2021/07/22 - 2021/07/25
90位(同エリア150件中)
ミズ旅撮る人さん
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青森県弘前市の手前にある秋田県最北端の町、小坂町。
隣の大館市は秋田犬で有名ですが、小坂町はあまり知られていません。
前回は廃線となった小坂鉄道の施設を利用した「小坂レールパーク」を訪れましたが、
レールパーク以外にも、たいそう興味深い施設が2つあります。
「康楽館」と「小坂鉱山事務所」です。
「康楽館」は明治時代に建てられた芝居小屋ですが、なんとも立派な洋館風の佇まい。
「小坂鉱山事務所」も、名前から想像するような無骨な建物とは違い、
見事な洋館で、ヨーロッパの歴史あるホテルのようです。
館内は小坂鉱山と小坂町の資料館になっています。
小坂町は、明治初期から豊富な鉱山資源に恵まれ、足尾銅山・別子銅山と並ぶ
日本三大鉱山でした。その恩恵を受けて、小坂の町には明治30年から電気が通り、
明治35年に電気鉄道が開通、明治38年には上下水道が完備されました。
その後も病院や「康楽館」のような娯楽施設も続々と建設され、繁栄を謳歌しました。
秋田と青森の県境に、こんな所があったとは驚愕しました。
日本は、まだまだ知らない素晴らしい歴史を持った場所がたくさんあります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
「小坂レールパーク」の真正面から「明治百年通り」が伸びています。
何故「明治」なのか?それは小坂町が明治時代に鉱山の発展により、
たいへん栄えたからです。
江戸末期の1861年に小坂鉱山・相内鉱山が発見されました。
幕末の混乱が治まった1869(明治2)年に鉱山の官営による採掘が
再開されました。
明治後期には日本三大鉱山の一つにまでなり、
鉱産額日本一の鉱山となりました。
鉄道・発電所・電信電話・上下水道・病院・娯楽施設・郵便局・銀行・
警察に至るまで小坂鉱山が招聘・設置しました。
「水と電気は無料」という豊かな暮らしが営まれていました。 -
「明治百年通り」付近の地図です。
右端に「小坂レールパーク」があり、左(北)に伸びているのが
「明治百年通り」です。 -
山間の近代都市-お雇い外国人もやって来た-
明治6年に赴任したドイツ人技術者ネットーは、銀の増産に貢献。
自ら設計した「教師館」に暮らし、近代初のクリスマスを
小坂の人々と共に祝うなど、小坂の暮らしをスケッチに残しました。 -
イチオシ
「明治百年通り」は、並木に囲まれた歩道と車道が完全に分離されて
いて、安心して歩くことが出来ます。
車道の両側には、このような華やかな幟がずらっと並んでいます。
まるで大相撲の興行のようで、ワクワクします。
実は、この写真を見て、小坂町に興味が湧いたのです。
この町には、いったい何があるんだろう??? -
幟に、「康楽館」という文字が見えます。これが目的地です。
-
「明治百年通り」の横には小坂鉄道の線路があります。
レールパーク方向にはバリケードがあって、使っていないようですが、2021年はコロナウィルス対策で様々な変更が行われています。
以前の写真では、ここをレールバイクが走っていました。
「小坂鉱山事務所」の前に「永楽町駅」、
ゴールドパレスホテルの先に「古館駅」があります。
ブルートレイン「あけぼの」もイベントで、ここを走りました。 -
さあ、幟の向こうに白い洋館が見えて来ました。あれが「康楽館」です。
正面部分はアメリカ木造ゴシック風ですが、
その後ろは純和風の建物です。国重要文化財「明治の芝居小屋 康楽館」 名所・史跡
-
「康楽館」は、1910(明治43)年8月13日に、
小坂鉱山の厚生施設として設立されました。
こけら落としには、「大阪歌舞伎上松鶴一座」が公演を行いました。
以後、1970(昭和45)年まで60年間も、
演劇・映画・寄席・歌謡・文化講演・慰安会などが行われて来ました。
一旦は一般興行を中止していましたが、1985(昭和60)年に
同和鉱業より小坂町へ無償譲渡され、修復工事が着工されました。
翌年、秋田県指定有形文化財となりました。
2002(平成14)年には国の重要文化財に指定されました。
2020(令和2)年に、創建110周年を迎えています。国重要文化財「明治の芝居小屋 康楽館」 名所・史跡
-
観覧料は、施設見学のみは、
高校生以上660円、中学生以下330円。
常打(じょううち)芝居と施設見学は、
高校生以上2,200円、中学生以下1,100円です。
開館時間 9:00~17:00
休館日 年末年始のみ
今回は、「小坂レールパーク」と「小坂鉱山事務所」との
3館共通券を利用したので、1,350円でした。
※新型コロナウィルスワクチン接種者割引が
2021.8.6~2021.11.7にあります。
常打芝居観劇料金が1,600円になります。(ワクチン接種済証持参) -
中に入ると、下足箱に靴を入れ、ここで少し待ちます。
奥には売店と、そば処があります。 -
公演中だったので、ある程度人数が集まるまで、
向う桟敷と呼ばれる2階の正面で、
公演を見ながら待つことになりました。
撮影は、フラッシュ以外は自由です。
今回、この旅行記を書く際に、「康楽館」に電話をして確認した所、
「康楽館」で撮影した写真は、公演中の役者さんを含め、公開OKです。
むしろ、今月はネットで拡散してくださいと
キャンペーンをしているそうです。
了解を頂いたので、存分に紹介させていただきます。 -
札売場の左奥にかなり急な木の階段があり、
それを上ると2階桟敷席の角に来ます。
そのまま「向う桟敷」に座って、公演中の舞台を見学できました。
「向う桟敷」の最後部「大向う」は、優れた鑑賞力を持つ人が
役者の屋号を呼ぶために陣取る席でした。
舞台に向かって右端に仮花道(かりはなみち)があります。
江戸時代の芝居小屋の典型的な様式です。
その周囲の桟敷には、椅子が用意されています。
座敷に座るのが辛い人には嬉しいですね。 -
舞台に向かって左にあるのが本花道(ほんはなみち)です。
本花道は、舞台の延長として重要な演技が行われる場所で、
せりの装置「切穴(すっぽん)」を備えた、
江戸時代の芝居小屋の様式を取り入れています。 -
客席の天井は洋風の板張りで、
チューリップ型の電灯は明治時代のものを今でも使用しています。
創建当時(明治43年)は、東北には電気が無かった時代、
小坂鉱山が日本で二番目の水力発電所をもっていたため、
「康楽館」は、当時としては大変珍しい
電灯が設置された芝居小屋でした。 -
「康楽館」では、毎年「下町かぶき組」による常設公演を、
期間中1日に2回から多い月には3回行っています。
「常打(じょううち)芝居」は、
5・6月は三峯組&岬一家、7月は劇団「夢の旅」、
8月は劇団「誠流(せいりゅう)」が公演を行います。
10:30~と14:00~の2回90分の内容ですが、
相撲の千秋楽に当たる千穐楽は、
10:30~、110分の1回のみです。 -
向う桟敷に座って、舞台を見ましょう。
途中からなので、流れがわかりませんが、
中央の男の人が先程は化粧をしていて、
今は後ろを向きながら衣装替えをしています。 -
派手な着物を着て、緑色のかつらを被り、手伝っていた女性が離れると、
突如、背後の幕が落ちて背景が変わり、役者がこちらを向きました。
同時に音楽が変わります。
昔、流行ったツイスト・世良公則の歌のようと言えばわかるでしょうか。 -
劇団夢の旅の公演の演目は、
第一部 芝居「風花のかんざし」
第二部 舞踊ショー
となっています。これは第二部のショーが始まったところなのでしょう。 -
イチオシ
おお!「おひねり」!!
参考までに、5・6月に「康楽館」で公演をした
「劇団岬一家」のブログを抜粋します。
「おひねりとは当時、文字通り“お金を紙に包んでひねったもの”
というのが一般的でした。
近年では、クリップで封筒やお札をはさみ、
踊りのときなどに役者さんの襟元につける。
また、送り出しなどで役者さんに直接渡すのが一般的になっています。」
「日によっては、お客さんの入りが少ない日もありました。
客席より出演者の方が多い状態です。
このような時におひねりが生まれたと言われています。
お客さんが「こんなに少ないのに一生懸命やっていただいて申し訳ない。
少しですが木戸銭(チケット代)の足しにしてください。」
というような、どこか日本人らしい気持ちではじまったのが
おひねりのはじまりといわれています。※諸説あり。」 -
膝まづいた役者さんの脇の花道に切れ込みがあります。
これは、「切穴(すっぽん)」と呼ばれる階下から、
役者がせり上がって来る舞台装置です。
この場所を「花道の七三」と呼びます。
後で、見学します。 -
この役者さんが、座長の瞳ひろしさんです。
なにしろ、背景すべてを覆う幕に、「瞳ひろし」という文字と、
彼の姿が大きく描かれているのです。
間違いようがありません。 -
座長の後には、紫色の和傘を持った花形の昴斗真さんが現れました。
-
座長と比べると、柔らかい感じの役者さんです。
-
この人は何枚撮っても、目が伏し目になりました。
座長さんは常に客に鋭い目線を投げていて、
随所に「決め」のポーズがありました。
役柄の違いもあるのでしょうが、やはり私は座長さんの方が好みです。 -
もう一人出て来ました。
-
二人でキメのポーズ。
ここで、お迎えが来ました。館内見学に向かいます。 -
一旦階段を降りて札売場に戻り、更に階段を降りて、
板張りの通路に来ました。 -
通路は花道の真下に当たり、
「七三」の場所には「切穴(すっぽん)」があります。
役者をせり上げる装置で、両側から二人が縄と滑車を使って
持ち上げます。 -
「切穴(すっぽん)」の説明板。
-
「奈落(ならく)」に来ました。 舞台の真下です。
舞台中央の円形に切った部分を
奈落にある「ろくろ」の仕掛けを使って4人で回します。 -
回舞台は直径9.73mで、4ヶ所に力棒があり、4人が回転させます。
4カ所に、このような滑車が付いています。
この上で、舞台がぐるりと回るのです。 -
「奈落」の説明板。
-
札売場に戻って来ました。本来なら、楽屋も見学できるのですが、
公演中の場合は、入れません。
楽屋は、1階に大部屋2部屋(13.5帖・9帖)、
2階に個室(各6帖)が5部屋あります。
楽屋の壁や表の壁には、明治時代からの役者たちの落書きが
たくさん残されています。
まだ、若き頃の平幹二朗、仲代達矢、東野英二郎、滝田祐介などの
落書きを見ることができます。
東野英二郎といったら、初代水戸黄門さまじゃありませんか。
大物の名前がぞろぞろ出て来るので、驚きました。 -
現在の公演のポスターです。坂東玉三郎が来たこともあるそうです。
-
劇団「夢の旅」座長、瞳ひろし。
左右どちらも同じ人なんですって。芸達者ですね。 -
8月は劇団「誠流」が公演を行っています。
9月の公演は、「Fabulous Revue Boys」で、
「10carats」というグループが、宝塚のような
華やかで豪華絢爛なショーをイケメン男子が繰り広げます。
毎月、演じる人が変わるので、内容もガラッと変わりますね。
9月のショーは、見て見たいなあ。 -
秋田県の北の外れに、こんな所があるなんて。入って見て良かった。
写真を使わせてくれて、ありがとうございました。
しっかり宣伝しましたよ。
そうそう、もう一つ宣伝があります。
「康楽館」の幕の内弁当です。3日前までの予約制です。
大館駅前の駅弁で有名な「花善」の鶏めし弁当があります。
掛け紙と副菜は特別仕様になっています。
他にも1,000~1,200円で、6種類の弁当があります。
当日なら、そば処でどうぞ。 -
「康楽館」の隣には「赤煉瓦倶楽部」があります。
1904(明治37)年建築された旧小坂鉱山工作課原動室でした。
小坂鉱山では、電気を自給して、街に灯りを灯すとともに、
たくさんの工場設備を動かしていました。
この建物は、機械器具を製作する工場であった「鍛冶製罐場」に
電気を供給する配電所で、
小坂鉱山内の工場施設に多く使われていた
「木骨煉瓦造」の建造物として貴重なものです。
2014(平成26)年に現在の場所に移築されました。
翌年「明治百年通り」のカフェ「にぎわい館」として、営業しています。
この日はとても暑かったので、ジェラートを食べる人が
テラスにたくさんいました。 -
「赤煉瓦倶楽部」の斜め前に、平屋建ての洋館があります。
「天使館」は、1932(昭和7)年に建築された
保育園を復原したものです。
建物は木造平屋建で、キリスト教に基づいた保育園で、
西洋風の外観をしています。
下見板張りの外壁、縦長の上げ下げ窓、屋根の上の棟飾り等が
特徴的です。
入場は無料なので、覗きに行けば良かったのですが、
あまりにも暑くて余力がありませんでした。旧聖園マリア園「天使館」 名所・史跡
-
「小坂鉱山事務所」です。
「鉱山事務所」という役目からは想像の出来ない外観です。
ヨーロッパのホテルですと言われても、頷けます。 -
1905(明治38)年に巨費を投じて豪壮華麗な
「旧小坂鉱山事務所」は建設されました。
すべて秋田杉造りとされる木造3階建て。延床面積2,596㎡。
ルネッサンス風の外観意匠の基調となるのは、
屋根の3つのドーマーウィンドゥ(飾り窓)と、
外壁に連続する三角形のペディメント(窓飾り)付き窓。
正面玄関のサラセン風バルコニー付きポーチが目を引きます。 -
正面の庭には、明治時代の人を模した像が立っています。
今回の表紙は、彼らと「旧小坂鉱山事務所」です。 -
1908(明治41)年小坂鉱山病院創建。
建設当時、鹿角郡全体で医師の数は31人、
そのうち13人が小坂に居ました。
やがて、人口も2万人を超え、県下第二の都市に成長。
東北帝国大学の付属医院に次ぐ高いレベルの医療が
提供されていました。 -
小坂鉱山病院は、1899(明治32)年に設置された小坂鉱山医院の
充実のため、1908(明治41)年に開設されます。
内科・外科・耳鼻咽喉科・歯科・産科・婦人科を診療科目とする
秋田県第一の総合病院でした。
鉱山事務所にも負けない華麗な外観を持ち、優れた医師団や
高水準の医療設備で、名実ともに総合病院としての実績を誇ったと
言われています。
写真は、鉱山事務所の前庭奥にある「小坂鉱山病院記念棟」(左)です。
右は「旧電錬場妻壁」です。 -
「小坂鉱山事務所」の入館料は高校生以上330円、
中学生以下170円、ガイド付き見学100円。
9:00~17:00 休館日:年末年始のみ
ここでも3館共通券を利用しています。
建物に入ってすぐのホールに古い映写機がありました。
この建物が賑わっていた頃の物なのでしょう。 -
映写機の反対側には、3階にある「モダン衣装室」の
宣伝コーナーがあります。
ウェディングドレスやイブニングドレスがずらっと勢揃い。
30分1,050円で借りられます。
この洋館内で記念撮影をしましょう。
自分のカメラで撮るので、力作も思いのまま。
(3日前までの予約要) -
洋館の中央にある螺旋階段。
優美な姿は、とても鉱山事務所のそれではありません。
「小坂鉱山事務所の中で、最も特徴的なのがこの螺旋階段です。
この建物で唯一ケヤキが用いられ、
曲面加工された鉄板を使用した構造は、
当時の最先端技術であったと考えられています。
移築に当たっては、トップライトを復原し、構造補強を施した上で、
既存の部材をすべて使用して創建当時の姿を再現しました。」 -
見学は、螺旋階段を上って、2階のツーリストサロンから始まります。
あまり展示物は無く、ホールの構造を見るくらいです。
窓は「上げ下げ窓」になっていて、
右側の一つが、ちょうど上下の窓を中央に寄せています。
左右の窓枠にバランサーが入っています。 -
「康楽館」の模型がありました。
奥の屋根材が見える箇所の下が舞台です。
上から見ると、この建物は正面だけが洋風で、
後は和風なのがわかります。 -
「小坂鉱山事務所」の模型を後ろから見ました。
木造3階建てですが、後ろの一辺だけは2階までです。
中庭を囲む構造で、復原された時にエレベーターが設置されました。 -
中庭に面して回廊があります。ここはなんとなく和洋折衷なのかな?
-
回廊を歩いて行くと「小坂想い出ライブラリー」という部屋に来ます。
「小坂町では、康楽館・小坂鉱山事務所・レンガ造りの工場などの
近代化遺産の保存に取り組むことを通して、
歴史と文化の香り高い「誇れる町」の実現を目指しています。
小坂鉱山事務所は、2001(平成13)年4月に開館しました。」 -
建築物好きの方のために、「小坂鉱山事務所の特色」を
掲載しておきます。
「バルコニー付きポーチ」「三角ペディメント付き窓」 -
「ドーマーウィンドー」「螺旋階段」
-
1902(明治35)年、それまでの人力や馬による鉱車の運搬に
替わって、抗外用の電気機関車が導入されました。
1907年には坑内にも電気機関車が入り、小坂駅まで延長され、
鉱山内の輸送システムが完成しました。
写真には「お雇い外国人」の姿が多く見られます。 -
日本各地の鉱山では公害の被害が著しく(例:足尾銅山の鉱毒事件)、
精錬所から出る亜硫酸ガスを含む煙による煙害と、
銅・鉛・亜鉛・ヒ素・カドミウムなどの金属成分が、
鉱内から出る水や選鉱場から出る水に含まれ、
川に流れ込んで悪影響を及ぼす鉱毒被害が顕著でした。
小坂鉱山では、小坂川流域、長木川流域を中心に、
秋田県北部の北鹿地方一帯約5万haに煙害の被害が及びました。
そこで明治43年からニセアカシアやコバノヤマハンノキ等の
耐煙性の強い木を植樹し、
大正5年以降、荒廃した渓流及び崩壊地に治山ダムを建設、
積極的な水源林造成と復旧治山事業の実施により復旧しています。
煙害によって失われた緑は、ニセアカシアの植林で蘇りました。
小坂鉱山は、公害に対処するのが早かった(明治35年銅精錬開始、
明治43年植樹開始)ため、その痕跡は簡単には見つかりません。
6月には約300万本のニセアカシアが一斉に花開き、
町中が甘い香りに包まれます。
ニセアカシアのハチミツや木工品が特産品になっています。
小坂鉱山事務所の1階にある売店「明治百年堂」でも販売されています。 -
隣の「歴史の旅への誘い(いざない)」の部屋です。
床には現在の小坂町の航空地図が貼られています。
それぞれの場所に、説明板が立っています。 -
「小坂駅(小坂製錬鉄道)」
1909(明治42)年築。木造平屋建、和小屋・切妻造り・鉄板葺き。
1994(平成6)年旅客廃止以後は貨物専用駅となりました。
2009(平成21)年小坂鉄道は営業廃止となりましたが、
小坂駅はそのまま2013年に「小坂レールパーク」として
開業しています。 -
「康楽館」
1910(明治43)年築。木造2階建。洋小屋・切妻造り・銅板葺き。
小坂鉱山で働く人々の福利厚生・娯楽施設として建設された康楽館は、
鉱山従業員の慰安会や学校の学芸会などに盛んに利用されました。
内部天井とアメリカ木造ゴシック風と言われる正面外観が洋風で、
内部は江戸時代後期の純和風の芝居小屋機能を持つ和洋折衷様式が特徴。
昭和60年に同和鉱業より町に寄贈され、創建時の姿に修復されました。
現代の劇場としての最小限の改修も行っています。 -
「小坂鉱山病院」
1908(明治41)年築。木造2階建。洋小屋・寄棟造り・鉄板葺き。
鉱山従業員の医療施設として発足した鉱山病院は、
ルネッサンス風の外観が優雅な建物でした。
優れた医師団や高水準の医療設備を誇り、
東北では東北帝国大学付属医院(現東北大学附属病院)に次ぐ
規模の総合病院と言われていましたが、
昭和24年に華麗な外観の本館が焼失します。
平成9年には89年に及ぶ歴史に幕を閉じ、
翌年建物は解体されました。その跡地に小坂鉱山事務所が
移築・復原されました。
敷地内には一部が記念棟として保存され、
鉱山病院の歴史を留めています。 -
「小坂鉱山事務所」
1905(明治38)年築。木造3階建。洋小屋・寄棟造り・銅板葺き。
ルネッサンス風の外観とサラセン風またはイスラム風と呼ばれる
バルコニー付きポーチが特徴的。
明治38年小坂鉱山発展のシンボルとして、電錬場南側に建設された、
小坂町の代表的近代化遺産です。
近代西洋建築の傑作と言われ、92年間、鉱山の中枢としての役割を
担って来ましたが、電錬場増築のため、撤去されることになりました。
そこで小坂町が文化財としての保存に乗り出しました。
平成9年に始まった解体及び鉱山病院跡地への移築・復原工事は
平成12年11月に竣工。
平成13年4月創建時の姿そのままにオープンしました。 -
「電錬場(現電解工場)」
1909(明治42)年築。煉瓦造。平屋建。洋小屋・切妻造・鉄板葺。
長さ95mという長大なレンガ建築。
柱間に2つずつ並ぶアーチ型の窓が特徴で、当初は寄棟屋根でした。
大正初期に南側が切妻に改造され、藤田組の社章が付けられましたが、
妻壁は平成10年に増築のため解体されました。
この建物は、鉱山事務所の東側を流れる小坂川を渡り、
尾樽部通りを北に向かうと小坂製錬(株)があり、
道路に面しているので外観を見ることは出来ます。
藤田組の社章の代わりに「KOSAKA」のロゴが迎えてくれます。 -
中庭は2階にあり、ちょっと寂しい眺めですが、
それを囲む回廊は縁側のようで、赤い格子がハイカラです。 -
階段を上がって3階の「小坂鉱山の夜明け」展示室です。
1873(明治6)年、官営小坂鉱山に「お雇い外国人」として招かれた
クルト・ネットー。
ネットーは、当時銀山であった小坂鉱山にドイツ式の製錬法を導入し、
その近代化に大きく貢献します。
そして、江戸時代の名残を残す小坂の村に、
クリスマスなどのヨーロッパの文化をもたらしました。
クルト・ネットーは、1857年にドイツ東部の現ザクセン州
フライベルク市に生まれました。
フライベルク鉱山大学を卒業し、
1873(明治6)年に鉱山兼製鋼師として日本政府に招かれました。 -
小坂鉱山は、1861(文久元)年に小坂村の小林与作が
銀鉱を発見したことに始まります。
盛岡藩は小坂鉱山が有望であることを知ると、
1867(慶応3)年にこれを藩営とし、藩士・大島総左衛門
(後の高任(たかとう)に近代的な西洋式製錬所の建設を命じました。
しかし、この計画は戊辰戦争により中断。
本格的な近代化は、維新後の官営化によって
大島高任とクルト・ネットーという二人の技術者の手に
ゆだねられたのです。 -
小坂でのクルト・ネットーの最大の業績は、溶鉱炉の方式を改め、
日本初の湿式製錬法の導入という製錬法の革新を行ったことです。
これにより、銀の回収率が確実に高まりました。
また、ネットーは、100枚以上もの小坂鉱山に関する設計書を
手掛けたと言われ、製錬所、元山(もとやま)、煙突、
さらに官舎などの建築まで含め小坂に近代的鉱山を完成させました。 -
ネットーは、変化に富んだ日本の風景や人々の暮らしぶりを好み、
水彩画に書き留めました。その絵を元に帰国後2冊の著書を出版し、
ドイツの人々に日本文化を紹介しました。
写真の絵は日光東照宮の陽明門と思われます。 -
ネットーの業績
1877(明治10)年、南部家の小坂鉱山借用が許可され、
南部家私営が始まると、クルト・ネットーは開設されたばかりの
東京大学理学部採鉱冶(や)金学科に初代教授として赴任します。
上京したネットーは、ドイツ流の講義を行い、
門下生を母校フライベルク鉱山大学に留学させる道も開きました。
ネットーは、後に指導的な立場となる冶金学者や技術者を育てました。
また、日本鉱業界への数々の提言も、この後日本経済を支えることとなる金属鉱山の発展に大きく貢献したのです。 -
1907(明治40)年、小坂鉱山は鉱産額日本一の大鉱山に
発展します。
その金額は約8887万円。2位の別子銅山を400万円以上引き離し、
当時の秋田県歳入決算額の8倍を超える額に相当したと言われます。
この頃から、綿密な都市計画の下、歓楽街の永楽町、
商店街の尾樽部・銀山町などが形成され、また鉱夫、一般社員、
管理職など階層ごとに社宅街が整えられて行きます。
2千人あまりであった小坂の人口は激増。
大正初めには2万人に達し、最盛期には3万人を超えたとも
いわれています。正に、秋田市に次ぐ県下第二の都市に成長したのです。 -
溶鉱炉の作業は有毒ガスとの戦いでした。
明治42年、製錬夫の健康を守り作業能率を高めるため、
昼夜2交代12時間労働に替わり、3交代8時間労働制を採用しました。
生産力は向上し、負傷者等も激減しました。
小坂での成功で、各地の銅精錬所でも、この制度が採用されました。
図は、大正6年当時の鉱山社宅の配置図です。 -
「鉱山社宅」
鉱山社宅には、数戸1棟建で「長屋」と呼ばれる鉱夫社宅の他、
「役宅」と呼ばれる2戸1棟建の社員社宅、1戸建の管理職社宅があり、
階層ごとに集落を形成していました。
長屋では、7.5畳1間に押し入れだけの住戸が並んでいました。 -
「電気まつり」
「山神祭」は、かつて8月14日を宵宮、15・16日を本宮として
盛大に行われました。
別名「電気まつり」と呼ばれたのは、鉱山を休業し、豊富な電力を
イルミネーションや街路、露店などの照明に使ったからです。
日本のイルミネーションの始まりは、
明治36年の第5回内国勧業博覧会でした。
小坂のイルミネーションは、同じころに始まり、
山神祭の名物となりました。
山神社も参道も町中すべてが電飾で飾られた「電気まつり」。
電灯を見たことのない近郊の人々には憧れの的でした。
臨時列車で多くの人が押し寄せました。 -
「康楽館」の在りし日の写真がありました。
満員御礼とは、こういう状態なんですね。 -
「藤田伝三郎(1841~1912)」
現在の山口県萩市に生まれ、維新後に大阪で日本最初の軍靴製造業を
きっかけに「藤田組(現DOWAホールディングス)」を創設、
西南戦争で急成長します。
以後、元老・井上馨の後ろ盾を得て、大阪・京都間の鉄道、
琵琶湖疏水などの巨大工事で業績を上げます。
また、現在の南海鉄道、大倉組との合併による現在の大成建設、
大阪紡績(現・東洋紡)、大阪商品取引所などの設立と経営、
特に岡山県児島湾干拓と小坂鉱山経営に大きな足跡を残しました。
この他にも毎日新聞・三菱UFJ銀行・関西電力・JR山陽本線などの
前身である会社の設立などに関わり、財閥を形成して行きました。
後に「明治財界の風雲児」「大阪実業界の重鎮」と言われたほどの
歴史的人物の一人です。
大阪本邸は太閤園、長男平太郎が購入した東京別邸は椿山荘、
箱根別邸は箱根小涌園、京都別邸はホテルフジタ京都に衣替えし、
藤田観光が経営を行っています。
まるで、渋沢栄一のような人物でした。
この時期は立志伝中の人物がたくさんいて興味深いです。 -
これは、「小坂鉱山事務所」のバルコニーに取り付けられた
飾りの一部です。
透かし彫りで「藤田組」の「田」を表しています。 -
3階にある「絵画展示室」です。
藤田伝三郎は美術品コレクターでもあり、
藤田美術館(大阪市都島区)に、その収集品が展示されています。
※藤田美術館は2021年現在改修工事中で閉館しています。
2022年4月オープン予定。
コレクションには、海外への流出を防ぐために集めた、
古美術品が多数を占め、
かの有名な「曜変天目茶碗」をはじめとする国宝9点が並んでいます。 -
最後の見学場所は「所長室」です。
1905年(明治38)年の小坂鉱山事務所創建以来、
所長室として使用されて来ました。
4代所長武田恭作、5代・12代所長田中隆三(後に文部大臣)ら
歴代の所長が、ここで鉱山経営の指揮にあたったのです。
この部屋が一番事務所らしい雰囲気があります。 -
さて、螺旋階段を降りて行きましょう。
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螺旋階段の天辺には、可愛らしい電燈が付いています。
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2階で、バルコニーに出て見ます。
先程「藤田組」の「田」の透かし彫りは見ました。
これが「藤」の透かし彫りです。
如何にも社名という風にしていないところが、いいですね。
正面に「赤煉瓦倶楽部」と、その奥に「康楽館」が見えています。 -
鉱山事務所の前の国際交流広場です。
猛暑のこの日、水遊びの出来る噴水と水場が気持ち良さそうでした。
広場には桜が植えられているので、春も楽しめます。
すぐそばに「古館桜の小道」があります。
鉱山事務所の1階には特産品を集めた「明治百年堂」があります。
ちょっと酸味のある山ぶどう系のワインを作っている
「小坂七滝ワイン」や、ニセアカシアのハチミツ、
精錬技術を利用した銅製品などを販売しています。
世界遺産の「明治日本の産業革命遺産」に入れてもおかしくない程、
貴重で重要な歴史ある町に、こんな所で出会えるとは驚きました。
もっとたくさんの人に、小坂町を知ってもらいたいと思います。
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