2021/07/22 - 2021/07/25
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青森県弘前市の手前にある秋田県最北端の町、小坂町。
隣の大館市は秋田犬で有名ですが、小坂町はあまり知られていません。
しかし、2014年に「小坂レールパーク」が出来て、
いつか行ってみたいと思うようになりました。
ここには、小さなボールドウィン製を模して雨宮製作所が作ったSLが
古い客車と共にあります。
機関車庫には、DD130形が3輌重連しています。
敷地内には他にも、現役で動ける「キ115ラッセル車」やモーターカー各種がいます。
そして2015年からは、引退したブルートレイン「あけぼの」が
宿泊施設としてオープンしました。
「あけぼの」は、北東北の人々が東京に行く重要な列車でした。
私も「あけぼの」には、引退直前に乗車した思い出があります。
これは是非とも行ってみなくては。
かつての小坂鉄道の小坂駅構内を敷地としているので、広いレールパークには、
レールバイクや、観光トロッコなどもあり、小さな子供連れでも楽しめます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
東北道が青森方面に向かって八戸道と分岐した先、
小坂ICのすぐそばに「小坂レールパーク」はあります。小坂鉄道レールパーク 名所・史跡
-
2013年に開業した「小坂レールパーク」は、
2009年に営業を停止した小坂鉄道の小坂駅施設を
丸ごと使った鉄道施設です(グランドオープンは翌年6月)。
小坂駅舎は、国の有形文化財に登録されていて、
1909(明治42)年の開業当時のまま。
入園料は550円。「康楽館」「小坂鉱山事務所」との
3館共通券は1,350円です。
レールパークだけだと、硬券になっていて、係員が鋏を入れてくれます。
それを入れる専用のキーホルダーも販売されています。
共通券は紙なので、残念。 -
小坂駅の開業は1909年で、なんと東京駅より5年も早いのです。
小坂鉱山の輸送の基点となり、開業2年目で109千人の乗客と、
178千tの貨物が行き交い、
最盛期には、北海道と連絡する青森駅に次ぐ膨大な量の貨物を
送り出したと言われます。
1927(昭和2)年から一部を電化、1962(昭和37)年には
線路幅を当時の国鉄と同じ規格にすると共に、全線がディーゼル化され、
乗客数が年間200万人台となるほどにぎわいました。 -
駅舎の前からレールバイクに乗ることが出来ます。往復500mです。
営業時間は10:00~16:00、体験料は大人500円、子ども250円。
運休日は火・水曜です。 -
レールバイクが1台見える辺りまでの一直線です。
もっと本格的に長距離を楽しみたかったら、
「大館・小坂鉄道レールバイク」へどうぞ。 -
「小坂レールパーク」の敷地は約35,000㎡あり、
駅舎の前には広さ約1,100㎡におよぶ車庫があります。
この中に「あけぼの」とDD130形がいます。 -
「あけぼの」は、1970(昭和45)年から2014(平成26)年
まで、上野~秋田・青森を結んだ寝台特急ブルートレインです。
2015年に、その24系客車が、宿泊施設「ブルートレインあけぼの」
として営業を開始しました(B寝台個室のみ)。
2016年にはグランドオープンしています。
しかし、新型コロナウィルスの蔓延防止のため、
2021年度は利用を休止しています。
そのため、例年だと外に出ている筈のブルートレインは、
機関車庫の中にいるのです。 -
A寝台個室(定員2名)6,100円/室
B寝台個室(定員1名)3,900円/室
(電話予約の際にB寝台個室の上段・下段の希望がありましたら、
お申し出ください)
車輛の中には水まわりの設備が無いので、
駅舎の中にあるトイレとシャワー室を使用します。
以前、北斗星に乗車した時に、シャワー室を使いましたが、
お湯が出るのが6分だけで、チビチビ使った思い出があります。
「あけぼの」には、2014年3月に乗車していて、
旅行記「あけぼのと函館4」を書いています。 -
A寝台個室スロネ24-551
「あけぼの」では、B寝台開放しか利用できなかったけど、
来年以降はここでA寝台の個室に泊まることが出来るんだなあ。 -
B寝台個室オハネ24-555。「ソロ」なので、一人用個室です。
北斗星の個室では、上は眺めは良かったけれど、
下の方が居住性は良かったなあ。 -
B寝台開放オハネフ24-12は、宿泊者の休憩スペースと
なっています。
「あけぼの」は、秋田県北部と東京都を直結する列車として、
最後まで残った特急列車でした。
小坂町民にとっても、小坂鉄道大館駅から乗り換え、
就職や進学での上京や帰郷、また東京出張などで利用する
大切な交通機関でした。小坂町では、定期運航終了後、
JR東日本に「あけぼの」に使用された客車の譲渡を申し入れ、
2015年5月、4輌の24系客車が小坂鉄道レールパークに
搬入されました。
同年10月、動態保存の寝台客車を利用した日本初の宿泊施設として、
まずB寝台個室が開業。
翌年4月には、A寝台個室を加えてグランドオープンし、
鉄道ファンのみならず多くの観光客の人気を集めています。
(説明看板より)
「あけぼの」の筈ですが、「特急エルム 札幌行き」になっていますね。 -
電源車カニ24-511は、立ち入りの出来ない奥にいました。
広い機関車庫とは言え、客車4輌は繋げて入れられなかったのでしょう。
この客車は動態保存なので、宿泊者のいる日は朝晩動いています(2021年は休業)。
宿泊者は、宿泊日当日16時30分頃と宿泊日翌日の9時頃に
客車をホーム~車両展示場間で移動する際、
B寝台開放に乗車することが出来ます。
その際、牽引するDD130形が「あけぼの」のヘッドマークを付けて
走行します。
また、6月のアカシアまつり協賛イベントとしてブルートレインあけぼのを町内の1号トンネルまで特別運行したこともあります。
カニの手前は、2014(平成26)年に単一型乾電池99本だけで
小坂鉄道の約8.5kmを走った「エボルタ電池電車」です。
段ボールで作られた車両で、重さは乾電池も含めて約400kgです。 -
DD132です。
このディーゼル機関車は、新黒鉱鉱床の発見などによる
鉱山鉄道としての輸送力の増強を目的として、
同和鉱業株式会社の発注により新造されたものです。 -
汽車製造。昭和42年。
「KOSAKA」のロゴが、小坂製錬株式会社のものですね。
小坂製錬株式会社は、1884年に藤田組が明治政府から
小坂鉱山の払い下げを受けた時に創業しました。
1945年、藤田組が同和鉱業へと商号を変更。
1989年に、小坂製錬株式会社として分社・独立しました。
2008年からは、複合リサイクル精錬所として事業転換をしています。 -
DD131。3重連で走る姿が人気があったそうですが、
車庫の中でも3重連です。 -
運転室に入ることが出来ます。
DD130形は、主に国鉄で使用されたDD13形式とほぼ同型ですが、
一般的なDD13は入れ換え運転用に運転台が横向き一カ所であるのに
対して、小坂鉄道のDD130形式は、本線で運転されるため、
正面向きの運転台が前後に設けられています。 -
反対側の運転席です。
硫酸を積んだタンク車など多くの貨車を引き、
急勾配を駆け上がる必要があることから、
先頭の機関車の運転士が後ろの機関車を制御することが出来る
重連総括制御の機能を持っています。 -
運転席からの眺めです。後ろにDD133がいます。
2008(平成20)年4月の小坂鉄道営業休止、
そして翌年4月の廃止とともに、
DD130形は、40年以上にも及ぶ使命を終えました。
2011年5月以降、レールパークで動態保存されています。
2014(平成26)6月からは、ディーゼル機関車運転体験にも
使用されています。
・運転士への道 機関車運転コース(2021年度は中止いたします)
・機関車運転(お試し)コース(2021年度は中止いたします)
・運転士への道 貨車牽引コース(2021年度は中止いたします)
※DDの最初のDは、ディーゼル機関車を、
次のDは、動輪が4つあることを表しています。 -
鉄道設備の説明と展示コーナー。
右の白と黒の棒は「勾配標」です。
「勾配の変更地点に設置し、勾配の始終点と大きさを示す。
腕木が上を向いていれば上り勾配、下を向いていれば下り勾配を示す。
※勾配とは、1,000m進んだ地点の高低差。
小坂鉄道では、25/1000が最大で、
1,000m先の地点で25mの高低差がある。
左には「通票授機」。
説明は見えませんが、タブレットを渡すための装置でしょう。 -
「タンク車の標記」
濃硫酸を運搬したタンク貨車廃車の際に、
小坂駅での解体を依頼された車輛もあった。
この標記類は解体作業時に取り外されたもの。
積載重量や車両の所属、検査種別などの標記が読める。 -
「制輪子」
自動車のブレーキパッドのようなもの。
運転士がブレーキを効かせると、
圧縮空気がこの部分を車輪に押し当てて摩擦が生じ、車輪を停止させる。
使用するほど擦り減るので、定期的な交換が必要。 -
「警笛」
運転席にあるペダルを踏むことで、エアタンクに溜めた圧縮空気で
空気笛を鳴らす。
小坂鉄道レールパークに留置されている
キハ2100形で使用されていた。
DD130形に比べて野太い音色である。
キハの警笛は高い音が多いと思うけど
「野太い音色」とは、どんな音なんだろう。 -
「後部標識灯」
小坂鉄道レールパークに留置されているワフ2800形貨車で使用された後部標識灯。
列車最後尾に連結され、車掌車を兼ねた同車両の
左下の取っ手に取り付けられた。
夜間にライトを点灯させる際、
元々は標識灯内部のバッテリーから給電していたが、
車両本体のバッテリーから配線を引き出すように改良された。 -
右:「入換信号機識別標識」
大館駅構内の第一種継電連動装置(信号機と転轍機などの間を
電気的につなぎ、構内の列車の進路安全を確保するための装置)
を構成し、車輛の入換のため、
線路の開通方向及び関係転轍機がロックされていることを示す標識。
左:「踏切動作反応灯」
踏切動作反応灯は点滅することで、踏切遮断機が全て降下完了したことを
運転士に知らせるために設置される。
小坂鉄道レールパークには、本線出発信号の下に
新町踏切の踏切動作反応灯がある。 -
「通過信号機」
城内信号機の下に設置され、出発信号機の補助として用いられる。
駅に進入する列車に対して出発信号機が現示する信号を、予告して
駅を通過できるかどうかを知らせる。腕木の長さは84cm。
新沢駅が列車交換可能駅であった時に使用されていたもの。
茂内駅に現存する。
小坂鉄道は日本の鉄道で最後まで腕木式の通過信号機を使用していた。
とても大きなものなので、比較のために、3館共通券を置いてみました。共通券は15cmくらいです。
「場内信号機(上の赤色)」
駅に進入する列車に対して信号を現示するもの。
出発信号機と同じ赤の腕木であるが、出発信号機よりも腕木が長く120cmある。
明治百年通りの康楽館横にある学校前踏切から
小坂レールパークに向いて、左側にある。 -
ディーゼルエンジンが並んでいます。
-
昭和38年9月ダイハツ工業製造。ダイハツって車の会社と同じ?
-
オハネ24-555には「特急さくら東京行き」の表示が出ていました。
なんか無茶苦茶だなあ。そう言えば、4月に訪れた愛知県豊橋市の
「豊橋総合動植物公園(のんほいパーク)」にあるD5189には
「さくら」のヘッドマークが付いていました。
あちらは縁のある寝台特急だったけど、
「さくら」は東北は走っていないよね。 -
通路が狭いので、精一杯がんばって「三重連」の写真を撮ってみました。
<小坂鉄道の歴史>
小坂鉄道の前身は、黒鉱製錬の本格操業によって
増大した物資輸送に対応するため、
鉄索に変わる輸送手段として計画された小坂鉱山専用鉄道でした。
1906(明治39)年に官有の森林鉄道(大館~茂内)を譲り受けて
改修するとともに、茂内~小坂間の鉄道新設工事が開始され、1908(明治41)年に大館~小坂間(22.3km)の鉄道が
開通しました。
小坂鉱山を訪問された皇太子殿下(後の大正天皇)のお召列車が
やって来ました。
1909(明治42)1月小坂鉄道株式会社が発足。
小坂鉱山専用鉄道を譲り受けて、
5月7日に小坂鉄道の一番運輸営業が開始され、
1916(大正5)年には大館~花岡間(4.8km)に
花岡線も開業しました。
以後、小坂鉄道は、小坂鉱山の発展と共に乗客数も着実に増加し、
鉱石など貨物の輸送量も増大して行きました。
大正初期、小坂町は2万数千人もの人口を抱える県下第二の都市と
なっていました。
1927(昭和2)年には、茂内~小坂間が電化されました。
戦時中も鉱山は休むことを知らず、
小坂鉄道も年間乗客数を百万人の大台へと乗せて行きます。 -
左上に、平成4年の小坂鉄道の写真があります。
観光トロッコやレールバイクの塗装はこれを模しているんですね。
右下には、DD130形の4重連の写真があります。 -
機関車庫の一角に小部屋があり、
そこには平成6年まで小坂駅で使用していた小物の展示があります。
左下に切符切り用の改札鋏があり、日付刻印機もあります。
小坂駅からの運賃表がありますが、23km弱の大館で
560円は結構高かったですね。 -
駅の数が少ないので、これだけですが、硬券がぎっしり詰まっています。
欲しかったら、入園券が硬券ですよ。専用のキーホルダーも売ってます。 -
車掌かばん
車内補充券や車内改札鋏などを詰め込んだもの。
1994(平成6)9月の旅客列車廃止間際には久しぶりに車掌が乗務。
大混雑の乗客に車内補充券を販売する光景も見られた。
車内補充券は、切符を持っていなかったり、乗り越しをする時に、
車内改札に来た車掌に申し出ると、清算をして渡される券です。
券面には路線図または駅名が書かれていて、
発駅と着駅に車内改札鋏でパチンパチンと穴を空けます。
料金も金額に穴を空けて表示できます。
手軽に手に入る路線図がおもしろくて、もらうのが楽しかったです。 -
車内放送用テープ(茂内下りホーム使用の列車用)
どんな案内をしていたのかな?
今は車内放送も機械がしゃべっているけど、
昔は車掌さんがマイクで話していたから、
新米とベテランとかの違いがあっておもしろかったです。
写真の左端に、車内補充券の束が写っています。 -
列車行先票(サボ)
ホーロー引きの鉄板製で通常はサボ(サインボードの略称)と呼ばれる。
ディーゼルカーの両側面に取り付けて行先を表示した。 -
右:「列車通券」
駅長が通票を使って閉塞器の通券箱から通券を取り出し、
年月日と列車番号を記入して、運転士に渡す。
一枚の通券は一区間一回しか使用できない。
中央:「票券閉塞器」
通票をいれると箱の蓋が開き、中の列車通券を取り出すことが出来る。
通票は一区間に一個だけなので、
通票を持つ一方の駅だけで通券が発行でき、
列車でもう一方の駅に通票を届ければ、反対方向の通券も発行できる。
列車衝突防止のためのこの閉塞器は、花岡線花岡駅仕様の物で、
昭和30年代に電気式のタブレット閉塞器が登場するまで使用された。
左:「スタフ閉塞機とスタフ」
もっとも簡単な閉塞方法で、閉塞区間の両端の停車場に於いて、
一閉塞区間につき、一個のスタフを使用して行われる。
スタフを持っている列車のみが、その区間を通行できる。
小坂鉄道では支線や構内側線で使用された。
図面も残っているため、自社製であったと推定される。 -
「タブレットとタブレットキャリア」
単線の区間で、列車同士の衝突を避けるために用いる物。一つの区間に
一編成の列車だけを通行させるための証明書の役割をするもの。
一区間の両端の駅には、タブレット閉塞器があり、
常に一区間で一個のタブレットだけが取り出せるようになっている。
その区間を通行する列車は、タブレットキャリアに入れられた
タブレットを必ず持つことと義務付けられているため、
一区間には一編成の列車しか通行できず、衝突が避けられる。
(「閉塞器」と「閉塞機」など漢字の混同が見られますが原文通りです)
「携帯型電話機」1966(昭和41)年製造。
小坂鉄道沿線には、一定間隔で電話機の端子が設置され、
この電話機で最寄り駅や、指令室との連絡を行った。
機関車など各車両にも搭載されていた。
岐阜県大垣市の「こどもサイエンスプラザ」に展示されている
C11155の運転室にも設置されていました。 -
融雪ランプ
小坂駅で使用したもの。
冬季、凍り付いてしまったポイントの氷雪を溶かす道具。
子供の頃、ポイントの線路の下に、ランプが灯されていたのを
見たことがあります。 -
手旗と合図灯
駅や操車場等で、主に駅員等が運転士・車掌等の乗務員へ、
手信号や各種の合図を伝えるために用いるもの。
日中は手旗で夜間は充電式の合図灯を使用した。
光源の燃料に灯油を用いていた時代にはカンテラとも呼ばれた(右側)。
充電式の合図灯(左側)は、電源スイッチを入れると発光し、
レバーで赤・白・緑の色に切り換える。 -
信号反応器(レピーター)
信号機の信号現示の状態を離れた場所に知らせる機器。
こんな機器は見たことがないです。
ここの展示品は、かなり年代の幅が広く、
且つ近年まで使われていたものも多く、興味深いです。
これらを復元して、実際に使って体験できると、
どういう仕組みで、どう使っていたかがよくわかると思うんだけど。
古い車両の動態保存と同じで、かつての鉄道の仕組みなども、
実体験できるような施設が出来るといいな。
駅舎丸ごと、しかも郊外までの線路も使える小坂鉄道になら、
それが出来ると思うんだけど。 -
左:機関車標識灯
DD10形ディーゼル機関車の標識灯として使用されたもの。
赤・青・白の3色使用可能で、
主に尾灯用として赤色のみで使用され、夜間運転の安全を図った。
右:ディーゼル機関車前部標識灯
夜間や悪天候時に列車の先頭を示し、心を照らす列車標識灯。
クリーム色の物は小坂線軌間隔に合わせて導入された
DD10形ディーゼル機関車、
緑色の物はDC1形ディーゼル機関車で使用されたもの。
ともに1灯が車体前面上部に取り付けられていた。 -
なつかしの車輛たち 1
-
なつかしの車輛たち 2
-
このような展示がいろいろありましたが、
あまりに展示室内が暑くて、我慢できず断念しました。
秋田県の最北端で、こんなに暑いとは予想外でした。 -
駅の構内には、往年の車輛が置かれています。
残念ながら、立入禁止です。 -
機関車庫から駅のホームに戻って来ました。
本来なら、16:30には「あけぼの」がこのホームに入線して来ます。
翌朝9時には出発します。
宿泊者なら、B寝台開放に乗車して動く「あけぼの」を体感できます。
そもそも夜行列車ブルートレインですから、
夜にホームに停車している姿は魅力的でしょう。
既に死に絶えたブルートレインが短い距離ですが、
移動する姿が見られるのは感激です。
(小坂レールパークのHPには動画があります) -
旧小坂鉄道 キ115ラッセル車(小坂製錬(株)寄贈)
キ100形ラッセル車は、昭和初期から30年代初頭にかけて
製造された国鉄初の単線用鋼製ラッセル除雪車です。
車体本体には動力が無く、機関車に後押しされて走行します。
車輛の前頭がラッセル部で、車輛前側が操縦室、
後ろ側が機械室となっています。
機械室の左右側面には大型の除雪翼(ウィング)を持ち、
これを左右に開くことでラッセル部がかき分けた雪を
線路脇に押しのけることが出来ます。
この除雪翼やラッセル部下にあるフランジャを動作させるのは
空気シリンダとなっており、機械室屋根には機関車から送られてくる
圧縮空気を溜めておくエアタンクを6基備えています。
小坂鉄道のキ115は、1935(昭和10)年に
鉄道省浜松工場で製造されたラッセル車を、
1969年に新潟県の国鉄新津工場から譲り受けたもので、
オリジナルの黒色から塗り替えられた
エメラルドグリーンの塗色を特徴としています。
国鉄時代の車号キ134を越後から来たので、
100番台のイチ・ゴ(越後の訛り)で、キ115になっています。
動態保存なので、冬季は除雪体験にも使用されます。
※「キ」は雪かき車を表します。 -
塗装の剥げっぷりが傷ましいですね。
HPには記載がありませんが、2101です。
側面に「DO-WA」と書かれています。
これは、同和鉱業に吸収合併された時代の名残でしょう。
以下に小坂鉄道の歴史を転記しておきます。
1906(明治39)年11月30日に小坂~大館間の鉄道敷設免許を取得する
と既に大館~茂内~二ツ屋(長木沢)間で運行されていた森林鉄道を譲受け、この路盤を流用することとして茂内~小坂間は新たに工事を開始、
1908(明治41)年9月15日に軌間762mmの小坂鉱山専用鉄道が開通した。
一週間後に皇太子(後の大正天皇)が小坂鉱山へ視察に立ち寄る。
翌1909(明治42)年1月に小坂鉄道株式会社が設立され、
小坂鉱山から専用鉄道を譲り受けて同年5月7日に地方鉄道として
運輸営業を開始した。
貨物は小坂鉱山から産出される精鉱と製錬所で製錬された商品が
主力であったが、藤田組(DOWAホールディングスの前身)
長木沢製材所や官営代野製材所で加工された木材、
煙害により切り出された長木沢の天然杉も全国へ輸送された。
これらの輸送により大館駅の旅客貨物収入は
1909年より県内一位となり1919年まで続いた。
1928(昭和3)年には24.8‰の急勾配がある茂内~小坂間を
鉱山の発電所の余剰電力で電化、
1949(昭和24)年には小雪沢~茂内間を電化した。
1958(昭和33)年に小坂鉄道は同和鉱業に吸収合併され、
同社の小坂鉄道事業所となった。
1962(昭和37)年、全線の軌間を1,067mmに改軌するとともに、
電気運転を廃止した。
762mm軌間時代は非電化区間では蒸気機関車、
電化区間で電気機関車が使用されていたが、改軌とともに
客貨分離と全線の内燃動力化(ディーゼル動力化)が行われた。
1989(平成元)年に同和鉱業から小坂製錬が分離され、
同社の小坂線となり、
1994(平成6)年10月1日旅客営業を廃止、貨物専業の鉄道となる。
岱野駅、東岱野駅、雪沢温泉駅、新沢駅、深沢駅、篭谷駅、
古館駅が廃止。
2008(平成20)年に濃硫酸輸送がトラックに切り替えられたため、
3月に貨物列車の運転を終了、
同年9月18日に東北運輸局に鉄道事業廃止届出を提出。
2009(平成21)年4月1日に全線が廃止された。 -
ホキ909(HPより転記)
軌道保守作業時に砕石(バラスト)を散布するホッパ車です。
ホッパとは粒状のものを下に落とすための漏斗形の装置のことです。
形式記号の「ホ」はホッパ車を表します。
このホキ909は、昭和36年(1961)に国鉄浜松工場で製作された
ホキ800形(荷重30トン)で、軌道の内側・外側・遠近の3方向に
砕石を散布可能な構造となっています。
昭和62年(1987)12月に当時の国鉄精算事業団から小坂鉄道に転入し、
保線作業で活躍しました。 -
更に敷地の外れにもう1輌、古い車体があります。
さすがに型式などはわかりません。
その横に白いタンクが4基並んでいます。
小坂製錬の濃硫酸2,250t及び3,000tタンクです。
線路を挟んでこちら側にも5,000tタンクが1基あります。
元々、小坂鉄道では、この濃硫酸をタンク車に詰めて、運んでいました。
今でも時折タンク車を見掛けることはありますが、
中身が濃硫酸ということがあるとは思わなかったなあ。 -
ホームの先端には英国ボールドウィン社の機関車を模して、
雨宮製作所が1926(大正15)年3月に作った
「11号蒸気機関車」があります。
以下はHPより転記
11号蒸気機関車は、軌間762㎜の狭軌用として大正15年(1926)4月に小坂鉄道に登場しました。
以来、昭和37年(1962)の小坂線軌間拡幅(762㎜から1,067㎜に
改軌)まで36年間にわたり、花岡・大館間(4.8㎞)、
小坂・大館間(22.3㎞)で旅客や貨物の輸送に活躍。
「釜汽車」とも呼ばれ、小坂線に最後まで残った蒸気機関車でした。 -
今回の表紙はこれです。本当は「あけぼの」にしたかったのですが、
狭い機関車庫の中なので難しかったのです。
以下は、11号と同じ雨宮製作所製の機関車「雨宮号」の説明です。
「雨宮号は、明治・大正期に日本の私鉄王と呼ばれた「雨宮 敬次郎」が経営した東京深川区の雨宮製作所で製造され、昭和3年にムリイ森林鉄道では初めて国産の雨宮号3台が部品で輸送され、
北海道遠軽町丸瀬布で組み立てられました。
翌4年に運行を開始し、木材の輸送に活躍しました。」
「雨宮号」が昭和3年で国産初なので、大正15年製の11号は
その前身ですね。 -
イチオシ
昭和38年にムリイ森林鉄道が廃線となり、
「雨宮号」も解体される筈でしたが、住民の保存活動があり、
昭和51年に町が営林局から譲り受け、札幌で復元しました。
以来、「丸瀬布いこいの森」で、元気に走っています。
2018年に「北海道で現在も走る森林鉄道「雨宮21号」に
念願の乗車!」という旅行記を書いています。 -
可愛いカンテラ。
-
標準軌の線路に狭軌の機関車を置いているので、
レールが3本になっています。
そういえば、「大館・小坂鉄道レールバイク」の線路も3本ありました。
あれは、狭軌を標準軌に改修した結果なんですね。 -
運転席は向こう側。
-
小さなタンクを背中に背負って、22.3kmを走りました。
-
ハ1貴賓客車(HPより転記)
この客車は、大正5年(1916)にニ・三等客車として造られたものを
改造し、貴賓客車として使用されたものです。
大正10年(1921)8月4日に秩父宮、高松宮両殿下が小坂鉱山を
ご見学になった際には、この客車が使用されました。
オープンデッキの木造客車で、側面には、同和鉱業株式会社の
前身である藤田組の鉄道を表す社紋が取り付けられています。
その後、歴代社長、来賓等の小坂鉱山視察のたびに使用されましたが、
昭和37年(1962)の軌間拡幅とともにその使命を終えました。 -
「藤田組の鉄道を表す社紋」
平成11年(1999)3月には、11号蒸気機関車とともに
県有形文化財に指定されました。 -
さすがに「貴賓客車」。
明治・大正の時代は鉄道の内装が優雅で美しかったですね。 -
優美なアイアン・フレームのあるデッキ付きです。
-
ホームの反対側をレールバイクが通って行きます。
暑い最中ですが、絶えず行き来していました。
結構、人気のアトラクションです。
写真の右端にもう一つの車庫があります。 -
チラッと見える黒板には、たくさんの写真が貼られています。
もしかすると、ディーゼル機関車の運転体験は
ここでやるのかもしれません。
2021年は3コースとも全部中止です。
そのため、例年とは、車輛の配置がかなり異なっているようです。
参考までに過去の記事を転記しておきます。
高さ3.8m、幅2.8m、長さ13.6mという大きさのDD130形を
運転することができる。
体験可能日は5~11月の金・土・日曜および祝日のみ。
料金は所要10~15分ほどの「お試しコース」が税込5,000円
(「運転士への道」は初回30,000円、2回目以降座学免除で25,000円)
走行距離は500m。 -
11号蒸気機関車とハ1貴賓客車の先は、
「観光トロッコ」の乗車場所になっています。
モーターカーで作業用トロッコを牽引してパーク内を往復します。
(営業時間は10:00~16:00/体験料金は大人300円、子ども150円)
往復1km余りのコースで、敷地の最先端まで行くので、
ちょっと緑に囲まれる部分もあります。
炎天下だったら、こっちの方がお薦めかな? -
小坂鉄道は、1909(明治42)年から2009(平成21)年まで100年間、
大館駅から小坂駅までの22.3kmを営業していました。
以下に、廃線後の歴史を転記しておきます。
「1994(平成 6)年 9月小坂鉄道旅客列車廃止、さよなら列車を運行。
2009(平成21)年 4月小坂鉄道営業廃止。
2011(平成23)年 5月小坂町が、小坂製錬㈱から
旧小坂駅機関車庫を借り受け、旧小坂駅のレールパーク化を
目標とした「小坂鉄道観光活用事業」を開始。
ディーゼル機関車等の整備を実施。
2013(平成25)年 3月小坂駅舎修復工事完了。
10月小坂鉄道レールパーク・プレオープン。
2014(平成26)年 3月機関車庫等改修・車両展示場等設置工事完了。
6月小坂鉄道レールパーク・グランドオープン。
ディーゼル機関車運転体験「お試しコース」開始。
7月ディーゼル機関車運転体験「運転士への道コース」開始。」 -
おまけ
これは「小坂レールパーク」で販売しているクリアファイルです。
DD131が「あけぼの」を牽引しています。
これで200円は破格値でしょう。 -
2014年に乗った時のヘッドマークはこれでした。
「あけぼの」という名称から朝焼けの色が4種類あり、
クリアファイルの色はEF65用で、機関車によって違うようですが、
どうも一定していないみたいです。
他の機関車のヘッドマークには、
こんなバリエーションはなかったんじゃないかな。青森駅 駅
-
この缶バッジも200円。「あけぼの」グッズが楽しめます。
次回は、小坂レールパークの前から始まる「明治百年通り」にある
「康楽館」「小坂鉱山事務所」を訪れます。
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