2019/11/02 - 2019/11/28
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佐々の賢次郎さん
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2019年 マナスル周回トレッキングに行った時のメモです
マナスル サーキット トレッキング
・・・・ 踏破は次回に!
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左から ブッダヒマール、ヒマルチュリー西峰、ヒマルチュリー、ピーク29 (ナディチュリー)、マナスル ・・・ ランタンから望む
目 次
前 準 備
移 動 (11/2) カトマンドゥの空港は大混雑だった
Day 1 (11/5) バナナ畑が広がる温暖地からのスタートとなった
Day 2 (11/6) 落差のある滝が彼方此方に!
Day 3 (11/7) タトパニで頭を洗いサッパリして マナスル保護区に入る
Day 4 (11/8) ガイドに振り回され体調不良で引き返す!
移 動 (11/9) ~ ポカラへ向かう!
2020年 ~ コロナ禍で今年は断念 !
前 準 備
昨年、ランタントレッキングが終わりカトマンドゥに戻り、定宿のMadhuban G.H のオーナー Laxman さん に マナスルトレッキングの相談をした。その時に、事前に連絡すれば他のツアーと日程調整するよ! と言われていたので航空券を手配し到着の日時を連絡した。・・・ 裁判員の関係で今年は11月に行く事にした。
・・・ Laxman さん 経営の旅行社; Adventure Bound が催行している。
マナスル地域は ロッジ・食堂等の整備が遅れていたが、最高地点の宿泊地にロッジが出来たのでテント設置の場合より収容能力が増え、ルート全域でロッジが揃う事になった。 此処のトレッキングは、二名以上でガイド付きの規定があり、公認の旅行社のみ認可され、私のような一人旅は他のツアーに入れてもらって申請して許可書が発行される。
個人で自由にトレックできるエリアは踏破したので、テント・食料を積んで隊列を組むツアーはさておき、
ロッジ泊でトレックできる最後の地域がマナスル周辺となる。
しかし、歩き方に載っているマナスルの情報は、許可証と入域料の記述だけなのでネットでトレッキング情報を調べることにした。
Adventure Boundから レッキングは15日間、ポータガイド付きで $ 750- と連絡が来たが
食事、宿泊費、飲み物類は除外してあるので、表示価格の $ 1,200- と同じ位だった。
日程・行程は変更可能なので現地でガイドと相談して調整しようと思うが、積雪により ラルキャラ峠(5160m)が通れない事態はご勘弁願いたい。 ・・・ 積雪後3日間天気が続けば溶けて通れそうだが!!
ちなみに、日本発着のマナスル周回ツアーは60万円程の価格となっていた。
63年前、日本隊が初めて足跡を残した未踏峰マナスル攻略の快挙に日本中が沸き、最初の登山ブームが始まるきっかけとなったので、年配の人は良くご存じの山で人気がある。
世界第8位の高峰で双耳峰の山容も優雅なのでベースキャンプまで行くのを非常に楽しみにしている。
私が小・中学生で作っていた模型飛行機のB 級にマナスル号があり、それで優勝した思い出が懐かしい。
マナスル サーキットは、久しぶりの 5,000m 越え (5,160m) なので裏山へのトレーニングも急登のルートを織り込み、週4日のペースで取り組んだ。
6月には100回を超え、例年より30回程早いペースで消化し、8月12日には120回をクリヤしたが、台風の後秋雨前線が居座り、雨が続き気温も低く夜は寝易くて助かったが、8月とは思えない異常な天候で裏山トレーニングも殆んど登る事が叶わず、130回までにひと月掛かった。
そして、出発までに160回を超えたが、今回は上級コースなので、午前・午後の2回登りも組み込んだ。
入国2週間前にオンラインでビザ申請を行い、今年は20分で取得出来た。
カトマンドゥの空港で、ビザ申請書類を書き込んでいる人の間を通り抜け、申請カウンターに真っ直ぐ行けるので、他の便と重複しなければスムーズに手続きできる。
フライトスケジュールが変更になったので、ピックアップの時間を調整してもらい準備を完了した。
11月 2日 (土) カトマンドゥの空港は大混雑だった
昆明からの座席は窓側だったが 通路側の中国人がカメラを準備していたので ヒマラヤが見える前に “写真撮るなら変わろう“と座席を代わってあげた。あいにく雲が多く山は判別し難かったが盛んにシャッターを押し楽しんでいた。カトマンドゥ上空に着いたが空中待機を始め5回程旋回し 1時間遅れてやっと着陸した。
トリブヴァン空港は、国際線が混雑するので、10-11月のエヴェレスト街道へのルクラ便(国内線)は,
東100km先の ラメチャップ まで車で移動してルクラへ飛ぶ様になったのは知っていたが、これ程
混雑しているとは想像出来なかった。・・・2014年のルクラ便も国際会議でラメチャップ空港使用だった
駐機場は今までとは様変わりして、各国の飛行機が 5・6機ずらりと並んでいた。
一時は中国にまた戻るのではないか、と思うほど着陸の気配を見せなかった。
ホテルに出迎えをお願いしていたのに待たせてしまった。
入国審査は早く出来たが、ビザ申請費US$ 50を出すと ドルはダメ!!
日本円を請求されて7,000円弱取られた。・・・ なんでUS$ がダメなのか??
ホテルに着いたが Madhuban G.H のオーナー Laxman さんは、熱をだして休んでいるとの話だったので
隣の旅行社; Adventure Bound に行きパスポート、写真を渡し手続きをお願いした。
11月 5日 (火) バナナ畑が広がる温暖地からのスタートとなった
カトマンドゥ (1,400 m) ~ ソティコーラ (730 m)
朝5時過ぎ、ガイドの〇em(50歳位)と一緒に車でバス停に向かった。
バスは6時発で、カトマンドゥ西の峠を越えて トリスリ川 に沿って走り、橋を渡り 9時半;ダディン、12時にアルガトバザールに着き、バスを乗換えて出発したが、途中で異音を出してバスはストップ。
車の下に潜り込み修理していたが、ドライブシャフトのボルトが折損したようだった。
3時頃にトレック出発地のソティコーラに到着したが、10数軒の集落で川沿いにバナナ畑が広がっていた。
今日は昼、夜ともダルバートだったがユーロ系が多いのでメニューには何でも載っていた。 -
ダディンの町はきれいな街だった
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アルガトバザールで、バスを乗換えたが、途中で異音を出してバスはストップ。
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ソティコーラはこじんまりした集落だった
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バナナ畑
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11月 6日 (水) 落差のある滝が彼方此方に!
ソティコーラ (730 m) ~ マチャコーラ (896 m)
朝7時に チベタンブレッド を食べ、7時半に出発した。
集落の北端の吊橋を渡ると、新しいジープ道路の工事中で、その傍らを通り、ブティ・カンダキ川に沿って登って行き、10時半に200m 程も有る数段の滝の傍で昼食。
滝を見上げながら吊橋を渡り、13時半には マチャコーラ に到着した。
集落の ブティ・カンダキ川 に架かる吊り橋は、東側の町に運ぶ物資を満載した ドンキー(ろば)の隊列が行き交う要所だったので、対岸に渡りその様子を写真に収めた。
4時間のトレックだったが シャツと靴下が汗で湿気っていたので日が当たる所に干した。
今日も昼、夜ともダルバートだった。
夜は10℃以上あり寝袋をオープンにして、掛け布団にして寝たが丁度良い感じでぐっすり眠れた。 -
幾筋も流れる
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マチャコーラ;対岸からの写真
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11月 7日 (木) タトパニで頭を洗いサッパリして マナスル保護区に入る
マチャコーラ (896 m) ~ ジャガット (1,340 m)
昨日と同じパターンでマチャコーラを出発。
昨日の靴下が乾いていなかったのでザックの後ろに掛けておいた。
見ていると1日に30人程がマナスル サーキット トレックに来ている感じだった。
9:30にタトパニ (熱い水)に到着。山側から湧き出ている40度弱のお湯で頭を洗いサッパリした。
道路の反対側には、5~6m四方の古い浴槽が二個残っていたので、以前は相当量のお湯が出ていた温泉地だった様だ。
吊り橋を渡り東側を川沿いに登り 10時半に ドバン を過ぎた頃からガレ場(崖崩れ跡)の悪路が続いていた。
11時半に昼食を済ませ、ブティ・カンダキ川 の切立った岩壁に鉄製の張り出した道を進むと、荷を運ぶドンキーの隊列が川中の砂利道を進んでいたが、雨季は通れないので上の道を通るのかな??
15時過ぎにジャガットに到着し、いよいよマナスル保護地域に入った。
少し手前の広場に、ツアー向けのテント用広場があり、その脇を通りジャガットのロッジ街に到着した。
ロッジの向かい側には小学校が有り、丁度下校時間と重なり子供達が元気に帰って行く姿が見られた。
ホテルに荷を下ろし集落の中を散策すると、真っ赤な花をつけた木が有ったので写真を撮らせてもらうと、花の名前をノートに書いてくれたが、ノートを失くしたので思い出せないが、調べてみると“ポインセチア”だった。
夕食の前に地図を広げて、明日の宿泊地 フィリム が近く、6日目のナムルン~サマが長距離なので、明日は
フィリム の先まで行こうとガイドのDem何度も話したが、しぶしぶ封筒から予定表を取り出し眺めながら、之で良いと言って聞かなかった。 ・・・ このルートは初めてだったのか?? 上から目線だった。
夜のダルバートはガイドの〇em が、止めたのに強引に継ぎ足し、残すのは失礼なので何とか全部食べた。
夜、足を延ばすと左足が上らなかったのでマッサージをして 朝、痛み止めのロキソニンを飲んだ。
前日、汗で湿気っていたのでいつもの靴下二枚を、一枚にしてパカパカしたのが原因なのかも?? -
道路脇に湧き出る温泉
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河原を進むドンキーの隊列;雨季は人道を使う?
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いよいよ マナスル地域に!
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ジャガットの集落
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ポインセチアが満開で見事
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11月 8日 (金) ガイドに振り回され体調不良で引き返す!
ジャガット (1,340 m) ~ ナヤック フェディ (約1,800 m)
連日同じパターンでジャガットを出発。 朝起きてトイレに行ったが、朝食後もトイレに行く羽目になった。
チェックポストで、他のグループと一緒に手続きを済ませ川沿いに登り、長い吊橋を東側に渡り石段を30分程登り中腹の フィリム に10時半 に到着すると、ガイドの〇em が先の “デン” まで行こうと言い出した。
・・・ 昨日あれだけ話したのに!! 一気に信頼が失せてしまった。
洗濯を予定していたが先に進み、エクレバテイで食べた昼食のフライライス を半分以上残してしまった!!
その後は、緩やかな下りを進んだが、吊り橋を西側に渡り ナヤック への登りで “嫌な登りだ” との感じがして登りきると、“デン” まで行く気力が無くなったので、ロッジが1軒しかない ナヤック フェディ で宿泊する事にした。
到着して直ぐにベッドで横になり夕食の時間まで休んでいたが、食欲が湧かず注文したダルバートはガイドの〇em に食べる様に渡した。
またベッドで横になったが、初めての体調不良と楽しめなくなったので、引き返す事をガイドの〇em に説明した。 -
フィリム の集落
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フィリムの集落を振り返る
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この様に頭上から流れる滝は圧巻!
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11月 9日 ~ ポカラへ向かう!
ナヤック フェディ を出発し、ジャガット、マチャコーラと戻り、
ソティコーラ からバスで アルガトバザールまで移動した。
アルガトバザールからカトマンドゥ行きのバスに乗り、トリスリ川の
橋を渡ってハイウエイと交差する所で、ポカラ行きのバスに乗換え
ポカラのバスパークでさらに市内バスに乗り替えて、ホテル街の
レイクサイドに13日の16時半到着した。
他に、引き返す男女ペアと、ユーロ系の年配の二人組もいた。
9日は、昼・夕食ともスチームモモ(ギョーザ)を半分程残したが、10日以降は元に戻った様だった。
ポカラでは、日本山妙法寺に初めて行った。3時間掛かって登り着くと、思ったより大きなパゴダで桜も満開だったが、アンナプルナ ヒマラヤは雲が多く、青空をバックに輝く雪嶺とはならなかった。
ヒンドゥバシニ寺院は二度目。 寺院は高台なので雲はあったが街並みの先にアンナプルナ ヒマラヤ
が輝いて見える絶景ポイントだった。
星空とマチャプチャレを撮るために、一泊でダンプスへ行ってカメラを設定して待っていたが、雲が切れる事はなく
シャッターを押す事は無かった。
サランコットは二回登ったが、登山口に建設中の大きな建物の看板を見ると、サランコットへ登るロープウェイ麓のターミナル駅だった。途中の支柱は既に設置されていたので、来年位は運行されそうな感じだった。
朝は、雲がなくアンナプルナ ヒマラヤが綺麗に見えたが、昼前から雲が広がる天気の連続だった。 -
ヒンドゥバシニ寺院からヒマラヤを!
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サランコットからの朝焼け(モルゲンロート)
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サランコット
11/27日、帰国便に乗るため、カトマンドゥのトリブヴァン空港で、チェックインのためにゲートを通ると呼び止められ、
蜂蜜(液体)は預け入れのバックに入れる様に指摘され詰め替えた。しかしキャリーバックの重量が規定の 23kg をオーバーしたので、ザックを取り出し2分割にするなどしている間に大事なノートが無くなっていた。
周りを見ても落ちてないし! 仕方なく航空券の E - チケットのコピーをバッグから抜き取り チェックインを済ませた。 ポケットに入れた筈なのに! ・・・ カウンターに忘れたのかな!・・・ ボケてきたのかな!
・・・ 成果もなく寂しい帰国になったが もう一度頑張って見ようかな!
2020年 ~ コロナ禍で今年は断念 !
今年の1月後半は梅雨の様な天気が続き、晴れたと思っても1時間後は雨が降り出す天候で、裏山登山の予定が延び延びとなってもどかしい日々が続いた。
同時期に中国でコロナウイルスが発生し、中国の春節で海外に旅行で出かける人の中から肺炎の患者が多発し、米欧の国々は中国便を休止する事態となった。 収束する時期が見通せず、中国東方航空の航空券手配を何時にしようか迷っていた。
3月に入って航空券を見ると、中国便は見通しが立たず、検索しても通常のルートでは出てこなかった。
月末ぐらいになれば見通しがつくだろうと思っているが??? しかし、日本は入国制限の対象国になったので、解除されるまで入国はできなくなった。
トレーニングは週二回、千段(80段を往復)の石段登りを開始して一ヶ月経過する頃には筋肉疲労も残らなくなった。
その後も天候に恵まれ順調に消化し、昨年並みのペースで進んだ。
ネパール政府は3月に、コロナウイルスの為に今年のエヴェレスト登山を中止する事を発表した。
さらに、ネパール国内では、“ロックダウン“ が出され(この時点の感染者は1名のみ)空港は閉鎖され国際線・国内線共に運行できない状況になったので、長期戦になる覚悟で待つ事にした。
ネパールは、6月15日に第一段階の緩和で、狭い範囲の移動が可能になった。3週間後に第二段階、
半月後に第三段階、半月後に第四段階 ・・・ 順調に行って8月5日に終了の予定だが???
しかし、5月末頃からインドからの帰国者に多くの感染者が見つかっているそうなので???
国際線封鎖は、6月29日までとなっているが??・・・ 7月22日まで延長され、さらに8月31日まで 延長になった。ネパール国内の“ロックダウン“も延長が続き、郡の境界を越える移動は制限されている。
治療薬の治験もまだまだ時間が必要で、来年にならないと入手できないようなので、現地で罹ると大変。
さらに、航空路の経由地、中国、香港は怖いので回避して、シンガポールを考えていたが熱帯病;デング熱の大流行の情報が新聞で報道され、コロナとの二重苦になり経由するのは無理になった。
残る候補のタイ経由などは、ビジネス客の渡航協議が始まりそうだが、観光客はまだ先の話で今年は断念する事にした。
ネパール国内のコロナの状況も日本と同じで、Laxman さん に来年に延ばす事を連絡し残念ながら今年は終了!
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