2019/10/02 - 2019/10/02
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frau.himmelさん
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新型コロナウイルスは全く収束の気配が見えないどころか、都市圏ではますます感染者の増加が留まるところを知りません。
それに追い打ちをかけるように日本列島を襲った令和2年7月豪雨。
未曽有の集中豪雨は、私の故郷をも呑みこみました。
テレビに映し出されるなつかしいあの場所この場所が、濁流に飲み込まれ、また泥水に浸った惨状を見るにつけ、胸が押しつぶされる思いです。
被災された皆様の一日でも早い復興をお祈りいたします。
そんな中で気持ち的に旅行記の続編を書く余裕がありませんでした。
そこでまだ完成していないのですが、前から温めていたもの、2019年秋に訪れたベルリンのアミューズメント博物館「Little BIG City」でベルリンの歴史についてみてまいりましたので、途中ですができたところまで発表したいと思います。暇をみて、撮ってきた写真を眺めては、少しずつ楽しみながら調べていました。
このアミューズメント施設については、まだ4トラベルで発表されている方は見かけませんでした。
-
場所はアレキサンダー広場。
お馴染みの赤の市庁舎、ネプチューンの噴水。 -
マリエン教会、そしてテレビ塔。
-
テレビ塔の入り口、その下は、水のカスケード・・・。
-
テレビ塔の中に入ると・・・。
こういう場所があるのをご存知でしょうか?
ゲームセンター?
いいえ、違います、れっきとした歴史博物館なのです。
博物館にしては目立たない入り口「Little BIG City」です。 -
さきほど時間前に到着したときには長蛇の列ができていました。少し時間潰しをしてやってきました。
入り口でいただいたパンフレット。 -
中に入ると大混雑。
小学生や中学生の団体、一般客・・・。
入場制限をやっています。
私たちは、日本でネットで取ったチケットを見せて、優先的に入ることができました。 -
エレベーターを降りると、壁には歴史的な出来事が年代とともに映し出されています。
ここはベルリンの750年の歴史をジオラマで見せてくれる博物館なのです。 -
扉を開けて中に入ると、ブランデンブルク門の上には案内人が立っていて、面白おかしく館内の案内をしてくれます。
-
美しい映像のファンファーレで迎えられます。
まるでファンタジーの世界。 -
中に入るとこういう場面が目に入りビックリします。
手前にはベルリン誕生前の中世のころの家々、向こうには赤の市庁舎、そして右奥にはカイザーヴィルヘルム教会が、そして夜空に光る花火・・・。
その中をガリバーみたいな大男の子供たちや観光客が動いている。 -
突然、暗くなったり、色が変わったり・・・。
-
建物に映像を照射して文字や人物を浮かび上がらせたり・・・。
レバーやボタンを押して車や人が動きだしたり・・・。
いろんな仕掛けがあり、大人も子供も楽しめる工夫がしてあります。 -
とは言っても、私たちは遊園地に来たわけではないのです!
でも大丈夫。
受付でいただいた地図を見て順路に沿って歩けば、ちゃんと歴史の流れを辿ることができます。
24分の1で再現されたベルリンの街並み、広さ1500㎡の空間の中に100の建物と6000体の人形が設置されているのです。 -
まずは①のニコライ教会から。
ベルリン最古のニコライ教会は1230年に建造されました。
ベルリンはこの教会を中心に発展していきます。 -
要所要所に年号にそって説明プレートがあります。
ベルリンはケルンとベルリンという二つの街が統合してできた街です。
古い文書には1237年10月28日にケルンが、ベルリンの名称はそれより7年後に記載されています。
便宜上、1237年がベルリンの誕生の年とされています。 -
農業を中心に発展していたケルン側。
藁ぶき屋根、かやぶき屋根、荷車、人。
精巧にできたミニチュア。 -
ベルリン側は漁業で生計をたてていました。
二つの街は1307年に統合され、ランゲブリュッケ(長い橋)で結ばれました。 -
オットー3世とヨハン1世の共同統治下に置かれることになり、都市特権が与えられました。
そして人口が増え街は賑わい、経済面でも発展していきました。 -
マリエン教会は1270年に建てられました。
-
1323年に、ヴィッテルスバッハ家がブランデンブルク辺境伯におさまるや、強圧的な統治を始めました。
1325年8月16日にはベルリン・ケルンの司教で皇帝に反抗していた教皇派のニコラウス・フォン・ベルナウはリンチされました。 -
また、1458年4月27日、巡教説教者であったマティアス・ハーゲンは捕らわれて、異端尋問のすえ火あぶりの刑に処された。
-
1448年、フリードリヒ2世はベルリンに新しい城を建てようとするも、市民はこれに反対してベルリン反乱が起きます。
市民は建設中のベルリン市城を襲い焼き討ちにしようと企てましたが成功しませんでした。
そのことで市民は政治的にも経済的にも自由を失い、弱い立場になります。
◇◆
この城はカラクリ館です。左上の滑車が動きだすと、下にいる人形たちがいろんな動作をします。
子供たちが喜んで遊んでいました。 -
フリードリヒ2世はベルリン反乱を鎮圧した強い意志から「鉄歯侯(鉄の歯をもつ領主)」と呼ばれました。
そして1451年ベルリン市城は完成し、鉄歯侯は入城します。
この城が現在建築中のベルリン王宮の昔の姿です。 -
城の中庭で繰り広げられる馬上試合。
バルコニーの特等席で観覧しているのはブランデンブルク選帝侯のヨハン・ジギスムント?。
◆
ここでも子供たちは手前のレバー(?)を引いて、馬上の騎士を動かします。 -
1540年3月22日、商人ハンス・コールハースの公開処刑。
商人ハンス・コールハースが損害を与えられた悪徳領主に対して訴訟を起こします。しかしそれを領主に握りつぶされ、怒ったコールハースは軍隊を組織して立ち向かうという実話です。
時の人マルチンン・ルターが仲裁に出てきたり、最後には神聖ローマ帝国の高等裁判所で裁かれることになり、コールハースは全面的に勝訴します。しかし、世間を騒がせた罪でコールハースは公開処刑で打ち首にされる。
物語ロビンフットさながらのワクワクする実在の話。
このことはベルリンに残っていた古文書をもとに、作家クライストが「ミヒャエル・コールハースの運命(或る古文書より)」という題名で小説を書いています。また何度も映画化もされているそうです。 -
1618-1648 30年戦争勃発。
-
30年戦争はヨーロッパ諸国の覇権争いが戦争に発展したものでしたが、主たる戦場はドイツ国内でしたので、ベルリンは未曽有の惨禍を受けました。
家屋の3分の1が損壊し、人口は半減しました。 -
30年戦争により労働力減少に悩んでいたフリードリヒ・ヴィルヘルム大選帝侯は、フランスから追い出されたユグノー難民(新教徒)を大勢受け入れます。
ユグノーたちはいろんな分野で活躍し、経済発展に大きく寄与しました。
フリードリヒ・ヴィルヘルム大選帝侯は宮殿をより壮麗に改築しました。 -
また、30年戦争で損壊したベルリンの街にフランス式のしゃれた建物が建てられた。
-
フランス式庭園なども新技術を持ったユグノーたちの手によって造られた。
-
フランス式庭園にいるあのお方は何をしているのでしょうか?○印。
フリードリヒ大王は、度重なる戦争によって疲弊したプロイセンにジャガイモ栽培を奨励して人々を飢餓から救います。
ミニチュア歴史館には思いがけないところにこういう小さな歴史が隠されています。それらを探すのも楽しみです。 -
フリードリヒ大王の啓蒙主義を嫌ったフリードリヒ・ヴィルヘルム2世は芸術には理解がありました。
1788年にはラインラントのカーニヴァルをベルリンに取り入れました。
夜ごと舞踏会が繰り広げられていました。
(この人形たちも踊ります) -
フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の在位中、1791年にブランデンブルク門が造られ、1793年にカドリーガが載せられました。
しかしフリードリヒ・ヴィルヘルム3世の時、1806年のナポレオン戦争でプロイセンが負けてフランスに奪い取られるのです。 -
1806年、プロイセンはナポレオン率いるフランスとの戦いで大敗します。
1807年ティルジット条約で巨額の賠償金を課せられたプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は、ベルリン市民に絶大な人気を集めていた王妃ルイーゼにナポレオンとの話し合いに赴かせます。
1807年7月6日、王妃ルイーゼは華やかに着飾ってナポレオンと会談し、プロイセンの崩壊を寸前で食い止めました。
内助の功? -
〈ベルリンの工業化〉
ドイツの産業革命はイギリスより遅く1830年ごろに始まりました。
1835年にはニュルンベルク~フルタ間にドイツ最初の鉄道が敷かれ、1838年にはベルリン~ポツダム間の鉄道会社が開業しました。
1837年にはベルリンにヨーロッパ最大の蒸気機関車メーカー、ボルジッヒ社が創られました。 -
蒸気機関車製造はドイツの産業革命に大きく貢献しました。
他のヨーロッパ各国からも受注をうけ、ますます発展していきます。 -
1858年、ボルジッヒ社の蒸気機関車、1000台目の完成。
アレクサンダー・フォン・フンボルトなど多くの著名人を招いて盛大な祝賀式が開催された。
ちょうど紫色の照明に照らされて見難いです。 -
ボルジッヒ邸。
創業者ボルジッヒによってテーゲル湖に1908年に建てられ、一族の住居として1937年まで使われた。
終戦後の分割統治ではフランスセクターだったが、1990年ベルリン統一により、現在は外務省のゲストハウスとして使われている。 -
職を求めて多くの労働者がベルリンに入ってきました。
労働者が線路を敷設している中に、不思議な人物が何人もいるのに気が付きます。○印。
手前は赤ずきんと狼? -
グリム兄弟のメルヘンの主人公がアチコチにこぼれています。
「赤ずきんちゃん」にこちらは「白雪姫」、あとはよく知りません。
何気なく遊び心を持たせているのも楽しい。
と、言ってもやみくもに並べてあるわけではありません。 -
グリム兄弟は1821年に最初のメルヘン小説をベルリンで発表、とあります。
ゲッティンゲン大学を追放されたグリム兄弟をベルリン大学教授として招聘したのはプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世です。
1840年のことです。
ドイツの産業革命も同時期です。 -
話を元に戻します。
ベルリンの工業化は凄まじい勢いで進みました。
多くの労働者がボルジッヒ工場に吸い込まれていく様子。実際に人形たちは動いています。
ベルリンの人口は急激に膨らみ、それと共に住宅不足、劣悪な衛生環境が生じました。 -
ベルリンにコレラが流行したのもこの頃です。
1833年にはコレラによる死者が1426名出ました。また1866年には5457人が出ました。
隔離されている患者たち。
ジオラマではのんびりしているように見えますが、今現在のコロナ禍と戦っている私たちは、あの頃の医療体制ではさぞかし大変だったんだろうなーと思いますね。 -
でも、あの時代には救世主がいました。
ドイツの細菌学者ロベルト・コッハは1883年にコレラ菌を発見し、1905年12月5日ノーベル医学賞を受賞しました。
早くコロナにも救世主が出てほしい。 -
首都ベルリンは急成長を遂げました。
しかし労働条件は劣悪でした。
安い賃金の中、女性も子供も朝から夜まで工場で働いても多くの労働者は貧困生活にあえいでいました。
1848年はパリやウィーンでは革命の嵐が吹き荒れていました。
ベルリンでも市民運動は盛り上げりをみせ、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世に憲法制定を求めました。
しかし王はそれを拒否。 -
〈3月革命〉
ついに1843年3月18日、ベルリン市民が武器を持って立ちあがりました。手には、自由・平等・友愛の黒・赤・金色の3色の旗を掲げて。
この旗が現在のドイツ国旗となっています。
しかしこの3月革命は一時的には成功したかに見えましたが、失敗におわりました。 -
1860年にはネオルネッサンス様式で赤レンガのベルリン市庁舎が造られました。
赤い色にちなんで赤の市庁舎として親しまれています。 -
市庁舎の前にはいつも大勢の人が集まっています。
-
ベルリンで最も重要な駅であったアンハルター駅が造られたのもこの頃です。
最初は1839年に建設され、1941年に開通しました。
その後利用客の増加により何度か拡張されました。 -
1871年ドイツ帝国成立、ヴィルヘルム1世がドイツ皇帝として即位。
アンハルター駅は大幅に再建されることになり、1879年に完成しました。
美しい駅の正面の柱には「1879」という年号が記されています。
○印 -
1880年6月、初代ドイツ皇帝となったヴィルヘルム1世とビスマルク宰相が出席して、新しいアンハルター駅の開通式が行われました。
(豆粒の人形は、テープカットしているヴィルヘルム1世とビスマルク。)
その後皇帝たちが外国から要人を迎えるときも、アルハンター駅で華やかなレセプションが開催されました。
アルハンター駅は1945年戦災に遭い、現在は駅の正面だけ残っています。 -
アルハンター駅付近に散らばめてある遊び心を。
俗称「Cafe Achteck」と言われる1879年に造られた男性用公衆トイレ。
グリーン色の鋳鉄製の外観は大変豪華です。
8角形は1つは扉、そしてあとの7つは7人の男性が用を足すことができます。
ちゃんと屋根には換気塔がついています。
女性用公衆トイレができたのは1900年ごろのことだったそうです。 -
またこちらにはレントゲンが肺のX線写真を持って立っています(矢印)。
ヴィルヘルム・レントゲン(1845-1923)は1895年にX線の発見を発表し、1901年ノーベル物理学賞を受賞しています。 -
1896年にはネオルネッサンス様式のオーバーバウム橋が架けられました。
今では東西ベルリン統一の象徴みたいに思われていますが、ベルリン発展のためには重要な橋でした。 -
124mの2階建ての橋、上は鉄道が走り、下は歩道になっています。
-
紫色の中に浮かぶ工業化された都市ベルリン。
-
赤の市庁舎の上空では、ライト兄弟より以前に空を飛んだオットー・リリエンタール(1848-1896)が手作りグライダーに乗って下界を見下ろしています。(○印、矢印)
とりあえず第1部はここまで。
一つ一つ、調べ乍ら作成しておりますので時間がかかること(´;Д;`)。第二部はいつになるやら。でも楽しみながらやっています。
時代を追うのに、かなり無理をした写真の組み合わせなどもありますが、ご容赦を。
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この旅行記へのコメント (11)
-
- salsaladyさん 2020/07/24 20:56:51
- Little Big City !~It seems like me?
- ☆ちょっと図々しいタイトルですが。。。身体は小さくとも志はでかいよ!
☆frau。さんの故郷も九州の何処かですか?(私は高校生時代まで大分でした)
☆熊本はここ数年不運に見舞われて酷い状態ですが、必ず立ち直ります!
☆こんな折にも「Little Big City」を思い出せば勇気が貰える感じでしょうか。
☆地球規模の負の連鎖に何だか終わりの始まりを感じてしまうのは弱気過ぎる?
- frau.himmelさん からの返信 2020/07/25 11:39:43
- RE: Little Big City !~It seems like me?
- salsaさん、こんにちは.
コメントありがとうございます。
今までsalsaさんの旅行記を拝見してきて、九州に縁がある方だな〜とは何となく想像していました。
大分ですか。この度の令和2年7月豪雨では大分地方も大きな被害がでましたね。
はい、私は今回最も被害がひどかった熊本です。
テレビで映し出される悲惨な状況を見るにつけ胸が痛くなります。
あの場所この場所、みんな懐かしい思い出の地ですから。
今日も雨が降っていますね。もう雨とコロナは結構です!って叫びたい。
>☆地球規模の負の連鎖に何だか終わりの始まりを感じてしまうのは弱気過ぎる?
本当にこれからどうなっていくのか?考えると弱気にもなります。
人間って、旅ができる、みんなと美味しいものを一緒に食べられる、コンサートや球技をみんなとワーワー言いながら楽しめる、そういうことを当たり前に自由にできてこその私たちの生活ですから、それが削がれている今、弱気になるのも仕方がないですね。
でもsalsaさんのこの言葉
『身体は小さくとも志はでかいよ!』
もっと前向きに頑張ります。
himmel
-
- mistralさん 2020/07/19 23:33:59
- 時代を追って。
- himmelさん
こんばんは。
himmelさんのアップされましたLittle Big City の旅行記にコメントを
お送りしようと思っている間に、先に頂いてしまいました。
実は、ノートルダムの追想の旅行記に返信を差し上げているつもりが
独立したコメントになってしまい、そのうちに何やら混乱してしまい???
挙げ句の果てに、もう一度お送りさせて頂くことにしました。
(何やら訳がわからない?とお思いでしょうが。)
今回の集中豪雨の被害を、himmelさんの故郷でも受けられたとのこと、
さぞかしご心配な日々をお過ごしのことと思います。
心からのお見舞いを申し上げます。
猛威をふるう自然の災厄に対して、無力さを感じます。
そんな折に出来ることといったら、ただ祈るだけでしかない私たち。
ノートルダムの火災の折と想いが重なります。
私の旅行記で、ノートルダムが炎に包まれているのを目の当たりにして
パリの人々が出来たことといったら、ひたすら祈りを捧げる、こと
だったのでしょう。
一人一人の聖歌の祈りの歌声が、やがて合わさっていって
大きなうねりのような合唱になっていったことに心が震えました。
旅行記にするには1年ちょっとの時間がかかりましたが。
himmelさんのコメントの中に、「聖歌」との言葉を使われていて
ハッと気づきました。動画のコメントで賛美歌とあったので、違和感を
持ちながら使ったのでしたが、フランスでは聖歌とすべきでしたね。
有難うございます。
(ここまでのコメントは、ノートルダムの旅行記にいただいた返信でもあります。)
ベルリンのLittle Big City,
素晴らしい施設がベルリンにあったんですね。
しかもテレビ塔のあるビルにとは、思いもよりませんでした。
ベルリンの歴史がジオラマで展開されているなんて、歴史にお詳しい
himmelさんですから、時間がいくらあっても足りないくらいだった
事でしょう。
いくら見ていても飽きないですし、旅行記にするにあたり、一つ一つ
調べる際にもhimmelさんの興味津々なご様子をついつい想像していました。
異端審問の末の火あぶりの刑の様子とか、公開処刑とか
ナポレオンのお顔とか、リアルで楽しませていただきました。
続編もあるんですね。続きもお待ちしております。
mistral
- frau.himmelさん からの返信 2020/07/20 21:27:49
- RE: 時代を追って。
- mitralさん、こんばんは。
こちらにまでわざわざコメントありがとうございます。
わかります!
ちょうど同じころコメントしようと思っていらっしゃったところへ、私の方がタッチの差でコメント差し上げたものですから混乱されたのですね。私などもそれに似たことをしょっちゅうやっていますので(笑)。
でもこちらに改めてコメントいただけたお蔭て新たに返信できた良かったです。
あれ?「聖歌」のこと、mistralさんが貼り付けて一番最初の動画に「聖歌を歌っているパリ市民・・・」とあったのでそれを使わせていただいたのです。
聖歌って堅苦しいから讃美歌にしようかどうしようかと迷ったのですが、聖歌を使わせていただきました。
さきほど改めて拝見しましたら全部聖歌になっていましたが、もしかして書き直されたのですか?
ごめんなさい、こちらでも混乱させてしまいましたね。
mistralさんのお言葉
>旅行記にするには1年ちょっとの時間がかかりましたが。
このお言葉、よ〜〜くわかります。
ノートルダム大聖堂の中のある一部分を特定するにもあれやこれや調べなければなりませんし、なにしろ対象が焼け跡ですから。
それに、こんな風に変わってしまって・・・と、美しかった大聖堂の中を直近で見ていらっしゃるだけにそれ以上見ることができなくて中断なさったこともおありだったでしょうね。
この1年、いろんな葛藤を抱えながら書いてくださったのですね。
でもあの旅行記はmistralさんがやはり書き留めてくださるべき(こんな言葉つかってごめんなさい)だと思いました。
いつの日かノートルダム大聖堂が再建されたら、晴れて(喜び編)をお出しになってください。
そんなことを考えてましたら、Litte Big City、これも単にジオラマでベルリンの歴史を再現しただけのものではないことに気が付きました。
ベルリンの歴史、と言いながら見たことがない立派な建築物がいくつかありますので、いろいろ調べましたら、戦争によって破壊されたもの。破壊される前はベルリン市民に愛され親しまれていた実在していた場所でした。
そういう昔の人の思いが詰まった歴史を調べるのも大変興味深いです。
たしかに時間はかかりますが、楽しみながらやっています。
コロナはますます凶暴になっていきますね。
旅が遠のいて行くのを感じます(泣)。
コメントありがとうございました。
himmel
ほら、やっちゃいました!
先ほどコメントを書き終えて修正しようと思ったら、みんな消えてしまいました。
また改めて書き直しました。(笑)
- mistralさん からの返信 2020/07/20 22:50:36
- RE: RE: 時代を追って。
- himmelさん
ご返信ありがとうございます。
長〜いコメントを仕上げられて、いざ送信まで行ったのに
消えてしまった!
あります、あります。
暫くは立ち直れないくらい落ち込みます。
再び書き直して下さり、ありがとうございました。
> あれ?「聖歌」のこと、mistralさんが貼り付けて一番最初の動画に「聖歌を歌っているパリ市民・・・」とあったのでそれを使わせていただいたのです。
> 聖歌って堅苦しいから讃美歌にしようかどうしようかと迷ったのですが、聖歌を使わせていただきました。
そうでしたか?!
最初の動画には「聖歌」とありました?
自分ながら、もう曖昧になっています。
賛美歌?なんか違う?という思いでいたものですから
すぐ書き直してしまいました。
以前、城壁の日本語訳についてhimmel.さんからコメントいただきました。
市壁でも、日本語になると城壁となっている、とのこと。
その後、私も「賛美歌」について調べてみましたが
プロテスタントでは賛美歌とありました。
でもその合唱団は「聖歌隊」となるようでした。
日本語が難しいのでしょうね。
mistral
-
- ぶどう畑さん 2020/07/19 20:37:20
- 興味深く拝見しました!
- himmelさん
ぶどう畑です。
himmelさんの故郷が濁流にのみ込まれたとのこと、本当に悲しいですね。
毎年、豪雨やら、台風やら、これまでにない災害の規模に怖くなります。
おととしは車庫の屋根の一部が壊れ、古い樋が飛びました。
去年は古いガラスが割れたり、網戸が飛んだ際に桟が欠けたり。
今年はどうぞ、台風の進路にぶつかりませんように…。
さて「Little Big City」。
ベルリンと言えば、壁とか、チェックポイントとかを思い浮かべてしまうのですが、この街にも中世の時代があったんですね。
私だったら、よくわからないままジオラマを眺めて終わり…のところ、himmelさんの解説でほほぉ~!興味深い展示を楽しく観ることができました!
コロナは収束どころか再燃で、ホント、なんだかなぁ。
コロナで生活スタイルを変えざるを得なかったりもありますが、これまで続けてきたことを見直すきっかけが生まれたり、悪いことばかりではない気がしています。
とは言え、一日も早く安心して暮らせる日が来ることを祈るばかり。
- frau.himmelさん からの返信 2020/07/20 22:03:05
- RE: 興味深く拝見しました!
- ぶどう畑さん、こんばんは。
故郷の豪雨のお見舞い、ありがとうございます。
本当にあんなことがあるのですね。もうテレビの画面を見ているだけで胸が押しつぶされそうになります。
ぶどう畑さんもいろいろ被害に遭っていらっしゃいますね。
最近の豪雨や台風、年々ひどくなっていくのを感じます。
ベルリンって新しい都市だと思いがちですが、新しいだけではないのです。
ベルリンの壁と共に中世の城壁も残っていますし、いろんな歴史を持った都市ベルリン、そんなところに惹かれているのかもしれません。
でも、こんなところでダラダラ引っかかっているから、なかなか前へ進めません。
ぶどう畑さんのルートヴィヒスブルクのクリスマスマーケットを見せていただきました。
コメントを残そうと思っているうちに賞味期限切れに。
表紙の天使のイルミネーション、素敵に撮れていますね。
ぶどう畑さんがマイナーな街(笑)だと思っていらっしゃるルートヴィヒスブルクのクリマ、私は10年ほど前にツアーで行きました。
ちょうど点灯の時間だったので、あっちからもこっちからも光をまとった天使が一斉に飛び立ってくるさまは鳥肌がたつようでした。
ぶどう畑さんの旅行記を見せていただいて懐かしかった〜〜。
まだ続きますよね?
ホント、コロナの再燃、いやですね。
今日も都心に出かけたのですが、電車の中、駅構内の中、近寄ってくる人を避けるのに気を使います。隣に座ってこられると悪いけど、逃げたりとか・・・。
早くそんな気を使わない日になって欲しいです。
himmel
-
- あの街からさん 2020/07/17 19:18:45
- ドイツ語標記と英語標記ですね
- 案内板は
2カ国語の標記になっている様ですね。(^ー^)
パンフレットなどの販売はあったのでしょうか?
映画も観てみたいなぁと思いました。
字幕版が出ていないかなぁ。
あの街
- frau.himmelさん からの返信 2020/07/17 21:36:36
- RE: ドイツ語標記と英語標記ですね
- そうです、そうです。英語とドイツ語の表記です。
パンフレットもありました。
私は30ページくらいの絵本みたいなパンフレットを買ってきました。詳しいのがあったかどうかはちょっと記憶にありません。
それからご覧になりたい映画って公開処刑された「ハンス・コールハース」のですね?
wikiに出ていました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%B0_%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
すごい長いですね、出ないかもしれませんね。
ではもう一つ。
https://eiga.com/movie/81554/
あの街さん、映画がお好きですね〜。
このLittle BIG Cityの第2編は、黄金の20年代、ベルリンが最も輝いていた時代です。
あの頃の映画に関することもいろいろ出てきます。
私の乏しい語彙力でうまくまとめられるか自信がありませんが、次回も見てください。
himmel
-
- あの街からさん 2020/07/17 19:07:18
- 「あぁLittle big City さま 貴方は何故 ベルリンに在るにもかかわらず そのお名前なの。 」だろう?
- もしかしたら これまで拝読(拝見)した旅行記の
Best10入りしそうです。
※まだまだ、お互いに出会いの期間が短く
読破旅行記はごくごく少数なのですが( ̄O ̄;)
開いた時には
この Little big City って初めて知ったけれど
自分はジオラマや小さなドイツの木組みの家とか
クリスマスオーナメントの家などが好きだから
面白いそうだ。と読み始めたら
何と!ベルリンの歴史を最新の技術を駆使し
ベルリンの街をジオラマにして
分かりやすく見せてくれる。
凄いところだぁ!と興味を持って読み進めました。
『Little big City』の既存の展示画像を使って
そこに、コロナ事情も絡ませながら
時系列に並べる編集の力が光ってますね。(^ー^)
やはり、前頭葉ピッカピカのhimmelさん。
改めてベルリンって市の歴史館を
こんな風にテーマパークにして展示する。とは
さすがベルリン。あぁベルリン。
キャンセルしていたヨーロッパ旅。コロナが治まった暁には。と
只今 再精査中(^ー^) なのですが
ベルリン ステイ3日くらい付けてみようかな。と検討中。
もし行くとなったらここは必須箇所となりました。
しかし、館内ドイツ語標記とアナウンスだと理解不能かなぁ。
そうか、himmelさんの旅行記で、しっかり予習して行けば
良いか(^ー^)
続き楽しみにしています。
あの街
- frau.himmelさん からの返信 2020/07/17 21:28:34
- RE: 「あぁLittle big City さま 貴方は何故 ベルリンに在るにもかかわらず そのお名前なの。 」だろう?
- あの街さん、こんばんは。
いろいろ誉めていただいて・・・、
あの街さんからそんなに誉めていただくと、ブタも天に昇ってしまいます。
>やはり、前頭葉ピッカピカのhimmelさん。
私、まだ前頭部光っていません!(笑)
誉められ慣れしていないので、テレ隠しです。
Little BIG City、気に入っていただけて嬉しいです。
あの街さんもジオラマ、お好きなのですね。
私はハンブルクでミニチュア・ワンダーランドを見て以来、すっかり好きになりました。
あちらは乗り物のジオラマですが、こちらは私の好きな歴史(下手の横好き)、これは行かなければと行ってまいりました。
2017年に開館したばかりで、まだ新しいこともあって館内は混んでいました。(今ならアウト!)
今回旅行記をまとめていると、どうしてあそこの写真は撮らなかったのだろうとか、この場面を外すなんて信じられな〜いとか、後悔ばかり。
私にとっても機会があればもう一度行きたい場所です。
あの街さんも今年のヨーロッパ旅行、キャンセルなさったのですね。
ほんとに何時になったら解禁になるのでしょうね。
himmel
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