2020/11/25 - 2020/11/25
3位(同エリア773件中)
noelさん
江戸博物館で11月21日から4月4日まで古代エジプト展を開催しています。
今回は国立ベルリン・エジプト博物館所蔵の作品です。
古代エジプト関連の物を所蔵している博物館の中で今までに行った事があるのは、エジプト考古学博物館、大英博物館、ルーブル美術館、ルクソール博物館・・・そしてこれまでに日本で企画された様々な展覧会には結構足を運んでいたつもりです。その他、池袋の古代オリエント博物館、三鷹の中近東文化センター、白金の松岡美術館・・・等々、何度か観に行っています。
まだ行った事がないのがメトロポリタン美術館、ライデン国立古代博物館、そして国立ベルリン博物館です。
今回はこのベルリン博物館が所蔵している作品を拝見できました。
さて、話は変わりますが、世界三大美人といえば、クレオパトラ、楊貴妃、小野小町と言われていました。
ただ、実際にエジプトに行くと、クレオパトラの名前はあまり耳にしません。
実際にハリウッド映画が作り出したエリザベス・テイラーの印象が強烈すぎたせいもあるでしょう。
クレオパトラに関しては、コインぐらいしか残されていません。
実際のところ美女というよりも、あのカエサルやアントニウスが魅了されるのだから知的で魅惑的な女性だったとは思います。
ただ、本当に美しいのはむしろネフェルティティ・・・これは現在のエジプトで何人かの人々から言われたことです。
その胸像を所蔵しているのはベルリン博物館です。(今回は展示されませんでしたが)
そのようなわけで、他にどんな物を所蔵しているのか、ちょっと期待して出かけました。
※ あまり旅行記っぽくありませんが、どうぞご了承くださいませ。
※ 蛇足ながら、日本では三大美人の中に小野小町が入ってますが、他ではトロイア戦争の原因となったヘレネーとも言われてます。そもそも誰が決めたのでしょうね。美の基準は時代によっても違いますし。(笑)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄
-
古代エジプト展 天地創造の神話
エジプトにおける天地創造について、神々について新たに知ったこともありました。
ファラオと宇宙の秩序
「最初の海」ヌンに創造神が出現して、混沌とした世界に初めて秩序がもたらされました。古代エジプトではこの秩序を「マアト」と呼んでいます。
マアトとは、宇宙全体を支配する秩序、摂理であり、個々の人間が生きていく中で遵守すべき最も重要な規範・道徳として考えられていました。
宇宙全体がマアトによって満たされていたのと同じように、人間社会もまたマアトの原理によって作り上げられたものでした。人間社会のリーダーであるファラオは社会の中でマアトを遵守し、遂行する最高責任者でした。そのため、異民族の侵入やファラオに対する謀反といったような明らかにマアトを揺るがす大きな事件に対しては、「善き神」である強いファラオ自身がリーダーシップをもってマアトを実践していくことが必要不可欠でした。そしてマアトを遂行することができなければ、ファラオといえども大きな罰を受けなければならなかったのです。
神より定められた宇宙の秩序であるマアトを現実社会の中で神に代わって遵守して施行することが、為政者であるファラオに求められていました。ファラオは全能の神の代行者であり、その現実の世の中にマアトの理念を広める役割を担っていました。
このように天地創造に関しては、最初は混沌の中から生まれたとありますので、旧約聖書にちょっと似ています。
人類の最初は同じなのでしょうか。 -
左
ホルス神に授乳するイシス女神の小像
玉座に座るイシス女神が幼いホルス神を膝の上に抱き、授乳している像
末期王朝時代 BC664年-BC525年
出土地:テーベ西岸、シェイク・アブド・アル=クルナ地区
材質:ファイアンス
高さ9.7cm、幅3.2cm、奥行6.1cm
右(日本初公開)
背面にジェド柱を持つオシリス神の小像
冥界の支配者オシリス神は、常にミイラの姿をし、王権の象徴であるヘカ杖と殻竿を持っています。妻はイシス。
末期王朝時代、BC664-332
出土地:ベンハ?
方解石
21.5×7.2×10.5 -
左(日本初公開)
手にアンク(生命の象徴)を持つセト神を描いたオストラコン
砂漠の神セトは、破壊と無秩序の象徴として、嵐や反乱、病と結びついています。
新王国時代、第19-20王朝、BC1292年-1070年頃
ディール・アル=マディーナ
礫、彩色
6.5×4.8×2.7
右(日本初公開)
有翼のイシス女神に保護された、ミイラ姿のオシリス伸の小像
末期王朝時代 BC664年-332年頃
青銅
17.5×5.2×8.4 -
ひざまずき供物を捧げるナイルの神ハビ
第3中間期・第25王朝(クシュ王朝)
BC710-650年頃
マディーナト・ハブ
アメン神妻シェプエンウペト2世の神殿型墓
砂岩
85×39.5×6.5
古代エジプトには様々な神々がいます。
身近な自然環境の中に神性が宿ると信じられて、人間の力をはるかに凌駕することができる力を持つ存在は、しばしば「神」とみなされました。
人間のできない空を飛ぶ能力のある鳥の神々、時として人間を襲い、死に至らすワニ、カバ、ライオン、などの獰猛な生き物、猛毒を持ち人間に危害を加えるコブラやサソリなども恐れを抱く存在でした。
そのため神々の種類は多様で、太陽、月、星などの天体、天空、大地、大気、湿気、川などの自然、カバ、ライオン、ウシ、ヒツジ、ヒヒ、イヌ、ネコなどの哺乳類だけでなく、ヘビ、ワニ、カエルなどの爬虫類や両生類、ハヤブサ、ハゲワシ、トキなどの鳥類、サソリ、スカラベなどの節足動物や昆虫、魚類や植物など、また八百万の神々が存在していました。
日本でもかつてこのような信仰があったので、多少理解できますが、流石にスカラベ(ふんころがし)には吃驚しました。
古代エジプト人は生活の周囲にに広がる自然の営みを注意深く観察していたことがわかります。
日本にも確かに八百万の神の信仰がありました。
過去形にしたのはちょっと残念ですが、それでも心の片隅に残っている人もいると思いたいです。
山の神、海の神、沼の神、米粒の神・・・・・様々な神への信仰を持つ事で、畏れの気持ちを持っていました。
自然を大事にし、同時に人間の力だけでは神に抗う事ができないとい謙虚な気持ちを持つ事で、自然と上手に共存してきました。そんな日本人だからこそ、エジプトの神々について、ある程度理解できるのですが、正直フンコロガシまで神だと言うのには吃驚しました。
でも古代エジプトでは、太陽神ケプリの化身で、重要な神だったのですから、現在の世の中で軽視されてると知ったら、ファラオもさぞやお嘆きでしょう。 -
コンス神像(上半部)(日本初公開)
頭の三日月が特徴的なコンス神は月の神として、太陽神ラーに対する夜の存在です。
太陽と関連するアメン神と天空の女神ムウト神の子供です。
新王国時代、第19王朝、ラメセス2世治世、第1279-1213年頃
ジルジャ
花崗岩
66.5×22×21 -
ナイルの神の像(上半部)(日本初公開)
ハピ神は両性具有で、丸みを帯びたお腹と女性的な胸を持っています。
豊穣をもたらすナイル川の氾濫の聖なる兆候として描写されている。
中王国時代・第12王朝、BC1976-1794年頃
マディーナト・アル=ファイユーム
クロコディロポリスのセベク神殿
黒色花崗閃緑岩
70×49×37 -
セクメト女神座像
アメンヘテプ3世が老後の病気を思って600点以上製作させたセクメト女神は、好戦的な側面だけでなく、癒しの女神としての側面も持っています。その圧倒的な破壊力ゆえ、病気を治療し、人々を救済する女神とみなされるようになりました。
新王国時代・第18王朝、アメンヘテプ3世治世、BC1388-1351年頃
テーベ東岸、カルナック神殿、複合体・ムウト神殿域
花崗閃緑岩
211×49×102 -
セクメト女神立像(上半部)(日本初公開)
ライオン頭の女性像は、セクメト女神を表し、戦争の強力な女神としてエジプトの地を敵から守ります。
新王国時代、第18王朝、アメンヘテプ3世治世、BC1388-1351年頃
テーベ東岸、カルナック神殿、複合体・ムウト神殿域
花崗閃緑岩
85.5×47×41 -
パピルスの茂みの中にいるヘフ神の装飾を施した聖油を塗るための匙(日本初公開)
ヘフ神の手にしているヤシは無限の時を象徴しています。
末期王朝時代、BC664-332年頃
ファイアンス、青彩色
8.8×5.5×2.1 -
ミン・クヌム神あるいはアメン・ラー神の小像(日本初公開)
創造、豊穣、再生、復活に関連する異なる神々が習合し合体しています。
末期王朝時代、BC664-332年頃
青銅
32×12×23.5 -
ネフェルテム神の小像(日本初公開)
ロータス(蓮)の花の若い神として、再生、復活を象徴します。
末期王国時代、BC664-332年頃
青銅、全鋳造、ガラス象嵌
30.7×6×10.9 -
座ったヒヒの護符(日本初公開)
ヒヒはトキと同じく、知恵の神トト神の化身です。
末期王朝時代、BC664-332年頃
ファイアンス
4.6×2.3×2.9 -
ハヤブサ頭のワニの小像(日本初公開)
ワニの神セベクは水の支配者かつ豊穣の神です。
末期王朝時代、BC664-332年頃
蛇紋石、暗緑色
5.5×3.8×21.2 -
同上でハヤブサ頭のワニの小像を横から
-
バステト女神座像(日本初公開)
癒しの女神として人気がありました。
末期王朝時代・第26王朝、ネコ2世治世、BC610-595年頃
青銅
22.5×8.7×17 -
日輪を戴く礼拝するエジプト・マングースの小像
太陽神ラーとコブラの女神ウトの象徴として、太陽円盤をつけています。
末期王朝時代、BC664-332年頃
青銅
22×5.5×5 -
アメンエムハト3世と思われる礼拝する王の立像(日本初公開)
短い腰布と縞模様の頭巾は王の衣装です。頭を上げ前進する動的な姿は大きなる自信に満ち溢れています。
中王国時代、第12王朝、アメンエムハト3世治世、BC1853-1806年頃
花崗閃緑岩(花崗岩)
65×19.7×31 -
トゥトアンクアメン(ツタンカーメン)王の前で腰をかがめる廷臣たちのレリーフ
(日本初公開)
深々とおじぎをしている王族の廷臣たちは、第18王朝末期の正装に身を包んでいます。
新王国時代・第18王朝、トゥトアンクアメン王治世、BC1333-1323年頃
サッカラ、ウニス墓地、ホルエムヘブ墓
石灰岩
42×23×3 -
ハトシェプスト女王あるいはトトメス3世のスフィンクス像頭部(日本初公開)
ハトシェプストは夫トトメス2世の死後、ファラオとして戴冠。その後は男性の王としての装いで表されました。
新王国時代・第18王朝、ハトシェプスト・トトメス3世治世 BC1479-1425年頃
石
18.5×16×13 -
ハトシェプスト女王のスフィンクス像(胸像)
スフィンクス(人間の頭を持つライオン)の姿で表現された女王像では、女王自身が神として表現されています。
新王国時代・第18王朝、ハトシェプスト女王治世、BC1479-1458年頃
テーベ西岸、アル=ディール・アル=バハリ
珪化砂岩(珪岩)
97×88×77 -
斜め横から
端正整っていて美しいです。 -
ラー・ホルアクティ神に供物を捧げるトトメス3世を描いたステラ(日本初公開)
トトメス3世が、ハヤブサ頭の太陽神ラー・ホルアクティに供物を捧げている場面。
供物は、清めの水を注ぐ儀式で使われるネメセト容器4つです。
新王国時代・第18王朝、トトメス3世治世BC1479-1425年頃
出土地:ヘリオポリス おそらく太陽神殿域
石灰岩
106.5×64×13.5 -
王の書記ホリのステラ
書記であったホリが王の使者として、数多くの祭ができるよう神々に願ったことが、書かれています。
新王国時代・第20王朝、ラメセス8世治世BC1126-1125年頃
出土地:アビュドス
石灰岩、彩色
100×65×15 -
メンフィスのプタハ大司祭の墓出土のレリーフ
右側に描かれているのが、埋葬された人物で、特徴的な大司祭の衣装、編んだ髪の毛の束がついたかつら、首元に襟飾りをつけています。
新王国時代・第19王朝、ラメセス2世治世、BC1279-1213年頃
出土地:メンフィス/サッカラ
石灰岩
58×94×12 -
左
神官の頭部(日本初公開)
末期王朝時代・第30王朝 BC 380-342年頃
花崗岩
22×13.5×18.3
中央
神官で天文観測官タイタイ立像(日本初公開)
新王国時代・第18王朝、アイ王治世、BC1323-1319年頃
硬砂岩・石灰岩
27.5×8×12.5
右
ナクトミンと母メレトセゲルの像
王の領地の監督官ナクトミンと母は、彼らの持ち物から宗教儀式に関係していたことがわかります。
新王国時代 ・第19王朝 BC1292ー1186年頃
出土地:ヘリオポリス
黒色花崗岩
32×20×11.5 -
エジプト人と「アジア人」を描いたセティ1世王墓ブロック(日本初公開)
王墓の壁面に装飾された古代エジプトの冥界の書の一場面で、エジプト人と「アジア人」として描かれたシリア人が描かれています。エジプト人だけでなく、外国人もエジプト人たちの冥界に受け入れられています。
新王国時代・第19王朝、セティ1世治世、BC 1290-1279年頃
テーベ西岸 王家の谷、東谷、セティ1世王墓(KV17)
石灰岩、彩色
104.5×75.6×41.9 -
左
トキの姿をしたトト神、2匹のヒヒとマアト女神を伴う祠堂(日本初公開)
マアト女神は太陽神ラーの娘で、世界秩序の守護者であると考えられていました。
末期王朝時代、BC 664-332年頃
テル・アル=アマルナ、大住居0 49.01、ホール
青銅、一部 金、中空鋳造
10.6×5.8×13.5
右
王に授乳する女神の立像(日本初公開)
末期王朝時代、BC664-332年頃
青銅
17.7×4.2×6 -
左
二重冠を被ったハヤブサで表されたホルス神の小像(日本初公開)
ホルスはオシリスの跡を引き継ぎ、すべての地上の王たちの前身として、全エジプトを支配しました。
末期王朝時代 BC664-332年頃
ベンハ
青銅
26×8.5×23
右
聖水を注ぐハヤブサ頭のホルス神の小像(日本初公開)
王の即位の儀式における重要な場面を描写しています。
末期王朝時代 BC664-332年頃
青銅
10.1×2.4×5 -
神々に供物を捧げるトゥトアンクアメン(ツタンカーメン)王と妃を描いたアーキトラヴ
この装飾された戸口は、記念碑として建てられたもので、メンフィスの神々に捧げられたものだと思われます。
新王国時代・第18王朝、トゥトアンクアメン王治世、BC1333-1323年頃
メンフィス、サッカラ
石灰岩
65×103×12 -
サティス女神とアヌキス女神に捧げられたプトレマイオス1世の供物盤(日本初公開)
ハトホル女神が装飾されたこの容器には、王家の供物を捧げるため、穀物、花、ビールなどが入れられました。
プトレマイオス時代、プトレマイオス1世ソテル治世、BC304-282年頃
出土地:エレファンティネ
黒色花崗岩
16×直径79.5 -
メンフィスのプタハ大司祭の系譜のあるレリーフ破片(日本初公開)
墓主の先祖が4段にわたって記載されています。彼らの多くはメンフィスでプタハ神の高官として仕えていました。
第3中間期・第22王朝、BC946-736年頃
メンフィス、サッカラ
石灰岩
45×90×50.5 -
礼拝するヒヒの姿をしたトト神とアメンヘテプ3世(日本初公開)
ヒヒは知恵の神トトを象徴し、王は神の保護を確信する者として表されています。神々が王にマアト(宇宙の秩序)を守る責任を与え、その行動を支援するのです。
新王国時代・第18王朝、アメンヘテプ3世治世、BC1388年~1351年
ヘルモポリス、マグナ?
赤色花崗岩
134×52×68.5 -
2本のオベリスクが立つ様式化された神殿の模型(日本初公開)
オベリスクは天と地上をつなぐものと表現されています。
末期王朝時代、BC664-332年頃
青銅、金鋳造
14.5×8.5×9.1 -
デモティックが記された香炉(日本初公開)
神々の像に香をたくことは、神殿における重要な宗教的日課でした。
プトレマイオス時代、BC323-30年頃
青銅
10.6×7×45.7 -
左
ライオンの上に立つベス神の装飾のある柄のハトホル女神ノシストルム(日本初公開)
シストルムはハトホル女神またはイシス女神の宗教儀式に使用された、音が鳴る楽器です。
プトレマイオス~ローマ支配時代、BC332-AD313年頃
ギシリア、スパルタ
青銅、金鋳造
24×3.9×3.4
右
メニトのおもり(ハトホル女神の宗教儀式の道具)(日本初公開)
ハトホル女神は牝牛の姿で描写され、パピルスの茂みに浮かぶ船の上に立っています。
新王朝時代・第18王朝、アメンヘテプ3世治世、BC1388-1351年頃
テル・アル=アマルナ、住居O47.11
青銅、金に象嵌
11.1×3.8×0.4
※庶民の信仰の対象は毎日の家族との暮らしの中で身近な願いを叶えてくれる神々でした。家族の安寧と健康が最大の関心事で、その代表的な神がベス神でした。
ベス神はライオンの耳を持ち、髭をはやして、舌を出した恐ろしい形相の小人の神として描かれますが、怖い表情が邪悪なものを遠ざける魔よけの意味を持っています。このようなことからベス神は大変人気があり、数多くの護符が作られました。
庶民にとっては、死後の再生も重要なことで、家族の再生と復活を祈るためオシリス神の聖地アビュドスへ参詣したり、祖先を敬う祖霊崇拝によって、家族に祖先の像を安置することもありました。 -
カルナック神殿のアメン神官ホルの方形彫像
この彫像はおそらくホルの代わりとして、神殿域または参道に沿って建てられました。
第3中間期・第22王朝、オソルコン2世治世、BC875-837年頃またはオソルコン3世治世、BC790-762年頃
テーベ東岸、カルナク神殿複合体
硬砂岩
31×16.5×21 -
神格化されたイアフメス・ネフェルトイリと思われる王妃の立像
ネフェルトイリは死後数世紀を経た後、聖なる王妃として崇拝されました。
新王国時代・第19王朝、ラメセス2世治世、BC1279-1213年頃
硬砂岩
55.5×12×15
※ イアスメス・ネフェルトティと解説にありましたが、イアフメス・ネフェルトティかと思いましたので、勝手に訂正させていただきました。 -
ヒヒを肩にのせ、ひざまずく男性の像(日本初公開)
書記の守護者トト神の化身であるヒヒが肩に腰かけていることから、この男性は書記であった可能性があります。
新王国時代・第19王朝、BC1292-1186年頃
石灰岩
61.5×25×39 -
アメン神を表す牝羊の頭を抱えた男性の座像(日本初公開)
頭部が欠損していますが、ひざまずく男性を表しています。
第3中間期・第22王朝、オソルコン2世治世、BC875--837年頃
テーベ西岸、ラメセウム
石灰岩、彩色
48×22×31 -
左
ハトホル女神あるいはイシス女神に供物を捧げる女性を描いた奉納ステラ(日本初公開)
聖なる保護を臨んで墓か神殿に奉納したものです。
末期王朝時代、BC664-332年頃
テーベ
硬砂岩
10×7.5
右
呪術的なステラ(ワニに乗った子どものホルス)(日本初公開)
危険な動物からの保護を臨んだ病気の人々のための像とみなされていました。
末期王朝時代・第30王朝~プトレマイオス時代初期、BC380-200年頃
凍石、暗緑色
19.5×10.9×6.7 -
壺とライオンの背後の祈る人物が表現された供物卓(日本初公開)
末期王朝時代、BC664-332年頃
青銅
5.9×3.1×5.3 -
左
マアト女神の像を抱えた神官がひざまずいている小像(日本初公開)
末期王朝時代、BC664-332年頃
青銅
7.2×2.2×3.3
右
パピルスの巻物を持つ神格化されたイムヘテプの座像(日本初公開)
階段ピラミッドを完成させたピラミッド建築の先駆者として、崇拝されました。
第中間期、第王朝(クシュ王朝)、BC746-655年頃
青銅
13×4.5×9.5 -
プタハメス墓のピラミディオン(日本初公開)
新王国時代の高級官僚の記念碑的墓の上部構造に不可欠な小ピラミッドで、埋葬目的ではなく、太陽信仰と関連しています。
新王国時代・第18王朝、アメンヘテプ3世治世、BC1388-1351年頃
サッカラ、ウニス墓地、プタハメス墓
黒色花崗岩
39.5×43×41 -
パタイコスの護符(日本初公開)
古代エジプトの人々に非常に人気のある守護神でした。
末期王朝時代~プトレマイオス時代初期、BC664-250年頃
ファイアンス、淡緑色
8×3.8×2.4 -
左
ベス神の小像(日本初公開)
最も広く信仰された神の1柱で、ローマ時代には地中海の周辺国でも崇拝されていました。
新王国時代・第18王朝、BC1550-1292年頃
テル・アル=アマルナ(?)
ファイアンス、暗青色
8.6×4.5×4
右
ベス神の象嵌
特に女性や子供を保護し、子孫繁栄、妊娠、出産時の保護神とされていました。
末期王朝時代、BC664-332年頃
アシュル(イラク)
ガラスペースト
16.8×8.2×2.2 -
太陽の船に乗るスカラベを描いたパネヘシのペクトラル(胸飾り)(日本初公開)
太陽神が舞い、朝新たに生まれるのと同様、死者も冥界で新しい生命が与えられることを願っています。
新王国時代・第20王朝、BC1186-1070年頃
青色ファイアンス、赤色ガラス、釉薬付凍石
10.6×10.2×2.6 -
創造の卵を持つスカラベとして表現された原初の神プタハ(日本初公開)
人間の姿から昆虫の姿に変わり、朝に上空へ丸い太陽を持ち上げる太陽神の表現だと思われます。
第3中間期・第25王朝(クシュ王朝)、BC746-665年頃
石灰岩
43×25.5×17
古代エジプト人にとって、再生、復活の考え方を確実なものとしたのが、太陽の日々の運行でした。夕方、太陽は西の地平線に没して、死を迎えますが、翌朝には東の地平線から再生します。
古代エジプト人は頭上の天(上天)とは対照に足下の地下にも天(下天)があると考えていて、下天は暗闇の夜の世界でした。
そして昼を12時間、夜を12時間の一日24時間と定めた古代エジプト人は、地価の暗闇は太陽の日没から日の出までの夜の12時間であり、大蛇アポビスが支配する世界として、しばしば冥界と同一視してました。
太陽神は毎夜、暗闇の世界を航行中に大蛇アポピスにより邪魔されますが、多くの神々の助けを勝利し、翌朝、必ず東天に再生するのでした。 -
ネフェルトイティ(ネフェルティティ)王妃あるいは王女メリトアテンの頭部
エジプト美術の傑出した彫像の1つであり、自然で理想的な顔の形が入念に成形されています。
新王国時代・第18王朝・アマルナ時代、アメンヘテプ4世/アクエンアテン王治世、BC1351-1334年頃
テル・アル=アマルナ、住居P40.02,19室
珪化砂岩(珪岩)、彩色
29×14.9×16.5 -
植物文様が施された青色彩文土器(日本初公開)
青いロータスが描かれています。ロータスは再生・復活の重要な象徴で、古代エジプトでは好まれた装飾要素でした。
新王国時代・第18王朝・アマルナ時代、アメンヘテプ4世/アクエンアテン王治世、BC1351-1334年頃
左
土器、彩色
50×直径31
右
土器、彩色
58×直径31 -
供物卓の前のアクエンアテンとネフェルティティを描いたステラ
アマルナ時代の信仰では、人々はアテン神に自ら祈ることは許されず、ファラオと王妃が仲介者でした。
新王国時代・第18王朝・アマルナ時代、アメンヘテプ4世/アクエンアテン王治世、BC1351-1334年頃
テル・アル=アマルナ、住居N51.06、中庭
石灰岩、彩色
11.9×8.6×2.2
※ アマルナ時代とは・・・
新王国時代第18王朝アメンヘテプ4世(後のアクエンアテン王、在位:BC1351-1334年頃)が、テーベから中部エジプトのテル・アル=アマルナに遷都した時代をアマルナ時代と呼んでいます。
この時代は伝統的な美術様式と異なる新しい芸術表現(アマルナ美術)の作品が数多く制作されました。
テーベのカルナック神殿のアメン神官の勢力が強大になり、王権が脅かされると、神官団に対立していいたアメンヘテプ4世は遷都を断行。アクエンアテンと改名すると、他の神々の信仰を禁止し、太陽神アテンを唯一神とする宗教改革を行いました。
しかしながら、アテン神を唯一神とする改革は、長らく多神教世界にあったエジプトでは定着することはなく、こうした内政の混乱やエジプトの植民地経営の失敗などのにより、王の死後、急速に力を失い、約20年ほどで終焉を迎えました。 -
アクエンアテンの頭部を描いたレリーフ断片(日本初公開)
顔の各部分を極端に誇張することで、宗教的・政治的な伝統を破っていることを明確にしています。
新王国時代・第18王朝・アマルナ時代、アメンヘテプ4世/アクエンアテン王治世、BC1351-1334年頃
テル・アル=アマルナ
白色石灰岩
15.5×11.5×3.2 -
アテン神の2つのカルトゥーシュを持ち上げるアクエンアテンを描いた奉納タブレット(日本初公開)
天を持ち上げる姿勢をとることで、王は自身を創造神のシュウ神として表現しています。
新王国時代・第18王朝・アマルナ時代、アメンヘテプ4世/アクエンアテン王治世、BC1351~1334年頃
方解石、彩色
9×4.2×1.3 -
左
アクエンアテン王とネフェルトイティ(ネフェルティティ)王妃の娘である王女の頭部(日本初公開)
剃髪された頭部は、描かれている人物が子どもであることを示しています。
新王国時代・第18王朝・アマルナ時代、アメンヘテプ4世/アクエンアテン王治世、BC1351-1334年頃
テル・アル=アマルナ住居O 49.13
砂岩
14.7×11.7×14
中
王女の立像(日本初公開)
華奢な身体に幅広い骨盤、特別に長い手足というアマルナ時代に特徴的な形式を示しています。
新王国時代・第18王朝・アマルナ時代、アメンヘテプ4世/アクエンアテン王治世、BC1351-1334年頃
硬石膏
7.5×2.5×2.4
右は後で -
左
棺台の上のトトメス王子の小像
胸の上に死者の魂を表すパーが乗り、死者を守るように翼を広げています。
新王国時代・第18王朝、アメンヘテプ3世治世、BC1388-1351年頃
メンフィス/サッカラ?
凍石
5×9.8×4.4
中
小鳥を摑んだ手を表現した彫像断片(日本初公開)
王家の女性、おそらく王女の左手であると思われます。
新王国時代・第18王朝・アマルナ時代、アメンヘテプ4世/アクエンアテン王治世、BC1351-1334年頃
テル・アル=アマルナ
珪岩
4.5×7.1×3.5
右
ハヤブサの頭部を持つ儀仗の破片(日本初公開)
ハヤブサの像は太陽神を象徴します。これは、太陽信仰の神官の所有物であったと思われます。
王家の女性、おそらく王女の左手であると思われます。
新王国時代・第18王朝・アマルナ時代、アメンヘテプ4世/アクエンアテン王治世、BC1351-1334年頃
テル・アル=アマルナ、大中庭P47.02-03
方解石
9.4×4.1×4.9 -
ジェドコンスイウエスアンクの「アムドゥアト書」(日本初公開)
太陽神ラーの船が冥界を旅する様子が描かれています。死者となった王は、太陽神とともに航行を行うことで冥界の危険を回避したいと望みました。
第3中間期・第21王朝、BC1070-946年頃
パピルス巻物、彩色
23.5×124 -
タレメチュエンバステトの「死者の書」(日本初公開)
右側部分(1/7)
「死者の書」は死後に必要な知識を呪文と挿絵により示したもので、死者が危険を逃れ、来世でも生命が続くように神々に懇願する上で役立つとされていました。
プトレマイオス時代初期、BC332-246年頃
パピルス巻物、彩色
36.3×413.4
※ これは最初の右側部分です。他はこの後に続けてます。
推測すると右側にアヌビス神がいて、死者を船で運んでいる場面のようです。 -
右側から2番目部分(2/7)
-
右側から3番目部分(3/7)
-
右側から4番目部分(4/7)
-
右側から5番目部分(5/7)
-
右側から6番目部分(6/7)
この場面は有名な最期の審判の場面です。
左端にいるのがオシリス神です。右の心臓と左の羽(女神マアト神)を天秤にかけてます。どちらにも傾いてませんので、死後の楽園へ行けそうです。
もし、嘘であればアメミトに食べられてしまうところでした。
この場面を描いたパピルスをカイロで購入しましたが、私の所持しているものはオシリス神が右側に描かれています。 -
左部分(7/7)
解読できればよいのですが・・・。
ちなみにパピルスはご覧のように、傷んでしまいますが、思ったよりは保存状態が良い方ではないかと思います。
羊皮紙やメソポタミアの粘土板に比べると劣化しても仕方ないですね。 -
デモティックの銘文のあるパレメチュシグのミイラ・マスク
部分的に金箔が貼られ、華美に装飾されたカツラを着用し、多数の守護神やその象徴が描かれています。
ローマ支配時代、AD50-100年頃
メイル
亜麻布、プラスター、ガラス、部分的に鍍金
42×31×56 -
同上の横から見た様子
-
樹木の女神を描いたカーメスのステラ(日本初公開)
シコモアの木の枝から水と果物を差し出している樹木の女神は、保護や思いやりといった役割と密接に関わり、来世でも死者を保護し、世話する豊かな自然の擬人化です。
新王国時代・第19王朝、AD1292-1186年頃
アビュドス
石灰岩
129×68×13 -
王の書記サアセトの人型棺蓋(日本初公開)
遺体の損傷を防ぐため、ミイラは石棺に納められました。石棺に施された装飾は、死者をさらに保護することを意図していました。
新王国時代・第19王朝、ラメセス2世治世、BC1279-1213年頃
アシュート、サアセト墓
赤色花崗岩、彩色
55×80×225 -
同上の頭部方向からの様子
死が訪れると70日間におよぶ埋葬のための準備期間に入ります。遺体は心臓以外の内臓と脳を摘出して、防腐処理を施し、包帯を巻いたミイラにされました。遺体の心臓には、死後確実に再生・復活ができるようにハート・スカラベが置かれ、様々な護符、来世で死者のために働くシャブティ像、死者が死後の楽園に行くための冥界の指南書「死者の書」も副葬されました。
完成したミイラは棺に入れられ、ナイル川を渡り、西岸にある岩窟墓に運ばれました。墓前で行われる葬儀では死後も口や五感が使えるように儀式を行い、棺は墓の埋葬室に安置されました。 -
ネスコンスパケレドという名の女性のカルトナージュ棺(日本初公開)
カルトナージュ棺とは、ミイラを保護するための覆いで、死者の領域を毎日旅する太陽神に現世の日の出まで同行したいという死者の願望を暗示しています。
第3中間期・第23王朝、BC756-712年頃
テーベ西岸
カルトナージュ、彩色
32×43×165 -
タバケトエンタアシュケトのカノポス容器
ミイラ化する際に取り除いた内蔵を納めた容器。山犬頭の容器は胃、人頭の容器は肝臓、ヒヒ頭の容器は肺、ハヤブサ頭の容器は腸を保護しました。
第3中間期・第22王朝、タケロト2世治世、BC841-816年頃
シェイク・アブド・アル=クルナ地区、タバケトエンタアシュケト墓
左(ハヤブサ):35×13.5×13.5
左から2番目(山犬):38.5×13×15.5
左から3番目(ヒヒ):35×13.5×13.5
右(人頭):35.5×13.5×13.5 -
タシェリトエンアメンという名の女性のミイラのカルトナージュ(日本初公開)
プトレマイオス時代から、ミイラを覆うカルトナージュは、1枚でつくられるものではなくなり、分割されました。これらすべてに精緻な装飾と金箔が施されており、金色は「神々の肉体」として死者の神性さを強調しています。
プトレマイオス時代、BC323-30年頃
裏打ちさえた布、彩色、鍍金
右はマスク:23×21×23.5
中は銅部:9×42.5×84
左は足部:23×21×23.5 -
ミイラと共に出土した護符とビーズネット(日本初公開)
死者の危険を回避するため、包帯の間や包帯を巻き終わった体の上に、様々な護符が置かれました。
アブシール・アル=マラク墓14.3室
有翼スカラベ形のミイラの護符・・3個
日輪を戴くハヤブサ頭の襟飾り・・2個
イシス女神の護符
ネフティス女神の護符
ホルス神の4人の息子、ケベフセヌウエフ神の護符
ホルス神の4人の息子、ハピ神の護符
ホルス神の4人の息子、イムセティ神の護符
ホルス神の4人の息子、ドゥアムウトエフ神の護符 -
タイレトカプという名の女性の人型棺(日本初公開)
第3中間期末~末期王朝時代初期・第25~26王朝、BC746ー525年頃
テーベ西岸
下塗りされた木、彩色
外棺(蓋):68×78×213
外棺(本体):52×78×208 -
死者を描いたミイラの覆い布
死者のミイラ化されたオシリス神像が中心となっています。左手には殻竿、右手に湾曲したヘカ杖を持っています。
ローマ支配時代、AD1-2世紀頃
アクミーム?
亜麻布、彩色
104×98 -
それぞれ個人のシャブティ像(日本初公開)
最も普及した副葬品で、死者にかわって来世で農作業を行うとされました。
新王国時代・第19王朝、BC1292-1186年頃
左
ブタハメスのシャブティ像
サッカラ、ウニス墓地、ブタハメス墓
石、黒色
22.6×7.2×6.3
中
バケドゥのシャブティ像
サッカラ、ネクロポリス
凍石
22.2×8×5.8
右
ウアフのシャブティ像
テーベ西岸
石灰岩、彩色
33×10.2×8 -
普段着をまとったシャブティ像(日本初公開)
新王国時代、BC1550-1070年頃
メンフィス/サッカラ
蛇紋石、灰緑色
20×7.5×5 -
上部がまるくなった棺形のシャブティ・ボックス(日本初公開)
シャブティを納めるための木製の箱で、冥界に関連する神々が描かれています。
第3中間期末期~末期王朝時代初期・第25~26王朝、BC746-525年頃
下塗りされた木、彩色
21×27×15 -
背中にミイラを載せて運ぶワニの小像(日本初公開)
ワニはオシリス神を助ける者として特徴づけられています。
末期王朝時代、BC664-332年頃
デルタ、ディマーイ・アル=イムディード
花崗岩
9×10.5×27 -
祠堂形のペクトラル(日本初公開)
この胸飾りの日の出の表現は、死者の再生への願望を明らかにしています。
新王国時代、BC1550-1070年頃
メンフィス/サッカラ
蛇紋石
6.7×7.5×0.9 -
人間の頭のついたハート・スカラベ(日本初公開)
ミイラ製作の際、心臓の代わりに置かれました。
新王国時代、BC1550-1070年頃
蛇紋石
5×7.4×10.6 -
山犬頭のアヌビス神小像(日本初公開)
アヌビスは死者の手をとり、冥界にある12の門を開け、死者が自由に冥界を歩けるようにします。
第3中間期~末期王国時代、BC1070-525年頃
テーベ
青銅、金鋳造、鉄、金に象嵌
12.7×4.9×4.8 -
ハトホル女神の象徴のある柄鏡
ハトホルは天空や母なる女神などの多くの役割に加え、愛と喜び、美の女神でもあります。
新王国時代・第18王朝BC1550-1292年頃
テーベ
青銅、一部鍍金、ガラス象嵌
25.3×13.5×26 -
ロータス花弁形ペンダントのネックレス
新王国時代、BC1550-1070年頃
テーベ?
青色ファイアンス
56cm -
円盤形ビーズとガラス製丸形ビーズ、さまざまな護符のついたネックレス(日本初公開)
第3中間期、BC1070-664年頃
マトマール、墓708
ファイアンス、ガラス、骨、石
43cm -
クウイトエンプタハの偽扉(日本初公開)
偽扉はエジプトの墓の礼拝室では主要な場所であり、現生と来世の間の境界としての役割を果たしました。
古王国時代・第5-6王朝BC2479-2191年頃
メンフィス/サッカラ?
石灰岩
113×79×10.5 -
ラー神とハトホル女神の神官であったマアケルウプタハの供物台
丸く盛り上がった中央は食卓を表し、4つの窪みはワイン、ビール、パン、果実といった供物を捧げるために使われていました。
古王国時代・第5-6王朝、BC2479-2191年頃
サッカラ、S916 マアケルウプタハ墓
方解石、彩色
54×102.5×13 -
左
4匹の子猫と横たわる猫の小像(日本初公開)
末期王朝時代、BC664-332年頃
青銅
3.9×12.3×6
右
しゃがんで果物を食べるサルの護符(日本初公開)
末期王朝時代、BC664-332年頃
緑色ファイアンス
7.3×2.7×3.2 -
左
背中に有翼スカラベとハゲワシが彫刻されたトガリネズミの小像(日本初公開)
ホルス神の聖獣とされていました。
末期王朝時代、BC664-332年頃
青銅
5.7×2.7×12.7
右
かがんだ野兎の小像(日本初公開)
中王国時代・第12王朝、BC1976-1794年頃
青色ファイアンス
3.7×3×7.9 -
ウナギとヘビの混合した姿をした動物で装飾された青銅製の動物の棺(日本初公開)
ヘビは原初の神アトゥムの最初の姿であり、最後の姿です。
末期王朝時代、BC664-332年頃
青銅
2.3×2.7×25.5 -
左上
カエルの形の護符
新王国時代、BC1550-1070年頃
凍石
1.1×1.3×1.6
左下
カエルの形の護符
新王国時代・第18王朝末期、BC1388-1292年頃
ファイアンス
1.4×1×0.8
右上
2匹のカエルの形の護符
新王侯時代、BC1550-1070年頃
凍石
1.2×1.8×2.1
右下
カエルの形のスカラボイド
新王国時代・第18王朝・アマルナ時代、アメンヘテプ4世/アクエンアテン王治世、BC1351-1334年頃
テル・アル=アマルナ、住居P49.03
黄色ファイアンス
0.9×1.1×1.2 -
沼地で銛突き漁をする死者を描いたレリーフ(日本初公開)
ナイル川は狩猟場としても重要であり、この場面は、食料調達図ではなく、社会的階層の高い古代エジプト人の娯楽として描かれています。
古王国時代・第5~6王朝、BC2479-2191年頃
サッカラ、ネクロポリス
石灰岩、彩色
105.5×138×9 -
さまざまな砂漠の動物たちを描いたペヘヌウカー墓のレリーフ(日本初公開)
狩猟場面の一部です。資源の採取と楽しみというだけでなく、自然の観察と描写における古代エジプト人の喜びも示しています。
古王国時代・第5王朝、ウセルカフ王治世、BC2479-2471年頃
サッカラ、ペヘヌウカー墓
石灰岩、彩色
29.5×45.5×8.5 -
パピルスの茂みを船で航行する死者ヘテペトのレリーフ(日本初公開)
パピルスの茂みで船に乗る場面は、沼地でのレジャーやレクリエーション活動を現世でも来世でも楽しみたいと言う願望を示したものです。
古王国時代・第6王朝、BC2322-2191年頃
アル=ギーザ、ヘテペト墓
石灰岩、彩色
38×74×8
死者は死後に待ち受ける困難や試練に対して「死者の書」の呪文を唱えることで乗り越えて、最終的に死者の楽園である「イアル野(葦の野)」を目指しました。冥界を流れる大きな川の向こう側にあるイアル野には、ナイルが流れ、ナツメヤシが生い茂るエジプトそのものの光景が広がっていました。
古代エジプト人は来世においても現世と同じナイル川流域で、生前と変わらない生活が送れることを切望しました。イアル野で牛を使って麦畑を耕作し、種を蒔きます。黄金色に実った麦の穂や、亜麻布の原料となる亜麻布を収穫する場面などが墓やパピルスに描かれていますが、このような農作業も墓に副葬されたシャブティに命令することで、代わって作業をしてもらうことができました。また、死者の楽園で暮らしていても、呪文によって人頭を持つバー鳥に変身し、日中は現世に戻ることも可能でした。 -
神々を礼拝する死者とその家族を描いたカマのステラ(日本初公開)
上段中央でオシリス伸(右)とソカル神(左)を礼拝しています。オシリス伸は死者に関する信仰の中で最も重要な存在でした。
新王国時代・第19~20王朝、BC1292-1070年頃
メンフィス/サッカラ
石灰岩
119.×766×13 -
王の書記 ウプウアウトメスのステラ(日本初公開)
墓所において中心的な崇拝の場所を示すため使用され、死者の冥福を祈るよう求める銘文が刻まれています。
新王国時代・第18王朝、BC1550-1292年頃
メンフィス、サッカラ
石灰岩
161×86×12.5 -
アテフ冠を被ったオシリス伸の小像(日本初公開)
全ての死者は、冥界の王であるオシリス神の世界で再生復活することを願っていました。
末期王朝時代、BC664-332年頃
青銅
39×10.5×8 -
3匹の魚とロータスを描いた浅鉢(日本初公開)
3匹の魚が描かれていますが、頭は1つしかありません。これはすべての起源である創造神の神性の統一とその多様性を象徴しています。
新王国時代・第18王朝、BC1450-1400年頃
テーベ
ファイアンス
3.7×直径10 -
展覧会を見終わった後は、渋谷のロクシタン・カフェでランチにしました。
クロックムッシュとサラダとスープです。 -
食後はお茶を。
最初にも申し上げましたが、旅行記っぽくなくて失礼しました。
どちらかというと自分の備忘録のようなものになってしまいました。m(__)m
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この旅行記へのコメント (6)
-
- Masakatsu Yoshidaさん 2021/10/06 11:33:23
- 古代エジプトの知識の深さに感心しました。
- noelさんへ:この旅行記を見て、展示品の多さに驚きましたが、noelさんの知識の豊かさにも感心しました。実は、20程前のことですが、私がベルリンを訪れた時に、国立ベルリン・エジプト博物館にも出かけました。しかし、今では何を見たのか覚えておりません。因みに、かってトルコに旅行した時にパピルスに描かれた絵(と言っても模写ですが)を買ったことがありますが、それは今でも自宅に飾っています。-ヨシダ
を
- noelさん からの返信 2021/10/06 17:52:02
- Re: 古代エジプトの知識の深さに感心しました。
- Masakatsu Yoshidaさん
ありがとうございます。
展示品は多かったです。
撮影できたので、説明も写させていただきました。
古代エジプトは確かに好きですが、おっしゃる程の知識は持ち合わせていませんよ。汗汗
ところで、ベルリンでご覧になったんだすね。
羨ましいです。
しかも拝見したところ、テンプル騎士団のポンフェラーダ城にも行かれたんですね。いいですね。
行きたい所はたくさんあるのですが、なかなかもどかしい毎日です。
その分、皆さんの旅行記で、行った気分を味わわせていただいてます。
-
- aoitomoさん 2021/01/12 23:55:01
- エジプトは奥が深く面白いですね~
- noelさん こんばんは~
『古代エジプト展』
コロナの問題がなければ江戸東京博物館に私も飛んでいきたいですが、
noelさんの旅行記を拝見して、私も古代エジプト展の図録だけネット購入しました。
私もエジプトに行く前からエジプトから帰って来た後も、
エジプトに興味を持ちまして、色々な本を読みました。
ですからエジプトの神々の話も結構好きです。
このような展示を見ることでエジプトの神々も少しずつ頭に入っていきます。
抜けるのも早いですが。(;´∀`)
noelさんの解説でしっかり楽しませていただきました。
古代エジプト展に訪れることができた気分です。
ありがとうございました~
aoitomo
- noelさん からの返信 2021/01/13 20:11:23
- RE: エジプトは奥が深く面白いですね?
- aoitomoさん、こんばんは
旅行記ご覧いただき、ありがとうございます。
> 『古代エジプト展』
> コロナの問題がなければ江戸東京博物館に私も飛んでいきたいですが、
> noelさんの旅行記を拝見して、私も古代エジプト展の図録だけネット購入しました。
購入されたんですね。それは良かったです。
ゆっくりご覧になれますね
エジプトは奥が深いですよね。
写真は撮っても良かったので、片っ端から撮ってしまいました。汗
新たな発見がありました。
> このような展示を見ることでエジプトの神々も少しずつ頭に入っていきます。
> 抜けるのも早いですが。(;´∀`)
確かにわかります。
あまりにも神々が多いので、私の場合も、覚えるよりも抜ける方が早いかもしれません。
それから、お嬢さんが帰国できない状態で、さぞやご心配でしょう。
通常時でも心配なところ、各国で感染拡大してる現在、本当に心配ですね。
最近は、何気ない日常の有難みを感じるこの頃です。
早くコロナが収束しますように。
どうぞお体に、お気をつけ下さい。
noel
-
- sanaboさん 2021/01/11 00:45:15
- 今年もよろしくお願いいたします。
- noelさん、
寒中お見舞い申し上げます。
今年もよろしくお願いいたします^^
旅行記のタイトルを拝見した瞬間、まさにnoelさんのために
開催されている展覧会のように感じられました。
旅行記を拝見し、(いつもながらですけど)すべての展示品を
網羅しているのではないかと思われる沢山のお写真と
それぞれの詳細な解説に驚嘆しました。
もう実際に江戸博物館へ足を運ばなくてもいいと思えるくらい完璧☆彡
クレオパトラは絶世の美女だと今まで思っていましたけど、
エリザベス・テーラーのイメージによるところも大きかったのですね~。
エジプトで実際に美人の誉れの高いネフェルティティさんは
どんな方なのかと思ったら、「ネフェルトイティ(ネフェルティティ)王妃
あるいは王女メリトアテンの頭部」という展示品がありましたね。
その少し前に「イアスメス・ネフェルトイリと思われる王妃の立像」というのが
ありましたけど、こちらもネフェルトイティさんのことでしょうか?
新年1作目の旅行記はnoelさんにとっては収蔵品目録ともいえる
貴重な作品となりましたね。
今年はまたどのような旅行記を拝見できるのかとても楽しみです♪
首都圏の感染者数がどんどん増えるばかりで、医療機関のひっ迫が
本当に心配です。
今年も引き続きお元気で過ごされますようお祈りしていますね☆
sanabo
- noelさん からの返信 2021/01/11 10:55:04
- Re: 今年もよろしくお願いいたします。
- sanaboさん、こんにちは
そして今年もよろしくお願いします。
早々にありがとうございます。
sanaboさんのおっしゃる通り、旅行できない穴埋めをしてくれるかのようにエジプト展を開催していただき、ありがたく思いました。
嬉しい事に写真撮影ができたので、手当たり次第撮らせていただきました。
ほぼ全てに近いくらい撮ることができました。笑笑
sanaboさん、凄く鋭いですね。
細かくご覧いただきありがとうございます。
イアスメス・ネフェルトリイにまでお気付きいただいて。
実は別人なんです。残念ながら。名前が似ているので紛らわしいですよね。ただこの方も割とお美しいと思います。
ネフェルトティ(ネフェルティティ)は、同じ新王国時代ではありますが、もっと後の方です。もっとわかりやすく言うと、ツタンカーメンの義理のお母さんです。
今回は展示されてませんが、他の胸像をご覧になると美しいのがわかります。
sanaboさんに言われるまで気付かなかったのですが、イアスメス・ネフェルトティと書きましたが、これは間違いでした。出品リストにも解説にもイアスメスとなっていますが、一般にはイアフメスなので。ルーブル美術館にも別の作品がありますが、イアフメスとなってました。
言語によっては読み方が若干違う事もありますが。
翻訳する時に間違ったのかもしれませんね。
ありがとうございます。
本当に緊急事態宣言が出されて、油断できない状況ですね。
医療に従事されてる方の事を思うと心配です。
しばらくは、またステイホームですね。
sanaboさんも、どうぞお気をつけてお過ごしくださいね。
noel
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