2021/01/26 - 2021/01/26
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忠臣蔵の大ファンの夫のお供で、忠臣蔵ゆかりの地を訪ねました。
300年以上前の歴史の事実、そしてその後のフィクションの部分、こんなに長い間、絶えることなく人の心をつかむものがあることを感じました。
家臣にここまで慕われる浅野内匠頭も、大石内蔵助も、どんな人物だったのかとても気になります。
以前、赤穂城の跡なども忠臣蔵の遺跡を回ったことがありますが、もう一度行ってみたくなりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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まずは吉良邸からまわります。
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討ち入りのあった。吉良邸、8400㎡もあったのですね、広大な敷地。
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中は小さな公園のよう。
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ちょっとわかりにくいですが、
お屋敷の見取り図。 -
吉良上野介の像。
愛知県の吉良氏菩提寺にある、自ら造らせた座像をもとに、製作されたそう。 -
その説明。
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討ち入りの際の口上。
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松の廊下。
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葛飾北斎の曽祖父は討ち入りの際に吉良上野介の警護で亡くなった小林平八郎と語ったとか。
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首洗いの井戸なども残ってます。
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吉良家側の亡くなった人々。
有名な清水一学の名前も。 -
忠臣蔵では憎き人ですが、領地では評判が高い人で、新田の開拓、塩田事業、治水事業など、吉良さまと呼ばれるほど。
領地に滞在していたときも赤い馬に乗って領地を巡回して、
吉良の赤馬として今も有名。 -
討ち入り後に清めとしてお祀りも。
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牡丹も咲いてましたが、八重桜も咲いたら綺麗でしょう。
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小さな一角となって、周りはビルや民家。
当時の様子とは全く異なってます、時が経過しています。 -
葛飾北斎との関係も興味深く。
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次は浅野内匠頭終焉の地へ向かいます。
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浅野内匠頭終焉の地。
ここは、田村右京大夫の屋敷跡。 -
自刃後240年を記念として建立されたようです。
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次に向かったのは、水野監物邸跡。
ここには、討ち入り後に9人の赤穂義士がお預けになったところ。 -
こちらは天保の改革の水野忠邦を輩出した水野家。
赤穂義士の扱いも丁寧であったとか。
こちらにも広いお屋敷があったのでしょう。 -
こちらは細川家のシイの樹。
生命力、歴史を感じます。 -
庇護熊本藩細川家の下屋敷があったところ。
細川家は大石内蔵助ら17人の赤穂義士がお預けになったところ。 -
小さな石碑のある先に大石内蔵助終焉の地が保存されています。
実はここの場所を探すのに一苦労。
駐車場も見当たらず、ひたすらぐるぐる車で移動、いろんな方に教えてもらいながら、やっと見つかりました。
番地だけを頼りではわかりづらい、、、、。(-_-;) -
頑丈な門で覆われ、
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ガラスから中を見ると、大きな石が数々。
屋敷跡。 -
大石内蔵助ほか、17人の赤穂義士の終焉の地です。
細川家でも赤穂義士に対して温かくもてなしたといわれています。 -
17名の赤穂義士。
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今も訪れる人が絶えないようです。
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大木も茂り、ここも当時とはすっかり変わってしまってます。
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最後は泉岳寺へ。
お寺近くの石碑にかすかに見える四十七士の文字。 -
このあたり、歴史的な場所が沢山あるんですね。
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中門を通って、
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泉岳寺へ。
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すぐに目に入ったのが、大石内蔵助像。
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実際、小柄な人だったとも聞きました。
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曹洞宗のお寺だったのですね。
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広く綺麗な境内。
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門も風情があります。
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本堂も風格があり、
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主税梅。
大石主税終焉のに植えられていた梅。 -
赤穂義士のお墓へ。
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浅野内匠頭自刃の際の血染めの梅と石、
瑶泉院が墓守の堀部妙海法尼に贈ったといわれる梅。 -
こちらも今は閉まってます。
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こちらも閉館中。
是非、次回に。 -
こちらにも首洗いの井戸。
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商義
天野屋利兵衛、物語の中に出てきます。 -
赤穂義士のお墓入口。
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こちらの門は浅野家の裏門だったものだそうです。
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美しい扉でした。
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浅野内匠頭のお墓。
左に小さく見える梅のつぼみがふくらんでました。
家臣にここまで慕われるお殿様、どんな人物だったのでしょう。
浅野家の家紋が見えます。 -
浅野家の家紋。
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奥方、瑶泉院のお墓。
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大石内蔵助のお墓。
昼行燈といわれていましたが、臥薪嘗胆の月日、とても昼行燈などではないです。
離れていった人もいますが、これだけの義士をまとめた人柄は奥深いものがあります。 -
大石主税のお墓。
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そのお隣に堀部安兵衛のお墓。
天国でも大好きなお酒を飲んでいるのかな、、。 -
時代はこんなに変わっても、いつまでも訪れる人は絶えないでしょう。
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お墓の説明。
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英語でも。
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討ち入り後に姿を消した、寺坂吉右衛門もまつられてました。
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主君と共に。
墓守をしていたという尼さんのお墓もありました。
堀部安兵衛の奥さんと名乗っていたそうですが、実際は違ったようです。 -
神聖な場所のように感じます。
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イチオシ
時が止まったように感じました。
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梅の樹のつぼみも膨らんでました。
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泉岳寺近くのお土産物屋さんで。
店主の若いお兄さんが、とても忠臣蔵に詳しく、いろんなことを
教えてくれました。
この日が旧暦の12月14日であったことも。 -
おみやげ。
ベタなものですが、夫が欲しかったコップなど。
家紋入りの湯飲みも使いやすいです。
塩羊羹も美味しかった。
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