
2020/10/11 - 2020/10/11
26位(同エリア491件中)
みちるさん
苗木城
「絶景!山城部門」では第一位、「続・日本100名城」にも選ばれている苗木城。
高森山(通称城山)の山頂にある天守跡から、麓を流れる木曽川までの標高差は約170mあり、天守跡に懸造りで設置された展望台からは絶景の360°パノラマが広がる。
岩村城
大和の高取城(奈良県)備中の松山城(岡山県)と並ぶ日本三大山城の一つに数えられ「日本100名城」でもある。
城は江戸諸藩の府城の中でも最も高い所(標高717m)に築かれ、高低差180mの天嶮の地形を巧みに利用した要害堅固な山城で、霧の湧き易いのでも有名。
悲しい涙を誘う女城主でも知られている。
山の会で、久しぶりに参加して歩いてきました。
表紙は岩村城城跡
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
いつもの駐車場に7時に集合。
久しぶりなので懐かしい顔に会って、旧交を温める。
この山の会も、コロナや雨で久しぶりの山行である。
中津川ICで降りて、苗木城駐車場に到着。 -
少し坂を登れば、この看板のちょっとした広場に着いた。
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向こうに見える小高い所まで歩きますと。
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よく踏まれた道を歩いていく。
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石垣が見えてきて。
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びっしりと積まれている。
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自然の巨岩がそのまま活用されている。
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この岩はもともとあったものか。
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運んできたものか。
良く倒れてこないものと感心もしながら。 -
建物は現存していませんが、年代によって積み方が異なる石垣は全国でも珍しいと言われていて、マニアを唸らせるほど。日本百名城に選ばれていないことが不思議なくらい、圧巻の城跡です。
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石垣の反対側はこのような景色です。
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更に上を目指します。
この日のメンバーは16人でした。 -
曲がった道を歩いて見上げれば、天守閣があった場所にたつ展望台。
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中津川市内を東西に貫流する木曽川の右岸に一段と高くそびえる城山(432m)に築かれていて、大展望に見とれます。
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↑の写真の景色と反対側は、このように木組みがありました。
城主の遠山氏は、織田・武田に翻弄され城を奪われるも関ヶ原後に城主に返り咲き、以降幕末まで十二代にわたり苗木藩を治めたそうでした。 -
木組みから横にずれると、赤い鉄橋が見えて、木曽川がはっきりと見える。
遠くの山は笠置山。
昔ヒカリゴケを見に登った事がありました。 -
大きな岩の上に木組みがあって、展望台にもなっている。
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下に降りる途中、大矢倉が見えた。
岐阜のマチュピチュといった人がいたそうな^^ -
苗木城最大の櫓。自然の巨石を基礎として、その上に人工の石垣を積んでいるという独特のもの。
ここよりさらに階段を上って上に行きましたが、展望写真はゴーストがたくさん出ていて見苦しいので却下しました。 -
これが当時の復元図です。
(某HPからお借りしました)
苗木城は、一般的なお城のように白色ではなく、赤土壁のお城でした。
完成時は白漆喰の美しい白壁だったものの、木曽川に住む龍が白壁を嫌い一夜のうちに剥がしてしまったという伝説が残っています。 -
次は、車で移動して恵那市の岩村城に向かう。
岩村城の駐車場。
かなり広くて、展望がある。 -
岩村城へは、ややきつい石畳の道を歩く。
こんなに急だったっけ!?
こんなに長かったっけ!?
マスク登山だから苦しいのか。
11年前に孫のみう2歳でこの坂を登った。 -
坂を登りきると、石垣の道に出た。
いい感じだわ♪ -
岩村城は、大和の高取城(奈良県)備中の松山城(岡山県)と並ぶ日本三大山城の一つに数えられる名城。
1185年(文治元年)源頼朝の重臣「加藤景廉(かとうかげかど)」がこの地の地頭に補せられ創築されてから、鎌倉・室町の300年間、戦国の100年間、更に江戸期の300年間に亙り城と城主が連綿と続き、明治に至り廃城令で廃城されるまで、700年もの長い間の城の歴史は続いたのです。 -
城は江戸諸藩の府城の中でも最も高い所(標高717m)に築かれ、高低差180mの天嶮の地形を巧みに利用した要害堅固な山城で、霧の湧き易い気象までも城造りに活かされており、別名「霧ケ城」とも呼ばれています。
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岩村城跡
「日本百名城」に選定された山城。(岐阜県内では岐阜城と岩村城跡の2ヶ所のみが選定)。
本丸周辺の石垣も、マチュピチュと比喩されるかたもいるらしい^^ -
山頂の展望、天守閣があったところ。
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ここでお昼ごはん。
11年前もここでお昼を食べた懐かしい思い出。
みう2歳、小さくて可愛かった。
小さな女の子が登ってきたので、あの日のことを思い出した。 -
岩村城が霧が城と呼ばれるわけ
岩村城は小高い山の頂にありながら、他の山城に比べて圧倒的に多い17箇所もの井戸がありました。
なかでも八幡曲輪にある霧ケ井は、城主専用の霊泉で、「巌邑府誌」という書物に、敵が攻めて来たとき、城内秘蔵の大蛇の骨をこの井戸に投じると、たちまちにして雲霧が湧き出て城を多い尽くし、城を守ったと記してあります。ゆえに、岩村城は別名を「霧ヶ城」と呼ばれています。 -
寄り添うような木が一本。
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信長の叔母でありながら、信長に殺された女城主の悲しい物語は、長くなりますから割愛しますが、興味のある方はお調べください。
「我れ女の弱さの為にかくなりしも、現在の叔母をかかる非道の処置をなすはかならずや因果の報いを受けん」 と絶叫しつつ果てたといいます。 -
女城主の怨念か織田信長が本能寺で殺されるのは、それから七年後のことでした。
“女城主の里”と呼ばれるには、自らをかえりみず、領民や家臣を守った心優しく凛とした「女城主」の伝説があったからなのです。 -
前日雨が降ったので、滑りやすい石畳。
慎重に慎重に下る。
落ち葉や、山栗の実が落ちていた。 -
駐車場横の岩村城藩主邸 太鼓櫓
太鼓櫓は、時を告げるのに使われたそうです。 -
岩村城藩主邸 太鼓櫓の裏側を通って、城下町散策に出かけます。
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岩村町の岩村本通りは、平成10年4月に商家の町並みとして、岐阜県で3番目、全国では48番目に国(文化庁)の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
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どこか懐かしい町並みにほっとします。
でもここを通り過ぎたら、結構な人並み。
日曜日だからね。 -
ここが有名な女城主のお酒の蔵元。
中をのぞくと、密になってるぅ。
退散しました。
有名なカステラやさんも、密でした。
ここは、みうといったほかに1回夫婦で来ているので、3回目。
あの時は、平日だったからまるで別の町のような静けさでした。 -
どうも駐車場が満車だったようで、待ち合わせの時間と場所が決まらず、ただうろうろするばかり。
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レトロチックな薬屋さんは、前にも撮ったね。
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薬屋さんのウインドウは、映り込みと内部の物が混在して、不思議な雰囲気でした。
秋晴れの一日、軽い山登りが楽しめて、初めての苗木城、懐かしい思い出が詰まった岩村城と歴史のお勉強も兼ねて楽しい1日を過ごせました。 -
おまけに
カメラ仲間から教わった休耕田に咲くコスモスを撮ってみました。 -
カラフルなコスモスが、結構咲いてましたよ。
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アップにも耐えるほど美人です。
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私はこの色が好きなので、追ってみました。
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この色が一番多かったです。
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朝方雨が降ったので、茎が長いので倒れそうになってるのもありました。
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花言葉は「乙女の純真」「調和」「謙虚」
秋風に揺れるコスモスは、誰にも好かれる可愛い花ですね。
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