2021/03/18 - 2021/03/19
292位(同エリア3571件中)
orangeさん
- orangeさんTOP
- 旅行記241冊
- クチコミ214件
- Q&A回答4件
- 312,292アクセス
- フォロワー115人
この旅行記のスケジュール
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
昨夜、グラン京都ホテルで大徳寺に予約を入れてもらっているので意気揚々と地下鉄烏丸線で北大路駅まで出かけました。うららかな日和でした。
昨日、京都御苑を訪問した時に降車した今出川駅を通過して北大路烏丸駅まで乗りました。
バスセンターの大徳寺前行バスが来てあっという間にお寺に到着しました。
大徳寺は信長の菩提寺でしられ巨大な寺苑に勅使門, 山門,本堂,法堂の大伽藍が建ち並び20余の塔頭が散在する臨済宗の大寺院です。
そんな中で「聚光院」は境内のほぼ中央部に位置します。受付でコロナ対応の手続きを済ませ,方丈の優雅で力強く品格がある狩野松栄・永徳親子画・国宝「花鳥図」等の障壁画をしっかりと脳裏に刻んで鑑賞しました。
利休の石庭・名勝「百積の庭」にも禅の静けさ精神性を感じました。
園内を巡りながら信長を弔った秀吉のこと、利休との軋轢等が頭をよぎりました。大徳寺全体はとても一日では拝観し切れません。
アンテナを張って特別公開日があれば訪問し塔頭の「総見院」や華麗な聚楽第遺構の「唐門」「法堂」の雲竜天井画や庭園を拝観したいものと切に思いました。
l
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス JR特急 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
烏丸バスセンターから北大路を走るバス通りに面した南の門を入ります。
-
広大な境内の中の実際に巡ったあたりに絞った配置図です。
「大徳寺境内 」- 平成28年9月8日指定の国指定史跡
南門から入って「勅使門で左折し「瑞峰院」まで曲折し勅使門の手前の中央通りを北進しつつ三門-仏殿-法堂-社務本所へ。
(残念ながら本坊大方丈、唐門は通常非公開なので入れません)
辻向かいの聚光院が拝観予約した塔頭です。 -
とっかかりは通路の左手「黄梅院」
織田信長が父織田信秀の菩提を弔うため建立。蒲生氏郷の墓がある。明治11年昌林庵と合併。後にもっと大規模な伽藍を建て(自身の地位を固めるためにも)大伽藍を建てました。大徳寺 寺・神社・教会
-
門内を窺うと...
-
「龍源院」が続きます
大徳寺の塔頭の中で一番古く、仏恵大円国師を開祖として能登の畠山義元・周防の大内義興・豊後の大友義親が創建。龍吟庭・東滴壷・阿吽の石庭などの庭が知られます。方丈前の石庭は昭和末期に細合喝堂和尚の監修の元造られました。龍源院 寺・神社・教会
-
枯山水のお庭を見せていただきましょうか・・・
-
少し気後れしてここまでどまり
-
余りに静かで入りにくい感じ
-
右側には「徳禅寺」
元は徹翁義亨が船岡山の東に創建した独立した一禅寺。しかし、応仁の乱で焼失し、徹翁を尊敬していた一休が現在の場所に移して再興。明治の初めには無住の寺になっていたので、農業試験場になったり、悪疫が流行したときには、臨時の隔離病棟になったこともあったとか。 -
突き当りに現れたのは…
「勅使門」(重要文化財)
慶長年間(1596年 - 1614年)建築の御所の門を下賜され、寛永17年(1640年)に移築されたもの。大徳寺 寺・神社・教会
-
禅宗らしくカラフルではありません
因みに「大徳寺」の重要文化財で建造物は
勅使門の他に
仏殿(附 明月橋、棟札8枚)
法堂(附 廊下、棟札7枚、旧裏板2枚、旧土居葺板3枚)
山門(附 棟札2枚、旧土居葺板4枚、鬼瓦4箇)
浴室(附 銘札1枚)
経蔵
廊下(方丈玄関 - 寝堂間)
寝堂(附 棟札2枚)
庫裏(附 廊下、棟札1枚)
侍真寮
鐘楼(附 棟札2枚) だそうです。 -
「龍源院」
枯山水石庭が見られるようです。 -
左折します
-
千体地蔵塚
-
ちょっとお邪魔しました。
古くより戦乱、政変などの紆余曲折を経ながら貴賤を問わず広く受け入れ熱く帰依されていた証左。 -
此処は「興臨院」
-
「瑞鳳院」に来ました。此処も公開中です
-
天文年間(1532 - 55年)に九州のキリシタン大名として知られる大友宗麟が帰依した大満国師・徹岫宗九(てっしゅう そうきゅう)を開山に迎え、自らの菩提寺として創建。
瑞峯院 寺・神社・教会
-
切支丹大名・大友宗麟が創建
創建年については、天文2年(1533年)、同4年、同12年、同15年など諸説あり。瑞峯院という寺号は宗麟の法名「瑞峯院殿瑞峯宗麟居士」から名付けられたもの。 -
今年は「十字架の庭と利休の待庵写しの茶室」が見られるようです。
2021年は利休没後430年。
大徳寺は禅、茶の湯文化と深いかかわりがあるのですね。 -
曲がり曲がって来た道を戻り「勅使門」の手前で左折し
「勅使門」から「本坊」へと一直線に続く大伽藍を見上げて歩を進めます。
「金毛閣」と大書した扁額が掲げてありました大徳寺 寺・神社・教会
-
山門(三門) (重要文化財)
二層の山門。連歌師・宗長の寄進で享禄2年(1529年)にまず下層のみが竣工し、天正17年(1589年)、千利休が上層を完成させて「金毛閣」と名づけられました。利休の恩に報いるために寺は上層に雪駄を履いた利休の木像を安置しましたが、このため門を通る者は利休の足下をくぐることになり、これが豊臣秀吉の怒りを買って利休切腹の一因となったと伝わります。 -
更に本坊の方へと直進します。
-
通の右方には一直線に 本堂「仏殿」「法堂」と続きます。
本尊は釈迦如来。開基(創立者)は大燈国師宗峰妙超で、正中2年(1325年)に正式に創立されています。
仏殿 (重要文化財)
寛文5年(1665年)、京の豪商・那波常有(なわ じょうゆう)の寄進で建てられました。
「法堂 」(重要文化財)
寛永13年(1636年)、小田原城主稲葉正勝の遺志により、子の正則が建立しました。天井に描かれている「雲龍図」は昨年公開されたと聞く狩野探幽35歳の作。 -
その北に「本部事務所」「本坊」が並んでいます。
本坊の 庫裡、方丈が公開されたら絢爛たる「唐門」を見たいものです
大徳寺本坊は非公開(例年10月第二日曜に方丈にて書画等を公開する曝涼展が行われる)。どこかの写真で見た記憶がありますが「日光東照宮」を思わせる華麗な門。ダメと言われるとなおさら見たいもの。詩食べてみると・・・
(唐門は近世初頭の四脚門。切妻造、檜皮葺。前後軒唐破風付のいわゆる向唐門。本願寺と豊国神社の唐門とともに「桃山の三唐門」。仏殿や法堂などの中心伽藍の北に位置し、方丈南の土塀に接続する)
「国宝 唐門」 - 1952年3月指定。
方丈及び玄関 2棟(附 玄関棟札2枚) - 1956年6月指定。
絹本墨画淡彩観音図・猿鶴図 - 1951年6月指定
絹本著色大燈国師像 - 1953年3月指定
虚堂智愚墨蹟(きどうちぐ ぼくせき)- 1952年3月指定
後醍醐天皇宸翰御置文 元弘三年八月廿四日 - 1951年6月指定大徳寺 寺・神社・教会
-
先方の辻の角に拝観を予約しておいた「聚光院」を見つけました。
-
この左隣が「総見院」
昨年特別公開だったそうですよ。 -
何とか予約時間に間に合いました。(運が良ければ当日券も可能)
-
本堂(方丈)
茶室(閑隠席、枡床の席、水屋、六畳2室からなる)
絹本著色三好長慶像 -
期待が高まります。
方丈障壁画 38面(附8面) - 狩野永徳とその父狩野松栄の作。聚光院創建時の永禄9年(1566年)の作。
花鳥図 16面 - 「室中」の間の障壁画。狩野永徳の作。松・竹・梅に生命力にあふれるオシドリ・セキレイ・丹頂鶴などを組み合わせた花鳥図。
琴棋書画図(きんきしょがず)8面 - 「檀那の間」(上の間)の障壁画。狩野永徳の作。中国の士大夫(科挙出身の高級官僚)に必須とされた琴、棋(囲碁・将棋)、書、画に耽る姿を絵画化したもの。室中の間の「花鳥図」が行体で自由奔放に描かれているのに対し、この図は楷体で謹厳な筆致が特色。
瀟湘八景図(しょうしょうはっけいず)8面 - 「礼の間」(下の間)の障壁画。古来より景勝の地として文人墨客がしばしば訪れた瀟水と湘水の合流する洞庭湖周辺の8つの風景を描いたもので、永徳の父・狩野松栄により描かれたもの。
竹虎遊猿図 6面 - 檀那の間の北側(裏)の「衣鉢の間」の障壁画。狩野松栄作。
蓮鷺藻魚図(れんろそうぎょず)8面(附指定) - 仏間の仏壇下小襖の絵。 -
あちらが入り口 です。
本堂(方丈)
茶室(閑隠席、枡床の席、水屋、六畳2室からなる)
絹本著色三好長慶像 はいかに? -
受付でiPadを見せて予約を確認、チケットを購入 ¥700
リーフレットなし、室内撮影ダメというでチケットの絵だけが頼りです。 -
永徳の下絵をもとに利休が策定したと伝わる名勝「百積の庭」
この庭を背にして縁に座し名勝の庭、茶席、襖絵などについて数名ごとに解説を拝聴しました。 -
花鳥図 16面 - 「室中」の間の障壁画。狩野永徳の作。松・竹・梅にオシドリ・セキレイ・丹頂鶴など組生命力にあふれる組み合わせの花鳥図。
琴棋書画図(きんきしょがず)8面 - 「檀那の間」(上の間)の障壁画。狩野永徳の作。中国の士大夫(科挙出身の高級官僚)に必須とされた琴、棋(囲碁・将棋)、書、画に耽る姿を絵画化したもの。室中の間の「花鳥図」が行体で自由奔放に描かれているのに対し、この図は楷体で謹厳な筆致が特色である。
瀟湘八景図(しょうしょうはっけいず)8面 - 「礼の間」(下の間)の障壁画。古来より景勝の地として文人墨客がしばしば訪れた瀟水と湘水の合流する洞庭湖周辺の8つの風景を描いたもので、永徳の父・狩野松栄により描かれたもの。
竹虎遊猿図 6面 - 檀那の間の北側(裏)の「衣鉢の間」の障壁画。狩野松栄作。
蓮鷺藻魚図(れんろそうぎょず)8面(附指定) - 仏間の仏壇下小襖の絵。大徳寺 寺・神社・教会
-
聚光院と茶道三千家の関わりを最も如実に伝えるのが、「閑隠席」「枡床席」の二つのお茶室です。特に閑隠席は千利休150回忌の際に、表千家7代如心斎の寄進によって建てられたもので、ここで朝茶が開かれたことが記録にも残っています。
利休の精神を汲み、明かりが極度に制限され、簡素で緊張感のある設えが施されています。大徳寺 寺・神社・教会
-
見終わって門へと歩む途中、たった一輪椿が咲き残っていました
「総見院」に伝わる侘助だったら嬉しいけど。 -
門外を出るときに気になる立て札が目に入りました。
-
僧侶の方々が並んで通っていかれました。両手を合わせてお迎えすると
丁寧に合掌して下さいました。不思議な感動で暫くお見送りしました。
僧衣が水色ですね。 -
もっと奥にも塔頭があるようですが今日はここらへんで打ち切りといたしましょう
-
入ってきた門が先の方に小さく見えます、出るときは左手の東の総門から大宮通へ。
-
旧大宮通り東の大通りが見える「総門」
-
地下鉄烏丸線で京都駅に戻ってきました。
京都市営地下鉄 烏丸線 乗り物
-
降りるとすぐに竹田方面へ走り去って行きました。
-
駅中央から地下道を東の方へ歩いて行きます。
-
北口の観光案内所で確認して和食の店を目指しているのです。
京都駅ビル 名所・史跡
-
中央の1階コンコースへ一旦エレベーターで降りて又東の方へ上がるのだそうです。
こんな方へ来た事無いよ。京都駅ビル 東広場 公園・植物園
-
「京都劇場」がありました。映画「マンマミーア」を上映しているようでした
京都劇場 名所・史跡
-
左手に見えるは京都タワー
京都タワー 名所・史跡
-
駅ビル東ゾーンに和食店が数軒ありました
-
どこにしようかな?
-
此処もよさそうだけど・・・そば処「徳兵衛」
-
「がんこ」寿司にきめました
がんこ 京都駅ビル店 グルメ・レストラン
-
案内されてズズーと奥へ進めば奥まった小部屋に案内されて、
先客が数組食事中でした。 -
注文したのは好物の握り寿司御膳
心安らぐ夕食タイムでした。 -
中から改めて見ると玄関ロビーは京都に相応しいムード
-
展望タワーのライトアップまでは身が持たないのでJRのホームへ出て通勤客で混まないうちにと新快速で帰阪しました。
京都駅ビル 名所・史跡
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
今出川・北大路・北野(京都) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
56