2021/10/21 - 2021/10/23
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旅好き長さんさん
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コロナの緊急事態宣言が解除されたものの、今回もあまり密でない離島に出かけて来ました。
離島の旅も7月に北海道の利尻・礼文、先月は沖縄の慶良間諸島、今回は国境の島、対馬・壱岐と3回目の島旅です。
今回も効率的に島巡りするため、クラブツーリズムのツアーに参加して出かけました。
今回の行程は、
10月21日(木)神戸から新幹線で博多経由ジェットホイルで対馬に渡り、お船江跡、万関橋、和多都美神社、烏帽子岳展望台を観光し、厳原で宿泊。
10月22日(金)対馬から壱岐にフェリーで渡って、左京鼻、はらほげ地蔵、小島神社、一支国博物館と王都復元公園を観光して郷ノ浦町に宿泊。
10月23日(土)岳の辻展望台、鬼の足跡、猿岩、黒崎砲台、月読神社観光後ジェットホイルで博多に移動して新幹線で帰宅しました。
2泊3日の慌ただしい旅行でしたが、何とか傘もささずに観光することができました。
非常事態宣言が解除されたものの、今回のツアーではコロナ対策が行き届き、各施設やホテルに入る際には検温と消毒が徹底されて安心して旅行することができました。
対馬・壱岐ともに今回初めての旅でしたが、思ったより大きな島でビックリ。
2泊3日では全てを観光することができませんでしたので、次回は個人的に出かけてゆっくりと観光したいと思います。
今回は旅行初日の対馬観光と翌朝散策した厳原の町を紹介させていただきます。
観光もよかったのですが、夕食のアナゴの刺身は初めていただきましたが、とても美味しかったです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 船 新幹線
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
-
10月21日(木)新幹線で博多に向かうため新神戸駅に7時に到着。
今回のツアーは新大阪駅発のため、私たちは入場券でホームに入って途中参加となります。
新神戸駅には、JR三ノ宮駅から地下鉄に乗り換えて行かなければならないのでとても不便です。 -
今回乗車した新幹線は、のぞみ75号博多行き。
新神戸駅を7時42分に出発して、博多駅には9時39分到着予定。 -
乗車時間はたった2時間ですので、買ってきたビールを飲んでいると、あっという間に博多駅に到着しました。
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JR博多駅からはバスに乗車して博多港に向かいます。
博多駅前は工事中のようで、そのそばを通ってバスに乗車します。 -
今回のツアー参加者は13名。
添乗員さんを含めて14名で対馬・壱岐を回ります。
博多港には10時過ぎに到着。 -
対馬行きのジェットホイルは博多を10時30分発ですので、乗船する高速艇に向かいます。
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桟橋からは博多ポートタワーが見えます。
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これが壱岐経由対馬の巌原港行きの高速艇のヴィーナス号。
最高時速70Kmで走るので壱岐まで1時間、対馬には2時間で向かいます。 -
船内はこんな感じで、乗船時はシートベルト着用です。
乗船率は平日でコロナの影響か、60%程度でした。
この日は波が2~3mあったのですが、思ったより揺れなかったです。
ジェットホイルですので波の影響をあまり受けないのかも知れません。 -
この建物は壱岐の芦辺港フェリーターミナル。
この港に立ち寄って対馬の厳原港に向かいます。 -
こちらが対馬の厳原港フェリーターミナルです。
こちらにはほぼ定刻の12時45分に到着。
高速艇内では飲食禁止でしたので、このフェリーターミナルで予め買っていた昼食のおにぎりをいただきました。 -
これが今回乗船したジェットホイルのヴィーナス号です。
-
厳原港のフェリーターミナル前には珠丸爆沈の慰霊碑がありました。
博多と対馬・釜山を結ぶ九州郵船の珠丸は太平洋戦争中、奇跡的に戦闘機や潜水艦から被害を受けませんでしたが、終戦後の10月14日にこの厳原港から博多に向かう際、旧日本海軍が敷設した機雷に触れて大勢の乗客とともにあっという間に沈没したそうです。
この船には満州や朝鮮からの引き揚げ者や復員軍人が主に乗船し、婦人や子供達が多く乗っていたそうで、730名もの方が亡くなられたそうです。 -
13時過ぎから対馬観光のスタート。
この大型バスに添乗員さんとガイドさんを含めた15名で観光します。
少人数でしたので一人で二席使っても席が余っており、ゆったりと観光できました。 -
まず始めに訪れたのが対馬藩のお船江(ふなえ)跡。
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ここは対馬藩のご用船を係留した船だまりで『お船屋』とも呼ばれているそうです。
現在の遺構は、1663年に造成されたもので、築堤の石積みは当時のままだそうです。 -
江戸時代、幕府は鎖国体制をとっていましたが、朝鮮は対馬藩の仲立ちによって唯一正式に外交関係を結んだ国です。
そのため朝鮮使節は対馬を経由して江戸に向かっていました。
朝鮮にとってこの対馬は日本の窓口でした。 -
その次に向かったのがこの赤い万関橋。
変哲のない普通の橋ですが、浅茅湾と三浦湾の間に開削された万関瀬戸と呼ばれる人工の運河に架かる橋です。
現在の橋は、平成8年に架け換えられた3代目のものです。 -
明治後期、南下政策をとるロシアとの戦争の機運が高まり、日本海軍は水雷艇を対馬海峡東水道に出撃させるため、明治34年(1901年)にこの久須保水道(万関瀬戸)を開削しました。
当初は戦艦を通らせようとしたようですが、水深が浅く幅も狭いので水雷艇しか通れなかったようです。
日露戦争当時の日本海海戦では、ここに水雷艇を配備してバルチック艦隊に向かっていったそうです。 -
この運河が対馬の中央にできたことにより、一般の漁船なども利用できるようになりとても便利になったそうです。
この運河が久須保水道(万関瀬戸)です。
ここの水深は5m程度だそうです。 -
次に向かったのが和多都美神社(わたつみじんじゃ)。
彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)を祭る海宮です。 -
ここで有名なのがこの鳥居。
全部で一直線に五つの鳥居が並んでいて、そのうちの二つが海の中にあります。 -
これが海の中にある二つの鳥居で、一番奥の新しい一ノ鳥居は、2020年9月に接近した台風10号の影響で倒壊し、グランドファンディングで集められた寄付で新たに作られたものです。
訪れたときはちょうど干潮だったので鳥居のそばまで行くことができました。 -
これは日本でも珍しい、池の中にある三柱(みはしら)鳥居。
ご神体を取り囲んで三本の柱を建て、それぞれを棟木で結んで鳥居に仕立てた物です。ご神体は三角形の中心部にあります。
この鳥居には『磯良恵比須』という鱗状の亀裂が見られる岩が祀られています。
ここも満潮時には沈んでしまうそうです。 -
それでは神殿で参拝します。
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後ろを振り返ると3本の鳥居が一直線上に並んでいます。
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境内には奉納相撲の土俵もあります。
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そしてこちらが拝殿。
『和多都美神社』には山幸彦として知られる彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)が祀られています。
神話によると、昔、海の神の豊玉彦尊が『海宮(わたづみのみや)』という宮殿をつくったのだそうです。
あるとき、兄(海幸彦)の釣り針をなくした山幸彦が、釣り針を探す旅に出かけます。
その途中で、おじいさん(亀)に出会い、その宮殿(竜宮)にたどり着いたとのこと。
そこで豊玉彦神の娘の豊玉姫命に一目惚れして結婚したそうです。 -
本殿の横には龍の尾っぽのように根が長く地面をはっています。
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本殿から海側を眺めると五つの鳥居が海に向かって一直線上に並んでいます。
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そしてもう一つの三柱鳥居が拝殿の横にあります。
こちらは海神豊玉彦命の墳墓だと言われているそうです。 -
こちらは豊玉姫之墳墓だそうです。
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和多都美神社の参拝後この日最後の観光地、烏帽子岳展望台に向かいます。
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この展望台は、標高176mの烏帽子岳山頂に有り、ここからは360度見渡すことができます。
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ここからは、東には対馬海峡、西には朝鮮海峡が広がり、複雑な入り江と無数の島々がおりなす典型的なリアス式海岸の景観が一望できます。
この日は曇り空だったのが残念です。 -
こちらは古代から天然の良港として知られた浅茅湾だったと思います。
湾内には沢山の小さな島があります。 -
この写真ではわかりませんが、遠くには、韓国の島も何とか見えました。
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青空だったらもっときれいだったのに残念です。
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一通り観光後、この日の宿がある厳原にあるホテル東横イン対馬厳原に向かいます。
ここのホテルは、この町の中で一番高い建物ですので一目でわかります。
町を散策する際、目印になるのでとても便利です。 -
こちらが客室。
ビジネスホテルのツインルームです。 -
そしてこちらが洗面・トイレ・浴室です。
一般的なビジネスホテルの仕様で、トイレはウォシュレット付きでした。 -
この日の夕食はホテルの外にあるお店の『味処 千両』でいただきます。
アナゴ料理が主体のメニューで、あなご飯、鯛のお鍋と刺身はマグロ・ヒラマサ・アナゴでした。
アナゴの刺身を初めていただきましたがとても美味しかったです。 -
これがカンパチ・マグロ・アナゴの刺身とアナゴの天ぷら。
アナゴの天ぷらは揚げたてだったのでふっくらしてとても美味しかったです。
今回のツアーではここの料理が一番美味しかったです。 -
10月22日(金)旅行2日目。
この日は8時50分のフェリーで壱岐に渡るのでちょっと早めに起きます。
この写真は10階客室からの眺めで、この町では最も高い建物ですので厳原の町を一望することができます。 -
このホテルの朝食はこのお弁当。
今までいろんなホテルや宿に宿泊しましたが弁当の朝食は初めて。
予めインターネットで朝食が弁当だとわかっていたので、持参したインスタント味噌汁と一緒に客室でいただきました。 -
フェリーの乗船まで時間があるので厳原の町を散策します。
宿泊したホテルの正面にマックスバリューがあるのでとても便利でした。
昨日はここでビールやヨーグルトなどを買いました。 -
まずはホテルのそばにある金石城跡に向かいます。
-
これが金石城跡の櫓門です。
江戸時代の対馬は対馬藩主・宗(そう)氏が治め、現在の対馬市厳原にある金石(かねいし)城は対馬政庁として機能していたそうです。
戦国時代の1528年、金石屋形があり、朝鮮通信使を迎えるために近世の城へ改築したと言われています。
現在の櫓門は、1990年に復元された3代目で、初代は江戸時代に消失。
すぐに2代目が復元されましたが、大正時代に解体されたそうです。 -
次に万松院に向かいます。
この写真の右側にある、金石城の石垣は、1528年頃に築かれたものです。 -
その途中、朝鮮通信使の碑を発見。
朝鮮通信使は、慶長12年(1607年)から文化8年(1811年)まで12回来日したそうです。 -
そしてこちらが万松院(ばんしょういん)。
この万松院は1669年、対馬藩2代目藩主 宗義成(よしなり)が初代藩主・義智(よしとし)の冥福を祈って1615年に建立したもので、宗家の菩提寺です。
この山門は対馬最古の建物だそうです。 -
先ほどの山門の横には墓所への階段があります。
ここには、宗家19代から32代の当主と夫人や子、万松院の由来となった宗義智のお墓があるそうです。 -
それがこの階段で、百雁木(ひゃくがんき)と呼ばれる132段の石段を上って御霊屋や墓所にいくことが出来るようです。
石段の途中には中御霊屋(なかおたまや)や下御霊屋(しもおたまや)があるそうです。
この日は朝早かったので中には入られませんでした。
ちなみに金沢の前田家、萩の毛利家の墓地とともにここは日本3大墓地の一つだそうです。
全ての墓所に行きましたが、萩にある毛利家の墓地が一番立派なような気がします。 -
そしてこちらは金石城庭園に面した、金石城の搦手門。
現在の石垣は築造時の姿が推定できるよう、下部の約3分の1を復元したものだそうです。
ここは城内の公園整備中に石敷きが発見され、1992年の発掘調査で魯台の石垣などが発見されましたが、残念ながら大半は厳原中学校施設建設工事時に壊されてしまったそうです。 -
搦手門から万松院の山門を見るとこんな感じです。
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山門の横の墓所に行く石橋も歴史を感じます。
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万松院周辺を散策後、巌原の町を回ってみます。
ここは宿泊したホテルのそばにある対馬市交流センター。
さすが韓国に近いので、ハングル文字が多く見受けられます。
ここ対馬は、福岡まで138Kmなのに対し、釜山まではわずか50Km。
韓国の方が近いのです。
そのため韓国からの観光客がとても多いのですが、コロナの影響で観光客が激減しているそうです。 -
こちらはその横にある対馬観光物産協会。
対馬のお土産などが販売されていますが、朝早いのでまだ閉まっています。
対馬は、佐渡島、奄美大島に次いで3番目の大きさの面積だそうで、人口は山が多く平地が少ないため28000人だそうです。 -
散策の途中、面白いものを発見。
家の石垣にお地蔵様が祀られていました。 -
ここは今屋敷周辺。
川岸に柳が植えられているので、柳川か城崎温泉のような感じです。
その後ホテルをチェックアウトし、フェリー乗り場に向かいました。
この後行った、壱岐観光は次の旅行記で紹介させていただきます。
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旅行記グループ 対馬と壱岐島の旅
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