2021/05/21 - 2021/05/22
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Fuyuyamaさん
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午前中にハウステンボスを回ったあと、昼過ぎの電車に乗って長崎市へやって来た。実質的に半日しか時間が無いので、今回はあれこれ欲張らずに、前回2013年に回らなかった原爆遺構を中心に見て歩いた。原爆資料館はコロナ禍による休館で見学できず残念だったが、爆心地や原爆地層、平和公園、如己堂、浦上天主堂旧鐘楼、山王神社などを巡った。
夜は長崎の夜景を撮りに、一人で「鍋冠山公園」と「グラバースカイロード」へ出かけた。夜景スポットとして名高い「稲佐山」と比べ、いずれの場所も市街地が近いので、思っていた以上に煌びやかで迫力のある夜景に出会うことができた。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー JRローカル 私鉄 ソラシド エア
- 利用旅行会社
- エイチ・アイ・エス
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長崎到着は午後2時過ぎ。まずは荷物を置いて身軽になるため、今夜泊まる「ザ・ホテル長崎BWプレミアコレクション」へチェックイン。
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コンビニ脇の大通りに面したエントランスは正直?と思ったが、中に入ると豪華なロビーがあり印象が一変。
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泊まった部屋はこんな感じ。
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ホテルの目の前にある「宝町」の電停から路面電車に乗り、「原爆資料館」で下車した。ちなみに、北の「函館」と南の「長崎」は、共に港街であること、坂の街であること、異国情緒が漂う街であること、夜景が美しい街であること、そして路面電車が走る街であることなど共通点が多く、いずれも大変魅力的な都市だ。
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電停から坂道を上り「原爆資料館」へ来たが、5月末までコロナ禍による休館だった。
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気を取り直して原爆資料館前の階段を下り、爆心地公園を通って平和公園へ向かう。爆心地公園内には様々な祈念碑が建立されている。これは「平和の母子像」。母親が必死に子供たちを抱きかかえ守る姿に心打たれる。
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「長崎誓いの火」は、1983年8月にギリシャ政府から送られた平和の象徴である「聖火」を灯し続けようという市民運動により、1987年にこの灯火台が建てられた。これには、平和の象徴としてこの火が灯されている限り、長崎が世界で最後の被爆地であり続けるという誓いが込められている。
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手に折り鶴を持った「平和を祈る子」像。
碑文には、
原子雲の下で
母さんにすがって泣いた
ナガサキの子供の悲しみを
二度と、くりかえさないように。
大砲の音が
二度となりひびかないように
世界の子供のうえに、いつも
明るく太陽が輝いていますように。
とあった。 -
「被爆当時の地層」は、原爆によって壊された瓦やレンガ、茶碗、熱で溶けたガラス、ペンチなどが現在でも大量に埋まっていることを伝えてくれる。
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「浦上天主堂の遺壁」は、原爆によって破壊されわずかに残った浦上天主堂の側壁の一部をこの場所へ移築したもの。
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「原子爆弾落下中心地碑」は爆心地を示す標柱。
長崎に投下された原子爆弾は、1945年8月9日、午前11時2分、長崎市松山町171番地の上空約500mで爆発。原子爆弾が爆発した瞬間の爆発点の温度は摂氏数百万度に達し、爆発からの1万分の1秒後には約30万度の火球を形成したと推定される。また、火球は爆発1秒後には最大となり、半径約240mまで膨張し、爆発直後の爆心地の地表の温度は、約3千~4千度に達したと推定されている(長崎市平和・原爆HPから)。 -
街角には原爆遺構の案内板が設置されており迷うことがない。
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平和公園にやってきた。公園は高台にあり街を見下ろせる。正面の山は「稲佐山」だ。
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イチオシ
「平和の泉」越しに「平和祈念像」を望む。なお、平和の泉の正面には、水を求めてさまよった少女の手記「のどが乾いてたまりませんでした 水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました どうしても水が欲しくて とうとうあぶらの浮いたまま飲みました」が刻まれている。
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長崎市民の平和への願いを象徴する「平和祈念像」。毎年8月9日の原爆の日には、この像の前で平和祈念式典が行われている。
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平和公園から歩いて5分の場所にある「如己堂」へやってきた。如己堂は、白血病と闘いながら被爆者への救護活動や原爆に関する医学的な研究を続けてきた永井隆博士が二人の子供と一緒にここで暮らし、「長崎の鐘」や「この子を残して」など数多くの作品を執筆した場所だ。
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窓越しに中を覗くとマリア像が置かれていた。博士は敬虔なカトリック教徒だったそうだ。この家は二畳一間の建物で、浦上の隣人たちが博士にこの家を贈ったとのこと。ちなみに如己堂の隣には立派な「永井隆記念館」があったが、残念なことにこちらは休館だった。
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1959年に再建された「浦上天主堂」へやってきた。旧天主堂は東洋一といわれた大きな教会だったそうだが、原爆で一瞬のうちに崩壊。倒壊を免れた一部の側壁は先ほど訪れた爆心地公園に移設されている。
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原爆の凄まじい威力を現代にまざまざと見せつけるのがこれ、「浦上天主堂旧鐘楼」だ。旧天主堂双塔の片方が吹き飛ばされ近くの川に転げ落ちたものだ。
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原爆遺構巡りの最後に訪れたのは「山王神社」。長崎市出身のアーティスト福山雅治さんの楽曲に歌われた「(被爆)クスノキ」を一目見たかったのだ。
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境内入口にそびえる2本のクスノキは樹齢約5~600年、原爆被災により一時落葉し枯れ木同然になったにもかかわらず、2年後、奇跡的に再び新芽を芽吹き、次第に樹勢を盛り返し今日に至っているという。
”我が魂は奪われはしない
この身折られど この身焼かれども
涼風も 爆風も 五月雨も 黒い雨も
ただ浴びて ただ受けて ただ空をめざし
我が魂は この土に根差し
葉音で歌う 生命の叫びを”
福山雅治さんの歌「クスノキ」の一節である。 -
山王神社のもう一つの原爆遺構が「一本足鳥居」で、福山さんの歌には「片足鳥居」として出てくる。
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夕食は長崎の駅ビルに入っているお店で、名物の「ちゃんぽん」と「皿うどん」を食べる。時刻は6時前と少々早めだが、一度ホテルへ戻った後、夜景を撮りに出かける都合があるためだ。
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イチオシ
ホテルで撮影機材を整え、再び駅前からタクシーで向かったのは「鍋冠山公園展望台」。曇りがちだった空は幸いなことに夕方から陽が差し始め、展望台に着いた頃にはキレイな夕焼け空が広がった。
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展望台から夕暮れの街をぐるりと見渡す。なかなかのロケーションだ。
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案内板によると「端島(軍艦島)」が見えるという。望遠レンズで覗くと、なるほど沖合に霞む島がそうらしい。
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上空の空が美しく焼けてきた。海もオレンジ色に染まっている。
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展望台の正面に見える山は、頂上からの夜景が有名な「稲佐山」だ。2013年に来たときは稲佐山から撮ったので、今回はこの場所から夜景を狙う。
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午後7時47分。まだ上空には夕方の名残がある中、街の灯が輝き出した。
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午後7時52分。だいぶ空のグラデーションが落ちてきた。
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イチオシ
午後7時57分。ちょうど港に大型船が入港してきた。街の中心部を少しアップして撮影してみた。夜の帳が下りるにつれ街の灯は輝きが強くなる。鍋冠山での撮影を終え、今度は市街地に近い「グラバースカイロード」のエレベーター乗り場へ向かう。往きに乗ったタクシーのドライバーさんが、「確か鍋冠山からグラバー園へ抜ける遊歩道があったハズ」との言葉を信じ、展望台の脇にあった小径を下る。
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イチオシ
約5分で思ったより呆気なく「グラバースカイロード」のエレベーター乗り場へ到着。他に誰もいないエレベータ乗り場から撮った写真がこれ。確かに市街地がぐっと近づき、迫力のある写真を撮ることができた。
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一夜明け旅行最終日。本日は長崎空港12時10分発の飛行機なので、何処にも寄らずに空港へ直行するだけ。朝食はホテル最上階のレストランで。本来ならブッフェスタイルの朝食らしいが、コロナの関係で定食スタイルとなっている。
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ホテルから長崎駅方面を望む。2013年に来た時と比べ、駅の様子が大きく変わっているのに驚いた。どうやら九州新幹線長崎ルートの整備に伴い、駅周辺の再開発事業を進めているらしい。
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山の斜面にビッシリ。この写真を見ても分かるとおり、長崎は坂の街だ。
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ホテル前から空港行きのバスに乗り、10時25分長崎空港到着。空港内でお土産を選び時を過ごす。
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いろいろトラブル続きの長崎の旅だったが、素晴らしいホテルのサービスとハウステンボスのイルミネーションや光のアトラクション、目映いばかりの長崎の夜景などに癒やされるとともに、日本人として心に刻んでおかなければならないことを知ることができ、結果的には満足のいく旅となった。
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