2020/12/06 - 2020/12/16
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薔薇の咲く庭さん
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今帰仁城は14世紀に3つの国に琉球が分かれていた時代の北山の拠点の城。
世界遺産になっています。残念ながら北山王は1416年に中山の尚巴志によって滅ぼされました.
優雅な曲線の白い城壁が美しい城跡です。10年ほど前に訪れた時は林の中に現れる白い神秘的な城のイメージがありましたが、今回来てみると駐車場もお土産屋さんも完備されていて立派な観光地になっていました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- レンタカー JALグループ ANAグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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10年前に母と長男とでこの城跡を訪ねている。再訪となった。
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以前来た時より整備されていて、違う場所に来たようだ。周りがすっきりとしている。前回は周囲が森で森を抜けたところに入り口があり、突然現れる白い城壁に驚いた記憶がある。
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沖縄の世界遺産が紹介されている。今帰仁城は世界遺産の城跡。この城跡の評価は高い。
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14世紀の中国の史書に琉球国山北王「怕尼芝はにじ」「珉みん」「攀安知はんあんち」の三王が登場している。
この頃の沖縄本島は北部地域を北山、中部地域を中山、南部地域を南山がそれぞれ支配した「三山鼎立の時代」だった。北山王は今帰仁城を拠点に沖縄島の北部を中心に支配下とし、中国と貿易をしていた。 -
1416年(1422年説もある)に中山の尚巴志によって滅ぼされ、北山としての歴史の幕を閉じた。城壁の入り口は当然のことながら狭い。
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登城する階段は長い。 3・5・7の段数で階段が作られている。
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石垣は曲線を描いている。中国の影響だ。柔らかな感じがする。石積の石は形が異なる石を積んでいる。
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長い登城の道だ。防衛をもちろん考えて作っている。
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北山の敗北後、中山は北部地域の管理のために監守を今帰仁グスクに設置し、1422年以後監守の居城としてグスクを利用した。
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5段の階段、その次は7段になっている。なぜこのような階段にしたのだろう?
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やっと「大庭」と呼ばれる場所、平坦な広場に出た。
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1609年に薩摩軍による琉球侵攻にあい、城は炎上したそうである。監守が住まなくなって以後は拝所とし、精神的拠り所として広く県内から参拝者が訪れている。
1665年に最後の監守が引き上げてからは、祭りを執り行う場所として残された。
写真は旧8月のグスクウイミと呼ばれる年中祭 -
フウリンブッソウゲという名前の花が咲くようだ。表示があった。
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木陰に石碑が見えた。この場所にあるのは何だろう?
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「乙樽」という美しい山北王の側室が読んだ歌だった。
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志慶真乙樽(しげまうとうだる)の歌碑
長い間、世継ぎに恵まれなかった北山王に世継ぎが生まれた。季節外れのミカンが実ったことを例えた歌だ。 -
大庭は広い。たくさんの兵がここに待機することができたのだろう。
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植物も植えてある。モモタマナ?初めて聞く植物の名前だ。南国特有の種類だろう。
木陰を作り親しまれたそうである。 -
ソテツに似ている。
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大庭から階段があり、さらに次の場所に続いている。一段高いところに北殿があったようだ。その場所かと思われる。
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階段を上ったところが開け、建物があった跡がある。礎石が残っている。
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かなり大きな城だったようだ。
1422年以後監守の居城としてグスクが利用されている。
1609年に薩摩軍による琉球侵攻にあい、城は炎上したとされている。監守が住んでいた時には建物はあったはずだ。 -
礎石がたくさんある。思っているより大きな建物だったかもしれない。
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1665年に最後の監守が引き上げた後、1749年に今帰仁按司 十世宣藻もが首里王府から今帰仁城の永代管理として典礼を司ることを許された。
今帰仁按司が世襲で今帰仁城を立派に治めたことを後世の子孫に伝えるために碑を残したとのことだ。 -
ここは? 柵がしてあり行き止まり。
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ここから東シナ海を見渡せる。海抜100m。敵が攻めてきた時によく見えただろう。
1609年には薩摩の船がたくさん見えたのかもしれない。 -
発見された城郭跡は12 - 13世紀頃の築城で中国に14世紀には作られていた記録があるので、当時の石積みの技術はこのようだったのだろう。
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城の中に咲く花。ホッとする。
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城壁を崩し、前に進めるところがあり、さらに奥へ進むことができる。
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城の背面は崖。木々が下に茂っている。
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見えてきた。一段低くなっているところが見える。
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階段の直ぐ脇は石垣。ここの石垣は低い。
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かなりの広さがある。城の一番奥だ。この先は見えない。
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ここまで石を持ってくるのは大変だったろう。ここは形がそろった大きさの石の規則的な石積みになっている。
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14世紀から700年経ても形を保っていることは凄い!
風雨でよく崩れなかった。曲線美を保っている。 -
3つの建物があったようだ。四角形の礎石が残っている。
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階段は続く。かなり下る。
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平らなところへ降りた。ここの石積みは石が少し小さい。
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ここは志慶真門郭(しげまじょうかく)と呼ばれ、王の側近が住んでいた。後門を防衛する戦略的な位置取りで外と行き来がしやすいという理由からである。
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発掘調査をしてる写真。
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ここから急斜面を下ると志慶真川に出る。川は今でも流れている。当時の城の用水だったそうである。
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城の天守閣はかなり高いところにある。この急坂は防衛には有効だ。
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石垣を眺めながら、
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階段を上り、
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引き返す。ここが今帰仁城の一番奥だった。階段がない14世紀はどのようにして上っていたのだろう。
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形がまちまちの石をよく積んだと思う。700年間もよく崩れずに保っている。
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城の裏側の急こう配の石積み。技術が必要だ。
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再び城壁の一部をくり抜いてあるところをくぐる。
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先ほどみた北殿の跡を通り過ぎる。
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芝生がよく整備されている。世界遺産だと保守管理に付く予算が違うのだろう。
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大庭の左右にあったという南殿と北殿。順路通りに進むと次は南殿に向かっている階段だと思う。
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柵に囲まれている。さっき見た黄色の花が咲いて長閑だ。
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前面が開けた。広い。御内原と呼ばれたところだと思う。女官部屋があったところだそうだ。
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ずっと生き続けたのかもしれない。毎年種を残し芽を出して。女性たちが好みそうだ。
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可憐な花。心が和む。
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ここからも東シナ海がよく見える。1416年に中山の尚氏に、1609年に薩摩藩に敗れ2回の落城を経験している。この景色を見るとまさか落城の日が来るとは思わずに女官たちは安心して暮らしていただろう。
落城後は具志川御殿十世今帰仁朝義と係累が琉球処分まで監守跡を管理した。
伊平屋、伊是名島が眺められるというがこの日は天気の関係で見えなかった。 -
年代物の木。いつからここに生きているのだろう。
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下を見下ろすと見事な石垣。東シナ海は自然の要塞だ。
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石切り場が見える。城の中に石切り場があるのだ。遠くから石を運ばなくても済むようだ。
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御内原(うちばる)の解説。
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御内原から見える国頭の山並み。今も昔も変わらない景色だろう。
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広い。何人くらいここで生活していたのだろう。
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城の見学の順路は帰り道に向かっている。分かりやすい順路だ。
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ソイツギという場所に出た。今帰仁城の中には2つの御嶽がある。大庭の北西にあるソイツギ、もう一つは御内原にあるテンチジアマチジという名称の御嶽。五穀豊穣を祈願する。
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残念ながら御嶽という場所が神聖な場所であることはわかってもどのようなものがあるのかわからない。それらしきものが見当たらない。
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遠くから見るとこんな感じ。こんもりとした盛り土がある。
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長い階段を下りる。城を後にする。
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長い階段を下りる。城を後にする。延々と続く階段。
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3.5.7の段数。なぜこのような数にしたのか何か理由があるのだろう。何か意味があったのだろう。
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記念撮影。確かにここに来ました。
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今帰仁城を後にして、次に向かったのは又吉コーヒー農園。
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今帰仁城からは50分くらいかかる。東シナ海から太平洋側へ横断した。
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日本でコーヒーを栽培している唯一のコーヒー園。挑戦の意気込みが凄い!
又吉コーヒー園 公園・植物園
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お客さんでアメリカ人が訪れていた。Yナンバーだろう。
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長男が借りた車は日本車。運転技術が前回より上がっている。
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日本でコーヒーを作るのは大変なことだと思う。ハワイ島とはわけが違う。気候の問題がある。
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沖縄は暖かくバナナが園の中でなっているとはいえ、熱帯ではない。亜熱帯。
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中は広く、コーヒーの畑まではお店から少し歩いた。
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到着。コーヒーの実がなっている。
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赤い可愛い実だ。コナのコーヒー園で見た実と形、大きさは同じに見える。
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コナではトレリスを使って栽培していたがここはトレリスではなく一本ずつ間隔をあけて植えている。葉が大きい。日差しをたっぷり受けたいのだろう。
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拡大。赤い実はまだ少ない。
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実を割って中を出した。確かにコーヒーの実。
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沖縄は台風の通り道。コーヒーの木は台風の風に耐えなけばならない。
予防策として柵が周りを囲っている。 -
こんな感じで、風が強い時には覆ってしまうのだろう。
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広い農園だ。台風の時は守るのが大変。
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入園料に無料コーヒー一杯分が入っていた。しかし、又吉コーヒーは収穫量が少なく品切れ。値段も他のものと比べて高い。
収穫量が少ないので商品にできないというのはかなり大変な経営だ。 -
テラスクラブ・アット・ブセナへ帰る。沖縄の道路はよく整備されていて凹凸がなく、車の乗り心地が良い。
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新しいトンネルができて近道があった。予定していたより早く着きそうだ。
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部瀬名半島が見えてきた。ホテルにいる孫娘はたぶんお昼寝中だろう。
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今日のお土産。又吉コーヒー園のチンスコウ。コーヒーのチンスコウは初めて食べる。コーヒーの味がかすかにした。
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灯りの下で見るとコーヒー豆がとても可愛い。又吉コーヒー園の発展を祈る気持ちで眺めた。
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