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2021年3月1日(月)お昼前、宇治川に架かる宇治大橋を南から北に渡る。前にも書いたようにこの辺りの淀川、宇治川、桂川、木津川は川の流れが何度も替えられたこともあって、京都市伏見区、八幡市、久御山町が入り乱れておりややこしい。<br /><br />淀大橋から北側、府道15号線宇治淀線が京阪本線を越えて府道13号線(昔の国道1号線)に突き当たる手前まで、久御山町が突き出している。その西側も350mくらいは細長く八幡市が突き出している。今まで意識して通ったことなかったが、明治以前の木津川跡とのこと。1870年(明治3年)に現在の流れに付け替えられるまでは、この北で淀川に合流していた。その頃は宇治川は現在の宮前橋辺りで桂川と合流し淀川となっており、現在の流れに変えられたのは明治末。<br /><br />その八幡市の北の端に当たる道は、かつては大坂と京都を結ぶ京街道(大坂街道)で、旧木津川を越える元の淀大橋がこの辺りに架かっていた。その京街道を府道15号線から100mほど北東に進むと淀水路に架かる孫橋に出る。この孫橋を挟んで約1.1㎞の淀水路沿いの淀緑地に200本の桜が植えられている。<br /><br />淀水路は、京都競馬場付近で宇治川から分岐し、淀の旧市街地を西へと流れ、桂川へと合流する短い川。この川が誕生したのは秀吉の治水工事によるものと思われる。安土桃山までは今は無き巨椋池の西の端に木津川は南から流れ込み、桂川も北から流れ込んで東で流れ込んでいた宇治川の水と一体となり、この辺りから淀川として流れ出していた。<br /><br />秀吉が宇治川の流れを変えて巨椋池と分け、伏見城の外濠にしたことは有名だが、巨椋池西南部にも淀堤や中池堤、大池堤を築き、木津川も巨椋池から切り離し、現在の淀城跡の少し南西辺りで淀川に合流させるようにした。多分であるが、現在の淀水路の上流部分はこの時に巨椋池の出口の流れが宇治川に合流する前に分流して旧々木津川に流れ出していたものと思われる。また、下流部分はその旧々木津川から淀川合流地点より少し南西にショートカットして流れていたのではなかろうか。<br /><br />その後、江戸時代初期の寛永年間に淀城城下拡張の為、木津川の合流点が少し南西に変更された際に、おそらくこの旧々木津川の上流部分と下流部分が繋げられ、現在の淀水路の原形となったと思われ、江戸時代は淀城の南側の濠として使われ、荷役の港の役目も果たしていた。<br /><br />明治に入り、木津川や宇治川の流れが変えられ、宇治川から桂川に流れる小川になったが、近年はゴミやビニール袋が浮き、自転車などが不法投棄されるようになっていた。それを変えたのが地元住民。淀地域の町おこしの一環として「地域の名所にしよう」として伊豆から取り寄せた2本の河津桜の苗木を植樹したのが2002年。<br /><br />2006年には「淀さくらを育てる会」が発足し、今ではこの淀水路沿いの淀緑地だけでなく水垂地区、淀城跡、京阪淀駅前にも広がり、淀の町全体では300本になったそうだ。河津桜だけでなく、ソメイヨシノやしだれ桜、里桜が植えられており、早いものだと2月から4月末まで桜を楽しめる。桜の木の周辺には菜の花が咲いている場所もあり、濃いピンク色の桜と黄色の菜の花のコントラストは絵になる(下の写真1)。<br /><br />河津桜は2月頃に開花する早咲きの桜。オオシマザクラ(日本固有種の大島桜)とカンヒザクラ(台湾などが原産の寒緋桜)が自然交雑したと推定され、華やかで見応えのある濃い桃色の花が特徴的。開花期間が長いことから長期間花見を楽しめる。<br /><br />1955年に静岡県河津町の雑草の中で1mほどの原木を偶然発見し、庭先に植えたことが由来。1966年から開花し、当初は発見者の家の屋号から小峰桜と呼ばれたが、その後の学術調査で今までに無かった雑種起源の栽培品種であると判明し、1974年にカワヅザクラ(河津桜)と命名された。1968年頃から増殖されるようになり、河津川河口から河津町内さらに全国に広がった。堤防の樹木は根元から水が入り、土壌が緩んで決壊し易くなることがあり、1998年施行の改正河川法により河川区域での植樹は禁止されている。<br /><br />メジロは河津桜の蜜が好きだそう(下の写真2)で、確かにこの日もたくさん見掛けたし、うちの近所でも何度か見掛けた。メジロは鴬色の羽で目の周りが白いことからメジロ(目白)と云う名が付けられたが、同じように早春に鳴き出すことから鴬と混同されることが多い。梅に鶯の絵が一般的だが、実際には鴬は主に虫や木の実などを食べ、花蜜を吸うことはめったになく、羽も茶色が濃い鶯茶色。警戒心がとても強く、人前にはなかなか姿を現さない。それに比べ、メジロは比較的警戒心が緩く、お互いに押し合うようにぴったりと枝に並ぶ習性があるため、ここから「目白押し」と云う慣用句も生まれた。<br /><br />さて、話を戻して孫橋だが、木津川に架かる大橋と宇治川に架かる小橋の間にある小さな橋と云う事から間小橋と呼ばれたのが転じて孫橋となった。当時は淀水路は孫橋川と呼ばれていた絵図が残る(大阪くらしの今昔館が所蔵する「よと川の図」の淀城付近)。<br />http://konjyakukan.com/<br /><br />孫橋から天神橋を挟んで京阪本線に突き当たるまで続く下流約300mは、右岸(北側)にずらりと河津桜並木が続く(表紙の写真)。見事としか云いようがない。水路の両岸を歩くことが出来るので、桜並木の下を進むことも出来るし、対岸から並木を眺めることも出来る。天神橋はおそらく孫橋から京街道を100mほど北東に進んだところにある淀新町天満宮に関連して名付けられたものと推測されるが詳細不明。<br /><br />孫橋から右岸を進んで1本目のアパートの間を入る道は、新町緑道と呼ばれているが、昔は水路だったそうだ(下の写真3)。この道の先に植えられた2本の河津桜が2002年に最初に植樹されたもので、毎年一番最初に花を咲かせる。この日より約1か月前の2月4日(木)、朝刊にこの桜が満開との記事が出ていたので、私もこの時はチャリンコを1時間余り走らせて見に行った。2月の満開の桜もなかなか素晴らしく、往復2時間以上掛けた価値はあった。そう云えば行きは一部向かい風がきつく大変やった。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.5218659744870674&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />この新町緑道から孫橋辺りは、最初にも書いたが、菜の花も綺麗だし、水仙(下の写真4)やサクラソウ(下の写真5)も美しい。孫橋辺りには里桜も植えられており、香りのいい白い花を咲かせるそうだが、これはまだ早い。<br /><br />ここから上流は左岸(南側)を進む。孫橋の南詰から東に3件並ぶお寺の前を進み、3件目の前で河川敷に降りる。寄ったことがないのだが、この3件のお寺は寛政年間に木津川の流れが変更された際に、代官町にあったのがここに移されたもの。真ん中の長円寺は1968年1月の戊辰戦争の初戦となった鳥羽・伏見の戦いで敗れた幕府軍が淀城入城を拒まれ、淀の町での戦いにも敗れ淀大橋を渡って男山方面に撤退したが、負傷兵や戦死者はこの長円寺に運び込まれ、野戦病院となったそうだ。<br /><br />ここから上流は水路の左岸(南側)には河津桜が、右岸(北側)にはソメイヨシノが多く植えられており、当然右岸側は全く咲いてない(下の写真6)。また、右岸には椿もあり、これは綺麗に咲いていた(下の写真7)。孫橋から下流側はずっと伏見区で、河川敷に降りた辺りも伏見区だが、この辺りから左岸が久御山町になる。そして、まだ咲いてないしだれ桜が増えてきたところで右岸に渡るがこの橋は桜橋(下の写真8)。<br /><br />右岸をしばらく歩くと、通称「亀公園」と呼ばれる岬のようになった三角形の小さな公園がある。ここにも河津桜がたくさん植えられており、ベンチなどもあるので、コロナ禍だけどお弁当を広げる人たちも。どうしてもやらなきゃ気が済まないんだよねえ・・・<br /><br />公園を過ぎるとしだれ桜のエリアになるので、この時期はまだまだつぼみ(下の写真9)。このエリアのしだれ桜はソメイヨシノより遅く、ソメイヨシノが散る頃に咲き出すそうだ。で、約500m進むと淀緑地の東口に到着(下の写真10)。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.5341970415872939&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />淀城址に向かうが続く

京都 淀 河津桜(Kawazu Cherry Blossoms, Yodo, Kyoto, JP)

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2021/03/01 - 2021/03/01

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ちふゆ

ちふゆさん

2021年3月1日(月)お昼前、宇治川に架かる宇治大橋を南から北に渡る。前にも書いたようにこの辺りの淀川、宇治川、桂川、木津川は川の流れが何度も替えられたこともあって、京都市伏見区、八幡市、久御山町が入り乱れておりややこしい。

淀大橋から北側、府道15号線宇治淀線が京阪本線を越えて府道13号線(昔の国道1号線)に突き当たる手前まで、久御山町が突き出している。その西側も350mくらいは細長く八幡市が突き出している。今まで意識して通ったことなかったが、明治以前の木津川跡とのこと。1870年(明治3年)に現在の流れに付け替えられるまでは、この北で淀川に合流していた。その頃は宇治川は現在の宮前橋辺りで桂川と合流し淀川となっており、現在の流れに変えられたのは明治末。

その八幡市の北の端に当たる道は、かつては大坂と京都を結ぶ京街道(大坂街道)で、旧木津川を越える元の淀大橋がこの辺りに架かっていた。その京街道を府道15号線から100mほど北東に進むと淀水路に架かる孫橋に出る。この孫橋を挟んで約1.1㎞の淀水路沿いの淀緑地に200本の桜が植えられている。

淀水路は、京都競馬場付近で宇治川から分岐し、淀の旧市街地を西へと流れ、桂川へと合流する短い川。この川が誕生したのは秀吉の治水工事によるものと思われる。安土桃山までは今は無き巨椋池の西の端に木津川は南から流れ込み、桂川も北から流れ込んで東で流れ込んでいた宇治川の水と一体となり、この辺りから淀川として流れ出していた。

秀吉が宇治川の流れを変えて巨椋池と分け、伏見城の外濠にしたことは有名だが、巨椋池西南部にも淀堤や中池堤、大池堤を築き、木津川も巨椋池から切り離し、現在の淀城跡の少し南西辺りで淀川に合流させるようにした。多分であるが、現在の淀水路の上流部分はこの時に巨椋池の出口の流れが宇治川に合流する前に分流して旧々木津川に流れ出していたものと思われる。また、下流部分はその旧々木津川から淀川合流地点より少し南西にショートカットして流れていたのではなかろうか。

その後、江戸時代初期の寛永年間に淀城城下拡張の為、木津川の合流点が少し南西に変更された際に、おそらくこの旧々木津川の上流部分と下流部分が繋げられ、現在の淀水路の原形となったと思われ、江戸時代は淀城の南側の濠として使われ、荷役の港の役目も果たしていた。

明治に入り、木津川や宇治川の流れが変えられ、宇治川から桂川に流れる小川になったが、近年はゴミやビニール袋が浮き、自転車などが不法投棄されるようになっていた。それを変えたのが地元住民。淀地域の町おこしの一環として「地域の名所にしよう」として伊豆から取り寄せた2本の河津桜の苗木を植樹したのが2002年。

2006年には「淀さくらを育てる会」が発足し、今ではこの淀水路沿いの淀緑地だけでなく水垂地区、淀城跡、京阪淀駅前にも広がり、淀の町全体では300本になったそうだ。河津桜だけでなく、ソメイヨシノやしだれ桜、里桜が植えられており、早いものだと2月から4月末まで桜を楽しめる。桜の木の周辺には菜の花が咲いている場所もあり、濃いピンク色の桜と黄色の菜の花のコントラストは絵になる(下の写真1)。

河津桜は2月頃に開花する早咲きの桜。オオシマザクラ(日本固有種の大島桜)とカンヒザクラ(台湾などが原産の寒緋桜)が自然交雑したと推定され、華やかで見応えのある濃い桃色の花が特徴的。開花期間が長いことから長期間花見を楽しめる。

1955年に静岡県河津町の雑草の中で1mほどの原木を偶然発見し、庭先に植えたことが由来。1966年から開花し、当初は発見者の家の屋号から小峰桜と呼ばれたが、その後の学術調査で今までに無かった雑種起源の栽培品種であると判明し、1974年にカワヅザクラ(河津桜)と命名された。1968年頃から増殖されるようになり、河津川河口から河津町内さらに全国に広がった。堤防の樹木は根元から水が入り、土壌が緩んで決壊し易くなることがあり、1998年施行の改正河川法により河川区域での植樹は禁止されている。

メジロは河津桜の蜜が好きだそう(下の写真2)で、確かにこの日もたくさん見掛けたし、うちの近所でも何度か見掛けた。メジロは鴬色の羽で目の周りが白いことからメジロ(目白)と云う名が付けられたが、同じように早春に鳴き出すことから鴬と混同されることが多い。梅に鶯の絵が一般的だが、実際には鴬は主に虫や木の実などを食べ、花蜜を吸うことはめったになく、羽も茶色が濃い鶯茶色。警戒心がとても強く、人前にはなかなか姿を現さない。それに比べ、メジロは比較的警戒心が緩く、お互いに押し合うようにぴったりと枝に並ぶ習性があるため、ここから「目白押し」と云う慣用句も生まれた。

さて、話を戻して孫橋だが、木津川に架かる大橋と宇治川に架かる小橋の間にある小さな橋と云う事から間小橋と呼ばれたのが転じて孫橋となった。当時は淀水路は孫橋川と呼ばれていた絵図が残る(大阪くらしの今昔館が所蔵する「よと川の図」の淀城付近)。
http://konjyakukan.com/

孫橋から天神橋を挟んで京阪本線に突き当たるまで続く下流約300mは、右岸(北側)にずらりと河津桜並木が続く(表紙の写真)。見事としか云いようがない。水路の両岸を歩くことが出来るので、桜並木の下を進むことも出来るし、対岸から並木を眺めることも出来る。天神橋はおそらく孫橋から京街道を100mほど北東に進んだところにある淀新町天満宮に関連して名付けられたものと推測されるが詳細不明。

孫橋から右岸を進んで1本目のアパートの間を入る道は、新町緑道と呼ばれているが、昔は水路だったそうだ(下の写真3)。この道の先に植えられた2本の河津桜が2002年に最初に植樹されたもので、毎年一番最初に花を咲かせる。この日より約1か月前の2月4日(木)、朝刊にこの桜が満開との記事が出ていたので、私もこの時はチャリンコを1時間余り走らせて見に行った。2月の満開の桜もなかなか素晴らしく、往復2時間以上掛けた価値はあった。そう云えば行きは一部向かい風がきつく大変やった。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.5218659744870674&type=1&l=223fe1adec

この新町緑道から孫橋辺りは、最初にも書いたが、菜の花も綺麗だし、水仙(下の写真4)やサクラソウ(下の写真5)も美しい。孫橋辺りには里桜も植えられており、香りのいい白い花を咲かせるそうだが、これはまだ早い。

ここから上流は左岸(南側)を進む。孫橋の南詰から東に3件並ぶお寺の前を進み、3件目の前で河川敷に降りる。寄ったことがないのだが、この3件のお寺は寛政年間に木津川の流れが変更された際に、代官町にあったのがここに移されたもの。真ん中の長円寺は1968年1月の戊辰戦争の初戦となった鳥羽・伏見の戦いで敗れた幕府軍が淀城入城を拒まれ、淀の町での戦いにも敗れ淀大橋を渡って男山方面に撤退したが、負傷兵や戦死者はこの長円寺に運び込まれ、野戦病院となったそうだ。

ここから上流は水路の左岸(南側)には河津桜が、右岸(北側)にはソメイヨシノが多く植えられており、当然右岸側は全く咲いてない(下の写真6)。また、右岸には椿もあり、これは綺麗に咲いていた(下の写真7)。孫橋から下流側はずっと伏見区で、河川敷に降りた辺りも伏見区だが、この辺りから左岸が久御山町になる。そして、まだ咲いてないしだれ桜が増えてきたところで右岸に渡るがこの橋は桜橋(下の写真8)。

右岸をしばらく歩くと、通称「亀公園」と呼ばれる岬のようになった三角形の小さな公園がある。ここにも河津桜がたくさん植えられており、ベンチなどもあるので、コロナ禍だけどお弁当を広げる人たちも。どうしてもやらなきゃ気が済まないんだよねえ・・・

公園を過ぎるとしだれ桜のエリアになるので、この時期はまだまだつぼみ(下の写真9)。このエリアのしだれ桜はソメイヨシノより遅く、ソメイヨシノが散る頃に咲き出すそうだ。で、約500m進むと淀緑地の東口に到着(下の写真10)。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.5341970415872939&type=1&l=223fe1adec


淀城址に向かうが続く

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  • 写真1 河津桜と菜の花

    写真1 河津桜と菜の花

  • 写真2 河津桜とメジロ

    写真2 河津桜とメジロ

  • 写真3 新町緑道

    写真3 新町緑道

  • 写真4 水仙

    写真4 水仙

  • 写真5 サクラソウ

    写真5 サクラソウ

  • 写真6 淀水路孫橋上流

    写真6 淀水路孫橋上流

  • 写真7 淀水路上流の椿

    写真7 淀水路上流の椿

  • 写真8 桜橋から下流側

    写真8 桜橋から下流側

  • 写真9 しだれ桜エリア

    写真9 しだれ桜エリア

  • 写真10 淀緑地東口

    写真10 淀緑地東口

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