2021/05/18 - 2021/05/18
7位(同エリア346件中)
Kちゃんさん
東北大震災の被災地を訪れ定点観測的に復興具合を記録していく旅。 今年は震災から丸10年の節目です。 大きな津波の被害にあわれた陸前高田や南三陸志津川、もちろんその他の地域も10年の間に新しい街造りが始まり、大方の姿が現れています。 一時は「復興」が観光地化し復興商店街に多くの人が訪れる景色もありましたが、だいぶ落ち着いてきた替わりに、本来の住民の方の生活復興が進んでいます。 また後世にこの災害を語り継ぐための施設も「遺構」として整備されてきましたが、いずれも綺麗過ぎて災害が実感として本当に伝えられるのか? とも考えてしまいます。 私自身、勝手に被災地を訪れさせて頂き様子を拝見していますが、震災直後~2年目くらいまでのまだ片づき切っていない様子と、その後更地となってダンプカーが走り回っていた時期、その後の嵩上げ地区での生活復興などの様子は綺麗に整備された復興祈念公園だけを観ても簡単には想像出来ないものと思います。
10年目の今回も陸前高田、気仙沼、志津川、を中心に訪れこの10年間の変化を記録すると共に、昨年訪れた際に行きそびれた大島の亀山と気仙沼の向陽高校後に出来ている伝承館も訪れてみました。
ここ何年かは仙台でレンタカーを借り、陸前高田あたりまで往復するルートですが、今回は全線開通した三陸自動車道を「何か違う」トヨタヤリスで訪れました。 その2として気仙沼大島を訪れた後、気仙沼市内の様子と震災伝承館、また南三陸志津川の様子も加えます。
前偏の その-1はこちら
https://4travel.jp/travelogue/11695210 です
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
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気仙沼大島から気仙沼へ戻ります。
浦が浜付近の道は海岸線から一段高い場所へ切り通しの道が完成していました。 -
再び気仙沼大島大橋を渡ります。
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港の風景はいつも変わりません
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あの岡の上の教会も近くでみるとこんなです。
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魚町、岸壁沿いの道もすっかり完成しました。
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男山酒造さんもこんなに復元。
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【2011年】6月
これは震災直後の様子
岸壁にあった森進一の「港町ブルース」の歌碑と崩れてしまった男山酒造さん社屋。
この歌碑はどうなってしまったのだろう? -
以前の大島航路フェリー乗り場。
朝ドラ「お帰りモネ」で久しぶりに亀島(大島)へ里帰りするモネがフェリーに乗るシーンがありましたが、ここで撮影したのでしょう。
(大島汽船は気仙沼大島大橋の完成によって大島航路の運行は止めましたが、フェリー船自体は今も所有しているようです) -
【2013年】
訪れたときの同じ場所。
まだ大島航路のフェリー乗り場として機能していました。 -
以前のフェリー乗り場施設(エースポート)の跡は「地域に根ざした食材を提供する」をコンセプトとした地中海料理 NINE-ONE がオープンしています。
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南町辺りの古い通り、だいぶ新しい建物が増えました。
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旭寿司さんも立派に再建
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八日町の交差点近くになると震災当時の建物がそのまま残っています。
先日の「お帰りモネ」ではお父さんがこの辺りの楽器屋に入る設定でしたね。 -
このあたりも被災した建物を修復して使ってらっしゃいますね。
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【2012年】
の同じ地区。
多分、この道路の向こう側から撮影しています。 -
魚市場方向の岸壁には季節柄カツオ漁船がビッシリと並んでいます
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【2011年】6月
震災直後にはまだ焼けこげた多数のカツオ漁船が係留されたままでした。 -
気仙沼魚市場は観光バスでにぎわっています。
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市場の観光施設では魚介類の販売
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「ほや」です。
1個¥259が高いのか安いのか?、解りませんが。 -
雲丹もこのお値段。
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ホタテ貝も大きさでこそ違いますが、こんなお値段です。
昨年、北海道を旅したときに積丹半島の道の駅で売っていたホタテはもっとお安かったように思えますが。 -
海鮮丼などのお店が並びます。
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こちらは「うに丼」
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マグロ丼
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で、ここにお邪魔してみました
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回転寿司なんですが、ホテル観洋などを経営する、というよりも三陸地区の水産/海鮮加工関係事業を大規模に展開する「阿部長」さんの経営です。
ですからネタも安心かと・・ -
回転寿司形態なんで注文はタッチパネルだったりするんですが、道中で気軽にパッと美味しいものを頂くにはこれも良いかと。
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折角のお寿司なんでノンアルですがビールも。
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程なくして、ピンポン-ン「御注文のお品が・・」
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テーブル横のレーンにやってきました。
ここで停まるかと思ったら停まる様子もないので慌てて取ります。 -
お昼なんでそんなに食べられません。
地魚風のものを幾つか注文します。
「金華サバ」です。 -
輝くような鯵
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白トリ貝
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ヤリイカ
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そして最後に「フカヒレ」でした。
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食後、また下道の国道45号を南下します。
南気仙沼あたり、雨が降ってきてしまいました。 -
今回は新たにここへ立ち寄ってみます。
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いわゆる気仙沼市街中心部からはだいぶ南に位置しますが、岩井崎手前にあって津波の被害にあった向陽高校校舎跡が気仙沼市の震災遺構/伝承館として公開されています。
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有料、¥600です。
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入場すると、なかば強制的に震災時のビデオを見せられて、
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その後に被災した校舎を見て回れます。
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旧校舎廊下に張りだされた展示パネルです
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1階部分ですが、窓の向こう側では同じ公園内に設けられたパークゴルフの歓声が聞こえたり、アンバランス観もありますね。
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そのパークゴルフ場
これはこれで市民憩いのための立派な施設ですね。 -
3階部分まで車が飛び込んでいます。
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【2012年】6月
これはこの場所ではありませんが、同じように津波の被害にあった陸前高田の高田高校の様子。
これは震災後1年経ったころのものですが、伝承のために公開しようという意図の無い頃の「生」の状態ですので更に状況を語る迫力を感じますね。 -
校舎4階の一部がえぐれているのは、津波で近くの工場の煙突が流れてきて当たったとか。
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屋上から、当時の校舎の様子。
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その体育館の丸い屋根はそっくり無くなっています。
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校舎の間に挟まった車両
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一部を除いて小綺麗にかたづけられていますが通路には当時の学校生活の様子が
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災害の伝承はどういう切り口で、どのようなさじ加減で、等の設定がいちばん気を遣われるところと思います。
私も含めて、映像や展示パネルを通して伝えられることを自分なりに感じられても、実際にその場に居て被災された方達からみれば「何が解るんだ」ということでしかないのかもしれません。
いずれにせよ、この伝承館は来場者に「これを覧ろ、次はこれだ」と強く誘導したがる傾向を感じました。 -
国道45号にもどります。
こちらが移設された新しい向陽高校 -
このまま下道を志津川へ向かいますが、道路の整備もだいぶすすんでいます。
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以前は海岸線にあった道も多くの区間で嵩上げされた位置に移されています。
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三陸道の開通で下道の交通量は減ったのか、全く快調なドライブです。
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歌津辺りもやっと道が直りました。
これまではマイクロバスの移動郵便車でしたが郵便局建屋も新たに出来ていますね。 -
志津川へ下っていく手前に「南三陸町障害学習センター」
こういう施設はともかくも、住民の住宅地は以前の志津川地区からこのあたりの高台に移っているようです。 -
定点観測的にはどうしても足の向いてしまう「山の上公園」。
首位が嵩上げされてすっかり「山の上」では無くなってしまいました。
嵩上げ工事の期間は草某々で荒れていたようですが再びすっかり整備されました。 -
志津川保育園の跡
高台地区へ移転のあと、どうなるのかと思っていましたが、さんさん市場の臨時駐車場として使っているようです。 -
【2013年】6月
まだ嵩上げ工事の進む前、この上の山公園からみた市街地方向。
前年からは被災建物の撤去が進み、高野会館と防災庁舎跡くらいしか残っていない。 -
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志津川漁港です
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【2012年】6月
少しアングルが異なりますが同じ場所です。
向こうに見えるのが八幡川河口の防潮水門 -
【2012年】6月
その漁港付近から市街地方向。
中央部に小さく防災庁舎、左側はまだ取り壊される前の志津川病院、そして左端に高野会館。 -
資料より
八幡川と防潮水門、当時の漁港の様子がわかります。
河口から3つめと4つめの橋の中間当たりに防災庁舎はあったのでしょうか? -
資料より
当時の市街の様子。 -
資料より
震災後は鉄骨むき出しの姿しか見られませんが、防災庁舎はこんな姿だったようです。 -
八幡川の両岸は嵩上げ工事と防潮堤防の工事が進み現在はこの風景です。
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高野会館
地震発生時にちょうど老人会の発表会であったそうですが、従業員が津波を察して帰さずに会館内に留まらせたことにより300人以上の犠牲を防いだこの建物もオーナー(阿部長商店/観洋グループ)の民間遺構として整備が進んでいます。 -
資料より
だいぶ以前の風景のようですが八幡川に浮かぶ小舟です。 -
さんさん市場ですが、午後もだいぶ遅い時間のためか全く人影はありません。
休日の人手は解りませんが大々的にお客を呼べる状況ではないかもしれません。 -
復興街造りパノラマ
以前の低い土地にあった市街地は使わずに西、中央、東、それぞれの高台に街の機能と住宅を移す様子がわかります。 -
さんさん市場から対岸の復興祈念公園へ橋が架かりました
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橋からの八幡川の眺め
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対岸は復興祈念公園として整備されています
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防災庁舎跡
以前は八幡川の岸付近にありましたので、ほぼ庁舎の高さ分だけ八幡川の堤防は嵩上げされています。 -
曲がってしまった鉄骨はそのままですが、赤く塗られた本体と白く塗られた外階段は、この悲惨さを語るには綺麗すぎて遺構としては物足りなさも感じてしまいます。
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防災庁舎跡は、震災後に残すか残さないの意見が大きく割れ、一時は取り壊しと決まったものが2031年まで保存と県で決めたと聞いています。
この取り決めがどうなったか解りませんが、この公園にこうやって防災庁舎跡を整備したからには10年で取り壊すようには思えませんが。 -
被災された方の名簿が収められたモニュメント。
津波の押し寄せた海に向かっているが海側が反立っているのは津波を表現したと考えるのは思いすぎでしょうか? -
復興祈念公園の小山「祈りの丘」から高野会館と観洋ホテル
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祈りの丘、北側には気仙沼線志津川駅の跡が残っています。
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駅舎からホームに向かう地下通路跡
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上り線ホームあたり。
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資料より
昔の志津川駅はこんなだったようです。 -
資料より
ホームの様子
駅舎から続く屋根の下にホームへの地下通路が在ったものと思われます。 -
資料より
同じくホームの様子、ローカル線であっても地元の方には無くてはならない生活路線だったのではと思います。 -
駅横には復興祈念公園を訪れる人向けの避難路表示が
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祈念公園に戻ります
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桜の木の植樹がされていますね。
全体的に完成したばかりで、芝生も樹木も地に着いていませんが時間が経てば綺麗な公園となるでしょう。
ただ、綺麗すぎてしまうと震災の悲惨さを本当に伝えていくことが薄れかねない気もします -
また橋を渡りさんさん市場に停めた車にもどります。
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ここまで221km走行
燃費計の表示は16.5km/Lを示しています。 -
三陸道に乗らず、暫く下道を仙台方向へもどります。
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三陸道が出来たことで下道は本当に快適です。
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それでも桃生津山ICから三陸道に戻ります。
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この車はオートマ(CVT)ですが、この日はほとんどマニュアルモードで走り回りました。 走行モードもノーマル/CVTでは2000rpm前でどんどんシフトアップしてしまいますが、パワーモードとマニュアルモードを組み合わせると結構活発に走れます。 擬似的10段変速とはいっても、このような100km程度の走行では「10速」を選ぶとほぼ2000rpm程度まで落ちてしまい加速が鈍いのでもっぱら「7速」~「8速」程度を選択しますが、その時のエンジンは2500rpm~3000rpm弱で、このようにトラックに邪魔されたあとの加速も素早く行えましたね。
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仙台港ICで降り、国道45号沿いのガソリンスタンドで給油します。
満タンで20.11km。 -
304.4km走っていますので、この日の燃費は15.13km/L。
1500ccのコンパクト車並のエンジンですが、ほぼ燃費を気にせずに「パワーモード」+「マニュアルモード」でガンガン走った割には良い数字でした。
10年間11回訪れ続けた被災地。 申し訳ないのですが大震災前は気仙沼などは地名として知っていたものの、志津川や陸前高田などは意識の端にも無かったように思います。 こうして訪れながら「あそこはこうなって」「ここはこうだった」と記憶と体験が私の中に在るのも大震災がきっかけですから許して頂けたらと思います。(お帰りモネのシーンを見ながら、ここはあそこだ、今度はここだ、とロケ地が解るのも何度か訪れさせて頂いたお陰です)
津波に破壊された街は10年経ってそれぞれの復興の姿を見せ始めています。 元通りになることは絶対にあり得ないなかで皆さん頑張って来られたものと思います。 10年は一区切りですが勝手ながらこうやって思いも寄らずに御縁が出来た街々を、また機会を持って訪れさせて頂きます。
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