1999/12/31 - 2000/01/16
1086位(同エリア1475件中)
タケさん
1999年~2000年にかけての17日間、東欧・ロシア・北欧に家族旅行で出かけた。勤めていた会社で勤続30年慰労休暇旅行という制度(一定の費用と休暇をもらえて家族旅行をするもの)があり、旧知のポーランド人をまた訪ねようということで、家内と娘を伴って出かけたものである。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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[バルト海沿岸の地図]
旅程は、ベルリン(ドイツ)~ポズナニ・ワルシャワ・ビアウイストック(ポーランド)~ヘルシンキ(フィンランド)~サンクトペテルブルグ(ロシア)~タリン(エストニア)~ヘルシンキ(フィンランド)。 -
[ヘルシンキを経由]
年末の31日 昼前にヘルシンキ航空で関空発、ヘルシンキ,フランクフルトを経由してベルリンヘ。 -
[ベルリンにてー1]
夜11時前にベルリンに到着。 着陸前にはライトアップされたブランデンブルク門の上空を旋回。 大晦日から元日にかけての夜中には、賑やかなイベントを楽しんだが、歩く人たちの足もとに向けて手に持った爆竹や花火などを投げつける ということが頻繁に行なわれ、危険ということで翌年からは廃止された とのこと。 翌日には街中に花火等の燃えかすが大量に散在していた(掃除が大変)。 -
[ベルリンにてー2]
ベルリンの象徴「ブランデンブルク門」。 かつては、壁とともにベルリンを東西に分けていた(1961年~1989年)。 -
[ベルリンにてー3]
左側はシャルロッテンブルク宮殿(17世紀に、初代プロイセン国王のフリードリッヒ1世が妃ゾフィー・シャルロッテのために建てた瀟洒な夏の離宮)。
右側はベルリン・テレビ塔と大聖堂。 -
[ベルリンからポーランドへ]
ベルリンから列車で国境のオーデル川を越えて、ポーランドへ。 -
[ポーランドにてー1]
ポーランド西部にあるポズナニにて、リビアで知り合って以来 40数年家族同士の親交の続いている医師の家族たちと旧交を温める(いつも泊めてもらい、当方が訪ねるのは3回目)。
*ポズナニはポーランド最古の都市の一つで、中世ポーランド王国の最初の首都。 商業都市として栄えており、文化,学術,商工業の中心地で、毎年6月上旬に国際見本市が開催されている。 -
[ポーランドにてー2]
左下は、度重なる戦争で破壊された遺跡。 右側は、モーツアルトによるオペラ「魔笛」を鑑賞中(オペラはポーランド人たちにとってはポピュラーな娯楽で、格安で楽しめる)。 -
[ポーランドにてー3]
毎日12時ちょうどに中央広場の時計台の鐘が鳴ると、時計の上の小窓からヤギが出て来て、お互いに向かい合って結構な回数ツノを打ち合い、再び小窓へ戻って行く。集まるのは大勢の観光客だけでなく、地元民にも多く愛されているのが分かる。
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[ポーランドからのクリスマス・新年のグリーティング・カード]
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[ポーランドにてー4]
ポズナニから列車でワルシャワを経由して、東方のビアウイストックへ。
左下は、ワルシャワ・ワジェンキ公園にあるショパン像をバックに(このショパン像の下で、毎年5月~9月の毎日曜日に ショパンの曲の野外ピアノコンサートが一時間弱無料で行なわれる)。 -
[ポーランドにてー5]
ポーランド北東部最大の都市 ビアウイストックでも、リビアで知り合ったポーランド人に歓待され、家に再度泊めてもらう。 今回も古い立派な教会を訪れた。
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[ポーランドにてー6]
ビアウイストック近郊には、ベラルーシ国境まで続く広大な原生林が広がっており、世界遺産に登録されている「ビャウォヴィエジャ森林保護区」(写真はそのポスター)がベラルーシにも跨り、絶滅危惧種である野生のバイソンが生息する(今までに2回訪れたことあり)。 -
[ポーランド~ヘルシンキへ]
ワルシャワからヘルシンキへ航空便で。 ヘルシンキの空港から相乗りタクシーで鉄道のヘルシンキ中央駅へ向かう(粉雪の雪道を80km/hでとばす)。 -
[ヘルシンキから鉄道でサンクトペテルブルグへ]
時間ギリギリにヘルシンキ中央駅に着いたが、7時間あまりの乗車でサンクトペテルブルグ駅に 夜11時前に到着(車内は暖かく快適で、サンクトペテルブルグ駅ではこれが慣例なのか大音響の音楽で出迎えられた)。 -
[サンクトペテルブルグー1]
通りを歩いていると、右側に突然 「血の上の教会(ハリストス復活大聖堂ーСобор Воскресения Христова)」が見えて来た。 ロシア正教会独特の屋根を持つこの教会の建つ場所は、1881年3月にロシア皇帝アレクサンドル2世が暗殺された遭難の地とのことで、高さは94m。 -
[サンクトペテルブルグー2]
教会の壁面は無数のモザイク画に彩られており、内側の壁と天井は複雑かつ詳密なモザイクで完全に覆われ、これらは聖書の場面を表わしている という。
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[サンクトペテルブルグー3]
世界三大ミュージアムのひとつ「エルミタージュ美術館ーЭрмитажー」は、建物自体が世界遺産で、ロマノフ王朝の女帝エカテリーナ2世が1775年に自分専用の隠れ家(エルミタージュ)展示室を建てたのがこの美術館の起源。 -
[サンクトペテルブルグー4]
雪深い中のエルミタージュ美術館で鑑賞。 -
[サンクトペテルブルグー5]
内部の豪華絢爛な装飾。 総収蔵品は約300万点とされ、写真撮影は可能。
レオナルド・ダ・ヴィンチの聖母子画、ラファエロの聖家族画。 レンブラント,ルーベンス ,ベラスケス,ゴヤ,エル・グレコ 等の絵画も有り。 -
[サンクトペテルブルグー6]
美術館の前を流れる広大なネヴァ川は前面凍結しており、上で遊ぶ人たち有り。 -
[サンクトペテルブルグー7]
市内のネヴァ川の河畔には、巡洋艦オーロラ号が係留されており、船内を見学出来る。 オーロラ号は、ロシア革命(1917年10月)時にここから発せられた一発の空砲を合図に ほぼ無血で十月革命を成功させ、またバルチック艦隊の一員として日露戦争にも参加した。
市内にはまた、作曲家チャイコフスキーの墓地がある(同じく作曲家のムソログスキーや小説家のドストエフスキー等の墓も)。 -
[サンクトペテルブルグー8]
路上には、屋台で飲食物を買う客や、ミルクを積んだトラックに居並ぶ現地人たちの姿があった。
また宿泊したホテルで、数袋のキャビアを格安で入手(帰国後 キャビア丼を食べることが出来た)。 -
[サンクトペテルブルグー9]
市内のレストランで、美味しいサーモンを堪能した。 -
[サンクトペテルブルグー10]
娘が幼少期からクラシック・バレーを習っていたので、バレエの殿堂マリインスキー劇場で至宝の芸術を鑑賞した。作品は華麗な群舞で知られる「ジゼル」。
チケットはホテル内にある売店で予約購入して、舞台まん前の特等席で観覧出来た。
* 大学に在学中 初めて人工衛星で地球を一周したソ連(現 ロシア)のガガーリンが来校(ハラショ ハラショ ガガーリン ……の歌で 歓迎),また当時 歌声喫茶でロシア民謡を合唱するなどソ連ブームもあって、 ロシア語に興味を持ち単位を取得した(授業初めには「バイカル湖のほとりで」をロシア語で歌うのが通例だった)。
今回の旅では、買い物をしたり 食事をしたり また路を尋ねたりするのに役立った。 -
[タリンー1]
1月13日(水)の早朝、サンクトペテルブルグからの夜行列車でエストニアの首都タリンに到着した。 今でも鮮明に覚えているが、国境を越える際の車内でのロシア当局の出国検査は聞きしに勝るものだった。4~5人の係員のノックで真夜中に寝台車の中で起こされ、散々苦労して詰め込んだスーツケースの中身を一つひとつ取り出されて、説明を求められた(お土産だと何回も言い張ってもお構いなし)。特に年配の一人がひつこくて、他の係員がもういいかげんにしておいたら…という顔をして見守っているだけだったのに、結局1時間あまり要した。他に乗客はあまり居なかったようで、この間列車は停止したまま。旧ソ連の慣習をそのまま引きずっているような雰囲気だった。エストニア側の入国検査はアッという間に終わったのに。
眠い目をこすりながら、粉雪の降る薄暗い空模様の中を駅前のインフォメーションに入る。 聞けば、現在の気温は- 5℃で平年並みとのこと。フィンランド湾の最奥にある関係で大きな河がコチコチに凍って、ダイヤモンドダストが見られたサンクトペテルブルグよりもかなり暖かい感じ。置いてあったパンフレットで目当てのホテルを探して係員に持っていくと、そこは高いのでこちらにしておいたら と薦めてくれたホテルにトリプルで予約をする。雪道を歩いて15分ほどのアレクサンドル・ネフスキー大聖堂そばにあるホテルは瀟洒で清潔。 サウナ付きだった。
少し休んでから完全武装をして散策に出掛ける。ビデオカメラ等は寒さでバッテリーがすぐにあがってしまうため、この旅行中常に使い捨てカイロで保温していた。雪は降ったり止んだりで、歩道の積雪は10cmほど。あちこちで雪かきのガリガリという音が聞こえる。車はかなりの速度で走っているが、事故を防ぐためか一方通行の道が多い。街の中心部に位置するライコヤ広場にある建物はどれも童話に出てくるような可愛いたたずまいで、中世にタイムスリップしたような錯覚に陥るほど(城壁に囲まれた旧市街は「タリン歴史地区」として世界遺産に登録されている)。おりしも強く降り出した薄暗い雪空が幕となり、下からライトアップされた市庁舎の尖塔が影になって、上空に映し出される様は幻想的な光景だった。 -
[タリンー2]
繁華街(と言っても人通りはそれほど多くない)を歩いてみると、衣服店や化粧用品店等バーゲンセール中の垢ぬけた店が多く、華やかな花屋も沢山並んでいる(値段は少々高めではあるが)。先生に連れられた小学生たちにも2回すれ違う(お誕生会の帰りだろうか、手に手に黄色い風船を持ち、誰もが鼻のてっぺんを黒く塗ったり、ヒゲを描いたりしている)。 小さなソリに子供を乗せて引っ張って歩く家族の姿もよく見かけた。買物はどこでもクレジットカードでO.K.。デパート内の売り場は何故か撮影禁止だった。 -
[タリンー3]
しばらく散策を楽しんだのち、今度は広場から放射状に延びる滑りやすい石畳の坂道のひとつを登って行く。途中で子供を連れた女性に道を尋ねたところ、きれいな英語でていねいに教えてくれた。旧ソ連とはかけ離れた穏やかな人情が感じられた。迷いながらも1時間ほど登っていったところで視界が開けて展望台に出た。教会の尖塔や砲塔跡,家々等の屋根に降り積もった雪がライトアップに映し出されて、ここも幻想的なながめ。下の方にはかき集めた雪を運ぶトラック群の姿が見える。すぐ隣では、孫(?)を連れたおばあさんやおじいさんが一生懸命その光景を話して教えている風。孫たち(?)も一つひとつうなずいている様子で、ほのぼのとした暖かさが伝わってくるようだった。 -
[タリンー4]
すぐそばにはカフェやギャラリーがあり、可愛らしい風景画を思わず2枚購入。 翌朝この展望台を再訪した際には、尖塔の隙間からバルト海に浮かぶ数隻の船が眺められた。
そろそろお腹が空いてきたので、もう一カ所の展望台を廻って再びライコヤ広場に戻り、目をつけておいたレストランに入る。入った時には我々だけで静かな音楽が流れていたが、しばらくすると中年のおばさんたちのグループ(同窓会のお流れ?)が加わってにぎやかになった。ここのお薦めは特製のキノコスープとサーモンとのことでそれらを含めて夕食を注文したが、なんと言っても甘ったるい地ビールの味は乾いたのどに優しく絶品だった。教会の鐘の音を聞きながら、雪をサクサクと踏みしめてホテルに帰り着いたのは11時過ぎで、サウナに入ってバタンキュウ。
北緯60度近くに位置するタリンは現在人口40万人ほどの都市で、中世にはハンザ同盟に加盟していた。フィンランドより物価が安いため、買い出しツアーがあるとか。 街中のバス停等には「ベーブ都会へ行く」という当時最先端の人気映画のポスターがあったりして、2011年には「欧州文化首都」になることが決まっている。一泊のみの短い滞在だったが、楽しい想い出深い旅だった。
大相撲の元大関 把瑠都(バルト)はエストニア出身で、十両に上がった頃から興味を持っていたけれども、ここまで強くなるとは思いもしなかった。引退後は母国で政界入りし議員となった。
☆ エストニアとは ……
リトアニア・ラトビアと共にバルト三国の一つで、バルト海のフィンランド湾を介 してフィンランドと相対している。歴史的には13世紀以来、デンマーク・ドイツ・スウェーデン・ロシアより完全独立を果たした(1988年の30万人による民謡合唱「歌の原」および1989年のリトアニア・ラトビアを含めて200万人を擁した「人間の鎖」は、非暴力による抗議活動として有名)。以来、国連・NATO・EU・WTOに順次加盟して民主化・市場経済化に努め、経済状況はバルト三国中で最も良好と言われる。また2007年には世界で初めての電子投票(インターネット)による議会選挙を実施したことで知られる。国土面積は九州とほぼ同じ、人口は130万人あまりで、一人当りのGDP≒
17,500$(2008年)で日本の半分程度。日本は木製建具・希土類化合物・プレハブ建築物等を輸入している。、IT産業が盛んで、Skype(インターネットを利用する電話サービス)が開発されたのもここエストニア。国花は矢車草、国鳥はツバメ。
*先日TVで紹介されていたが、地球の大きさ等を正確に測るために設置された(1816~1855年)三角点群は「シュトルーヴェの測地孤」として世界遺産に登録されており、全34ケ所のうち3ケ所がエストニア内にある。 -
[タリンから再度ヘルシンキへ→帰国]
翌日午後に、タリン港よりフェリー(シリアライン)に乗船してバルト海を渡り、80kmほど先にあるヘルシンキに向かう。流氷をかき分けて進む船内ではにぎやかな歌声が聞こえる。 顔を出してみるとなんとディスプレイにはFinn-Karaokeと表示され、太り気味の男性が声を張り上げて歌っていた(もちろん日本語ではないが)。カラオケは立派な日本文化輸出品なのである。船内で、「GEISHA」という名前のチョコレートが売られていたのには驚いた。 3時間あまりでライトアップされたヘルシンキのウスベンスキー大聖堂が見えてきた。アッと言う間の船旅だった。
ヘルシンキではトナカイの肉を堪能したりして、真冬の中欧~北欧を満喫した。
→ 16日 午前10時過ぎに関空帰着。
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