施設情報
岡部六弥太忠澄は猪俣党の出身で、猪俣野兵衛時範の孫、六太夫忠綱が岡部の地に館を構えたのを機に、岡部氏と称するようになりました。忠綱から3代後の忠澄は、治承・寿永の乱の際には、源氏方につき出兵しています。特に一の谷の戦いで、平家方の名将平忠度を討った場面は、平家物語にも登場します。忠澄の墓は普済寺地区にあり、五輪塔が6基並んでいます。このうち最も大きいものが忠澄のものとされています。
クチコミ(2件)
- 深谷・寄居 観光 満足度ランキング 41位
- 3.23
- アクセス:
- 3.50
- 人混みの少なさ:
- 4.50
- バリアフリー:
- 4.00
- 見ごたえ:
- 4.50
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