2021/07/03 - 2021/07/03
10位(同エリア301件中)
かっちんさん
大正12年(1923)に開業した「渚滑線(しょこつ)」は、道東のオホーツク海に面する「渚滑(しょこつ)」と内陸部の「北見滝ノ上」34.3kmを結ぶ鉄道でした。
沿線は山深く、途中の濁川から「渚滑森林鉄道」が延び、上渚滑では鉱山から水銀が採掘され、山間地ではハッカ栽培が行われ、林業と鉱業、農業等で賑わったところです。
「渚滑線」は当初、北見滝ノ上駅から石北線の上川駅と接続する計画でしたが実現しませんでした。
その後、鉄道の利用客減少と上川方面への短絡国道273号の浮島トンネル開通等により、昭和60年(1985)「渚滑線」が廃止となりました。
滝上町には芝ざくら(5月)、たった一人で広大な敷地に花を彩らせる「陽殖園」、ハーブガーデン、渚滑川の渓谷「錦仙峡」、童話村、北見滝ノ上駅舎、浮島湿原等の見どころがあります。
滝上町へのアクセスは、札幌・旭川から上川・浮島・滝上経由で紋別行きの都市間バスが運行されています。
今日は登別から鉄道で移動し、上川から都市間バスで滝上へ向かい、渚滑線の面影が残る「北見滝ノ上駅舎」を訪ねます。
懐かしい鉄道備品が展示されているので、鉄道雑学を少しだけ紹介。
表紙の写真は濁川駅で使われた「貨車移動機」。
なお、旅行記は下記資料を参考にしました。
・JR北海道車内誌の路線図
・北の細道「興永鉱山の軌跡」
・北海道の交通関係について「鉄道がバス転換されたら町はどうなるのか?」
・2nd-train「富良野・美瑛ノロッコ号用客車を使用いた石北本線試運転」
・日本マンホール蓋学会「紋別郡滝上町(たきのうえちょう)のマンホール」
・大日本ノスタルジィ鉄道「渚滑線」
・にしみやうしろ氏ブログ「濁川の古典的移動機」
・azuさんブログ、daydream「渚滑線 ~濁川駅・北見滝ノ上駅~」
・轍のあった道「上渚滑駅跡」
・EXPLORE TOP10PLACES NEAR YOU「上渚滑駅」
・きはゆに資料室「特集 腕木信号機 その1」
・奥井みさき、旅の記録と徒然日記「急行「紋別」」
・ふうけもん「旅ときっぷのページ」
・レールメカの巣「白光舎製合図灯とその仲間」
・鉄道用合図灯ギャラリー「旧世代合図灯」
・astamuse「LED使用の転てつ標識灯」
・ジャパンサーチ「伝令者用・指導者用腕章」
・JRE MALL「定刻起床装置個人簡易型[SAC-5A型]」
・JR西日本「昔の駅員の仕事を学ぼう!展示品解説セミナー「通票(つうひょう)閉塞器」を開催します」
・通票よんかく「通票は列車の通行手形」
・ウィキペディア「桜岡駅」「当麻町」「伊香牛駅」「渚滑線」「北見滝ノ上駅」「貨車移動機」「オホーツク (列車)」
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス JR特急 JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
「登別駅」
虎杖浜の宿「海の別邸 ふる川」から車で「登別駅」まで送ってもらいました。
今日はここから出発します。 -
札幌行きの特急「北斗」
8:36発の特急で、札幌へ向かいます。 -
溶岩ドームが顔を出す「樽前山」(社台付近)
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草を食む馬の牧場(社台付近)
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黄金色に染まる「麦畑」(江部乙付近)
札幌に到着。次は特急「ライラック」に乗り換え、旭川へ向かいます。 -
白い絨毯の「そば畑」(深川付近)
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「旭川駅」に到着
旭山動物園出身の動物駅員さん?のお出迎え。 -
旭川からは普通列車(旭川駅)
石北本線上川行きの普通列車1両に乗ります。 -
天高く伸びる「ポプラ」(東旭川付近)
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ややっ、石北本線でなぜか出会う「ノロッコ号」(桜岡駅)
富良野線を走る「富良野・美瑛ノロッコ号」が7/10から運転することになり、石北本線旭川~上川間で試運転を実施していました。 -
桜の花を飾る駅舎(桜岡駅)
駅名の由来は、駅付近の丘陵に桜の木が多いため名付けられた地名から。 -
木材の町「当麻駅」(当麻駅)
当麻町は農業(米とでんすけすいか)と林業が主幹産業の町。
町の公共施設や個人住宅などの木材に地産地消の取り組みを行っています。 -
ログハウスの「伊香牛駅」
昭和63年(1988)に改築したログハウスの駅舎。
当麻町の森林組合が特産としている木を用いました。 -
山小屋風の駅舎「中愛別駅」
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幅広い「石狩川」(中愛別付近)
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イチオシ
北海道の列車交換風景(安足間駅)
安足間(あんたろま)駅では、旭川行きの列車がやって来るのを待ちます。 -
終点の上川駅に到着
緑色の行先表示板(上川⇔旭川)は珍しく、車体の赤ラインと似合います。 -
ホーム上屋が美しい「上川駅」
アーチ型の柱が特徴です。 -
黄色い花に囲まれる特急「大雪」(上川駅)
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「滝上」までのアクセス案内(JR北海道車内誌の路線図より)
昭和60年(1985)まで営業していた国鉄「渚滑線(しょこつせん、渚滑~北見滝ノ上)」の終着駅のあった「滝上」。
当時旭川からのアクセスは、宗谷本線「名寄」または石北本線「遠軽」から名寄本線に乗り、「渚滑」から「渚滑線」で「滝上」に入っていました。
現在は、上川から紋別行きの都市間バスが浮島峠をトンネルで抜け、「滝上」へ行くことができます。 -
上川「森のテラス」バスタッチ(上川駅前)
ここから道北バスの特急「オホーツク号」に乗り「滝上」へ向かいます。 -
特急「オホーツク号」(上川駅前)
旭川が始発の都市間バスは、上川でトイレ休憩があります。
バス乗車には事前予約が必要です。 -
トイレ付の都市間バス
バスの中央にトイレが設置されています。 -
上流の石狩川(上川)
上川を出発し、石狩川を渡ります。 -
「留辺志部川」と「石北本線」(滝口橋、中越付近)
バスは上川層雲峡ICより「旭川紋別自動車道」に入り、遠軽方面に進みます。
支流の「留辺志部川」は上川で「石狩川」に合流します。 -
浮島IC付近の「石北本線」
「旭川紋別自動車道」の浮島ICを出ると、渚滑へ向かう国道273号に進みます。
まもなく浮島峠をトンネルで抜け、上川町から滝上町に入ります。 -
トウモロコシ畑(滝西付近)
浮島ICから滝上までは、41.7kmの下り坂。
しばらく山の中を走り、やがて滝西の農村地帯が現れます。 -
構造がわかる「降車ボタン」(バス車内)
カバーが外れていますが、低電圧なので感電はしません。 -
親に駆け寄る子馬(滝西付近)
牧場もあります。 -
「ジェットコースター」みたいな急坂(滝西付近)
-
「滝上」に到着
上川から1時間11分かかるのですが、途中のバス停1ヶ所は降車専用だったので、定刻より15分早く到着。 -
デザインマンホール(滝上町)
気球に乗った滝上町のキャラクター「ピコロ」。そのまわりに芝ざくらが咲いています。
童話村にピッタリなデザインです。 -
イチオシ
旧「北見滝ノ上駅」(滝上バス停前)
大正12年(1923)に渚滑と北見滝ノ上を結ぶ「渚滑線」が開業。
昭和60年(1985)国鉄「渚滑線」の廃線に伴い、駅が廃止。その後、綺麗に保存されています。
駅舎玄関の右側に待合室、正面奥に改札口、左側に出札窓口、駅事務室、鉄道関連施設などがあります。
手前のロータリーは現在バスの発着場になっています。 -
駅舎と記念館(北見滝ノ上駅)
駅舎は昔の面影を残しつつ、内部に渚滑線の鉄道備品を集めて展示した「北見滝ノ上駅舎記念館」になっています。 -
両開き扉の改札口(北見滝ノ上駅)
「昭和60年3月31日 さようなら渚滑線」の看板が掲げられています。 -
待合室のベンチ(北見滝ノ上駅)
板壁を背もたれにしたベンチ。 -
出札窓口(北見滝ノ上駅)
駅係員が今にも出て来そうな雰囲気。
駅舎内が綺麗に保存されています。 -
旅客運賃表(北見滝ノ上駅)
昭和60年当時、隣の濁川まで3.3kmの運賃が160円。
同じ距離を現在の運賃(2021年)にしてみると250円、約1.5倍の運賃になっています。 -
大きな引き戸の玄関(北見滝ノ上駅)
病院の広告看板は、昔どこの駅でも必ず見かけました。 -
路線図(北見滝ノ上駅)
昭和56年10月現在の「国有鉄道路線図」。
40年も経ち、路線をたどる線は消えていますが、駅名を追うとたどることができます。
「渚滑線」は、オホーツク海沿いの渚滑~内陸部の北見滝ノ上。
渚滑と接続する「名寄本線」は、名寄(宗谷本線)~興部~紋別~中湧別~遠軽(石北本線)。 -
時刻表(北見滝ノ上駅)
昭和60年3月14日改正の道内時刻表。
渚滑線は朝晩を除き、紋別駅からの発着でした。
オヤッと思うのが、渚滑6:42発~上渚滑7:04着の741D列車は途中停車せず、しかも休日運休。
上渚滑への通学列車と思いきや、いろいろ調べてみると・・・
高校は紋別にあり、上渚滑で9分後に発車する紋別行き通学列車に増結する車両になるのでした。
渚滑~北見滝ノ上 12駅のうち、仮乗降場が5駅もありました。
(仮乗降場は元西、十六号線、上東、奥東、雄鎮内)
仮乗降場はJTB全国版時刻表には記載されておらず、道内の時刻表にのみ記載されていました。 -
駅舎と改札口(北見滝ノ上駅)
駅舎は元々の位置から線路寄りに移築されています。
昔は線路と駅舎の間にホームがありました。 -
イチオシ
ラジエータが可愛い「貨車移動機」(北見滝ノ上駅構内)
隣の濁川駅で使用された5t貨車移動機が保存されています。
濁川駅には、濁川森林鉄道(昭和10年~昭和34年)が運んできた材木の貯木場があり、渚滑線の貨車へ積み込み時にこの貨車移動機が活躍したのでしょう。 -
濁川の駅名標(北見滝ノ上駅構内)
「貨車移動機」のそばに濁川駅の駅名標が。 -
その先には製材所が・・・(北見滝ノ上駅構内)
現在ある滝上の製材所ですが、濁川駅が林業の町だったことが想像できます。 -
イチオシ
駅舎とホームが残る「旧濁川駅」(翌日訪問)
森林鉄道の線路もあった広い構内は、現在パークゴルフ場になっていました。 -
「腕木式信号機」(北見滝ノ上駅構内)
下にある「信号てこ」のレバーを操作し、連動しているワイヤーで腕木を動かします。
当時は「信号てこ」が駅にあり、「腕木式信号機」が駅の端にあり離れていました。 -
イチオシ
「進めの合図」(腕木式信号機)
腕木が水平から45度傾いた状態が「進めの合図」。
夜間には色灯式信号が青色になります。 -
超アナログの「信号テコ」(北見滝ノ上駅構内)
「信号テコ」は、信号だけでなく、線路のポイントも切換ができます。 -
「北見滝ノ上駅舎記念館」(北見滝ノ上駅)
駅舎の中は渚滑線で使われていた鉄道備品を集め、展示されています。
駅名標、発車時刻表、除雪道具など。
駅名標「ゆうちんない」は、仮乗降場だったところ。 -
濁川駅の発車時刻表(記念館)
名寄本線の急行「紋別」は、名寄経由で札幌に日帰りできる便利な列車でした。
札幌-網走を結ぶ夜行急行「大雪」と特急「オホーツク」は、石北本線の遠軽で連絡していました。 -
濁川駅の普通旅客運賃表(記念館)
左側の列は、今は廃止された渚滑線、名寄本線、興浜南線の駅。
寝台料金は昔当たり前だった上・中・下段の3段寝台。 -
縦型の駅名標(記念館)
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硬券のきっぷ(記念館)
他に11枚綴りの回数券、カタカナ印字のマルス券(旅行会社発行端末L型券)など、今では見かけないものばかり。 -
イチオシ
縦長の乗車券(記念館)
転写紙で印刷する印刷発行機から発行。このタイプの発行機はもうありません。 -
出札窓口の事務所側(記念館)
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きっぷの発行に使うゴム印(記念館)
駅名以外にも、割引印章、各種条件のゴム印があります。 -
大型金庫(記念館)
ダイヤルは「数字」ではなく「イロハニ・・・」です。 -
配車灯と充電装置(記念館)
「配車灯」は客車・貨車などの配車担当者が夜間現場で使用するもの。
後ろの「伝令者用・指導者用腕章」は、閉塞区間に特殊な機器を用いず、閉塞管理を人力で行う際にこの腕章を身に着けた者が車内に乗員します。 -
定刻起床装置(記念館)
起床時刻になると送風機から空気が送られ、背中に敷いた空気袋が膨張と収縮を繰り返し、起床を促す優れもの。
鉄道関係者が寝坊しないのはこの装置のおかげ。 -
安全帽に安全旗(記念館)
安全帽には懐かしい「JNR」マーク。 -
レールと枕木締結の道具(記念館)
レール幅を測る「ゲージ」と、橋梁などでレールと枕木を締結する「角フックボルト」。 -
歴代駅長名(記念館)
-
駅事務室の掲示板(記念館)
線路横断時の「指差確認」、今の行事、表彰履歴など。 -
通票閉塞機(記念館)
単線区間における列車の追突・衝突を防止するため、駅と駅との間など、一定の区間(閉塞区間)を設定。
「通票閉塞」は、この区間に「通票(タブレット)」を所持している一列車のみしか運転できない(通票を所持していない列車は区間に入れない)というシステム。 -
イチオシ
2列車続けて運転する場合の「通券箱」(記念館)
a駅・b駅の閉塞区間の同じ方向に2本続けて運転する場合、「通票」を1つだけ用意し、「通票」の代わりに「通券」を併用します。
a駅では先発の列車に「通票」を提示しながら「通券」を渡して出発させます。
b駅では「通券が届いた」ことをa駅に電話で連絡し、その「通券」には×印を付けて使用不能とします。
そして、a駅では後発の列車に「通票」を持たせ、従来のスタフ式と同じ運転を行います。
「通券」を収めている「通券箱」(写真)は、「通票」を鍵として開く仕掛けになっているので、「通票」を持っている側の駅だけが「通券」を発行できるようになっています。 -
台秤(記念館)
一昔前までは鉄道による駅と駅との手荷物輸送が一般的だったため、駅には荷物の重量を測る台秤がありました。 -
転轍機の照明灯(記念館)
線路のポイント切替用の転轍機は、ポイント切替の際の動作確認のために、90度異なる方向から見たとき明らかにその差が判別できる表示板と夜間でも確認できる表示灯(標識灯)で構成されています。
左側の表示灯は中に入れる予備器です。 -
暖房用の「ダルマストーブ」(記念館)
-
「SL3重連さようなら列車」(記念館の展示写真)
昭和50年(1975)5月6日に名寄本線の名寄・上興部間で運転されました。
昭和50年はSLが全廃した年。そして名寄本線は平成元年(1989)に廃止されました。
渚滑線、名寄本線は、昭和50年代に訪れたことがあるので、北見滝ノ上駅や記念館で懐かしい思い出が蘇りました。
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この旅行記へのコメント (5)
-
- マプトさん 2021/08/10 20:35:33
- 昭和60年3月31日
- おばんでございます。一気に寒くなった道内です。今日は20℃を下回り、雨ふりでした。
さて、渚滑線最後の日、さよなら列車に乗りに行きました。始発の石北線の普通列車で遠軽。遠軽から名寄&雄武行きに乗って紋別に入りました。名寄線の車内で、初めて遠軽のカニ飯を食べました。さよなら列車は、凄い混みようで、ただただ混んでいたという記憶です。それでも、しっかりと北見滝ノ上駅の入場券を買いました。渚滑線はおろか、名寄線も今はないですね。時代の流れを感じます。もう35年以上の話なんですね。当時、私は中2でした。
- かっちんさん からの返信 2021/08/11 10:54:32
- RE: 昭和60年3月31日
- マプトさん
こんにちは。
渚滑線の最終日に行かれて、さよなら列車の記憶が残ってますね。
名寄線、渚滑線の思い出は私にも何となく残っています。
その後、訪れると昔の記憶が少しだけ戻って来ます。
かっちん
- ねもさん からの返信 2021/09/01 15:57:10
- Re: 昭和60年3月31日
- 横から失礼します。
「とても懐かしい」はこちらに書くべきでした。
浮嶋峠付近は昭和の終わりに、天塩岳に登るのに通ったように思います。
-
- 横浜臨海公園さん 2021/07/21 10:39:53
- ヒグマを目撃した渚滑線
- かっちんさま、こんにちは。
旅行記を拝見させて頂きました。
渚滑線は昭和58年秋に乗車しましたが。沿線でヒグマの親子が水浴びをしている姿を目撃した事がごさいました。
北海道内鉄道乗車中に夜行列車は存じませんが、昼間に野生のヒグマを目撃した石勝線ぐらいなもので、少なからず驚かされたものです。
乗車券類の中でマルスの旭川旅行センターのT型端末機発行券は珍しい存在です。
サイバネコードをドラムに合わせセットする端末機で、全国の旅行センターに設置されておりました。
それにしても、民営分割後に通票閉塞式も急激に無くなり、今でも第三セクター化された私鉄あたりで見かえると、懐かしく思います。
横浜臨海公園
- かっちんさん からの返信 2021/07/21 17:35:43
- RE: ヒグマを目撃した渚滑線
- 横浜臨海公園さま こんにちは
渚滑線沿線でヒグマの親子の水浴び目撃は貴重な体験談ですね。
私は釧網本線に乗っていたとき、エゾシカによく出会うのですが、緑〜川湯間で線路上に黒い物体が見えて警笛を鳴らして追い出していました。運転士によれば、あれはクマだよと聞かされ、びっくりしました。
昔の乗車券を見ていると、コンピュータと印刷技術の向上の変遷を確認することができます。
北見滝ノ上駅の鉄道関係の展示は、見ているだけで昭和の鉄道を思い出すことができました
かっちん
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