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師走。ふらりと、浅草寺の羽子板市を覗いて来た。この羽子板市の前身は、江戸時代、『納めの観音詣』にあたる12月17,18日に立った『歳の市』だ。江戸市中では、年に三度の大市のうち、12月に立つ『歳の市』が最も賑わい、中でも、正月用の歳の市は浅草に限られていた。『浅草市』とも呼ばれ、歌川豊国の錦絵の題材になるなど、重要な江戸の年中行事でもあった。当時は、浅草寺境内だけではなく、南は駒形、蔵前、浅草橋、西は田原町から上野山下まで小屋掛けの店が続いたと云う。しかし、明治以降、正月用品を普通の店で買うようになってからは次第に廃れ、今では羽子板市として、その賑わいだけを伝えている。<br /><br />(2025.12.27 投稿)

師走の江戸~浅草寺・羽子板市~

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2005/12/17 - 2005/12/17

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旅行記グループ 【武蔵国】江戸

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旅猫

旅猫さん

師走。ふらりと、浅草寺の羽子板市を覗いて来た。この羽子板市の前身は、江戸時代、『納めの観音詣』にあたる12月17,18日に立った『歳の市』だ。江戸市中では、年に三度の大市のうち、12月に立つ『歳の市』が最も賑わい、中でも、正月用の歳の市は浅草に限られていた。『浅草市』とも呼ばれ、歌川豊国の錦絵の題材になるなど、重要な江戸の年中行事でもあった。当時は、浅草寺境内だけではなく、南は駒形、蔵前、浅草橋、西は田原町から上野山下まで小屋掛けの店が続いたと云う。しかし、明治以降、正月用品を普通の店で買うようになってからは次第に廃れ、今では羽子板市として、その賑わいだけを伝えている。

(2025.12.27 投稿)

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
同行者
一人旅
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩
  • 上野駅から乗った銀座線を、間違って田原町駅で降りてしまい、雷門に辿り着くまでに、思わぬ時間を費やしてしまった。そして、雷門では、平成十五年(2003)の十一月に新調された大提灯が出迎えてくれた。五月に取り外され、間の抜けた姿を晒し、八月に一旦新しいものを取り付けたのだが、大きさを間違えたため、再度新調したことはあまり知られていない。その間、一部折り畳んだ哀れな姿であったのだ。

    上野駅から乗った銀座線を、間違って田原町駅で降りてしまい、雷門に辿り着くまでに、思わぬ時間を費やしてしまった。そして、雷門では、平成十五年(2003)の十一月に新調された大提灯が出迎えてくれた。五月に取り外され、間の抜けた姿を晒し、八月に一旦新しいものを取り付けたのだが、大きさを間違えたため、再度新調したことはあまり知られていない。その間、一部折り畳んだ哀れな姿であったのだ。

  • 正式には、『風雷神門』と呼ばれる雷門を潜り、仲見世へと進む。頭上には、『納めの観音 浅草寺 羽子板市』の文字。年の瀬と言うより、すでに新春のような光景だ。

    正式には、『風雷神門』と呼ばれる雷門を潜り、仲見世へと進む。頭上には、『納めの観音 浅草寺 羽子板市』の文字。年の瀬と言うより、すでに新春のような光景だ。

  • 参拝客や観光客で賑わう仲見世を歩いていると、仲見世の看板娘に出会った。以前にも見かけたが、変わらぬ姿で元気そうである。

    参拝客や観光客で賑わう仲見世を歩いていると、仲見世の看板娘に出会った。以前にも見かけたが、変わらぬ姿で元気そうである。

  • 浅草は、外国人観光客にも人気の街である。この日も、多くの外国の方が仲見世を歩いていた。雪駄を物色中の二人連れがいたが、やはり珍しいのだろう。

    浅草は、外国人観光客にも人気の街である。この日も、多くの外国の方が仲見世を歩いていた。雪駄を物色中の二人連れがいたが、やはり珍しいのだろう。

  • それにしても、やはり、正月を迎えたような雰囲気である。

    それにしても、やはり、正月を迎えたような雰囲気である。

  • 仲見世には、美味しい物がたくさんある。中でも、人形焼は有名である。出来たてが、一つから買えるのも魅力なのだ。その中の一軒で、若い職人さんを見かけた。見事な手仕事で、ずっと見ていても飽きない。

    仲見世には、美味しい物がたくさんある。中でも、人形焼は有名である。出来たてが、一つから買えるのも魅力なのだ。その中の一軒で、若い職人さんを見かけた。見事な手仕事で、ずっと見ていても飽きない。

  • さらに進むと、左手に浅草寺の本坊伝法院が見えてきた。その客殿、表玄関、使者の間、大台所の一部は、安永六年(1777)に建てられたもので、浅草寺に残る貴重な江戸期の遺構となっている。また、小堀遠州作と伝わる江戸初期の庭園も現存しているが、伝法院は通常非公開である。

    さらに進むと、左手に浅草寺の本坊伝法院が見えてきた。その客殿、表玄関、使者の間、大台所の一部は、安永六年(1777)に建てられたもので、浅草寺に残る貴重な江戸期の遺構となっている。また、小堀遠州作と伝わる江戸初期の庭園も現存しているが、伝法院は通常非公開である。

  • 伝法院を過ぎると、正面に宝蔵門が見えてくる。その宝蔵門の前後が、羽子板市の立ち並ぶ場所だ。店を覗いてみると、裸電球の明かりに照らし出された無数の羽子板が並んでいる。少し不思議な雰囲気である。

    伝法院を過ぎると、正面に宝蔵門が見えてくる。その宝蔵門の前後が、羽子板市の立ち並ぶ場所だ。店を覗いてみると、裸電球の明かりに照らし出された無数の羽子板が並んでいる。少し不思議な雰囲気である。

  • いかにも下町の大将と言った感じの親方が、威勢よく売っている。ねじり鉢巻きが粋である。

    いかにも下町の大将と言った感じの親方が、威勢よく売っている。ねじり鉢巻きが粋である。

  • 羽子板の羽を使った飾りもあった。羽根の付いた堅い球を羽子板でつく、あの独特な音色は、今や音遺産となってしまった。

    羽子板の羽を使った飾りもあった。羽根の付いた堅い球を羽子板でつく、あの独特な音色は、今や音遺産となってしまった。

  • 人並みの向こうに、宝蔵門が近づいてきた。宝蔵門は、戦災で焼失した仁王門の跡に再建された門で、宝物館の役目もしているため名付けられたとのこと。失われた仁王門は、慶安二年(1649)、二代将軍徳川家光により再建されたもので、本堂とともに国宝に指定されていたそうだ。現在の門は、鉄筋コンクリート造りである。

    人並みの向こうに、宝蔵門が近づいてきた。宝蔵門は、戦災で焼失した仁王門の跡に再建された門で、宝物館の役目もしているため名付けられたとのこと。失われた仁王門は、慶安二年(1649)、二代将軍徳川家光により再建されたもので、本堂とともに国宝に指定されていたそうだ。現在の門は、鉄筋コンクリート造りである。

  • 宝蔵門を潜ると、左手に五重塔が聳えている。その五重塔も、戦災で焼失後の再建である。焼失前は、反対側の本堂東南に建っていたそうだ。

    宝蔵門を潜ると、左手に五重塔が聳えている。その五重塔も、戦災で焼失後の再建である。焼失前は、反対側の本堂東南に建っていたそうだ。

  • ようやく本堂が見えて来た。人の波は、ここが終点である。なので、多くの参拝客で、前へ進むのも一苦労である。

    ようやく本堂が見えて来た。人の波は、ここが終点である。なので、多くの参拝客で、前へ進むのも一苦労である。

  • 本堂で参拝後、後ろを振り返ると、江戸の頃と変わらないであろう師走の光景が広がっていた。

    本堂で参拝後、後ろを振り返ると、江戸の頃と変わらないであろう師走の光景が広がっていた。

  • 陽が傾き、五重塔は夕暮れの中に佇んでいる。

    陽が傾き、五重塔は夕暮れの中に佇んでいる。

  • 帰り際、おみくじを引いてみると『小吉』であった。小さな幸せである。

    帰り際、おみくじを引いてみると『小吉』であった。小さな幸せである。

  • 参拝も終えたので、再び羽子板市を観て回る。羽子板を近くで見ると、かなり華やかである。

    参拝も終えたので、再び羽子板市を観て回る。羽子板を近くで見ると、かなり華やかである。

    歳の市(羽子板市) 祭り・イベント

    江戸時代から続く年の瀬の風物詩 by 旅猫さん
  • 羽子板は、邪気や災いをはね(羽根)除けると言うことで、縁起物とされている。実際に、羽根を付くことはないため、かなり大きなものもある。

    羽子板は、邪気や災いをはね(羽根)除けると言うことで、縁起物とされている。実際に、羽根を付くことはないため、かなり大きなものもある。

  • 小屋掛けの店が立ち並び、江戸の色使いを思わせるような店も多い。

    小屋掛けの店が立ち並び、江戸の色使いを思わせるような店も多い。

  • それにしても、羽子板には色々な図柄があり、見ているだけでも楽しい。

    それにしても、羽子板には色々な図柄があり、見ているだけでも楽しい。

  • 中には、世相や流行を反映したものもある。

    中には、世相や流行を反映したものもある。

  • 羽子板市を堪能した後、、雷門近くの天麩羅の老舗『三定』に立ち寄り、夕食用にいくつか買って帰ることにした。『三定』は、天保八年(1837)の創業だそうだ。三河国の定吉が江戸へ出て、自宅前で小魚を揚げたのが始まりということで『三定』。帰ってから早速食べてみたが、衣が柔らかくなってしまい、いまひとつであった。羽子板市で江戸を感じる小さな旅は、少々締まらぬ幕切れとなった。

    羽子板市を堪能した後、、雷門近くの天麩羅の老舗『三定』に立ち寄り、夕食用にいくつか買って帰ることにした。『三定』は、天保八年(1837)の創業だそうだ。三河国の定吉が江戸へ出て、自宅前で小魚を揚げたのが始まりということで『三定』。帰ってから早速食べてみたが、衣が柔らかくなってしまい、いまひとつであった。羽子板市で江戸を感じる小さな旅は、少々締まらぬ幕切れとなった。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • ralphinさん 2008/12/18 23:21:12
    羽子板市
    こんばんはー、旅猫さん。

    へぇ、歳の市って元々は正月用品を買うための場所だったんですね。
    今じゃ、羽子板だけですもんね。
    歳の市だった頃の賑わいは凄かったでしょうね。

    実は今日仕事の後、羽子板市を見に行って来たんですよ♪
    05年当時と変わらない感じがしましたよ。
    これ、これ、あったー!ってこの旅行記見ながら興奮しちゃいました。
    ちなみにこの左側の羽子板買ったんですよ♪

    ralphin

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2008/12/19 01:02:36
    RE: 羽子板市
    ralphinさん、こんばんは〜
    書き込み&投票をありがとうございます!

    そうなんですよー
    江戸の頃は、庶民の暮れのイベントだったそうです。
    浅草から上野界隈まで、大いに賑わったそうです。
    今は、羽子板ばかりで、他のものはほとんど売って無いですけどね(^^;

    > 05年当時と変わらない感じがしましたよ。
    そうでしたか!
    変わってないというのはうれしいですね!
    あの独特の雰囲気って、なんだかいいですよね。
    ふと、江戸の情緒を感じられて。

    > ちなみにこの左側の羽子板買ったんですよ♪
    おー、買っちゃいましたか!
    きれいですよねー
    旅猫も、小さいのを買おうとしたのですが、勇気が足らず(笑
    日本らしくていいですよね。

    旅猫

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