2020/11/01 - 2020/11/01
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ゆっくりOm Koiさん
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国内旅行の道具として新たな原動機をゲットしました。
ロシア国謹製・側車付き自動二輪『ウラルサイドカー』です。
新しい相棒のお披露目に合わせて、このサイドカーの生まれ故郷を紹介
させていただきます。
- 交通手段
- バイク
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-
その名の由来、ウラル山脈の東南麓の工場。
おそらくは地方政府関係の広報の写真。
褪せた色あいに古き良きソヴィエトの空気が漂います。
でも加工されてますコレ、最近の写真ですね。
私感で『ロシアっぽい』と思ったので拝借しました。 -
元々は旧ドイツの軍用車両で、主に哨戒活動で未整地を踏破する目的の
三輪原動機です。 -
イルビート市 (Ирбит) です。
人口は約3万8千人です。
ここがウラルサイドカー の生まれ故郷です。
13世紀ごろから存在した古タタール系民族の辺境集落
イルビーフスカヤ(Ирбеевской)村が原型。
ここに中世以降、続々とロシア人が入植したのが町の始まり。
名の由来はタタール語の「イルベイ (Ирбеей) 」からきています。
意味は「貿易・商談」です。
場所はロシア連邦スヴェルドロフスク州。 -
広大なロシア連邦ウラル山脈の東側、シベリアの西端に位置する
スヴェルドロフクス州 (Свердловская область)。
州都はエカテリンブルグ。
住人のほとんどがスラヴ系コーカソイドのロシア人です。
イルビート市は州のやや東寄りに位置します。
ウラル山系以東をアジアとする定義があります。
だとすればウラルは『アジアン・サイドカー』とも言えますね。
ウラル山脈は南北約2500km。
『ウラル』とは古代西シベリアの先住民族であるトルコ系遊牧民
のバキシュル語 ( башкирском языке)で「ベルト」を意味します。
洪水神話や巨人神話が残されています。
曰く 古代、この地には尋常ならざる巨人がいました。
ある日、ズボンのベルトを外して大地に放り投げました。
すると北はカラ海、南はカスピ海の砂浜まで横たわりました。
そこに風で砂が盛り上がり、やがて大きな山脈になりました。 -
ヨーロッパの都市によくある大聖堂を中心とした町作りですね。
大聖堂の北側はかつての交易・通商エリアです。
今では工場・倉庫街になってますがソヴィエト以前は煉瓦造りの
常設市場が犇いていました。 -
パッセージ (Пассаж) と呼ばれている建物。
ロシア語で『通路』ですが、違ったニュアンスがあると思われます。
場所はかつての交易広場の西側。
1856年に劇場として作られ、現在はショッピングモールになってます。
帝政ロシア時代のイルビート繁栄の象徴で後期古典主義様式で建造され
ました。 -
17世紀以降、毎年2月に盛大な交易大祭が開かれました。
イルビート・フェア (Ирбитская ярмарка) です。
最初の大祭は町の創設から間も無い1643年、帝政ロシア初代ツァーリ
ミハイル・フョードロヴィチ (Михаил Федрович Романов) の勅令により開催されました。
イルビート・フェアは格式の高い由緒ある交易祭なのです。
しかしながら1929年に廃止されます。
シベリア鉄道本線がイルビートを大きく迂回するルートになった為
交易都市としての必要性を失ったからです。
近年になって観光事業の一環として復活しました。
写真は2017年に開催された現代のイベント。
かつてのフェアではロシア・シベリア商人、さらには外国商人も大挙
来訪し市民を含め2万人が集まったそうです。
17世紀のスラヴ最大都市モスクワが人口10万人前後であったと
すると当時のイルビートの繁栄ぶりが伺えます。 -
大聖堂北の広場と東側がかつての中心部。
この交易祭イルビート・フェアは規模が年々大きくなり18世紀
には首都モスクワを凌ぐ帝国内2番目の商業都市に成長します。
そして1775年、女帝エカテリーナ2世により貿易・産業・文化
さらには教育に関して『特別権利』を付与されます。
いわば『特別行政区』のようなものです。 -
イルビートにある彼女の記念碑と銅像。
エカテリーナ2世 (Екатерина II Алексеевна)。
帝政ロシア8代目ツァーリ、ドイツの地方貴族の生まれ。
オリジナルは1883年に建てられましたが1917年市民によって
引き摺り倒され、鋳潰すために何処かへ持ち去られました。
台座と碑文は当時のもの。
ロシア革命の狂気の渦の中、当時の博物館の人員が必死で守り
通しました。
そして2013年、『紫の広場』(Сиреневый сквер) に有志によって
復元されました。
過去の資料をもとにオリジナルに限りなく忠実に作られている
そうです。 -
せっかくなので、一応地図に起こしてみました。
まぁ、参考までに…。
今時スマホにGoogle Map入ってたら必要無いもんね。
その昔、海外の日本人宿には『情報ノート』なるモノがありました。
そこに情報入り地図なんか書き込んだら、それはそれは重宝がられた
モンでしたよ。
1631年、イルビート川とニツァ川の合流地点であるこの湿地帯に
白コサック兵団 (беломестные казаки) と浮浪農民団が移住しました。
そして囚人収容所・ラーゲリ (Лагерь) を設立しました。
これが町が大きくなるきっかけとなりました。
もとは『流刑の地』だったようです。 -
イルビート大聖堂 (Ирбит Церковь Сретения Господня)
最初期は木造の建築で創建時期は不明。
1781年に全焼した後、1848年に現在の煉瓦・石材・モルタル構造
で再建されました。 -
在りし日の大聖堂。
20世紀初頭、帝政ロシアの消滅と共に栄華と命運が尽きます。
1932年に閉鎖されました。
ソヴィエト (スターリン) の宗教弾圧により祭壇と大屋根が爆破
されました。 -
19世紀の終わり頃に書かれたフレスコ画。
大聖堂が破却されたのは1932年、日本は昭和7年。
極東では上海事変があり、欧州ではドイツでナチスが選挙で圧勝。
激動の世紀を見送ることなく歴史を終えました。
閉鎖後はトレーラー工場のボイラー室として使用され、荒廃が進み
大聖堂はその面影と面目を失いました。 -
史的建造物の立ち並ぶ『中世ヨーロッパ的』なエリアもあれば
殺風景な近代住宅と工場が密集する所もあります。
面積的には後者のがずっと広い。
切り取った風景のみのイメージで来るとガッカリしますね。
これは世界中の有名な観光都市でも同じでしょう。 -
ウラル山脈以東(広義でシベリア)屈指の工業都市ですから当然
鉄道きてます。
大規模な巡回展覧会 Victory Echelons(Эшелоны Победы)がここ
イルビート市で開催されるのに合わせて運行された特別列車。 -
払暁のイルビート駅 (Железнодорожный Вокзал г. Ирбита )。
駅舎正面。
改装中の写真です。
中途半端な季節(旅行者が冬支度をしていない)のロシアの朝の
体感気温はコンクリート。
ゴザ寝で駅宿したら普通に死ぬ。 -
裏側(プラットホーム側)。
駅舎は1915年竣工、様式は新古典主義建築。
創建以来、幾度かの補修はあったものの建て替えられることなく
当時の姿を維持しています。
州都エカテリンブルグから約200kmの距離ですが旅客の直通は
ありません。
エカテリンブルグとの中間地点のアルテモフスキ市への便が1日
4~5往復程度。
日本で例えると、まんま廃線危機のローカル線。
それでも駅長以下10数人の職員が常駐しているようです。 -
駅構内。
理由は貨物線としての需要がはるかに高いからです。
旅客はオマケ、大陸の鉄道ではよくある話ですね。
逞しいロシアンゲージ/1520mm(広軌)です。
新幹線のレール幅(標準軌)/1435mmより広いスよ。
ウラルの工場裏に貨物の引込線が残っておりますが廃線に近い感じ。 -
さて、ウラル工場はここです。
イルビート市の南東側の工場エリアの一角にあります。
基本的にイルビート市は工業都市ですね。
そして町の東側には雄大なトリノ平原 (Туринской равнины) が
広がっております。
母なるロシアの大地です。 -
で、工場なんですが観光名所にもなっていた様子。
これも広報の写真を拝借。
さっきのと違って何だか古いのか新しいのかよく分からない写真。
写真中央、ツアコンらしき男性の服のセンスが80年代の中国っぽい。
中央アジア系の人だと思われます。
今でも工場見学ツアーみたいなのやってるのかな。 -
ここでウラルサイドカーが生産されています。
客 『おたくのサイドカーさ、雨で水入ってくんのよ』
工場長『ウチは金魚鉢作ってんじゃないんで』
販売店『メーカーの勝ち』
客 『…はい』
すがすがしいまでのジャイアニズム、そこに痺れる憧れる。 -
ロシアの親父さん達の手作業だ、職人魂溢れてますね。
ラインでのお仕事じゃないんですね。 -
こちらの親父さんは更にロシア人っぽい。
何という慈愛の眼差し。
後ろに次のエンジンが控えてますが、まさか『よっこいしょ』で
この台に持ってくるのか? -
ロシアはかつての旧共産圏頭領なので当然、女子力も。
奥さん、防塵マスクしないと。 -
例のウイルス禍でここも一時ダウンしていたそうです。
今年3月に大阪のショップに発注した時『最短でも半年』と
言われました。
これはロシアでの感染拡大のずっと前。
つまり平常運転でこの生産状況。
で『工場閉鎖でいつ来るかわからない』からの11月納車。
これがロシア、おそロシア。 -
梱包作業中。
と言うよりも『梱包作業の展示中』ですね。
途中まで車体が組み上がると木箱に入れられます。
頑丈そうな木製パレット。
完全態の状態で出荷されるのではないようです。
見積もりに書いてあった『組み立て費用別途』とはコレね。
余計な手間賃だよね。
側車を取り付けてから出せない理由があるのかしら。
教えて、工場長。 -
『工場を出たサイドカーはシベリア鉄道で運ばれてきます』
と、大阪の代理店ウラル・ジャパンの店員さんから聞いたこと
があります。
現在「鉄道輸送貨物ー貨物船積み出し」ならウラジオストクか
ナホトカ(ボストーチニ)しかないと思うんですよね。
鳥取県境港市から韓国経由でウラジオストクまで定期航路が
ありましたが2019年11月をもって廃止となりました。
ウイルス禍以前は1航海平均300人でしたが、ほぼ東海からの韓国人。
ウラジオストクからのロシア人はせいぜい10人前後。
ウイルス禍と日韓関係悪化で韓国人が消えたので終了。
しかし今年9月、新航路が就航しました。
ウラジオストク発着は変わりませんが韓国の経由地が変わりました。
そして日本側は境港から舞鶴へ。
ウラジオストクー浦項が約24時間、浦項ー舞鶴が約20時間。
韓国の船舶会社で当面は週1便。
ウイルス禍が収まり各入国制限が解除されるまでは貨物のみの運行。
うん、知ってた。 -
かつては幾つかのロシア航路が存在しておりました。
2009年から2011年までザルビノー束草ー新潟便がありました。
日本海横断フェリーです。
新潟国際海運が運営しておりましたが、擦った揉んだがありまして
僅か2年でお亡くなりになりました。
この図の舞鶴ーナホトカ航路は昭和33年に就航した旅客便です。
横浜ーナホトカ航路より3年早かったのですが早々に中断、これも
事実上廃止航路です。
ナホトカー横浜航路
ああ我が青春のナホトカ航路、憧れで終わり結局乗る機会を失い
ました。
脳内の青春、脳内は永遠。 -
この船に乗ってナホトカからシベリア鉄道でモスクワまで行くのが
夢でした。
ナホトカ航路は1961年に就航、1993年に廃止。
同年富山ーウラジオストク航路にに変更されましたが4年後2009年
12月より休止、航路は事実上廃止。 -
現在の主な貨物航路は大体こんなところ。
釜山経由便とか他にも幾つかあります。
ウラルサイドカーの日本での拠点『ウラル・ジャパン』が大阪に
あるので舞鶴・富山便が現実的でしょうね。
伏木富山港ーウラジオストク航路が鉄板のようです。
ロシアの船舶会社「Navis Shipping」 が運営している便だけで月に
5便。
さあ、ウラルサイドカーはどこから運ばれて来るのか。 -
まぁ、無事納車されたからにはどうでもいい話ですね。
ウェルカーム! 新しい相棒よ、どうぞ宜しく。
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この旅行記へのコメント (7)
-
- Shu-senseiさん 2020/11/24 17:11:44
- サイドカー
- 横に乗るのは誰?
- ゆっくりOm Koiさん からの返信 2020/11/27 07:57:10
- Re: サイドカー
- 現在30kgの砂袋と10ℓのハイオクが載っています。
側車に人が乗っている前提のバランスなので船がカラだと
簡単に浮きます。
大体1ケ月経ちまして、だいぶ運転にも慣れてきましした。
調子乗り始めの今が一番危ない頃だと販売店の店長さんに
言われました。
ブログの更新がとだえたら事故して果てたと思われます。
- Shu-senseiさん からの返信 2020/11/27 20:53:46
- Re: サイドカー
- なるほど、40キロだと20台の若い女性を想定した作りでしょうか。我が校の、女子高生でも乗せて走れば楽しいかもしれませんね。
- ゆっくりOm Koiさん からの返信 2020/11/28 09:37:29
- 未成年
- 絵的にヤバいですね。
通報されそうです。
- Shu-senseiさん からの返信 2020/11/30 02:33:04
- Re: サイドカー
- 通報はされないでしょうが、親子だと思われる可能性は高いので、自尊心が許すかどうかでしょうか。
-
- somtamさん 2020/11/16 23:35:13
- 新しい相棒
- om koi様、こんばんは。
ご無沙汰しております。
またまた、奥の深い旅行記ですね☆
om koi様の二輪車に対する情熱が
伝わって来ました!
新しい相棒との旅は、
どの辺りを想定しているのですか?
二輪車の話ではありませんが、
現在の情勢の詳細は把握していませんが、
シベリア横断鉄道は、一旅人として
乗ってみたいものです♪
somtam
- ゆっくりOm Koiさん からの返信 2020/11/17 15:45:15
- RE: 新しい相棒
- somtam様、お久しぶりでございます。
単にサイドカーの産地の紹介でしたが4トラの
ブログの性質上『旅してました』感をなんとか
盛りました。
車庫は隣の兵庫県尼崎なので国内ブログ扱いに
した為、「尼崎くくり」の中で非常に浮いた
旅日記になってしまいました。
サイドカーは運転が難しいので現在練習中です。
本格的な始動はやはり故郷の四国一周を目指して
います。
今となってはシベリア鉄道の興味は薄れてしまい
ました。
それよりもタイに行けなくて難儀してます。
アジトやバイク、諸々の更新ができずにいます。
Om Koi
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