2019/10/02 - 2019/10/02
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frau.himmelさん
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ポツダムに2017年に新しくオープンしたバルベリーニ美術館。
出発前に調べていたらなかなか評判がいい。駅からもそんなに遠くなさそうだし、行ってみることにしました。
美術館では「バロックの小路」という題でカラヴァッジョとカラヴァッジョ派のバロック絵画の特別展が開催されていました。
またバルベリーニ美術館があるアルターマルクト広場は、フリードリヒ大王がイタリアの広場に倣って造らせたもので、かつてはヨーロッパで最も美しい広場の一つに数えられていました。
しかし第二次世界大戦で爆撃され、またDDRの時代に建物は撤去され、寂しい姿をさらしていましたが、ドイツ統一後、広場の建造物は昔の姿を極力とどめつつ再建されることになりました。現在、再建の途上です。
まもなくフリードリヒ大王が夢見たアルターマルクト広場が蘇ります。
その節にはもう一度ポツダムを訪れたい・・・。
未だに猛威を振るっているコロナは、いつになったら今まで普通であった、人類の当たり前の日常を戻してくれるのでしょうか。
私たちには、もうそんなに時間の余裕はないのです。
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旅行記の順番がバラバラになってしまいましたので、私の頭も混乱しています。
10月2日、
「Little BIG City」を見た後は、Sバーンでポツダムにやってきたのでした。 -
駅前に停まっていた市内観光用バス、「カイザーツアー」。
車体には最後の皇帝カイザーヴィルヘルム2世と子供たち。
とっても配色のいいカッコいいバスですね。
よく見たら、ボンネットバス? -
今回はバスにもトラムにも乗らないで、歩いてランゲブリュッケを渡ります。
アルターマルクトのバルベリーニ美術館へ向かいます。 -
橋の下を流れているのはハーフェル川
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中州の緑地帯にはのんびり寛いでいる彫像が。○印
もう気持ちは美術館モード、オルセー美術館で見たマネの「草上の昼食」の全員裸版のような感じ(笑)。 -
目的地に近づきました。
ここはフンボルト通り、左の赤い建物はかつて王宮だった建物で、再建された今はブランデンブルク州議会になっています。
その奥はアルターマルクト広場。 -
バルベリーニ美術館は王宮の前にあります。
2017年にオープンしたまだ新しい美術館です。
もともとここには、フリードリヒ大王の命で建てられたイタリア風のバルベリーニ宮殿がありました。
しかし、戦争で破壊されたので、ドイツのIT王者であり美術収集家のハッソ・プラットナー氏(1944~)によりに忠実に再建され、現在は美術館として使われています。 -
旅の計画を立てているときにこの美術館のことを知り、大変評判が良かったので、行ってみたいと思っていました。
今回はポツダムにはこの美術館だけのために訪れました。
入場券は一人14ユーロ、10月6日まで「Wage des Barock(バロックの小路)」という特別企画をやっているそうです。 -
驚きました。結構多くの入場者がありました。ヨーロッパの美術館では珍しい。
何はともあれエレベーターで一番上の階に上がります。
そこには「DDRの芸術家たち」との案内板。
一瞬私の脳が停滞しました。
DDRって言ったら政治的なもの、東西の壁、シュタージの存在、密告社会・・・。そういうマイナーなイメージしかなかった私。芸術的なものには考えが及んでいませんでした。
しかし、そうよね~、あの時代だって画家はいて制作活動は続けられていたのよね~・・・。 -
そして、そうそう、DDRと言ったらこれよね。
労働者、筋骨たくましいこれは鉱山労働者かしら。
Willi Sitte(1921-2013)
「チューブ(絵具)とヘルメットの自画像」1984。
画家と労働者、私の中では結びつかない。
ヴィリー・シッテはDDRアーティスト協会の会長だったのです。ガチガチのSED(ドイツ統一社会党)の党員でもありました。
東ドイツ政府におもねて、あえて労働者風の画家の絵を描いたのでしょうか。 -
ベルンハルト・ハイジッヒBernhard Heisig(1925-2011)
上:美しい子供時代(1995)
下左:ポツダムの王室厩の入り口(2005)
下右:フリ-ドリヒ大王(2009)
ハイジッヒもDDRで尊敬された芸術家でした。
しかし後に彼はSEDから脱退し、賞も返却してしまいます。
DDR時代には、芸術家たちに制作の自由はあったのだろうか、国家の文化政策にのっとった作品が求められたのではないだろうか、チェックされるようなことはなかったのだろうか?
あの時代を考えるとどうしてもそう思いますよね。
ハイジッヒのこれらの作品もドイツ統一後に発表されています。 -
Ulrich Hachulla(1943~ )
「カーニヴァル」(1984-1985)
この絵などは、何か隠れたメッセージがあるのではないかと穿った見方をしてしまいます。 -
Werner Tuebke(1929-2004)、「キリスト降下」1982
あの時代でも宗教画は描かれていたのですね。 -
ロルフ・ヘンドラー(1938~ )
「沈黙」1980
何かに脅えている人々の姿。
背後にちらっと見える人物は監視者?
密告社会だったDDR時代、常に人の目を気にしていなければならなかった。
そんな時代背景を考えさせられる作品だと思います。 -
Harald Metzkes(1929~ )「スタジオの雨の日」
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別の部屋にやってきました。
シニア率が高いですね。
バロック絵画はシニアに人気なのでしょうか。
ここはもともとのバルベリーニ美術館のコレクション。 -
Andrea Sacci:アンドレア・サッキ(1599-1661)イタリアの画家
「神の知恵の寓意」1658 -
Simon Vouet:シモン・ヴーエ(1590-1649)フランスの画家
「悔悛するマグダラのマリア」1626/27
マグダラのマリアの傍には髑髏が描かれています。 -
Giovanni Lanfranco:ジョヴァンニ・ランフランコ(1582-1647)イタリアのバロックの画家。
「磔刑のキリスト」1628
磔刑図にはおなじみの、嘆き悲しむ青衣の母マリア、右側には使徒ヨハネとマグダラのマリア。 -
Giovanni Lanfranco:ジョヴァンニ・ランフランコ(1582-1647)
「キリストの変容」1627 -
Giovanni Francesco Romanelli:ジョヴァンニ・フランチェスコ・ロマネッリ(1610-1662)バロック時代のイタリアの画家
「三王の礼拝」1631
イエス・キリストの誕生を聞きつけ、お祝いを持って東方から三王が駆けつける、という絵です。
他の画家の同じ題材の絵画とは構図が随分違いますよね。
でもきれいな絵です。 -
この絵が気になり題名、画家、時代背景など探したのですが判りませんでした。
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バロックの画家、カラヴァッジョ(1571-1610)、
知らない人はないくらい有名な画家です。
彼の37歳という短い生涯は決して順調満帆などではありませんでした。
若いころより素行が悪く、拘置所に送られたことは数知れず、殺人事件を起こしたこともありました。ついにはローマ教皇より死刑宣告を受けたこともあるほどの激動の生涯を送った人物でした。
しかしカラヴァッジョの描く絵画は素晴らしく、「するどい写実力」「強烈な光と影の対比」「ドラマチックな構図」など、ヨーロッパの多くの画家に影響を与えました。そしてカラヴァッジョの絵画技法を研究し、その作風を真似る追随者も多く現れました。
彼らのことは「カラヴァッジョスティ(カラヴァッジョ派」と呼ばれます。
今回の「バロックの小路」はカラヴァッジョとカラヴァッジョ派の作品展です。
本場ローマのバルベリーニ宮とコルシーニ美術館からの多くの傑作が展示してあります。 -
まずはカラヴァッジョ本人の作品を。
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ( Michelangelo Merisi da Caravaggio、1571-1610)
「ナルキッソス」1597-1599
水に映る美しい己の姿に酔いしれて溺れ死んだ美少年ナルキッソス、ギリシャ神話のお話です。現在でも自分に陶酔している自己愛の強い人のことを「ナルシスト」と言いますね。この言葉はナルキッソスから来ています。
残念ながらカラヴァッジョ本人の絵画はこれ1点でした。 -
バルトロメオ・マンフレディ(582-1622)イタリアの画家。
「バッカスと大酒のみ」1610頃。
ワインの神バッカスと言えばカラヴァッジョのバッカスがまず目に浮かびます。 -
ジョヴァンニ・バリオーネ(1566-1644)イタリアの画家
「天国の愛と地上の愛:聖愛と俗愛」1603。
バリオーネはカラヴァッジョより5歳年上、絵画の上でも何かと敵対していました。しかしカラヴァッジョの最初の伝記を残したのはバリオーネでした。
この絵は素行の悪かったカラヴァッジョを非難するように、カラヴァッジョの描いた「勝ち誇るアモーレ」にそっくりなキューピット(俗愛)を攻撃している天使(聖愛)です。振り返ってこちらを見ているサタン(左下)の顔がカラヴァッジョに似ているのも念が入っています。
もちろんこの絵を見たカラヴァッジョは怒りました。 -
絵の前でガイドさんから説明を聞いている大勢の人々。
カラヴァッジョとの逸話の説明を受けているのでしょうか。
美術館の中はほとんどこんな感じで混んでいました。 -
ジョヴァンニ・バリオーネ(1566-1644)の絵をもう一枚。
「洗足式」1628。
ゴチャゴチャしてよく判らない絵ですが、最後の晩餐でキリストが弟子たちの足を洗う儀式を「洗足式」って言うのだそうです。 -
ここからはカラヴァッジョの影響を受けた画家たちの絵画です。
リオネッロ・スパーダ(1576-1622)カラヴァッジョの影響を受けたイタリアの画家。
「聖ヒエロニムス」1610。
聖ヒエロニムスは聖書をラテン語に翻訳した神学者。 -
カルロ・サラチェーニ(1579-1620)イタリアバロック期の画家。
「聖母子と聖アンナ」1611 -
オラツィオ・ボルジャンニ(1578-1656)
「聖家族と聖エリザベス、洗礼者ヨハネ」
カラヴァッジョの絵画の特徴「ドラマ性のある絵」に影響を受け、残忍な絵を多く描いている画家ですが、信仰心の厚い画家でもありました。
カラヴァッジョの特徴「強烈な明と暗」。ここで光が当たっているのは「聖家族とヨハネ」、後ろの天使は暗くて顔が見えません。 -
マッシモ・スタンツィオーネ(1585-1656)
「ピエタ」1624
ピエタ像と言うと、聖母マリアがキリストを膝の上に抱いている姿が思い出されますが、こういう形のピエタ像もあるのですね。 -
ジョバンニ・セロディーニ(1594-1632)
「殉教途上のペテロとパウロの別れ」
ヨーロッパには「聖ペテロと聖パウロ教会」と連名になっている教会(聖堂)が多いですね。
別れを悲しんでいる聖ペテロとパウロの絵は見ましたが、本来なら仲がいいはずの二人の聖人なのに、どうしてケンカしているの?
これもカラヴァッジョの特徴「ドラマチックな物語性」への追随? -
オラツィオ・ジェンティレスキ(1563-1639)初期のカラヴァッジョ派で大きな影響を受けた。
「天使に介抱される聖フランチェスコ」1612。
聖フランチェスコと言ったら小鳥に説教しているアッシジの聖フランチェスコさんですよね。なぜに天使に介抱されてるの?
あるとき熱心に祈りを捧げていたフランチェスコの前に幻のキリストが現れ、十字架刑の際に受けた聖痕をフランチェスコに与えました。
激しい痛みに苦しんでいるフランチェスコの前に天使が現れ、彼を介抱する・・・。 -
こちらも聖フランチェスコ。
ルドヴィコ・カルディ(1559-1613)イタリアの画家
「聖フランチェスコの祈り」1598。
聖フランチェスコのアトリビュートの縄の腰ひも、手の甲の聖痕、それにドクロ、十字架がはっきりみえます。 -
カラヴァッジョの強烈な「光と陰」に魅せられたカラヴァッジョ派は大勢いました。
ミシェル・スウィアーツ(1618-1664)フランドルの画家
「書斎で仕事中の芸術家」17世紀。
はっきりとした明と暗。聡明な芸術家の顔だけが浮かび上がって見えます。
あとは何も見えない・・・。 -
シモン・ヴーエ(1590-1649)イタリアのバロック絵画をフランスに伝えた画家。
「占い師」1617
若い女占い師に手相占いをしてもらっている男性。その好色な表情にことさらスポットライトが当たっています。後ろから占い師の共犯者に財布をすられているのも気が付かないで。
カラヴァッジョは自身の生い立ちもあり、詐欺師、イカサマ師、売春婦など社会の底辺のドラマもよく描きました。 -
ベルナルド・ストロッツイ(1581-1644)カラヴァッジョから影響を受けたイタリアの画家。
「聖ローレンツは貧しい人々に富を分け与えます」 -
ヴァランタン・ド・ブローニュ(1591-1632)フランスの画家。
「最後の晩餐」1625-1626.
カラヴァッジョの「光と陰」の影響が顕著に表れている。
最後の晩餐の劇的な瞬間。弟子の一人が裏切者だとのキリストの言葉にそれぞれの弟子たちの反応が面白い。
キリストの前で眠りこける聖ヨハネ。両手を広げて大仰に驚いている弟子。
ユダは財布をこっそり背中の後ろに隠している。
この絵を見ている左隅の女性も思わず、テーブルの下に何か隠す素振りの右の人物の手を目で追っている。 -
トロファイム・ビゴ(1579-1650)フランスの画家。
「聖ヒエロニムス」1625頃
ビゴの絵の多くはろうそくの灯りで人物やシーンを照らしているので「キャンドルライト・マイスター」と呼ばれる。
明暗がはっきりした図です。聖ヒエロニムス以外は何も見えない。 -
ヘンドリッヒ・デ・ソマー(1607-1655)
「聖ヒエロニムス」1652
また聖ヒエロニムスです。今回幾度となく目にしました。あの飄々とした表情は絵の題材になりやすいのでしょうか。
ここにもアトリビュートのドクロが見えます。
ヘンドリッヒ・デ・ソマーは、オランダの画家、主にナポリで活動し、カラヴァッジョの影響を受ける。 -
ホセ・デ・リベーラ(1591-1652)。スペインの画家であるが、生涯の大半をナポリで過ごし、カラヴァッジョのドラマ的な表現法の影響を受ける。
「ヴィーナスと死に瀕しているアドニス」1637。
狩りに倒れ死にかけている愛するアドニスのもとへ駆けつけるヴィーナス。 -
バブティステッロ・カラッチョーロ(1578-1635)イタリアの画家
「聖オノフリウス」1620-1625
長い髪と髭のよぼよぼの聖人、聖オノフリウスって何者?
老人の垂れた肌をも情け容赦なく描くカラヴァッジョの写実主義が現れています。 -
マティアス・ストム(1589/90-1650)カラヴァッジョの信者、フランダースの画家。
「サムソンとデリラ」17世紀。旧約聖書。
怪力サムソンの弱点が長い髪にあると知ったデリラは、彼を誘惑し眠らせます。そして隙を見て彼の髪を切り、無力になったサムソンを、敵のペリシテ人に捕らえさせます。 -
まだまだバロックの絵画は続きます。
壁の色が変わって、ここは下の階。
ここからはドイツで蒐集されたバロックの絵画のようです。 -
マッティア・プレティア(1613-1699)イタリアバロックの画家
「トロイからの脱出」17世紀中ごろ。
炎上するトロイから年老いた父を背負い、幼い子供と共に脱出する将軍アエネアス。ギリシャ神話より。 -
サルヴァトーレ・ローザ(1615-1673)
「詩作」1640。
入場券のデザインにも使われている絵。 -
サルヴァトーレ・ローザ(1615-1673)
「音楽」1640.
上の絵と同時期に描かれた連作?
サルヴァトーレ・ローザはイタリアナポリの画家。
また詩人でもあり作曲家でもあり、ついでにイケメン俳優でもありました。 -
シモン・ヴーエ(1590-1649)フランスの画家。
「絵画のの寓意(自画像)」1620ごろ。
カラヴァッジョ派にも彼の絵がありました。
ところで「自画像」???
と思ったら手前の豊満な女性が描いている絵が「自画像」なのですね。
カラヴァッジョ派らしい物語性のある絵です。 -
グイド・レーニ(575-1542)バロック期に活動したイタリアの画家。
「悔悛するマグダラのマリア」1633。
同じ題材の絵が前にもありました。
ここにもアトリビュートのドクロが描かれています。 -
Francesco Prospero Ignazio Muti(1602-1653?)
「平和の寓意、絵画と音楽」 -
ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリことグエルチーノ(1591-1666)。グエルチーノとは彼が斜視だったため付けられたあだ名。
「我、アルカディアにもありき」1618-1622.
森の中で骸骨を見つめる二人の若者。
「われ、アルカディアにもありき」ラテン語で理想郷アルカディアにも死は存在するというかなり有名な言葉らしいです。ゲーテは「イタリア紀行」の中で副題に使っています。
また「メメント・モリ(死を忘れるなかれ)」にも通じる言葉です。 -
アルテミジア・ジェンティレスキ(1593-1654)17世紀カラヴァッジョ派のイタリアの女流画家。
「パテシバの入浴」1635 -
アルテミジア・ジェンティレスキ(1593-1654)
「ルクレチアとセクストゥス・タルグイニウス」1630
貞淑な妻ルクレチアはある日、王政ローマの王子セクストゥスに乱暴されます。
彼女は夫と父親に全てを打ち明け、彼らに復讐を頼み、自害します。ルクレチアの頼みを聞き入れた彼らは民衆を募り、王家を倒すのです。
ルクレチアという1女性が、ローマが王政から共和制に変わるるきっかけを作ったのです。 -
シモン・ヴーエ(1590-1649)フランスの画家。
「サロメ(ユーディット?)」1625
優しい顔をしたサロメ(ユーディット?)が生首を抱いている姿に狂気を覚えます。
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この美術館は、もちろん絵画の素晴らしいのは言うに及びませんが、バルベリーニ宮は内装も素晴らしいのです。
特に大広間の天井いっぱいに描かれたこのフレスコ画。 -
余りの素晴らしさにしばしベンチに座り、上を向いて過ごしました。
足の疲れもありましたし。
このフレスコ画はローマのバルベリーニ宮殿にあるもののコピーです。 -
天井画の全景。
ピエトロ・ダ・コルトーナ(1596-1669)作。
「神の摂理の勝利」
幅15メートル、奥行25メートルにも及ぶ大画面に数多くの人物が配されている。構図の中心に位置する「神の摂理」の寓意の女性像をはじめ、人物は空間に浮遊するように描かれ、天井がそのまま天空へとつながっているような錯覚を見る者に起こす(wikiより)。
一言で言えば、コルトーナの守護者、ローマ教皇ウルバヌス8世の栄光を称えたもの、だそうです。 -
さきほどバロック絵画の中で、コルトーナの絵がありました。
「konstantin zerstort die heidnischen gotzenbilder(コンスタンティンは異教の偶像を破壊する)」
さすがに優雅さに溢れていますね。 -
この胸像はローマのバルベリーニ宮殿を造ったローマ教皇ウルバヌス8世(1568-1644)
バロックの巨匠ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598-1680)の傑作です。 -
ポツダムのバルベリーン宮殿のスケッチ画です。
-
「バロックの小路」
しばしの間、バルベリーニ宮殿でバロックの小路をさまよい歩き、浴びるほどバロック絵画の洗礼を受けてまいりました。
バロック絵画って、カラヴァッジョとか、レンブラントとか、ラ・トゥールとかの誰もが知っている絵はもちろん素敵だと思いますが、今回私にとっては余り名を知らなかった画家たちのバロック絵画はむしろ新鮮に映りました。 -
美術館を出て、宮殿の中庭に出てきました。
美術鑑賞している間に雨が降ったのでしょうか、今は雨が上がって虹が出ています。しかも2本も。
見えますか?
右上隅の黒い物体は? -
黒い物体は銅像です。
同じものをライプツィヒでも見かけました。(2018年、シニア3人組ライプツヒ編) -
ヴォルフガング・マットイヤー(1927-2004)作の「Der Jahrhundertschritt」世紀のステップ。
右手はヒトラーの敬礼(ナチス第三帝国のファシズム)、左手は労働者の突き上げた拳(東ドイツの抑圧された社会主義)、
すなわち東ドイツ国民が通過しなければならなかった2つの苦悩の時代を表現しているものだそうです。 -
新しく再建されたバルベリーニ美術館。
そしてここはアルターマルクト広場。 -
正面にはこれも真新しいニコライ教会。
フリードリヒ・シンケルの設計です。 -
ニコライ教会の前には大理石のオベリスク。
これは1979年に再建されたもの。
すべて古い歴史あるものなのに、この広場の建築はすべてがまだピカピカです。
かつてここには18世紀の半ば、フリードリヒ大王がイタリアの広場に倣って造らせたヨーロッパで最も美しい広場がありました。
広場にはまたフリードリヒ大王の意志を継いだフリードリヒ2世やフリードリヒヴィルヘルム4世の時代にイタリア様式の多数の建築物か建設されました。 -
しかし広場は第二次世界大戦の爆撃で破壊され、その後DDR政府により建物は爆破され、広場は荒涼とした姿をさらしていました。
そしてドイツ統一。
こちらもまだ真新しいポツダムの旧市庁舎。
2つ右隣の建物はクノーベルスドルフハウス。 -
市庁舎の塔の頂上で黄金の地球を抱えている像。
ドイツが統一して、かつてヨーロッパでもっとも美しい広場と言われたこの広場をできるだけ昔の姿に再現することになりました。
今再現途中なのです。 -
広場には再建途上の赤い覆いが張りめぐされています。
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最も再建が望まれていたのはこの旧王宮でした。
しかし昔の姿を再現するためには膨大な経費が必要です。
ここに助け人が現れたのです。
バルベリーニ宮殿を再建して美術館にした前述のIT王者、ハッソ・プラットナー(1944~ )の巨額な寄付のお蔭で昔の姿で再建することになりました。
そして2014年に完成、現在はブランデンブルク州議会が移ってきました。 -
入り口にはかつて王宮の中庭に置かれていた「フォルトゥナ門」が組み込まれました。
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私のバラバラの写真では全容が見えませんので、ネットで借りてきた写真で、蘇った美しい王宮をご覧ください。
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右側にも左側と同じ左右対称のコリント列柱様式の宮殿があります。
そちらに行ってみます。 -
この赤い覆いの向こう側がまだ再建開発が進められている部分です。
年代順にこの広場が辿ってきた建物の歴史が記されています。 -
最も新しい年代は2021年。
2021年には完成予定のようです。 -
そして最終的な街並みはこのようになるようです。
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旧王宮、現在のブランデンブルク州議会の側面。
アルターマルクトにフリードリヒ大王が夢見たイタリアの広場が蘇るのももう間もなくです。
私も完成したらもう一度この広場に立ってみたい。 -
王宮前の広場にトラムの停留所がありますので、帰りはここから電車で中央駅まで向かいます。
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ポツダム駅。
これからSバーンでアレクサンダープラッツ駅まで戻ります。
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