2002/03/04 - 2002/03/07
154位(同エリア176件中)
まさとしさん
アルジェリアを旅した記録
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ロイヤルエアモロッコでアルジェリアの首都アルジェへ向かう。
アルジェへのフライトは主要1時間45分。機内は超満員だ。朝食を食べてしばらくするとアルジェに着陸態勢に入った。眼下には近代的なハイウェイや集合住宅が広がっていて交通量も多い。やがて空港に着陸、バスでターミナルビルに向かった。ターミナルビルは8年の内戦の影響か少しくたびれていて、中は薄暗い。カサブランカが近代的すぎたからそう感じる。
アルジェリアについて何もわからない。闇両替はあるのだろうか?外貨申告はあるのだろうか。さっぱりわからないので銀行で為替レートを紙に控えることにした。税関で外貨申告らしき紙を書かされたが、名前だけでいいらしい。そのまま到着ロビーに出た。観光案内所は閉鎖されている。ホテルの予約カウンターがあったので地図はないか聞いてみた。カウンターの人はフランス語しかわからず会話ができない。そして地図はないらしい。結局空港では何の情報も得られなかった。空港からのバスがあるのかもわからないし、街がどうなっているのかわからないのでタクシーで中心部へ出るしかなさそうだ。タクシー運転手はあまりしつこくないが、いざ値段交渉に入ると高い金を要求してくる。でも彼らに市内の安いホテルに連れて行ってもらうしかない。 -
空港から市内へ向かうタクシー。ハイウェイを突き進み右手には地中海が見えてきた。海上には大型船が停泊している。やがて前方には海を望む白い大都会が見えてきた。あれがアルジェか。
タクシーは車が溢れる市内中心部へと滑り込み、フランス建築が目に飛び込んできた。一瞬南仏コートダジュールにでも来たのかという錯覚に陥るくらい街の雰囲気が明るく開放的だ。白い建築物と青い海がまぶしい。明らかに今までのアラブ諸国とは何かが違う。道行く人や中心部の広場を見ていると何となくベイルートに似ている気もするが、この街は白い。今回の旅行で初めて興奮するものを感じた瞬間だ。
ホテルに着いた。約束通り10ユーロ渡すともう5ユーロくれと言い出した。相手にしていられないのでさっさとタクシーを降りることにした。外国人がいない国でもアラブ人のタクシー運転手は質が悪い。しかしやってきたホテルは満室だった。外にはまださっきのタクシーが停まっているのですぐに外には出られず、ホテルの中でしばらく待機だ。やがてタクシー運転手が走り去ったのを見極めて外に出ることにした。
通りは人で溢れ、妙に活気がある。いったいこの国のどこが危険なのか。理由がわからなくなってきた。とはいえ観光客は全くおらず、全員英語を理解できない人たちなので誰も頼ることはできない。この街には観光案内所は存在しないようで、地図も手に入らず観光客が頼れるものは何もない。数件のホテルを訪ねたがすべて満室だ。どうなっているんだ。タクシーを再び捕まえようとしたが、すべてのタクシーが乗り合いタクシーになっていて流しのタクシーは全く走ってない。地図もない、タクシーも捕まらない。これではどこにも行けない。まだ正午。途方に暮れながら中心部の広場を彷徨った。
アルジェリア航空のオフィス前にやってきた。ここでチュニスまでの航空運賃を聞いてみることにした。はっきり言って今からチュニジアへ飛びたくなってしまった。でもこの国に来られたこと自体幸運だし、せっかく来たのだからもったいない。近くの旅行代理店で5つ星のホテルも視野に入れて泊まるところを探してもらうことにした。するとその旅行代理店の人が汚い宿なら近くにあると連れて行ってくれた。しかし連れて行かれた宿は満室。その近くにもう一軒あるということで数百メートル歩いた。するとついに1250DA(2125円)で部屋を確保することができた。そのホテルはセントラルヒーティングの効いた暖かい部屋になっていた。しかし断水している。とにかく今夜の野宿だけはさけられた。 -
ホテルの窓からの眺め。
一度旅行代理店に戻ったが、チュニス行きの航空券を買うにはバンクシートが必要らしく、購入は明日以降になってしまった。本当に空路で行くのかしばらく考える時間ができてよかった。 -
本当にこの国には闇両替がないのか。確認のために数件の宝石屋やカメラ屋を当たってみた。しかしすべての店で銀行に行けと言われてしまう。1軒だけ両替にのってきた店があったが端数を切り上げただけで闇両替とは言い難い。アルジェリアは健全な国になりつつあるのだろうか。
写真はアルジェリア航空などもある新市街の中心部。この写真を撮影したあと婦人警官に職務質問を受けてしまった。
地図がないので中央駅がどこにあるのかすらわからない。港の方へ行くと錆びてない線路が目に入った。線路沿いにしばらく歩くと駅らしきものが見えてきた。駅前には黄色い乗り合いタクシーが並んでいる。鉄道ははたして運行しているのだろうか。駅舎へと向かった。近づくにつれ客の姿が見えてきた。廃駅ではないようだ。もしかしたら近郊列車だけで長距離列車は発着していないかもしれないが、構内に入ってみた。駅員によると、ここからアナバという街まで夜行列車が出ていて、そこから乗り合いタクシーに乗ればチュニジアへ陸路で行けると言われた。確信はないがこの駅員の言っていることを信用し、明日列車に乗ろうと思う。列車代はホテル代に比べてかなり割安だ。切符は事前予約はできないようで当日午後3時から発売されるらしい。 -
アルジェの港湾付近。駅のこの界隈にありフランス風の建造物が建ち並び眺めがいい。
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駅近くの街を歩いていると安そうなホテルがたくさんあり400DA(680円)から泊まれることがわかった。しかし満室のところが多く、明日の12時に来いと言われる。明日の12時にもう一度出直していいホテルが見つかれば移動だ。
新市街のホテルに戻った。断水は続いていてホテルの人によると明日の朝まで出ないらしい。水瓶にはふんだんに水が入っているのでとりあえず不自由はないが、これならお湯シャワー付きの宿としてのメリットはない。アルジェは水の大切さを感じさせてくれる街だ。
深夜3時頃から水が出た。いつ水が止まるかわからないのでシャワーだけ浴びることにした。水は朝8時には再び止まってしまった。この宿には朝食が付いていてクロワッサンにコーヒーだ。10時前にこの宿をチャックアウトすることにした。荷物を預かってもらい安宿探しに向かった。アルジェの中心部で写真を撮ったら警官に職務質問され、取材許可証を見せろとか言われた。別に賄賂を要求しているわけではなく、真剣にテロを警戒しているようだ。とりあえず日本からはるばる観光に来ていて土産に写真が1枚ほしいとごまかしていたら解放された。この国はまだ戦時下だ。街中では警官が多く目につく。でも普通に歩いている分には呼び止められることは全くない。 -
部屋からの眺め。
安宿は駅前のある地域に集中していて、すべての宿はすぐにチェックインできず12時に来いという。何軒かいいホテルを決めておいてしばらく時間をつぶし、11時前第一希望のホテルに出向くことにした。しかしフロントに着くなり「今日は満室だ」と言われてしまった。何なんだ。第二希望のホテルで12時まで座って待つことにした。そして何とか部屋は確保できた。この宿の部屋からの眺めは最高だ。1泊600DA(1000円)。ただシャワーはない。 -
すっきりしない天気だ。雹も降ったりして安心して外を歩けない。午後少し晴れてきたのでカスバの方へ行ってみた。アルジェに来てカスバに行かなければ来た意味がない。
アルジェの町中はアラブの国らしく気さくな人が多い。 -
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モロッコやアルジェリアにはカスバと呼ばれる旧市街が存在する。しかしアルジェのカスバは観光客は誰も近づかない場所だ。僕がこの国を訪れた2002年の時点ではアルジェリアは内戦こそ終わった状態だが、不安定な状態で日本大使館もモロッコに避難している状態だった。とにかく行っては行けない国だった。建前上はテロや外国人誘拐とは隣り合わせだという頃になっている。アルジェのカスバはその中でもっとも危険な場所とされている。地図も案内図もないカスバに入った。迷路のような路地に入った。昼でも暗い狭い通路をが続く。
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独特の建築様式で新市街の近代的なフランス風建築も興味深かったがこちらもなかなか見ていて面白い。
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親切な人と知り合い、カスバ建築の家に招かれた。そしてコーヒーをごちそうになった。
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カスバにある家の屋上からの眺めは最高だ。
民家に上がらせてもらわなければ見られない風景だ。 -
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アルジェリア人と中心部の広場にて。
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夕暮れの地中海
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やがて日が暮れた。
今朝町中で見つけたハマム(公衆浴場)に行くことにした。断水しているアルジェだが、どういうわけかここだけふんだんにお湯が出る。これで45DA(76円)は安すぎる。もうホテルにシャワ-が付いているのかといちいち考える必要はない。
でもアルジェのハマムは基本的なイメージとは違いただの公衆シャワー室といった感じだ。
風呂上がりのアラブ街。銭湯帰りの日本の風景とは全然違い、変な感じがする。
真夜中、断水後に水が出だしたがしばらくは錆が混じっている。とても飲料水として利用できない。ペットボトルは水をためるためのものでホテルの備品だ。
空路でチュニスへ飛ぶことを考えていたが、陸路でも問題なさそうなので列車でチュニジア国境に向かうことにした。とはいえ確実に列車に乗って国境を越えられるのか、まだまだ不安な部分は多い。昨日からホテルに泊まろうとするといつも満員ということでもしかしたら列車も予約をしようとすればすでに満員になっているのでないかなどすごく不安だ。とりあえずチケットは午後3時から発売される。
出発までアルジェの中心部の広場で時間をつぶした。しかし午後になるとまた雨が降りそうになってきた。アルジェの天気は変わりやすい。
雨が降ってから駅に行くのはいやなので早めに行って3時まで中で待つことにした。外は予想通り大雨。やがて3時になり切符を買おうとすると「今日列車が出発するかどうかわからないので6時にもう一度来い」と言われた。というかフランス語だったのでそういう風に勝手に解釈した。
おいおいおい。鉄道は直前まで運行するかどうかわからないのか。どうなっているんだこの国は。いつの間にか雨はやみここで6時まで待っているわけにはいかないので一度ホテルに戻ることにした。もしこのまま列車が運休になり、もう1泊しないといけなくなった場合、ホテルはあるのだろうか。まだ3時だから昨日から泊まっているホテルは空室があるが、これからどうなるかわからない。考えた末保険だと思ってもう1泊分お金を払うことにした。おかげで出発まで部屋でくつろぐことができる。ただ余分な出費を出してしまったので、もし出発できれば一等で行くつもりだったが、二等に変更だ。それより出発できるのか? -
アルジェの中心部の広場。
6時前再び駅に出向いた。窓口には数人が並んでいる。駅員と目が合い手招きされた。列車がちゃんと出発するようで一安心だ。二等の予約をしたがホテル代を払っているのでもう手持ちの金がなくなってきた。駅前にタクシー運転手がたむろしていて闇両替を持ちかけてみた。電卓に希望の額を打ち込み見せたらすんなりオッケー。無愛想なタクシー運転手だが声をかけてよかった。僕は運転手が財布から金を出すのを待った。運転手は財布から変なカードを取り出した。そこには「ポリシア」と書かれていた。頭の中が真っ白になった。僕は警官に闇両替を持ちかけてしまったのだ。もうこれで今回の旅行が終わると同時に旅行人生も終わりなのかなと気が遠くなった。また同時にこれからは真面目に生きようと当然の反省をしてしまった。
警官は無愛想な表情のまま「今何をしようとしたんだ?」と事情聴取に入ってきた。僕は「実は今、駅で切符を買おうとしたがお金が足らず、切符を買えなくて両替しなければならなくなった。でも銀行は閉まっているし、駅の中で両替できる場所はないし、そこで誰か両替してくれる人を探していたらタクシーの運転手が助けてくれるのではないかと思った」と言いながら本当に中身の入ってない財布を見せた。苦し紛れの説明ではあるが正当性もある。銀行が閉まっている時間でよかった。すると警官は「20ドル=1200ディナールなら両替してやる」と言ってきた。あまりにもレートが悪かったのでさっきの反省は忘れて断ってしまった。
警官は「じゃあダメだ」と笑いながらタクシーに乗ってどこかへ行ってしまった。助かった。こんなコントみたいな出来事があっていいのだろうか。それにしてもアルジェアの警官は腐敗してないようで本当によかった。どこかのアラブの国なら有り金全部巻き上げられるか刑務所へ行くかの究極の選択を迫られるところだった。
とりあえず今日の20時45分発の列車で無事に出発できることになったので出発の準備をし、ハマムでシャワーを浴びることにした。8時過ぎにホテルを出た。夜のアルジェ駅に向かう道は薄暗く人通りも少ない。しかし駅に到着すると構内は人でごった返していた。1本の列車に乗るのにこれだけ人がいるものなのだろうか?ベンチに座ることはもちろん、落ち着いて立っている場所もない状態だ。
警官が見回りに来ていて外国人の僕を見つけるといろいろ親切に気を遣ってくれる。特別に駅の中の交番に連れて行ってもらい、そこで出発まで待たせてもらった。
20時30分。列車がホームに入ってきた。切符は指定席だと思っていたが、切符のどこに車両や寝台の番号が書いてあるのかわからず、まわりの人や警官に聞いてもわからない。その意味はすぐにわかった。まだ完全に停止していない列車の入り口に人が群がる。そして我先にと中に入ろうと押しくらまんじゅう状態で大混乱だ。どうもアルジェリアの列車は切符さえ持っていればどこに乗ってもいい定員制のようだ。しかし実際は定員を遙かに上回るチケットが発売されている
ようでその結果この有様だ。
到着した列車は始発のはずなのにどういうわけかすでに客が乗っている。親切な警官の引率のおかげで真っ先に中に入ることが出来たが、すでにほとんどの寝台が人で埋まっている。何とか空いているベッドを探してもらい警官は僕に荷物に注意して気をつけるようにと念を押し、列車を降りていった。メルシー。 -
同じコンパートメントにはドイツ(サングラスの人)に働きに行っていたという英語がしゃべれるアルジェリア人がいたので助かる。車内は埃っぽいが毛布や枕が一応備え付けられている。少し暑いが暖房も入っているし、それほど長時間ではないので快適な移動となりそうだ。定刻通り列車はホームを離れた。なんとかアルジェを出発。
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朝が来た。列車は3時間遅れで走っているようだ。9時半にアナバの駅に到着した。
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アルジェに比べかなり貧相な街だが、ここもフランス植民地時代の影響が残った建物でしめられた町並みが広がる。車内で知り合った人と一緒に朝食を食べることにした。オープンカフェでクロワッサンとオレンジジュース、エスプレッソ。アラブにいるという感じがしない。その後チュニジア行きの乗り合いタクシーを探してもらい、ドイツの働きに行っていたという彼とは別れることになった。
チュニス行きの乗り合いタクシーには人がなかなか集まらない。とにかく今日中にチュニジアに入れば何の不満もないので気長に待つことにした。2時間以上待って2人のアルジェリア人が現れた。残り一人で出発だ。しかし4人目はなかなか来ない。もうすぐ正午だ。このまま待っているといつになるかわからない。3人の客で4人分の料金を払い、出発することにした。一人あたり1200DA(2040円)だが400DA(680円)余分に払うことにした。
やっと出発。これで確実に今日チュニジアに入れそうだ。アルジェリアの道はかなり整備されていて片側3車線の高速道路がチュニジア国境にのびている。出発して1時間ほどして検問所に到着した。最初ここが国境かと思ったがどうも違うようだ。なぜかチェックが厳しく、おまけにパスポートがかなり怪しまれ、なかなか解放してくれない。それに日本人が珍しいのかいろいろ質問をしている。しかし警官は終始厳しい表情だ。他のアルジェリア人も苦戦していたようで僕より時間がかかっていた。結局この検問所で1時間以上足止めを食い、国境へ向け再び走り出した。
国境に着いたのは午後2時をすぎた頃だった。審査場では特に問題はなく、アルジェリアを出国。国境ゲートをくぐると違う色の制服を着た警官が警備している。やっとチュニジアに入ったようだ。しかしゲートの横は税関で荷物チェックを受けただけだ。チュニジアの入国審査場はまだ先にあるらしい。タクシーで約20分ほど走ったところにチュニジアの入国審査場があり、ここで入国審査を受けパスポートにスタンプが押された。そしてまたここでも荷物チェック。
入国を終えてチュニスに向かい走り出したのは午後4時過ぎ。ここからチュニスまでは約150キロだがもうこの車の行く手を阻む検問所は存在しない。チュニスに着いたも同然だ。
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