2015/12/31 - 2015/12/31
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エンリケさん
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2015~16年の年末年始のベトナム旅行4日目。
この日はベトナム中部の古い街ホイアン(會安)から、ハイヴァン(海雲)峠を越えて、同じく歴史ある古い街フエ(化)へ。
ホイアンよりも早く、1993年にベトナム初の世界遺産の街となったフエは、1802年から1945年まで存続したベトナム最後の王朝、阮朝(グエン朝)の都として栄えた街。
今も残る王宮を中心に、阮朝のかつての栄華を偲びます。
<旅程表>
2015年~2016年
12月28日(月) 成田→マカオ
12月29日(火) マカオ→ダナン→ホイアン
12月30日(水) ホイアン→ミーソン→ホイアン
〇12月31日(木) ホイアン→ダナン→フエ
1月 1日(金) フエ→
1月 2日(土) →ハノイ→ハロン湾→ハノイ
1月 3日(日) ハノイ→
1月 4日(月) →マカオ→成田
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- マカオ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
12月31日(木)
2015年の大晦日、この日はベトナム中部の古い街ホイアンを発ち、バスでハイヴァン峠を越えて、かつての阮朝(1802-1945年)の都、フエに移動する計画。
7時30分、宿泊したダイロンホテルをチェックアウトし、まずは腹ごしらえをと、開いている店を探します。ダイロン ホテル ホテル
-
見つけたのは“Bich cafe”というお店。
メニューを見ると、ホイアン名物の“ホワイト・ローズ”があったので、早速注文。
米麺でできた皮がバラの花状に見えることからこの名が付けられたもので、具はエビで美味しく、タレも酸っぱくて美味。
手間ひまかけてこさえているわりには40,000ドン(約220円)と安く、ベトナム人の食へのこだわりを感じさせます。
ミルク入りのベトナムコーヒー(15,000ドン=約83円)とあわせ、たいへん美味しくいただけました。
【Tripadviser~Bich cafe】
https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g298082-d8571602-Reviews-Bich_cafe-Hoi_An_Quang_Nam_Province.html -
8時30分、シン・ツーリストオフィス前に集合し、日本を発つ前にHPから予約しておいたツアーバスに乗って、フエを目指します。
ちなみにお値段は、2週間前の予約で129,000ドン(約710円、別に決済手数料10,573ドン=約58円)。
2週間より前にHPを見た時は89,000ドン(約490円)だったので、予定が決まったら早めに予約をした方がオトクなようです。
【シン・ツーリストHP】
https://www.thesinhtourist.vn/ -
シン・ツーリストのツアーバスの車内はこんな感じ。
予約時に座席指定はできなかったので、チェックイン時に早めにオフィスに行き、眺めのいい窓側の席をGETしました。
なお、サービスとして、ミネラルウォーターが1本付いてきます。 -
そして座席はこんなふうに横になれるスリーピングシート。
これがなかなか快適で、ホイアン-フエ間は4時間あるのですが、長時間乗り続けてもそれほど疲れを感じることなく、バスの旅を楽しむことができました。
こんなスリーピングシートのバスが他の国にも広まればいいですね。 -
さて、8時40分、バスはまず中継地点のダナンに向かって田園風景の中を走っていきます。
-
9時10分、近代的なビルが見えて、成長著しいダナンの街に入ってきました。
-
9時20分、ダナンのシンボル、ハン川に架かるロン橋(龍橋)が見える地点でバスは停車。
ダナンまでの乗客を降ろすとともに、新たな客が乗り込んできます。
ちなみにこのロン橋、名前のとおり、龍が身体をくねらせて水面を泳ぐ姿がデザインされ、夜は色とりどりにライトアップされるとともに、土日は21時頃に口から火や水を吐くパフォーマンスがなされるとか。ロン橋 (ドラゴンブリッジ) 建造物
-
9時30分、バスはダナンからの客を乗せ、フエ目指して再出発。
ダナンはさすがに近年発展してきているせいか、バイクばかりでなく、他の街よりも比較的自動車の多い街でしたね。 -
ダナンからフエまでの距離は、約100km。
途中、休憩を入れても3時間弱で着ける道のりです。
かつては、その間に横たわるハイヴァン峠を越えるのに、曲がりくねった道を進まねばならず、たいへんな道のりだったとのことですが、ハイヴァントンネルができた現在では、車の流れも安全性も向上しているとか。 -
10時、そのハイヴァン峠に差し掛かり、途中にあるドライブインで休憩。
9時30分にダナンを出発したばかりなのに、早くないか?
この辺りにしか休憩所がないのかもしれませんが・・・・。ハイヴァン峠 & トンネル 自然・景勝地
-
乗客の中には食堂で食事を注文している人もいましたが、わたしはそんなにお腹が減っていないので、食堂の周辺をぶらぶら。
食堂の裏に回ると、見晴らし台のようなものがあって、そこから下を望むと、けっこうな高低差。
なるほど、交通の難所とはよく言ったものです。 -
10時30分、休憩時間が終わり、バスに戻ります。
時間帯にもよるのか、客は我々だけで、寂れた印象のドライブインでした。 -
バスは再びフエへ向かって北上。
10時40分、ドライブインを出てすぐに、山々の間にこんな湖が出現。 -
何かの養殖なのか、湖で作業をする船の姿もちらほら。
一方、峠を境にして天気が変わるのか、雲が分厚く、天気が怪しくなってきました。 -
しばらく走って11時過ぎ、ついに雨が。
フエに着く頃には上がるといいのだけれども。 -
11時30分、左手を見ると、線路上にはベトナム統一鉄道の列車が。
ダナン-フエ間は、鉄道を使っても移動することができます。 -
この統一鉄道の列車とは、しばらく並行して走っていき・・・。
-
11時35分、ついに追い抜かれます。
やはり列車の方が早かったか・・・。 -
そして12時10分、バスはフエの街なかへ。
ダナンよりも新しめの建物が少ない、落ち着いた雰囲気の街並みです。 -
そしてやはり、バイクが多い街。
ダナンよりも自動車の数は少ない印象ですね。 -
12時20分、バスはフエのシン・ツーリストオフィスの前で停車。
ホイアンから3時間50分、ダナンから2時間50分の道のりでした。
さて、ここで阮朝の陵墓などを巡る翌日の半日市内ツアーを予約した後、市の中心部にあるこの日の宿へ、てくてくと徒歩で向かいます。 -
この日の宿はAgodaで予約したナトリホテル(Nhat Le Hotel)。
市の中心部を流れるフーン川に近いところにある、1泊1,000円程度の廉価な宿です。
それにしてもベトナムはホテル代が安い・・・。 -
13時、そのナトリホテルにチェックイン。
1泊1,000円程度ですが、部屋は広々としてきれい。
もちろんWiFiもフリーで、問題なくつながります。 -
冷蔵庫やテレビ、空調も完備。
シャワーも問題なくお湯が出て、さらに朝食も付き、何一つ不自由のない、本当に廉価でオトクな宿でした。 -
ナトリホテルのベランダから狭い通りを眺めます。
・・・雨も上がってきたようですし、これからフエの街歩きスタートです。 -
と、その前に腹ごしらえを。
13時20分、宿を出てすぐのレロイ通り(Le Loi St.)沿いにある、“Hue Tattoo”というお店に入ります。
注文したのはフエ名物の牛肉の米麺、“ブンボーフエ”(Bun Bo Hue、35,000ドン=約190円)と、さすがに朝は飲めなかったビール(BIA SAIGON LAGAR、12,000ドン=約66円)。
そのまま食べるとあっさりした味ですが、一緒に出てくるニョクマム(魚醤)や赤唐辛子などのスパイスを加えて味付けすると、辛酸っぱさが加わってこれまた美味。 -
“Hue Tattoo”の店の奥をパチリ。
この時間帯はわたしのほかに客がなく、気恥ずかしいですが、店を独占状態です(笑)。 -
店の前のレロイ通りをパチリ。
通りにはバイクが引っ切りなしに走っていますが、ホーチミンやダナンと比べるとどことなくのんびりしていて、東南アジアの田舎街らしい雰囲気。 -
14時、フエの街歩き再開。
大通りのフンヴーン通り(Hung Vuong St.)にやってくると、信号待ちしているのは皆バイクばかりで、まさに“バイク専用道”という感じ。 -
王宮方面へと渡るチャンティエン橋(Trang Tien Bridge)に向かうと、その袂には、巨大な人物の顔の像が。
20世紀初め、フランスの植民地となっていたベトナムにおいて、日本に学べとして東遊運動(ドンズー運動)を興すなど、独立に向けた運動を行ったファン・ボイ・チャウ(潘佩珠、1867-1940年)の像です。
【ファン・ボイ・チャウ~ウィキペディア(Wikipedia)】
https://ja.wikipedia.org/?curid=501095 -
そんなファン・ボイ・チャウの像を横目に見ながら、14時10分、フーン川に架かるチャンティエン橋を渡っていきます。
チャンティエン橋 建造物
-
このフーン川(香江)、けっこう川幅が広く、これを境にフエの街は、王宮のある旧市街(北側)と新市街(南側)とに分かれるとのこと。
-
そのフーン川を渡り、14時25分、旧市街の中心にある王宮の入口までやってきました。
この王宮、1802年から1945年まで、13代に渡ってベトナムに君臨してきた阮朝(グエン朝)の皇帝の居城であったところ。
老朽化に加え、インドシナ戦争(1946-54年)やベトナム戦争(1965-75年)でその8割が焼失するなどの大きな被害を受けましたが、1990年代以降、日本の支援などにより修復が進み、1993年にはベトナム初の世界遺産に登録され、現在ではベトナムでも有数の観光スポットとなっています。體仁門 (ガン門) 建造物
-
左手にはベトナムの国旗である金星紅旗が掲げられおり、この場所はその名もずばり“フラッグタワー”。
もともとは1807年、阮朝初代皇帝阮福暎こと嘉隆帝(ザーロン帝、在位:1802-20年)の時代に建てられたもので、当初は木造だったものが、台風や戦争で何度か破壊された後、1969年に鉄筋コンクリートで建て直されたとのこと。フラッグ タワー 建造物
-
さて、それでは正面に見える體仁門(ガン門)をくぐって、いざ、王宮へ。
-
體仁門をくぐった先に待ち受けていたのは、王宮の正門となる午門。
北京にある紫禁城の午門を模して造られたという高さ約17m、幅約58mのこの門は、1805年に阮朝初代皇帝のザーロン帝が築いた見張り台“南関台”を、1833年に第2代皇帝の明命帝(ミンマン帝、在位:1820-41年)が改築して創建したもの。
実際の紫禁城の午門と比較すると、似ているような似ていないような・・・。
【北京の休日(3) 故宮(紫禁城)の午門】
https://4travel.jp/travelogue/10574522#photo_link_22309400
いずれにしても、さすが小中華の国だけあって、紫禁城のミニチュア版のようではあります。王宮門 (午門) 建造物
-
この午門で入場券を購入。
王宮単独だと150,000ドン(約830円)ですが、わたしは翌日訪れる予定の三帝陵(第2代ミンマン帝陵、第4代トゥドゥック帝陵、第12代カイディン帝陵)とセットのものを購入(360,000ドン=約1,990円)。
*2021年現在は入場料金は値上がりしているので注意。
【フエ観光情報促進センター~王宮と3つの帝陵のセットチケット】
https://www.vietnamhuekanko.com/%E8%A6%8B%E3%81%A9%E3%81%93%E3%82%8D/%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%81%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88/ -
14時45分、入場券も手に入れたし、午門をくぐって王宮内の観光開始。
早速現れたのは、やはり中国チックなこんな門。
中国に観光に来たのかと見まがうほどですね。 -
午門をくぐって最初の建物、太和殿(タイホア殿)にやって来ました。
こちらも1805年に阮朝初代皇帝のザーロン帝が紫禁城の太和殿を模して造らせたもので、中央には玉座が置かれ(撮影禁止)、中国と同様に皇帝の即位式などの儀式が行われていました。
ベトナム戦争中の1968年に破壊され、1970年に再建されたとのことですが、やはりオリジナルの太和殿よりは小さいかなあ・・・。
【北京の休日(3) 故宮(紫禁城)の太和殿】
https://4travel.jp/travelogue/10574522#photo_link_22309564太和殿 城・宮殿
-
こちらは太和殿にあった王宮のミニチュア。
王宮は東西620m、南北604m、高さ6mの城壁で囲まれ、その外側に堀が巡らされた長方形をしており、まさに北京の紫禁城のミニチュア版。
インドシナ戦争やベトナム戦争でフランスや米軍の攻撃を受け、その8割が破壊されてしまい、現在もなお、世界各国からの援助により、復旧作業が進められています。 -
その太和殿を後にし、次に向かうのは・・・。
-
当直の高級官吏の詰所であった“右廡”(ヒューヴー)と“左廡”(ターヴー)。
両建物はお互い向かい合っていて、右廡は武官、左廡は文官が使っていたとのこと。右廡、左廡 建造物
-
まず右廡に入ってみると、撮影禁止の太和殿にもあった、こんな皇帝の玉座のような空間。
ここでは皇帝の衣装を着て、記念撮影ができるのだそうです(115,000ドン=約635円~)。 -
続いて左廡へ。
建物の中に入ってみると・・・。 -
阮朝時代の調度品の展示が。
こちらは第9代同慶帝(ドンカイン帝、在位:1885-88年)時代のもの。
当たり前と言えば当たり前ですが、中国チックな感じですね。 -
こちらは第10代成泰帝(タインタイ帝、在位:1889-1907)時代の磁器。
1858年に始まるナポレオン3世のインドシナ出兵などの結果、1887年にフランス領インドシナ連邦が成立してベトナムはフランスの植民地に。
阮朝はフランス支配の下で存続を認められたものの、帝室の調度品にもヨーロッパ志向が強くなっていった感ですね。 -
第3代紹治帝(ティエウチ帝、在位:1841-47年)時代の磁器。
まだベトナムに欧米列強の力が及ぶ前で、かなり中国風のものとなっています。
・・・ちょうどこのあたりは、幕末から明治にかけての日本の流れと同じですね。
それにしても、中国(清)やベトナムなど東南アジア諸国が欧米列強に好き放題にされる中で、よく日本は独立を保ったものです。
それが高じて欧米列強の真似をすることとなり、周辺地域の植民地化や第二次世界大戦につながってしまったわけですが・・・。 -
こちらは歴代の阮朝皇帝の肖像画や写真。
阮朝は1802年、内乱である西山党の乱を平定した阮福暎(初代皇帝ザーロン帝、写真いちばん左)による建国から、1945年、日本の敗戦に伴う社会主義勢力による革命(ベトナム八月革命)で最後の皇帝である保大帝(バオダイ帝、写真いちばん右)が退位するまで、総勢13名の皇帝が即位。 -
フランスの植民地化以降は数多くの写真も残されています。
中央は第12代皇帝の啓定帝(カイディン帝、在位:1916-25年)。
親仏な皇帝で、王宮や自身の陵墓にも西洋風の趣向を取り入れるなどしたため、民衆からは多くの批判を浴びることとなったとか。
・・・以上で左廡の見学を終了。 -
15時30分、次は王宮の中央部分をぶらぶら。
もともと庭園だったのか、それともかつては建物があったのか、現在はそれほど手入れも行き届いていない草が生い茂る、ただの緑地となっています。 -
緑地の端には比較的新しめに見える回廊状の建物も。
掲示を見ると、ベトナム戦争で大きな被害を受け、現在、韓国の資金援助で再建工事中とのこと。
しかし、ベトナム戦争当時は、ベトナムも韓国(朝鮮)も社会主義と資本主義とで南北に分断されていた国同士。
その後社会主義に統一されてしまったベトナムを、統一されないままの資本主義陣営の国が援助するなんて、よくよく考えてみたらおかしな話ですね。 -
王宮の中央部の緑地の中心には、こんな金ピカの龍のオブジェが。
-
金ピカの龍の見つめる先には王宮の正殿である太和殿が。
その手前には、親仏な皇帝カイディン帝の趣味か、ヨーロッパ風の庭園も再現されていますね。 -
引き続き王宮内を散策。
奥の方にはこんな池も。 -
15時50分、屋根の上に龍の飾りを載せた中国風の建物を発見。
何かと思い、近づいてみると・・・。 -
庭にはこんな中国風の石柱が。
-
そして建物の正面に回ると、こんな姿。
この建物、第3代皇帝のティエウチ帝により書斎として建てられた、“太平樓”(タイビンラウ)という木造建築物。太平楼 建造物
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この太平樓、建物自体は木造ですが、屋根や門などあちらこちらにこんな中国風のこてこてしい装飾が。
-
内部はそれほど見る物もないので、このまま太平樓を後にし、先を急ぎます。
-
16時、王宮の閉館時刻まで、残り1時間となってしまいました。
途中、こんな再建中の建物もありましたが、時間がないので遠目に見ただけでスルー。 -
再建された比較的新しめな回廊の入口。
ちょっと中を通ってみると・・・。 -
赤と金色の装飾に彩られたこんな空間。
-
回廊の壁には、フランス植民地期のカイディン帝やバオダイ帝の写真も。
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16時10分、クリーム色の壁のこんな建物を発見。
-
正面に回ってみると、こんな建物。
ガイドブックを見ると、“閲是堂”とあり、内部を見学できるとのこと。
早速中に入ってみると・・・。閲是堂 劇場・ホール・ショー
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きらびやかに復元された、こんな広々とした空間が。
この閲是堂、ロイヤル・シアターとも言われ、阮朝の皇族が雅楽(ニャー・ニャック)を楽しんだ劇場とのこと。 -
壁などにある龍の絵も迫力があって見事ですね。
-
閲是堂には、当時、雅楽の演奏に用いたと思われる楽器の展示も。
-
こちらは宮廷舞踊の演者たちが付けていたものと思われる仮面。
この閲是堂では1日2回、約40分間の雅楽と宮廷舞踊のショーが催されているとのことでしたが、わたしが訪れた時間帯は残念ながら上演時間外でした。 -
当時の演者たちの写真でしょうか。
中国の京劇の衣装によく似ていますね。
【北京の休日(2) 北京の湖広会館の京劇】
https://4travel.jp/travelogue/10572638#photo_link_22262768 -
こちらは宮廷舞踊の衣装。
やはり京劇風・・・かな?
以上をもって閲是堂の見学を終了。 -
こちらの建物は管理所らしく、中には入りにくい雰囲気。
1993年にユネスコの世界遺産に登録された王宮ですが、まだまだ復元中のところだったり、見学が制限されているところが多く、とても全部は見て回れませんね・・・。 -
そんなこんなで歩き回って疲れてきたので、そろそろ出口へ。
入口の午門とは別の場所にある“顕仁門”が出口になっています。 -
そして16時30分、“顕仁門”から外へ出て、王宮の見学を終了。
14時30分頃から見学を始めたので、ほぼ2時間の所要時間でした。
しかしこの顕仁門も中国趣味とヨーロッパのバロック様式が入り混じったような、こてこて過ぎる装飾ですね。顕仁門 建造物
-
16時40分、王宮を出てすぐのところに、博物館らしき建物を発見。
1923年に建てられ、阮朝時代の宮廷で使われた文物を所蔵しているという“フエ宮廷骨董博物館”です。
王宮のチケットを持っていれば無料で入れるとのことなので、早速入ってみることにします。フエ宮廷骨董博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
こちらは阮朝の式典で使われたという銅鐸のレプリカ。
味のあるかたちをしていますね。 -
真珠が象嵌された籐(ラタン)製の容器の数々。
こちらも味わい深い工芸品です。 -
こちらは皇女が身に着けていたという衣装(Grand audience gown of the princess)のレプリカ。
ちょっぴりチャイナドレス風? -
こちらは皇太子(crown prince)の衣装のレプリカ。
中国と同じく黄色がいちばん高貴な人物の衣装の色なのですね。 -
皇子(prince)の衣装のレプリカ。
皇太子以外は黄色がメインの衣装を着れなかったわけですね。 -
こちらは当時使われていたという印鑑。
やはり中国と同様、皇帝が使うものには龍のデザインが施されています。 -
実際の印影はこんな感じ。
ベトナムは現在ではフランスの植民地時代に広まったラテン文字起源のアルファベットが使われていますが、阮朝成立当時はバリバリの漢字圏。
1945年の阮朝滅亡とベトナム民主共和国の成立までは、かつての韓国などと同様、知識階級の間では漢字が当たり前のように使われていました。 -
17時、閉館時間となり、フエ宮廷骨董博物館の見学を終了。
短い時間でしたが、なかなか発見のあった博物館訪問でした。 -
その後は王宮の西側にある七層八角形の仏塔で有名なティエンムー寺(天姥寺)を見に行こうとしますが、思ったより距離があり、歩いているうちに暗くなってきて断念。
仕方ないので、ダヴィエン橋(Da Vien Bridge)を渡ってフーン川の南側にある新市街に戻ります。
【フエ観光情報促進センター~ティエンムー寺】
https://www.vietnamhuekanko.com/%E8%A6%8B%E3%81%A9%E3%81%93%E3%82%8D/%E5%AF%BA%E9%99%A2/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%A0%E3%83%BC%E5%AF%BA/ -
18時、翌日のハノイへの移動の偵察にと、新市街の西側にあるフエ駅(Ga Hue)に立ち寄り。
ハノイからホーチミンまでを結ぶ全長1,726kmのベトナム統一鉄道の駅舎ですが、見た目は街の外れの駅という感じですね。フエ駅 駅
-
フエ駅から宿へと戻る途中、外国人向けと思われる豪勢なホテルがライトアップされていてきれいだったので、思わずパチリ。
そういえばこの日は2015年の大晦日。
ベトナムは中国や韓国などと同様、西暦の正月よりも旧正月の方が盛り上がる国ですが、外国人旅行者のグループなどはそろそろカウントダウンで盛り上がる頃でしょうね。アゼライ ラ レジデンス フエ ホテル
-
フーン川沿いは対岸の建物に明かりが灯って、比較的明るい感じ。
王宮のフラッグタワーに掲げられたベトナム国旗もまだ見渡せます。 -
フーン川沿いにはこんな阮朝時代のものと思われるモニュメントも。
付近には何の解説板もなく、寂しい感じではありますが、何か由緒がありそうな遺跡です。 -
18時30分、宿へ戻る途中の大通り、ハノイ通り(Ha Noi St.)沿いで屋台を見つけたので、せっかくベトナムに来たのだからこんなところで食事もいいかなと思い、早速注文。
-
注文したのは香草と肉がたっぷり入ったフォー(15,000ドン=約83円)。
具に隠れて麺がまったく見えません(笑)。 -
香草をかき分けるとこんなふうに麺が。
日本円にして100円未満と格安ですが、特に出汁が利いていて美味しくいただけました。 -
19時30分、一旦宿に戻るも、フォー一杯だけでは物足りなくなって、宿近くにあった外国人向けの飲食店、NINA CAFEへ。
【Tripadviser~Nina's Cafe】
https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g293926-d1724500-Reviews-Nina_s_Cafe-Hue_Thua_Thien_Hue_Province.html -
しかし頼んだのはやはりフォー(笑)。
今回は肉の多い鶏のフォー(Pho Ga)で、外国人向けのお店だけあって、お値段は50,000ドン(約280円)と高め(ほかにフエの地ビールFuda Beerが17,000ドン=約94円)。
2015年の大晦日は“年越しそば”ならぬ、“年越しフォー”三昧でした(笑)。
さて、2016年の元日は引き続きフエ観光。
フエ郊外にある阮朝皇帝の陵墓を巡っていきます。
(年末年始のベトナム北中部旅行5日目~フエ郊外観光に続く。)
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この旅行記へのコメント (2)
-
- 川岸 町子さん 2021/04/12 17:00:37
- 年越しフエ
- エンリケさん、こんにちは(*^^*)
前にも書かせていただきましたが、フエで思い出すのは、ストリートチルドレンの施設です。
子どもたちの小学校に、その孤児院の方(スタッフさんなのか経営者なのか忘れてしまいました)が来られ、講演を聴きに行きました。
ベトナムは様々な民族がいて、子ども達もそれぞれ。
ベトナムは東南アジアだけれど、夜は冷えることもあり、ストリートチルドレンにとっては、つらい環境。
でも施設へ来たがらない子どもが多いこと。
聴きながら、ストリートチルドレンは何を心のよりどころにして生きているのだろうと思いました。
そして今回エンリケさんの旅行記を拝見しながら、フエがどんな街なのだろうと改めて気になりました。
私は当時はフエは知っていたけど、今人気のホイアンもダナンも知りませんでした。
中部ベトナムへ行くなら、王朝が栄えた古都フエを一番に訪れたいですね。
エンリケさんが訪問なさった王宮、お堀の向こうに見える姿が美しいです。
こてこての鮮やかな太平楼、きらびやかな閲是堂など、栄華をしのばせますね。
途中ご覧になった鉄道に乗り、海沿いを走ってみたいと思います。
そうそう、ベトナムってホテルも食事も安いですよね(*^^)v
町子
- エンリケさん からの返信 2021/04/18 19:21:14
- ベトナムの京都
- 川岸 町子さん
こんばんは。
フエ旅行記にご訪問ありがとうございます。
> フエで思い出すのは、ストリートチルドレンの施設です。
わたしはフエではスタンダードに名所旧跡を回るばかりで、そのような施設には気付きませんでしたね・・・。
でも、おっしゃるとおり、フエは元南ベトナムで、戦災孤児もいたでしょうし、北に比べて福祉も充実していなかったでしょうから、社会からあぶれた子どもたちも多かったろうと思います。
また、成長著しいダナンなどと比べると、自動車よりもまだまだバイクの数が多く、低所得の方が多いのかなと感じました。
そういう視点で街を見ると、また違ったものが見えてきますね。
> ベトナムは東南アジアだけれど、夜は冷えることもあり、ストリートチルドレンにとっては、つらい環境。
確かに、わたしが訪れた年末年始は、フエの夜は肌寒いと感じられるものでした。
> そして今回エンリケさんの旅行記を拝見しながら、フエがどんな街なのだろうと改めて気になりました。
> 中部ベトナムへ行くなら、王朝が栄えた古都フエを一番に訪れたいですね。
フエは“ベトナムの京都”とも呼ばれたりするように、古き王朝時代の浪漫に満ち、ハノイやホーチミンとはまた違った雰囲気を感じられると思います。
わたしの旅行記が、今後町子さんがフエを訪れる際のヒントになれば幸いです。
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