2024/10/06 - 2024/10/06
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hijunoさん
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この旅行記スケジュールを元に
久し振りに堺市を歩きました。
今回は千利休や与謝野晶子に関しての遺蹟や資料館を訪ね、茶の湯も体験しました。
堺は早くから外国とも交流のある開けた街で、多くの人物も輩出した風土を感じました。
歴史の街です。
早くから南蛮貿易で栄えた堺、文化も発達して開けた風土の街。
千利休も好んだといわれる芥子餅もとても上品な和菓子で、室町時代に南蛮貿易で入ってきた芥子の実を使った伝統のお菓子、味わい深い和菓子でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄 自家用車 徒歩
-
堺へやってきました。
久し振りです。
見どころ満載♪
前回は、仁徳天皇陵のある堺東駅方面へ行きましたが、 -
今回は南海の境駅のほうから出発。
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駅前、面白いオブジェがありました。右のほう。
-
歩きます。
この日も日中は最高気温は30度とか。
いつになったら本格的な秋はくるのだろう、、
レトロな街灯がありました。 -
明治天皇が訪れたと書かれた石碑。
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日本で二番目にできた本格的洋式の紡績工場があったと書かれています。
最初は、薩摩にできたそうで、堺は二番目。
見学者も多くて、明治10年に明治天皇も見学に訪れたとか。
産業も発展が速かった堺。 -
端から見える公園。
ザビエル公園に向かいます。 -
ザビエル公園。戎公園とも。
フランシスコ・ザビエルが1550年に堺に立ち寄った際に、手厚く
もてなした日比谷了慶の屋敷跡付近に造られたそうです。
日比谷了慶は豪商でした。
昭和22年に計画され、ザビエル来航24年を記念してザビエル公園という名前になったそうです。 -
公園の説明や関係の人々の詳しい説明がありました。
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この周辺、小西行長や与謝野晶子、千利休、武野紹オウの屋敷跡も
あります。
あとで周ってみます~。 -
イチオシ
公園、樹々が大きくそびえたってました。
広いなぁ~ザビエル公園 公園・植物園
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ヤシの樹、、
なんだか異国情緒。 -
遊具もあったり、憩いのベンチや場所も綺麗に整備されて、
素敵な公園でした~ -
説明板があります。
昔は、この公園の中を海岸線が通っていたようで、すぐそこが海だったのですね~
南蛮船のイメージの絵が素敵でした。 -
ポルトガルから贈られたオブジェがありました。
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オブジェ。
草が高く生えていて、良く見えませんでした。 -
ポルトガルと日本の友好交流として、ポルトガルから堺市へ贈られたものです。
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イチオシ
フランシスコ・ザビエルの顕彰碑がありました。
ザビエルが1550年に堺に立ち寄り、日比谷了慶の邸宅に入ったことが書かれています。
新しい時代の始まり。 -
イチオシ
住吉大社の屏風図 模倣もありました。
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説明によると、堺にある宿院頓宮に住吉大社からの神輿が渡る様子が描か枯れています。
江戸初期の祭りの人々の様子もわかる屛風図だそうです。 -
こちらが江戸初期の人々の様子のわかる図。
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こちらは神輿が渡る様子。
柵があって、うまく写真がとれませんでした。。
でも、きれいな屏風図です。 -
堺鉄砲の碑もあります。
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火縄銃の大生産地だった堺。
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慈眼院之跡という石碑。
お寺もあったのですねー -
気持ちよい公園でした。
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そして、公園をつきっきり、大通りの法へ来ました。
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大通りへ。
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こんな碑も。
車之町という名前、戦国時代からある名前のようです。
能楽者の車屋道晰、車屋堂悦からつけられた名前といわれているそうです。
文化も発展していた堺ですね~ -
紀州街道の表示。
大阪と和歌山を結ぶ街道です。 -
古い道標があるとおもいましたら、
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安永六年とありました。1772年から1781年までの間、徳川家治の時代です。
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なんだか、可愛い鳥もようのマンホールの蓋がありました。
鳥のモチーフに弱い、、、 -
喫茶店の角のところに、こんな表示がありました。
朱座之址とあります。
朱は顔料や薬品に用いられたものだそうですが、有毒性もあり、織田信長の時代は販売も認められていたものの、豊臣秀吉の時代に禁止となり、徳川家康の時代になり、またその販売、座が認められて、小田助四郎と甚太夫に堺と江戸に座をつくらせたそうです。
戦国時代のころは、おもに中国からの輸入だったようです。 -
てくてくロードというマップも。
楽しそうな街並みです。 -
イチオシ
目的の小西行長の屋敷跡につきました。
小西行長屋敷跡 名所・史跡
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石碑があります。
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小西行長、1558年にうまれています。
薬を扱う商人の次男として、このあたりで誕生しています。
洗礼を受けています。
豊臣秀吉に仕え、朝鮮出兵などをしていますが、関ヶ原の戦いで西軍として破れて亡くなっています。 -
この大通りの歩道を歩いていると、道標や説明板が沢山あります。
歴史のある堺がしみじみ~ -
そういえば、古い灯台もあるとか、、いってみたいな。。
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大同筋。
大きな幅の広い道路でした。 -
路面電車も。
可愛い。 -
ちょっと歩くと、そこには、与謝野晶子の生家跡。
こちらは自筆の歌碑。 -
イチオシ
生家跡の石碑。
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イチオシ
詳しい説明板もありました。
与謝野晶子は1878年和菓子屋の駿河屋の三女として、生まれます。
当時の地図をみましたら、生家は現在の場所から大道筋の東側まで、広い
敷地だったようです。
大きなお店だったのですね~ -
この通り、こんな画もあって、風情がありましたよ。
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そのさき、パステル調の建物、さかい利承晶の杜がみえます。
さかい利晶の杜 名所・史跡
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イチオシ
その前に、すぐ近くにある、千利休屋敷跡に立ち寄ります。
わび茶を大成した千利休。
利休は1522年に堺の豪商の魚屋 ととや の長男として生まれました。
のちに武野紹鴎に師事して茶の湯を極めます。千利休屋敷跡 名所・史跡
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千利休屋敷址の石碑。
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整備されています。
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ちょっと読みにくかったですが、千利休について。
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こちらは、椿の井戸。
椿の炭をそこに沈めたといわれています。
井戸屋形は千利休のゆかりのお寺 大徳寺の山門の古い木材を使って建てられたそうです。 -
すぐそばに、さかい利晶の杜。
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イチオシ
おもに、千利休と与謝野晶子に関しての資料館。
堺の歴史にも触れて、面白い資料館でした。 -
イチオシ
早くから南蛮貿易でも栄えてきた堺。
開けた街です。 -
利休や堺をめぐる人々。
貿易や商業都市として栄え、有力商人の会合衆が自治を治めていました。 -
ザビエル公園でもみましたが、住吉祭礼図屏風。
当時の風習もよくわかります。
南蛮人に扮そうした堺の人も見えるそうです。 -
南蛮貿易も栄え、海外との交流も広がっていきます。
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海外からやってきた器たち。
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港湾都市 堺。
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環濠都市であったことがわかる遺跡も発掘されています。
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利休の生涯と堺。
詳しい年表もあり、わかりやすい。。 -
年表をみていて、
19歳で武野紹鴎の弟子となってから、52歳で織田信長の茶頭となっています。70歳で亡くなるまで、茶の湯を極めて、わび茶を確立していますが、若いときよりも、人生の後半生において、仕事を成していったことがよくわかりました。 -
千利休と茶の湯について。
織田信長の茶頭となっていきます。 -
こちらも興味深い展示。
堺今市町にあった千利休の屋敷の武野紹鴎を倣った茶室と
晩年を過ごした京都聚楽屋敷の茶室を再現したものがありました。 -
利休により、新しく造られたことやもの。
作法なども確立されていったのですねー -
利休の茶室 待庵の立体図。
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茶器など。
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利休に関しての書画。
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利休亡きあとも茶の湯は引き継がれていきます。
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利休の名前の由来を書いたもの?
利休の名前は、名誉も利益も求めないというところからきているそうですけれど、最後は、政治にも権力を及ぼしてしまうという皮肉を感じてしまいます。 -
展示室から外へ。
利休作で、唯一現存する国宝の茶室 待庵を再現した建物があるそうで、そちらへ向かいます。
廊下壁には、武野紹鴎の茶室の見取り図など。 -
待庵の見取り図。
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待庵は国宝です。
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外観のみの見学のようです。
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イチオシ
このあたりまで、外から見学できました。
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中では茶室でお茶の体験も、できるようですが、、要予約。
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綺麗な苔の庭園。
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さかい焼きという展示もあったので、のぞいてみます。
堺の土で焼いた焼き物だそうです。 -
堺の遺跡から出土した陶器なども展示していました。
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漆器や曲げ物なども。
唐津からきた陶器でしょうか~
慶長の文字が見える石塔もあります。 -
銅銭なども。
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こんな企画も。
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美しい陶器です。
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白磁などもありました。
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中国からの美しい陶器。
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こんなイベントもあって、
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中世の環濠都市だった堺、商家や家々があった場所も室町時代から
たびたび火災にみまわれたようです。
発掘されています。 -
さかい焼きの展示。
触ってもよいようでした。 -
お茶のお道具。
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現代風のものも。
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ふしぎ。
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綺麗な色。
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利休の時代から、文化もずっと発展しているんですねー
続いて、与謝野晶子の資料コーナーへむかいます。
最後までお読みいただいて、ありがとうございます^^
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この旅行記へのコメント (2)
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- sukecoさん 2024/10/16 20:16:48
- 利休の名前の由来!
- hijunoさん、こんばんは~
堺は歴史の街なのですねー
与謝野晶子、千利休、フランシスコ・ザビエル・・・たくさんの歴史人物たちが堺の街と関係が深いとは!
海外との貿易も盛んだったようですね。
堺は仁徳天皇陵しかないなんて勝手に思い込んでいました(反省です・・・)。
それにしても、利休の名前の由来は面白い。
名誉も利益も求めないというところからきているのに、最後は、政治にも権力を及ぼしてしまうなんて!!!
ホント皮肉ですね。
続きも楽しみにしています♪
sukeco
- hijunoさん からの返信 2024/10/17 05:34:49
- 本当に皮肉な結果ですよね。。
- sukecoさん
おはようございます。
お便りをいつもありがとうございます^^
私も堺といえば、仁徳天皇陵としかイメージなかったのですが、
今回、千利休や与謝野晶子に関しても、ゆかりの深い土地だということがわかりました。
南蛮貿易で栄えた時代から、早くから開けた先進の街だったのですねー。
もっと歩いてみると、新しい発見があるかもしれません。
おっしゃるとおり、私も利休の名前の由来、面白いですよね。
初めて、そんな意味だと知りました。今まで考えたこともなかったのですが。
皮肉なことですよね、最後は結局、権力の中で最期を遂げてしまうなんて。
そうならないように、こんな名前を付けたのかな。。とも思ったりして。
資料館、さかい利晶の杜は、本当に盛りだくさんで楽しかったです。
お茶席も体験できて、抹茶って、こんなに甘い深い味なんだと、再度おもいました。
自分で簡単に抹茶を作って飲むこともありますが、やはり、全然違う味。
次回の旅行記で書いてみたいとおもいます。
また、遊びに来てくれると嬉しいです^^
hijuno
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