2019/10/02 - 2019/10/02
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frau.himmelさん
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「Little BIG City」(その2)です。
今回はベルリンのもっとも華やかだった時代「黄金の20年代」です。
1918年に第一次世界大戦で敗北して、ヴェルサイユ条約により莫大な賠償金を課せられたドイツ、国民にとっては政治の混乱と、ハイパーインフレーションに苦しめられた時代でした。
ところが不思議なことに、そのちょっと後にベルリンに、パリやロンドンを凌駕するほどの「黄金の20年代」が到来するのです。特に文化・芸術面では、ヨーロッパ中から芸術家・文化人・知識人が集まり、一大文化が華開きます。
ドイツが好きでベルリンにはもう10回以上訪れていますので、ベルリンのことはある程度は知っていると思っていました。
しかしこのアミューズメント施設「Little BIG City」、私の浅い知識では知り得ない奥深~~いベルリンの歴史を教えてくれました。
ジオラマ・アミューズメント・ミニチュアワンダーランド・フィギュア・・・。
最初は子供の娯楽施設にちょっと毛が生えたもの・・・、くらいにしか考えていませんでしたが、いやぁー、侮るなかれ・・。
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プロイセン王国は、1871年にはドイツ統一を成し遂げドイツ帝国を成立させました。
ヴィルヘルム1世が初代ドイツ皇帝に即位し、またビスマルクが宰相として補佐しました。
しかし1914年、ヴィルヘルム2世の時代に第一次世界大戦が始まり、4年後の1918年には戦争終結、ヴィルヘルム2世はドイツ皇帝を退位してオランダへ亡命しました。
ドイツ帝国の終焉でした。 -
ドイツ皇帝ヴルヘルム2世の退位から数時間後、
1918年11月9日、フィリップ・シャイデマンが帝国議会の窓から「ドイツ共和国」樹立を宣言しました。
同じ日、カール・リープクネヒトもベルリン王宮のバルコニーから社会主義共和国(共産党)の樹立宣言を行いました。 -
窓から「ドイツ共和国」樹立を宣言しているシャイデマン。
ここにもいろんな遊び心が隠されています。
あそこに立っているのは?
トレードマークの山高帽にちょび髭、ステッキ・・、チャーリー・チャップリンではありませんか。
彼もこの時代の俳優でした。 -
○印の二人の男性、このきめポーズ、見たことがあるのですが何だったかな~?
思い出せません。 -
こちらで素知らぬ顔で「ネフェルティティの胸像」を抱えている男性は、考古学者ルートヴィッヒ・ボルヒャルト(1863-1938)です。
1912年にエジプトでネフェルティティの胸像を発見し、ベルリンに持ち帰りました。
現在はベルリンの新博物館で展示されています。 -
こちらは当時世界的に有名になった「ケーペニックの大尉」と呼ばれた痛快な事件。
フリードリヒ・W・フォークト(1849-1922)は古着屋で大尉が身につける軍服を手に入れ、近くで警備していた陸軍軍隊を騙して引き連れ、ケーペニック市庁舎に乗り込みます。
そこで「皇帝陛下の命令だ」と、市長と秘書を軟禁し、出納係に金を出させ、「押収」と言う名目でまんまと大金を持ち逃げしたのです。
大尉姿のフォークトが先頭に、騙されたと知らない警備兵がお金を運んでいる場面。 -
事件の10日後には逮捕されましたが、2年後にはヴィルヘルム2世の特赦で釈放されました。
この事件は「笑い話」として世界中で有名になり、映画や舞台や小説として発表されました。
「あなたも軍服さえ身につければ無敵な男になれる」。
制服至上主義の軍国主義を皮肉った痛快な事件でした。 -
政治的には混沌としていたワイマール共和国時代のベルリンでしたが、不思議なことに1920年代の首都ベルリンは、パリやロンドンと並ぶヨーロッパ最大の近代都市にのし上がるのです。
芸術や文化の花開き、華やかで自由な「黄金の20年代」の到来です。
ここは大型商業レジャーセンター「ハウス・ファーターランド」。
1912年にポツダム広場に「ハウス・ポツダム」として大型商業施設が建てられました。内部は映画館や大規模な宴会場、趣向を凝らしたレストランの数々、世界最大のレストランもありました。 -
その後、経営権がホテル経営者のケンビンスキーに代わり、彼は設計者と共に、さらに斬新な「ハウス・ファーターランド」を造り上げます。
外観を新しい技術の照明で照らし、文字を浮かび上がらせて宣伝効果を狙いました。
「黄金の20年代」には大変賑わった施設でしたが、1933年ナチスが政権を掌握すると、ユダヤ人のケンビンスキーは国を去らなければなりませんでした。 -
〈おまけ〉
ベルリンを訪れたら必ずといっていいほどポツダム広場には寄っています。
しかし「ハウス・ファーターランド」、そんなところがどこにあったんだろう?
気になった私は少し調べてみました。
この写真は2019年にポツダム駅に展示してあった古い写真です。
1930年ごろのポツダム広場の様子。現ソニーセンター側から見ています。
ベルリンのど真ん中にあり、当時ヨーロッパで一番交通量が多かったポツダム広場、市電やバスが何台も行き交い、凄い数の人の波。
手前にはヨーロッパで初の信号機が見えます。(矢印)
そして中心右奥にドームの屋根が見えますね。丸印
これが「ハウス・ファーターランド」です。 -
ソニーセンターから直線距離で200mくらいしか離れていません。Sバーンの入り口にあります。
「ハウス・ファーターランド」は1945年2月のベルリン爆撃で壁だけが残りました。
戦後、4か国による占領中はソ連の占領ゾーンではありましたが、米と英側への出口扉があったため、スパイの温床となり、1976年に解体されました。 -
では、今はどういう風になっているのか?
これが現在の姿。
そう言えばソニーセンターの斜め前くらいにこんなビルが建っていたような気がします。 -
さて、ベルリンの「黄金の20年代」。
華やかで自由で退廃的で享楽的で、一種独特の香り漂うベルリン。
引寄せられるように多くの芸術家・文化人・知識人などが集まりました。
そしてこの大都市ベルリンには多くの劇場、映画館、コンサートホールができました。「ハウス・ファーターランド」もしかり。
「タイタニア・パラスト」は1928年に創業したベルリンの豪華な映画館です。
人々は映画やコンサートに娯楽を求めました。 -
「黄金の20年代」にはベルリンで多くの優秀な映画が製作されました。
「Nun, Joh Fredersen?! Lohnt es sich nicht, eine Hand zu verlieren, um den Menschen der …」
これは映画「メトロポリス」。
当時はサイレント映画でしたのでセリフが映し出されています。
1928年に製作されたフリッツ・ラング監督の作品。
「近未来の光と闇を描いた斬新な表現は後の多くのSF映画に影響を与えた(ネットより)」 -
「吸血鬼ノスフェラトゥ」F.W.ムルナウ監督、1922年の制作。
ホラー映画の元祖だそう。
ホラー映画で思い出すのは数年前、ポツダム広場の映画博物館で見た「カルガリ博士」。1920年オベルト・ヴィーネ監督。
カメラ撮影禁止だったので写真はありませんが、あのキャラ強烈に覚えています。 -
これはベルトルト・プレヒト(1898-1956)の舞台、「三文オペラ」ではないかと?違っていたらごめんなさい。
左側の煙草をくわえた横顔がプレヒトのような気がしたので。
1928年、彼の専用劇場とも言うべきシッフバウアーダム劇場のコケラ落としとして上映されたものだそうです。
「三文オペラ」って言えば、誰もが知っている「メッキーメッサー」ですね。
私は、2015年にアウクスブルクの彼の生家を訪ねました。 -
この方も一緒に紹介させてください。
体操の選手ではありません、褐色のヴィーナスとしてパリで熱狂的な人気を博していたジョセフィン・ベーカー。
彼女は1926年に黒人初としてベルリンの舞台に立ったのだそうです。
表題の「ZouZou」っていう映画は、かのジャン・ギャバンと競演しているのですね。 -
ジョセフィン・ベーカーの展示があるビルは、
「エルドラド」。 -
エルドラドは男装趣味、女装趣味の人々が集まるキャバレーです。
建物の隅に立っているのは娼婦、それをチラチラ品定めしている男性。
享楽と退廃が漂うベルリン。 -
表には客引きの、短パンに赤い口紅、紅いハイヒールを履いた艶めかしい男性、その横には男装の麗人。
「黄金の20年代」のベルリンは性的にも世界で一番解放されていた町だったと言われます。
しかし傍には警察がウロウロしています。帽子に髑髏のようなマークが見えますからナチスの親衛隊かも知れません。 -
ナチスが政権をとると「エルドラド」は閉店させられ、男装者、女装者はナチスにより捕らえられ留置されました。
「エルドラド」の跡にはナチスの本部が入りました。
さて、気が付きましたか?
ブルーの挑発的なドレスを着ているのはマレーネ・ディートリッヒ、映画「嘆きの天使」の場面です。
フランスの歌手マーゴ・ライオン(1899-1989)とマレーネ・ディートリッヒがデュエットした「Wenn die beste Freundin mit der besten Freundin」はベルリンで大ヒットしました。
立て看板にはその案内。
ディートリッヒは「エルドラド」にも出演していました。 -
街角にはこの方も立っていました。
エミール・ヤニングス(1884-1950)ドイツの俳優。
第1回アカデミー賞男優賞受賞。
マレーネ・ディートリヒの「嘆きの天使」の教授役で出演しています。
ナチス時代はヒトラーの支持者として多くのプロパガンダ作品を作り続け、終戦後は連合国に映画出演を禁止されました。 -
こちらには、銀行強盗サス兄弟。
銀行の金庫室へトンネルを掘って侵入し、まんまと大金を強奪したサス兄弟。
見当をつけていた刑事は彼らを見張り、逮捕します。 -
しかし1929年4月6日、証拠不十分で釈放されました。
この場面はマスコミによって、釈放された彼らの記者会見が行われ、意気揚々とサス兄弟がそれに応じている様子。
その後彼らはデンマークに逃亡しましたが、最終的には逮捕され、ザクセンハウゼン強制収容所に送られ、そこで処刑されました。 -
Wertheim百貨店。(現在はMall of Berlin)。
ショーウィンドーにはドレスや自転車、家具などが並べられています。
高級車で乗りつける金持ちの買い物客。 -
ワイマール共和国時代は「黄金の20年代」に浮かれている金持ちばかりではありませんでした。
ほとんどの庶民は貧しさに苦しみ、失業者は増え、一部の富裕層に対して不満が募っていました。 -
人々の背後にはベロリーナ像。
かってアレクサンダープラッツに立っていたベルリンを象徴する寓話象。
1942年にナチスにより「芸術性が無い」と判断され、溶かされて大砲や銃などの材料になりました。
右はベルリンでお馴染みの広告塔。 -
「黄金の20年代」を代表する豪華ホテル、「グランドホテル・エスプラナーデ」。
現在はソニーセンター内に一部分だけ再現されて残っています。 -
ホテルの中庭ではガーデンショーが開かれています。
出演しているのは「黄金の20年代」のスーパースター、
ハリー・フロマーマンとコメディアン・ハーモニストの6人のグループ。
「Harry Frommermann mit den Comedian Harmonists」。
その周りでは当時流行したチャールストンやジルバを踊っている人々。 -
こちらでは女性参政権を求めて演説している女性活動家と聴衆者。
-
アメリカで生まれたコカコーラがドイツに初上陸したのは1929年です。
-
ポツダム広場はヨーロッパで一番交通量の多い場所でした。
1865年に馬車鉄道がベルリンに開業し、1881年には世界初の電気運転路面電車が走りました。
この連結式40番車両は1910年ごろの製造。
(その1)で登場した公衆トイレは、この時代は簡略化されています。 -
自動車王国のドイツと言えど、自家用車は当時はまだ富裕層しか所持できませんでした。
向こう側では街頭演説にヤジを飛ばしている人々。 -
エリー・ブラーはドイツの女性初のタクシー運転手。運転免許を取得し、1929年から営業を始めました。
当時は随分豪華な服装をして運転していたのですね。
毛皮? -
ウィーンにはカフェ文化なるものがあるのは有名です。
「黄金の20年代」のベルリンにもカフェ文化がありました。
ドイツのアチコチから、またヨーロッパの至る所から、ベルリンの自由な空気に魅せられてやってきた芸術家や文化人たちは、カフェにタムロして芸術論を戦わせていました。
ポツダム広場にある「カフェ・ヨスティ」もそんなカフェの一つです。 -
たばこをくゆらせながら、身を乗り出して議論している芸術家、あるいは女優さんもいるのでしょうか。
活気あるカフェの様子が目に浮かぶようです。 -
カフェ・ヨスティは私も好きなカフェで何度か行ったことがあります。
現在はソニーセンターの中にありますが、当時は200mほど離れた場所にあったそうです。そして1930年に閉店したそうです。
世界恐慌の波にのまれたのでしょうか。
ところで屋根裏部屋に死体が転がっていますが・・・。 -
調べてみると・・・。
Ernst Gennat(1880-1939)は数々の難問事件を解決した有名な犯罪学者でありベルリン警察局長でした。
彼の名声を聞きつけて、スコットランドヤードはじめ世界中から協力要請があり、298件の殺人事件を解決したそうです。「連続殺人」という言葉を使い始めたのもGennatでした。
彼は太っていたため、「Buddha(ブッダ、大仏)」と呼ばれました。
殺人事件を扱うGennatのオフィスは一種独特の雰囲気だったそうです。
ボケていますが写真の場面は彼の個人事務所です。 -
「ハウス・ファーターランド」と同じように、当時存在したもので、現在は跡形もないものに「ルナ・パーク」があります。
1909年にオープンしたヨーロッパ最大の遊園地でした。
世界最大のウォータースライド、揺れる家、波のプール、16,000席を有するレストランなど、大人も子供も楽しめる大型遊園地。 -
世界最大のウォータースライド。
オープン当初は1日5万人の入場者があり、オープン1年目には100万人の訪問者数を記録したそうです。 -
1926年には、ドイツの若いボクサー、マックス・シュメリンクはルナ・パークで彼の初のタイトル戦を戦い、ライトヘビー級のチャンピオンに輝きました。
1935年ナチスの時代に解体され、1936年のベルリンオリンピックのための道路となりました。 -
華やかな「黄金時代」は長くは続きませんでした。
1929年の世界大恐慌で終焉を迎えます。
そして1933年2月のドイツ国会議事堂の放火事件で「暗黒の時代」へと突入するのです。
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この旅行記へのコメント (7)
-
- ペコリーノさん 2020/08/01 11:05:28
- ベルリンの奥深さ
- frau.himmelさん こんにちは
ベルリンの歴史、楽しく見させていただきました。
ますますベルリンに行きたくなりました。
次に行けるのはいつのことでしょうね。
2017年に私が泊まったホテルが、「タイタニック ショッセ ベルリン」という名前だったのですが、ひょっとしてこれは、「タイタニア」という劇場の名前にちなんでつけられたものなのかもしれませんね。建物の外観もよく似ている気がします。
その時には、なんでこんな名前なんだろう、とちょっと不思議で、沈んでしまった豪華客船の名前「タイタニック」の方を連想していたのですが。
世界を自由に旅行できる幸せ、早く実感したいものです。
ペコリーノ
- frau.himmelさん からの返信 2020/08/01 21:09:59
- RE: ベルリンの奥深さ
- ペコリーノさん、こんばんは。
8月の声を聞いたら急に暑くなりましたね。
これからは暑さとマスクの共存生活・・・、うんざりしますね。
タイタニックの情報、飛びつきました。
歴史上の建物が今どうなっているのか、それを探るのって楽しい・・・。今回のLittle・・・でますます面白くなりました。
そこでTitania Palastを調べたら、現在もシェーネベルクの方で映画館(Cineplex Titania Palast)をやっているようです。
https://de.wikipedia.org/wiki/Titania-Palast
ペコリーノさんがお泊りになったホテルは自然博物館(でしたっけ?)の近くで中央駅にも近い・・・。
あ〜〜例の17年のザヴィエルの時のホテルですね?
拝見したらとてもいいホテルですね。
あの時は本当にお互いに大変でしたね。
ペコリーノさんの大変さに比べれば、私なんか比ではないですが、でも今になってみればととても懐かしい。
もう一度ベルリンに行きたい・・・。
早くそんな日が来ることを祈っています。
himmel
-
- mistralさん 2020/07/30 07:28:23
- 黄金の20年代
- himmelさん
おはようございます。
Little Big City, 第二弾、
黄金の20年代のコーナーになるのでしょうか?
それぞれがどのようにリンクしているのかわからないのですが、
歩きながら、次の時代に誘われていく、そんなイメージでしょうか?
ベルリンの旅行記を書く折に、黄金の、、、という時代があったこと
知りました。
ナチスの台頭までの僅かな時代だったけれど、文化が花開いた時代
という僅かな知識しか持ち合わせませんが。
ここに来て、Little Big、という意味がやっとわかったように思いました。
それぞれの細工は小さいけれど、語っている内容は So Big!
なんですね。
細部に注目していったら、制作者の方々が自ら楽しみながら?
アイディア満載で、隅々まで手を抜かずにつくり込んだことが
おかげさまで良くわかりました。
きっとhimmelさんは次々と足を止めて、かなりの時間をかけて見学
されたことでしょう。
そして何よりも旅行記のコメントを入れられる際にも膨大なお時間が
かかったことと想像します。
詳細なコメントが無かったら、サッと素通りしたように思いました。
mistral
- frau.himmelさん からの返信 2020/07/30 11:55:37
- RE: 黄金の20年代
- mistralさん、こんにちは。
なかなか梅雨が明けませんね。
今年は珍しく梅干しを漬けまして、そろそろ外干ししなければならないのですが、なかなか晴れ間がなくて困っています。
いつもコメントありがとうございます。
>それぞれがどのようにリンクしているのかわからないのですが…
そうなんです。決まった一定のコーナーにいろんな歴史、いろんなジャンルが詰め込まれていますので、ちょっと判りにくいという感じはありますね。
ただ、一つ一つの歴史を楽しみ乍ら、あ〜〜そうだんだんだ〜と調べている分には楽しかったのですが。この作業はもちろん写真を見てネットで調べて・・でしたが。
それを今回旅行記に纏める作業は、仰るように膨大な時間を要しました。
どういう順番に並べたらいいのか、時系列に並べるには無理があるとか。
シャイデマンがドイツ共和国樹立を宣言した窓は、歴史では帝国議会の窓からとなっていますが、あの場所ではホテル・エスプラナーデの窓になっていましたし、場所の違いなどもありましたし。
でも、思わぬところにチャップリンが立っていたり、ディートリッヒ、ジョセフィンベーカーの姿を見つけると、他にも何かあるのでは?と目を凝らして探してみたりと、宝探しをしているようで楽しかったです。
今回のLitte Big Cityでは、mistralさんの素晴らしいベルリンご旅行記なども参考にさせていただきました。
膨大な時間がかかったこと判っていただいてとても嬉しかったです。
と言ってもmistralさんのノートルダムには到底及びませんが・・・。
さすがに疲れましたので、第3弾はもうしばらくお休みします(笑)。
ANAがコロナ前の状態に戻るのは2023年になるとか。それまで安心して旅行はできないのでしょうかしらね。
私だけではないのでしょうけど、焦りますね。
himmel
-
- kaoluさん 2020/07/29 15:23:15
- 面白い展示ですね!
- himmelさん
Little BIG Cityって面白い展示をしているんですね。
ハンブルグのミニチュア・ワンダーランド(Miniatur Wunderland)のようだけど、統一したテーマで展示されているのが良いですね。
あの辺りは通過するだけでちゃんと観光したことありませんでした。
もし、次に訪問する機会があるならば。。リストに入れて、himmelさん の旅行記を片手に回れば個人的なガイドツアーですね。
今回の大災害、心落ち着かないですね。まして、思い出のある場所では。
私も熊本にはご縁があって何回か訪問させていただきました。2009年には八代から隼人に抜ける途中で。人吉、水沢ダムのあたりを回らせえていただき、とても良い思い出です。
素敵なところ。人情豊かで、そして頑張り屋さんが多い場所。それだけに、頑張りすぎないかと心配です。
そうでなくても、世の中やっかいなコロナ問題がありますよね。そろそろ、コロナと共生する生活を模索しなきゃいけないのかなと思い始めております。
心だけでも縮こまらないよう、過ごしたいですね。
- kaoluさん からの返信 2020/07/29 19:58:36
- 間違えました。
- 粗忽全開で・・
>水沢ダム
間違えました。 市房ダムでした。 ごめんなさい。
- frau.himmelさん からの返信 2020/07/30 11:28:55
- RE: 間違えました。
- kaoluさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
Little・・・のことは出発前に調べてチケットを予約していきました。
その当時は入場制限がかかるくらい人気アミューズメントでした。ハンブルクのミニチュア・ワンダーランドには規模には及びませんが、私はLittle・・・の方が面白かった。
>himmelさん の旅行記を片手に回れば個人的なガイドツアーですね。
止めてくださいよ〜!(笑)すごくいい加減な説明ですから。
ベルリンの細部の説明なんて日本語では出てきませんので、ドイツ語の説明をいい加減に解釈して、ふ〜んふ〜んと自分勝手に盛り上がっていただけですから。
と言うかベルリン歴史はkaoluさんでしょう?「おばちゃま」も付いていらっしゃいますし。
さて、豪雨災害のこと、お見舞いありがとうございます。
kaoluさんも何度かあの付近を通られたのですね。球磨川鉄道のことをご存知だったので驚きました。
市房ダムは桜の名所なのです。来年も美しい花を咲かせて人々の心を和ませてくれるでしょう。
>人情豊かで頑張り屋さんの多いところ・・・、
そうなんですね。このお言葉でまた胸がぐっと詰まりました。
さて、話は変わって「ダイジェスト版」を出されましたね。
そこに私が2019年におばちゃまの旅程を参考にさせていただいた(パクった)場所もありました。
あの国境の国立公園や国境を跨いで使えるお得なチケットなど、お二人(?)からアドヴァイスいただいて行ってきたのでした。その節はありがとうございました。
あちらに書き込もうと思ったのですが、ちょっとクドいかな(笑)と思いまして。
本編のほうも楽しみにしています。
なんて、私も書かなければならないんだった。
himmel
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