2019/07/06 - 2019/07/10
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タヌキを連れた布袋(ほてい)さん
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「ボスポラス大橋から南西にむかうと,ウスキュダル地区であり,ヨーロッパ側とのフェリーの発着地はシェムシ・パシャ埠頭である。その近くにシナンの作ったミフリマ・モスクがあることは前にふれた。そばにアフメット三世(在位1703-30)がつくらせた有名な泉亭がある。それはトプカプ宮殿前のそれと同時に,1728年に建てられた。チューリップ時代を象徴するようなロココ様式である。
ウスキュダル地区にフェリーが近づくと,モスクが重なり合うように見える。ミフリマ・モスクのほかに,その南にイエニ・ヴァーリデ・モスクがあり,これはアフメット三世が母のギュルヌシュのために,1710年に建てたものだった。ギュルヌシュの墓も境内につくられた。権力者はたいてい墓廟のなかに葬られるものだが,彼女は戸外に葬られ,墓石にはドーム型の鉄格子がかぶせられている。神の恵みである雨を浴びたいということであったらしい。
(中略)ヨーロッパナイズされたイスタンブールのなかにあって,このウスキュダル一帯には,古きトルコの面影をとどめる木造家屋群がならんでいて,異国情緒(ヨーロッパ人はオリエンタリズムと呼ぶ)をたのしむ旅行者をよろこばせている。
ウスキュダルをさらに南下すると,カドゥキョイ地区である。オリエント急行のヨーロッパ発着駅は,かつてトプカプ宮殿の一部であったシルケジ駅だが,アジア側の鉄道は,カドゥキョイ地区のハイダルパシャ駅なのだ。」
「カドゥキョイのギリシア名は,前にも述べたように『カルケドン』である。これは『カルケドン公会議』の名によって,歴史に深く刻みこまれている。
コンスタンティノープルの主教ネストリウス(在位428-431)は,キリスト二性論者であった。キリストは人でありながら,神性をも有しているので,マリアをテオトコス(神の母)と呼ぶのはまちがいで,『人の母』『キリストの母』と呼ぶべきだというのである。神・聖霊・イエスの三位一体論は承認するが,その一体性はイエス誕生のときではなく,時を経過して成立したとする。これにはギリシア哲学の合理主義の傾向が認められる。
これに対して,神秘主義的傾向の濃厚なアレクサンドリア神学派が,マリア神母説を唱え,はげしい対立となった。キリストにおける神と人の両性は完全に融合しているというもので,こちらは『単性論』といわれる。
単性論・二性論は,神学上の論争ではなく,教界内部の勢力争いの様相を呈するようになった。431年,エフェソスでの公会議では,アレクサンドリア主教のキュリロスが強引に二性論を異端ときめつけた。これはネストリウス派の一部の代表の到着が遅れたのに乗じて,会議を強行した結果であった。異端として追放された二性論のネストリウス派は,ペルシアからシルクロードを経由して中国にまで布教活動をおこなった。中国ではこれを『景教』と呼ぶ。
第二回エフェソス公会議は449年にひらかれたが,このときもキュリロス一派が暴力をふるってまでネストリウス派の破門を宣告した。この公会議は『強奪会議』と呼ばれるようになった。
単性論擁護派の皇帝テオドシウス二世が死んだあと,皇后エウドキア主宰のもとに,このカルケドンで公会議がひらかれ,『強奪会議』の決議が無効とされた。ネストリウス派の二性論は,やっと異端ではなくなり,キリストにおける神性と人性の関係について,『カルケドン信条』が作成された。キリストに神性のみを認める単性論派はとうぜんカルケドン公会議の決議を拒否した。エジプトやシリアに単性論が多く,彼らはコンスタンティノープルを中心とする『カルケドン派教会』と対立したのである。」
「二性論のネストリウス派は,異端の宣告を取消され,カルケドン信条のなかにその主張が認められたけれども,一般には異端視がつづいた。聖母マリア信仰は,民間の地母神信仰に根ざすものであり,マリアの神性を否定したネストリウス派は聖母を冒瀆するものと考えられたのである。神学論からいえば,キリストに人性がなければ,贖罪の死が無意味になってしまい,単性論では説明がつかなくなる。
ネストリウス派はむしろ東方――ペルシア,シルクロード,中国――に伸びたことは前述した。キリストに人性を認めたこと,ローマ・カトリックやギリシア正教とちがって,聖職者の妻帯を認めたこと,煉獄の存在を否定したことなどで,ネストリウス派はより人間的な傾向をもち,それが東方の人たちにうけいれられたのかもしれない。中国にはいって,景教と呼ばれたこの信仰は,9世紀半ば,唐の武宗の弾圧でほぼ姿を消した。だが,中央アジアに根をはったネストリウス派の信仰は,遊牧民のなかに深く浸透していた。チンギス・ハン一家にも信者はすくなくなかった。元の世祖フビライやイル汗国のフラグの生母はネストリウス派のキリスト教信者であった。」
陳舜臣著「イスタンブール 世界の都市の物語」(文春文庫1998)より
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 2.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 徒歩
- 航空会社
- シンガポール航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今日は船でアジア側のカドゥキョイKadıköyへ行ってみよう。
明日,帰国の途に就くので,今日が実質的な最終日となる。 -
今日もカラキョイKaraköyの波止場から,ワプルに乗ってボアズBoğaz(ボスポラス海峡)を渡る。
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カドゥキョイ行きのワプルは,ユスキュダル行きのワプルよりやや立派で新しかった。
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カドゥキョイまで30分弱。ユスキュダルへ行くときより若干長く航海を楽しむことができる。
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遠くに,キュチュク・チャムルジャの丘に建設中(このあと2020年9月完成)の電波塔Küçük Çamlıca Televizyon ve Radyo Kulesiが見える。
チャムルジャの丘に立つ複数のテレビ塔やラジオ塔をひとつに統合することによって,チャムルジャの丘の景観を良くし,周辺住民の電磁波に対する懸念を減らすということだが,そのシルエットはかなり不気味である。 -
やがて灯台をよぎり,
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カドゥキョイの波止場に接岸した。
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カドゥキョイは,ユスキュダルと較べてずっと大きな街だった。
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食べものを売る店や,
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カフェ(あるいは伝統的なカーヴェハネ)の軒数が段違いに多い。
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流行りのスナックやスイーツの店もたくさんある。
外国人観光客というより,イスタンブルっ子やトルコ人国内観光客がじゃんじゃんと消費を楽しむ街という印象だ。 -
カドゥキョイには,街なかをぐるりと一周するトラムヴァイ(路面電車)がある。これを使わない手はない。
廃止された路線を観光用に復活させたものらしいが,運賃は公共交通機関の水準のままなので,利用者の大部分は地元民のように見受けられた。
もちろんイスタンブルカルトを使える。 -
難点は,慣れないと停留所の場所が判りにくいことだ。↑が停留所のサインなのだが,小さいのでなかなか目に留まらない。
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トラムヴァイは結構混み合っている。
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ずっと乗り続けると15分くらいで一周してしまうので,気に入ったところで適当に乗り降りするとよい。
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中心街にあった八百屋。
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オリーヴ専門店。
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ココレチ屋。ココレチはスパイシーなホルモン焼きのサンドウィッチ。
一緒にミディエ・ドルマスを売っていることが多い。 -
何度も世話になったトルコのジューススタンドとも,またしばらくのお別れだ。
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昼食は,中心街から外れたところにあったロカンタ(食堂)で,イシュケンベチョルバス(ホルモンスープ)を食べた。
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イシュケンベチョルバスは,自分で味つけをしなければならない。
手前の白い調味料はニンニクジュース,奥の赤いのは酢で,これらと唐辛子,食塩をスープに加えて好みの味にする。 -
メインは,有名なイスケンデルケバブ。
ピデ,ドネルケバブ,トマトソース,ヨーグルト,溶かしバターを重ねたもので,とても分かりやすい旨さ。子供でも抵抗なく食べられるだろう。
ただし,知名度はさることながら,これは典型的なトルコ料理とは異なる味わいの料理だろう。日本で言えば,和食に対する戦前の洋食にようなものか。 -
一応ピラウは注文したが,
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やはりトルコのロカンタでは,エキメッキをもりもり食べなければ甲斐がない。
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食事のあと,街で薬局を探した。
帰国前に抗高血圧薬を数か月分買っておきたいのだ。いつもはバンコクで買うのだが,今回はシンガポール経由なので勝手が違う。
そのうち一軒の薬局に行き当たり,抗高血圧薬の値段を聞いてみると,一日の服用量あたり約50円ほどだった。バンコクより少し高いが,シンガポールで入手できない(あるい高価になる)リスクを考慮して,ここで買っておこう。 -
ところが,3か月分を買おうとしたら在庫が足りなかった。薬剤師は「すぐに取り寄せるから1時間後にまた来い」と言う。まあ,このまま街歩きやネコの観察を続けて,2時間後くらいに戻ってくることにしよう。
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こちらのネコは,気持ちよさそうに目を細めて眠っていたが,
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善意のエサやりおばさんが現れるや,飛び起きてカリカリのご馳走にあずかっていた。眠っているようで,なかなか意識は鋭い。
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カドゥキョイの中心部の近くには,伝統的なカーヴェハネ(珈琲店)が密集している横丁がある。
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慣れた手つきでジェズヴェから注がれたトルコ珈琲。
粉が沈むまでのんびりと待つ。 -
そのあと,ローカルのファストフード店でメニューと値段をチェックしていたら,
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バルクエキメッキ(通称・鯖サンド)を買わされてしまった。ひとつ7TRY。
めったに美味しいものにあたらないので期待薄なのだが‥‥やっぱりこれもハズレ。
そのうち時間になったので薬局に戻ると,ちゃんと注文どおりの薬が用意されていた。 -
ハイダルパシャ駅に別れを告げて,ワプルでカラキョイへ戻る。
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宿へ戻ったあとも,旅が名残惜しく,近所で焼き栗の屋台を冷かしたりする。
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トルコのアイランは,泡ぶくぶくを旨とする。
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イスタンブル最後の夜は,
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鶏肉とひよこ豆のピラウTavuklu Nohutlu Pilavıを買ってきて,部屋で手持ちのラクRakı(トルコのアニゼット)を空けることにした。
ギリシャから始めた今回の旅は,これで終了だ。幸運なことに,ほぼ想定どおりに旅が運んだというのに,やはり旅の終わりはどこかさびしい。 -
【蛇足その1】
帰国便経由地のシンガポールのスーパーマーケットでインドのポンニ米(パーボイルド米)を買い込み,日本に持ち込もうとした。これがあるとミールスがぐっと美味しくなるのだ。
従前は,日本の到着空港の植物防疫所のカウンター(税関検査場にある)で「米穀の輸入に関する届出書(個人輸入用)」を書いて提出し,米の袋を目視検査してもらえば,過去一年で100kg以内の米を持ち込むことができた。
しかし,2018年10月から手続が複雑になり,上記の届出に加えて,持ち込む米について輸出国(今回の場合はシンガポール)の政府機関が発行した「検査証明書」(Phytosanitary certificate)の添付が必須とされたらしい。全然知らなかった。
というわけで,今回買ったポンニ米は,あえなく廃棄処分ということになってしまった。
(詳しい輸入条件については植物防疫所のウェブサイトから「輸入条件に関するデータベース」を参照されたい。) -
【蛇足その2】
機内の日本映画のプログラムに「面飯店」というのがあり,「ラーメン食堂の話かな」と思っていたら,東野圭吾のマスカレード・ホテルの映画化だった。なる‥ほど‥‥。
(おわり)
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