2021/05/18 - 2021/05/18
4位(同エリア131件中)
Kちゃんさん
東北大震災の被災地を訪れ定点観測的に復興具合を記録していく旅。 今年は震災から丸10年の節目です。 大きな津波の被害にあわれた陸前高田や南三陸志津川、もちろんその他の地域も10年の間に新しい街造りが始まり、大方の姿が現れています。 一時は「復興」が観光地化し復興商店街に多くの人が訪れる景色もありましたが、だいぶ落ち着いてきた替わりに、本来の住民の方の生活復興が進んでいます。 また後世にこの災害を語り継ぐための施設も「遺構」として整備されてきましたが、いずれも綺麗過ぎて災害が実感として本当に伝えられるのか? とも考えてしまいます。 私自身、勝手に被災地を訪れさせて頂き様子を拝見していますが、震災直後~2年目くらいまでのまだ片づき切っていない様子と、その後更地となってダンプカーが走り回っていた時期、その後の嵩上げ地区での生活復興などの様子は綺麗に整備された復興祈念公園だけを観ても簡単には想像出来ないものと思います。
10年目の今回も陸前高田、気仙沼、志津川、を中心に訪れこの10年間の変化を記録すると共に、昨年訪れた際に行きそびれた大島の亀山と気仙沼の向陽高校跡に出来ている伝承館も訪れてみました。
ここ何年かは仙台でレンタカーを借り、陸前高田あたりまで45号線を往復するルートですが、今回は全線開通した三陸自動車道を「何か違う」トヨタヤリスで訪れました。 その1として陸前高田を訪れた後に南下し気仙沼大島の亀山辺りまでをお届けします。
続編の その-2は
https://4travel.jp/travelogue/11695211 です
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
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仙台での所用の後、いつものホテルへチェックイン。
今回は「ツインの部屋を御用意致しました」とフロントで言っていたが、部屋に入ってみればエクストラベッドまで入った「トリプル」状態。
ツインはありがたいですがエクストラベッドまで在っては使えるスペースは狭くなってしまって・・ -
翌朝の朝食会場。
テーブルはだいぶ減らされ密を避けています。 -
サラダや細かいものはブッフェスタイルを維持しています。
(手に取るためにビニール手袋をします) -
コーヒー等の飲み物、
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で取ってきたのがこんな風。
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これとは別に「メインプレート」が和・洋 別に用意されます。
(これが出てくるまでに時間が掛かりすぎて、ブッフェ分だけで終わってしまうほどですが) -
朝食を終え、駅近くのレンタカーオフィスへ。
この時点では絶好のお天気です。 -
レンタカー事務所で手続きをして、
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市街へ乗り出します。
国道45号を東(北)へ向かいます。 -
借りだした車ですが、リアフェンダーがこんな具合にタイヤ1個分ほども出っ張っていて、狭い場所はチョット気になります。
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仙台港北ICから仙台東道路へ
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利府JCTから三陸自動車道へ分かれ石巻方面へ
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桃生あたりまで片道2車線ですが、その後は対面通行区間となります。
横では片道2車線化工事をしていますので、次回はもう少し延びるかもしれません。 -
今回もまずは陸前高田を目指します。
昨年訪れた時点では気仙沼市内の小泉海岸~本吉津谷間、また気仙沼中央から気仙沼市内区間は三陸道が完成しておらず旧45号への迂回でしたが、今年春に全通し陸前高田まで一気に行けるようになりました。
新しく開通した区間も、このように切り通し区間の上を跨ぐ橋など構造物は対面通行分の幅でしか出来上がっていないので、当面拡幅の計画は無いのでしょうね。 -
気仙沼港ICから先も今回開通区間、真新しい道です。
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これが気仙沼港を跨ぎ唐桑半島側まで一気に渡る「気仙沼湾横断橋」です。
これは気持ちの良い橋ですが通り過ぎるだけで景色を眺める余裕はありません。 -
唐桑半島側に渡るとトンネル続き
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そして、この霧立トンネルは長らく国道45号線のバイパス的に使われてきましたが、本来の三陸道用トンネルとして供用されています。
(一般道45号線としては逆に迂回となり部分的には不便になりました) -
陸前高田ICで降ります。
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仙台港北ICから131km、ここまでの燃費は18.7km/Lを示しています。
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陸前高田ICはいわゆる高田松原地区からは北に位置しており、旧市街方面へ南下していくとアバッセなど嵩上げ地域に新しく出来た商業地区へでます。
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アバッセ周辺のお店。 ここにはお蕎麦の「やぶ屋」さんや何年か前にお邪魔した「鶴亀寿司」さんなど新しくお店を構えてらっしゃいます。
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嵩上げされた地区も緑地化が進み、以前のような土砂丸出しの状況からは少し変わってきています。
この川の水面は以前と変わらないでしょうから、周囲の部分が嵩上げされた高さなのでしょう。 -
嵩上げ地区の分譲はあまり進んでいないのか、造成された宅地にも依然として家はまばらです。
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そんななかにも個人商店もちらほら開店していて、
こちらはお餅屋さん。 -
こちらはお肉屋さんですね。
廻りの空き地にも家や商店が建ち並んではじめて復興といえるのでしょうか。 -
こんな洒落たお店も
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アバッセ自体は地域の方に定着しているようですね。
駐車場もいっぱいです。 -
被災した高田高校も高台に新築移設されてだいぶ経ちました。
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【2012年】6月
被災後1年時点の高田高校校舎。 -
【2012年】6月
当時は立ち入り規制もされていなくて内部を拝見させて頂きましたが、被災された方には申し訳なくも、この惨状を観ることが出来たのは得難い経験と記憶です。 -
グラウンドに並んでいた仮設住宅もすっかり無くなって本来のグランドに戻っています。 高田高校の旧校舎は津波の被害にあいましたが、もともと裏山の高台にあったこのグランドに多くの方が逃げて難を逃れたようです。
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【2015年.6月】
グランドに立ち並ぶ仮設住宅、後ろは建ったばかりの高田高校新校舎 -
BRTの陸前高田駅。
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現在の運行はバス(BRT)ですが、JRの駅ですからみどりの窓口もあります。
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プラットホームと言うかバスの発着場所ですね。
この嵩上げ地区の端に設けられた「新」陸前高田駅ですが、その場所は被災前の地図と見比べると200mも離れていないのかもしれません。 -
陸前高田駅の横からは以前の市街地方面が見渡せます。
区画整理されたこの土地はどのように変わっていくのでしょう。 -
駅の横に新しく出来上がっていた施設「まちの縁側」。
地元住民の方の交流施設のようです。 -
木造(?)のユニークな造りで、以前の街中を見渡すように建てられています。
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以前、一本松のあたりに設置されていた やなせたかし さんの人モザイク画が移されています。
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建物を囲む回廊を上がると屋根の上はこんな具合のちょっとしたデッキになっています。 眼下には遺構として残こされるのか米沢商店の建物。
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海の方向へ向かうと新たな運動公園が出来上がっていました。
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メインとなる野球場は「楽天イーグルス奇跡の一本松球場」と命名されています。
ちなみにこの奥のサッカー場は「川崎フロンターレ東北カリフォルニアフィールド」と名付けられています。 -
その野球場から道路を挟んだ反対側、嵩上げされていない工事現場にかつての大船渡線踏切跡を見つけました。
次回訪れる時には撤去されてしまっているかもしれません。 -
【2014年】6月
大船渡線踏切跡、当時は車でこの付近を通るとナビが「踏切です」と虚しくアナウンスを発していましたっけ。
最近の車のナビは設定が新しくなって「踏切です」と表示されないのは逆に虚しい思いもします。 -
復興祈念公園に来ました。
昨年訪れたときににも既に開場されていましたが、樹木や芝が定着して一層綺麗に見えます。 -
修学旅行なのか近県の高校生が訪れています。
東北地方でも津波にあわなかった地域、まして今の高校生であれば10年前は小学校低学年でしたでしょうからここを訪れることは貴重な体験かもしれません。 -
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昨年はまだ整備途中の仮開場で立ち入り規制場所が多くありましたが、今回来てみれば巨大な防潮堤の外側を海辺まで降りられるようになりました。
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高田松原を再現するために松の苗木が植えられています。
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海岸からの長め。
砂浜に沿ったコンクリートの縁と砂はかつての高田松原海水浴場のままなのではないでしょうか?
この写真からはシーズンオフの静かな海水浴場にしかみえません。 -
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この祈念公園はデザイン的にも新鮮かつ雄大で、震災の記憶を残すとともに市民の方の憩いの場となっていくのではないでしょうか。
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この空間の見せ方、最高です。
気に入りました。 -
併設される道の駅
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地元食材を提供する食堂です。
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コロナを意識してかテーブル周辺は高い囲いを設けていますが、木を使った素敵なデザインです。
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以前の道の駅「タビック」は公開に向けて未だに周辺の整備中。
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【2017年】7月、
この祈念公園あたりの工事風景です。
「10年」というのは長い期間ですが、当座のことも処置しながらこれだけのことを成し遂げるには必用な期間なのかもしれません。 -
ここで、今回借りだしたレンタカーの御紹介です。
これまでいろいろな車を借りてこの被災地訪問をしていますが、今回はレンタカーのリストをみていたら偶然見つけこの車を選びました。 -
YARISですが普通のYARISではなく横に「GR」のバッチが付いています。
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フェンダーにも「GR」のバッチ。
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トヨタのYARISは旧Vitzの跡を継ぐ量販コンパクトカーですが、このGRの付いたモデルはトヨタがモータースポーツ用に特別に用意したモデル。
名前こそYARISとと一緒ですが車体そのものから造りが違い、全高は50mm近く低く後ろのドアもありません。
前も後ろもフェンダーが大きく張りだしていて幅も「3」ナンバーサイズ。 -
ルーフはなんと「カーボン」です。
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後ろのタイヤ
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前のタイヤ、
と、こんな車をレンタカーで用意して良いんでしょうか? -
運転席は「普通版」とそんなに変わらないのでしょうか?
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「GR YARIS」の本筋はターボエンジン+4駆のRZモデルなんですが、残念ながらこのレンタカーは基本モデルの「RS」。 エンジンだけは普通の1500が載っていてFFのままです。
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シートは形こそスポーティーですが座ってみると全くヤワでした。
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後席ですが、真ん中にシートベルトはなく4人乗りです。
事情通によれば、このGRヤリスはトヨタが全世界の販売店へ2万台限定でオッファーしたものの、海外の販売店からは割り当ての台数に対して遙かに少ない台数しか注文が来なかったために、急遽日本向け台数を大幅に増やしたとか。
そんな事情が、レンタカーに廻ってきた理由の1つでしょうか? -
ちなみに比較のためにこちらは普通の「YARIS」。
GR版はYARISという名前の手前、同じような雰囲気をだしていますが全く別物とわかります。 -
「普通」版のフロント部分
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気仙沼方向へ南下を始めます。
気仙大橋はすっかり新しくなり、気仙沼方向からの道筋も一部変わっています。
これは気仙大橋のたもとから向こうが陸前高田方向です。 -
気仙中学校横の道は以前の国道45号線。
この部分は気仙大橋から気仙中学横を経ない山側へ道筋が変わりました。 -
新しい国道45号線から気仙中学方面への入り口
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気仙中学校舎跡は気仙川対岸のユースホステル跡や一本松とともに震災遺構として公園化されます。
現在ほぼ完成しているようですが公開には至っていませんでした。 -
気仙川対岸のユースホステル跡と一本松です。
この気仙中学あたりからは気仙川河口の防潮水門を経て歩いていけます。 -
静かな広田湾。
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上の方の三陸道の陸前高田までの道中で、
「この霧立トンネルは長らく国道45号線のバイパス的に使われてきましたが、本来の三陸道用トンネルとして供用されています」と書きましたが、霧立トンネルが本来の三陸道に組み入れられてしまったため、下道の国道45号線は霧立トンネルを通らない昔のルートに戻ってしまい、以前よりも大きく唐桑半島側に迂回することになります。
もちろん三陸道は現在無料ですから霧立トンネルの前後のICで三陸道へ入ればよいのですが、そうすると鹿折地区に入らずに気仙沼市街へ誘導されてしまいます。 -
気仙沼、鹿折地区。
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この辺りは集合住宅が多く建てられました。
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そして昨年同様に再び大島を訪れます。
大島は、朝の連続ドラマ「お帰りモネ」の舞台として登場します。 ドラマでは「亀島」と設定されていますが、なぜ実在のまま「大島」ではまずいのでしょうか? -
浦が浜の大島ウエルカムセンター
昨年訪れた際はここまででしたが、その時に大いに気になっていた山の上の展望台へ上がってみます。 -
2km弱の距離ですが恰好の山道ですので「GR」YARISの性能を試してみましょう。
本筋の「GR RARIS RZ」はターボエンジンとともにマニュアルミッション使用しか在りませんが、この1500cc版のなんちゃってGR YARISはオートマミッションしかありません。 しかし本来無段CVTを擬似的に10段マニュアルシフトが可能なようになっていて、エンジンモードをPWR(パワー)、ミッションをマニュアルにすると結構おもしろい走りをします。
発進時はCVTとは別に新たに設けられた発信用ギアが有効でなかなかの加速を披露しますし。 -
亀山の中腹に設けられた有料駐車場。
誰も居ません。 -
頂上のレストハウス手前で「一般車立ち入り禁止」
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その手前に10台くらいおけるスペースがあります。
週末などでなければ中腹の駐車場を使わずともこれで充分なのでしょう。 -
この大島の頂は「亀山」。
朝ドラの設定は大島と亀山を足して2で割ったような設定ですね。 -
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頂上少し下の亀山レストハウス。
震災時、大島は海面に浮いた重油による火災に見舞われ北部山林の大部分が消失。
このレストハウス付近も火が迫ったようです。
私は昔の大島は知りませんが、浦が浜のフェリー乗り場(先ほどのウエルカムセンター辺り)とこのレストハウス下を結ぶリフトがあったそうで、残念ながら施設が火災で焼失し廃止されたようです。 レストハウス横の大漁旗の下に階段がありリフト乗り場へつながっているようです。
気仙沼や周辺の人達にとって大島へのフェリーとリフトに乗って亀山へ登るハイキングはポピュラーな思い出だそうです。
先日の朝ドラでは、この場所を使ってモネ達が演奏会をやっている場面がありました。 -
【資料より】
以前のリフトはこんな風だったようです。 -
【資料より】
今は撤去されてしまいましたが、焼けただれたリフト設備の様子からは、こんな山の頂上付近まで火災が達していたことが解ります。 -
【資料より】
津波とその跡の火災で破壊されてしまったリフトの様子 -
レストハウスから頂上に向かって更に小径を進みます。
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唐桑半島側
言われてみれば大きな木が無いのは火災の影響でしょうか?
朝ドラのモネも震災2日後に帰島するときに気仙沼市内側から煙の出ている大島(亀山)を見て呆然としていましたね。 -
更に小径を上ります。
道ばたに野生の藤と山つつじ。 -
気仙沼湾をみます
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頂上です。
標高235m。 -
頂上には更にウッドデッキの展望台が設けられています。
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気仙沼市街地方向。
チョット霞んでいますが、手前が気仙沼大島大橋、向こう側が三陸道の気仙沼湾横断橋。 -
頂上近くには愛宕神社の看板が。
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道標に沿って少し下ると愛宕神社の祠がありました。
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レストハウスまで戻ってきました。
中腹の駐車場とはシャトルバスのサービスもあるようですね。
次は気仙沼市内へ向かいます。
その-2に続きます
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