2018/08/26 - 2018/09/01
713位(同エリア1070件中)
まさとしさん
東アフリカ諸国最後の訪問国ケニアを訪問。
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ブルンジの首都ブジュンブラからアディスアベバを経由してナイロビに到着。
【8月26日(日)】
ケニアは初訪問で首都ナイロビに降り立った。世界有数の知名度のある都市にもかかわらず、訪問するのがずいぶん遅くなってしまった。ケニアは東アフリカの中では一番発展していて日本との関係も深い。そんなナイロビの空港もまた東アフリカ有数のハブ空港となっている。
最近では発着便数の多さや客の数ではアディスアベバに負けているが、乗り入れている外国の航空会社の種類はトップクラスのはずだ。
ナイロビの空港はアジスアベバみたいに規模に対してサービスが追いついていない空港とは違う。新しくないがヨーロッパのようなきめ細かで洗練された機能的なターミナルビルは流石に今までのアフリカの首都の空港とはわけが違う。
入国の係官は感じがよく、ケニアに対しての第一印象は良好だ。ビザの手続きもスムーズで50ドルを払いシングルビザを取得した。 -
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ケニア滞在は長めなので到着ロビーの外でSIMカードを購入。会社はドコモがローミングしているサファリコムにした。
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とりあえず3ギガ(1000シリング)購入したが、足りなくなればまた追加すればいいだろう。(SIMカード代金は別途200シリング)。
朝まで空港で待機しようと思っていたが、空港はターミナルの外に出ると建物の中に戻れない途上国スタイルだ。しかも客引きのうっとおしさはエジプトほどではないが、かなりしつこい。サファリに行かないかとか観光の国なので仕方ないが。
朝まで待ちたいが元気のいい蚊が飛び回っている。カンパラにはいなかったのに標高が高いナイロビにいるのは不思議だ。すべての蚊がマラリアを媒介するハマダラ蚊に見えて仕方ない。カフェで3ドルのコーヒーを注文して朝まで待機だ。
5時過ぎミニバスでタウンへ行くことも考えたが、夜明け前で初めての場所に到着してから宿まで歩くリスクは相当高い。結局タクシーしかない。でも正規のタクシーに乗ったら2000シリングとかいう。結局白タクに1000シリング払う事にした。ナビを使い宿泊先のニューケニアロッジにむかった。
ナイロビではとりあえず有名なニューケニアロッジに泊まりたい。伝統的な日本人宿で話の種に一泊はしたいと思っていた。とりあえず今日一泊する事にした。建物はすぐにわかったが入り口は分かりづらい。どうも停電しているようだ。ドミトリーがあるようで750シリング(900円)とのこと。この値段でこの立地なら利用価値はそれなりにある。日本人もいるので話し相手にはいい。
もうあとは日本に帰るだけだ。本当なら今ごろキガリへ向かうためバスでブルンジを出たところだったのが、ナイロビまでワープできたのだから言う事なしだ。 -
夜明け前のニューケニアロッジの屋上からの眺め。
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翌朝。ニューケニアロッジ。
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談話室の様子。今でも日本人の旅行者は多いようだ。
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部屋の様子。3人用ドミトリー。
ウガンダシリングを処分したいが、日曜で両替をするところが見つからない。治安の悪いエリアに位置するシティマーケットで話にのってくれたが半分の価値にされたので断る事にした。やはり地域大国のケニアは周辺国の通貨などゴミのような扱いなのだろ。
とりあえすウガンダシリングを今日両替するのは諦めた。日曜のケニヤッタ通り周辺は店は全滅しているので通行人は少なく、けっこう危険な雰囲気はある。調子に乗って歩いていると強盗に遭うかもしれないので慎重に行動したい。 -
朝食はホテル近くでアメリカンブレックファーストの食事を済ませた。ホテル周辺も治安は確実に悪いのでスマホなどはポケットに入ってあるのがわからないようにしなくてはならない。隙があれば抜き取られると思った方がいい。ただナイフで脅されるというようなことはなさそうだ。
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ナイロビ観光でもしようかとコンファレンスセンターに上ってみることにした。30階建の円筒状の高層ビルでナイロビを象徴する建物でもある。
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エレベーターで最上階へ。さらに屋上へは非常階段を上ることになる。
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屋上のらせん階段を上ると展望台だ。
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最上階はヘリポートになっていて大都会ナイロビの高層ビル群を見下ろすことができる。
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コンファレンスセンターの屋上からの眺め。
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展望台では外国人観光客より地元の人の方が多い。
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ナイロビの植民地時代からの建造物。
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ナイロビ駅へ続く道が人でごった返していたので歩いて行ってみた。駅周辺はミニバス乗り場になっていて治安は問題なさそうだ。駅に行ったら列車は運転されているような気配でどうやら空港近くの新駅までのシャトル列車が運行されているらしい。にもかかわらずここではチケットを購入できないようだ。20キロ離れた駅まで買いに行かないといけないらしい。
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シャトル列車以外にもローカルな区間だけ運行されているようだ。シャトル列車の案内と時刻表が壁に貼られていた。
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ナイロビの派手なバス。
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ナイロビのダウンタウン。ナイロビには円筒状のビルが多い。
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セントラルマーケット。日曜日は周辺の治安が悪い。
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ナイロビ大学の近くでソマリア人の学生がいたので写真を撮らせてもらった。
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ケニアが治安が悪化したのはソマリアの内戦から武器が流れてきたのが原因で難民が大量に押し寄せて近年の有様になってしまった。真面目に勉学に励むソマリア人もたくさんいるのだ。アムハラやソマリ人はなんともエキゾチックな雰囲気を醸し出している。
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夕方は軽装で中華料理を探しに行った。時間が早いか日曜かわからないがみんな休みの中一軒だけ営業していた。日本を出てから徹底して現地の食事にこだわってきた。でもさすがに胃がしんどいので中華料理でリフレッシュしたい。
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食事は高くなく、量も一人用のがあったのでなかなか良かった。
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夕暮れのナイロビ中心部はパブリックビューイングなどもあり、ずいぶんにぎやかだ。
しかし宿に戻ったら停電していた。今夜の復旧はなさそうだ。明日も正直怪しい。停電していてもなぜかイライラしない。もう今回の旅の目的が達成できた余裕からだろだろううか。
【8月27日(月)】
今後の予定がはっきり思い浮かばないまま朝を迎えた。今日どこかへ移動するつもりだった。しかしもう一泊することになりそうだ。決まらない最大の理由はモンバサへの鉄道の予約が直近だと満席でチケットを買えないのが最大の理由だ。モンバサまで速くて快適で安いのがケニア人に好評なようだ。チケット購入は駅に行くかオンラインになるがオンラインで購入するには支払いの方法で問題があり、事実上駅まで行かなくてはならないがその駅は20キロ離れた空港の近くでタクシーで往復することになる。
時間も金もかかる。とにかくせっかく開通した鉄道だがなかなか外国人には利用しづらいものとなっている。 -
遅めの朝。紅茶が無料なのでいただこうとしたら昨日到着した日本人二人組がキベラスラムに行くらしく、急遽一緒に参加する事にした。ガイドが迎えに来てミニバスでキベラスラムへ向かった。中心部は渋滞していてバスで40分ほどかかる。
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キベラスラム。スラムは線路沿いに広がりアフリカ最大級だ。ガイドがこの出身のようでこのツアーが可能となっている。
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キベラスラムの家屋。
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線路沿いのキベラスラム。
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バイクタクシーの運転手。派手なバイクが多い。
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キベラスラムの役所的な施設が入る建物。ここにシャワーなどもあるようだ。
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サモアの露天。ここで遅めの朝食だ。
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スラムの奥へ進む。
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キベラスラムの子供たち。
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キベラスラムをあとに。バスでダウンタウンに戻ることになった。
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ガイドはこのままスラムに残るようでここでお別れた。
昼過ぎに宿に戻った。ようやく電気が復旧していてホットシャワーを浴びることができた。あと充電できるのがありがたい。同じ宿の旅人は待ちに待ったWi-Fiだ。 -
昼食は日本食の照り焼きビーフを食べに同じ宿の日本人と向かった。テリヤキジャパン。
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日本の資本が入っているらしいが、その割には物足りないメニューだ。
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食後はエチオピア航空のオフィスに出向き座席指定をすることにした。エチオピア航空ではオンラインでの事前座席指定ができず、空港での座席指定では希望の席がなかなかと取れない。なのでわざわざ出向く必要がある。
今後の予定だが沿岸部へ往路は鉄道を使うのは断念した。復路はなんとか鉄道を利用したいが明日の朝駅に行かないと事実上乗れなくなることになる。
往路は飛行機で向かうことにする。スカイスキャナーで比較的安く購入できた。目的地は沿岸部北部のラム島。空港は市内に近いウィルソン空港からとなる。出発は夕方にした。午前便は宿を夜明け前に出発しなくてはならず、停電の暗闇の中、出発純部をしなくてはならず、忘れ物などのリスクがある。なので到着は遅れるが、午後の便の方が安心だ。
宿に戻ってくつろごうとしたらまた停電した。せっかく快適に過ごせそうかと思ったらまた昨夜と同じパターンになってしまった。
午後から雨がひどくなってきた。振り方も強く、雨季の始まりが近づいている雰囲気だ。8月まで雨季とされ、その後半には雨が降ることも多いのだろう。
夕食は雨足が弱くなったのを見計らい宿の日本人旅行者たちと宿の従業員の紹介でローカルフードの店に連れて行ってもらった。宿の同じブロック内は全て停電していて入居している店舗やレストランも懐中電灯を使いながら苦労している。停電していない少し歩いたエリアで食べることになった。 -
ローカルな食事が目的でモツの煮込みとチャパティ、
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ほうれん草、ウガリなどみんな違うメニュー注文した。値段は200シリングからと肉料理にしては安く食べられる。しかしさっき食べた日本食で腹一杯であまり食べられなかった。
結局今夜も不便な夜を強いられることになると思っていたら夜9時には電気は復旧した。嬉しい誤算だ。明日まで電気が持つことを祈りたい。 -
【8月28日(火)】
ナイロビで電気のある初めての朝。何としても今日の午前中に鉄道の切符を買いにターミナス駅に行っておきたい。宿から片道20キロあり、タクシーで往復すると結構な額になる。渋滞も心配だ。結局バイクタクシーが値段も安めで渋滞の心配もない。少し寒いのは仕方ないので我慢だ。
宿の前でバイクタクシーと交渉。往復で1200シリング(タクシーなら往復4000シリングは必要)で話がまとまった。通勤時間帯ということで予想通り渋滞がひどくバイクタクシーは正解だった。 -
30分ほどでターミナス駅が見えてきた。
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バイクタクシーに待っていてもらい、切符を買いに向かった。中国式の巨大な駅舎。
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巨大なナイロビ・ターミナス駅。
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切符売り場も中国と全く同じスタイルだ。
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席の有無はオンラインで確認済みで31日の午後の二等しか空いていないのはわかっていた。でも念のため一等の空席の有無を確認したがやはり満席だった。二等の席で窓際を指定して買うことができた。
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そのまま同じバイクで市内へ戻ることになる。
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帰りに空港近くにバーガーキングがあり、立ち寄ってみた。しかし10時開店でまだ営業準備中だった。
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でも店内でメニューの写真を撮らせてもらうことにした。欧米に比べれば安いが日本に比べれば若干高いように感じる。
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再びバイクでナイロビ市内へ。
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バイクタクシーを利用したのは正解だった。もしタクシーを使っていたら渋滞がひどく宿に戻るのがいつになっていたかわからない。
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バイクは歩道を強引に走り、ダウンタウンへ向かった。9時半には宿に戻ることができた。朝からずいぶん動き回った。出発は午後。もうあとは宿でくつろぐだけだ。
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昼食は近くの食堂でチキンアンドチップスで済ませた。
着した。 -
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12時半に宿を出発した。宿に紹介された車でウィルソン空港へ向かう。一応800シリング(900円)で話がまとまった。渋滞しているから仕方ない。車は永遠に街の中心から脱出できないのではと思うくらいの大渋滞にはまったが50分ほどで空港の敷地内に到着した。
しかし空港の敷地内は航空会社ごとに建物が分かれていてかなりややこしい。セスナのチャーター機の会社がたくさんあるようだ。何度か人に聞いてイーストアフリカンサファリエアエクスプレスが入る建物に到着した。
時間に余裕を見てきたのでまだ出発まで2時間ある。ラム島行きのチェックインはすぐに済ますことができた。出発までラジオを聴きながらしばし待機だ。 -
15時前な駐機場へマイクロバスでターミナルビルへ移動させらせた。そこで荷物検査を受け待機。
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ラム島はソマリア国境に近いケニアの最北東に位置していてナイロビからラム島の対岸の島にある空港までは520キロ。20人乗りのプロペラ機で1時間半ほど。
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やがて着陸態勢に入り、マングローブの大地が見えてきた。
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ラム島周辺は草原とマングローブの全く人が住んでいない地域だ。
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ラムの街の対岸のマンダ島に作られた空港に着陸した。
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久々の海抜0mナイロビでは天気が悪かったが、沿岸部は快晴だ。予想に反して蒸し暑さはなく、風が爽やかな気候だ。
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ラム島は対岸ありボートで渡ることになる。空港到着後から怪しい輩が早速ホテルを紹介するやらガイドをするやらまとわりついて来た。出だしから嫌な予感がする。ラムは小さな街なのでずっとこんな状態なのかと思うと憂鬱だ。
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空港の桟橋からボートでラム島へむかった。
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ラム島での宿泊先は二軒あたり、部屋からの見晴らしがいいバハリホテルに泊まることにした。少し街な中心から離れているが、静かでいいだろう。
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1泊2000シリング(20ドル)。もう少し値引きできたかもしれない。
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ホテルの海とは反対側の眺め。
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ホテルは吹き抜けになっている。
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屋上からの眺め。
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とりあえず街に出た。ラム島のモスク。
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ラムの街は海岸沿いに広がっていて端から端まで歩いて20分ほどだ。道幅は広くても3メートルほど。この街には自動車が走っていない。リヤカーとロバが輸送手段となっている。
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ラムの街はアラブの商人がもたらしたスワヒリ文化を未だに色濃く残している。ザンジバルやモンバサなどと共通する雰囲気がある。 海沿いはイスラムの雰囲気ご漂う建物が連なる。
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ラムの街の観光は一通り歩いて終わりだ。雰囲気を味わえればいい。島に到着した時間が遅かったのです、すぐに日が暮れ、今日は十分に街歩きを楽しめなかった。
海岸沿いと地元人向けの商店が並ぶケニヤッタ通りの二つの通りがある。夜遅くまでたくさんの人が行き交い、賑やかなのはこの町が安全な証拠だろう。 -
夕食は卵焼きと焼き鳥とフライドポテトを混ぜた料理にケチャップをかけたので済ませる事にした。
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【8月29日(水)】
ラム島の朝日。 -
宿は朝食付きで7時からと言っておいたのに8時まで待たされた。早めに街を歩いて島を出たいので忙しいのだ。でもこんな島に来て急いでいる方がおかしいのかもしれない。
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朝食を取ったあと朝のラムの街並みを散策しに宿を出た。街並みは興味深いが、1時間もすれば十分だ。
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ラム島の要塞への道。
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ラムの要塞。
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街の交通手段であるロバ。
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ラムの路地を散策。
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港に行ったら9時に大型船が出るようだ。なのでこの船で島を出ることにした。宿へ戻り荷物をまとめて港へと戻った。
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船は15分ほど遅れてラム島を出港。満員の船はまるで難民船のようだ。
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島に沿って航行。マングローブの浜が見える。
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やがて本土が見えてきた。あそこからバスに乗って本土の各地に移動することになる。
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30分ほどで本土へのバスが発着する船着場に到着した。
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これらのバスはモンバサへ行くようだ。途中のマリンディまで乗ることになる。マリンディまでな距離は200キロ。モンバサでもマリンディでもバス代は100シリングしか変わらないが高く感じる。
バスは10時10分出発。日中は若干蒸し暑い。ラムからマリンディまでは半分以上が未舗装だ。予想以上に時間がかかりそうだ。9時に島を出て正解だった。
途中道から外れた村に寄ったりしてかなり時間がかかった。 -
検問も3回あり、かなり時間を取られた。ソマリア国境が近いのでテロリストが侵入してくるのを警戒しているのだるうか。でも検問は外国人に対しては友好的だ。緊張しているエリアなので文句を言っていてもしかたない。
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あともう少しで幹線道路に出るというところでバスは右側前輪のタイヤから煙を吹き出して急停車した。素人の僕にでもブレーキがおかしくなったのだとわかった。とにかく何かが引っかかってタイヤが回らなくなったようだ。
後続のバスにどんどん抜かれる。時間に焦っていたら後続のバスに乗り換えただろうが、今回はあまりそのような気分にはならない。心に余裕ができているのだろうか。修理できるなら待っていればいい。 -
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金属疲労により欠落したブレーキを取り外して1時間半ほどで修理は終わったようだ。
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その後は順調に走り、マリンディには17時40分に到着した。かなり時間がかかってしまった。でもバスのトラブルがあったにもかかわらず、明るいうちに着いてよかったということか。
バスはマリンディの賑やかなバス会社が集まるエリアに到着した。ここから徒歩でホテルを探すことになる。 -
夕暮れ時でマリンディの商店は閉まりかけている。
ビーチへ向かう途中のモスクの隣に「THE Gilanis Hotel」というのを見つけた。値段を聞いたら1000シリング(1100円)まで下がった。8月はこんなに気候がいいのにオフシーズンなのだろうか?ラム島でもそうだったが、観光客がほとんどいない。 -
案内された部屋からは海が見えコンセントもある。かなりコスパが良い。しかしこの宿も今日一泊のみだ。
場所はマリンディの真ん中でリゾートエリアにもローカルエリアにも簡単に歩いて行ける場所にある。また街の繁華街にも徒歩圏内なのでマリンディで一番便利な場所かもしれない。 -
窓からの眺め。
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腹が減ったので羊の串焼きを食べる事にした。
ケニアシリングの手持ちが全くないので街中の商店で両替を持ちかけたが、誰も応じて暮れない。店の人に路上両替屋がいる場所を教えてもらい行ってみた。しかし20ドル紙幣ということもあるがレートは悪く、1ドル=85シリング。でも今から他の両替屋を探すのは不可能に近い。このままでは夕食も食べられない。なので妥協するしかない。結局こうなるのだから、なぜナイロビで両替しなかったのか?毎度毎度同じことを繰り返す、お金に関してはギリギリが好きな性格である。
結局日が暮れてしまい、海にいってもしかたなく、町に行っても店は全てしまっているという状態で夕食は宿で食べることにした。 -
宿の料理はあまり期待できない雰囲気だ。スパゲティーを注文してみた。結構美味かった。
値段は5ドルとけっこう高い。まぁ部屋代を値切ったからそのお礼として食べるのもいいだろう。 -
朝の散歩。
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マリンディは想像していた白砂のビーチではなく典型的なアフリカの褐色のビーチだった。南国らしい雰囲気はなかった。
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バスコダガマクロスと朝日を拝むことにした。写真で見たマリンディに抱いていたイメージとは違った。でも来たかった場所だったし来れたことに満足だ。しかし砂ノミがすごい。かなりいるので裸足にもなれない。寝転がることなど不可能だ。
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マリンディの桟橋。
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バスコダガマクロスと船を出す漁民。
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砂浜をあとに。
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マリンディのタウンへ。
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朝食は街中で紅茶と揚げパン。ケニアに来てからミルクティーがうまいと感じる。
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マリンディの子供たち。
とりあえず今回の旅行最後になるかもしれない両替を銀行ですませた。マリンディのタウンは何の変哲もない。うんこが漏れたので急いで宿に戻った。
チェックアウトが10時だったのでもうビーチにはいかず、そのまま宿を出発することにした。バイクタクシーでマタツ乗り場へ向かった。マタツはケニアのミニバスの意だ。バスは安いがおそらく本数が少ない。なのでマタツが無難だ。今回初めての利用となる。郊外のバスターミナルみたいなとこに連れていかれた。 -
モンバサへのエクスプレスのミニバスがすぐに見つかった。エクスプレスとは途中での乗り降りがないマタツということだろう。かなり所要時間は短縮できそうだ。10時にマリンディを出発。
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モンバサの中心部の島に入るのが混んでいて3時間近くかかった。大都会モンバサ。得体のしれない客引きを振り切り、オートリキシャでホテルへ向かった。モンバサはオートリキシャが行き交いインドっぽい。バイクタクシーは見当たらない。
宿は旧市街の入り口に近い「Jundan Hotel」に泊まることにした。2500シリング(25ドル)ので安い部屋にしたら窓がなかったが問題ないだろう。エアコン付きでファンもある。場所は便利だ。 -
昼はケニアでチェーン展開しているチキンインのハンバーガーで済ませた。結構高いのに味はイマイチ。もう行かない。
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食後はインドスイーツを食べにインド料理に入ってみた。
モンバサはインド人が多い。 -
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オートリキシャでフォートジーザスへ向かった。モンバサ観光の拠点になる場所だ。ここから徒歩でオールドタウンを散策。
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モンバサのオールドタウンの港。
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オールドタウンは大半が観光化されていないのでほとんど修復されていないので荒れ放題だ。
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オールドタウンには憩いの場所的な場所もないので休憩もできない。完全にローカルな場所だ。なので外国人向けのホテルなども見当たらない。
それがモンバサの旧市街の良さでもある。 -
外観が独特のモスク。何となく西アフリカっぽい。
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こちらもモスク。
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オールドタウンの商業地区。
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マーケット。
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客待ちをするトゥクトゥク。インド製のオートリキシャだが現地人はトゥクトゥクと呼んでいる。
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夜は羊の串焼きと揚げいも。安くすませること
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【8月31日(金)】
モンバサで滞在しているJundan Hotelは朝食付き。今回の東アフリカ滞在中、昼食付きの宿が案外多かったように思う。 -
二階のテラス席のレストランで食事することになる。
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モンバサの建物。
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今日はもうモンバサのオールドタウンには行こうと思わないので駅のある中心部を散策することにした。モンバサは長年イギリスにとって東アフリカ侵略の拠点だった。ウガンダに向け鉄道が建設されたのは1900年頃。その後東アフリカの拠点はナイロビに移るが、それまでの長い間イギリスにより繁栄がもたらされ中心部は植民地時代の街並みが残っている。今では建物の色が統一されている。
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ヒンドゥー教寺院。
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南インド系の商店。
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象牙をモチーフにしたモンバサを象徴するモニュメント。
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モンバサの旧駅舎を見学に行って見た。中国がケニアに建設した鉄道が開通してこちらは廃止になってしまった。旧駅舎は閉鎖されていて中に入ろうとしたら一旦断られたが頼み込んだら警備員が同行することを条件にOKが出た。
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駅構内貨車のみで客車はの残されていなかった。でもホームはそのままだ。
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そのままの状態で残され予約チャートの看板なども残されていた。
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ホームの売店。
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放置された動力車。
帰り道に職質にあった。パスポートを見せろという。持ってないのでホテルへ一緒に行こうと言ってみた。でも今回はそこまでしようとしない面倒臭がり屋の警官のようだ。パスポートなんか持っていたら強盗にあったら危ないだろう。すると警官は安全だという。確かに最近はそうなのかもしれない。とりあえずジュース代をくれとたかってきたがやんわり断ることにした。パスポートを持っていれば済む話なんだがやはり持ち歩きたくはない。モンバサでは宿にも鉄格子があり警備員もいる。他の商店も似たような感じだ。モンバサがあまり治安がいいようには思えない。
だんだん暑くなってきてので一度宿に戻り、二階のレストランでくつろぐことにした。ナイロビへの列車は15時15分発だ。駅までは1時間位かかると見ておいたほうがいい。
早いが午後1時には駅へ向かうことにした。場所は空港より遠い。トゥクトゥクでかなりの距離を走ることになる。値段は1000シリング(1100円)。 -
廃止になった線路沿いをゆく。この線路はもう使われることはないのだろうか?
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途中から中国が鉄道建設に合わせて整備した港湾設備の横を通り、港への線路と並行しながら駅へ向かった。
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港湾施設へ連絡する鉄道の高架橋。貨物専用として重要な路線になっている。
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やがて巨大な駅が見えてきた。丘陵地帯に作られているので要塞みたいだ。
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モンバサの中心部から約45分ほどかけて駅に到着した。駅の敷地に入るために検問で少し待たされることになった。全てがまるで空港のようだ。この駅までは車で来る人が多いが、トゥクトゥクも数台停まっていた。
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駅舎は巨大だ。写真撮影は自由でケニア人がみんな記念に撮影している。
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建物に入るには二回チェックがあり、かなり厳重だ。建物の雰囲気は当然ながら中国と同じ雰囲気だ。1時間半前だが、すでにたくさんの人が出発を待っている。
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やがてナイロビからの列車が到着した。
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20分前に乗車開始。一斉にホームへ向かう。
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16両編成。座席は中国の硬座でエアコン完備。ヨレヨレのだらしのないシートも中国譲だ。
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写真撮影を適度にして出発を待つ。
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鉄道の乗務員。
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定刻通り列車は静かに動き出した。無駄にでかいモンバサ駅構内をあとに。
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駅なのになぜか管制塔があるのは意味不明だ。出発後しばらくして乗務員が網棚の荷物を直しに来る。完全に中国スタイルを教育されている。車内販売はコーヒーとソフトドリンク。
先頭の1号車が食堂車になっているらしい。乗っている車両が12号車なのでけっこう遠いが行ってみることにした。車内販売のワゴンが各車両にいて、移動が結構大変だ。食堂車は2両ある一等車の先になるので途中で乗務員にどこに行くのか咎められたが、食堂車に行くというと通してくれた。 -
やっとの思いでたどり着いた食堂車。ここも見慣れた中国の雰囲気だ。
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メニューはレンジで温める弁当タイプのもので値段は400シルング(4ドル)ほどと高くはない。
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コーヒーは100シルング(1ドル)。他にサンドウィッチなどがある。食堂車は談話室になっていて注文していない客が結構座っていたりする。座席から遠いので何度も来れないが、二等の座席よりはゆったりしていて快適だ。
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バーカウンターでは立ち飲みのできるようだ。
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列車はサバンナを走り続け、ナイロビまで一部の信号待ちをのぞいてノンストップで向かう。
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こちらは一等座席。二等が1000シリングだが、一等は3000シリングだ。しかし売り切れるのは早かった。確かに安くて早いのだから席が取れないのはよくわかる。本家中国も列車は予約が取りにくく、バスは大体予約が取れるので同じ傾向にあるのだろう。
ちなみにバスは所要10時間で1500シリング(15ドル)位する。 -
かなりの区間で旧線と並行。到着が近づくとゴミを集めに来る。
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やがて日が暮れモンバサから5時間。20時14分にナイロビに到着した。
ナイロビには2、3分の誤差はあるが定刻通りの到着。 -
モダンなナイロビ・ターミナス。
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数日前、チケットを買いに来た駅舎が見える。
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まだ機能していないが、自動改札が設置されている。
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ターミナスからはナイロビ中心部へ出るには旧線を活用したコミューター列車が接続していてそのまま乗り込むことができた。モンバサにはなかったが、ナイロビには中心部へのアクセスが確保されているのでありがたい。
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連絡列車の運賃は50シリングだ。先生は短かったが座る事ができた。これでバイクタクシー代が1000シリングくらい浮いたことになる。
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ナイロビ・ターミナス駅からナイロビ駅までは揺れの大きい昔ながらの列車でスピードも遅いが30分ほどで到着した。
遅い時間だが、駅周辺は列車が到着したこともあり、人通りがかなり多いので宿まで歩いて行くことにした。宿泊先はふたたびニューケニアロッジ。
たくさんいた日本人はみんな去ってしまったようだ。 -
腹が減っているのでチキンの店に行くことにした。金曜の夜でホテル周辺は音楽が流れ、賑やかな雰囲気だ。
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ハーフチキンを頼んだがかなりの量だ。
【9月1日(土)~2日(日)】
ニューケニアロッジで迎えた朝。今日は土曜日。10時のチェックアウトまで部屋でゆっくりすることにした。
午後3時に空港への車の手配をお願いした。今回のアフリカ旅行、何事もなく無事な終わりそうだ。一時はブルンジ訪問が怪しくなりかけたが、結果として当初予定していた訪問地である5カ国すべてに行くことができた。おそらくケニアは今後もスターアライアンスのエチオピア航空を使う場合、拠点から外れるため、もう来ない可能性がある。175カ国目にして初めての訪問となったのも今までここに来る必要がなかったからなのだ。南スーダンに行くことになる場合、アディアベバからの方が行きやすいだろう。そう考えると今回ケニアで興味のないサファリはともかく、沿岸部の都市を回ることができたのは良かった。 -
昼は宿の裏にあるアジア料理店。気になっていたがインド料理らしい。
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ポテトカレーとチャパティ、マサラティ。シンプルな店だったが案外満足度が高い。味は大丈夫か聞きに来るケニア人店員の接客姿勢に好感が持てる。店主はグジャラート出身だ。
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ニューケニアロッジの屋上からの眺めと吹き抜けになった建物。
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宿の従業員とここに住んでいるイスラマバードから来たパキスタン人。
宿の紹介の車で用意してもらった車で早めに空港に向かった。結果的には1700シリングとまあ安いのかもしれない。ただ最初1500シリングという話だったのが駐車場がどうのこうの言い出した値段が釣り上がってちょっと不愉快だ。 土曜日ということで道が混んでいなかったので1時間かからなかった。 -
ケニヤッタ空港のゲートに到着。
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3時間以上前だがすぐにチェックインを済ますことができた。利用できるのはケニア航空のラウンジ。
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ケニヤッタ空港は数年前の火事のせいでややこしいことになっている。新しいターミナルはいいが、古いターミナルは狭くてラウンジもそこにあったので窮屈だ。到着した時は洗練された空港だとの第一印象だったが、終わってみれば他のアフリカの二流空港と変わらない。
エチオピア航空のアディスアベバ行きは安定の遅延で出発予定時間にスポットに到着した。アディスアベバまではB777と大きく満席のようで搭乗口で立ったまま1時間待たされた。結局1時間遅れでナイロビを出発。
た。
アディスアベバまでは2時間。アディスアベバでは1時間遅れているのでラウンジに行っている時間はなかった。搭乗ゲートにはワープさせてくれなかったので保安検査を受けなくてはならない。ゲート10に近い上級クラス優先の保安検査場ですら結構待たされる。一般客はとんでもないことになっている気がする。出発時、成田にやってきたエチオピア航空が2時間くらい遅れて到着したのも理解できる。そもそもこの状態が毎日続いていて遅延しない方がおかしい。
結局成田行きは45分遅れで出発した。今日はマシな方だ。あまり遅れると成田から家に帰る手段がなくなるので勘弁してもらいたい。 -
機内食は珍しく魚が出た。
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アディスアベバから11時間弱。経由地の仁川空港に到着した。大半の乗客が入れ替わることになり、全員飛行機を降りることになる。
保安検査に行く途中、往路必要なかった検疫の質問用紙を書かされて大混乱。こういういい加減なところが海外旅行のイメージを悪くする。日本人はこういうのが大嫌いだ。エチオピア航空の機内で配られなかったことに問題がある。 -
仁川空港は広々としていてこれぞハブ空港といった感じた。やはり広い空港は開放感があっていい。遅れていたエチオピア航空は仁川で少し遅れを取り戻した感じだ。
成田までは2時間。ほぼ定刻通りの着陸となった。エチオピア航空の回復運転には頭が下がるが事故には気をつけてもらいたい。
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旅行記グループ
2018年 東アフリカ諸国とコモロ
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