
2019/10/10 - 2019/10/10
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frau.himmelさん
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スイスはホテル代が高いので、オーストリアのフェルトキルヒに宿泊してやってきたチューリヒ。
チューリヒには二つのミッションを引っ提げて乗り込みました。
一つはチューリヒ美術館を観ること。
2014年に六本木の新国立美術館で、日本・スイス国交樹立150年を記念してチューリヒ美術館展が開催されました。
そこには、ホドラーやセガンティーニをはじめ、モネ、ドガ、ゴッホ、ルソー、マティス、ピカソなど、印象派からシュルレアリスムまで素晴らしい画家の作品が目白押し。しかし悲しきかな、写真撮影は禁止!
これは絶対本場に行って観てやるぞーと心に決めていました。
2014年の旅行記はこちら。
https://4travel.jp/travelogue/10958986
二つ目はスイスの伝統スウィーツ、エンガディン・ヌストルテを買って帰ること。
スイス人の夫の友人が来日されるたびにお土産にくださるもので、これが美味しいのです。
それを食べた友人に頼まれました。絶対買ってきて!と。
ところが旅の終盤にきて私の体調が危うくなりました。
旅はまだ5泊6日を残しています。私はそれに耐えられるのでしょうか。
-
フェルトキルヒからチューリッヒに到着。
今日はこの後ミュンヘンまで移動しますので、それまでコインロッカーにスーツケースを預けて、2つのミッションを遂行します。
チューリッヒからミュンヘン行のECは18:02です。 -
新式のコインロッカーはシニアにはほんとに難しい。
あっちこっちタッチして手間取ってるうちにバーコードが出て、扉が閉まってしまった。
スーツケースはまだ1個しか入れていないのに。
仕方がない、別なコインロッカーを探してもう1個入れる。 -
いつもなら2個一緒に入るコインロッカーなのに、二つも使ってしまった。しかも物価が高いスイスで・・・(泣)。
ドイツやオーストリアでは2個5ユーロ(650円)くらいでおさまるところ、10フランと9フラン。
コインロッカー代が日本円で2280円って!!
ビックリした―。 -
とりあえず荷物を預けてフリーになった。
さあ、ミッション其の1を始めよう。
中央駅構内でスーパーマーケットを探す。日本でネット検索したらスーパーで買えるようだったので。
ミグロスには探しているものはなし。 -
次は同じく駅構内にあるコープ。
見つからない・・・。
店員さんにヌストルテはどこにありますか?と聞いて教えてもらった。
ウーン、確かにヌストルテと書いてあるけど、いつもいただいているのはこれじゃないのよね~~。 -
これは切り分けて個装されているもの。
これでもないし。
試しに個装を1個買って後で味見してみよう。
まあ他になかったら仕方がない、あの箱入りを買って帰ろう。 -
そう言い聞かせて、市電に乗るために駅の外に出ました。
目の前はリマト川とチューリッヒの旧市街の風景。
ふと通りの先をみるとここにもコープがありました。 -
中に入ってみると、ここに探していたヌストルテが山積みされていたのです。
そうそう、これです、いつもいただくのは!
エンガディン・ヌストルテ。
スイスのエンガディン地方の名産でくるみのタルトです。
1個15.5フランもするのね。日本円で2000円弱。
いいお値段です。 -
エンガディン地方のクッキー生地に、たっぷりのクルミをヌガーに絡めて包んで焼いた、伝統のお菓子です。
ずっしりと重量感があり、カロリーも高いので、一度にたくさんは食べられませんが、これが美味しいのです!
FINE Food..。
スイス人の夫の友人が日本に見えるたびに、これをお土産にいただきます。年に2~3回は見えられますから結構な頻度でいただいていました。 -
あるとき、まだ残っているのに重なっていただいたので、私の友人にあげました。
そしたらその友人、「美味しいわね~。次回ヨーロッパへ行ったら絶対買ってきて!」と頼まれたのです。
私はいつも食べているので慣れてしまっていましたが、言われてみれば確かに美味しい。
それに現地のスイス人が選んで買ってきてくださるものですから、間違いないでしょうし。
そうだ、あれは日持ちもするし、親戚や友人・知人たちにお土産に配るのに買って帰ろう。いつものチョコレートよりは喜ばれるでしょう。
写真はネットより。 -
エンガディン・ヌストルテは後ほど買うことにして、次はミッションその2。
31番のトラムに乗り、2つ目のチューリッヒ美術館で降ります。 -
チューリヒ美術館。
スイス最大規模のコレクションを誇る美術館です。
2014年に六本木の新国立美術館でチューリヒ美術館展が開催されました。
それを観に行った私。素晴らしい作品が目白押し。なのに、写真が撮れない悔しさ。
その時から絶対チューリヒ美術館には行ってやるぞ!と決めていました。 -
入り口でロダンの「地獄の門」が迎えてくれました。
東京の西洋美術館の前にもありますよね、同じ「地獄の門」が。
左:チューリヒ美術館、右:上野の西洋美術館のもの。 -
ダンテの「神曲」が題材。
地獄の門をくぐって堕ちていく人々の姿が残酷に現されています。
そして門の中央には、ロダンの「考える人」の像。 -
入り口でチケットを買って、中に入る。
ロッカーに手荷物すべてを入れてカメラだけ持って、身軽になってゆっくり鑑賞します。
館内の地図。
この通りに動いたわけではありません。
足の向くまま、気の向くまま。
それに途中アクシデントがありましたので、絵画の順番には一貫性がありません。
また絵画の題名は私の適当な翻訳のものもありますので、参考程度にご覧ください。 -
早速2014年に六本木でお会いしたX氏が出迎えてくれました。この風貌は忘れられません。
アンリ・ルソー(1844-1910)、
「X氏の肖像(ピエール・ロティ)」1906 -
ポール・セザンヌ(1839-1906)、「5人の水浴者」1880/1882
-
ピエール・ボナール(1867-1947)、「庭に憩う家族」1901.
○これも来日しました。 -
ピエール・ボナール(1867-1947)、
「シニヤック他セイリングボートの彼の友人」1924 -
フェリックス・ヴァロットン(1865-1925)、
「赤いアームチェアのインテリアと人物」1899。
なんか夫婦喧嘩の後のような重苦しい空気(笑)。 -
エドゥアルト・ヴィヤール(1868-1949)、
「勉強をするアネッテとジャック・ルーセル」1906 -
クロード・モネ(1840-1926)、
「オンフルールの灯台」1864 -
カミーユ・コロー(1796-1875)、
「ローマのカンパーニャ」1827
どれも額縁の装飾が見事です。 -
エドゥアール・マネ(1832-1883)、
「アルベール・ヴォルフの肖像画」1877.
アルベール・ヴォルフは辛口美術評論家。 -
ウジェーヌ・ドラクロア(1798-1863)、
「グリカ短剣をもつ武装したインド人」1830.
ドラクロアといえば「民衆を導く自由の女神」がすぐ思い出されますね。 -
テオドール・ジェリコー(1791-1824)、
「蹄鉄工」1813/1814.
「メデュース号の筏」は有名ですね。
彼は32歳という若さで亡くなっています。
ドラクロアやクールベに影響を与えた人物です。 -
グスタス・クールベ(1819-1879)、
「マス」1872 -
グスタス・クールベ(1819-1879)、
「ルー(川)の源泉」1863 -
モーリス・ド・ヴラミンク(1876-1958)、
「La Seine et Le Pecq」1906 -
キース・ファン・ドンゲン(1877-1968)、
「レ・アミーズ」1908 -
アンドレ・ドラン(1880-1954)、
「マルティーグの風景」1908
マルティーグ=フランス・プロヴァンス地方 -
アンドレ・ドラン(1880-1954)、
「Le port de Londres(ロンドンの港)」1905 -
オスカー・ココシュカ(1886-1980)、
「恋人と猫」1917、
○この絵も来日しています。
ココシュカと言えば、グスタフ・マーラーの妻だったアルマ・マーラーとの情熱的な関係は、狂気にさえ感じます。
オーストリアの画家。 -
オスカー・ココシュカ(1886-1980)、
「エルゼ・クプファーの肖像」1911 -
オスカー・ココシュカ(1886-1980)、
「騎士・死・天使」1910/1911 -
アンリ・マティス(1869-1954)、
「バルビゾン」1908 -
パブロ・ピカソ(1881-1973)、
「太った裸婦」1964.
○これも来日しています。 -
パブロ・ピカソ(1881-1973)、
「帽子を被った座る女性」,1921 -
パブロ・ピカソ(1881-1973)、
「ギター」1924。
こうやってズラズラーっと並べながら、いったいどういう基準で並べてあるのだろう?流派も年代も違っているし・・、と思いました。
部屋をあちこち移動しながら撮ったわけではありませんので、一応これらがグループになっていたものだと思います。
ただ題名の下に、寄贈や共同購入などの表記が多いのに気が付きました。
ヨーロッパの他の大美術館は王侯貴族の収集が基になり創られたものですが、チューリヒは芸術を愛する市民たちによって支えられてきた美術館だということです。 -
エルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナー(1880-1938)、
「雪溶け(山小屋のある山の風景)1922。
ドイツの画家です。
ヒトラーに「退廃芸術」の烙印を押されたことにショックを受けて、ピストル自殺をしています。 -
エルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナー(1880-1938)、
「Sertigtal」1922.
Sertigtalはスイスのダボス近くにある渓谷です。
人物画が多いキルヒナーですが、素敵な風景画も描いていますね。 -
印象派画家モネの「睡蓮の池」の巨大な絵があります。
クロード・モネ(1840-1926)
「睡蓮の池 夕暮れ」1916,1922。
○2014年に来日しました。
モネの絵がチューリヒ美術館に所蔵されることになったのには幸運な出来事がありました。
モネがジベルニーで、オラジュリー美術館のために「睡蓮」の絵を何枚も描いているときに、モネのアトリエを訪れた、当時のチューリヒ美術館館長。
その絵が気に入り、モネと交渉の結果、好きなものを選んでいいことになりました。そこで2枚購入しました。
1枚は最も大きかったこの絵。2m×6mあります。 -
こちらがたぶんもう1枚の方。
クロード・モネ(1840-1926)、
「アイリスと睡蓮の池」1914-22.
写真下は睡蓮とアイリスの拡大。
モネの「睡蓮の池」がチューリヒ美術館に所蔵されるようになり、その後印象派の作品が次々と集まってきて、今では「印象派の殿堂」と呼ばれるようになりました。 -
クロード・モネ(1840-1926)、
「睡蓮の池 緑の反映」1920-26 -
しつこくモネです。
「ディエップの崖」1882.
鮮やかな色彩です。モネの42歳の作品です。 -
クロード・モネ、
「国会議事堂 日没」1840-1926.
英国の国会議事堂の連作の一つ。 -
クロード・モネ(1840-1926)、
「サン・ジョルジョ・マッジョーレから見たドゥカーレ宮殿」1908 -
クロード・モネ(1840-1926)、
「積みわら 晴天」1891。
これも積みわらシリーズの一つ。
○これも来日しました。 -
○セザンヌのこの有名な絵も来日しました。
ポール・セザンヌ(1839-1906)、
サントヴィクトワール山」1902/1906。
セザンヌは1906年に没していますから、最晩年の作品ですね。 -
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)、
「パシアンス・エスカリエの肖像」1888。
エスカリエはアルル近郊の農夫です。 -
ゴッホは農夫パシアンス・エスカリエをモデルにして複数枚描いているそうです。
陽に焼けた顔や引き締まった口元、輝く目の光などに、ゴッホはアルルの力強い姿をみてとったのでしょうね。 -
ゴッホの糸杉シリーズ。
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)、
「糸杉と花咲く木」1889.
重い精神障害を患っていたゴッホ。
この絵はサンレミの精神病院に入院中に描かれたのだそう。 -
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)、
「シダレ柳の庭、公共の公園(アルル)の日当たりのよい芝生」1888 -
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)、
「シャポンヴァルの茅葺きの家」1890。
シャポンヴァルはオーヴェル=シュル=オワーズ。 -
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)、
「包帯をしてパイプをくわえた自画像」1889.
1888年12月、共同生活をしていたゴーギャンと対立し、ゴッホは発作的に自分の耳を切り落としました。
この絵はその1か月後に描かれた。
心を落ち着かせるために口にしているパイプ、しかしそのうつろな目はとり繕えない・・・。 -
ゴーギャンはその後、ゴッホと二度と会うことはなかった。
そのゴーギャンの絵です。
ポール・ゴーギャン(1848-1903)
「花と偶像のある静物画」1892.
○この絵も来日しました。 -
エドガー・ドガ(1834-1917)
「入浴後の朝食」1895。
湯船から出てくる女性をコーヒーカップを持って待っている召使。 -
エドガー・ドガ(1834-1917)、
「競馬」1885/87。
レース直前の緊張した表情。 -
トゥールーズ・ロートレック(1864-1901)、
「Im Cafe. Der Patron und die bleichsuechtige Kassiererin.」1898.カフェにて:パトロンと会計係
傲慢な金持ち夫婦かと思いました。 -
オーギュスト・ルノワール(1841-1919)
「白い若い女性の肖像」1901. -
面白い絵を。
マリアンヌ・フォン・ヴェレフスキン(1870-1938)、
「terrain a vendre(売地?)」1916。
マリアンヌ・フォン・ヴェレフスキンはロシア生まれの女流画家。
この絵は「売地」を前にして相談している4人の男女?
不動産売買も絵画の題材になるのですね。
ここまでランダムに写真を撮って、ランダムに並べてまいりましたが、確かに印象派の作品は多いですね。 -
次はシャガールの部屋です。
マルク・シャガール(1887-1985)、
「出産」1910
実はこのころから頭がズキズキし始めました。
昨日は夜中に鎮痛剤を服用しただけですから、もう効き目がなくなってきたのでしょうか。 -
マルク・シャガール(1887-1985)、
「ブルハット島の窓の眺め」1924、
○この絵も来日しました。 -
マルク・シャガール(1887-1985)、
「戦争」1964-1966 -
マルク・シャガール(1887-1985)、
「眠っているギター」1942-1943 -
マルク・シャガール(1887-1985)
「殉教者」1940
シャガールはユダヤ系ロシア人でした。
フランスで活躍していましたが、ヒトラー政権が誕生してナチスの迫害を受けるようになり、アメリカに亡命しました。 -
マルク・シャガール(1887-1985)
「婚礼の光」1945 -
マルク・シャガール(1887-1985)
「パリの上空で」1968
チューリヒ美術館にはシャーガール作品が多数あります。またフラウミュンスター教会のシャガールのステンドグラスは有名です。
チューリヒとシャガール、深い縁で結ばれているのでしょうね。 -
シャガールの部屋を出ると、階段の吹き抜け。
そこにはスイスが誇る国民的画家、ホドラーの巨大な壁絵が。 -
フェルディナント・ホドラー(1853-1918)
「無限の眺め」1916。
ホドラーの作品はこの後も出てきます。 -
この広々とした部屋は、「叫び」で知られるノルウェーの画家ムンクの展示室です。
彼はチューリヒ美術館にとっては特別な存在ですから、特別待遇も無理なからぬこと。 -
あの「叫び」に代表されるような、不気味な暗い絵を描くムンクのからは想像できない肖像画や風景画なども描いています。
エドヴァルト・ムンク(1863-1944)
「ヘルベルト・エスケの肖像」1905 -
エドヴァルト・ムンク(1863-1944)
「女の子の肖像(エルドムーテ・エスケ)」1905.
エスケの娘です。 -
エドヴァルト・ムンク(1863-1944)
エスケの二人の子供たち。1905.
ヘルベルト・エスケはストッキング産業で財を成したドイツの実業家です。また芸術家のパトロンでもあり、ムンクは、1905年にケムニッツの別荘に招待された際、家族の肖像を描きました。 -
チューリヒ美術館の初代館長ヴィルヘルム・ヴァルトマンは、ムンクの描く人物画をたいそう気に入っていました。
ヴァルトマンは、ムンクに美術館初の個展を「ムンク展」にしたいと頼みこみ、1922年に開催されました。それが大成功をおさめ、チューリヒ美術館が発展する礎になりました。
(写真は資料から)
エドヴァルト・ムンク(1863-1944)
「ヴィルヘルム・ヴァルトマン博士の肖像」1923 -
エドヴァルト・ムンク(1863-1944)
「リューベックの港」1907 -
エドヴァルト・ムンク(1863-1944)
「カールヨハン・シュトラーセの音楽」1889.
どこに音楽が?
よ~~く見ると、画面の中央奥で軍隊の音楽隊が吹奏楽を演奏していますよ。 -
エドヴァルト・ムンク(1863-1944)
「りんごの木」1921 -
エドヴァルト・ムンク(1863-1944)
「造船所」1911
ムンクの絵はもっと何枚もありました。
チューリヒ美術館は、ノルウェー以外ではムンクの絵を最も数多く所蔵している美術館です。 -
ムンクの反対側は、アルプスの画家セガンティーニのコーナーです。
アルプスと言えばスイスアルプス。
ジョヴァンニ・セガンティーニはてっきりスイス人とばかり思っていましたが、彼はイタリア人だったのですね。
ジョヴァンニ・セガンティーニ(1858-1899)
「編み物をする娘」1888 -
ジョヴァンニ・セガンティーニ(1858-1899)
「アルプスの牧草地」1893/1894.
昼下がりのアルプスの牧草地で羊たちを遊ばせながら、羊飼いの少年はウトウトと昼寝をしているのでしょうか。
そういう長閑な情景が浮かんできます。 -
ジョヴァンニ・セガンティーニ(1858-1899)
「私のモデル」1888。
これもかわいい絵。
セガンティーニは、雄大なアルプスや明るい絵を好んで描く優等生(笑)の画家とばかり思っていました。 -
ところがこれはどうでしょう。優等生とは程遠いおどろおどろしい絵です。
ジョヴァンニ・セガンティーニ(1858-1899)
「悪しき母たち」1896/97.
凍った氷原に1本の木。そこには木に括られた妊娠した女性たち。
まさにホラー絵画です。
セガンティーニは、アルプスの明るい絵とは裏腹に凄惨な人生をおくってきたのです。5歳の時に母親をなくしているので母親への憧れは強く、母性を持たない女性や自堕落な女性を軽蔑していました。 -
ジョヴァンニ・セガンティーニ(1858-1899)
「Die Strafe der Wollluestigen(欲望の罪)」1896/97.
これもかなり怖い絵です。繋がったまま浮遊している二人の女性(物体)、そして樹と同化していく若い女性。
明るく健康的なアルプスの絵、それとは裏腹に、心も凍るような恐怖の絵。
その落差が大きくて、二面性を持つセガンティーニの絵に戸惑いを覚えました。 -
頭痛はさっきよりひどくなってきました。
まだ美術館は半分も周っていないし、このまま出てしまいたくない。
そうだ、ロッカールームにあずけてあるバックの中に鎮痛薬が入っている。ともかくそれを服用して続きを観よう。 -
ところが、バックの中には薬は入っていなかった。
そうか、中央駅のスーツケースの中に入れたのだった。
さあどうしよう。
長年の夢だったチューリヒ美術館に来たのに途中で帰るのは嫌だ!もう少し観たい。
ほんとに大丈夫なの?と気遣ってくれる(一応)夫に、「大丈夫よ、もう一度引き返しましょう」と私。
途中で、頭を抱えてうずくまっている像が見えた。まるで今の私の心境。 -
フィッシル/ヴァイス、「偽の偶像」1983/84.
現代アートの作家、フィッシルとヴァイスによって創られたいろいろなものがくっついているようなアート。
と言うことで後編は、フラフラになりながら執念で続きを鑑賞します。
それにしてもチューリヒ美術館のコレクション、ほんとに素晴らしいです。
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