ一度も貫前神社に
    行った事がありません。
    でもとても詳しい説明をして頂いているので、
    よく分かりました。
    1度は行きたいと思っていたので、とても参考になりました。
    ありがとうございます。

    古墳は、本当にあちこちにあります。
    平らな土地に、ポコリとした小さな山が有れば、
    それは全て古墳と言ってもいいくらいです。
    自然のままの物、整備された物、沢山あるので、
    今度は古墳巡りにお越しください。

    ところで、とりめしがお好きなんですね。
    群馬と言えば、横川の峠の釜めしと、
    ダルマ弁当が有名ですが、
    私もとりめしのほうが好きです。
    駅弁の他にも群馬には、
    登利平と言うお店のとりめしが有名です。
    今度機会があれば、召し上がってみてくださいね。

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2021/10/28 08:14:40
    RE: 勉強させて頂きました。
    ちーちゃんさん、こんにちは。

    書き込みありがとございます。
    群馬にお住まいでしたか!
    埼玉のお隣ですね(笑)
    群馬は、温泉も多くて、私の好きな土地のひとつです!
    結構、地元だとわざわざ行かない場所って多いですよね。

    古墳、多いですよねぇ
    縄文から古墳時代も好きなので、古墳巡りもいいですね。

    とりめし好きというより、鶏好きなんです(笑)
    なので、つい鶏の駅弁を買ってしまうのです。
    おかげで、各地のとりめしを食べてしまいました。
    峠の釜めしもダルマ弁当も食べたことがありますが、やはりとりめしが一番です。
    登利平のとりめし、知りませんでした。
    今度機会がれ場食べてみますね。

    旅猫
  • hot chocolateさん 2021/10/26 21:45:05
    上州の旅
    旅猫さま

    こんばんは~。
    「上州一之宮貫前神社」の旅行記にお邪魔しています。
    ここのところ群馬県の旅行記を書いているので、何か懐かしい気がします。

    >本殿が鳥居よりも低い位置にある『下り宮』の独特な境内を拝むことが出来た

    確かに、鳥居から本殿を見下ろすって、あまりないですよね。
    本殿と拝殿は、修繕から6年経って色が落ち着いて来たといっても、
    かなりの極彩色ですね。
    日光の東照宮もそうですが、あまりに極彩色だとちょっと疲れ(?)ます。
    奈良の東大寺のように、長い年月を経て色が薄れている建物の方が歴史を感じ、
    落ち着きを感じるんです。
    とはいえ、建物が出来上がった当時は極彩色なのだから、それが当然なんですよね。

    ほとんど原形を留めていない、民家の庭先にある古墳、保存もしないで
    ほったらかしなんでしょうか。

    高崎駅の「とりめし」は名物なんですね。
    高崎と言えば「ダルマ弁当」だと思っていました。

    hot choco

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2021/10/26 22:20:38
    RE: 上州の旅
    hot chocoさん、こんばんは。

    書き込みありがとうございます。
    『下り宮』は、三大下り宮がありますが、広く考えれば、出雲大社もやや下り宮かもしれませんね。

    個人的には、極彩色の社殿はいまひとつですが、これもありかなと。
    日本人は、平安時代が一番色遣いが豊かで、今よりも多くの色がありました。
    その当時の色を、伝統的な漆で再現しているので、技の継承と言う観点からは、このような修繕も必要だと思っています。
    ただ、多くの社が江戸時代、もしくは明治時代に絢爛豪華に建て替えられているので、その点では、伊勢神宮など、白木のままが本来の姿だと思っています。

    埼玉、群馬、栃木は、古墳が全国的に観ても多い土地です。
    その多くが市街地化で失われているので、残っているだけでも奇跡です。
    この民家の庭先の古墳も、私有地なので、どうにもならにのが現状です。

    高崎駅の「とりめし」は、駅弁好きの中では最上位のものです。
    学生の頃から親しんでいますが、変わらぬ味わいでお気に入りです。
    変に凝っていないのがいいです。

    旅猫

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