2020/02/13 - 2020/02/16
333位(同エリア1810件中)
フサコさん
前年に続き2月に10連休をとってロシアへ向かいました。
まさかこの旅の後しばらく海外へ行きづらくなるとは……。
【期間】
2020年2月7日(金)~16日(日)
【日程】
1日目 成田→モスクワ経由→ペテルブルク
2日目 ペテルブルク
3日目 ペテルブルク→寝台列車
4日目 寝台列車→ムルマンスク
5日目 ムルマンスク
6日目 ムルマンスク
7日目 ムルマンスク→寝台列車 ※
8日目 寝台列車→ペテルブルク ※
9日目 ペテルブルク→機内泊 ※
10日目 機内泊→成田 ※
末尾※マークが今回の記事内容です。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 飛行機
- 航空会社
- S7航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
◎7日目 ムルマンスク→寝台列車(2/13木曜)
朝食。
やっぱりブリヌイが好き。
ロシア料理大好き。
帰国後、生ビーツを箱買いして、ボルシチを作りました。それまで缶詰で作っていたけれど、生は全然出来が違ったので、もう缶詰には戻れないかもしれない。
宿の前のスーパーマーケットで食料を購入し、荷物をまとめて、チェックアウト。
相変わらずツルッツルの道に苦戦しながら、なんとか、駅に到着しました。 -
向かって右側の下段が私の席です。
乗車時、女車掌さんは「英語じゃうまく言えないわ」とはにかみながら、ロシア語で15番席へどうぞと伝えてくれました。
最初から笑顔を見せる車掌さんなんで珍しい。だいたい、最初はムスッとしていて、乗車してしばらく経つにつれ気さくに笑ってくれることが多い気がします。
同室は、向かいの下段の女性のみ。おそらくロシア人のお姉さん。 -
10:10 定刻発車。
さようならムルマンスク。また来たいですムルマンスク。
お姉さん、ずっと具合悪そうに咳き込んでいて、最初の挨拶以外に会話らしい会話はありませんでした。 -
湖。凍っていない……なんて暖冬だ……。
-
時刻表。
ムルマンスク発なので左側を確認します。到着時間、停車時間、出発時間、駅名が書かれています。 -
外は雪景色。
-
15:00 昼寝していたら、物音で、同室のお姉さんが下車していくのに気づきました。
室内にひとりきり。
そして車両内はガラガラ。
当時の情勢的に、もしかして私がアジア人だから避けられているのか……?と不安になりました。 -
17:00 食堂車で夕食。
食堂車まで行く途中、他の車両もガラガラで、私(の乗っている車両)が隔離されているわけではなさそうだと安心しました。
食堂車は8割程度埋まっていました。
ボルシチ、黒パン、緑茶を注文。写真を撮るのを忘れたみたいです。480ルーブル/約960円。
ボルシチ美味しかったです。 -
食堂車の入り口には、営業時間が書いてあります。
-
コロナウイルスの注意喚起。
-
喫煙したら1,500ルーブル/約3,000円!
部屋に戻って少しすると、小さな駅で、向かいの上段席へロシア人のおじいさんが乗って来ました。
入ってきたときにタバコの臭いがしたけれど、すぐに気にならなくなりました。換気システムが効いているのだと思います。寝台車の空調は完璧で暑いくらいです。
持ち込んだ炭酸水のペットボトルを開けたら、揺れのせいかプシュー!と少し噴き出たけれど、乾燥していたのですぐ乾いてよかったです。
おじいさんはすぐ寝てしまい、私もちょっとだけ読書をして就寝。
心地好い揺れに爆睡。 -
◎8日目 寝台列車→ペテルブルク(2/14金曜)
6:30 起床。
大の字で眠っていたところ、誰かの話し声で目が覚めました。
いつの間にか向かい上段のおじいさんは下車したのかいなくなっており(寝具も片付けられていた)、真上と向かい下段におじさま(おそらくどちらもロシア人)が乗ってきていました。おはようと挨拶をしました。豪快に寝ている姿を見られてしまいました。
上段のおじいさんに「何時?」と聞かれたので、テーブルで充電完了していたおじいさんのスマホを渡しました。
気を取り直して、昨日スーパーマーケットで買っておいた朝食を。
お湯を入れたら膨らむポテトが美味しいです。 -
10:09 サンクトペテルブルクに定刻到着。
最終的に同室だったおじさまたちが、とても紳士的で素敵でした。
到着30分くらい前にそろって廊下に出ていったと思ったら、しばらくして、ノック3回。私に着替えの時間をくれたのでした。女性が身だしなみを整える間は外に出るという、寝台列車の暗黙のルール。大変ありがたく、今回は特にスマートでした。ありがとうございました。
下車の際、「ばいばい!」と言い合って別れました。素敵。 -
バスに乗って、本日の宿『ブティック ホテル ゴールデン トライアングル』へ。ネフスキー大通りから入ってすぐの好立地です。
シャワーを浴びたりしていたら12時になったので、昼食へ出かけました。 -
昼食は、近くにあった『ダーチニキ』。
ボルシチ、イクラのブリヌイ、紅茶。900ルーブル/約1,800円。
いや、もっといろいろな料理を食べたらいいのにと自分でも思うのですが、メニューを見てるうちに自然とボルシチ&ブリヌイを注文してしまって。食べ比べだと思って。 -
ダーチニキの入口。入ったらすぐ地下に降りる階段でした。
-
ネフスキー大通りを渡って、カザン大聖堂へ。
やはり好き。
以前訪れたときより中の雰囲気が柔らかくなった?ように思いました。米国人と思わしきグループが写真をたくさん撮っていました(本当はダメ)。 -
美しい~。好き。
-
メトロに乗って、ドストエフスキー博物館へ。
以前、来てみたら改装工事中で入れなかったので、リベンジです。
ロシアでは営業中かどうか分からないところが多いですが、扉が開いたらたいてい営業中です。窓にシャッターが降りていても営業中の場合があります。でもやっぱり閉まっていることもあります。
館内では、軍人学校? 警察学校? の生徒と思わしき制服軍団がいて、学芸員さんからの説明を受けて回ってました。 -
2箇所あった売店の片方。
自分用のマグネット(550ルーブル/約1,100円)と、お土産用のTシャツ(600ルーブル/約1,200円)を購入。
Tシャツだけなぜかクレジットカード決済NGでした。売店にはSサイズしかなく、店員のおばあさんには「あなたならSでいいでしょ!」と言われたけれど、お土産なのでと伝えたら割とすんなり他サイズの在庫を取りに行ってくれました。親切なタイプの店員さんでした。 -
またメトロに乗って、サンクトペテルブルクに来たら恒例の、あの場所へ。
-
見えた。
-
3度目のエルミタージュ美術館!
今回は事前予約をして行かなかったので、外の券売機でチケットを購入しました。並ばず使えました。クレジットカード決済OKです。 -
コートをクロークに預けます。クロークのおばさまは安心のロシア対応(嫌われているのでは!?と思ってはいけない)でした。
-
入場してすぐの階段。空いていました。
-
何回来ても美しい。
写真の通り、ほとんとアジア人がいませんでした。
この旅行期間は、中国人観光客の受け入れがロシアではすでに止められていて、有名な観光名所には今まで必ずいた中国人団体がゼロだからです。
エルミタージュ美術館ですら、アジア人は韓国っぽいアベック1組しか見かけませんでした。 -
窓から見える川は凍っていました。
-
剣。
-
蛇。
-
一押しの書斎。
-
すべて金色。
-
すべて金色のこの部屋、やはり印象的です。
-
肖像画がびっしり。
-
誰が誰だか……。
-
だ、誰が誰だか……。
-
股間は巧妙に隠されています。
-
たくさんある階段。と、韓国人アベック。
-
階段を昇り降りするだけでも楽しいです。
-
見る人が見ればきっと楽しいだろうテーブル。
-
お子様用甲冑。
-
馬も甲冑。
-
歩くだけでも一周しようとしたら大変なエルミタージュ美術館。
気になった作品だけ観ていても、時間はどんどん過ぎていきます。 -
一押しの廊下。
-
また階段。
-
動く姿は見れませんでした。
-
柱の上にいる仲良し2人組が気になった部屋。
-
売店にはこういう商品もありました。
-
17:30 いったん宿に戻って観劇の準備。赤いところが入口です。
-
劇場近くのカフェで開場待ち。
チョコレートケーキ、美味しかったです。ロシアのケーキは「甘さこそ正義!」で、裏切りがなく、とても安心します。
食後、明日の飛行機のオンラインチェックを済ませました。 -
18:45 ミハイロフスキー劇場に到着。
-
19:00 開演。演目はシンデレラでした。
向かいに、マスクをした祖母&孫(だと思われる)が。
ロシアでマスクをする人を、この時初めて見ました。
日本で購入しておいた席は「First Circle / Box 3 / Seat 3」。2,500ルーブル/約5,000円。
隣の席の老夫婦は気さくで、休憩時間や終演後に「私前に乗り出しすぎかしら?」や「素敵だったわね」と話しかけてくれました。ロシア語があまりできず申し訳なく、残念でした。ロシア語をちゃんと学びたいと思いました。
帰りにクロークでコートを受け取るとき、列に並ばずに受け取れる人がいて、もしかしたらオペラグラスを借りた人? 高確率で違うかもしれないです。ルールが分からなかったです。 -
帰り道、ドム・クニーギ(大きな書店)とスパーマーケットに寄ってから、小腹が空いたのでムルマンスクに続き『シュトーレ』へ。22時過ぎでも営業していました。
テイクアウトした、チーズとベリーのピロシキは美味しかったです。180ルーブル/約360円。
宿の前で白馬の馬車(空)とすれ違い、ロシアでのこの旅最後の夜は過ぎていったのでした。 -
◎9日目 ペテルブルク→機内泊(2/15土曜)
朝食はビュッフェ。近くの席に日本人夫婦がいました。
カーチャも好きです。
日本でも新型コロナウイルスが大きな話題になっていることを、ネットニュースで確認していましたが、この朝食からしばらくロシアで食事ができなくなくなるなんて当時は予想だにしませんでした。 -
部屋から見た景色。
手前は教会。カザン大聖堂のドームが少し見えました。 -
宿をチェックアウトして、カザン大聖堂を通り過ぎて、メトロの駅へ。
-
メトロ(55ルーブル/約110円)から、
バス(50ルーブル/約100円)に乗り継いで、
空港(LED)へ行きました。
空港では、本来のD01ゲートではモニターが故障しており、急遽D02ゲートに変更になった模様で、でも特にアナウンスなどはありませんでした。
周囲の人たちも戸惑っている気配を感じつつ、搭乗の列に並びました。チケット確認のとき、前の人も不安だったのか、CAさんに「ノボシビルスク?」と確認していてOKだったので、安心して乗ることができました。 -
昼食が配られるまで1時間くらい爆睡しました。
離陸体勢に入るとすごく眠たくなるのは何故? 命の危険を感じている?
夕食はプロフ。好き。
偶然、サンクトペテルブルクのスーパーマーケットで、プロフのもと(粉)を自分用お土産に購入していました。
機内は空いていて、半分も埋まっていませんでした。
私の隣も空席でした。
おかげで食後もゆったりよく眠りました。 -
夕暮れ。
時折、シベリアの街の灯りが見えました。 -
夕食も炭水化物祭り。
実は、ノボシビルスクでのトランジットが、この旅最大の懸念点でした。
【帰路のスケジュール】
LED 13:25発(サンクトペテルブルク時間)
OVB 21:50着 → 22:50発(ノボシビルスク時間)
NRT 7:50着(日本時間)
トランジットが1時間しかない!
同じ航空会社なので大丈夫だろうというインターネット情報を信じて予約したものの、もし乗り遅れたら、ノボシビルスクから日本行きの便がそうそうあるはずもなく……。
地味に心配していましたが、S7は無事オンタイムで進行してくれました。
ノボシビルスクでは、空港建物までの移動がバスで若干焦りましたが、建物に着いた途端に「Tokyo! Narita!」と大声で呼ぶお姉さんが待っていてくれて、同じく成田行きの人たちと早足で移動しました。
無事成田行きに搭乗できた瞬間、この旅の試練はすべて終わったのでした。 -
◎10日目 機内泊→成田(2/16日曜)
朝食代わりのお菓子。(夜食もあったけれど撮り忘れました。)
時間通り成田に到着し、機内で配られた税関カードを使って、機内持ち込み荷物しかない私はすぐに帰路につけました。液体のお土産を買えなかったり不便はありますが、バックパックひとつでの旅はやはり快適です。
このときはまだ、日本人は空港ですぐに入国できました。でも、すでにマスク必須の雰囲気でした。
今回のロシア旅も楽しかった!
一日も早く、また気軽に旅行できる世の中になりますように。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
サンクトペテルブルク(ロシア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 真冬のアルクチカ号一人旅
0
60