2021/09/23 - 2021/09/23
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ミスターDさん
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滋賀県長浜エリアをぶらりとしてみました。
県を越える移動は自粛をしなければならないことは重々承知のことではありますが、帰省も自粛せざるを得ない状況で、家に引きこもることが出来ない性分で、知人の車で密を避けながら行動しました。
個人的な趣味のスポットを巡りましたので、さらっと見ていただければ幸いです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
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長浜城のある滋賀県長浜市の豊公園に到着しました。
長浜城の復興天守閣が見えてきました。 -
公園と一体となった城跡となっています。
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長浜城は室町時代の初めにあった城を羽柴秀吉が最初の城持ち大名となった際に築いた城です。
その後、江戸時代に彦根城が築城される際に廃城になりました。 -
建物や石垣は彦根城に移されてしまい、現在は復興された天守閣が町のシンボルとなっています。
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さらに、2022年3月末まで、耐震工事のため、内部の見学は出来ませんでした。
事前に調べておけばよかったのに。
この日の朝に急に行き先を変更したのがいけなかったのです。残念。。 -
ですが、復興の天守閣ですので、内部は諦めて、外観のみの観光といたしました。
長浜城歴史博物館 美術館・博物館
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長浜駅前に秀吉の像があるとのことで、行ってみました。
長浜駅 駅
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羽柴秀吉と若き頃の石田三成の像がありました。
有名なお茶を渡す場面の像です。 -
米原市の観音護国寺さんに来ました。
こちらのお寺で羽柴秀吉と石田三成が出会ったと言われています。
(諸説あります) -
境内にはフヨウの花が美しく咲いていました。
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こちらが本堂です。
平安時代前期に建立された、非常に歴史のあるお寺です。
羽柴秀吉が鷹狩りで立ち寄った際に、寺の小僧をしていた石田三成が、お茶を三度出した際に、熱さを変えて持ってきたという逸話が伝わっています。 -
三成は秀吉が喉が渇いていることを察知して、最初は少しぬるめのお茶を出し飲みやすくして、その後に少しづつ熱くしていったと言われています。
その気転の良さを秀吉が感心して、三成を家臣としました。 -
その時のお茶を作った水を汲みだしたと言われる井戸が残っていました。
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境内には雰囲気の良い蓮の池がありました。
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こちらの観音護国寺さんからはハイキングで有名な伊吹山が望めました。
伊吹山 自然・景勝地
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少し移動して姉川に到着しました。
この地では織田信長を裏切った、妹婿の浅井長政公と朝倉連合軍が、織田・徳川家と戦った場所です。 -
この辺りには戦死者を弔う石碑などが多く残されています。
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こちらの茶臼山古墳の奥に織田信長は陣を敷いたと言われています。
茶臼山古墳 名所・史跡
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茶臼山古墳の近くに、浅井家の家臣の遠藤直経公の墓が残されいます。
遠藤直経公は、浅井家の敗色が濃厚となった際に、信長の陣中に忍び込みましたが、討ち死にをされた浅井家の重臣です。 -
この地での敗戦により、浅井家・朝倉家は衰退をしていくこととなります。
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血原公園に残る合戦の跡の石碑です。
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この合戦の地は現在はグランドゴルフ場となっていました。
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年配の方々が、スポーツを楽しまれていました。
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道の駅 浅井三姉妹の郷に来ました。
道の駅 浅井三姉妹の郷 道の駅
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信長公の妹のお市の方と、浅井長政公の娘の三姉妹の像がありました。
以前は大河ドラマ館があった建物で、現在は道の駅となっています。 -
地元の食材などを販売されてます。
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こちらのレストランで昼食を取ります。
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近江しゃも入りの煮込みハンバーグを注文しました。
煮込んであるので、柔らかい食感で美味しくいただきました。 -
大河ドラマ 「江~姫たちの戦国~」で使用された着物などが展示されています。
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地元のお酒などが販売されています。
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浅井長政公の居城があった、小谷城跡に行ってみます。
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こちらは大河ドラマ放映に合わせて作られた、兜のオブジェのようです。
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小谷城は標高495の小谷山に築かれました。
八合目ほどまで車で行くことが出来ます。
そこから徒歩で400mほど歩きます。 -
途中に琵琶湖を望むスポットがあります。
琵琶湖と竹生島です。 -
黒金門の跡です。
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城址碑が建っています。
姉川の戦いで敗れた浅井長政公は、再び攻めて来た織田家により、この城で自刃されました。 -
城の主郭部の大広間という場所です。
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大広間の上にある本丸の石垣です。
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本丸の光景です。
長政公は妻のお市の方と三姉妹を秀吉勢に預けて、最後を遂げられました。 -
本丸と中丸の間にある、大堀切です。
敵の侵入を防ぐ役割があります。 -
本丸の下にある赤尾屋敷跡です。
浅井家の重臣の赤尾家の屋敷がありました。
浅井長政公はこの地で自刃されました。 -
その石碑が今も大事に残されています。
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小谷城を移動して、30分ほどの場所の賤ケ岳に来ました。
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標高421mの山で、リフトであがることが出来ます。
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急な斜面を登っていきます。
往復で大人:950円でした。 -
リフトを下りて少し歩きます。
賤ケ岳は織田信長の亡き後、羽柴秀吉と柴田勝家が覇権を争った場所です。 -
秀吉の家臣の加藤清正、福島正則、片桐且元など、賤ケ岳七本槍と呼ばれる、七人の武将の活躍により、秀吉軍の勝利に終わりました。
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名も無き武将の像が、頂上にはありました。
戦いの壮絶さが伝わってくるようです。 -
戦いが行われた、賤ケ岳の下にある余呉湖です。
この戦いの後、越前北ノ庄城を攻められた柴田勝家公は妻のお市の方と共に自刃されました。
羽柴秀吉の天下取りがほぼ固まった戦いとなりました。 -
賤ケ岳より望む琵琶湖の展望です。
琵琶湖の北端の静かな風景が広がっています。 -
賤ケ岳の近辺は、以前は北国街道の木之本宿として栄えて、今も古い町並みが残っていました。
木之本宿 名所・史跡
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近江から越前・加賀へとつながる街道の宿場町でした。
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あまり大掛かりな整備もされていない所が、逆にノスタルジーな雰囲気となっています。
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木之本宿に鎮座する浄信寺さんです。
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7世紀ごろの創建と伝わる時宗の寺院で、歴史あるお寺のようです。
賤ケ岳の戦いの際は、秀吉が本陣としたと言われており、その際に戦火にあったと言われています。 -
浄信寺さんの阿弥陀堂という建物です。
非常に厳かな雰囲気の寺院でした。
陽も落ちてきましたので、これより名古屋に戻ります。 -
本日は滋賀県の長浜エリアの戦国期のスポットを巡ってみました。
最後まで観ていただき、ありがとうございました。
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