2020/03/17 - 2020/03/21
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akkiy363672さん
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3月17日~21日に、明石大橋~徳島~室戸岬~高知~足摺岬~竜串~松山~しまなみ海道と走って、早春の四国南岸の風景と2ラウンドのゴルフ(黒潮・土佐CC)を楽しんできました。
この「その③」には、松山~しまなみ海道~平山郁夫美術館~耕三寺~山陽道~新名神~自宅のようすを記しています。
上の表紙写真は、「来島海峡大橋」です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 自家用車
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宇和島市に入って間もなく、津島岩松ICから「松山道」に乗りました。
松山までは100Km少し、1時間30分ほどの行程です。 -
午後5時、松山出口です。
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松山にも路面電車が…。伊予電鉄(いよでん)?「坊っちゃん電車」ですね。
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松山にも路面電車が…。伊予電鉄(いよでん)?「坊っちゃん電車」ですね。
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午後6時前、「東横イン松山一番町」へチェックイン。
部屋で少し休憩してから、7時ごろに夕食を取ろうと街へ出かけました。 -
2番町通り、居酒屋「あかり」。威勢の良いおかみさんに迎えられて、夕食にありつきました。
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これは、オコゼの天ぷら。
他に、マグロの刺身、フグの白子、メバルの煮付けなどを頼みました。 -
締めは「鯛茶漬け」。明石の鯛使用という由緒正しいものなのでしょうが、私がイメージしていた、鯛の焼き身を乗せたご飯にアツアツの出汁をかけていただくものと少々違って(…所々でそれぞれなのですから、違うのが当たり前ですね)、鯛めしのおにぎりに出汁をかけたものでした。
鯛の香りに、瀬戸内海の風景が広がりました。 -
5日目。 午前8時30分、松山を出発。国道317号を「しまなみ海道」へ向かいます。
あとで考えてみると、急ぐ旅でもなし、せっかく瀬戸内へ行ったのですから、海沿いの186号を瀬戸内海の風に吹かれながら走ってくるべきだったかもしれませんね。 -
しまなみ海道の入り口です。
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「しまなみ海道」に入ってきました。
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来島海峡です。
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「来島海峡大橋」が見えています。
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大三島に入りました。
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さらに多羅々大橋を渡って生口島(いくちじま)に入ったところにある「瀬戸田PA」に寄りました。
そこに設置されていた、「しまなみ海道の全景案内」です。
(赤丸は私がつけました。ここが「生口島です。) -
SAから振り返った「多々羅大橋」。広島県尾道市の生口島と愛媛県今治市の大三島を繋いでいて県堺です。ここ瀬戸田PA(上下線とも)から橋まで歩いて行くこともできます。
この街道はサイクリングのメッカであり、自転車で渡ることもできるし、自転車料金の徴収所もあります。 -
私たちは生口島にある「平山郁夫美術館」に寄るために、生口島ICで降りました。
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多羅々大橋の下をくぐって…
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「平山郁夫美術館」に着きました。
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入館料を支払ってすぐ横の壁面に「仏教伝来」が掲げられていました。
左へ曲がったところの廊下には、平山氏の名作の版画が飾られていて、それぞれ60~300万円の値段が付けられ、即売してくれます。
館内はフラッシュをたかなければ写真OKとのことで、許可を得て撮影してきました。 -
平山氏が深い感銘を受けたという、中国敦煌「莫高窟」の壁画が再現されていました。
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「莫高窟」内の仏像も等身大で造られています。
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大作「求法高僧東帰図」。玄奘や法眼のように、中国から天竺に渡り仏法の真髄を求めた僧はたくさんいたとのことです。
この絵は、シルクロードの描写をライフワークにした平山郁夫が、多くが命を落とすことも厭わずに天竺へ赴き、悟りを得て帰る僧たちの集団の姿を、象徴的に描いたものだとのことです。 -
「アフガニスタンの少女」を描いたときの写真と説明書きです。
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その素描がこれ。
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その作品がこれ、8000万円です。
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私がいちばんいいなと思った「ロバと少年」。アフガニスタンのカブールで描いた作品だそうです。
広島原爆の被爆者だった平山氏は、死生観を見据えた画家だったと思います。それが彼をして、晩年、仏教伝来の道を描かせた原動力だったのではないでしょうか。アフガニスタンやタジキスタンでの数カ月の滞在を要する描写は、命を削る活動であったとか。 -
近くにある「耕三寺」へ寄ってみました。
「平山郁夫美術館」の入館券を見せると、料金が割引になります。
さらに、8000万円の絵の話をしたあとなのにみみっちいことで恐縮ながら(笑)、私たちはナビの導くまま現地を訪れたところ、500円と書かれた駐車場を見つけ車を止めたのですが、「平山郁夫美術館」の正門前には無料の駐車場があります。 -
「耕三寺」は、生口島の出身で、大阪での商いで財を成した実業家「金本耕三(のち耕三寺耕三)氏」が、慈母への報恩感謝の思いを込めて、1935年(昭和10年)から建立してきた浄土真宗本願寺派の寺院で、「母の寺」と呼ばれています。
境内の建物は、日本の著名仏教建築などを模したもので、この写真の門(孝養門)は日光東照宮の陽明門を模したものです。 -
この写真の本堂は宇治の平等院鳳凰堂
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本堂左後方に立つ救世観音大尊像。コンクリートと漆喰併用の彫像で総高15m、法隆寺夢殿の御本尊 秘仏「救世観音」を手本としたものです。
私はしまなみ海道が全通した15年ほど前に、この寺を訪れたことがあります。当時は極彩色の美しい寺だなと思いましたが、その頃に比べるとちょっと色あせたかなという印象でした。
でも、これほどの建造物を建てた耕三氏の孝養心と事業の成功は目を見張るものがあり、地元にこれだけの遺産を残したことは偉業と言うべきでしょう。
建物も多くが登録有形文化財に指定されており、寺には16もの重要文化財(耕三氏の収集物)があります。 -
寺の奥山には、15年前には無かった「未来心の丘」と呼ぶ、広さ5,000平方メートルの大理石の庭園が造られていました。
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最頂部に登ると、瀬戸内の海や生口島の風景が、360℃の視界の中に収められます。
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午後2時40分、耕三寺の門前にある「ちどり食堂」で、名物「たこ飯」を食べました。
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午後3時15分、「しまなみ海道」に乗りました。
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このあと、3連休の中日だったので、渋滞も覚悟したのですが、拍子抜けするぐらい順調に、山陽道~新名神~東名阪~伊勢道と走り、途中1回の食事、2回のコーヒータイムを挟んで、6時間30分、午後10時前に自宅に帰り着きました。
帰宅してから2週間、他との濃厚接触を避けて待機しておりましたが、いまだ異常も無いので、コロナ禍は一応免れたかと思っています。
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