2020/09/22 - 2020/09/22
127位(同エリア242件中)
あおしさん
この旅行記スケジュールを元に
九州「GOTO」3日目は「荒城の月」で有名な岡城跡とその城下町を歩きました。
夭折した天才音楽家・滝廉太郎、日露戦争で日本初の「軍神」となった広瀬武夫ゆかりの場所を歩きました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- JALグループ JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
阿蘇のホテル旅館は満室だったので、今日は豊後竹田泊。
ホテル岩城屋というところです。
かつては結婚式もできるような高級ホテル旅館だったようですが、今はやや古い建物でした。ホテル岩城屋 宿・ホテル
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「GOTO」を使って今日はちょっと贅沢。
1泊2食付15,000円の「松」コースを。
実際に夕食は地元産の食材を使った、ずらっと食べきれないほどの料理が並びました -
これはミニステーキ。
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本当は鯛が出るそうですが、時期が合わないからかブリが出てきました。
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豚肉のしゃぶしゃぶ鍋。
この豚肉も地元産のようです。 -
エビのてんぷらも出てきました。
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ご飯の代わりに握り寿司が出てきました。
食べきれない、と思いましたが、結局全部食べられました。
おいしいものはたくさん食べられるようです。
料理長がなかなかの腕前なのでしょう。 -
翌朝、8時過ぎにホテル前のバスの営業所から豊後竹田の駅へ。
駅の中にある観光案内所でレンタサイクルを借りようと思ったら、コロナの関係でレンタサイクルは貸出停止中とか。
コロナとレンタサイクルは関係ないと思うんですが・・・豊後竹田駅 駅
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豊後竹田は元は城下町である「小京都」。
今でも街並みには元城下町の雰囲気が感じられました。 -
まずは市内を歩きます。
史跡竹田荘。
この城下町出身で、江戸時代の画家・田能村竹田という人の旧家です。
入館料500円は高いと思いましたが、これから行く予定の岡城跡などの共通入場券が800円だったので、購入して中に入ることにしました。旧竹田荘 名所・史跡
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田能村竹田という画家はまったく知りませんでしたが、彼は藩医の息子として生まれました。
その藩医の家を見学しました。
藩医出身と言えば「解体新書」で有名な前野良沢、杉田玄白、幕末長州藩の志士で、吉田松陰の弟子として有名な久坂玄端などくらいしか知りませんが、その人々もこういう家で育ったのでしょう。 -
竹田荘から見た豊後竹田市街地。
高台にあるので、街並みがよく見えます。竹田創生館(武家屋敷通り) 名所・史跡
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殿町と言われる街並み。
このあたりは豊後竹田藩の上級武士の屋敷が多かったようで、土塀と立派な門の家が並んでいました。武家屋敷通り(歴史の道) 名所・史跡
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市街地から15分くらいでこの城下町のお城、岡城跡へ到着しました。
典型的な山城で、「日本の100名城」の1つです。
江戸時代、岡城の城主は織田信長の家臣で、山崎の合戦では豊臣秀吉に味方して明智光秀と戦い、秀吉と柴田勝家の戦いである賤ヶ岳の戦いで戦死した中川清秀の子孫である中川氏でした。
岡藩、もしくは竹田藩として7万石の大名でした。岡城阯 名所・史跡
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城の正面玄関である大手門の跡。
立派な石垣や礎石が残っています。
かつてはさぞかし立派な門が構えられていたことでしょう。 -
大手門にあった岡城俯瞰図。
順序としては大手門から三の丸、二の丸、本丸に行ったあと、西の丸をまわるのが一般的のようです。 -
大手門から三の丸、二の丸、本丸の城の中心部に行く途中にある中川但見屋敷跡。
中川但見は中川家の家老の家柄だった戸伏家が、その功績により藩主・中川氏より「中川」の名を与えられた家です。
江戸時代の藩政時代も当主は代々家老職を務めました。
城の中に屋敷があるとはなかなかの名家だったのでしょう。 -
三の丸の石垣。
この石垣は最強の石垣と呼ばれ、戦国時代は大友氏の武将・志賀親次が攻め寄せる薩摩の島津軍を何度も撃退し、親次は豊臣秀吉から絶賛され、敵将の島津義弘からも「楠木正成の再来」とまで絶賛されました。
この景色はJR九州のポスターにも使われています。 -
太鼓櫓跡・鐘櫓跡。
ここから岡城の三の丸、二の丸、本丸と中心部に入ります。 -
まずは三の丸跡。
ここは他藩からの使者や家臣と藩主と面談した場所とされています。 -
三の丸の石垣の上からは九重連山が見えてとても景色がいいです。
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三の丸跡から二の丸跡へ。
ここにあった建物には月見櫓や風呂等があり、藩主の楽しみの空間として使われたとされています。 -
二の丸跡にある滝廉太郎像。
明治時代、廃城となったこの城は明治時代はタヌキやキツネのすみかになるほど荒れ果てていたそうですが、当時中学生(12~15歳)の滝廉太郎には格好の遊び場だったようです。
後年、この時期の事を思い出して作った曲が「荒城の月」です。 -
二の丸跡から登ってくると、かつて天守閣のあった本丸跡です。
ここには藩主の住まいである本丸御殿が建てられていました。 -
本丸跡には、天満神社もありました。
代々中川家歴代藩主が守り神として崇拝してきた神社で祭神は「学問の神様」菅原道真でした。 -
本丸から降りてきて、城の東端まで歩きます。
このあたりは東の郭と呼ばれ、中川氏が藩主になる前、戦国時代、志賀氏が城主だったころはここが岡城の中心だったそうです。 -
下原門跡。
戦国時代はここが大手門でした。
戦国時代は敵に攻められても防戦できるように狭い門です。
おそらくここで血みどろの争いがあったことでしょう。
今は静かな門の跡です。 -
本丸部分から西の丸へ。
平和な江戸時代になると、藩主の屋敷はこの西の丸へ移ります。
天守閣等で戦争をする必要がなくなったからでしょう。 -
本丸跡より西の丸跡の方が広い場所になっており、かつてあった屋敷も広かったことを伺わせました。
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西の丸の真下の土地にあった中川民部屋敷跡。
中川民部家は3代藩主の息子から始まる家です。
代々この家も一族代表として家老を務めました。
藩主の屋敷、政治の中心の西の丸の真下に屋敷があるというだけで、この家が代々藩の行政を担っていたことがわかります。 -
中川民部屋敷跡の隣にある中川覚左衛門屋敷跡。
中川覚左衛門家は、中川清秀の妹の婿であり、戦国武将・茶人として有名な古田織部の一族です。
古田織部は大坂の陣で豊臣秀頼に味方をして徳川家より切腹を命じられましたが、織部の弟が「中川」と名前を変えて、古田家を残しました。
この家も代々家老を務めていました。 -
西の丸の城の入り口である近戸門。
ここから駐車場に行けるとあったので降りていくと途中山崩れで道が崩落していました。
ただ、分かれ道を降りていくと市内に着きました。 -
市内にある広瀬神社。
広瀬武夫は日露戦争で戦死して、日本で初めての「軍神」となり、神社も立てられました。
2009年から2011年の3年にかけてNHKで放送された「坂の上の雲」では主役の秋山真之(本木雅弘さん)の盟友として藤本隆宏さんが準主役として登場し、知名度が高まりました。
この銅像はその際に建てられたものです。広瀬神社 寺・神社・教会
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広瀬神社の本殿。
なお、境内には太平洋戦争終戦時の陸軍大臣だった阿南惟幾の記念碑もありました。 -
境内には広瀬武夫の資料館もあります。
この写真は広瀬が祖母への手紙に送られたもの。
広瀬は7歳で母親と死に別れ、父は転勤族だったので、祖母に育てられました。
「祖母様のおかげで軍人として過不足のない身体に育ちました」という感謝の手紙でした。
彼は日露戦争前までロシアに駐在武官として赴き、いわば公然のスパイでしたが、ロシアの軍人たちと親しくなる人柄だったこと、日露戦争で戦死したときはロシアの軍人たちに葬儀が行なわれたこと、ロシアの将軍の娘との「ロミオとジュリエット」のような悲しくも美しいプラトニックな恋愛話など、高潔な人柄が「神」にするには都合がよかったのでしょう。広瀬武夫記念館 美術館・博物館
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市内にある滝廉太郎記念館。
滝廉太郎は転勤族だった内務省の役人だった父親に従い、12歳から15歳までこの家で過ごしました。
当時の家が記念館として残っています。瀧廉太郎記念館 美術館・博物館
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わずか23歳と10か月の人生しかなかった滝廉太郎にとっては、この竹田での3年間はもっとも楽しい青春時代だったようで、彼の曲には「荒城の月」など竹田城下町のイメージした曲が多くあります
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この家は内務省の官舎だったようですが、あまり広くはありません。
それでも小さいながらも庭や土蔵もありました。 -
滝廉太郎の部屋は土蔵の2階。
電灯のない明治時代はさぞかし暗かったでしょうけど、勉強する人はどこでも勉強するようです。
豊後竹田へ戻りJRに乗って大分駅へ。豊後竹田駅 駅
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大分駅の中の「驛亭」という食堂で大分名物のだんご汁。
この後大分空港へ向かいました。豊後茶屋 大分駅店 グルメ・レストラン
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