2019/10/26 - 2019/10/28
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gianiさん
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ボルドーやポワティエが皇帝属州ガリア・アキタニアだったのに対し、
(格上の)元老院州ガリア・ナルボネンシスに属したトゥールーズ。
トゥールーズ伯が治める地域として、
長らくフランス王国の支配が及ばなかった町。
第1回十字軍の音頭を取ったレイモン4世の時代が最盛期。
その後、政治的理由でカタリ派を支援したのが仇となり、
アルビジョワ十字軍後は衰退。
政略結婚の罠にもはまって、13世紀にフランスの支配下になる。
ニースと並んでパリから最も遠い町ですが、
空港までトラム2号線が乗り入れているので、
CDG経由で日本からダイレクトにアクセスするのが得策です。
- 旅行の満足度
- 5.0
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まずは情報を仕入れます。
観光案内所 観光名所
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雄牛を意味するトール(Taur)通りの教会。
期待感ゼロの入り口。ノートルダム デュ トール教会 寺院・教会
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厳かな雰囲気にびっくり
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絵画も素敵。
聖セルナンの殉教を描いています。
身体を縛られ、雄牛に市中を引き回されます。
息を引き取り、雄牛が立ち止まった場所に
この教会は位置します。
※聖セルナン教会が、その場所だという説もあります。両者が数十メートルしか離れていないので、判定は難しいです。 -
ステンドグラスも素敵
-
箱型の教会。
1888年製のパイプオルガンの演奏と
光が少ない暗さが
何とも言えない魅力を醸し出します。
選曲はモダンで、セザール・フランクのオルガン作品のような感じでした。 -
フレスコ画も素敵です。
14世紀の作品で「ヨセフの系譜」
福音書の系図の記述に基づき、38名が登場。 -
13-14世紀にかけて建設されました。
城壁が解体された際のマリア像がここに移され、
聖母を祭るノートルダム教会になりました。 -
夜はこんな感じ。
ロッキーのポスターが懐かしいです。
近隣では石が採れず、代わりに粘土が豊富だったので、赤レンガの町になりました。
1463年の大火で町が全焼し、耐火性のある材料で建築することが義務付けられたことも関係しています。トール通り 散歩・街歩き
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11世紀に教皇ウルバヌス2世によって奉献された教会。
第1回十字軍が決議されたクレルモン会議に出席する途中に立ち寄りました。
奥行き130mロマネスク様式最大の建築です。
ゴシック様式の尖塔は15世紀に追加されました。
3世紀に、この地にキリスト教を伝え、殉教した聖セルナンに奉献されました。サン セルナン聖堂 寺院・教会
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窓が小さく天井も低いです。
教会の歴史は、キリスト教の禁教が解かれた4世紀にまで遡り、
サンテチアゴ巡礼路の中継点として重要な役割を果たしていました。
大勢の巡礼者の礼拝をこなすために、巨大な建物となりました。 -
聖セルナンは、72(12+60)使徒のひとりでもあります。
サンチアゴ(聖ヤコブ)巡礼は、
途上で様々な聖人の遺物に触れるパワースポットを巡る旅でもありました。 -
写真奥が、聖セルナンの棺。
聖人はキリスト教の正典である聖書の教えではなく、
聖人信仰、聖遺物信仰は旧約聖書やイエスが度々禁じていますが、
カルトな内容の外典の影響もあって、12使徒の死後に紛れ込みました。 -
フレスコ画も年季を感じます。
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ステンドグラスから入る光が、
得も言われぬ世界を。
ロマネスク様式の建築が為せる業です。 -
右は、イエスの生涯。
東方三博士の訪問、
ペテロに人を漁る道へ招く、
弟子たちの足を洗うシーンが。 -
聖セルナン聖堂に付属する
聖レイモン礼拝堂跡地にある考古学博物館。
トゥールーズの歴史がよくわかる施設です。
エントランスでチケットを買い、2階へ行きます。サン レイモン博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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初期鉄器時代(紀元前800-400)
地中海航路でエトルリアの鉄製器とギリシャの陶器が現在のモンペリエ付近まで運ばれ、陸路でトゥールーズまでもたらされました。
凡例 赤丸:ギリシャの植民市
三角:ガリア人の都市
※フランス国内のギリシャ人による最古の植民市は、紀元前600年建設のマルセイユ。次いでベジエとアグデ。他にはモナコ、ニース、アンティーブ、サントロペ、アルルです。 -
紀元前2世紀の市街地分布
平地のサンロッシュ・アンパロと高台のヴィエイユ(古)・トゥールーズの2つが大きかった。
凡例 点線:現在のトゥールーズ
赤:ガリア人の都市
橙:街道 -
ヴィエイユ・トゥールーズで発掘されたアンフォラ(ギリシャ起源の陶器の壺)。
ワインやオリーブオイル、保存食用の塩水などを入れた。
幼児の遺体を収容する棺としても使用された。 -
ローマ時代の都市トロサ(Tolosa)は、アウグストゥス帝の時代に建設された。
町を囲む城壁は西暦25年に建設され、ローマ皇帝の威光の象徴だった。
凡例 赤:城壁
黄:発掘調査で実際に見つかった道路
破線:推定される道路
※城壁の北門は現在のキャピタル、東門は聖エチエンヌ教会、ナルボンヌ門は裁判所の位置と重なる。ガロンヌ川沿いの城壁は2世紀に建造。街の中心には大神殿があった。 -
トロサの水道。
凡例
黄色:地下水道(4km)水源を結んでいるので曲がっている。
白色:水道橋(4km) -
テティスとトリトン モザイク
ギリシャ神話に登場する海の神。なので、ギリシャ文字で表記。
テティスは英雄アキレスの母、トリトンはポセイドンの息子で、下半身は魚である。
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ローマ時代のイケメン男子たち
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締まりのないオジサン。
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上目遣い
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ユーモラスな顔ばかり。
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2階の窓から。
付属の庭園も素敵。
16世紀に構内を描いた絵画と変わらない光景。
もともとは、トゥールーズ大学の寮で、6つの寝室と廊下がありました。 -
地下階へ移動。
1994-96年にかけて行われた発掘調査の現場を、そのまま展示室にしています。
写真は4世紀の石灰窯
石灰岩と薪を窯に入れて1000℃まで加熱。
窯の口を粘土で塞いで10日ほど保温し、
不純物が取り除かれた消石灰を取り出した。
消石灰は、モルタルとして使用された。 -
地下からは墓地も発掘。
写真は、共同墓地で最古の棺。
(参考までに:)ローマ時代、埋葬エリアは北門に通じるメインロード沿いの市外にあった。
2世紀まで、火葬は一般的な習慣だった。
墓地や家族全体の墓を納めた小屋には、石に刻まれた碑文があった。
4世紀にキリスト教の禁令が解かれると、土葬するようになる。
遺体を木棺(富裕層は石棺)に入れて地中に埋めるようになった。 -
発掘当時の写真
木棺に入った遺体と幼児を埋葬するためのアンフォラ(甕)が発掘された。 -
石棺の遺体が身に着けていたアクセサリー
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凡例(北から南方向を描いている点に注意)
①城壁北門
②初期クリスチャンの共同墓地(現在のノートルダム・トール教会)
③聖セルナンの遺体を納めた4世紀の建物
④最初の聖堂。4世紀末シルヴィス司教によって建設され、
5世紀初頭エクスペール司教によって奉献。
⑤ピンクのエリア:ロマネスク期に建設された聖堂。
⑥ピンクのエリア:石灰岩の窯 現在の聖レイモン博物館。 -
アダムとイブ
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ライオンの坑に入れられたダニエル。
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キリスト教徒の石棺(側面)
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12世紀半ばの様子
凡例
①貴族の墓地
②貧民や孤児の墓地
③④付属修道院
⑤聖レイモン宿坊(巡礼者向けレセプション)
※巡礼が盛んな時期は特に治安が悪く、街道や宿での追剥ぎは茶飯事。
教会の宿坊は、巡礼者が安心して休息できる唯一の施設だった。
(社会が荒むほど、巡礼が流行した。) -
16世紀の様子。
凡例
①学生食堂
②廊下と6つの寮室
③④サンレイモン礼拝堂(19世紀半ばに取り壊し)
⑤聖セルニン教会
⑥墓地から教会へ通じるミエジュビル門(12世紀初頭に建設)
※巡礼者の宿坊が建っていた場所に、現在の博物館の建物が大学寮として新築された。聖堂付属修道院が、13世紀に創立したトゥールーズ大学のキャンパスの一部だった。 -
地上階はカフェスペースになっています。
1ユーロでエスプレッソを楽しめます。
休憩と展示の復習にぴったり。 -
地上階は、寮生の食堂として利用されていました。
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夜のキャピトル広場
19世紀に整備 -
翌朝、市庁舎へ。
入口でのセキュリティチェックが厳戒でした。キャピトル広場/市庁舎 広場・公園
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威容を感じるホール。1760年築です。
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拡大写真。ライオンの戦車にまたがるトリコロールをまとった女神。
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議事堂。
1152年にトゥールーズ伯レイモン5世が市民に自治特権を与えたのがきっかけ。
参事会は12人のメンバーで構成され、キャピトルと呼ばれた。
現在の市議会は約70名で構成されます。 -
1606年築の教会。こんな建物が街にあふれています。
サンピエール デ シャルトゥル教会 寺院・教会
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レイモン6世の庭園。
向かいは現存する唯一の旧城壁。
1823年築の屠殺場が美術館に。レザバトワール近現代美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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通称:グラーヴ旧病院付属礼拝堂。
ペスト患者や貧民の世話を専門とした。
ガロンヌ左岸に位置することからも、隔離の意味合いが強い。
12-19世紀築。サン ジョセフ大礼拝堂 寺院・教会
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聖ヤコブ旧病院。19世紀の建築。
現在は病理学の研究所。 -
新しい橋という名前を持つ全長230mの橋。
100年近くかけて1532年に開通。
フランスにポンヌフは数あれど、一番美しいのはトゥールーズと言われています。
19世紀後半の大氾濫で唯一残った橋です。ポン ヌフ (トゥールーズ) 建造物
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ファサードが印象的な15世紀築の教会
入口の門は1540年製。
カラフルな陶器の装飾は19世紀の作品。ノートルダム ド ラ ダルバード教会 寺院・教会
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でも中身は平凡な石灰装飾。
実は高さ91mというトンデモナイ高さの鐘楼が付属していましたが、
1926年に崩落し、教会は全壊。
ありし日の鐘楼と崩落現場の写真は、市の公文書館に所蔵されています。 -
トゥールーズで一番のレストラン通り。
気分が上がります。フィラティエ通り 散歩・街歩き
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お約束の笑える日本食レストランも
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トゥールーズのカテドラル。
司教がいるのは、この教会です。ちなみに大司教も兼ねています。
右側はロマネスク、左側はゴシック様式。
1078年に建設が始まり、15世紀に一応の完成を見ます。サン エチエンヌ教会 寺院・教会
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奥の大理石の祭壇は17世のもの
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カテドラル横の死のモニュメント
古代ローマのトロサのオリエント門(東門)の場所に立っています。 -
聖オーバン教会。
19世紀に墓地の上に建てられました。 -
オーギュスタン修道院。
1463年の大火で全焼した後、現在の建物は1504年に完成。
修道院はどんどん寂れ、フランス革命後廃院。
現在は美術館に。回廊もばっちり残っています。オーギュスタン美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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15,16世紀のルネサンス期に、植物染料タイセイ(大青)取引で栄えたアセザ家の館。
16世紀半ばの建築で、フランス・ルネサンスの傑作。
現在は美術館。クラナッハの絵画がおすすめ。アセザ館/バンベルグ財団美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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周辺では石が採れなかったので、石造りの部分が多いのは金持ちの証。
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壁の彫刻が芸術的。
アングル、ダヴィッド、ドラクロワ等の名前が刻まれています。
17世紀に開設、18世紀には王立アカデミーに編入。
19世紀末に現在の物件を新築。トゥールーズ高等芸術学院 建造物
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黒い聖母像のある教会。
ローマの神殿の上に5世紀に建立。
一応、バジリカ(普通の教会よりも格上)に指定されています。ノートルダム ラ ドラード教会 寺院・教会
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13世紀の修道院。
1206年に聖ドミニコによって創設されたドミニコ修道会初の修道院。
清貧を守るカタリ派を説得するには、
自身も清貧を実践しないとならないと考えたのがきっかけ。
ナポレオンによって兵舎として接収されました。
回廊(1306-09)
接収後馬場となっていましたが、1964年に修復されました。ジャコバン修道院 寺院・教会
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食堂(1303)
接収時は、厩舎でした。
現在は巡礼の四街道の一つ、アルルを起点とする「トゥールーズの道」の
休息所としても機能した歴史に因む展示。
飢え、渇き、雨、寒さや暑さ、寝床を探すこと…中世も現在も、巡礼者が直面する困難は変わらない。 -
巡礼に伴う危険
とりわけ巡礼者が恐れていたのが、追剥ぎ、宿屋の悪主人、巡礼者に扮した強盗、悪意のある船頭、病気、死、川の横断や水路での危険だった。
暗い森には、無力な巡礼者を待ち構える盗賊が潜んでいた。 -
幸運な人は、聖ヤコブを始めとする諸聖人に執り成しを祈ると、彼らによる救出を経験した。こうした奇跡を検証すると、聖ヤコブによる介入が圧倒的に多いことが分かる(22例が報告)。こうした奇跡は、巡礼者の間で代々語り継がれた。
※サン・ディアゴは聖ヤコブのこと。 -
とりわけ、渡川の危険は、枚挙の暇がない。船頭の評判は悪く、渡し賃を割り増す・所持品をくすねるのは常套で、身代金要求、殺害される危険もあった。
そのためトゥールーズの聖セルナン教会は、11世紀に2本の橋を架けて、巡礼者を悪質な船頭から守った。1030年にトゥール伯オード2世は、ロワール川に架かる橋の通行税を巡礼者に対しては免除した。
イラストは、船頭がわざと船を転覆させる荒業。 -
航海
巡礼者の旅というと、独りで陸路を進むのが一般的なイメージだが、
中世におけるサンティアゴ(デ・コンポスーラ)巡礼は海路が一般的だった。
とりわけ英国、アイルランド、アイスランド、スカンジナビア半島、シチリア、南イタリアからの巡礼者にとっては唯一かつ最速のルートだった。
例えば、12世紀のデンマークからの巡礼者は、僅か7泊8日の航海でサンティアゴへ到着した。
しかし、航海は危険がいっぱいだった。身代金目的の海賊行為が、中世には横行していた。船内ではプライバシーが欠如するだけでなく、身動きの取れない過密空間で退屈に耐え、船酔いに苦しんでいる隣人を介抱し、隣人の怖れを和らげるために共に祈り、過去の巡礼者が経験した奇跡を語り、目的地が見えると共に喜びの歌を歌った。
以上は、14世紀の一コマである。ガリシア地方のコルナとノイアは、サンティアゴへ通じる代表的な港だった。加えて、航海は嵐による難船のリスクと常に隣合わせだった。 -
こうした危険と隣り合わせだったにも関わらず、
巡礼者の信仰心を抑えることはできなかった。
様々な巡礼歌も彼らの道中を力付けた。 -
聖アントニヌス礼拝堂(1335-1341)
有料エリア最大の見所です。
接収時は、獣医が勤務していました。 -
壁面には6世紀に殉教した聖人パミエのアントニウスの生涯を描いたフレスコ画が。
兵舎時代に石灰で覆われましたが、
1974年に原状復帰しました。かなり見づらいです。 -
天井には黙示録のフレスコ画が。
キリストと弦楽器を奏でる天使たちが描かれています。
得も言われぬ美しさです。 -
パンフレットに拡大写真がありました。
-
鐘楼(1275-1298)
高さ45m。南フランスのゴシック建築に大きなインスピレーションを与えた建築。トゥールーズ大学用の鐘も併設された。
実は1229年創立のトゥールーズ大学は、当修道院の敷地で開校し、
長らくキャンパスとして使用されました。
キャンパスは各教会・修道院に点在していたので、高所に設置した鐘は、
全校統一のチャイムとして最適でした。 -
会議場(1299-1301)
修道士が会則など、様々な評議を行いました。 -
教会(1229-1350)
高さ28mの8本の柱は、ヤシの木と呼ばれる。最大の見せ場。 -
鳥肌が立ちます。
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南向きの側面のステンドグラスはモノグラム。
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正面は、最も古い建築。
-
オクシタンらしい暖色のガラスが、夕日とコラボ。
時間を忘れます。 -
北側の側面は寒色系のステンドグラス。
ピエタの絵画が七変化。 -
七色の世界
-
東側のドームは、朝日をたっぷり浴びる位置。
柱にも光が映っています。 -
実は教会部分は無料エリアです。
-
ステンドグラスの表面が平らでないためか、
ぼやけた感じ。
ユラユラと揺れているような印象を与える効果があります。 -
時間帯によって変化します。
-
現在の通称トゥールーズ大学の敷地には、多くの旧修道院が建っています。
修道院の敷地がキャンパスだった歴史によります。
1229年創立は、中世大学の中でも屈指の歴史を誇ります。
異端のカタリ派を抑制する為です。というわけで神学部がメインでした。
巡礼者の治療もあって、医学部もありました。
卒業生には、後の教皇ウルバヌス5世などがいます。
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